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{{複数の問題
{{複数の問題|出典の明記=2022年12月|独自研究=2022年12月}}
{{Women in society sidebar}}
|出典の明記=2014年6月
'''女人禁制'''(にょにんきんせい<ref name="ishida">{{Cite book|和書|author=石田瑞麿|title=例文仏教語大辞典|date=1997-02|page=848|publisher=小学館|isbn=978-4095081113}}</ref><ref>{{Cite book|和書|title=日本国語大辞典|volume=14巻|date=2003-01-10|page=6|publisher=小学館|isbn=978-4095219011}}</ref><ref name="Brit">{{Kotobank|女人禁制|2=[[ブリタニカ百科事典|ブリタニカ]]国際大百科事典 小項目事典}}</ref><ref name="世百典">{{Kotobank|女人禁制|2=[[世界大百科事典]] 第2版}}</ref><ref name="Nipp">{{Kotobank|女人禁制|2=[[日本大百科全書]](ニッポニカ)}}</ref><ref>{{Cite book |和書 |title=歴史民俗用語よみかた辞典 |publisher=[[日外アソシエーツ]] |date=1998-8 |isbn=978-4816915185 }}</ref>、にょにんきんぜい<ref name="ishida"/><ref name="daijiten">{{Cite web|和書|url={{国立国会図書館デジタルコレクション|1873528/54}}|title=大辞典. 第二十卷|pages=96,97|publisher=平凡社|accessdate=2017-05-07}}</ref>)とは、日本において、女性であることを理由に、寺院や霊場等の特定の場所への女性の立ち入りや、お参りや修行、仕事等への参加を禁止する風習、習俗{{sfn|小林|2024|pp=552-553}}<ref name="Brit"/>。また、その制度や地域のこと。
|独自研究=2017年11月1日 (水) 02:40 (UTC)
|脚注の不足=2017年11月1日 (水) 02:40 (UTC)
}}
'''女人禁制'''(にょにんきんせい<ref name=ishida>{{Cite book|和書|author=石田瑞麿|title=例文仏教語大辞典|date=1997-02|page=848|publisher=小学館|isbn=978-4095081113}}</ref><ref>{{Cite book|和書|title=日本国語大辞典|volume=14巻|date=2003-01-10|page=6|publisher=小学館|isbn=978-4095219011}}</ref><ref>{{Kotobank|女人禁制|2=ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典}}</ref><ref>{{Kotobank|女人禁制|2=世界大百科事典 第2版}}</ref><ref>{{Kotobank|女人禁制|2=日本大百科全書(ニッポニカ)}}</ref><ref>{{Cite book |和書 |title=歴史民俗用語よみかた辞典 |publisher=[[日外アソシエーツ]] |date=1998-8 |isbn=978-4816915185 }}</ref>、にょにんきんぜい<ref name=ishida/><ref name=daijiten>{{Cite web|url={{国立国会図書館デジタルコレクション|1873528/54}}|title=大辞典. 第二十卷|pages=96,97|publisher=平凡社|accessdate=2017-05-07}}</ref>)とは、[[女性]]に対して[[社寺]]や霊場、祭場などへの立入りを禁じ、男性主体の修行や参拝に限定する事。'''女人結界'''(にょにんけっかい)も同じ意味で使われる<ref name=daijiten/>。また、この禁が解かれることを'''女人解禁'''という。


== 概要 ==
女性の[[月経]]に関係する特定の期間を忌みとする一時的な女人禁制と、女性を男性と区別して恒常的に立入りを禁ずる永続的な女人禁制がある。
女性であることを理由に、特定の場所への女性の立ち入りを禁止するもので、特に、[[聖域]]([[社寺]]、[[霊場]]、祭場など)への女性の立ち入りを禁止する風習がみられる<ref name="Brit" /><ref name="世百典" />{{sfn|小林|2024|p=553}}。この意味で隔絶された[[区域]]([[結界]]<ref group="*">元々「結界」は[[仏教用語]]であるが、[[神道]]などでも用いられるので、「女人結界」も[[仏教]]に限った用語ではない。</ref>)を'''女人結界'''(にょにんけっかい)といい<ref name="大辞泉">『大辞泉』</ref><ref name="大辞林">『大辞林』第3版</ref>、「女人禁制」と[[同義語|同義]]で用いられる<ref name="Nipp" /><ref name="大辞泉" />。


宗教以外での、女性の立ち入りや参加、参入などを禁ずる社会慣習も指し、漁業や狩猟など伝統的に男性が担ってきた仕事や、女性が関わると女神が嫉妬して良くない結果となるとされるトンネル工事などでも女人禁制が布かれてきた{{sfn|小林|2024|pp=552-553}}。神事に関連する相撲や、[[歌舞伎]]などの芸能にも見られる。
女人禁制とは反対に、男性の立入りを禁じる事を便宜上'''男子禁制'''と呼ぶことがある。


[[月経]]中の女性を不浄とみなし寺社などに一時的に立ち入りを禁じる風習は、[[キリスト教]]、[[イスラム教]]、[[ヒンドゥー教]]などにも見られるが、常に女性の立ち入りを禁止するものではない{{sfn|ウベロイ, バハドゥー|1999|pp=317-318}}。[[日本仏教]]の女性差別・女性排除は[[インド仏教]]から引き継いでいるとはいえ、女性そのものを穢れとして聖地や寺社から恒常的に排除する女人禁制は日本仏教独自で、日本で作られた独特のものである{{sfn|源|1989|pp=326-327}}{{sfn|荒井|2022|p=97}}。
== 由来 ==
霊山などへの女人禁制は、主に修験道の伝統にもとづくとされている。
修験道は仏教(主に密教)に、日本の古来の神道や大陸由来の[[道教]]などが習合して成立したものであるため、女性の入山を禁止している理由を明確に知ることは難しい。


=== 仏教の戒律に由来する理由 ===
=== 由来 ===
{{出典の明記| section = 1| date = 2022-12}}
本来の仏教には、ある場所を[[結界]]して、女性の立ち入りを禁止する戒律は存在しない。[[道元]]の[[正法眼蔵]]にも、日本仏教の女人結界を「日本国にひとつのわらひごとあり」と批判している箇所があり、[[法然]]や[[親鸞]]なども女人結界には批判的である。
==== 神道の血穢による理由 ====
{{see also|月経に関する偏見}}
日本で女人禁制が発生した背景として第一に、仏教伝来以前の日本にあった、女性の月経や出産に対する「血の穢れ([[血穢]])」の観念がある{{sfn|小林|2024|pp=552-553}}。日本仏教の女性の不浄観は、この血の穢れの観念、神道の穢れ観の影響を受けたと考えられる{{sfn|源|1989|pp=326-327}}{{sfn|鈴木|2022|pp=326-327}}。しかし、元々神道での扱いは、月経中、出産期間の女性や、こうした「穢れ」に触れた人は一時的に神社参拝や神事に関われないというもので、恒常的なものではなく、日本仏教のような女性性・女性の身体の全面否定ではなかった{{sfn|源|1989|p=147}}。


血の穢れは[[律令]]の補助法令である『[[弘仁式]]』(9世紀前半)で出産に関わる血穢が明文化され、『[[貞観式]]』(9世紀後半)で月経に関わる血穢が明文化されており、律令の手本となった古代中国の[[触穢]]観等が影響したと考えられている{{sfn|小林|2024|p=553}}。
ただし仏教は、人間の欲望を[[煩悩]]とみなし、[[智慧]]をもって煩悩を制御することを理想としており、人間の欲のうち、最も克服しがたい性欲を抑えることを薦めてもいる。そのため出家者の[[戒律]]には、性行為の禁止([[不淫戒]])、自慰行為の禁止([[故出精戒]])、異性と接触することの禁止([[触女人戒]])、猥褻な言葉を使うことの禁止([[麁語戒]])、供養として性交を迫ることの禁止([[嘆身索供養戒]])、異性と二人きりになることを禁止([[屏所不定戒]])、異性と二人でいる時に関係を疑われる行動することを禁止([[露処不定戒]])など、性欲を刺激する可能性のある行為に関しては厳しい制限がある。


==== 仏教の戒律に由来する理由 ====
また修験者は、半僧半俗の修行者であるが、その場合でも、修行中は少なくとも不淫戒を守る必要がある([[八斎戒]]の一つ)。
インドで生まれた仏教には元来、ある場所を[[結界]]して、女性の立ち入りを禁止する[[戒律]]は存在しない。和僧[[道元]]の『[[正法眼蔵]]』にも、日本仏教の女人結界を「日本国にひとつのわらひごとあり」と批判している箇所があり、[[法然]]や[[親鸞]]なども女人結界には批判的であった。


しかし仏教は、世俗を離れ欲望を断つ出家を説き、男性修行者にとって女性(への肉欲)がいかに修行の障りとなるかが強調されており、女性の出家も認められていたが、男性中心性・女性抑圧性があった{{sfn|源|1989|pp=323-325}}。[[出家]]者の[[戒律]]には、性行為の禁止([[不淫戒]])、自慰行為の禁止(故出精戒)、異性と接触することの禁止(男性の[[僧]]侶にとっては触女人戒)、猥褻な言葉を使うことの禁止(麁語戒)、[[供養]]として性交を迫ることの禁止(嘆身索供養戒)、異性と二人きりになることを禁止(屏所不定戒)、異性と二人でいる時に関係を疑われる行動することを禁止(露処不定戒)など、性欲を刺激する可能性のある行為に関しては厳しい戒律がある。アジア伝統社会では、女性は「未婚のときは父に従い、結婚した後は夫に従い、夫が死ねば子に従う」という「[[三従]]」という3種の忍従が宿命的なものとされ、この社会習慣によって女性は親族男性の保護下・支配下に置かれており、尼僧は親族男性の保護者がいないため、潜在的に「誘惑者」と見られていた{{sfn|川並|2024|p=555}}<ref>{{Kotobank|五障三従|2=精選版 日本国語大辞典 }}</ref>。
ちなみに在家信徒も、淫らな性行為は[[不邪淫戒]]として禁じられている([[五戒]]の一つ)。また在家者も[[坐禅]]や[[念仏]]などの修行に打ち込む期間だけは不淫戒を守ることが薦められる。


[[修験道]]の修験者は、半僧半俗の修行者であるが、その場合でも、修行中は少なくとも不淫戒を守る必要がある([[八斎戒]]の一つ)。そのため修験道では、男性の修行場から女性を排除したと考えられる。
それらの目的を達成するために、修験道では、男性の修行場から女性を排除したものと思われる。逆に尼寺(女性出家者の施設)は(女性出家者を性暴力などの被害から守る理由で)もともと僧寺(男性出家者の施設)に付属する施設と規定されており、そのため男性を厳格には排除しづらかった。


女人禁制につながる要因として、女性は修行しても仏に成れないため女性は男身を得てから成仏するという[[五障|女人五障説]]・[[変成男子]]説や、女身は穢れが多くて仏の器ではないという「女身垢穢」「非是法器」(女身非法器説)などの仏教の女性差別的な教えの広まりがある{{sfn|小林|2024|p=553}}{{sfn|源|1989|pp=323-325}}{{Refn|group="*"|「女身垢穢」「非是法器」といった女性差別的な言葉は[[サンスクリット語]]の[[法華経]]にはなく、漢訳で挿入された{{sfn|金子|2015}}。}}
また、仏教では、本来(破戒僧が自分の愛人を出家させて身辺に置くことを防ぐため)仏陀を除く出家者は異性の出家者を弟子として[[得度]]することは禁じられている。(僧を得度できるのは僧のみ。尼を得度できるのは尼のみ)


==== 道教や密教などの神通力信仰 ====
そもそも日本で最初の出家者は尼であったが、その戒壇の設置に朝廷の許可が必要であった奈良時代以降、鎌倉時代くらいまで、戒壇の設置を許された東大寺や延暦寺などの戒壇が全て男性僧侶を対象としており、女性(尼)の[[授戒]][[得度]]が困難であった点との関連も考えられている。
一説には古代日本においては、主に[[道教]]や密教の影響で、僧侶に対し[[加持]][[祈祷]]による法力、神通力が期待されていたためとする説もある。僧侶が祈祷に必要な法力を維持するためには、持戒の徹底が必要であると考られていた。


性欲を起こすと[[仙人]]が神通力を失う話としては、『[[今昔物語]]』にある[[久米仙人]]の話が有名である。
ただ仏教の戒律は、上記のように出家者、修行者、在家で求められる戒律がそれぞれ異なり、戒律の内容や解釈、厳格さも各宗派で異同がある。そのため尼寺でも「男子禁制」の寺院が存在したり、山岳部にあっても女人禁制が取られていない寺院も存在する。


=== 神道の血穢理由 ===
==== 中世おけ[[神仏習合]] ====
上記の仏教と神道、道教などの異なるタブー観が、[[中世]]に習合し、山岳の寺院、修験道などを中心として、鎌倉時代頃に今の女人禁制、女人結界のベースとなる観念が成立したものと考えられている。
神道においては、生物の身体から離れて、流出した血液は血の穢れとみなされる。(これは身体の一部が身体から分離したものを[[ケガレ]]とみなす考え方で、頭髪や爪、排泄物などにも同様な観念がみられる、また他の宗教や神話にも類似した観念が存在する)


また、[[唯識論]]で説かれた「女人地獄使。能断仏種子。外面似菩薩。内心如夜叉」(『[[華厳経]]』を出典とする俗説あり){{要出典|date=2018年4月}}や『[[法華経]]』の「又女人身猶有[[女人五障説|五障]]」<ref>{{Cite web|和書|url=https://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT2015/T0262_.09.0035c09:0035c09.cit|title=大正蔵9巻35頁下|accessdate=2018-04-07|publisher=}}</ref>を、その本来の意味や文脈から離れ、「女性は穢れているので成仏できない、救われない」という意味に曲げて解釈し、引用する仏教文献も鎌倉時代頃から増えてくる。(原典にそういう意味はない)
そのため、生理中の女性や産褥中の女性が、神聖とされる場所(神社の境内など)に入ることや、神聖な物(御輿など)に接触することを禁止するタブーが古来よりある。


これらをもって、女人禁制は[[鎌倉仏教]]の女性観に基づくと説明されることがある。ただし、上記のように法然、道元、[[日蓮]]といった鎌倉時代の宗祖達は概ね女人禁制に批判的だった。
本来は、女性だけでなく、生傷を負って流血している男性が神域に入ることや、神域での狩猟なども同様な理由で禁止されている。


=== その他に、女人禁制の由来と思われる理由 ===
=== 道教や密教などの神通力信仰 ===
{{出典の明記| section = 1| date = 2022-12}}
一説には古代日本においては、おもに道教や密教の影響で、僧侶に対し[[加持]][[祈祷]]による法力、神通力が期待されていたためとする説もある。僧侶が祈祷に必要な法力を維持するためには持戒の徹底が必要であると考られていた。
また修験道の修行地が、険しい山岳地帯であったためとの見方がある。


古代においては山は[[魑魅魍魎]]が住む危険な場所と考えられていた。そのため子供を産む女性は安全のため近づかない、近づいてはならない場所であったとする。そのような場所だからこそ、修験者は異性に煩わされない厳しい修行の場として、山岳を選んだのだといわれている。文明が進んで、山道などが整備されると、信心深い女性が逆に修験者を頼って登山してくるようになり、困った修験者たちが結界石を置いてタブーの範囲を決め、その外側に女人堂を置いて祈祷や説法を行なった。
性欲を起こすと[[仙人]]が神通力を失う話としては、[[今昔物語]]にある[[久米仙人]]の話が有名である。


[[民俗学]]者の[[柳田國男]]は[[姥捨山]]とされた[[岩木山]]([[青森県]])の登山口にも姥石という[[結界]]石があることに着目。結界を越えた女性が石に化したという伝説を『[[妹の力]]』『比丘尼石』のなかで紹介している。結界石や境界石の向こうは他界([[他界#山上他界]])であり、宗教者は俗世から離れた一種の他界で修行を積むことによって、この世ならぬ力を獲得すると考えられた。
=== 中世における神仏習合 ===
上記の仏教と神道、道教などの異なるタブー観が、中世に習合し、山岳の寺院、修験道などを中心として、鎌倉時代ごろに今の女人禁制、女人結界のベースとなる観念が成立したものと考えられている。


また、[[イワナガヒメ|石長比売]]が[[女神]]であったことに代表されるように、古来より日本各地において山そのものが女神であり、嫉妬深いと考えられた地域も多い。女人の入山が禁制されたのは女神の嫉妬を避ける為であるとされる。たとえば『[[遠野物語]]』に登場する遠野三山伝説では、[[早池峰山]]と六角牛山はそれぞれ3人の女神が住んだ山とされ、長らく女人禁制であった。また[[熊野三山]]周辺でも、山は女神で嫉妬深いと考えられているほか、上り子といわれる男たちは松明を掲げて山へ上るが、女たちは闇の中で祈りを捧げて男たちが持ち帰った神火を迎える役割があり、そこには祭事における男女の役割分担の違いがあるとされる。
また、[[唯識論]]で説かれた「女人地獄使。能断仏種子。外面似菩薩。内心如夜叉」([[華厳経]]を出典とする俗説あり)や[[法華経]]の「又女人身。猶有[[女人五障説|五障]]」を、その本来の意味や文脈から離れ、「女性は穢れているので成仏できない、救われない」という意味に曲げて解釈し、引用する仏教文献も鎌倉時代ごろから増えてくる。(原典にそういう意味はない)


これらをもって、女人禁制は[[鎌倉仏教]]女性基づくと説明されることがある。
また別の説では[[巫女]]や[[イタコ]]にみられるように「女性には霊がつきやすい」ため、荒修行が女性には困難であるいう説明づけもされることがある。
ただし上記のように法然・道元・日蓮といった鎌倉時代の宗祖たちには、概ね女人禁制に批判的だった。


女人禁制の理由については、上記のような様々な由来や学説が唱えられている。各々の場所には各々の由来が伝えられている。またそれらが歴史的な過程で絡み合い変容していく場合もあり、どれか一つをもって一般論を導き出すことは困難と言える。
=== その他に、女人禁制の由来と思われる理由 ===
また修験道の修行地が人跡未踏の厳しい山岳地帯であったためとの見方がある。


==== 祭祀における女人禁制 ====
古代においては山は[[魑魅魍魎]]が住む危険な場所と考えられていた。そのため子供を産む女性は安全のため近づかない、近づいてはならない場所であったとする。
なお、[[祭り]]に女人禁制が取り入れられたのは、男尊女卑が広く浸透したとされる[[江戸時代]]ないし[[明治時代]]以降のことと考えられ、『[[古事記]]』には祭りに女性が参加していた記述が見られる。また古代の日本では、女性は神聖な者で神霊が女性に[[憑依]]すると広く信じられており、[[卑弥呼]]に代表されるように神を祭る資格の多くは、女性にあると考えられていた。


一例として、日本神道の祖形を留る[[琉球神道]]の範疇に属する信仰では、[[沖縄県|沖縄]]の女性は「神人(かみんちゅ)」、男性は「海人(うみんちゅ)」とされ、[[おなり神]]の関係にあるとされる。現代でも女性が祭祀を取り仕切る観念は都市部以外では特に根強く、墓の手当てや[[風葬]]のあった時代には[[洗骨]]までもが一家の女性の役割であった。
そのような場所だからこそ、修験者は異性に煩わされない厳しい修行の場として、山岳を選んだのだといわれている。文明が進んで、山道などが整備されると、信心深い女性が逆に修験者を頼って登山してくるようになり、困った修験者たちが結界石を置いてタブーの範囲を決め、その外側に女人堂を置いて祈祷や説法を行なった。


[[ノロ]]などの神職が祭祀を行う[[御嶽 (沖縄)|御嶽]](うたき)では、女人禁制とは逆の男子禁制が敷かれており、現在でも御嶽や[[拝所]](うがんじょ)に祈りを捧げたり祭祀を行うのは厳格に男子禁制である。(ただし、単に拝んだり立ち入りまで禁止されている訳ではない)。
[[民俗学]]者の[[柳田國男]]は[[姥捨山]]・[[岩木山]]の登山口にも姥石という結界石があるのに着目し、結界を越えた女性が石に化したという伝説を『[[妹の力]]』『比丘尼石』のなかで紹介している。結界石・境界石の向こうは他界([[他界#山上他界]])であり、宗教者は俗世から離れた一種の他界で修行を積むことによって、この世ならぬ力を獲得すると考えられた。


== 現代に残る「女人禁制」 ==
また、[[イワナガヒメ|石長比売]]が[[女神]]であったことに代表されるように、古来より日本各地において山そのものが女神であり、嫉妬深いと考えられた場所も多く、女人の入山が禁制されたのは女神の嫉妬を避ける為であるとされる。
=== 明治政府 ===
たとえば『[[遠野物語]]』に登場する遠野三山伝説では、[[早池峰山]]・六角牛山にそれぞれ3人の女神が住んだ山とされ、長らく女人禁制であった。また[[熊野三山]]周辺でも、山は女神で嫉妬深いと考えられているほか、上り子といわれる男たちは松明を掲げて山へ上るが、女たちは闇の中で祈りを捧げて男たちが持ち帰った神火を迎える役割があり、そこには祭事における男女の役割分担の違いがあるとされる。
[[明治]]5年3月27日([[1872年]]5月4日)、明治政府は、明治五年[[太政官布告・太政官達|太政官布告]]第98号「'''神社仏閣女人結界ノ場所ヲ廃シ登山参詣随意トス'''」<ref name="meiji05-098">[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/787952 明治五年-法令全書-内閣官報局] コマ番号007/768 および コマ番号097/768 [[国立国会図書館]]デジタルコレクション (2018年04月28日(土)閲覧)</ref>により、[[江戸幕府]]や寺社が仏教の不邪淫戒([[五戒]]の一つ)や[[儒教]]の「男女七歳にして席を同じゅうせず」(『[[礼記]]』内則)などを根拠として社会の多くの分野で過剰に徹底していた「女人禁制」を、欧米列強に伍していこう(肩を並べよう)としている近代国家には論外の[[差別]](「陋習」)の一つであるとして禁止した<ref name="#1">{{Cite journal|last=DeWitt|first=Lindsey|date=2015|title=A mountain set apart : female exclusion, Buddhism, and tradition at modern Ōminesan, Japan|url=https://hdl.handle.net/1854/LU-8636501}}</ref>。


この結果、「御一新」された「皇国」(明治日本)では、ほとんどの神社仏閣が過剰な「女人禁制」を解除することとなった。[[関所]]の廃止とも相俟って、外国人女性を含め女性も日本国内を自由に旅行・観光・参詣できるようになった。
また別の説では[[巫女]]や[[イタコ]]といった「女性には霊がつきやすい」から荒修行が女性には困難であるという説明づけもされることがある。


=== 大相撲の土俵における「女人禁制」 ===
女人禁制の理由については、上記のようなさまざまな由来や学説が唱えられている。各々の場所には各々の由来が伝えられている。またそれらが歴史的な過程で絡み合い変容していく場合もあり、どれか一つをもって一般論を導き出すのは、困難といえる。
{{see also|「女性は土俵から降りてください」騒動}}


;女性が行う相撲の由来・課題
なお、[[祭り]]に女人禁制が取り入れられたのは、男尊女卑が広く浸透したとされる[[江戸時代]]ないし[[明治時代]]以降のことと考えられ、『[[古事記]]』には祭りに女性が参加していた記述が見られる。また古代の日本では、女性は神聖な者で神霊が女性に[[憑依]]すると広く信じられており、[[卑弥呼]]に代表されるように神を祭る資格の多くは、女性にあると考えられていた。一例として神道の祖形を留めているといわれる[[沖縄県|沖縄]]では女性は「神人(かみんちゅ)」と呼ばれ(男性は「海人(うみんちゅ)」、[[ノロ]]などの神職が祭祀を行う場では女人禁制とは逆の男子禁制が敷かれていた。現在でも風習の名残は残っている。
一部の神事として行われる女相撲、江戸時代から昭和30年代頃まで興行が行われていた[[女相撲]]と、現在において[[スポーツ|近代スポーツ]]として行われている[[女子相撲]]は由来が異なる。[[アマチュア相撲]]を国際的に普及し五輪競技とするには女子への普及の実績が必要であることから、[[日本相撲連盟]]が1996年に連盟の加盟団体として日本新相撲連盟(後の[https://joshisumo-renmei.jp/index.html 日本女子相撲連盟])を発足させた。そういった経緯から、[[アマチュア相撲]]の大会の土俵に女性が上がることができる。


;日本相撲協会の由来・問題
== 女人禁制に対する反対(大峰山の事例) ==
日本相撲協会([[大相撲]])の由来は、江戸時代からの寺社建立・修繕の費用を集めるための「[[勧進]]大相撲」であり、もっぱら女人禁制の神社仏閣の境内で行われていた。そのため、土俵上だけでなく観客席含めて全てが「女人禁制」で興行されていた。その後、明治五年に太政官布告第98号「'''神社仏閣女人結界ノ場所ヲ廃シ登山参詣随意トス'''」<ref name="meiji05-098" />により神社仏閣の境内への女性の出入りが解禁、女性客が大相撲を観戦することが可能となった<ref name="kanjin-ohsumou">[https://www.library.metro.tokyo.jp/portals/0/edo/tokyo_library/sumo/page1-1.html 「勧進大相撲」の誕生] [[東京都立図書館]] "ただし、女性の見物は出来ず、許されるようになったのは明治時代に入ってからのことでした。"(2018年04月28日(土)閲覧)</ref>。日本相撲協会は現在も観客席を除く土俵の部分だけは「女人禁制」としているが、通常の観客である限りにおいて直接の不利益を被ることが少ないこともあり女性ファンによる反対運動には至っていない。女性差別として問題視される事案の発生も発生している<ref name="Let_him_die">[https://www.sankei.com/sports/news/180405/spo1804050019-n1.html 女性に「土俵降りろ」の放送、八角理事長「不適切な対応」 春巡業、救命処置の女性に感謝] 2018年04月05日(木)08時28分『[[産経新聞]]』(2018年04月28日(土)閲覧)</ref><ref name="All_women_should_be_filthy">[https://www.sankei.com/west/news/180405/wst1804050098-n1.html 女性相撲ファンからも「差別的」 巡業先の宝塚市女性市長は「平等」求める] 2018年04月05日(木)22時03分『産経新聞』(2018年04月28日(土)閲覧)</ref><ref name="Insult_all_of_female_WRESTLERs">[https://www.sankei.com/life/news/180412/lif1804120021-n1.html ちびっこ相撲で女子排除 静岡巡業、相撲協会が「遠慮して」要請 例年は参加] 2018年04月12日(木)10時59分『産経新聞』(2018年04月28日(土)閲覧)</ref><ref name="#2">{{Cite journal|last=DeWitt|first=Lindsey E.|date=2021-09|title=Japan’s Sacred Sumo and the Exclusion of Women: The Olympic Male Sumo Wrestler (Part 1)|url=https://www.mdpi.com/2077-1444/12/9/749|journal=Religions|volume=12|issue=9|pages=749|language=en|doi=10.3390/rel12090749}}</ref>ことについては、一部の報道人・政治家・相撲ライターなどが差別禁止の[[日本国憲法第14条]]1項を根拠として『[[伝統]]』という曖昧な理由で女性を不浄視せず男性と等しく扱うよう求めている<ref>{{Cite web|和書|title=(社説)大相撲の伝統 「女人禁制」を解くとき:朝日新聞デジタル|url=https://archive.is/IPSXx|website=archive.is|date=2018-04-28|accessdate=2021-05-12}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=論点:大相撲の「女人禁制」|url=https://mainichi.jp/articles/20180427/ddm/004/070/010000c|website=毎日新聞(2018年4月27日)|accessdate=2021-05-12|language=ja}}</ref>。
2005年11月3日、[[大峰山]]の女人禁制に反対する[[伊田広行]]、[[池田恵理子]]らが結成した「大峰山に登ろうプロジェクト」(以下、プロジェクト)のメンバーが、大峯山登山のために現地を訪れ、寺院側に質問書を提出し、解禁を求めたが不調に終わった。その結果改めて話し合いの場を設けることで合意して両者解散したが、その直後に問題提起の為としてプロジェクトの女性メンバー池田恵理子を含む3人が登山を強行した。この行為に対し寺院側、反対派地元住民、およびいくつかの報道機関が批判を行った。


=== 奈良県大峰山の「女人禁制」 ===
;プロジェクト側の行動を賞賛する意見
[[大峰山|大峯山]]の女人禁制は[[役小角]]が草創時に決めたこととされ、山の根本秩序とされ守られてきている{{Sfn|鈴木正崇|2022|p=44}}。
:[[男尊女卑]]を肯定する象徴であり、[[男女共同参画]]理念に反する悪習である。また、「大峰山」を含む「[[紀伊山地の霊場と参詣道]]」は[[世界遺産]]にも登録された人類共有の財産であり、登山道は税金で整備された公道でもあるため、誰もがアクセス可能であるべきである。


明治5年3月27日([[1872年]]05月04日)布告の明治五年太政官布告第98号「'''神社仏閣女人結界ノ場所ヲ廃シ登山参詣随意トス'''」<ref name="meiji05-098" />、および、明治5年9月15日([[1872年]]10月27日)布告の明治五年太政官布告第273号「'''修験宗ヲ廃シ[[天台宗|天台]][[真言宗|真言]]ノ両本宗へ帰入セシム'''」<ref name="meiji05-273">[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/787952 明治五年-法令全書-内閣官報局] コマ番号011/768 および コマ番号154/768 [[国立国会図書館]]デジタルコレクション (2018年04月28日(土)閲覧)</ref>(いわゆる『[[修験道廃止令]]』)にも拘わらず、[[奈良県]]南部の[[大峰山]](大峯)の山上ヶ岳の修験者およびその協力者たち(地元住民・信者)は、修験道の霊場であるという事を理由として「女人禁制」を掲げ続けた。
;女人禁制は堅持すべきとする意見
<!--
:女人禁制は男性の修験者が性欲に惑わされること無く修行するために存在する制であり女性には稲村ヶ岳が女人大峯として提供されている。男尊女卑などの差別を推進する意図はない。このような性別による隔離は修道院など他の宗教でも一般化しているだけでなく男子校や女子校、またトイレなども含めて世界共通である。宗教的な一例として同じ世界遺産である[[アトス山]]も[[正教会]]の[[修道院]]として1406年以降は法令によって女人禁制となっている。強行登山は独善の正義感から他人の[[宗教]]を冒涜する身勝手な愚行である。また、日本には沖縄の[[御嶽 (沖縄)|御嶽]]や[[久高島]]の御嶽のように男子禁制の地域も存在することから、女人禁制の地域のみを批判の対象とする行為は、男女平等の理念に反する。
[[太平洋戦争]]の終結直後、登山口にある洞川集落に[[連合国軍占領下の日本|日本を占領した連合国軍]]の高官夫人が女人結界の解除を求めて訪れたことがあった。この時、地元の古老が「マズ貴国ノ女性[[修道院]]ヲ男性ニ解放サレヨ」と反論して、禁制が維持されたという<ref>巽良乗『わが内なる悪魔を降伏せよ 修験道・男の世界』(山手書房、昭和55年)、p.1-2。</ref>。-->

女性の入山解禁を求める運動が起こっており、過去に密かにまたは強行登山が行われている<ref name="#1" />。

戦前から女性が禁を破って大峯山に登った事例はあるが、地元ではこうした行為を「ぬすっと参り」として女人禁制を解禁したとはみなさずにむしろ「盗人」の行為であるとする{{Sfn|鈴木正崇|2022|p=45}}。

平成八(1996)年の夏に「三本山御遠忌連絡会」が発足した{{Sfn|鈴木正崇|2022|p=71}}。
三本山([[聖護院]]、[[醍醐寺]]、[[金峯山寺]])と五護持院(龍泉寺、[[喜蔵院]]、[[東南院 (奈良県吉野町)|東南院]]、[[桜本坊]]、[[竹林院 (奈良県吉野町)|竹林院]])は、平成12年が西暦2000年にあたり[[役小角|役行者]]1300年遠忌を期して、女人結界を解く意向が提案された。
平成9(1997)年には信者・地元に説明を求めて意見を求めたが反対は根強く、12月の信徒総会は紛糾して結論はでなかった{{Sfn|鈴木正崇|2022|p=72}}。
しかし、このような時に平成11(1999)年8月1日に女人禁制に批判的な[[奈良県教職員組合]]の「男女共生教育研究推進委員会」所属の女性教諭ら10人らが強行登山を行い、このことが問題となり協議は中断となったという<ref>{{Cite web|和書|title=「女人禁制」撤廃への対応が、土俵と酒蔵で分かれる理由 |url=https://diamond.jp/articles/-/272417?page=3 |website=ダイヤモンド・オンライン |date=2021-06-03 |access-date=2022-09-08 |language=ja}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=活動報告|宮城泰年さん(本山修験宗管長・聖護院門主)との話し合い |url=http://www.on-kaiho.com/action/diary/index.html |website=www.on-kaiho.com |access-date=2022-09-08 |publisher=「大峰山女人禁制」の開放を求める会 |date=2012-08-01}}</ref><ref>[http://www.on-kaiho.com/info/info_history.html 「大峰山女人禁制」の開放への歴史をひもとけば]「大峰山女人禁制」の開放を求める会(2018年04月28日(土)閲覧)</ref>。

この出来事に対し[[東南院 (奈良県吉野町)|東南院]]の[[五條良知]]副住職は女人解禁の協議の最中に信仰とは関係のない登山により入山が行われたことに困惑したと語った{{Sfn|鈴木正崇|2022|p=72}}。[[喜蔵院]]の[[中井教善]]住職は「教育者が長い伝統のある禁制を一方的に破ったことに憤りを感じる。信者の中には熱心な女性信者もおり、その人たちに申し訳ない気持ちだ」と語った{{Sfn|鈴木正崇|2022|p=72}}。
このような抗議を受けて奈良県教職員組合の[[田中敦三]]委員長は平成11年11月18日に記者会見を開き「女人禁制は女性差別だが、やり方に問題があった」として謝罪した{{Sfn|鈴木正崇|2022|p=72-73}}。
翌日、[[大峯山寺]]は記者会見を開き「信仰者の心を踏みにじる、大変遺憾な行為である」とし、当面、女人禁制を堅持する方針を表明した{{Sfn|鈴木正崇|2022|p=73}}。この事件がきっかけで女人禁制の解禁は立ち消えとなったのである{{Sfn|鈴木正崇|2022|p=73}}。

{{要出典範囲|2005年11月3日、[[大峰山]]の女人禁制に反対する[[伊田広行]]、[[池田恵理子]]らが結成した「大峰山に登ろうプロジェクト」(以下、プロジェクト)のメンバーは、大峯山登山のために現地を訪れ、寺院側に質問書を提出し、解禁を求めたが不調に終わった。その結果、改めて話し合いの場を設けることで合意して両者解散したが、その直後に問題提起の為としてプロジェクトの女性メンバー池田恵理子を含む3人が登山を強行した。|date=2024年9月}}

==== 民間信者の意見 ====
大峯登拝講の講元の家系で女人大峯の[[稲村ヶ岳]]を開くきっかけに関わった[[酒井秀子]]の「[[八大教]]」では血穢や死穢での入山を禁じており、女人禁制についても血穢の重視から従来通りの女人禁制を支持する立場のようである{{Sfn|鈴木正崇|2022|p=61-64}}。
女人道場と言われ、女性信者が月経中でも登ることができる[[七尾山]]の「[[修験節律根本道場]]」では女人禁制について「[[役行者]]は深い平等意識に根差す信仰心をもって、大峯山で修行をなされた方である。その彼が女性差別で大峯山を女人禁制にしたわけはない。そもそも大峯山における修行は、男性が女性を見て起こる心の不浄を正すため、また、男性が女性のいない世界を体験することによって、普段の自分のおごりや非力を悟るためにあるのである。だから女性がそのような修行の場に入るということは本末転倒であって、神さまの意図にもそむくものである」としている{{Sfn|鈴木正崇|2022|p=67-70}}。

==== 地元の意見 ====
地元の意見では女人禁制は女性差別や女性蔑視ではなく、信仰や伝統に関わる慣行であるとされる{{Sfn|鈴木正崇|2022|p=54}}。キリスト教の修道院と同じく大峯山は修行の道場であり、「女性のいないところで男性だけが修行する精神修養の場所である」(銭谷修)とされる{{Sfn|鈴木正崇|2022|p=54}}。また地元では女人禁制は地元よりも信者の人々の意見であるという{{Sfn|鈴木正崇|2022|p=54-55}}。また女人禁制を解けば「信仰の山」が「一般の山」となってしまうことを危惧する声もある{{Sfn|鈴木正崇|2022|p=55}}。
また地元の洞川の女性で大峯山に登ろうという女性はおらず、登ることを試みようとするのは外部からの訪問者の女性に限られていることも指摘されている{{Sfn|鈴木正崇|2022|p=44}}。

==女人禁制のロマン化、観光業への利用==
現代では女人禁制をロマン化し、観光業や地域活性化に利用する動きがある。2020年6月に、[[高野山]]の女人禁制に対応して生じた寺院群、通称「女人高野」が、「女性とともに今に息づく女人高野 ― 時を超え、時に合わせて見守り続ける癒しの聖地」というスローガンで[[文化庁]]の[[日本遺産]]に認定された{{sfn|小林|2024|p=553}}。宗教学・文化人類学者の小林奈央子は、女人禁制は女性の穢れ視や[[戒律]]の問題等から生じ、男性中心主義的な宗教思想の中で強化・定着し、堅持されてきたものであり、このようなスローガンは、女性を聖地から排除してきた歴史を肯定するかのような表現で、「女人禁制下、参詣が認められた寺や女人堂で祈りを捧げるしかなかった女性たちの歴史がロマン化され、観光客誘致、地域活性化のために利用されている。」と厳しい批判を行い、こうした歴史を活用しようとすることの是非を問うている{{sfn|小林|2024|p=553}}。


== 日本の信仰や風習で女人禁制とされている(されていた)場所 ==
== 日本の信仰や風習で女人禁制とされている(されていた)場所 ==
=== 山岳・霊場 ===
=== 山岳・霊場 ===
明治五年(1872)以前の日本の[[霊山]]ではそのほとんどが草創または開山以来、'''女人禁制'''の決まりであるということが自明視されていた{{Sfn|鈴木正崇|2022|p=73}}。
[[高野山]]では女人禁制の禁忌侵犯により、天変が起きたことや[[白山]]や[[立山]]では禁忌を犯した女性が杉や石になった伝承が残る{{Sfn|鈴木正崇|2022|p=79-80}}。
東北地方の[[マタギ]]では[[山の神]]は女性であるとし、同性に嫉妬し、月経を嫌い「山の幸」を授けなくなるからとして山に入るのは男性に限られていた{{Sfn|鈴木正崇|2022|p=16}}。

==== 仏教・山岳修験道系 ====
==== 仏教・山岳修験道系 ====
* [[富士山]] - ただし江戸時代後期より解禁。
* [[富士山本宮浅間大社|富士山]]([[山梨県]]・[[静岡県]]) - [[江戸時代]]後期より解禁。
* [[立山]] - ただし[[1872年]](明治5年)より解禁。
* [[谷川岳]]([[群馬県]]・[[新潟県]])- 1860年([[万延]]年)より解禁。
* [[立山]] ([[富山県]])- [[1872年]](明治5年)より解禁。
* [[白山]] - 上に同じ。
* [[比叡山]] - 上に同じ。
* [[山]]([[石川県]]・[[岐阜県]]) - 上に同じ。
* [[御嶽山]] - ただし[[1877年]](明治10年頃より解禁
* [[比叡山]][[滋賀県]]・[[京都府]]) - 上に同じ
* [[高野山]] - ただし[[1904年]](明治37年)より解禁。
* [[御嶽山]]([[長野県]]・[[岐阜県]]) -[[1877年]](明治10年)より解禁。
* [[出羽三山]] [[1997年]](平成9年)より解禁。ただし男修行期間ある
* [[高野山]]([[和歌山県]]) - [[1904年]](明治37年)より解禁<ref group="*">性が参詣できた同じ真言宗[[室生寺]]等「女人高野」と呼ばれた。</ref>
* [[出羽三山]]([[山形県]]) -[[1997年]]([[平成]]9年)より解禁。ただし、男女別の修行期間がある。
* [[石鎚山]]([[愛媛県]]) - 現在はお山開きの7月1日のみ女人禁制。
* [[石鎚山]]([[愛媛県]]) - 現在はお山開きの7月1日のみ女人禁制。
* [[大峰山|大峰山山上ヶ岳]]([[奈良県]]) - 山体全域が対象で、登山道には大きな看板が立つ。反対運動あり。
* [[大峰山|大峰山山上ヶ岳]]([[奈良県]]) - 山体全域が対象で、登山道には大きな看板が立つ。反対運動あり<ref name="#1"/>
* [[後山]][[道仙寺|道仙寺奥の院]])([[岡山県]]) - 後山中腹にある母御堂から奥の院に至る行者道が女人禁制とされている。登山道は別にあり、後山への登山は女性でも問題ない。
* [[後山]][[道仙寺|道仙寺奥の院]][[岡山県]]) - 後山中腹にある母御堂から奥の院に至る行者道が女人禁制とされている。登山道は別にあり、後山への登山は女性でも問題ない。
* [[蓼科山]]- 山頂に[[高皇産霊尊]]が鎮座するが、位の高い[[天地開闢]]の[[神]]なので、[[女性]][[登頂]]が許されなかった<ref>『佐久口碑伝説集北佐久編限定復刻版』発行者長野県佐久市教育委員会 434頁中83頁昭和531115日発行</ref>。
* [[蓼科山]](長野県) - 山頂に[[高皇産霊尊]]が鎮座するが、位の高い[[天地開闢]]の[[神]]なので、[[女性]][[登頂]]が許されなかった<ref>『佐久口碑伝説集北佐久編限定復刻版』発行者長野県[[佐久市]]教育委員会434頁中83、[[昭和]]531115日発行</ref>。


==== 神道系 ====
==== 神道系やその他の山岳信仰系 ====
* [[沖ノ島]]([[福岡県]][[宗像市]]) - 島全体が[[宗像大社]]の私有地<ref name="#3">{{Cite book|title=World Cultural Heritage and women’s exclusion from sacred sites in Japan|url=https://www.taylorfrancis.com/chapters/edit/10.4324/9780429265976-4/world-cultural-heritage-women-exclusion-sacred-sites-japan-lindsey-dewitt|publisher=Routledge|date=2020-04-02|isbn=978-0-429-26597-6|doi=10.4324/9780429265976-4|language=en}}</ref><ref>{{Cite book|title=Island of Many Names, Island of No Name : Taboo and the Mysteries of Okinoshima|url=https://doi.org/10.5040/9781350062887.ch-004|publisher=Bloomsbury Academic|doi=10.5040/9781350062887.ch-004|language=en}}</ref>。
* [[沖ノ島]] - 男性でも上陸時に精進潔斎が必要。
* [[屋久島]]([[鹿児島県]][[屋久島町]]) - [[宮之浦岳]]など島中央部の奥山は女人禁制とされていた<ref>[https://mainichi.jp/articles/20180115/ddm/004/070/044000c 【そこが聞きたい】世界遺産がブームですが?/島本来の姿守りたい 鹿児島県屋久島町長・荒木耕治氏]『[[毎日新聞]]』朝刊2018年1月15日</ref>。


=== 神道系の祭 ===
=== 神道系の祭 ===
* [[田名部まつり]]([[青森県]][[むつ市]]) - 近年、女性がヤマを曳くことは許されているが、基本的には女人禁制であり、ヤマに乗ることは許されていない。
* [[田名部まつり]]([[青森県]][[むつ市]]) - 近年、女性が[[山車|ヤマ]]を曳くことは許されているが、基本的には女人禁制であり、ヤマに乗ることは許されていない。
* [[竿燈]]([[秋田市]])
* [[竿燈]]([[秋田市]])- 昭和後期から女性も参加するようになったが、竿燈の差し手は男性のみで行う。
* [[祇園祭]]([[京都市]])の[[山鉾]] - 一部の山鉾には女性の囃子方がいるが、巡行の先頭に立つ[[長刀鉾]]などは女人禁制である。
* [[祇園祭]]([[京都市]])の[[山鉾]] - 一部の山鉾には女性の囃子方がいるが、巡行の先頭に立つ[[長刀鉾]]などは女人禁制である。
* [[博多祇園山笠]]([[福岡県]]) - ただし小学生以下の女児は男性同様の扮装([[締め込み]])で参加を認められる。
* [[博多祇園山笠]](福岡県) - ただし小学生以下の女児は男性同様の扮装([[締め込み]])で参加を認められる。
* [[岸和田だんじり祭]] - 女性がだんじりを曳くことは許されているが、だんじりに乗ることはできない。
* [[岸和田だんじり祭]]([[大阪府]][[岸和田市]]) - 女性がだんじりを曳くことは許されているが、だんじりに乗ることはできない。
* [[牛の角突き]](新潟県[[長岡市]]旧[[山古志村]]) - 取組後の牛の引き回しのため、牛持ち(オーナー)である女性の立ち入りが2018年5月4日から解禁<ref>[http://www.niigata-nippo.co.jp/news/national/20180504391023.html 女人禁制よ さらば 山古志・牛の角突き 17年ぶり女性入場]『[[新潟日報]]』モア(2018年5月5日)</ref><ref>{{Cite web|和書|title=新潟・長岡の闘牛場、女性の立ち入りOKに 会員増加で:朝日新聞デジタル|url=https://www.asahi.com/articles/ASL5454KGL54UOHB00G.html|website=朝日新聞デジタル(2018年5月4日)|accessdate=2020-02-19|language=ja|publisher=}}</ref>。


=== 異能を持つ特殊技能者のメンバーシップに基づくもの ===
=== 特殊技能者のメンバーシップに基づくもの ===
* [[鉱山]]([[山師]]) - 鉱山や工事中のトンネルでは、[[労働基準法]]の女性坑内業務の禁止条項が2006年に改正され、坑内作業に妊産婦や禁止有害業務などをのぞき就労できる事となった<ref name="rohdokijyunkaisei2006">{{Cite web |date=2006-10-11|url=http://www.mhlw.go.jp/general/seido/koyou/danjokintou/koyou_kaisei/03.html |title=改正労働基準法(妊産婦等の坑内労働の就業制限関係)の施行について |publisher=厚生労働省 |accessdate=2014-06-24}}</ref>。
* [[鉱山]]([[山師]]) - 鉱山や工事中のトンネルでは、[[労働基準法]]の女性坑内業務の禁止条項が2006年に改正され、坑内作業に妊産婦や危険有害業務などをき就労できる事となった<ref name="rohdokijyunkaisei2006">{{Cite web|和書|date=2006-10-11|url=https://www.mhlw.go.jp/general/seido/koyou/danjokintou/koyou_kaisei/03.html |title=改正労働基準法(妊産婦等の坑内労働の就業制限関係)の施行について |publisher=厚生労働省 |accessdate=2014-06-24}}</ref>。[[山の神]]は女性とされ女性が入ると神が怒りトンネルが潰れたり事故が起こるとかつては信じられていたため女人禁制とされていた{{Sfn|鈴木正崇|2022|p=30}}
* 酒蔵([[杜氏]])- 現在は女性杜氏もいる<ref>[https://mainichi.jp/articles/20180414/ddm/013/040/002000c 【ぷらすアルファ】「女人禁制」伝統に変化/増える女性杜氏 近代化・若返り進み]『毎日新聞』朝刊2018年4月14日(くらしナビ面)</ref>。かつては女性が蔵に入ると神様が機嫌を損ねて酒造りに失敗する、酒が腐るという言い伝えがあり女人禁制とされていた{{Sfn|鈴木正崇|2022|p=28}}。

*[[大相撲]]([[日本相撲協会]])の土俵上 - 断髪式や表彰、地方巡業での勧進元挨拶などで土俵外に檀を設けられること<ref name="All_women_should_be_filthy" />、ちびっこ相撲の一時休止など。(参考:「[[女性は土俵から降りてください]]」騒動)。相撲の起源は神事であることから女人禁制とされたいるが、かつては女相撲もあったことから相撲が[[徳川幕府]]から家職を通じての支配を受けるようになり由緒や故実を整えた寛延二年(1749)以降からの伝統ではないかという見解もある{{Sfn|鈴木正崇|2022|p=28}}。
* 酒蔵([[杜氏]])- 現在は女性杜氏もいる。
*東北地方の[[マタギ]] -[[山の神]]は女性であるとし、同性に嫉妬し、月経を嫌い「山の幸」を授けなくなるからとして山に入るのは男性に限られていた{{Sfn|鈴木正崇|2022|p=16}}。
* [[大相撲]]の土俵([[力士]]) - 現在でも継続されており議論されている。


== 女人禁制とされている(されていた)芸能 ==
== 女人禁制とされている(されていた)芸能 ==
* [[歌舞伎]] - 子役は慣習的に初潮が来る前までの出演が認められている。また現状として、厳密な女人禁制とはなっていない。 {{See also|歌舞伎#歴史|女形#歌舞伎の女形|[[女形#異性を演じる俳優]]}}
* [[歌舞伎]] - 歌舞伎の創始者とされているのは女性であるが、各地で歌舞伎劇と売春を兼ねる集団が出現するなど風紀上の問題から、女人禁制となり、現在に連なる男性のみの「[[野郎歌舞伎]]」となった。
* [[能|能楽]] - [[能楽協会]]への女性能楽師の加入は1948年に認められた。[[日本能楽会]]への加入は2004年に認められた。なお、日本能楽会の構成員は[[重要無形文化財]]「能楽」の保持者として認定(総合認定)されている。
* [[能|能楽]] - [[能楽協会]]への女性能楽師の加入は1948年に認められた。[[日本能楽会]]への加入は2004年に認められた。なお、日本能楽会の構成員は[[重要無形文化財]]「能楽」の保持者として認定(総合認定)されている。


== 日本以外で日本女人禁制と類似したタブーがある場所 ==
== 日本以外の類似したタブーがある(あった)場所 ==
* [[ムエタイ]] - 2大聖地と言われる[[ルンピニー・スタジアム]]と[[ラジャダムナン・スタジアム]]では女性は[[リング (格闘技)|リング]]に上がることはできなかった。しかしルンピニー・スタジアムでは2021年に、ラジャダムナン・スタジアムでは2022年にそれぞれ初の女子選手による試合が行われた為、女人禁制ではなくなった。
* [[アトス山]] - [[正教会]]の修道院が置かれる、家畜でもメスの持ち込みは禁止。ただし[[ネコ]]を除く。
*[[オックスフォード大学]] - かつてオックスフォードは女人禁制で、教授は生涯[[独身]]と決められていた。
**[[アトス自治修道士共和国]] - [[ギリシャ]]から[[治外法権]]を認められた国。女性は難民や漂流した場合を除き、入国は勿論、岸から500m以内に近づくことも許されない。
*[[フリーメイソン]]の至聖所 - 会員資格も五体満足で文盲でない成人男子に限定されている。
* [[ローマ教皇]]の私室 - 現代では厳密に守られているわけではないが、例として[[ヨハネ・パウロ1世 (ローマ教皇)|ヨハネ・パウロ1世]]が自室で急逝した時、第一発見者は[[修道女]]であったが、聖職者の私室に女性が立ち入ってはならないとの理由から、第一発見者が秘書に変更された。
*[[チャイティーヨー・パゴダ]] - ツアースポットとしても有名なゴールデンロックの付近には女人禁制の場所がある。
* 古代[[ギリシャ]]のオリンピア[[競技場]]([[古代オリンピック]]) - 既婚の女性のみ観戦禁止。未婚女性は出場はできないが観戦は可。
*[[アトス山]]([[ギリシャ]]) - 各[[正教会]]の修道院が置かれ、[[アトス自治修道士共和国]]としてギリシャ政府から治外法権を認められた国家である。更に[[欧州連合加盟国の特別領域]]に指定されている為「性別による差別を禁止する」とする[[EU法]]も適用されない。女性は難民や漂流した場合を除き、入国は勿論、岸から500メートル以内に近づくことも許されない。家畜についても、[[ネコ]]以外はメスの持ち込みを禁じられている。
* [[フリーメイソン]]の至聖所 - 会員資格も五体満足で文盲でない成人男子に限定されている。

* [[オックスフォード大学]] - かつてオックスフォードは女人禁制で教授は生涯独身と決められていた。
== 男子禁制 ==
* 会員制[[ゴルフ場]](会員資格や施設使用権等を男性に限定しているゴルフクラブ) - 小金井カントリー倶楽部などの歴史の古いゴルフ場が多い。かつては[[セント・アンドリュース オールドコース]]や[[オーガスタ・ナショナル・ゴルフクラブ|オーガスタ・ナショナルGC]]、[[ミュアフィールド]]でも適用されていたが、現在は女性にも開放している。
{{出典の明記| section = 1| date = 2022-12}}
* [[ムエタイ]] - 2大聖地と言われる[[ラジャダムナン・スタジアム]]と[[ルンピニー・スタジアム]]では女性はリングに上がれない。
女人禁制とは反対に、「男性の立ち入りを禁じる」ことを'''[[#男子禁制|男子禁制]]'''(だんしきんせい)と呼ぶ。
* [[チャイティーヨー・パゴダ]] - ツアースポットとしても有名なゴールデンロックの付近には女人禁制の場所がある。

=== 信仰 ===
宗教、信仰における事例として、[[沖縄県|沖縄]]の[[御嶽 (沖縄)|御嶽]]に祈りを捧げたり祭祀を行うのは、沖縄古来より女性祭司「[[ノロ]]」の専業であり、基本的に男子禁制である。

現代においては、祭司の礼拝中を除き、立ち入りまで禁じられてはいない場合も多いが、それも観光向けの措置である([[斎場御嶽]]など)。祭司に管理されている御嶽の核心となる聖域は囲いにより立ち入り禁止、男子禁制である。

沖縄の一般家庭に多い「[[ヒヌカン]]」も、一般的には男性が拝むのは禁忌であり、男子禁制である。

このような男子禁制は、そもそも[[母系制]]社会では女性が祭祀を司り、また女王として君臨する場合もある([[卑弥呼]]、[[おなり神]]、[[ヒメヒコ制]]など)事に由来すると言われる。


ただし、沖縄の後継ぎの[[トートーメー]](位牌)継承は原則、男系継承に限られている{{Sfn|鈴木正崇|2022|p=25}}。
== 備考 ==
* 一時的に女人禁制とする例として、武家作法では、戦場に出陣する3日前か、あるいは7日前に女を断ち、精力を蓄えてから出発した<!-- 参考・『歴史読本 特集天皇家の閨閥 明治・大正・昭和の皇室 昭和六十三年三月号』 [[新人物往来社]] p.216 -->(実質上、戦に出る数日前の武士周辺は女人禁制となる)。
* [[上泉信綱]]伝の『訓閲集』(大江家の兵法書を戦国風に改めた兵書)巻一「発向」に記されている事として、「陣中に女人を入れる事、禁制なり」としており、戦時中も女人禁制が取られている(前述と合わせると、戦前1週間から戦時にかけて禁制という事になる)。


== 脚注 ==
ただし、戦の中では、予測し得ない突発的な戦闘や奇襲も起こり得る上、武士個人の考えにも左右されるので、[[小田原征伐]]で[[豊臣秀吉]]が側室の[[淀殿]]たちを伴う事例が見られるなど(戦国期の場合、伝統的な武家ではなく、百姓からの成り上がり層が増えた為)、常に守られる作法ではなかった。
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Reflist|group="*"}}
=== 出典 ===
{{Reflist|2}}


== 参考文献 ==
== 参考文献 ==
{{参照方法|date=2017-04|section=1}}
{{参照方法|date=2017-04|section=1}}
*{{Cite journal |和書 |author =パトリシア=ウベロイ|author2 =タリニ・バハドゥー|translator=林千根 |title =中年期の女性の身体-社会文化的・医学的な東西比較-|volume = |issue = |journal =生涯を通じた女性の健康づくりに関する研究|publisher =厚生科学研究費補助金 総合的プロジェクト研究分野 子ども家庭総合研究事業|date = 1999|pages =314-332|url=https://mhlw-grants.niph.go.jp/system/files/1999/000117/199900297A/199900297A0007.pdf|ref = {{SfnRef|ウベロイ, バハドゥー|1999}}}}
*{{Cite journal |和書 |author =[[源淳子]]|title = 仏教の女性性否定|volume =38 |issue = |journal =印度學佛教學研究|publisher =日本印度学仏教学会|date = 1989|pages =323-327|crid =1390001205376947840 |url=https://doi.org/10.4259/ibk.38.323 |doi=10.4259/ibk.38.323 |ref = {{SfnRef|源|1989}}}}
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== 出典 ==
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== 関連項目 ==
== 関連項目 ==
* [[月経に関する偏見]]
* [[大峰山]]
* [[仏教に対する批判]]
* [[修験道]]
* [[女性差別]]
* [[山岳宗教]]
* [[女人五障説]]
* [[タブー]]
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* [[聖域]]
* [[男社会]]
* [[大相撲]]
* [[フェミニズム]]
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2024年12月7日 (土) 08:17時点における最新版

女人禁制(にょにんきんせい[1][2][3][4][5][6]、にょにんきんぜい[1][7])とは、日本において、女性であることを理由に、寺院や霊場等の特定の場所への女性の立ち入りや、お参りや修行、仕事等への参加を禁止する風習、習俗[8][3]。また、その制度や地域のこと。

概要

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女性であることを理由に、特定の場所への女性の立ち入りを禁止するもので、特に、聖域社寺霊場、祭場など)への女性の立ち入りを禁止する風習がみられる[3][4][9]。この意味で隔絶された区域結界[* 1])を女人結界(にょにんけっかい)といい[10][11]、「女人禁制」と同義で用いられる[5][10]

宗教以外での、女性の立ち入りや参加、参入などを禁ずる社会慣習も指し、漁業や狩猟など伝統的に男性が担ってきた仕事や、女性が関わると女神が嫉妬して良くない結果となるとされるトンネル工事などでも女人禁制が布かれてきた[8]。神事に関連する相撲や、歌舞伎などの芸能にも見られる。

月経中の女性を不浄とみなし寺社などに一時的に立ち入りを禁じる風習は、キリスト教イスラム教ヒンドゥー教などにも見られるが、常に女性の立ち入りを禁止するものではない[12]日本仏教の女性差別・女性排除はインド仏教から引き継いでいるとはいえ、女性そのものを穢れとして聖地や寺社から恒常的に排除する女人禁制は日本仏教独自で、日本で作られた独特のものである[13][14]

由来

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神道の血穢による理由

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日本で女人禁制が発生した背景として第一に、仏教伝来以前の日本にあった、女性の月経や出産に対する「血の穢れ(血穢)」の観念がある[8]。日本仏教の女性の不浄観は、この血の穢れの観念、神道の穢れ観の影響を受けたと考えられる[13][15]。しかし、元々神道での扱いは、月経中、出産期間の女性や、こうした「穢れ」に触れた人は一時的に神社参拝や神事に関われないというもので、恒常的なものではなく、日本仏教のような女性性・女性の身体の全面否定ではなかった[16]

血の穢れは律令の補助法令である『弘仁式』(9世紀前半)で出産に関わる血穢が明文化され、『貞観式』(9世紀後半)で月経に関わる血穢が明文化されており、律令の手本となった古代中国の触穢観等が影響したと考えられている[9]

仏教の戒律に由来する理由

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インドで生まれた仏教には元来、ある場所を結界して、女性の立ち入りを禁止する戒律は存在しない。和僧道元の『正法眼蔵』にも、日本仏教の女人結界を「日本国にひとつのわらひごとあり」と批判している箇所があり、法然親鸞なども女人結界には批判的であった。

しかし仏教は、世俗を離れ欲望を断つ出家を説き、男性修行者にとって女性(への肉欲)がいかに修行の障りとなるかが強調されており、女性の出家も認められていたが、男性中心性・女性抑圧性があった[17]出家者の戒律には、性行為の禁止(不淫戒)、自慰行為の禁止(故出精戒)、異性と接触することの禁止(男性の侶にとっては触女人戒)、猥褻な言葉を使うことの禁止(麁語戒)、供養として性交を迫ることの禁止(嘆身索供養戒)、異性と二人きりになることを禁止(屏所不定戒)、異性と二人でいる時に関係を疑われる行動することを禁止(露処不定戒)など、性欲を刺激する可能性のある行為に関しては厳しい戒律がある。アジア伝統社会では、女性は「未婚のときは父に従い、結婚した後は夫に従い、夫が死ねば子に従う」という「三従」という3種の忍従が宿命的なものとされ、この社会習慣によって女性は親族男性の保護下・支配下に置かれており、尼僧は親族男性の保護者がいないため、潜在的に「誘惑者」と見られていた[18][19]

修験道の修験者は、半僧半俗の修行者であるが、その場合でも、修行中は少なくとも不淫戒を守る必要がある(八斎戒の一つ)。そのため修験道では、男性の修行場から女性を排除したと考えられる。

女人禁制につながる要因として、女性は修行しても仏に成れないため女性は男身を得てから成仏するという女人五障説変成男子説や、女身は穢れが多くて仏の器ではないという「女身垢穢」「非是法器」(女身非法器説)などの仏教の女性差別的な教えの広まりがある[9][17][* 2]

道教や密教などの神通力信仰

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一説には古代日本においては、主に道教や密教の影響で、僧侶に対し加持祈祷による法力、神通力が期待されていたためとする説もある。僧侶が祈祷に必要な法力を維持するためには、持戒の徹底が必要であると考られていた。

性欲を起こすと仙人が神通力を失う話としては、『今昔物語』にある久米仙人の話が有名である。

中世における神仏習合

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上記の仏教と神道、道教などの異なるタブー観が、中世に習合し、山岳の寺院、修験道などを中心として、鎌倉時代頃に今の女人禁制、女人結界のベースとなる観念が成立したものと考えられている。

また、唯識論で説かれた「女人地獄使。能断仏種子。外面似菩薩。内心如夜叉」(『華厳経』を出典とする俗説あり)[要出典]や『法華経』の「又女人身猶有五障[21]を、その本来の意味や文脈から離れ、「女性は穢れているので成仏できない、救われない」という意味に曲げて解釈し、引用する仏教文献も鎌倉時代頃から増えてくる。(原典にそういう意味はない)

これらをもって、女人禁制は鎌倉仏教の女性観に基づくと説明されることがある。ただし、上記のように法然、道元、日蓮といった鎌倉時代の宗祖達は概ね女人禁制に批判的だった。

その他に、女人禁制の由来と思われる理由

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また修験道の修行地が、険しい山岳地帯であったためとの見方がある。

古代においては山は魑魅魍魎が住む危険な場所と考えられていた。そのため子供を産む女性は安全のため近づかない、近づいてはならない場所であったとする。そのような場所だからこそ、修験者は異性に煩わされない厳しい修行の場として、山岳を選んだのだといわれている。文明が進んで、山道などが整備されると、信心深い女性が逆に修験者を頼って登山してくるようになり、困った修験者たちが結界石を置いてタブーの範囲を決め、その外側に女人堂を置いて祈祷や説法を行なった。

民俗学者の柳田國男姥捨山とされた岩木山青森県)の登山口にも姥石という結界石があることに着目。結界を越えた女性が石に化したという伝説を『妹の力』『比丘尼石』のなかで紹介している。結界石や境界石の向こうは他界(他界#山上他界)であり、宗教者は俗世から離れた一種の他界で修行を積むことによって、この世ならぬ力を獲得すると考えられた。

また、石長比売女神であったことに代表されるように、古来より日本各地において山そのものが女神であり、嫉妬深いと考えられた地域も多い。女人の入山が禁制されたのは女神の嫉妬を避ける為であるとされる。たとえば『遠野物語』に登場する遠野三山伝説では、早池峰山と六角牛山はそれぞれ3人の女神が住んだ山とされ、長らく女人禁制であった。また熊野三山周辺でも、山は女神で嫉妬深いと考えられているほか、上り子といわれる男たちは松明を掲げて山へ上るが、女たちは闇の中で祈りを捧げて男たちが持ち帰った神火を迎える役割があり、そこには祭事における男女の役割分担の違いがあるとされる。

また別の説では巫女イタコにみられるように「女性には霊がつきやすい」ため、荒修行が女性には困難であるという説明づけもされることがある。

女人禁制の理由については、上記のような様々な由来や学説が唱えられている。各々の場所には各々の由来が伝えられている。またそれらが歴史的な過程で絡み合い変容していく場合もあり、どれか一つをもって一般論を導き出すことは困難と言える。

祭祀における女人禁制

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なお、祭りに女人禁制が取り入れられたのは、男尊女卑が広く浸透したとされる江戸時代ないし明治時代以降のことと考えられ、『古事記』には祭りに女性が参加していた記述が見られる。また古代の日本では、女性は神聖な者で神霊が女性に憑依すると広く信じられており、卑弥呼に代表されるように神を祭る資格の多くは、女性にあると考えられていた。

一例として、日本神道の祖形を留る琉球神道の範疇に属する信仰では、沖縄の女性は「神人(かみんちゅ)」、男性は「海人(うみんちゅ)」とされ、おなり神の関係にあるとされる。現代でも女性が祭祀を取り仕切る観念は都市部以外では特に根強く、墓の手当てや風葬のあった時代には洗骨までもが一家の女性の役割であった。

ノロなどの神職が祭祀を行う御嶽(うたき)では、女人禁制とは逆の男子禁制が敷かれており、現在でも御嶽や拝所(うがんじょ)に祈りを捧げたり祭祀を行うのは厳格に男子禁制である。(ただし、単に拝んだり立ち入りまで禁止されている訳ではない)。

現代に残る「女人禁制」

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明治政府

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明治5年3月27日(1872年5月4日)、明治政府は、明治五年太政官布告第98号「神社仏閣女人結界ノ場所ヲ廃シ登山参詣随意トス[22]により、江戸幕府や寺社が仏教の不邪淫戒(五戒の一つ)や儒教の「男女七歳にして席を同じゅうせず」(『礼記』内則)などを根拠として社会の多くの分野で過剰に徹底していた「女人禁制」を、欧米列強に伍していこう(肩を並べよう)としている近代国家には論外の差別(「陋習」)の一つであるとして禁止した[23]

この結果、「御一新」された「皇国」(明治日本)では、ほとんどの神社仏閣が過剰な「女人禁制」を解除することとなった。関所の廃止とも相俟って、外国人女性を含め女性も日本国内を自由に旅行・観光・参詣できるようになった。

大相撲の土俵における「女人禁制」

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女性が行う相撲の由来・課題

一部の神事として行われる女相撲、江戸時代から昭和30年代頃まで興行が行われていた女相撲と、現在において近代スポーツとして行われている女子相撲は由来が異なる。アマチュア相撲を国際的に普及し五輪競技とするには女子への普及の実績が必要であることから、日本相撲連盟が1996年に連盟の加盟団体として日本新相撲連盟(後の日本女子相撲連盟)を発足させた。そういった経緯から、アマチュア相撲の大会の土俵に女性が上がることができる。

日本相撲協会の由来・問題

日本相撲協会(大相撲)の由来は、江戸時代からの寺社建立・修繕の費用を集めるための「勧進大相撲」であり、もっぱら女人禁制の神社仏閣の境内で行われていた。そのため、土俵上だけでなく観客席含めて全てが「女人禁制」で興行されていた。その後、明治五年に太政官布告第98号「神社仏閣女人結界ノ場所ヲ廃シ登山参詣随意トス[22]により神社仏閣の境内への女性の出入りが解禁、女性客が大相撲を観戦することが可能となった[24]。日本相撲協会は現在も観客席を除く土俵の部分だけは「女人禁制」としているが、通常の観客である限りにおいて直接の不利益を被ることが少ないこともあり女性ファンによる反対運動には至っていない。女性差別として問題視される事案の発生も発生している[25][26][27][28]ことについては、一部の報道人・政治家・相撲ライターなどが差別禁止の日本国憲法第14条1項を根拠として『伝統』という曖昧な理由で女性を不浄視せず男性と等しく扱うよう求めている[29][30]

奈良県大峰山の「女人禁制」

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大峯山の女人禁制は役小角が草創時に決めたこととされ、山の根本秩序とされ守られてきている[31]

明治5年3月27日(1872年05月04日)布告の明治五年太政官布告第98号「神社仏閣女人結界ノ場所ヲ廃シ登山参詣随意トス[22]、および、明治5年9月15日(1872年10月27日)布告の明治五年太政官布告第273号「修験宗ヲ廃シ天台真言ノ両本宗へ帰入セシム[32](いわゆる『修験道廃止令』)にも拘わらず、奈良県南部の大峰山(大峯)の山上ヶ岳の修験者およびその協力者たち(地元住民・信者)は、修験道の霊場であるという事を理由として「女人禁制」を掲げ続けた。

女性の入山解禁を求める運動が起こっており、過去に密かにまたは強行登山が行われている[23]

戦前から女性が禁を破って大峯山に登った事例はあるが、地元ではこうした行為を「ぬすっと参り」として女人禁制を解禁したとはみなさずにむしろ「盗人」の行為であるとする[33]

平成八(1996)年の夏に「三本山御遠忌連絡会」が発足した[34]。 三本山(聖護院醍醐寺金峯山寺)と五護持院(龍泉寺、喜蔵院東南院桜本坊竹林院)は、平成12年が西暦2000年にあたり役行者1300年遠忌を期して、女人結界を解く意向が提案された。 平成9(1997)年には信者・地元に説明を求めて意見を求めたが反対は根強く、12月の信徒総会は紛糾して結論はでなかった[35]。 しかし、このような時に平成11(1999)年8月1日に女人禁制に批判的な奈良県教職員組合の「男女共生教育研究推進委員会」所属の女性教諭ら10人らが強行登山を行い、このことが問題となり協議は中断となったという[36][37][38]

この出来事に対し東南院五條良知副住職は女人解禁の協議の最中に信仰とは関係のない登山により入山が行われたことに困惑したと語った[35]喜蔵院中井教善住職は「教育者が長い伝統のある禁制を一方的に破ったことに憤りを感じる。信者の中には熱心な女性信者もおり、その人たちに申し訳ない気持ちだ」と語った[35]。 このような抗議を受けて奈良県教職員組合の田中敦三委員長は平成11年11月18日に記者会見を開き「女人禁制は女性差別だが、やり方に問題があった」として謝罪した[39]。 翌日、大峯山寺は記者会見を開き「信仰者の心を踏みにじる、大変遺憾な行為である」とし、当面、女人禁制を堅持する方針を表明した[40]。この事件がきっかけで女人禁制の解禁は立ち消えとなったのである[40]

2005年11月3日、大峰山の女人禁制に反対する伊田広行池田恵理子らが結成した「大峰山に登ろうプロジェクト」(以下、プロジェクト)のメンバーは、大峯山登山のために現地を訪れ、寺院側に質問書を提出し、解禁を求めたが不調に終わった。その結果、改めて話し合いの場を設けることで合意して両者解散したが、その直後に問題提起の為としてプロジェクトの女性メンバー池田恵理子を含む3人が登山を強行した。[要出典]

民間信者の意見

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大峯登拝講の講元の家系で女人大峯の稲村ヶ岳を開くきっかけに関わった酒井秀子の「八大教」では血穢や死穢での入山を禁じており、女人禁制についても血穢の重視から従来通りの女人禁制を支持する立場のようである[41]。 女人道場と言われ、女性信者が月経中でも登ることができる七尾山の「修験節律根本道場」では女人禁制について「役行者は深い平等意識に根差す信仰心をもって、大峯山で修行をなされた方である。その彼が女性差別で大峯山を女人禁制にしたわけはない。そもそも大峯山における修行は、男性が女性を見て起こる心の不浄を正すため、また、男性が女性のいない世界を体験することによって、普段の自分のおごりや非力を悟るためにあるのである。だから女性がそのような修行の場に入るということは本末転倒であって、神さまの意図にもそむくものである」としている[42]

地元の意見

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地元の意見では女人禁制は女性差別や女性蔑視ではなく、信仰や伝統に関わる慣行であるとされる[43]。キリスト教の修道院と同じく大峯山は修行の道場であり、「女性のいないところで男性だけが修行する精神修養の場所である」(銭谷修)とされる[43]。また地元では女人禁制は地元よりも信者の人々の意見であるという[44]。また女人禁制を解けば「信仰の山」が「一般の山」となってしまうことを危惧する声もある[45]。 また地元の洞川の女性で大峯山に登ろうという女性はおらず、登ることを試みようとするのは外部からの訪問者の女性に限られていることも指摘されている[31]

女人禁制のロマン化、観光業への利用

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現代では女人禁制をロマン化し、観光業や地域活性化に利用する動きがある。2020年6月に、高野山の女人禁制に対応して生じた寺院群、通称「女人高野」が、「女性とともに今に息づく女人高野 ― 時を超え、時に合わせて見守り続ける癒しの聖地」というスローガンで文化庁日本遺産に認定された[9]。宗教学・文化人類学者の小林奈央子は、女人禁制は女性の穢れ視や戒律の問題等から生じ、男性中心主義的な宗教思想の中で強化・定着し、堅持されてきたものであり、このようなスローガンは、女性を聖地から排除してきた歴史を肯定するかのような表現で、「女人禁制下、参詣が認められた寺や女人堂で祈りを捧げるしかなかった女性たちの歴史がロマン化され、観光客誘致、地域活性化のために利用されている。」と厳しい批判を行い、こうした歴史を活用しようとすることの是非を問うている[9]

日本の信仰や風習で女人禁制とされている(されていた)場所

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山岳・霊場

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明治五年(1872)以前の日本の霊山ではそのほとんどが草創または開山以来、女人禁制の決まりであるということが自明視されていた[40]高野山では女人禁制の禁忌侵犯により、天変が起きたことや白山立山では禁忌を犯した女性が杉や石になった伝承が残る[46]。 東北地方のマタギでは山の神は女性であるとし、同性に嫉妬し、月経を嫌い「山の幸」を授けなくなるからとして山に入るのは男性に限られていた[47]

仏教・山岳修験道系

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神道系やその他の山岳信仰系

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神道系の祭

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特殊技能者のメンバーシップに基づくもの

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  • 鉱山山師) - 鉱山や工事中のトンネルでは、労働基準法の女性坑内業務の禁止条項が2006年に改正され、坑内作業に妊産婦や危険有害業務などを除き就労できる事となった[54]山の神は女性とされ女性が入ると神が怒りトンネルが潰れたり事故が起こるとかつては信じられていたため女人禁制とされていた[55]
  • 酒蔵(杜氏)- 現在は女性杜氏もいる[56]。かつては女性が蔵に入ると神様が機嫌を損ねて酒造りに失敗する、酒が腐るという言い伝えがあり女人禁制とされていた[57]
  • 大相撲日本相撲協会)の土俵上 - 断髪式や表彰、地方巡業での勧進元挨拶などで土俵外に檀を設けられること[26]、ちびっこ相撲の一時休止など。(参考:「女性は土俵から降りてください」騒動)。相撲の起源は神事であることから女人禁制とされたいるが、かつては女相撲もあったことから相撲が徳川幕府から家職を通じての支配を受けるようになり由緒や故実を整えた寛延二年(1749)以降からの伝統ではないかという見解もある[57]
  • 東北地方のマタギ -山の神は女性であるとし、同性に嫉妬し、月経を嫌い「山の幸」を授けなくなるからとして山に入るのは男性に限られていた[47]

女人禁制とされている(されていた)芸能

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日本以外の類似したタブーがある(あった)場所

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男子禁制

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女人禁制とは反対に、「男性の立ち入りを禁じる」ことを男子禁制(だんしきんせい)と呼ぶ。

信仰

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宗教、信仰における事例として、沖縄御嶽に祈りを捧げたり祭祀を行うのは、沖縄古来より女性祭司「ノロ」の専業であり、基本的に男子禁制である。

現代においては、祭司の礼拝中を除き、立ち入りまで禁じられてはいない場合も多いが、それも観光向けの措置である(斎場御嶽など)。祭司に管理されている御嶽の核心となる聖域は囲いにより立ち入り禁止、男子禁制である。

沖縄の一般家庭に多い「ヒヌカン」も、一般的には男性が拝むのは禁忌であり、男子禁制である。

このような男子禁制は、そもそも母系制社会では女性が祭祀を司り、また女王として君臨する場合もある(卑弥呼おなり神ヒメヒコ制など)事に由来すると言われる。

ただし、沖縄の後継ぎのトートーメー(位牌)継承は原則、男系継承に限られている[58]

脚注

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注釈

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  1. ^ 元々「結界」は仏教用語であるが、神道などでも用いられるので、「女人結界」も仏教に限った用語ではない。
  2. ^ 「女身垢穢」「非是法器」といった女性差別的な言葉はサンスクリット語法華経にはなく、漢訳で挿入された[20]
  3. ^ 女性が参詣できた同じ真言宗の室生寺等が「女人高野」と呼ばれた。

出典

[編集]
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  2. ^ 『日本国語大辞典』 14巻、小学館、2003年1月10日、6頁。ISBN 978-4095219011 
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参考文献

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関連項目

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