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:*:錦江湾の海岸沿いを日豊本線と並走して通っている。鹿児島市と姶良市等を結ぶ幹線道路であることから渋滞が深刻である<ref>[http://www.qsr.mlit.go.jp/kakoku/pi/1_1.pdf 第1回鹿児島北バイパス磯の道づくりPI委員会] - 国土交通省鹿児島国道事務所 2011年11月30日閲覧。</ref>。鹿児島市境から花倉までは片側2車線の4車線道路となっているが、その他の区間は道幅が狭小となっている区間があり、吉野町花倉から小川町までの区間を結ぶ[[鹿児島北バイパス]]が事業化されているが<ref name="kanshi23">{{PDFlink|[http://www.qsr.mlit.go.jp/s_top/jigyo-hyoka/111216/siryou513.pdf 平成23年度 第5回九州地方整備局 事業評価監視委員会 国道10号鹿児島北バイパス]}} - 国土交通省九州地方整備局、2015年4月27日閲覧。</ref>、世界文化遺産に登録されている「集成館」、国の名勝に指定されている「[[仙巌園]]」などが建設予定地の沿線に存在することから、世界文化遺産登録時に国が[[国際連合教育科学文化機関]](ユネスコ)へ提出した推薦書においても景観に配慮したルートの検討を求められていると記載された<ref>{{PDFlink|[http://www.qsr.mlit.go.jp/n-shiryo/kenkyu/program/01/01_10.pdf 国道10号鹿児島北バイパスの道路計画について]}} - 国土交通省九州地方整備局、2017年10月18日閲覧。</ref>。景観上の問題と共に津波対策の必要性から山岳ルートの採用が決定した<ref>{{PDFlink|[https://www.qken-net.com/kyushu/pdf/P00134437_1.pdf 国道10号交通混雑緩和などで「鹿児島北バイパス」・「白浜拡幅」事業 |
:*:錦江湾の海岸沿いを日豊本線と並走して通っている。鹿児島市と姶良市等を結ぶ幹線道路であることから渋滞が深刻である<ref>[http://www.qsr.mlit.go.jp/kakoku/pi/1_1.pdf 第1回鹿児島北バイパス磯の道づくりPI委員会] - 国土交通省鹿児島国道事務所 2011年11月30日閲覧。</ref>。鹿児島市境から花倉までは片側2車線の4車線道路となっているが、その他の区間は道幅が狭小となっている区間があり、吉野町花倉から小川町までの区間を結ぶ[[鹿児島北バイパス]]が事業化されているが<ref name="kanshi23">{{PDFlink|[http://www.qsr.mlit.go.jp/s_top/jigyo-hyoka/111216/siryou513.pdf 平成23年度 第5回九州地方整備局 事業評価監視委員会 国道10号鹿児島北バイパス]}} - 国土交通省九州地方整備局、2015年4月27日閲覧。</ref>、世界文化遺産に登録されている「集成館」、国の名勝に指定されている「[[仙巌園]]」などが建設予定地の沿線に存在することから、世界文化遺産登録時に国が[[国際連合教育科学文化機関]](ユネスコ)へ提出した推薦書においても景観に配慮したルートの検討を求められていると記載された<ref>{{PDFlink|[http://www.qsr.mlit.go.jp/n-shiryo/kenkyu/program/01/01_10.pdf 国道10号鹿児島北バイパスの道路計画について]}} - 国土交通省九州地方整備局、2017年10月18日閲覧。</ref>。景観上の問題と共に津波対策の必要性から山岳ルートの採用が決定した<ref>{{PDFlink|[https://www.qken-net.com/kyushu/pdf/P00134437_1.pdf 国道10号交通混雑緩和などで「鹿児島北バイパス」・「白浜拡幅」事業 鹿児島北BP山岳ルートに変更し、約2.8kmのトンネル等約475億円]}} - 九州建設情報社、2017年10月18日閲覧。</ref>。また、吉野町上ノ村から姶良市脇元までの区間の4車線化拡幅工事が白浜拡幅として事業化されている<ref>{{PDFlink|[http://www.qsr.mlit.go.jp/site_files/file/s_top/jigyo-hyoka/120802/siryou54.pdf 国道10号 白浜拡幅]}} - 国土交通省九州地方整備局、2017年10月16日閲覧。</ref> |
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鹿児島北BP山岳ルートに変更し、約2.8kmのトンネル等約475億円]}} - 九州建設情報社、2017年10月18日閲覧。</ref>。また、吉野町上ノ村から姶良市脇元までの区間の4車線化拡幅工事が白浜拡幅として事業化されている<ref>{{PDFlink|[http://www.qsr.mlit.go.jp/site_files/file/s_top/jigyo-hyoka/120802/siryou54.pdf 国道10号 白浜拡幅]}} - 国土交通省九州地方整備局、2017年10月16日閲覧。</ref> |
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2017年10月29日 (日) 00:01時点における版
吉野 | |
---|---|
北緯31度38分20.6秒 東経130度33分36.7秒 / 北緯31.639056度 東経130.560194度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 鹿児島県 |
市町村 | 鹿児島市 |
地域 |
吉野地域[* 1] 中央地域[* 2] |
地区 | 上町地区(中央地域)[* 2] |
面積 | |
• 合計 | 33.1 km2 |
人口 (2015年(平成27年)3月末現在) | |
• 合計 | 34,342人 |
• 密度 | 1,000人/km2 |
等時帯 | UTC+9 (JST) |
郵便番号 |
892-0871(吉野町) 892-0877(吉野1・2丁目) |
市外局番 | 099 |
ナンバープレート | 鹿児島 |
吉野(よしの Yoshino)は鹿児島県鹿児島市の町名。旧薩摩国鹿児島郡鹿児島近在吉野村及び大隅国始羅郡帖佐郷脇元村の一部[* 3]、鹿児島郡吉野村大字吉野の一部[* 4]。
吉野一丁目、吉野二丁目及び吉野町があり、吉野一丁目及び吉野二丁目の全域で住居表示を実施している[1]。郵便番号は吉野町の区域は892-0871、吉野一丁目及び吉野二丁目の区域は892-0877である。2015年3月末現在の人口は34,342人、世帯数は13,267世帯[2]。2014年現在で吉野町単独の人口が3万人を超えており、群を抜いて最も鹿児島市で人口が多い町丁である[* 5][3]。2012年1月現在の町域の面積は約3,310ha[* 6]である[4]。
江戸時代末期には薩摩藩藩主島津斉彬によって磯地区にアジア地域初となる近代化洋式工場群として製鉄、紡績、造船等の近代洋式工場群が建設された。薩英戦争後に建設された集成館事業の中核を担った旧集成館(旧集成館反射炉跡、旧集成館機械工場、旧鹿児島紡績所技師館)及び、集成館事業で使用する木炭を生産していた寺山地区にある寺山炭窯跡が、下田町にある関吉の疎水溝とともに、2015年7月の第39回世界遺産委員会において、「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成資産の一部として世界文化遺産に登録されている[5]。
また、1989年10月21日に発見された小惑星の『吉野』は、発見者の一人である向井優が鹿児島市吉野町出身であることから、町名より命名された[6][7]。
地理
鹿児島市の北東部、稲荷川上流域に位置している。町域の北方には鹿児島市川上町、鹿児島市宮之浦町、姶良市脇元、南方には鹿児島市清水町、祇園之洲町、大明丘、東坂元、西方には鹿児島市坂元町、下田町がそれぞれ隣接しており、東方から南方にかけては鹿児島湾に面している。
町域の東部にあたる海岸部を国道10号がほぼ南北に通っており、それに沿って日豊本線が通っている。町域内には竜ヶ水駅が所在している。また、町域の中央部の台地上を鹿児島県道16号鹿児島吉田線が縦貫しており[8]、吉野支所入口交差点から鹿児島県道215号吉野公園線が寺山公園までを結んでおり、寺山公園付近から川上町までを鹿児島県道220号寺山公園線が結んでいる。
教育施設は中央部に鹿児島市立吉野小学校、鹿児島市立吉野中学校、東部に鹿児島市立吉野東小学校、鹿児島市立吉野東中学校、吉野一丁目に鹿児島県立鹿児島養護学校が設置されている。北東部には鹿児島市立少年自然の家がある。また、1970年までは磯から平松までの国道10号沿線区間及び上ノ原集落を通学区域とする鹿児島市立龍水小学校が竜ヶ水駅付近に所在していたが、清水小学校及び吉野小学校にそれぞれ統合された[9][10]。
また、江戸期には鹿児島城下と大隅・日向を結ぶ薩摩街道の大隅路があり、現在の国道10号のルートの一部となる海岸ルートが完成するまでは姶良より白銀坂、吉田、吉野を通り坂元から皷川へ抜けるルートが使用されていた[11]。
行政施設としては、鹿児島市役所吉野支所があり、旧吉野村の区域のうち吉野町の磯、花倉、三船、竜ヶ水及び平松地区を除く区域を管轄区域としている[12]。
土地の利用状況
吉野台地
吉野町の大部分を占める吉野台地は、標高約150mから350mにあるシラス台地となっている[14]。吉野町では古くから鹿児島市街地への野菜や花木などの供給地となっており、町域の中央部から北部にかけて広がる吉野台地上の耕地の多くは畑地が占めている[15]。
農業の形態としては都市型農業が営まれており、軟弱野菜を中心に鉢物の栽培のほか、造園業も盛んである[16]。春期と秋季に甲突川沿岸で開催されている木市は、仙巌園の庭園整備を行っていた吉野村の職人が街角で植木を販売したのが起源と言われている[17]。
また、鹿児島市郊外の住宅地としてかつて吉野町の一部であった隣接する大明丘団地をはじめとして多くの住宅団地が建設されている[14]。
土地区画整理事業
吉野町の北西部では1992年(平成4年)から2022年にかけて吉野町の北部と隣接する川上町の一部及び西部と隣接する下田町の一部を含む114.1haの区域にて吉野地区土地区画整理事業が行われており[18]、道路の拡幅及び区画整理が実施されている[19][4]。この区域には鹿児島市役所吉野支所や教育施設などが所在している。2015年(平成27年)2月2日に事業区域の一部で換地処分が行われ、同時に吉野一丁目、吉野二丁目が設置されている[20]。
また、吉野地区土地区画整理事業に続いて、吉野第二地区土地区画整理事業の都市計画決定が2014年(平成26年)2月25日に告示され[21]、吉野中学校以南の県道16号沿線の土地区画整理事業に着手する予定である[22]。
地区名 | 面積 | 期間 | 事業費 |
---|---|---|---|
吉野 | 114.1ha | 1987年 - (昭和62年度 - ) |
約601億円 |
吉野第二 | 66.5ha | 2014年 - (平成27年度 - ) |
計画中 |
錦江湾沿岸地区
この節では吉野町のうち、錦江湾沿岸部にある平松・竜ヶ水・三船・花倉・磯について述べる。
東部の吉野台地の崖下にあたる区域には海岸に沿って国道10号及び日豊本線が並行して通り、その付近に平成5年8月豪雨(8・6豪雨)で土石流被害にあった竜ヶ水地区や花倉(けくら)地区などの集落が点在している。8・6豪雨後には住民の多くが他の地域へ移転し、竜ヶ水駅の利用者も激減しており[24]、2015年度の年間乗降客数は約1,000人となっている[25]。
南部には仙巌園や尚古集成館、磯海水浴場などがある磯地区がある[8]。
行政の管轄区域
吉野町の行政の管轄区域は、鹿児島市役所本庁が海岸部の磯、花倉、三船、竜ヶ水及び平松地区を管轄し、その他の吉野町の区域は吉野町にある鹿児島市役所吉野支所の管轄区域となる[12]。
また、鹿児島市が策定した「第五次総合計画」における地域区分でも同様に鹿児島市役所本庁の管轄区域となっている吉野町の磯、花倉、三船、竜ヶ水、平松の各地区は「中央地域上町地区」、その他の区域の吉野町は「吉野地域」となっている[26]。
地価
2014年(平成26年)1月1日の公示地価によれば、下記の吉野町の住宅地における地価は次の通りである[27]。
- 国土交通省
-
- 吉野町731-2(鹿児島-7) : 4万1300円/m2
- 吉野町3037-10外(鹿児島-52) : 6万2400円/m2
- 鹿児島県
-
- 吉野町8640-27(鹿児島-1) : 3万3200円/m2
- 吉野町3355-226外(鹿児島-2) : 4万7000円/m2
歴史
先史時代
現在の吉野町の区域では縄文期のものと見られる遺跡が見つかっており、上ノ原の石郷遺跡は1915年(大正4年)に発掘されたもので、縄文早期、中期、後期のものと見られ、発掘された土器は市来式、石坂式、阿高式、岩崎上層式、指宿式、鐘崎式、草野式がある。また住居跡も発見されている。
七社の七社遺跡では黒川式が発掘され、前平の前平遺跡ではここで発掘された土器が標式となり前平式土器と名付けられた[28]。
弥生期のものとしては、石郷の縄文期の石郷遺跡に隣接して石郷遺跡があり、弥生後期のものと見られる遺物が発見されている。また、雀ケ宮遺跡でも後期のものと見られる遺物が散布している[29]。
吉野の成立
吉野という地名は戦国期より見え、薩摩国のうちであった。吉野という地名は「山本氏日記」の弘治元年8月27日の項目にある記述が初見であると考えられ、その他にも「上井覚兼日記」に記述が多く見える[30]。
近世の吉野村
江戸期には薩摩国鹿児島郡鹿児島近在のうちであり、鹿児島近在の区分では遠村に含まれた。なお、鹿児島近在は天明4年までは近村と呼ばれていた[31]。村高(石高)は寛文4年の「郡村高辻帳」では854石余、「三州御治世要覧」では963石余[32]、「天保郷帳」には854石余、「旧高旧領取調帳」には1,360石余であったと記載されている[30]。
万治年間に島津光久が大磯に鹿児島城の別館を設け、その別館を仙巌園と名づけた。吉田・重富・帖佐にかかる付近には吉野馬牧があり、約400馬が放牧されていた[30]。吉野馬牧では慶長頃より原で藩庁主催の吉野の馬追いが行われていた。吉野の原に放牧されていた馬の群れを役員など百名が横隊となり鶴翼を作り、中に包み下方のオロと呼ばれるものに追い込むものであった[33]。
1851年に島津斉彬が薩摩藩当主に就任すると磯地区にアジア地域初となる製鉄、紡績、造船等の近代洋式工場群が建設された。1858年に島津斉彬が死去し、その後一時は規模を縮小するが、1863年に勃発した薩英戦争後に集成館機械工場や、日本初の紡績所である鹿児島紡績所が建造された[34]。
慶応3年頃は吉野村には実方、帯迫、菖蒲谷、中町、中別府、雀ヶ宮、七社の七つの方限があった。江戸時代初期頃より竜ヶ水地区は大隅国帖佐郷(外城)脇元村(現在の姶良市脇元)の飛地であった。脇元村自体は大隅国に属していたが、飛地であった竜ヶ水地区は薩摩国に属していた[35]。竜ヶ水地区は明治までに吉野村に編入されている[32]。
安永8年には吉野薬園と呼ばれる薬園が現在の吉野小学校の場所に設置され、70種類の薬草を生産していたが、後に行われた廃藩置県により薬園は廃止され、跡地は私学校の分校となったが西南戦争後に私学校は廃止され、小学校が設置された[36]。
明治4年には廃藩置県が行われ、吉野村は薩摩藩から鹿児島県管下となった。また廃藩置県により失業した士族の士族授産のために西郷隆盛が吉野村を開墾すべく吉野開墾社を作り開墾が行われた[37]。
明治期には村内に町村制施行まで戸長役場が置かれ、町村制施行後は戸長役場は吉野村役場となった[30]。
近代の吉野
1889年(明治22年)に町村制が施行されたのに伴い、鹿児島近在のうち5村(吉野村、坂元村、下田村、川上村、岡之原村)より吉野村が成立し、それまでの吉野村は吉野村の大字「吉野」となり、同時に坂元村の区域を編入した[30]。
1901年(明治34年)6月10日に鹿児島本線(現在の日豊本線)の国分駅(現在の隼人駅)から鹿児島駅までが開通し、大字吉野の区域には駅が設置されなかったが、線路が海岸線沿いを通ることとなった[38]。1915年(大正4年)8月7日に、竜ヶ水地区に竜ヶ水駅が設置された[39]。
1934年(昭和9年)8月1日には吉野村が鹿児島市へ編入され[40]、「 鹿兒島市内大字名廢止町名改稱竝ニ區域變更」(昭和9年鹿児島県告示第334号)により大字吉野を廃し、その区域を以て鹿児島市の町名「吉野町」が新たに設置された[41]。その際、町村制施行と同時に大字吉野に編入した坂元村の区域から坂元町が設置された[30]。
第二次世界大戦前には伊敷村に本部が置かれた大日本帝国陸軍歩兵第四十五連隊の演習場が吉野と花棚の境界上付近に展開されており、第二次世界大戦中には上花棚の区域まで拡大された[42]。
現代の吉野
1986年(昭和61年)2月9日に吉野町のうち大明ヶ丘団地として造成された区域に住居表示が実施されるのに伴い町名整理が行われ、吉野町の一部より分割され大明丘一丁目から大明丘三丁目が設置された[43][44]。
翌年の1987年(昭和62年)には吉野町北部を区域とする吉野地区土地区画整理事業の都市計画決定が告示され、1992年(平成4年)に事業に着手した。吉野地区については2022年までの事業完了を予定している[19]。
1993年(平成5年)8月6日に発生した平成5年8月豪雨(8.6豪雨)では吉野町の錦江湾沿岸部にある磯地区、花倉地区、竜ヶ水地区を通る国道10号及び日豊本線沿線で29か所の崖崩れが発生したことにより甚大な被害を受けた[45][46]。
竜ヶ水駅付近では周囲の地域における土石流などにより鉄道、道路共に完全に孤立し、国道10号を通行中であった自動車約800台に乗車していた者と竜ヶ水駅に停車中であった列車の乗客の合わせて約2,500名が取り残された。また、姶良郡溝辺町(現在の霧島市溝辺地域)にある鹿児島空港から鹿児島市内の鹿児島県庁に向かっていた当時の鹿児島県知事である土屋佳照も竜ヶ水で孤立した自動車に乗車しており、災害対策本部に対して船による救助を車載電話で指示している[47]。
竜ヶ水駅の北方向にある斜面が崩壊、これによって発生した土石流が竜ヶ水駅に直撃したことにより完全に孤立したほか、竜ヶ水駅の南方向にある国道10号付近に居合わせた警察官及び竜ヶ水駅で孤立した列車の乗務員の指示により避難していた約2,500名のうちの一部に土石流が直撃し、海に投げ出されたが、取り残された者と共に鹿児島港と桜島港を結ぶ桜島町営(現在は鹿児島市船舶部)の桜島フェリーや漁船などにより救出された[48][49][50]。なお、竜ヶ水駅に停車中の列車内に留まっていた乗客3名が列車に前述の土石流が直撃したことにより死亡している。
また、花倉(けくら)地区では集落を土石流が直撃し花倉病院に入院していた患者9名と花倉地区の住民6名の合わせて15名が死亡した[51][52]。これらの被害を受けた竜ヶ水地区や花倉地区など付近の海岸沿いを通る国道10号や日豊本線は土石流により壊滅的な被害を受けた[53]。
災害後、住民は鹿児島市内の学校に避難した後、花倉地区に戻らず、市営住宅に入居した住民も多く、花倉地区の人口は水害発生以前は約200人であったのに対して水害後は60人程度に減少した[52]。
2015年(平成27年)2月2日に吉野第一地区区画整理事業の事業区域の一部で住居表示が実施されるのに伴い、吉野町、川上町及び下田町の各一部の区域で町名整理が行われ、吉野一丁目及び、吉野二丁目が新たに設置された[20]。
同年7月には磯地区にある国の指定重要文化財及び国の史跡である「旧集成館」(旧集成館反射炉跡、旧集成館機械工場、旧鹿児島紡績所技師館)及び、寺山地区にある国の史跡「寺山炭窯跡」が「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成資産の一つとして、世界文化遺産に登録された[5]。
沿革
- 弘治元年8月27日 - 「山本氏日記」に吉野という地名が見える。
- 安永8年 - 薩摩藩が吉野薬園を設置。
- 江戸時代から明治時代 - 竜ヶ水地区を大隅国帖佐郷脇元村から編入。
- 明治4年 - 廃藩置県により吉野村は鹿児島県に属す。
- 1889年(明治22年) - 町村制施行により、吉野村が成立。同時に旧吉野村と坂元村を合併し、吉野村大字吉野となる。
- 1934年(昭和9年) - 吉野村が鹿児島市に編入され、鹿児島市吉野町となる。同時に旧坂元村を分離(坂元町となる)。
- 1986年(昭和61年) - 吉野町の一部より大明丘一丁目から大明丘三丁目が分離する。
- 2015年(平成27年) - 吉野町、川上町、下田町の一部より吉野一丁目及び吉野二丁目が設置される。
町域の変遷
実施後 | 実施年 | 実施前 |
---|---|---|
吉野村大字吉野 | 1889年(明治22年) | 鹿児島郡吉野村(藩政村) |
鹿児島郡坂元村(藩政村) | ||
鹿児島市吉野町 | 1934年(昭和9年) | 吉野村大字吉野 |
鹿児島市坂元町 | ||
大明丘一丁目から大明丘三丁目 | 1986年(昭和61年) | 吉野町の一部 |
吉野一丁目及び吉野二丁目 | 2015年(平成27年) | 川上町、下田町及び吉野町の各一部 |
人口
区域別人口
以下の表は2015年3月末現在の吉野の各区域の人口一覧である[2]。
町名 | 人口 | 世帯数 |
---|---|---|
吉野町 | 32,071 | 12,280 |
吉野一丁目 | 1,115 | 482 |
吉野二丁目 | 2,280 | 505 |
計 | 34,342 | 13,267 |
人口の変遷
年 | 人口 | 世帯数 | 出典 |
---|---|---|---|
明治初期(15~17年) | 4,396 | 1,244 | [30] |
1960年(昭和35年) | 10,503 | 不明 | [15] |
1965年(昭和40年) | 11,054 | 不明 | [15] |
1970年(昭和45年) | 17,331 | 不明 | [15] |
1979年(昭和54年) | 27,733 | 不明 | [15] |
1990年(平成2年) | 24,974 | 7,833 | [54] |
1995年(平成7年) | 27,850 | 9,162 | [54] |
2000年(平成12年) | 30,355 | 11,511 | [55] |
2005年(平成17年) | 31,628 | 12,692 | [56] |
2010年(平成22年) | 32,214 | 13,510 | [57] |
2015年(平成27年) | 34,342 | 13,267 | [2] |
史跡
吉野に所在する史跡は薩摩藩主島津氏の別邸(仙巌園)があった磯地区に特に多く、国の史跡名勝天然記念物に指定されている仙巌園や、国の重要文化財に指定されている集成館事業により建設された旧集成館や旧鹿児島紡績所技師館など日本の近代化において大きな影響を与えた建造物が多く所在している。
ユネスコの世界文化遺産に2015年7月に行われた第39回世界遺産委員会において登録された[58]、「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成資産には吉野町にある旧集成館反射炉跡、旧集成館機械工場、旧鹿児島紡績所技師館、寺山炭窯跡が含まれている他に、隣接する下田町にある関吉の疎水溝も構成資産に含まれている[59][5]。
世界文化遺産
- 明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業 エリア2 鹿児島
- 登録年:2015年(第39回世界遺産委員会)
- 旧集成館
-
旧集成館機械工場
-
旧鹿児島紡績所技師館
-
旧集成館反射炉跡
-
寺山炭窯跡
国指定文化財
この節では上記の世界文化遺産で記載された国指定文化財は割愛する。
- 名勝
- 史跡
- 建造物関係
-
- 磯珈琲館(旧芹ヶ野島津家金山鉱業事業所)
- 磯工芸館(旧島津家吉野殖林所)
- 仙巌園内濾過池
- キイレツチトリモチ産地
- 歴史資料関係
- 工芸品関係
-
- 太刀 銘 備前國住運次 一口
- 赤糸威鎧 兜・大袖・杏葉付 一領
市指定文化財
- 心岳寺跡 - 市指定記念物(史跡)
その他の史跡
- 西郷隆盛蘇生の家
小・中学校の学区
市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる[88]。該当地区の詳細の街区・番地は鹿児島市公式サイトの小・中学校の校区表を参照のこと。
町丁 | 地区 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|---|
吉野町 | 天神山団地、実方、早馬バス停以南 | 鹿児島市立大明丘小学校 | 鹿児島市立吉野中学校 |
中別府、中ノ町、よしの台、七社、上之原、東菖蒲谷、西菖蒲谷 | 鹿児島市立吉野東小学校 | 鹿児島市立吉野東中学校 | |
鳥越トンネル上、磯、花倉、三船、竜ヶ水、平松 | 鹿児島市立清水小学校 | 鹿児島市立清水中学校 | |
上記地域以外 | 鹿児島市立吉野小学校 | 鹿児島市立吉野中学校 | |
吉野一丁目 | 1番 - 42番の全域、43番・45番の一部 | ||
44番の全域、43番・45番の一部 | 鹿児島市立川上小学校 | ||
吉野二丁目 | 全域 |
交通
道路
- 国道
-
- 国道10号
- 錦江湾の海岸沿いを日豊本線と並走して通っている。鹿児島市と姶良市等を結ぶ幹線道路であることから渋滞が深刻である[89]。鹿児島市境から花倉までは片側2車線の4車線道路となっているが、その他の区間は道幅が狭小となっている区間があり、吉野町花倉から小川町までの区間を結ぶ鹿児島北バイパスが事業化されているが[90]、世界文化遺産に登録されている「集成館」、国の名勝に指定されている「仙巌園」などが建設予定地の沿線に存在することから、世界文化遺産登録時に国が国際連合教育科学文化機関(ユネスコ)へ提出した推薦書においても景観に配慮したルートの検討を求められていると記載された[91]。景観上の問題と共に津波対策の必要性から山岳ルートの採用が決定した[92]。また、吉野町上ノ村から姶良市脇元までの区間の4車線化拡幅工事が白浜拡幅として事業化されている[93]
- 国道10号
- 県道
-
- 鹿児島県道16号鹿児島吉田線
- 鹿児島県道209号帯迫下田線
- 県道16号の吉野町帯迫中央交差点を起点とし隣接する下田町の県道25号までを結ぶ一般県道。
- 鹿児島県道215号吉野公園線
- 鹿児島市稲荷町を起点(県道16号と重複)とし、県道16号の吉野支所入口交差点から吉野公園付近を通り、東部の寺山公園付近までを結ぶ一般県道。
- 鹿児島県道220号寺山公園線
- 吉野町東部の寺山公園を起点とし、吉野町の北部を通り、隣接する川上町の川上町上花棚交差点を経て、鹿児島市宮之浦町(県道16号と重複)までを結ぶ一般県道。
鉄道
施設
この節では上記の史跡及び交通の節で記載された施設は割愛する。
公共施設
- 鹿児島市役所吉野支所
- 北部保健センター(2007年10月1日開所[95])
- 鹿児島大学教育学部寺山自然教育研究施設
- 地方卸売市場鹿児島花市場
- 鹿児島市立少年自然の家
- 鹿児島中央警察署吉野交番
- 鹿児島中央警察署春日交番磯連絡所
- 鹿児島県立吉野公園
- 寺山公園
- 寺山ふれあい公園(2000年3月開園[96])
- 御召覧公園
- 磯山公園(仙巌園敷地)
- 磯海水浴場
郵便局
- 鹿児島吉野郵便局
- 鹿児島菖蒲谷郵便局
- 鹿児島七社簡易郵便局
-
鹿児島吉野郵便局
-
鹿児島菖蒲谷郵便局
-
鹿児島七社簡易郵便局
宗教施設
仏閣
神社
- 原五社神社
- 七社神社
- 享保2年に七社集落の鎮護の神として勧請され、大己貴神を祀る[101]。
- 鶴嶺神社
- 仙巌園の中に鎮座する神社であり、島津氏の先祖や家臣等を祀る為に明治2年(1869年)に創建された神社である[102]。
- 菅原神社(別名:磯天神)
- 平松神社
- 白山姫神社
- 実方神社
- 照日神社
- 日輪照大神神社
- 三船神社
教育施設
- 小学校
- 特別支援学校
-
鹿児島県立鹿児島養護学校
- 幼稚園等
-
- 吉野幼稚園
- 錦ヶ丘幼稚園
- 吉野保育園
- ほぴあこども保育園
- 滝の神保育園
- 錦ヶ丘保育園
- 教恵保育園
出身人物
- 近世
-
桐野利秋
-
別府晋介
-
川上操六
-
島津忠重
- 近現代
脚注
注釈
出典
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参考文献
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- 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典 46 鹿児島県』角川書店、1983年。ISBN 978-4040014609。
- 豊増哲雄『古地図に見る かごしまの町』春苑堂出版、1996年。ISBN 4-915-09337-9。
- 『日本歴史地名体系 47 鹿児島県の地名』平凡社、1998年。ISBN 4-582-49047-6。
- 廣井脩 (1996), 1993年鹿児島水害における災害情報の伝達と住民の対応
関連項目
座標: 北緯31度38分20.6秒 東経130度33分36.7秒 / 北緯31.639056度 東経130.560194度