下伊敷
下伊敷 | |
---|---|
町丁 | |
北緯31度37分28秒 東経130度32分39秒 / 北緯31.624472度 東経130.544056度座標: 北緯31度37分28秒 東経130度32分39秒 / 北緯31.624472度 東経130.544056度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 鹿児島県 |
市町村 | 鹿児島市 |
地域 | 伊敷地域 |
人口情報(2020年(令和2年)4月1日現在) | |
人口 | 7,644 人 |
世帯数 | 3,871 世帯 |
郵便番号 | 890-0005 |
市外局番 | 099 |
ナンバープレート | 鹿児島 |
町字ID[1] |
0076000(下伊敷町) 0075001(一丁目) 0075002(二丁目) 0075003(三丁目) |
運輸局住所コード[2] |
46500-0646[注釈 1] 46500-1497[注釈 2] |
ウィキポータル 日本の町・字 ウィキポータル 鹿児島県 ウィキプロジェクト 日本の町・字 |
下伊敷(しもいしき[3])は、鹿児島県鹿児島市の町丁[4]。旧薩摩国鹿児島郡鹿児島近在下伊敷村、鹿児島郡伊敷村大字下伊敷。下伊敷一丁目から下伊敷三丁目及び下伊敷町があり、下伊敷一丁目から下伊敷三丁目では住居表示を実施している[5]。郵便番号は下伊敷は890-0005[6]、下伊敷町は890-0004[7]。人口は7,644人、世帯数は3,871世帯(2020年4月1日現在)[8]。
地理
[編集]鹿児島市北部、甲突川中流域に位置している[4]。甲突川及び支流の山崎川・幸加木川が合流しており、川が浸食したことによって形成された平地である[9]。町域の北方には伊敷、伊敷台、南方には草牟田町、草牟田、西方には玉里団地、若葉町、東方には小野にそれぞれ接している。
西部には南北に国道3号が通り、北部には東西に横断して鹿児島県道208号坂元伊敷線が通っている。主に住宅街であるが、伊敷地域など鹿児島市の北西部の中心街となっており国道3号沿いには商店などの商業施設もある。
明治時代後期から第二次世界大戦終戦まで大日本帝国陸軍の第6師団歩兵第45連隊の連隊本部が置かれていた[10]。連隊の跡地は現在の鹿児島市立玉江小学校から鹿児島県立短期大学付近にあたり、鹿児島県立短期大学の正門は第45連隊の営門として使用されていたものである[11]。
自然環境保護地区
[編集]下伊敷二丁目の一部にあたる愛宕山に隣接する常緑広葉樹林(23,025平方メートル)の区域が鹿児島市条例に基づく自然環境保護地区に指定されている[12]。
河川
[編集]- 甲突川
- 山崎川
歴史
[編集]下伊敷の成立と中世
[編集]古くは伊敷として上伊敷(現在の伊敷)と共に一つの村であったが、南北朝時代頃に伊敷村は上下に分割されたとされている[9]。
下伊敷という地名は室町時代より見え、薩摩国鹿児島郡のうちであった[4]。文明5年(1473年)の田代肥前入道清定書状に見えるのが下伊敷という地名の初見であるとされる[4]。
近世の下伊敷
[編集]江戸時代には薩摩国鹿児島郡鹿児島近在のうちであった[4]。鹿児島近在のうちでは「近名」と区分された[13]。村高は「天保郷帳」では1,222石余[4]、「郡村高辻帳」では1,322石余[9]、「三州御治世要覧」では1,459石余[9]、「旧高旧領取調帳」では1,587石余であった[4][注釈 3]。
下伊敷村にある年之宮(現在の伊邇色神社)について薩摩藩の地誌である三国名勝図会には以下のように記載されている[4][14]。また、伊敷の地名は伊邇色神に由来するとされるが、「鹿児島市史」は他説がありこの説には従いがたいとしている[15]。
下伊敷村にあり、妙谷寺山の後に丁る、奉祀一坐、傳へて上古より此伊敷村に就て由ある神と稱ず、按ずるに三代實録曰、貞觀二年、三月廿日、庚午、薩摩國正六位上伊爾色神、授従五位下、是當社の神にして、古事記所謂印色入彦命、書紀所謂五十瓊敷入彦命なるべし、其然りとする所以は、則ち當所を伊敷といふもの、盖し此神に縁て出るの名にて、伊爾色の轉なるのみ、固より 垂仁帝の時、池を諸國に鑿り、以て畎澮に灌く、即ち印色命は、帝第二の皇子にて、専らこれを掌り、新墾を勤めて大に功を年穀に著はす、今此地左右皆水田あり、亦當時の開荒に係れる故、命を祭りて之を地名に存じ、其有年の徳澤を以て、年の宮と稱ぜし、推して知るべし、夫れ天下の農事は、古先賢哲、知力を竭し、蒼生を救ふの術にして、今數千百歳の後に至り、世々粒食の賜を受ざるはなし、於戯其諠るべからず、例祭九月廿八日、社司前田幸麿、
—三国名勝図会第三巻
1871年(明治4年)に鹿児島郡鹿児島近在草牟田村が下伊敷村に編入された[16][17]。
町村制施行から鹿児島市編入まで
[編集]1889年(明治22年)4月1日に町村制が施行されたのに伴い、鹿児島近在のうち上伊敷村、下伊敷村、小野村、犬迫村、小山田村、皆房村、比志島村の区域より鹿児島郡伊敷村が成立した。下伊敷村は伊敷村の大字「下伊敷」となった[4]。1892年(明治25年)には国道(現・国道3号)が開通し、交通の要所としても発展した[4]。
1898年(明治31年)には大日本帝国陸軍第6師団の歩兵連隊である歩兵第45連隊が熊本から伊敷村大字下伊敷に移転し連隊本部が置かれた[18]。1901年(明治34年)には大日本帝国陸軍の病院が設置された[19]。
1911年(明治44年)9月30日に鹿児島郡伊敷村大字下伊敷の小字宮ノ下、二月田、宇都、丸山、夏蔭ノ宇都、夏蔭、丸山外園、十月田、荒巻、上古川、柳田古川、外戸口、郷田、椎木山、前之谷下、松ヶ平、堤ヶ宇都、前谷上、後ヶ宇都、萬助ヶ宇都、猟師馬場、眞迫、北山迫、下之門、御舟崎、入舟、内屋敷、屋敷添、下川原、柵川原、屋敷内、柳田、大坪、中川原、上川原の区域が鹿児島市に編入され[20][21][22]、その区域を以て鹿児島市草牟田町が設置された[17][23]。
1920年(大正9年)10月1日に鹿児島郡伊敷村大字下伊敷の紙屋谷地区にあたる小字紙屋谷、帆掛田、前田、玉里、後ノ田が鹿児島市に編入された[24][25][26]。編入された区域は5年後となる1925年(大正14年)8月に玉里町として設置された[27]。
第二次世界大戦終戦後は、兵舎の一部が外地引揚者の宿所となり、その後生活保護法による宿所提供施設となったが、1963年(昭和38年)に郡元町に移転した[28][29]。1948年(昭和23年)3月7日には下伊敷666番地に警察法の規定による自治体警察である伊敷村警察の警察署が置かれた[30]。伊敷村警察は1950年(昭和25年)の鹿児島市編入により鹿児島市警察の管轄下となった[31]。
鹿児島市編入以降
[編集]1950年(昭和25年)10月1日には、伊敷村が鹿児島郡東桜島村とともに鹿児島市に編入された[32][33]。これに伴い、同年10月18日に鹿児島県公報に掲載された鹿児島県の告示である「 鹿兒島市の一部大字の變更」により、伊敷村が鹿児島市に編入された10月1日に大字下伊敷の区域を以て新たに鹿児島市の町「下伊敷町」が設置された[34][35][4]。
1959年(昭和34年)4月10日には鹿児島市電伊敷線のうち下伊敷電停から伊敷電停までの間が開通した[36]。
1977年(昭和52年)1月20日に下伊敷町の一部が坂元町に編入された[37]。翌年1978年(昭和53年)6月19日には、玉里町、下伊敷町、坂元町の各一部にあたる玉里団地地区(玉里団地・若葉台団地)において住居表示を実施することとなり町域の再編が行われた[38]。下伊敷町・玉里町の各一部より玉里団地一丁目、下伊敷町・坂元町の各一部より玉里団地二丁目、下伊敷町の一部より玉里団地三丁目が新たに設置され[39][25][38]、下伊敷町の一部より分割され若葉町が新たに設置された[39][40][38]。
1984年(昭和59年)1月30日に上之原団地、冷水団地において住居表示が実施されることとなった。それに伴い、町の区域の再編が実施されることとなり坂元町、冷水町及び下伊敷町の各一部より分割され西坂元町が設置された[41][42]。
1995年(平成7年)2月13日には下伊敷地区において住居表示が実施されることとなり[43]、下伊敷町の一部より「下伊敷一丁目」、「下伊敷二丁目」、「下伊敷三丁目」が設置された[44]。また下伊敷一丁目から下伊敷三丁目までの区域で住居表示が実施された[43]。同年10月5日には下伊敷町の一部が伊敷町に編入された[45]。
2002年(平成14年)11月18日に伊敷ニュータウン地区において住居表示が実施されることとなったのに伴い[46]、伊敷町及び下伊敷町の一部より分割され、伊敷台一丁目、伊敷台二丁目、伊敷台三丁目、伊敷台四丁目、伊敷台五丁目、伊敷台六丁目が設置された[47][48]。2005年(平成17年)2月7日には明ヶ窪地区において住居表示が実施されることとなったのに伴い[46]、下田町及び下伊敷町の一部より伊敷台七丁目が設置された[49]。
町・字域の変遷
[編集]変更後 | 変更年 | 変更前 |
---|---|---|
鹿児島市草牟田町(新設) | 1911年(明治44年) | 伊敷村大字下伊敷(一部) |
鹿児島市紙屋谷地区[注釈 4] | 1920年(大正9年) | |
坂元町(編入) | 1977年(昭和52年) | 下伊敷町(一部) |
玉里団地一丁目(新設) | 1978年(昭和53年) | 下伊敷町(一部) |
玉里町(一部) | ||
玉里団地二丁目(新設) | 下伊敷町(一部) | |
坂元町(一部) | ||
玉里団地三丁目(新設) | 下伊敷町(一部) | |
若葉町(新設) | 下伊敷町(一部) | |
西坂元町(新設) | 1984年(昭和59年) | 坂元町(一部) |
冷水町(一部) | ||
下伊敷町(一部) | ||
下伊敷一丁目(新設) | 1995年(平成7年) | 下伊敷町(一部) |
下伊敷二丁目(新設) | ||
下伊敷三丁目(新設) | ||
伊敷町(編入) | ||
伊敷台一丁目(新設) | 2002年(平成14年) | 伊敷町(一部) |
下伊敷町(一部) | ||
伊敷台二丁目(新設) | 伊敷町(一部) | |
下伊敷町(一部) | ||
伊敷台三丁目(新設) | 伊敷町(一部) | |
下伊敷町(一部) | ||
伊敷台四丁目(新設) | 伊敷町(一部) | |
下伊敷町(一部) | ||
伊敷台五丁目(新設) | 伊敷町(一部) | |
下伊敷町(一部) | ||
伊敷台六丁目(新設) | 伊敷町(一部) | |
下伊敷町(一部) | ||
伊敷台七丁目(新設) | 2005年(平成17年) | 下田町(一部) |
下伊敷町(一部) |
人口
[編集]町丁別
[編集]世帯数 | 人口 | |
---|---|---|
下伊敷一丁目 | 1,457 | 2,800 |
下伊敷二丁目 | 962 | 1,859 |
下伊敷三丁目 | 1,414 | 2,920 |
下伊敷町 | 38 | 65 |
国勢調査
[編集]以下の表は国勢調査による小地域集計が開始された1995年以降の人口の推移である。
年 | 人口 |
---|---|
1995年(平成7年)[50] | 9,689
|
2000年(平成12年)[51] | 9,068
|
2005年(平成17年)[52] | 8,658
|
2010年(平成22年)[53] | 8,586
|
2015年(平成27年)[54] | 8,177
|
施設
[編集]公共
[編集]教育
[編集]- 鹿児島県立短期大学[57]
- 国立病院機構鹿児島医療センター附属鹿児島看護学校[58]
- 鹿児島大学教育学部附属特別支援学校[59]
- 鹿児島県立鹿児島聾学校[60]
- 鹿児島市立伊敷中学校[61]
- 鹿児島市立玉江小学校[62]
- いにしき幼稚園[63]
郵便局
[編集]寺社
[編集]その他
[編集]教育
[編集]下伊敷には教育施設が多数所在しており、町域の南端部には鹿児島市立伊敷中学校、隣接して鹿児島大学教育学部附属特別支援学校、鹿児島市立玉江小学校、鹿児島県立短期大学、鹿児島県立鹿児島聾学校がある。
2000年(平成12年)には下伊敷に鹿児島県立開陽高等学校が設置されたが、2003年(平成15年)に上福元町(現在の西谷山一丁目)に移転した[67]。2011年(平成23年)までは鹿児島県立盲学校が所在していたが老朽化に伴い上福元町(現在の西谷山一丁目)に移転した[59]。また2011年(平成23年)3月には鹿児島県立鹿児島西高等学校と郡山町の鹿児島県立甲陵高等学校が新設統合し甲陵高等学校跡地に鹿児島県立明桜館高等学校が開校した[68]。
小・中学校の学区
[編集]市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる[69]。
町丁 | 番・番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|---|
下伊敷一丁目 | 全域 | 鹿児島市立玉江小学校 | 鹿児島市立伊敷中学校 |
下伊敷二丁目 | 31 - 34 | 鹿児島市立坂元小学校 | 鹿児島市立坂元中学校 |
その他 | 鹿児島市立玉江小学校 | 鹿児島市立伊敷中学校 | |
下伊敷三丁目 | 下記以外 | ||
70、72、76 - 89の全部と69、71の各一部 | 鹿児島市立伊敷台小学校 | 鹿児島市立伊敷台中学校 | |
下伊敷町 | 明ヶ窪 | 鹿児島市立坂元小学校 | 鹿児島市立坂元中学校 |
1532番地 | 鹿児島市立伊敷小学校 | 鹿児島市立伊敷台中学校 | |
上記以外 | 鹿児島市立伊敷台小学校 |
交通
[編集]道路
[編集]バス
[編集]高速路線バス
[編集]一般路線バス
[編集]鉄道
[編集]脚注
[編集]脚注
[編集]出典
[編集]- ^ “日本 町字マスター データセット”. デジタル庁 (2022年3月31日). 2022年4月29日閲覧。
- ^ “自動車登録関係コード検索システム”. 国土交通省. 2021年4月26日閲覧。
- ^ “鹿児島市の町名”. 鹿児島市. 2020年7月30日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 338.
- ^ “住居表示実施区域町名一覧表”. 鹿児島市 (2020年2月3日). 2020年6月28日閲覧。
- ^ “鹿児島県鹿児島市下伊敷の郵便番号”. 日本郵便. 2021年8月15日閲覧。
- ^ “鹿児島県鹿児島市下伊敷町の郵便番号”. 2021年8月15日閲覧。
- ^ a b “年齢(5歳階級)別・町丁別住民基本台帳人口(平成27~令和2年度)”. 鹿児島市 (2020年4月1日). 2020年5月8日閲覧。
- ^ a b c d e 芳即正 & 五味克夫 1998, p. 178.
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 685.
- ^ “伊敷地区”. 鹿児島市. 2021年8月15日閲覧。
- ^ 南日本新聞 2015, p. 773.
- ^ 鹿児島市史編さん委員会 1969, p. 403.
- ^ 薩摩藩 1843.
- ^ 鹿児島市史編さん委員会 1969, p. 114.
- ^ 芳即正 & 五味克夫 1998, p. 179.
- ^ a b 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 381.
- ^ 鹿児島市 1935, p. 299.
- ^ 南日本新聞 1990, p. 692.
- ^ 有田忠雄、河口貞徳、村田凞、稲葉行雄、村野守治、四本健光、紀野健一郎 1955, p. 520.
- ^ 市村の境界変更(明治44年鹿児島県告示第400号、明治44年8月4日付鹿児島県公報3151号所収、 原本)
- ^ 南日本新聞 1990, p. 818.
- ^ 木脇栄 1976, p. 102.
- ^ 鹿児島市史編さん委員会 1970, p. 783.
- ^ a b 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 422.
- ^ 市村の境界変更(大正9年鹿児島県告示第470号、大正9年9月22日付鹿児島県公報第1113号所収、 原文)
- ^ 有田忠雄、河口貞徳、村田凞、稲葉行雄、村野守治、四本健光、紀野健一郎 1955, p. 561.
- ^ 南日本新聞 1990, p. 650.
- ^ 鹿児島市史編さん委員会 1970, p. 615.
- ^ 伊敷村 1950, p. 85.
- ^ 鹿児島市史編さん委員会 1970, p. 293.
- ^ 有田忠雄、河口貞徳、村田凞、稲葉行雄、村野守治、四本健光、紀野健一郎 1955, p. 634.
- ^ 市村の廃置分合(昭和25年総理府告示第301号、昭和25年10月17日付官報所収、 原文)
- ^ 鹿兒島市の一部大字の變更(昭和25年鹿児島県告示第412号、昭和25年10月1日付鹿児島県公報第3305号所収、 原文)
- ^ “かごしま市政だより(昭和25年10月号)”. 鹿児島市 (1950年10月20日). 2021年4月16日閲覧。
- ^ 鹿児島市史編さん委員会 1970, p. 576.
- ^ 町の区域の変更(昭和52年鹿児島県告示第54号、昭和52年鹿児島県公報第7025号所収、 原文)
- ^ a b c “かごしま市民のひろば(昭和53年6月号)”. 鹿児島市 (1978年6月1日). 2020年12月27日閲覧。
- ^ a b 町の区域の新設(昭和53年鹿児島県告示第623号、昭和53年6月7日付鹿児島県公報第7229号所収)
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 665.
- ^ 昭和59年鹿児島県告示第115号(町の区域の設定及び変更、昭和59年1月30日付鹿児島県公報第8053号所収)
- ^ “かごしま市民のひろば(1984年 (昭和59年1月号) 第200号)”. 鹿児島市. p. 2. 2012年4月13日閲覧。
- ^ a b 南日本新聞 2015, p. 828.
- ^ 平成7年鹿児島県告示第253号(町の区域の設定及び変更、平成7年2月10日付鹿児島県公報第885号所収)
- ^ 平成7年鹿児島県告示第1133号(町の区域の変更、平成7月7月19日付鹿児島県公報第951号の2所収)
- ^ a b 南日本新聞 2015, p. 829.
- ^ 平成14年鹿児島県告示第1176号(町の区域の設定及び変更、鹿児島県公報平成14年10月1日付所収)
- ^ “かごしま市民のひろば(平成14年11月号)”. 鹿児島市. 2021年3月6日閲覧。
- ^ “かごしま市民のひろば(平成17年2月号)”. 鹿児島市. 2021年3月6日閲覧。
- ^ “国勢調査 / 平成7年国勢調査 小地域集計 / 小地域集計 46鹿児島県”. 総務省統計局. 2021年8月15日閲覧。
- ^ “国勢調査 / 平成12年国勢調査 / 小地域集計 46鹿児島県”. 総務省統計局. 2021年8月15日閲覧。
- ^ “国勢調査 / 平成17年国勢調査 / 小地域集計 46鹿児島県”. 総務省統計局. 2021年8月15日閲覧。
- ^ “国勢調査 / 平成22年国勢調査 / 小地域集計 46鹿児島県”. 総務省統計局. 2021年8月15日閲覧。
- ^ “国勢調査 / 平成27年国勢調査 / 小地域集計 46鹿児島県”. 総務省統計局. 2021年8月15日閲覧。
- ^ “出張所所在地”. 国土交通省九州地方整備局鹿児島国道事務所. 2021年8月15日閲覧。
- ^ “高齢者福祉センター伊敷”. 鹿児島市. 2021年8月15日閲覧。
- ^ 南日本新聞 2015, p. 972.
- ^ 南日本新聞 2015, p. 982.
- ^ a b 南日本新聞 2015, p. 963.
- ^ “交通アクセス”. 鹿児島県立鹿児島聾学校. 2021年8月15日閲覧。
- ^ 南日本新聞 2015, p. 951.
- ^ 南日本新聞 2015, p. 950.
- ^ 南日本新聞 2015, p. 942.
- ^ “鹿児島下伊敷郵便局”. 日本郵便. 2021年8月15日閲覧。
- ^ “鹿児島日当平郵便局”. 日本郵便. 2021年8月15日閲覧。
- ^ “伊邇色神社”. 鹿児島県神社庁. 2021年8月15日閲覧。
- ^ 南日本新聞 2015, p. 957.
- ^ 南日本新聞 2015, p. 957-958.
- ^ “小・中学校の校区(学区)表”. 鹿児島市役所. 2020年9月26日閲覧。
- ^ 鹿児島県 2006, p. 512.
参考文献
[編集]- 橋口兼古、五代秀堯、橋口兼柄 著、島津久光 編『三国名勝図会』薩摩藩、1843年。NDLJP:992131
- 鹿児島市『鹿児島地誌』鹿児島市、1935年。NDLJP:1223620
- 伊敷村『伊敷村誌』伊敷村役場、1950年。
- 有田忠雄、河口貞徳、村田凞、稲葉行雄、村野守治、四本健光、紀野健一郎『鹿児島のおいたち』鹿児島市、1955年。
- 鹿児島市史編さん委員会『鹿児島市史Ⅰ』 1巻、鹿児島市、1969年2月28日 。, Wikidata Q111372666
- 鹿児島市史編さん委員会『鹿児島市史Ⅱ』 2巻、鹿児島市、1970年3月25日 。, Wikidata Q111372706
- 木脇栄『かごしま市史こばなし』南日本新聞開発センター、1976年。
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会「角川日本地名大辞典 46 鹿児島県」『角川日本地名大辞典』第46巻、角川書店、日本、1983年3月1日。ISBN 978-4-04-001460-9。, Wikidata Q111291392
- 南日本新聞『鹿児島市史Ⅳ』 4巻、鹿児島市、1990年3月15日 。, Wikidata Q111372875
- 芳即正、五味克夫『日本歴史地名大系47巻 鹿児島県の地名』平凡社、1998年。ISBN 978-4582910544。
- 鹿児島県『鹿児島県史 第六巻 上巻』鹿児島県、2006年。
- 南日本新聞『鹿児島市史Ⅴ』 5巻、鹿児島市、2015年3月27日 。, Wikidata Q111372912
関連項目
[編集]小野二丁目 | 伊敷二丁目・伊敷一丁目・伊敷台一丁目・伊敷台五丁目・伊敷台六丁目 | 伊敷台六丁目 | ||
小野二丁目・小野一丁目・永吉二丁目 | 若葉町・玉里団地一丁目 | |||
下伊敷・下伊敷町 | ||||
永吉二丁目 | 草牟田町・草牟田二丁目・玉里町 | 玉里町 |