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|[[1904年]]1月場所||全休||'''7勝1敗2休'''||'''7勝1敗1預1休(優勝相当)'''||6勝1敗3休||東京相撲は[[大関]]不在、常陸山と梅ヶ谷は「[[横綱大関]]」として大関の地位を兼ねた<br>常陸山は2日目からの出場<br>常陸山と梅ヶ谷はともに幕内最高成績。便宜上番付上位(東正横綱)の梅ヶ谷を優勝相当とした |
|[[1904年]]1月場所||全休||'''7勝1敗2休'''||'''7勝1敗1預1休(優勝相当)'''||6勝1敗3休||東京相撲は[[大関]]不在、常陸山と梅ヶ谷は「[[横綱大関]]」として大関の地位を兼ねた<br>常陸山は2日目からの出場<br>常陸山と梅ヶ谷はともに幕内最高成績。便宜上番付上位(東正横綱)の梅ヶ谷を優勝相当とした |
2017年11月29日 (水) 00:13時点における版
4横綱(よんよこづな)では、大相撲において横綱が同時に4人在位した時代について述べる。
大相撲において、横綱が同時に在位したのは現在4人が最多数であり、これまでに16パターンの組み合わせがある。横綱の定数についての明文規定はないが、栃錦の昇進時に「5横綱になるのはどうか?」という声があり、結局東富士の引退と入れ替わりの昇進となったことで5横綱は回避された。なお大関は現在6人が最多数(2012年5月~同年9月の合計3場所)であるが、過去には雅山が再昇進により「6大関になるのはどうか?」というのが一因で昇進見送りとなった例もあった。
4横綱時代
各パターンごとの、4横綱時代の場所別成績を記す。
参考
大阪横綱若島を交えての4横綱時代。常陸山と2代目梅ヶ谷の同時昇進によって実現、なお東京に3横綱が揃ったのもこの時が初。若嶌は吉田司家未公認だった期間を含む。また番付の扱いも1906年6月まで大関のままであった。 この時代、東京大阪とも千秋楽には(1904年5月場所までの大阪相撲では、初日)幕内力士は休場が通例。
場所 | 18代大砲 | 19代常陸山 | 20代梅ヶ谷(2代) | 21代若島 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
1904年1月場所 | 全休 | 7勝1敗2休 | 7勝1敗1預1休(優勝相当) | 6勝1敗3休 | 東京相撲は大関不在、常陸山と梅ヶ谷は「横綱大関」として大関の地位を兼ねた 常陸山は2日目からの出場 常陸山と梅ヶ谷はともに幕内最高成績。便宜上番付上位(東正横綱)の梅ヶ谷を優勝相当とした |
1904年5月場所 | 全休 | 全休 | 6勝1敗1分 | 7勝1敗1分1休 | 常陸山と梅ヶ谷は横綱大関 |
1905年1月場所 | 3勝1敗1預5休 | 2勝8休 | 8勝1敗1休 | 全休 | 常陸山と梅ヶ谷は横綱大関 |
1905年5月場所 | 2勝1敗6分1休 | 5勝1分1預3休 | 5勝5休 | 8勝1分1休(優勝相当) | 若島吉田司家の追認を得る 常陸山と梅ヶ谷は相手力士休場による1休がある。 |
1906年1月場所 | 1勝8分1休 | 9戦全勝1休(優勝相当) | 7勝1敗1分1休 | 全休 | |
1906年5月場所 | 全休 | 8勝2休(優勝相当) | 7勝1分2休 | - | 常陸山と梅ヶ谷は直接対戦で休場。 |
1906年6月場所 | - | - | - | 全休 | |
1907年1月場所 | 1勝1敗2分5休 | 全休 | 1勝9休 | 全休 | 大阪相撲でも初めて明確に横綱の地位が現れる 若島引退 |
参考
大阪横綱大木戸森右エ門を交えての4横綱時代。太刀山の昇進によって実現した。ただし大木戸の横綱免許は大阪相撲独断によるもので、吉田司家未公認だった期間を含む。
なお、この時代には大阪相撲では幕内力士は初日もしくは千秋楽を休場するのが通例だった。
場所 | 19代常陸山 | 20代梅ヶ谷(2代) | 22代太刀山 | 23代大木戸 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
1911年6月場所 | 全休 | 全休 | 10戦全勝(優勝) | - | |
1911年9月場所 | - | - | - | 6勝2敗2休 | |
1912年1月場所 | 5勝1敗4分 | 7勝3敗 | 8勝1敗1分(優勝) | - | 大阪相撲は1月場所を開催せず |
1912年5月場所 | 全休 | 1勝1敗3分5休 | 10戦全勝(優勝) | 7勝1敗1分1休 | |
1913年1月場所 | 6勝1敗3分 | 4勝1敗5分 | 全休 | 5勝3敗1休 | 大木戸吉田司家の追認を得る |
1913年5月場所 | 2勝1預7休 | 1敗1分8休 | 10戦全勝(優勝) | 全休 | |
1914年1月場所 | 1勝2敗7休 | 2勝2分6休 | 10戦全勝(優勝) | 全休 | 大木戸引退 |
第1次
大錦の昇進により、実現した。
場所 | 22代太刀山 | 24代鳳 | 25代西ノ海(2代) | 26代大錦 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
1917年5月場所 | 0勝0敗10休 | 3勝2敗5休 | 2勝1敗7休 | 9勝1敗 | |
1918年1月場所 | 0勝0敗10休(引退) | 7勝3敗 | 0勝0敗10休 | 8勝1敗1休 | 当場所限りで太刀山引退 |
第2次
栃木山の昇進により、実現した。第2次では、1場所のみではあるが、優勝は横綱が独占した。(栃木山のみによるものである。)
1918年4月には大阪相撲にも横綱大錦大五郎が誕生しており、西ノ海引退までの1ヶ月弱、5人の現役横綱が存在した。
場所 | 24代鳳 | 25代西ノ海 | 26代大錦卯一郎 | 27代栃木山 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
1918年5月場所 | 0勝1敗9休 | 0勝0敗10休 | 0勝0敗10休 | 9勝1敗(優勝) | 東方に大錦、栃木山、西ノ海の3横綱、西方に鳳ひとりの現在の観点ではやや奇異な番付となっている 逆に大関は東方に九州山ひとり、西方に千葉ヶ崎、伊勢ノ浜、朝潮3人で、大関以上東西4人ずつとバランスを取っている 当場所限りで西ノ海(2代)引退 |
参考
大坂横綱大錦大五郎を交えての4横綱時代。2代西ノ海引退から鳳引退まで。
場所 | 24代鳳 | 26代大錦卯一郎 | 27代栃木山 | 28代大錦大五郎 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
1919年1月場所 | 3勝1敗1預5休 | 8勝2敗 | 9勝1休(優勝) | 1勝1敗8休 | |
1919年5月場所 | 3勝6敗 | 8勝2敗 | 10戦全勝(優勝) | 6勝2敗2分 | |
1920年1月場所 | 3勝4敗3休 | 8勝1敗1分(優勝) | 8勝2敗 | 1勝1敗8休 | |
1920年5月場所 | 全休 | 9勝1敗(優勝) | 8勝1分1預 | - | 鳳引退。大坂相撲はこの年は6月場所を開催 |
参考
大阪横綱宮城山福松を交えての4横綱時代。31代常ノ花の昇進によって実現した。なお、この期間中、東京相撲の本場所は11日制、大阪相撲は10日制。
場所 | 27代栃木山 | 29代宮城山 | 30代西ノ海(3代) | 31代常ノ花 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
1924年5月場所 | 10勝1敗(優勝) | 全休 | 5勝2敗1預4休 | 5勝2敗2分1預 | |
1925年1月場所 | 10勝1分(優勝) | 4勝2敗1分3休 | 9勝2敗 | 0勝2敗9休 | |
1925年5月場所 | 全休 | - | 9勝2敗(優勝) | 3勝1敗1分5休 | 栃木山引退。この年大阪相撲は6月場所を開催 |
第3次
双葉山の昇進により、実現した。第3次では、2場所間優勝は全て横綱が独占した。(双葉山のみによるものである。)
場所 | 32代玉錦 | 33代武蔵山 | 34代男女ノ川 | 35代双葉山 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
1938年1月場所 | 10勝3敗 | 5勝4敗4休 | 7勝6敗 | 13勝0敗(優勝) | 東方に大関不在で、東方第2位の男女ノ川は大関を兼ねる「横綱大関」として張出ではなく枠内に書き出された (西第2位の武蔵山は張出) |
1938年5月場所 | 10勝3敗 | 7勝6敗 | 6勝7敗(負越) | 13勝0敗(優勝) | 4横綱全員皆勤 玉錦1938年12月死亡 |
総当たり
春秋園事件の余波で系統別総当たり制が実施されており、史上初めて4横綱総当たりが実現した。
場所 | 玉錦 | 武蔵山 | 男女ノ川 | 双葉山 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
1938年5月場所 | 10●男女 12●武蔵 13●双葉 |
11●双葉 12○玉錦 13○男女 |
10○玉錦 12●双葉 13●武蔵 |
11○武蔵 12○男女 13○玉錦 |
13日制 |
- 数字は対戦日
第4次
安芸ノ海、照国の昇進により、実現した。
場所 | 35代双葉山 | 36代羽黒山 | 37代安芸ノ海 | 38代照国 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
1943年1月場所 | 15勝0敗(優勝) | 13勝2敗 | 12勝3敗 | 14勝1敗 | 東方に大関不在で、東正横綱安芸ノ海が「横綱大関」 安芸ノ海は千秋楽のみ休場、双葉山に不戦敗 4横綱全員10勝以上で4横綱合計の成績が史上最高 |
1943年5月場所 | 15勝0敗(優勝) | 14勝1敗 | 11勝4敗 | 12勝3敗 | 西方に大関不在で、西正横綱照国が「横綱大関」4横綱全員皆勤、10勝以上 |
1944年1月場所 | 11勝4敗 | 12勝3敗 | 0勝0敗15休 | 11勝4敗 | 東正横綱照国が「横綱大関」 |
1944年5月場所 | 9勝1敗 | 10勝0敗(優勝) | 5勝5敗 | 6勝4敗 | 西正横綱照国が「横綱大関」 4横綱全員皆勤 |
1944年11月場所 | 4勝3敗3休 | 7勝3敗 | 0勝0敗10休 | 4勝2敗4休 | |
1945年6月場所 | 1勝0敗6休 | 5勝2敗 | 6勝1敗 | 5勝2敗 | |
1945年11月場所 | 0勝0敗10休 | 10勝0敗(優勝) | 4勝6敗(負越) | 9勝1敗 | 当場所限りで双葉山引退 |
第5次
東富士の昇進により、実現した。
場所 | 36代羽黒山 | 38代照国 | 39代前田山 | 40代東富士 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
1949年1月場所 | 0勝0敗13休 | 0勝0敗13休 | 5勝3敗5休 | 10勝2敗1分(優勝) | |
1949年5月場所 | 11勝4敗 | 12勝3敗 | 9勝6敗 | 8勝7敗 | 4横綱全員皆勤 |
1949年11月場所 | 12勝3敗 | 8勝2敗5休 | 1勝6敗(引退) | 10勝5敗 | 当場所限りで前田山引退 |
第6次
千代の山の昇進により、実現した。
場所 | 36代羽黒山 | 38代照国 | 40代東富士 | 41代千代の山 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
1951年9月場所 | 10勝5敗 | 11勝4敗 | 13勝1敗1預(優勝) | 9勝6敗 | 4横綱全員皆勤 |
1952年1月場所 | 15勝0敗(優勝) | 10勝5敗 | 7勝4敗4休 | 13勝2敗 | 照国は千秋楽のみ休場、東富士に不戦敗 東富士は中日8日目から休場、13日目から再出場 |
1952年5月場所 | 7勝3敗5休 | 0勝0敗15休 | 13勝2敗(優勝) | 10勝5敗 | 羽黒山は7日目から休場、13日目から再出場 |
1952年9月場所 | 4勝3敗8休 | 6勝6敗3休 | 7勝7敗1休 | 11勝4敗 | |
1953年1月場所 | 9勝6敗 | 0勝3敗(引退) | 2勝5敗8休 | 4勝4敗7休 | 千代の山は3日目から休場、11日目から再出場 当場所限りで照国引退。(当場所後、鏡里横綱昇進) |
総当たり
1951年9月場所で13年ぶり2度目の4横綱総当たりが実現した。
翌1952年1月場所は途中休場の東富士が終盤再出場、照国が千秋楽を休場して不戦勝を含むものとなったが、2場所連続の4横綱総当たりとなった。これが系統別総当たり制度下で最後の例となる。
場所 | 羽黒山 | 照国 | 東富士 | 千代ノ山 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
1951年9月場所 | 13●照国 14●東 15○千代 |
13○羽黒 14○千代 15●東 |
13○千代 14○羽黒 15○照国 |
13●東 14●照国 15●羽黒 |
|
1952年1月場所 | 13○照国 14○東 15○千代 |
13●羽黒 14●千代 15■東 |
13○千代 14●羽黒 15□照国 |
13●東 14○照国 15●羽黒 |
照国は千秋楽のみ休場、東富士に不戦敗 東富士は中日8日目から休場、13日目から再出場 |
- 数字は対戦日
第7次
鏡里の昇進により、実現した。
場所 | 36代羽黒山 | 40代東富士 | 41代千代の山 | 42代鏡里 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
1953年3月場所 | 0勝0敗15休 | 12勝3敗 | 1勝5敗9休 | 10勝5敗 | |
1953年5月場所 | 0勝3敗12休 | 11勝4敗 | 0勝0敗15休 | 12勝3敗 | |
1953年9月場所 | 0勝0敗15休(引退) | 14勝1敗(優勝) | 11勝4敗 | 9勝6敗 | 当場所限りで羽黒山引退 |
第8次
吉葉山の昇進により、実現した。
場所 | 40代東富士 | 41代千代の山 | 42代鏡里 | 43代吉葉山 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
1954年3月場所 | 5勝3敗7休 | 10勝5敗 | 10勝5敗 | 0勝0敗15休 | |
1954年5月場所 | 0勝0敗15休 | 12勝3敗 | 11勝4敗 | 0勝1敗14休 | |
1954年9月場所 | 4勝4敗(引退) | 14勝1敗(優勝) | 11勝4敗 | 9勝6敗 | 当場所限りで東富士引退(当場所後、栃錦横綱昇進) |
第9次
栃錦の昇進により、実現した。
場所 | 41代千代の山 | 42代鏡里 | 43代吉葉山 | 44代栃錦 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
1955年1月場所 | 12勝3敗(優勝) | 10勝5敗 | 5勝2敗8休 | 10勝5敗 | 西方に大関不在、西第2位の吉葉山は張出ではなく枠内に書き出されたが「横綱大関」とはされなかった (東方第2位の鏡里は張出) なお、前場所の成績も踏まえると、東正横綱千代の山、西正横綱栃錦、西2枚目横綱吉葉山、東張出横綱鏡里、という序列だったことになる |
1955年3月場所 | 13勝2敗(優勝) | 4勝5敗6休 | 3勝2敗10休 | 12勝3敗 | 西方に大関不在、西第2位の鏡里は枠内に書き出されたが「横綱大関」とはされなかった(吉葉山は東張出) 前場所同様、成績上位だった鏡里が西2枚目横綱に、吉葉山が東張出に配されている |
1955年5月場所 | 8勝7敗 | 11勝4敗 | 0勝2敗13休 | 14勝1敗(優勝) | |
1955年9月場所 | 10勝4敗1分 | 14勝1敗(優勝) | 9勝6敗 | 4勝3敗8休 | 西方に大関不在、東西に張出横綱がおかれ、西正横綱鏡里も横綱大関とはされなかった |
1956年1月場所 | 4勝1敗10休 | 14勝1敗(優勝) | 9勝6敗 | 9勝6敗 | |
1956年3月場所 | 8勝7敗 | 8勝7敗 | 11勝4敗 | 9勝6敗 | 4横綱全員皆勤 |
1956年5月場所 | 11勝4敗 | 9勝6敗 | 8勝7敗 | 5勝5敗5休 | |
1956年9月場所 | 0勝0敗15休 | 14勝1敗(優勝) | 12勝3敗 | 11勝4敗 | |
1957年1月場所 | 15勝0敗(優勝) | 3勝5敗7休 | 10勝5敗 | 11勝4敗 | |
1957年3月場所 | 10勝5敗 | 11勝4敗 | 3勝3敗9休 | 11勝4敗 | |
1957年5月場所 | 0勝0敗15休 | 10勝5敗 | 5勝6敗4休 | 12勝3敗 | |
1957年9月場所 | 5勝8敗2休 | 8勝7敗 | 9勝6敗 | 13勝2敗(優勝) | |
1957年11月場所 | 0勝0敗15休 | 0勝0敗15休 | 11勝4敗 | 12勝3敗 | |
1958年1月場所 | 12勝3敗 | 9勝6敗(引退) | 3勝6敗(引退) | 11勝4敗 | 当場所限りで鏡里、吉葉山引退(2横綱同時引退は、史上初) |
第10次
柏戸、大鵬の昇進により、実現した。第10次では、2場所間優勝は全て横綱が独占した。(大鵬のみによるものである。)
場所 | 45代若乃花(初代) | 46代朝潮 | 47代柏戸 | 48代大鵬 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
1961年11月場所 | 11勝4敗 | 2勝5敗8休 | 12勝3敗 | 13勝2敗(優勝) | 張出はつくらず4横綱全員枠内に書き出された またこの場所は3大関4関脇4小結がいたが、横綱以外はすべて張出がつくられた |
1962年1月場所 | 11勝4敗 | 番付記載 | 10勝5敗 | 13勝2敗(優勝) | 4横綱全員枠内 朝潮、場所前に引退。 |
第11次
佐田の山の昇進により、実現した。第11次では、11場所間優勝は全て横綱が独占した。(栃ノ海のみ優勝は果たしていない。)
場所 | 47代柏戸 | 48代大鵬 | 49代栃ノ海 | 50代佐田の山 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
1965年3月場所 | 0勝0敗15休 | 14勝1敗(優勝) | 8勝7敗 | 12勝3敗 | |
1965年5月場所 | 9勝6敗 | 9勝6敗 | 8勝7敗 | 14勝1敗(優勝) | 大鵬千秋楽休場 |
1965年7月場所 | 12勝3敗 | 13勝2敗(優勝) | 7勝4敗3休 | 12勝3敗 | |
1965年9月場所 | 12勝3敗(優勝) | 11勝4敗 | 10勝5敗 | 12勝3敗(優勝同点) | 4横綱全員皆勤、10勝以上 |
1965年11月場所 | 1勝1敗13休 | 13勝2敗(優勝) | 10勝5敗 | 11勝4敗 | |
1966年1月場所 | 14勝1敗(優勝) | 0勝0敗15休 | 0勝0敗15休 | 5勝6敗4休 | |
1966年3月場所 | 10勝5敗 | 13勝2敗(優勝) | 10勝5敗 | 5勝5敗5休 | |
1966年5月場所 | 12勝3敗 | 14勝1敗(優勝) | 1勝3敗11休 | 0勝0敗15休 | |
1966年7月場所 | 12勝3敗 | 14勝1敗(優勝) | 0勝0敗15休 | 11勝4敗 | 西方に大関不在、西正横綱柏戸が横綱大関 |
1966年9月場所 | 13勝2敗(優勝同点) | 13勝2敗(優勝) | 0勝0敗15休 | 12勝3敗 | |
1966年11月場所 | 10勝5敗 | 15勝0敗(優勝) | 2勝5敗(引退) | 10勝5敗 | 当場所限りで栃ノ海引退 |
総当たり
- 1965年1月場所より部屋別総当たり制実施。同制度下で最初の4横綱総当たりが実現した。1965年5月場所は大鵬が千秋楽のみ休場して佐田の山に不戦勝を与えており、純然たるものとしては同9月場所が唯一。
場所 | 柏戸 | 大鵬 | 栃ノ海 | 佐田の山 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
1965年5月場所 | 12○栃海 13○大鵬 14●佐田 |
13●柏戸 14○栃海 15■佐田 |
11●佐田 12●柏戸 14●大鵬 |
11○栃海 14○柏戸 15□大鵬 |
|
1965年9月場所 | 11○佐田 12○大鵬 15○栃海 |
12●柏戸 14●栃海 15●佐田 |
13●佐田 14○大鵬 15●柏戸 |
11●柏戸 13○栃海 15○大鵬 |
柏戸と佐田の山は優勝決定戦でも対戦し柏戸勝利。 |
- 数字は対戦日
第12次
三重ノ海の昇進により、実現した。第12次では、8場所間優勝は全て横綱が独占した。(しかも、4横綱全員によるものである。これは、第12次のみである。)
また、4横綱が全員皆勤、全員10勝以上の場所が3場所と、最も多かった。
場所 | 54代輪島 | 55代北の湖 | 56代若乃花(2代) | 57代三重ノ海 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
1979年9月場所 | 10勝5敗 | 13勝2敗(優勝) | 11勝4敗 | 11勝4敗 | 4横綱全員皆勤、全員10勝以上 |
1979年11月場所 | 10勝5敗 | 10勝5敗 | 12勝3敗 | 14勝1敗(優勝) | 西方に大関不在、西正横綱三重ノ海が横綱大関 4横綱全員皆勤、全員10勝以上 |
1980年1月場所 | 0勝3敗12休 | 12勝3敗 | 11勝4敗 | 15勝0敗(優勝) | 西正横綱若乃花が横綱大関 |
1980年3月場所 | 11勝4敗 | 13勝2敗(優勝) | 12勝3敗 | 1勝4敗10休 | |
1980年5月場所 | 11勝4敗 | 14勝1敗(優勝) | 12勝3敗 | 10勝5敗 | 4横綱全員皆勤、全員10勝以上 |
1980年7月場所 | 1勝4敗10休 | 15勝0敗(優勝) | 10勝5敗 | 4勝6敗5休 | |
1980年9月場所 | 11勝4敗 | 11勝4敗 | 14勝1敗(優勝) | 0勝0敗15休 | |
1980年11月場所 | 14勝1敗(優勝) | 12勝3敗 | 13勝2敗 | 0勝3敗 | 当場所限りで三重ノ海引退 |
総当たり
史上最多、3回の4横綱総当たりが行われたが、1980年5月場所が2012年現在最後の例となっている。
場所 | 輪島 | 北の湖 | 若乃花 | 三重ノ海 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
1979年9月場所 | 13●若花 14●三重 15●北湖 |
10○三重 12○若花 15○輪島 |
12●北湖 13○輪島 15●三重 |
10●北湖 14○輪島 15○若花 |
|
1979年11月場所 | 8●三重 14●北湖 15○若花 |
13●若花 14○輪島 15●三重 |
13○北湖 14●三重 15●輪島 |
8○輪島 14○若花 15○北湖 |
|
1980年5月場所 | 13●若花 14●北湖 15●三重 |
13○三重 14○輪島 15○若花 |
13○輪島 14○三重 15●北湖 |
13●北湖 14●若花 15○輪島 |
第13次
大乃国の昇進により、実現した。
場所 | 58代千代の富士 | 60代双羽黒 | 61代北勝海 | 62代大乃国 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
1987年11月場所 | 15勝0敗(優勝) | 13勝2敗 | 13勝2敗 | 8勝7敗 | 4横綱全員皆勤 双羽黒は、1987年12月廃業 |
1988年1月場所 | 12勝3敗 | 番付記載 | 11勝4敗 | 5勝5敗5休 |
第14次
旭富士の昇進により、実現した。尚4横綱が千秋楽まで全員皆勤は、1990年11月場所が現在最後となっている。
場所 | 58代千代の富士 | 61代北勝海 | 62代大乃国 | 63代旭富士 | 備考 |
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1990年9月場所 | 0勝0敗15休 | 14勝1敗(優勝) | 0勝0敗15休 | 13勝2敗 | |
1990年11月場所 | 13勝2敗(優勝) | 9勝6敗 | 10勝5敗 | 12勝3敗 | 4横綱全員皆勤 |
1991年1月場所 | 2勝1敗12休 | 12勝3敗 | 10勝5敗 | 11勝4敗 | |
1991年3月場所 | 0勝0敗15休 | 13勝2敗(優勝) | 12勝3敗 | 11勝4敗 | |
1991年5月場所 | 1勝3敗(引退) | 0勝0敗15休 | 0勝0敗15休 | 14勝1敗(優勝) | 当場所限りで千代の富士引退 |
第15次
武蔵丸の昇進により、実現した。
1994年7月場所から張出制度は事実上廃止され、この4横綱は全員枠内に書き出されている。
場所 | 64代曙 | 65代貴乃花 | 66代若乃花(3代) | 67代武蔵丸 | 備考 |
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1999年7月場所 | 13勝2敗(優勝同点) | 9勝6敗 | 0勝0敗15休 | 12勝3敗 | |
1999年9月場所 | 2勝2敗11休 | 0勝3敗12休 | 7勝8敗(負越) | 12勝3敗(優勝) | |
1999年11月場所 | 0勝0敗15休 | 11勝4敗 | 0勝0敗15休 | 12勝3敗(優勝) | |
2000年1月場所 | 11勝4敗 | 12勝3敗 | 0勝0敗15休 | 2勝2敗11休 | |
2000年3月場所 | 12勝3敗 | 11勝4敗 | 2勝4敗(引退) | 11勝4敗 | 当場所限りで若乃花(3代)引退 |
第16次
稀勢の里の昇進により、実現した。大相撲史上初めて4横綱実現時に日本国籍を持たない横綱が含まれるケースである。
場所 | 69代白鵬 | 70代日馬富士 | 71代鶴竜 | 72代稀勢の里 | 備考 |
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2017年3月場所 | 2勝3敗10休 | 10勝5敗 | 10勝5敗 | 13勝2敗(優勝) | 稀勢の里が史上9人目の新横綱優勝 |
2017年5月場所 | 15勝0敗(優勝) | 11勝4敗 | 1勝4敗10休 | 6勝5敗4休 | |
2017年7月場所 | 14勝1敗(優勝) | 11勝4敗 | 2勝2敗11休 | 2勝4敗9休 | 白鵬が通算勝ち星の新記録を樹立 |
2017年9月場所 | 0勝0敗15休 | 11勝4敗(優勝) | 0勝0敗15休 | 0勝0敗15休 | 昭和以降初めて初日から3横綱が休場 |
2017年11月場所 | 14勝1敗(優勝) | 0勝3敗12休 | 0勝0敗15休 | 4勝6敗5休 | 日馬富士が暴行問題で途中休場 |
外部リンク
- 4横綱時代一覧大相撲≒おつかれマツェラート