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「4横綱」の版間の差分

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|[[1904年]]1月場所||全休||'''7勝1敗2休'''||'''7勝1敗1預1休(優勝相当)'''||6勝1敗3休||東京相撲は[[大関]]不在、常陸山と梅ヶ谷は「[[横綱大関]]」として大関の地位を兼ねた<br>常陸山は2日目からの出場<br>常陸山と梅ヶ谷はともに幕内最高成績。便宜上番付上位(東正横綱)の梅ヶ谷を優勝相当とした

2017年11月29日 (水) 00:13時点における版

4横綱(よんよこづな)では、大相撲において横綱が同時に4人在位した時代について述べる。

大相撲において、横綱が同時に在位したのは現在4人が最多数であり、これまでに16パターンの組み合わせがある。横綱の定数についての明文規定はないが、栃錦の昇進時に「5横綱になるのはどうか?」という声があり、結局東富士引退と入れ替わりの昇進となったことで5横綱は回避された。なお大関は現在6人が最多数(2012年5月~同年9月の合計3場所)であるが、過去には雅山が再昇進により「6大関になるのはどうか?」というのが一因で昇進見送りとなった例もあった。

4横綱時代

各パターンごとの、4横綱時代の場所別成績を記す。

参考

大阪横綱若島を交えての4横綱時代。常陸山と2代目梅ヶ谷の同時昇進によって実現、なお東京に3横綱が揃ったのもこの時が初。若嶌は吉田司家未公認だった期間を含む。また番付の扱いも1906年6月まで大関のままであった。 この時代、東京大阪とも千秋楽には(1904年5月場所までの大阪相撲では、初日)幕内力士は休場が通例。

場所 18代大砲 19代常陸山 20代梅ヶ谷(2代) 21代若島 備考
1904年1月場所 全休 7勝1敗2休 7勝1敗1預1休(優勝相当) 6勝1敗3休 東京相撲は大関不在、常陸山と梅ヶ谷は「横綱大関」として大関の地位を兼ねた
常陸山は2日目からの出場
常陸山と梅ヶ谷はともに幕内最高成績。便宜上番付上位(東正横綱)の梅ヶ谷を優勝相当とした
1904年5月場所 全休 全休 6勝1敗1分 7勝1敗1分1休 常陸山と梅ヶ谷は横綱大関
1905年1月場所 3勝1敗1預5休 2勝8休 8勝1敗1休 全休 常陸山と梅ヶ谷は横綱大関
1905年5月場所 2勝1敗6分1休 5勝1分1預3休 5勝5休 8勝1分1休(優勝相当) 若島吉田司家の追認を得る
常陸山と梅ヶ谷は相手力士休場による1休がある。
1906年1月場所 1勝8分1休 9戦全勝1休(優勝相当) 7勝1敗1分1休 全休
1906年5月場所 全休 8勝2休(優勝相当) 7勝1分2休 - 常陸山と梅ヶ谷は直接対戦で休場。
1906年6月場所 - - - 全休
1907年1月場所 1勝1敗2分5休 全休 1勝9休 全休 大阪相撲でも初めて明確に横綱の地位が現れる
若島引退

参考

大阪横綱大木戸森右エ門を交えての4横綱時代。太刀山の昇進によって実現した。ただし大木戸の横綱免許は大阪相撲独断によるもので、吉田司家未公認だった期間を含む。
なお、この時代には大阪相撲では幕内力士は初日もしくは千秋楽を休場するのが通例だった。

場所 19代常陸山 20代梅ヶ谷(2代) 22代太刀山 23代大木戸 備考
1911年6月場所 全休 全休 10戦全勝(優勝) -
1911年9月場所 - - - 6勝2敗2休
1912年1月場所 5勝1敗4分 7勝3敗 8勝1敗1分(優勝) - 大阪相撲は1月場所を開催せず
1912年5月場所 全休 1勝1敗3分5休 10戦全勝(優勝) 7勝1敗1分1休
1913年1月場所 6勝1敗3分 4勝1敗5分 全休 5勝3敗1休 大木戸吉田司家の追認を得る
1913年5月場所 2勝1預7休 1敗1分8休 10戦全勝(優勝) 全休
1914年1月場所 1勝2敗7休 2勝2分6休 10戦全勝(優勝) 全休 大木戸引退

第1次

大錦の昇進により、実現した。

場所 22代太刀山 24代 25代西ノ海(2代) 26代大錦 備考
1917年5月場所 0勝0敗10休 3勝2敗5休 2勝1敗7休 9勝1敗
1918年1月場所 0勝0敗10休(引退) 7勝3敗 0勝0敗10休 8勝1敗1休 当場所限りで太刀山引退

第2次

栃木山の昇進により、実現した。第2次では、1場所のみではあるが、優勝は横綱が独占した。(栃木山のみによるものである。)
1918年4月には大阪相撲にも横綱大錦大五郎が誕生しており、西ノ海引退までの1ヶ月弱、5人の現役横綱が存在した。

場所 24代 25代西ノ海 26代大錦卯一郎 27代栃木山 備考
1918年5月場所 0勝1敗9休 0勝0敗10休 0勝0敗10休 9勝1敗(優勝) 東方に大錦、栃木山、西ノ海の3横綱、西方に鳳ひとりの現在の観点ではやや奇異な番付となっている
逆に大関は東方に九州山ひとり、西方に千葉ヶ崎伊勢ノ浜朝潮3人で、大関以上東西4人ずつとバランスを取っている
当場所限りで西ノ海(2代)引退

参考

大坂横綱大錦大五郎を交えての4横綱時代。2代西ノ海引退から鳳引退まで。

場所 24代鳳 26代大錦卯一郎 27代栃木山 28代大錦大五郎 備考
1919年1月場所 3勝1敗1預5休 8勝2敗 9勝1休(優勝) 1勝1敗8休
1919年5月場所 3勝6敗 8勝2敗 10戦全勝(優勝) 6勝2敗2分
1920年1月場所 3勝4敗3休 8勝1敗1分(優勝) 8勝2敗 1勝1敗8休
1920年5月場所 全休 9勝1敗(優勝) 8勝1分1預 - 鳳引退。大坂相撲はこの年は6月場所を開催

参考

大阪横綱宮城山福松を交えての4横綱時代。31代常ノ花の昇進によって実現した。なお、この期間中、東京相撲の本場所は11日制、大阪相撲は10日制。

場所 27代栃木山 29代宮城山 30代西ノ海(3代) 31代常ノ花 備考
1924年5月場所 10勝1敗(優勝) 全休 5勝2敗1預4休 5勝2敗2分1預
1925年1月場所 10勝1分(優勝) 4勝2敗1分3休 9勝2敗 0勝2敗9休
1925年5月場所 全休 - 9勝2敗(優勝) 3勝1敗1分5休 栃木山引退。この年大阪相撲は6月場所を開催

第3次

双葉山の昇進により、実現した。第3次では、2場所間優勝は全て横綱が独占した。(双葉山のみによるものである。)

場所 32代玉錦 33代武蔵山 34代男女ノ川 35代双葉山 備考
1938年1月場所 10勝3敗 5勝4敗4休 7勝6敗 13勝0敗(優勝) 東方に大関不在で、東方第2位の男女ノ川は大関を兼ねる「横綱大関」として張出ではなく枠内に書き出された
(西第2位の武蔵山は張出)
1938年5月場所 10勝3敗 7勝6敗 6勝7敗(負越) 13勝0敗(優勝) 4横綱全員皆勤 玉錦1938年12月死亡

総当たり

春秋園事件の余波で系統別総当たり制が実施されており、史上初めて4横綱総当たりが実現した。

場所 玉錦 武蔵山 男女ノ川 双葉山 備考
1938年5月場所 10●男女
12●武蔵
13●双葉
11●双葉
12○玉錦
13○男女
10○玉錦
12●双葉
13●武蔵
11○武蔵
12○男女
13○玉錦
13日制
  • 数字は対戦日

第4次

安芸ノ海、照国の昇進により、実現した。

場所 35代双葉山 36代羽黒山 37代安芸ノ海 38代照国 備考
1943年1月場所 15勝0敗(優勝) 13勝2敗 12勝3敗 14勝1敗 東方に大関不在で、東正横綱安芸ノ海が「横綱大関」
安芸ノ海は千秋楽のみ休場、双葉山に不戦敗
4横綱全員10勝以上で4横綱合計の成績が史上最高
1943年5月場所 15勝0敗(優勝) 14勝1敗 11勝4敗 12勝3敗 西方に大関不在で、西正横綱照国が「横綱大関」4横綱全員皆勤、10勝以上
1944年1月場所 11勝4敗 12勝3敗 0勝0敗15休 11勝4敗 東正横綱照国が「横綱大関」
1944年5月場所 9勝1敗 10勝0敗(優勝) 5勝5敗 6勝4敗 西正横綱照国が「横綱大関」
4横綱全員皆勤
1944年11月場所 4勝3敗3休 7勝3敗 0勝0敗10休 4勝2敗4休
1945年6月場所 1勝0敗6休 5勝2敗 6勝1敗 5勝2敗
1945年11月場所 0勝0敗10休 10勝0敗(優勝) 4勝6敗(負越) 9勝1敗 当場所限りで双葉山引退

第5次

東富士の昇進により、実現した。

場所 36代羽黒山 38代照国 39代前田山 40代東富士 備考
1949年1月場所 0勝0敗13休 0勝0敗13休 5勝3敗5休 10勝2敗1分(優勝)
1949年5月場所 11勝4敗 12勝3敗 9勝6敗 8勝7敗 4横綱全員皆勤
1949年11月場所 12勝3敗 8勝2敗5休 1勝6敗(引退) 10勝5敗 当場所限りで前田山引退

第6次

千代の山の昇進により、実現した。

場所 36代羽黒山 38代照国 40代東富士 41代千代の山 備考
1951年9月場所 10勝5敗 11勝4敗 13勝1敗1預(優勝) 9勝6敗 4横綱全員皆勤
1952年1月場所 15勝0敗(優勝) 10勝5敗 7勝4敗4休 13勝2敗 照国は千秋楽のみ休場、東富士に不戦敗
東富士は中日8日目から休場、13日目から再出場
1952年5月場所 7勝3敗5休 0勝0敗15休 13勝2敗(優勝) 10勝5敗 羽黒山は7日目から休場、13日目から再出場
1952年9月場所 4勝3敗8休 6勝6敗3休 7勝7敗1休 11勝4敗
1953年1月場所 9勝6敗 0勝3敗(引退) 2勝5敗8休 4勝4敗7休 千代の山は3日目から休場、11日目から再出場
当場所限りで照国引退。(当場所後、鏡里横綱昇進)

総当たり

1951年9月場所で13年ぶり2度目の4横綱総当たりが実現した。
翌1952年1月場所は途中休場の東富士が終盤再出場、照国が千秋楽を休場して不戦勝を含むものとなったが、2場所連続の4横綱総当たりとなった。これが系統別総当たり制度下で最後の例となる。

場所 羽黒山 照国 東富士 千代ノ山 備考
1951年9月場所 13●照国
14●東 
15○千代
13○羽黒
14○千代
15●東 
13○千代
14○羽黒
15○照国
13●東 
14●照国
15●羽黒
1952年1月場所 13○照国
14○東 
15○千代
13●羽黒
14●千代
15■東 
13○千代
14●羽黒
15□照国
13●東 
14○照国
15●羽黒
照国は千秋楽のみ休場、東富士に不戦敗
東富士は中日8日目から休場、13日目から再出場
  • 数字は対戦日

第7次

鏡里の昇進により、実現した。

場所 36代羽黒山 40代東富士 41代千代の山 42代鏡里 備考
1953年3月場所 0勝0敗15休 12勝3敗 1勝5敗9休 10勝5敗
1953年5月場所 0勝3敗12休 11勝4敗 0勝0敗15休 12勝3敗
1953年9月場所 0勝0敗15休(引退) 14勝1敗(優勝) 11勝4敗 9勝6敗 当場所限りで羽黒山引退

第8次

吉葉山の昇進により、実現した。

場所 40代東富士 41代千代の山 42代鏡里 43代吉葉山 備考
1954年3月場所 5勝3敗7休 10勝5敗 10勝5敗 0勝0敗15休
1954年5月場所 0勝0敗15休 12勝3敗 11勝4敗 0勝1敗14休
1954年9月場所 4勝4敗(引退) 14勝1敗(優勝) 11勝4敗 9勝6敗 当場所限りで東富士引退(当場所後、栃錦横綱昇進)

第9次

栃錦の昇進により、実現した。

場所 41代千代の山 42代鏡里 43代吉葉山 44代栃錦 備考
1955年1月場所 12勝3敗(優勝) 10勝5敗 5勝2敗8休 10勝5敗 西方に大関不在、西第2位の吉葉山は張出ではなく枠内に書き出されたが「横綱大関」とはされなかった
(東方第2位の鏡里は張出)
なお、前場所の成績も踏まえると、東正横綱千代の山、西正横綱栃錦、西2枚目横綱吉葉山、東張出横綱鏡里、という序列だったことになる
1955年3月場所 13勝2敗(優勝) 4勝5敗6休 3勝2敗10休 12勝3敗 西方に大関不在、西第2位の鏡里は枠内に書き出されたが「横綱大関」とはされなかった(吉葉山は東張出)
前場所同様、成績上位だった鏡里が西2枚目横綱に、吉葉山が東張出に配されている
1955年5月場所 8勝7敗 11勝4敗 0勝2敗13休 14勝1敗(優勝)
1955年9月場所 10勝4敗1分 14勝1敗(優勝) 9勝6敗 4勝3敗8休 西方に大関不在、東西に張出横綱がおかれ、西正横綱鏡里も横綱大関とはされなかった
1956年1月場所 4勝1敗10休 14勝1敗(優勝) 9勝6敗 9勝6敗
1956年3月場所 8勝7敗 8勝7敗 11勝4敗 9勝6敗 4横綱全員皆勤
1956年5月場所 11勝4敗 9勝6敗 8勝7敗 5勝5敗5休
1956年9月場所 0勝0敗15休 14勝1敗(優勝) 12勝3敗 11勝4敗
1957年1月場所 15勝0敗(優勝) 3勝5敗7休 10勝5敗 11勝4敗
1957年3月場所 10勝5敗 11勝4敗 3勝3敗9休 11勝4敗
1957年5月場所 0勝0敗15休 10勝5敗 5勝6敗4休 12勝3敗
1957年9月場所 5勝8敗2休 8勝7敗 9勝6敗 13勝2敗(優勝)
1957年11月場所 0勝0敗15休 0勝0敗15休 11勝4敗 12勝3敗
1958年1月場所 12勝3敗 9勝6敗(引退) 3勝6敗(引退) 11勝4敗 当場所限りで鏡里、吉葉山引退(2横綱同時引退は、史上初)

第10次

柏戸、大鵬の昇進により、実現した。第10次では、2場所間優勝は全て横綱が独占した。(大鵬のみによるものである。)

場所 45代若乃花(初代) 46代朝潮 47代柏戸 48代大鵬 備考
1961年11月場所 11勝4敗 2勝5敗8休 12勝3敗 13勝2敗(優勝) 張出はつくらず4横綱全員枠内に書き出された
またこの場所は3大関4関脇4小結がいたが、横綱以外はすべて張出がつくられた
1962年1月場所 11勝4敗 番付記載 10勝5敗 13勝2敗(優勝) 4横綱全員枠内
朝潮、場所前に引退。

第11次

佐田の山の昇進により、実現した。第11次では、11場所間優勝は全て横綱が独占した。(栃ノ海のみ優勝は果たしていない。)

場所 47代柏戸 48代大鵬 49代栃ノ海 50代佐田の山 備考
1965年3月場所 0勝0敗15休 14勝1敗(優勝) 8勝7敗 12勝3敗
1965年5月場所 9勝6敗 9勝6敗 8勝7敗 14勝1敗(優勝) 大鵬千秋楽休場
1965年7月場所 12勝3敗 13勝2敗(優勝) 7勝4敗3休 12勝3敗
1965年9月場所 12勝3敗(優勝) 11勝4敗 10勝5敗 12勝3敗(優勝同点) 4横綱全員皆勤、10勝以上
1965年11月場所 1勝1敗13休 13勝2敗(優勝) 10勝5敗 11勝4敗
1966年1月場所 14勝1敗(優勝) 0勝0敗15休 0勝0敗15休 5勝6敗4休
1966年3月場所 10勝5敗 13勝2敗(優勝) 10勝5敗 5勝5敗5休
1966年5月場所 12勝3敗 14勝1敗(優勝) 1勝3敗11休 0勝0敗15休
1966年7月場所 12勝3敗 14勝1敗(優勝) 0勝0敗15休 11勝4敗 西方に大関不在、西正横綱柏戸が横綱大関
1966年9月場所 13勝2敗(優勝同点) 13勝2敗(優勝) 0勝0敗15休 12勝3敗
1966年11月場所 10勝5敗 15勝0敗(優勝) 2勝5敗(引退) 10勝5敗 当場所限りで栃ノ海引退

総当たり

  • 1965年1月場所より部屋別総当たり制実施。同制度下で最初の4横綱総当たりが実現した。1965年5月場所は大鵬が千秋楽のみ休場して佐田の山に不戦勝を与えており、純然たるものとしては同9月場所が唯一。
場所 柏戸 大鵬 栃ノ海 佐田の山 備考
1965年5月場所 12○栃海
13○大鵬
14●佐田
13●柏戸
14○栃海
15■佐田
11●佐田
12●柏戸
14●大鵬
11○栃海
14○柏戸
15□大鵬
1965年9月場所 11○佐田
12○大鵬
15○栃海
12●柏戸
14●栃海
15●佐田
13●佐田
14○大鵬
15●柏戸
11●柏戸
13○栃海
15○大鵬
柏戸と佐田の山は優勝決定戦でも対戦し柏戸勝利。
  • 数字は対戦日

第12次

三重ノ海の昇進により、実現した。第12次では、8場所間優勝は全て横綱が独占した。(しかも、4横綱全員によるものである。これは、第12次のみである。)
また、4横綱が全員皆勤、全員10勝以上の場所が3場所と、最も多かった。

場所 54代輪島 55代北の湖 56代若乃花(2代) 57代三重ノ海 備考
1979年9月場所 10勝5敗 13勝2敗(優勝) 11勝4敗 11勝4敗 4横綱全員皆勤、全員10勝以上
1979年11月場所 10勝5敗 10勝5敗 12勝3敗 14勝1敗(優勝) 西方に大関不在、西正横綱三重ノ海が横綱大関
4横綱全員皆勤、全員10勝以上
1980年1月場所 0勝3敗12休 12勝3敗 11勝4敗 15勝0敗(優勝) 西正横綱若乃花が横綱大関
1980年3月場所 11勝4敗 13勝2敗(優勝) 12勝3敗 1勝4敗10休
1980年5月場所 11勝4敗 14勝1敗(優勝) 12勝3敗 10勝5敗 4横綱全員皆勤、全員10勝以上
1980年7月場所 1勝4敗10休 15勝0敗(優勝) 10勝5敗 4勝6敗5休
1980年9月場所 11勝4敗 11勝4敗 14勝1敗(優勝) 0勝0敗15休
1980年11月場所 14勝1敗(優勝) 12勝3敗 13勝2敗 0勝3敗 当場所限りで三重ノ海引退

総当たり

史上最多、3回の4横綱総当たりが行われたが、1980年5月場所が2012年現在最後の例となっている。

場所 輪島 北の湖 若乃花 三重ノ海 備考
1979年9月場所 13●若花
14●三重
15●北湖
10○三重
12○若花
15○輪島
12●北湖
13○輪島
15●三重
10●北湖
14○輪島
15○若花
1979年11月場所 8●三重
14●北湖
15○若花
13●若花
14○輪島
15●三重
13○北湖
14●三重
15●輪島
8○輪島
14○若花
15○北湖
1980年5月場所 13●若花
14●北湖
15●三重
13○三重
14○輪島
15○若花
13○輪島
14○三重
15●北湖
13●北湖
14●若花
15○輪島

第13次

大乃国の昇進により、実現した。

場所 58代千代の富士 60代双羽黒 61代北勝海 62代大乃国 備考
1987年11月場所 15勝0敗(優勝) 13勝2敗 13勝2敗 8勝7敗 4横綱全員皆勤 双羽黒は、1987年12月廃業
1988年1月場所 12勝3敗 番付記載 11勝4敗 5勝5敗5休

第14次

旭富士の昇進により、実現した。尚4横綱が千秋楽まで全員皆勤は、1990年11月場所が現在最後となっている。

場所 58代千代の富士 61代北勝海 62代大乃国 63代旭富士 備考
1990年9月場所 0勝0敗15休 14勝1敗(優勝) 0勝0敗15休 13勝2敗
1990年11月場所 13勝2敗(優勝) 9勝6敗 10勝5敗 12勝3敗 4横綱全員皆勤
1991年1月場所 2勝1敗12休 12勝3敗 10勝5敗 11勝4敗
1991年3月場所 0勝0敗15休 13勝2敗(優勝) 12勝3敗 11勝4敗
1991年5月場所 1勝3敗(引退) 0勝0敗15休 0勝0敗15休 14勝1敗(優勝) 当場所限りで千代の富士引退

第15次

武蔵丸の昇進により、実現した。
1994年7月場所から張出制度は事実上廃止され、この4横綱は全員枠内に書き出されている。

場所 64代 65代貴乃花 66代若乃花(3代) 67代武蔵丸 備考
1999年7月場所 13勝2敗(優勝同点) 9勝6敗 0勝0敗15休 12勝3敗
1999年9月場所 2勝2敗11休 0勝3敗12休 7勝8敗(負越) 12勝3敗(優勝)
1999年11月場所 0勝0敗15休 11勝4敗 0勝0敗15休 12勝3敗(優勝)
2000年1月場所 11勝4敗 12勝3敗 0勝0敗15休 2勝2敗11休
2000年3月場所 12勝3敗 11勝4敗 2勝4敗(引退) 11勝4敗 当場所限りで若乃花(3代)引退

第16次

稀勢の里の昇進により、実現した。大相撲史上初めて4横綱実現時に日本国籍を持たない横綱が含まれるケースである。

場所 69代白鵬 70代日馬富士 71代鶴竜 72代稀勢の里 備考
2017年3月場所 2勝3敗10休 10勝5敗 10勝5敗 13勝2敗(優勝) 稀勢の里が史上9人目の新横綱優勝
2017年5月場所 15勝0敗(優勝) 11勝4敗 1勝4敗10休 6勝5敗4休
2017年7月場所 14勝1敗(優勝) 11勝4敗 2勝2敗11休 2勝4敗9休 白鵬が通算勝ち星の新記録を樹立
2017年9月場所 0勝0敗15休 11勝4敗(優勝) 0勝0敗15休 0勝0敗15休 昭和以降初めて初日から3横綱が休場
2017年11月場所 14勝1敗(優勝) 0勝3敗12休 0勝0敗15休 4勝6敗5休 日馬富士が暴行問題で途中休場

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