石高
石高(こくだか)とは、近世の日本において土地の生産性を石という単位で表したもの。太閤検地以降、地租改正まで約300年間、大名・旗本の収入および知行や軍役など諸役負担の基準とされ、所領の規模は面積ではなく石高で表記された。また農民に対する年貢も石高を元にして徴収された。
概要
[編集]太閤検地以後江戸時代を通じて、田畑や屋敷などの土地の価値に至るまで面積に石盛という一定の係数をかけて米の生産力に換算して石単位で表示するようになった。このような制度を石高制と言い、米以外の農作物や海産物の生産量も、米の生産量に換算されて表された。大名をはじめとする武士の所領からの収入や俸禄を表す場合も石高を用いた。特に領民の場合には「百姓高所持(ひゃくしょうだかしょじ)」、武士(特に大名)の場合には「石高知行制(こくだかちぎょうせい)」と称されることがある。明治時代の地租改正まで続いた。
一石は大人一人が一年に食べる米の量に相当することから、これを兵士たちに与える報酬とみなせば、石高×年貢率と同じだけの兵士を養えることになる。つまり石高は戦国大名の財力だけではなく兵力をも意味していた。江戸時代の軍役令によると、大名は幕府の命に応じて表高1万石あたり概ね2百人程度の軍勢(非戦闘員を含む)を動員する義務を課せられていた。ただし石高は一般に玄米の体積を元に算出するのが常であり、実際には成人男性であれば1日玄米5合、年間玄米約1.8石が標準的な扶持米として支給されていた。
なお、農民に対する年貢徴収は原則としては石高を元にしているものの、初期の検地が年貢の徴収よりも領主の領知高及びそれに基づく公儀への諸役負担を確定させることを目的としていたことや村請制のもとで重視されたのは村単位の石高(村高)であったことから、個々の農民に対する年貢徴収基準として石高が用いられるようになったのは17世紀後期以後とされている。実際に江戸時代の土地証文に石高の記載が登場するのは寛文・延宝年間が上限とされ、それ以前の農民生活において石高は身近な概念ではなかったとみられている[1]。
旧国別石高の変遷
[編集]江戸幕府開府直後の一部旧国の郡別石高・正保以降の全国の郡別石高の
以下に太閤検地高(慶長3年(1598年)の石高)、慶長郷帳記載の石高に近いと考えられる江戸時代初期高、寛永十年巡見使国絵図記載の石高、正保郷帳・元禄郷帳・天保郷帳記載の石高、地租改正直前の明治5年(1873年)の石高をまとめる。寛永以前に関しては国高、正保以降に関しては国高・郡高までを記載する。陸奥国、出羽国については領分別(ここでいう領分とは郷帳・国絵図作成のための地区分担を指し、実際の藩の所領とは異なる)と明治以降に新設された旧国(磐城国・岩代国・陸前国・陸中国・陸奥国・羽前国・羽後国)別の石高集計も記載する。一部地域では明治に至るまで貫高制が敷かれていたが、本表では奥州仙台領の正保郷帳の貫高に限り石高に換算し(高1貫文 = 高10石)、関東・東海地方の永高・金高・貫高は石高に換算しなかった(通常は高永1貫文 = 高金1両 = 高5石)[2]。なお1 石 = 10 斗 = 100 升 = 1,000 合 = 10,000 勺 = 100,000 才 (撮) = 1,000,000 毛 (弗, 扎) であり、石よりも下の桁は石を単位とする小数で示す。江戸幕府開府直後の一部旧国の郡別石高と、正保以降の全国の郡別石高については旧国郡別石高の変遷の項を参照。
太閤検地
[編集]太閤検地は天正10年(1582年)に始まり、慶長3年(1598年)まで再検地を含めて全国で実施された。文禄2年(1593年)の年次の入っている『大日本六十六国並二島絵図』、文禄3年(1594年)の石高を記載している『当代記』、慶長3年(1598年)旧暦8月の年月の入っている『日本賦税』など、国高を記載する複数の史料が知られているが、その数字にほとんど差異はなく、ほぼ同一の史料からの引用と思われる。[3]なお出羽国の石高は明らかに異常であるが、置賜郡などの上杉景勝の出羽国内領分が陸奥国の石高に加算されている可能性が指摘されている[4][5]。
慶長郷帳・国絵図
[編集]慶長9年(1604年)、江戸幕府は諸国の有力大名に郷帳と国絵図の提出を命じ、慶長15年(1610年)までに上納が完了した。しかしながら慶長郷帳・慶長国絵図の正本は現存せず、郷帳の写本は飛騨国、壱岐国、大和国の3国分、国絵図の模写は西国の11国1島分に限られており、郷帳・国絵図の提出が命じられたのは西日本のみではないかとする説もあり、慶長郷帳・国絵図製作の全容は不明な点が多い。郷帳には田畑内訳を含めた村高と物成が列記され、領知関係や、必要に応じて小物成高、寺社領高、荒地・損害等の付記が行われているが、新田高の記載はなく、使役や格式等を決める表高と内高の乖離が始まっている。本表では島原松平文庫『御当家雑記』収録「日本国知行高之覚」[6]記載の江戸時代初期高を仮に慶長郷帳高とする。「日本国知行高之覚」には出羽国高について「内拾万石上杉弾正分入」との注釈があり、上杉景勝が慶長14年(1609年)に10万石の軍役を免除されたことと関係すると思われる[4]。なお徳川所領を中心に幾つかの国で石高が減っているが、これは再検地の際に石盛が改訂されたことや、表高優先の石高を設定したことと関連する(#石高における田畑、新田高の割合参照)。また国境も頻繁に変えられており、例えば西宮市立郷土資料館蔵『慶長十年摂津国絵図』によると摂津国石高は29万0068石6斗、外に欠郡内東成6万1080石が河内国御帳入とあり、慶長年間中頃から寛永年間まで一時的に淀川以東の闕郡(住吉郡・東成郡と西成郡の一部)が河内国に編入され、正保年間前には再び摂津国所属となったことが判る[5]。
寛永十年巡見使国絵図
[編集]寛永10年(1633年)に幕府から諸国へ巡見使が派遣された際、諸国の有力大名より国絵図が徴取された。国絵図の徴収は前年の寛永9年(1632年)に突然命じられたものであったため、大部分の諸藩は慶長国絵図の写しを提出したとみられ、石高が実際に増えた国は、三河国、陸奥国、越後国、対馬国に限られる。寛永十年巡見使国絵図の正本は現存しないが、国絵図の模写は岡山大学附属図書館の池田家文庫に尾張国・播磨国の2国分を除いてほぼ完全に伝わっており、本表に寛永十年巡見使国絵図記載の石高をまとめる。[7]
正保郷帳・国絵図
[編集]正保元年(1644年)、江戸幕府は諸国の有力大名に郷帳と国絵図の提出を命じ、慶安4年(1651年)頃までには上納がほぼ完了したとみられる。正保郷帳の正本は現存しないが、郷帳の写本は副本等を含めて33国36点が残存している。正保郷帳には田畑内訳を含めた村高が列記され、領知関係や、必要に応じて小物成高、寺社領高、荒地・損害等の付記が行われている。また表高(拝領高、朱印高)に相当する本田高(本地高)の外に、新田高の併記もあるが、正保郷帳の国高・郡高はあくまでも表高を原則とする。また正保国絵図の模写も22国2点が残存しており、郡別村数、郡別・領分別石高等が記載されているが、新田高は原則として記載されていない。正保郷帳記載の本田高に新田高を加算することで内高(実高)を算出することは可能であるが、本表ではあくまでも表高の集計値を正保郷帳高として扱う。なお現存する正保郷帳分だけで新田高を合算しても100万石前後となり、表高と内高の解離がかなり進んでいたといえる[8]。また正保郷帳・国絵図が残存していない旧国については、前後に作成された郷村帳などから推計された石高を掲載しており、今後の研究により数字が変わる可能性もある。
元禄郷帳・国絵図
[編集]元禄10年(1697年)、江戸幕府は諸国の有力大名に郷帳と国絵図の提出を命じ、元禄15年(1702年)頃までには上納がほぼ完了したとみられる。元禄郷帳では記述が簡素化され、国郡村別の石高のみが記載された。元禄郷帳・元禄国絵図共に正本は現存しないが、写本・副本は多数残存している。正保郷帳と同様に石高は表高を原則とする。[6]
天保郷帳・国絵図
[編集]天保2年(1831年)、江戸幕府は諸国の有力大名に郷帳の提出を命じ、天保5年(1834年)までに上納が完了した。続いて天保6年(1835年)、国絵図の改訂を命じ、天保9年(1838年)までに上納が完了した。天保郷帳・天保国絵図の正本は全て明治政府に引き継がれ、国立公文書館に保存されている。天保郷帳を作成するに当たり、幕府は表高(拝領高)に込高、新田高、改高を加えて集計した内高(実高)の報告を要求しており、天保郷帳記載の数字は全て内高である。ただし諸藩は内高報告には極めて慎重であり、例えば長州藩では支藩を含めて防長領国の総内高を97万0941石8斗1升5合5勺1才と把握していたが、幕府には寛政4年(1792年)の内検高89万4282石1斗を報告した。また薩摩藩は表高をもって内高であるという建前を貫いているなど、天保郷帳には各藩が把握していた内検高とは異なる内高がかなり掲載されている。[6]
明治5年石高
[編集]明治6年(1873年)より大蔵省租税寮が主導となって地租改正が実施されるが、直前の明治5年(1872年)末の全国の石高の状況が各府県より租税寮に報告されている。明治初期の石高については複数の統計資料が現存するが、東京大学史料編纂所蔵『郡村石高帳』、太政官正院地誌課編『日本地誌提要』、内務省地理局『地理局雑報』、一橋大学附属図書館社会科学統計情報研究センター所蔵『明治六年国郡高反別調』、陸軍参謀局編『明治八年 共武政表』等に記載されている旧国別石高はほぼ同一であり、これらを明治5年石高としてまとめる。[9]なお同様に明治初期の石高を記載する史料として明治10年代初期に内務省地理局地誌課によってまとめられた『旧高旧領取調帳』が存在するが、この史料は廃藩置県前に各府藩県がまとめた明治3年以前の石高、廃藩置県後に政府の統一基準で各府県が算出し直した明治4年、明治5年の石高、地租改正の途中で算出し直した明治6年以降の石高など、複数の基準による石高統計が混ざっている。
享保6年田畑数
[編集]以上のほかに参考として、享保6年(1721年)に徳川吉宗の命で各地より報告された田畑の耕地面積をまとめた『町歩下組帳』記録の旧国別田畑数を本表にまとめる(同時にまとめられた人口調査については江戸時代の日本の人口統計#旧国別調査人口の変遷の項を参照)。なお面積の単位は1町 = 10 段 (反) = 100畝 = 3,000 歩 (坪) = 30,000 合 (厘) = 300,000 勺 (毛)と十進数ではない換算が含まれており、町・歩の二組の数字を掲載する(例えば山城国の田数11,405.83 11.20は1万1405町8段3畝11歩2合0勺を意味する)。
旧国 | 慶長3年石高 (1598年) |
慶長郷帳石高 (1604〜1610年) |
寛永国絵図石高 (1633年) |
正保郷帳石高 (1644〜1651年) |
元禄郷帳石高 (1697〜1702年) |
天保郷帳石高 (1831〜1834年) |
明治5年石高 (1872年) |
享保6年田数 (町・歩) (1721年) |
享保6年畑数 (町・歩) (1721年) |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
山城国 | 225,262.00 | 216,070.700 | 216,070.0 | 215,985.62170 | 224,257.78816 | 230,131.760865 | 222,368.70517 | 11,405.83 | 11.206,041.10 | 14.60
大和国 | 448,945.50 | 444,134.000 | 444,134.0 | 459,380.62460 | 500,497.30868 | 501,361.691560 | 503,686.23676 | 23,531.66 | 10.0010,677.12 | 14.00
河内国 | 242,105.80 | 308,857.620 | 308,857.0 | 264,952.34320 | 276,329.82954 | 293,786.634500 | 293,118.58720 | 15,885.61 | 12.106,484.74 | 15.50
和泉国 | 141,512.70 | 138,797.090 | 138,797.0 | 159,326.77100 | 161,692.12640 | 172,847.986000 | 176,190.77610 | 8,084.45 | 09.003,524.47 | 19.00
摂津国 | 356,069.10 | 290,902.100 | 299,902.0 | 375,478.86000 | 392,707.69987 | 417,399.127000 | 416,521.93580 | 23,193.02 | 07.009,422.50 | 11.00
伊賀国 | 100,000.00 | 95,594.100 | 95,594.0 | 100,540.00600 | 100,540.00200 | 110,096.536000 | 110,917.96640 | 6,355.15 | 19.002,382.18 | 23.00
伊勢国 | 567,105.14 | 572,786.900 | 572,786.0 | 596,334.68500 | 621,027.44200 | 716,451.492700 | 714,376.41500 | 35,276.52 | 21.3019,414.44 | 03.50
志摩国 | 17,854.91 | 17,849.300 | 17,849.0 | 19,290.32600 | 20,061.64100 | 21,470.398000 | 19,279.20300 | 1,209.56 | 20.00497.14 | 11.00
尾張国 | 571,737.40 | 480,841.700 | 480,840.0 | 526,493.51000 | 521,480.51800 | 545,875.793000 | 764,774.16620 | 27,670.67 | 16.0018,349.44 | 19.00
三河国 | 290,715.00 | 336,000.000 | 350,000.0 | 350,880.05800 | 383,413.44230 | 466,080.746800 | 472,373.71000 | 21,649.18 | 19.0019,613.72 | 08.00
遠江国 | 255,160.00 | 268,800.000 | 268,800.0 | 280,733.49000 永1690貫359文 |
328,651.43658 | 369,552.575180 | 372,546.34901 | 21,277.80 | 22.0014,715.23 | 17.00
駿河国[2] | 150,000.00 | 170,000.000 | 170,000.0 | 191,315.69100 永847貫444文 金28両3分2朱糸目半 |
237,937.40728 | 250,538.753090 | 251,954.16486 | 15,709.42 | 24.0010,917.47 | 27.00
甲斐国 | 227,616.00 | 250,000.000 | 250,000.0 | 241,662.70600 | 253,023.27103 | 312,159.329490 | 312,185.17685 貫高3貫500文 |
15,743.69 | 19.5029,351.04 | 29.50
伊豆国 | 69,832.00 | 79,353.000 | 79,353.0 | 79,653.20800 | 83,791.28235 | 84,171.293620 | 84,037.20836 | 5,040.21 | 04.703,074.59 | 27.60
相模国[2] | 194,304.00 | 191,524.000 | 191,920.0 | 220,617.74200 永1596貫742文 |
258,216.58202 永1348貫801文 |
286,719.756890 永1346貫670文 |
289,776.73197 永1122貫371文8分 |
13,385.54 | 25.0029,143.16 | 26.00
武蔵国 | 667,126.00 | 840,000.000 | 840,000.0 | 982,337.96580 | 1,167,862.98339 | 1,281,431.068820 | 1,282,000.77090 | 64,590.69 | 03.00137,278.94 | 24.00
安房国 | 45,045.00 | 91,779.120 | 91,779.0 | 92,641.68000 | 93,886.21023 | 95,736.239070 | 95,641.42350 | 5,190.88 | 06.004,206.45 | 21.00
上総国 | 378,892.00 | 285,300.000 | 285,300.0 | 351,731.00000 | 391,113.95411 | 425,080.453410 | 427,313.77094 | 25,393.65 | 06.0022,935.18 | 00.00
下総国[6] | 393,255.00 | 250,131.000 | 250,140.0 | 444,829.84200 | 568,331.11374 | 681,062.631660 | 687,373.86055 | 37,445.54 | 07.0042,717.75 | 12.00
常陸国[2] | 530,008.00 | 753,600.000 | 752,600.0 | 840,801.82890 | 903,778.45800 永21貫文 |
1,005,707.489030 永21貫文 |
921,629.15250 | 49,172.10 | 23.0066,455.41 | 02.00
近江国 | 775,379.00 | 832,122.600 | 832,120.0 | 830,616.51700 | 836,829.72078 | 853,095.305590 | 857,849.52528 | 48,533.00 | 06.0014,343.23 | 19.00
美濃国 | 540,000.00 | 581,523.000 | 581,523.0 | 609,740.99900 | 645,101.50300 | 699,764.321660 | 729,654.88365 | 33,942.91 | 22.2022,010.75 | 05.60
飛騨国 | 38,000.00 | 38,764.400 | 38,764.0 | 38,764.40000 | 44,469.21900 | 56,602.309000 | 57,196.05800 | 3,088.31 | 04.003,687.32 | 10.00
信濃国 | 408,358.00 | 547,360.000 | 547,360.0 | 544,770.33800 | 615,818.73754 | 767,788.077600 | 786,950.00098 | 27,040.17 | 07.0042,698.23 | 12.00
上野国 | 496,377.00 | 468,000.000 | 468,000.0 | 515,221.29926 | 591,834.44887 | 637,331.633100 | 635,851.10734 | 23,304.99 | 18.0064,200.07 | 04.00
下野国 | 374,083.80 | 464,000.000 | 464,000.0 | 568,733.92000 | 681,702.80146 | 769,905.027038 | 758,648.44071 | 35,580.16 | 13.0073,003.85 | 18.00
陸奥国 | 1,672,806.00 | 1,729,000.000 | 1,822,000.0 | 1,707,800.10510 | 1,921,934.88745 | 2,874,239.059880 | 3,007,005.48628 | 183,647.55 | 05.00154,102.11 | 04.00
会津領[8] | 271,397.03470 | 272,011.81600 | 337,218.127500 | 343,656.44250 | |||||
白河・三春・二本松領 | 310,528.50500 | 341,022.55885 | 434,581.248070 | 439,753.20706 | |||||
磐城・棚倉・相馬領 | 205,026.59540 | 277,935.46360 | 300,419.556810 | 328,427.89967 | |||||
米沢/福島領 | 121,186.92500 | 199,867.89900 | 203,825.844500 | 204,216.18405 | |||||
仙台領 | 654,110.88000 (貫高6万5411貫088文) |
600,000.00000 | 992,057.260000 | 994,594.59300 | |||||
南部領 | 100,550.16500 | 128,000.00000 | 288,874.793000 | 355,370.11100 | |||||
津軽領 | 45,000.00000 | 103,097.15000 | 317,262.230000 | 340,987.04900 | |||||
磐城国 | 436,895.62040 | 517,082.53095 | 613,924.675660 | 650,488.88237 | |||||
岩代国 | 544,846.51970 | 641,269.51650 | 755,703.961220 | 760,923.54591 | |||||
陸前国 | 434,938.85000 | 398,958.83000 | 697,838.180000 | 700,649.30800 | |||||
陸中国 | 218,681.81600 | 228,520.61400 | 423,134.490000 | 471,842.91200 | |||||
陸奥国 | 72,437.29900 | 136,103.39600 | 383,637.753000 | 423,100.83800 | |||||
出羽国 | 318,095.00 | 870,000.000 | 870,000.0 | 951,523.47600 | 1,126,248.83440 | 1,295,323.521440 | 1,515,446.19503 | 83,652.43 | 00.0036,309.55 | 23.00
米沢領 | 180,000.00000 | 193,993.53420 | 216,161.220230 | 337,240.91500 | |||||
山形領 | 337,610.45900 | 352,513.70720 | 366,147.135970 | 365,370.03946 | |||||
新庄領 | 36,158.74200 | 51,072.34180 | 62,387.453800 | 84,057.51631 | |||||
庄内領 | 141,955.12500 | 198,618.39220 | 234,302.356140 | 235,244.72071 | |||||
秋田領 | 255,799.15000 | 330,050.85900 | 416,325.355300 | 493,533.00355 | |||||
羽前国 | 649,480.35200 | 733,879.23040 | 804,569.693740 | 946,971.30568 | |||||
羽後国 | 302,043.12400 | 392,369.60400 | 490,753.827700 | 568,474.88935 | |||||
若狭国 | 85,000.00 | 85,099.600 | 85,099.0 | 85,460.08890 | 88,281.52240 | 91,018.822200 | 91,767.05810 | 5,044.60 | 04.002,213.24 | 01.00
越前国 | 499,411.00 | 682,654.000 | 682,654.0 | 680,293.30800 | 684,271.80960 | 689,304.819870 | 690,243.61775 | 26,409.15 | 09.9410,786.09 | 08.70
加賀国 | 355,570.00 | 442,507.400 | 442,507.0 | 422,958.60000 | 438,281.77000 | 483,665.848700 | 511,716.01839 | 24,170.12 | 21.007,570.82 | 21.00
能登国 | 210,000.00 | 216,891.300 | 216,891.0 | 225,006.15000 | 239,208.79540 | 275,369.990210 | 307,602.82896 | 14,512.76 | 11.004,493.79 | 01.00
越中国 | 380,298.28 | 530,637.300 | 536,037.0 | 592,415.66000 | 611,000.10000 | 808,008.461820 | 899,831.93900 | 44,156.84 | 00.107,141.81 | 13.40
越後国[8] | 390,770.00 | 450,060.900 | 606,370.0 | 621,074.18300 | 816,775.73077 | 1,142,555.535850 | 1,150,567.52359 | 66,193.93 | 08.004,0610.66 | 20.00
佐渡国 | 17,030.00 | 20,599.000 | 20,599.0 | 24,812.02100 | 130,373.91100 | 132,565.491000 | 135,206.12300 | 6,554.09 | 20.004,169.52 | 16.00
丹波国 | 263,887.00 | 280,570.200 | 280,570.0 | 289,829.14700 | 293,445.54740 | 324,136.268670 | 329,465.47386 | 18,975.53 | 08.508,878.13 | 23.50
丹後国 | 110,784.00 | 123,170.200 | 123,170.0 | 123,175.01000 | 145,821.18200 | 147,614.804460 | 148,002.13030 | 9,185.26 | 18.502,920.74 | 28.20
但馬国 | 114,235.00 | 123,960.000 | 123,960.0 | 129,069.75700 | 130,673.23500 | 144,313.084030 | 148,147.75427 | 8,712.80 | 09.003,282.31 | 04.00
因幡国 | 88,500.00 | 131,649.600 | 131,649.0 | 149,742.50000 | 170,728.28900 | 177,844.624000 | 195,632.64500 | 9,618.25 | 22.502,576.92 | 02.50
伯耆国 | 100,947.00 | 175,032.000 | 175,032.0 | 170,257.50000 | 194,416.56700 | 217,990.822280 | 251,069.40700 | 12,396.41 | 09.503,984.73 | 27.00
出雲国 | 186,650.00 | 223,477.100 | 223,477.0 | 253,597.64760 | 282,489.73900 | 302,627.465000 | 320,709.91100 | 15,495.01 | 19.804,916.15 | 22.00
石見国 | 111,770.00 | 137,370.000 | 137,370.0 | 139,401.53700 | 142,499.23500 | 172,209.768320 | 182,136.89850 | 13,921.61 | 17.009,797.19 | 19.00
隠岐国 | 4,980.00 | 11,802.900 | 11,802.0 | 11,601.39300 | 12,165.20300 | 12,559.600000 | 12,562.90700 | 628.59 | 15.003,340.92 | 08.00
播磨国 | 358,534.00 | 521,300.000 | 521,300.0 | 542,130.12700 | 568,517.57900 | 651,964.813500 | 660,557.81626 | 33,208.52 | 18.7015,426.04 | 02.10
美作国 | 186,018.70 | 227,115.500 | 227,715.0 | 186,500.00000 | 259,353.70100 | 262,099.098000 | 262,333.86400 | 12,499.97 | 19.506,669.16 | 16.00
備前国 | 223,762.00 | 286,200.000 | 286,200.0 | 280,200.03000 | 289,224.71000 | 416,581.854000 | 418,964.53800 | 17,119.29 | 28.507,031.31 | 14.50
備中国 | 176,929.00 | 227,894.800 | 227,894.0 | 236,491.82500 | 324,455.62300 | 363,915.614210 | 371,355.17580 | 17,336.06 | 07.3012,762.51 | 05.10
備後国 | 186,150.00 | 238,838.000 | 238,138.0 | 248,015.28700 | 295,678.88800 | 312,054.932000 | 315,876.18155 | 18,290.45 | 04.0014,753.65 | 17.00
安芸国 | 194,150.00 | 259,384.900 | 259,384.0 | 265,161.18600 | 269,478.31000 | 310,648.489000 | 314,669.48710 | 19,704.27 | 13.008,924.88 | 10.00
周防国 | 167,820.00 | 164,420.200 | 164,420.0 | 202,787.60000 | 202,787.67000 | 489,428.677000 | 552,160.21518 | 19,571.49 | 17.0010,008.26 | 20.00
長門国 | 130,660.00 | 134,059.900 | 134,050.0 | 166,623.40000 | 166,623.64500 | 404,853.333000 | 458,143.48989 | 16,870.91 | 19.006,966.09 | 06.00
紀伊国 | 243,550.00 | 395,247.700 | 395,247.0 | 398,395.45300 | 397,668.01900 | 440,858.377710 | 444,283.13335 | 20,555.85 | 03.0013,399.65 | 19.00
淡路国 | 62,104.00 | 63,621.100 | 63,621.0 | 70,186.50000 | 70,428.10000 | 97,164.784000 | 136,637.98183 | 5,915.69 | 27.002,700.82 | 16.00
阿波国 | 183,500.00 | 186,753.500 | 186,753.0 | 186,753.58300 | 193,862.28500 | 268,894.329000 | 310,484.46474 | 11,818.42 | 18.0020,439.90 | 24.00
讃岐国 | 126,200.00 | 175,001.700 | 175,001.7 | 178,633.62100 | 186,394.04100 | 291,320.256400 | 309,814.75380 | 22,036.58 | 25.007,050.23 | 08.00
讃岐国 (郡部) | 171,815.000 | 171,815.0 | 173,554.22700 | 176,485.98700 | 280,292.631900 | 298,413.69240 | |||
小豆島 (島嶼部) | 3,186.700 | 3,186.7 | 5,079.39400 | 9,908.05400 | 11,027.624500 | 11,401.06140 | |||
伊予国 | 366,200.00 | 381,640.800 | 381,640.0 | 400,271.87300 | 429,163.25854 | 460,997.639340 | 443,321.68842 | 29,144.55 | 03.5022,117.29 | 22.00
土佐国 | 98,200.00 | 202,626.500 | 202,626.0 | 248,328.12000 | 268,484.97400 | 330,026.520000 | 510,572.19470 | 21,590.55 | 18.0011,412.09 | 18.00
筑前国 | 335,695.00 | 522,512.400 | 522,515.0 | 522,512.60130 | 606,981.42000 | 651,782.278440 | 633,404.63540 | 34,907.24 | 12.3014,967.02 | 13.20
筑後国 | 265,998.00 | 302,085.500 | 302,085.5 | 331,497.76700 | 331,497.76900 | 375,588.897800 | 536,742.90265 | 22,133.89 | 01.508,024.41 | 05.00
豊前国 | 140,000.00 | 330,744.644 | 300,740.0 | 244,787.67100 | 273,801.84830 | 368,913.640500 | 366,948.08138 | 21,809.29 | 05.4010,319.22 | 29.40
豊後国 | 418,313.00 | 378,592.400 | 378,592.0 | 357,300.51500 | 369,546.79160 | 417,514.227150 | 459,184.41734 | 22,707.18 | 10.5030,542.72 | 05.00
肥前国 | 309,935.00 | 561,437.400 | 561,437.0 | 566,882.15600 | 572,284.12310 | 706,470.723196 | 685,117.59762 | 47,607.94 | 02.8021,037.50 | 10.60
肥後国 | 341,220.00 | 572,989.000 | 572,989.0 | 579,711.78700 | 563,857.17800 | 611,920.291100 | 851,237.05291 | 36,698.84 | 02.0037,501.74 | 28.50
日向国 | 120,088.44 | 288,589.500 | 288,589.0 | 290,180.97300 | 309,954.52817 | 340,128.861790 | 418,142.35665 | 21,631.97 | 28.6720,193.90 | 02.79
大隅国 | 175,057.23 | 170,828.100 | 170,828.0 | 170,833.45100 | 170,833.45100 | 170,833.451000 | 263,363.29063 | 10,710.80 | 12.0013,596.80 | 07.00
薩摩国 | 283,482.74 | 315,251.700 | 315,251.0 | 315,005.60012 | 315,005.60012 | 315,005.600120 | 323,483.49953 | 16,682.75 | 17.0015,743.68 | 09.00
壱岐国 | 0.00 | 15,982.300 | 15,982.0 | 17,568.03000 | 18,072.80600 | 32,742.921000 | 32,853.88500 | 918.25 | 18.501,275.62 | 07.00
対馬国 | 0.00 | 0.000 | 8,163.0 | 6,269.71500 | 0.00000 | 0.000000 | 5,818.11600 | n.a. | n.a. |
琉球国 | n.a. | n.a. | n.a. | 123,711.81348 | 123,711.81348 | 123,711.813480 | 147,024.09296 | n.a. | n.a. |
大島 (奄美群島)[10] | 32,828.70000 | 32,828.70000 | 32,828.700000 | 52,793.39202 | |||||
本琉球 | 90,883.11348 | 90,883.11348 | 90,883.113480 | 94,230.70094 | |||||
全国総計[2] | 18,509,043.74 | 22,171,689.674 | 22,426,836.2 | 23,617,594.20096 永4134貫545文 金28両3分2朱糸目半 |
25,910,641.41806 永1369貫801文 |
30,558,917.841139 永1367貫670文 |
32,373,825.15675 永1122貫371文8分 貫高3貫500文 |
164,3446.68 | 16.01131,7105.00 | 20.79
なお松前島(蝦夷地)・北海道は元禄郷帳、天保郷帳、明治5年調の『郡村石高帳』において無高とされているが、明治5年の物産高は『日本地誌提要』によると65万0286石6斗8升4合7勺2才である。この物産高は鮭6000尾、鱒1万2000尾、その他の水産物2万5000斤につきそれぞれ100石で換算することで算出されている。
旧国 | 元禄郷帳高 (1697〜1702年) |
天保郷帳高 (1831〜1834年) |
明治5年物産高 (1872年) |
---|---|---|---|
松前地 | 0.00000 | 0.000000 | |
渡島国 | 54,814.89482 | ||
西蝦夷地 | 0.00000 | 0.000000 | |
後志国 | 265,580.84719 | ||
石狩国 | 39,336.06952 | ||
天塩国 | 98,259.32456 | ||
北見国 | 26,977.42066 | ||
東蝦夷地 | 0.00000 | 0.000000 | |
胆振国 | 15,837.50429 | ||
日高国 | 48,505.60277 | ||
十勝国 | 5,280.44000 | ||
釧路国 | 48,342.98783 | ||
根室国 | 35,572.81583 | ||
千島国 | 11,778.77725 | ||
総計 | 0.00000 | 0.000000 | 650,286.68472 |
石高における田畑、新田高の割合
[編集]正保郷帳には田畑・新田高の記載がある。以下に正保郷帳やそれに近い写本によって、正保年間前後の一国全域(陸奥国に関しては六分割された担当地区)の田方・畑方の石高や新田高の何れかが判別する旧国の石高をまとめる。但し、貫高・永高・反高、その他石高で表記されていない金・銀・銭・米・茶・綿・麻・漆・材木類・塩・魚介類などの小物成高は省略する。
旧国 | 表高 (本田高・寺社領・小物成等) | 表高に含まれない石高 (新田高・小物成等) | 内高[11] | 田方/田畑方 | 内高/表高[11] | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
総計 | 田方 | 畑方 | その他 | 総計 | 田方 | 畑方 | その他 | ||||
河内国 | 264,952.34320 | 204,160.61090 | 59,018.27710 | 1,773.45520 | 566.08200 | 28.00000 | 538.08200 | 265,518.42520 | 77.58% | 100.21% | |
和泉国 | 159,628.55800 | 128,867.56700 | 28,902.80700 | 1,858.18400 | 81.68% | ||||||
摂津国 | 375,496.75500 | 5,378.64200 | 380,875.39700 | 101.43% | |||||||
伊勢国 | 596,334.68500 | 434,764.76300 | 159,069.92300 | 62,561.63400 | 658,896.31900 | 73.21% | 110.49% | ||||
尾張国 | 535,608.86100 | 34,843.99300 | 570,452.85400 | 106.51% | |||||||
遠江国 | 280,733.49000 | 204,711.69600 | 64,875.59400 | 11,146.20000 | 20,670.69624 | 301,404.18624 | 75.94% | 107.36% | |||
武蔵国 | 982,337.96580 | 489,528.29602 | 401,799.74578 | 91,009.92400 | 7,387.36800 | 989,725.33380 | 54.92% | 100.75% | |||
安房国 | 92,641.68000 | 60,034.65700 | 29,834.35500 | 2,272.21800 | 66.80% | ||||||
美濃国 | 609,740.99900 | 395,170.99240 | 199,143.81760 | 15,426.09700 | 18,225.113000 | 14,457.69100 | 3,824.54400 | 627,966.11200 | 66.87% | 102.99% | |
飛騨国 | 38,764.40000 | 25,475.32700 | 13,289.07300 | 65.72% | |||||||
信濃国 | 544,770.33800 | 319,285.18200 | 220,279.82500 | 5,205.33100 | 33,636.06700 | 23,588.60000 | 9,994.63700 | 52.83000 | 578,406.40500 | 59.82% | 106.17% |
上野国 | 515,221.29926 | 245,294.90573 | 269,734.81370 | 191.57983 | 47.63% | ||||||
下野国 | 568,733.92000 | 294,521.67000 | 266,326.96000 | 7,785.29000 | 49,858.41000 | 19,262.94000 | 30,595.47000 | 618,592.33000 | 51.38% | 108.77% | |
奥州棚倉・岩城・中村領 | 205,026.59540 | 140,057.63300 | 63,375.12740 | 1,593.83500 | 47,658.73400 | 252,685.32940 | 68.85% | 123.25% | |||
奥州仙台領 | 654,110.88000 | 525,562.77000 | 128,548.11000 | 91,182.50000 | 83,008.89000 | 8,173.61000 | 745,293.38000 | 81.66% | 113.94% | ||
奥州南部領 | 100,550.16500 | 72,413.35800 | 28,136.80700 | 72.02% | |||||||
奥州津軽領 | 45,000.00000 | 41,160.44000 | 3,839.56000 | 57,468.80000 | 102,468.80000 | 91.47% | 227.71% | ||||
出羽国 | 951,523.47600 | 794,694.36400 | 139,324.15100 | 17,504.96100 | 172,871.41700 | 1,124,394.89300 | 85.08% | 118.17% | |||
若狭国 | 85,460.08890 | 74,325.63800 | 11,134.45090 | 86.97% | |||||||
越前国 | 680,293.30800 | 512,404.32070 | 167,888.98730 | 75.32% | |||||||
加賀国 | 422,958.60000 | 334,338.59000 | 88,620.01000 | 17,440.55000 | 10,693.61000 | 5,789.04000 | 957.90000 | 440,399.15000 | 78.52% | 104.12% | |
能登国 | 225,006.15000 | 170,078.44000 | 54,927.71000 | 30,549.06000 | 12,334.79000 | 2,834.64000 | 15,379.63000 | 255,555.21000 | 75.95% | 113.58% | |
越中国 | 592,415.66000 | 502,729.48000 | 89,686.18000 | 69,671.00000 | 59,150.80000 | 9,151.92000 | 1,368.28000 | 662,086.66000 | 85.04% | 111.76% | |
播磨国 | 542,130.12700 | 445,278.07200 | 96,725.06100 | 12,499.66000 | 554,629.78700 | 82.15% | 102.31% | ||||
美作国 | 186,500.00000 | 132,035.60000 | 54,464.40000 | 51,129.30000 | 237,629.30000 | 70.80% | 127.42% | ||||
備前国 | 280,200.00000 | 212,951.80000 | 67,248.20000 | 16,202.00000 | 296,402.00000 | 76.00% | 105.78% | ||||
周防国 | 202,787.60000 | 158,494.43100 | 44,293.16900 | 78.16% | |||||||
長門国 | 166,623.40000 | 131,765.91600 | 34,857.48400 | 79.08% | |||||||
伊予国 | 400,271.87300 | 295,290.67690 | 98,622.33910 | 6,358.85700 | 2,266.26900 | 1,480.91000 | 785.35900 | 402,538.14200 | 74.91% | 100.57% | |
土佐国 | 248,328.12000 | 6,050.00000 | 254,378.12000 | 102.44% | |||||||
筑前国 | 522,512.60130 | 431,908.85120 | 90,603.75010 | 95,435.67460 | 617,948.27590 | 82.66% | 118.26% | ||||
豊後国 | 357,300.51500 | 208,685.71690 | 145,435.27810 | 3,179.52000 | 7,064.00617 | 1,976.59322 | 5,087.41295 | 364,364.52117 | 58.33% | 101.98% | |
肥後国 | 579,711.78700 | 378,752.16200 | 195,512.04000 | 5,447.58500 | 38,091.29000 | 23,777.16400 | 14,314.12600 | 617,803.07700 | 65.15% | 106.57% | |
対馬国 | 6,269.71500 | 406.62300 | 5,863.09200 | 6.49% | |||||||
琉球国 | 123,711.81348 | 68,264.52700 | 53,102.15538 | 2,345.13110 | 56.25% | ||||||
総計 | 13,143,657.76934 | 8,433,415.07675 | 3,374,483.25346 | 173,098.16813 | 948,708.26601 | 249,759.98822 | 90,550.75895 | 18,296.72200 | 11,920,414.00771 | 71.48% | 108.65% |
耕地面積の内、田方・畑方の面積の割合はそれぞれ55%、45%であるのに対し(享保6年反別)、田畑の石高の内、田方・畑方の割合は全国的にそれぞれ約70%、約30%であり(正保郷帳石高)、石高は米に偏重する傾向があるとはいえ、米の収穫高を表すものではない。また新田高は、正保郷帳での新田高の記載が判明している地域の表高約1192万石に対して約95万石である。
ただし『寛永期奥州之内南部領高郷村帳』の奥書によると、南部藩の内検では内高22万0400石余を集計していたが、幕府の指示により正保4年(1647年)に領地高10万0550石余に割り込ませた郷帳と国絵図を提出したとしている。
また尾張藩は正保元年(1644年)、年貢据え置きのまま税率を六公四民から四公六民に下げる高概(たかならし)を行い、尾張八郡内の尾張藩領本田高を48万3252石0斗2升3合から63万1528石9斗3升6合、新田高を2万9682石4斗1升4合から3万3571石2斗2升5合と、太閤検地時代の石高に修正している。しかしながら幕府には慶長12年(1607年)に実施された備前検地の石盛に基づいた本田高・新田高を正保郷帳・国絵図に記載する石高として報告している。[12]
飛騨国においては、慶長郷帳と正保国絵図で国高が全く同一の3万8764石4斗であるが、内高の方は慶長18年(1613年)の時点で4万5789石8斗4升3合8勺(高山市郷土館蔵『飛騨国三郡高之帳』)、寛文4年(1664年)の時点で5万2808石5斗余(加藤歩簫著『紙魚のやどりぎ』)となっている。石高自体は決して大きくないが、割合ではそれぞれ18%、36%の増石に相当する。
長州藩の『寛永2年周防国長門国村一紙』によると、寛永(1625年)の熊野検地により周防国内高37万3040石8斗8升2合、長門国内高28万5258石4斗4升9合、二国合計65万8299石3斗3升1合を集計している。[13]
これら奥州南部領・尾張・飛騨・周防・長門の新田高等約60万石は正保郷帳から漏れており、幕府に報告が上がっていない新田高は正保郷帳・国絵図作成時にも既に相当数存在するとみられる。
旧国 | 総石高 | 田方 | 畠方 | 屋敷方 | 小物成 | 塩浜 | 浦浮役等 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
周防国 | 373,040.88200 | 285,697.43552 | 42,108.70550 | 18,792.84264 | 22,150.54534 | 3,145.24800 | 1,146.10500 |
長門国 | 202,247.23000 | 164,877.10298 | 21,640.67413 | 10,692.84630 | 1,687.67928 | 1,199.55231 | 2,149.37500 |
防長二国合計 | 575,288.11200 | 450,574.53850 | 63,749.37963 | 29,485.68894 | 23,838.22462 | 4,344.80031 | 3,295.48000 |
割合 | 100.00% | 78.32% | 11.08% | 5.13% | 4.14% | 0.76% | 0.57% |
また18世紀以降は検地の実施も減り、特に天領では内高(実高)であっても実際の土地生産性よりも過小評価となっているのが常であった。
石高と実体経済
[編集]石高は近代的な生産統計ではなく、課税の基準を主たる目的としていたが、林業や水産業を十分カバーはしておらず、その一方で第二次産業に属する製塩や農産物加工等によって生まれた価値を一部含むため、単純に農業生産高に換算することはできない。また中間投入を除いていないため、二重計算の危険がある。これらに関しては明治以降はある程度データが存在し、例えば明治7年(1874年)の『明治七年 府県物産表』などを用いることでGDPの推定が可能となる。
地租改正直前における日本全国の石高は3237万石であったが、『明治七年 府県物産表』によると明治7年の米の生産高は2591万石、その物産額は1億4279万円であった。また農林水産業・鉱工業の全物産額3億7230万円(土木建築業や商業・サービス業などが含まれておらず、総生産高ではない)を平均米価で換算すると6756万石に相当する。[14]なおこの物産表には北海道・沖縄県と独立国家状態であった鹿児島県(現宮崎県を含む)の統計が含まれていないが、大蔵省編『開拓使事業報告 第三編』によると北海道の明治7年(1874年)の物産額は339万8088円(陸産27万6736円、海産312万1353円)とあり、平均米価で換算すると物産高約60万石に相当する。また『旧鹿児島藩産物出入比較表』によると奄美・琉球の黒砂糖の生産高は明治2年(1869年)に2292万3千斤、代金85万5千両とあり、明治7年の砂糖と米の平均物価で黒砂糖の生産高を換算すると物産高約90万石に相当する。[15]
物産 | 物産額 (円) | 物産高 (換算石高) | 割合 | 個々の物産の生産額(生産高)・備考 |
---|---|---|---|---|
農業 | 227,286,701 | 41,246,154 | 61.05% | |
米 | 142,799,024 | 25,914,013 | 38.36% | (除外の鹿児島県の明治12年米生産高50万4210石) |
麦 | 25,073,475 | 4,550,132 | 6.73% | 大麦・裸麦1990万2387円(812万4891石) 小麦517万1088円(173万3440石) |
大豆 | 7,404,545 | 1,343,717 | 1.99% | 大豆(生産高181万9138石) |
その他雑穀類 | 8,702,838 | 1,579,321 | 2.34% | 粟234万2882円(98万4594石) 稗96万5143円(93万5262石) 蕎麦115万8907円(45万8814石) 小豆150万2777円(33万7252石) |
芋類・菜種類 | 11,658,046 | 2,115,608 | 3.13% | 甘藷275万5685円(1億3500万貫) (除外の鹿児島県の明治12年甘藷生産高5989万貫) 大根272万1907円 |
果実種類 | 2,201,056 | 399,430 | 0.59% | |
特殊農産物 | 27,915,167 | 5,065,819 | 7.50% | 綿類743万4509円(1185万貫) 菜種603万6757円(92万7829石) 藍491万7261円 煙草255万0262円(3783万4777斤) |
その他 | 1,532,556 | 278,116 | 0.41% | |
林業 | 14,565,405 | 2,643,212 | 3.91% | 木材類236万2085円 薪類604万1696円 炭類227万2728円 皮葉類309万2482円 |
水産業 | 7,276,345 | 1,320,452 | 1.95% | 魚介類698万4375円 (除外の北海道の明治7年水産物産額312万1353円) |
畜産業 | 7,478,000 | 1,357,047 | 2.01% | 牛類277万8446円 馬類268万8721円 |
工業 | 111,891,559 | 20,305,176 | 30.05% | |
繊維工業 | 30,993,657 | 5,624,478 | 8.32% | 綿織物1085万6271円(2013万8657反) 絹織物458万1057円 染物類303万2564円 生糸類616万4752円(37万7千貫) |
食品工業 | 46,944,869 | 8,519,175 | 12.61% | 酒類1860万5495円(343万1364石) 醤油633万8489円(94万6千石) 味噌613万3487円(5110万貫) 製茶395万1163円(1760万斤) 塩239万3802円(385万1千石) 砂糖239万3802円(1087万3423斤) (除外の奄美・沖縄の明治2年黒糖生産高2292万3千斤) |
畳・障子製造業 | 1,913,137 | 347,181 | 0.51% | |
油・蝋製造業 | 7,017,856 | 1,273,544 | 1.88% | |
窯業等 | 8,521,690 | 1,546,447 | 2.29% | 陶器類209万2030円 |
出版・印刷業 | 5,737,986 | 1,041,283 | 1.54% | 紙類516万6881円 |
機械・製薬・その他 | 10,762,364 | 1,953,067 | 2.89% | 諸器械類306万0854円 肥料類305万7391円 |
鉱業 | 3,808,964 | 691,220 | 1.02% | |
総計 | 372,306,974 | 67,563,261 | 100.00% |
実体経済については、中村哲により明治初期の『全国農産表』をベースとした農業生産高に関する実収石高の変遷の試算[16]がなされていた。また最近になって高島正憲らにより、『明治七年府県物産表』をベースとした推定GDPの変遷の再試算がなされている[17]。以下の表にその詳細を示すが(1874年の数値は北海道・沖縄県を含み、江戸時代以前の数値は北海道・沖縄県を除く。また「石」は江戸時代のものを基準とする)、それによると幕末には石高換算のGDPは1億石を超えていたと推定され、石高は実体経済の3割前後しか反映していなかったことになる。このように時代が下るにつれ石高と実体経済の乖離がますます進行した。
西暦 | 全国人口 (千人) |
耕地面積 (千町歩) |
農業生産量 (千石) |
実質粗付加価値額(石高ベース) | 1人あたりGDP | ||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
第一次部門 (千石) |
第二次部門 (千石) |
第三次部門 (千石) |
計(実質GDP) (千石) |
(石/人) | (1990年国際ドル/人) | ||||
730 | 6,100 | 640 | 6,329 | 7,502 | 481 | 711 | 8,695 | 1.43 | 388 |
950 | 5,000 | 1,028 | 7,990 | 9,472 | 575 | 883 | 10,930 | 2.19 | 596 |
1150 | 5,900 | 1,109 | 9,035 | 10,711 | 677 | 998 | 12,386 | 2.10 | 572 |
1280 | 5,950 | 1,276 | 8,278 | 9,837 | 668 | 1,094 | 11,599 | 1.95 | 531 |
1450 | 10,050 | 1,621 | 13,938 | 16,616 | 1,382 | 2,221 | 20,219 | 2.01 | 548 |
1600 | 17,000 | 2,497 | 25,879 | 30,678 | 3,652 | 7,306 | 41,635 | 2.45 | 667 |
1721 | 31,290 | 3,249 | 41,173 | 48,808 | 8,434 | 20,361 | 77,603 | 2.48 | 676 |
1804 | 30,691 | 3,892 | 49,604 | 58,803 | 10,091 | 24,402 | 93,296 | 3.04 | 828 |
1846 | 32,212 | 4,265 | 56,571 | 67,062 | 11,698 | 28,140 | 106,900 | 3.32 | 904 |
1874 | 34,840 | 4,594 | 64,861 | 77,103 | 15,888 | 36,551 | 129,541 | 3.72 | 1,013 |
所領別石高と天領石高の変遷
[編集]上記のように日本の総石高は天保期において3055万8917石を計上したが、天保13年(1842年)における所領別石高[18]は以下の通りであった。
所領別 | 石高 (石) | 割合 (%) |
---|---|---|
禁裏仙洞御料 (皇室御領) | 40,247 | 0.1 |
御料所高 (天領) | 4,191,123 | 13.7 |
万石以上総高 (大名領) | 22,499,497 | 73.6 |
寺社御朱印地 (寺社領) | 294,491 | 1.0 |
高家並交替寄合 | 179,482 | 0.6 |
公家衆家領寺社除之分 (公家領)、 万石以下拝領高並込高之分 (旗本領) |
3,354,077 | 11.0 |
六拾余州並琉球国共 | 30,558,917 | 100.0 |
一般に「徳川八百万石」と呼ばれるが、これは旗本領などを加えた数字であり、実際の天領は約400万石を少し超える程度であった。これには大名預所も含まれる。また18世紀以降の天領の石高の変遷は以下の通りである。[19]
内訳 | 元禄15年 (1702年) |
享保15年 (1730年) |
宝暦7年 (1757年) |
天保9年 (1838年) |
文久3年 (1863年) |
---|---|---|---|---|---|
郡代・代官支配地 | 3,867,435.700 | 3,602,380 | 3,896,000 | 3,284,478.26665 | 3,173,924.14438 |
関東筋 | 1,199,833.906 | 1,076,451 | 1,149,400 | 932,014.13504 | 882,192.33367 |
畿内筋 | 662,924.000 | 668,647 | 414,300 | 463,696.31026 | 521,454.30627 |
海道筋 | 497,333.000 | 738,747 | 715,300 | 719,794.80472 | 691,916.20596 |
北国筋 | 555,300.000 | 267,118 | 734,400 | 355,058.24664 | 240,506.50338 |
奥羽筋 | 455,394.794 | 319,988 | 380,000 | 375,375.91618 | 378,040.55971 |
中国筋 | 252,050.000 | 407,564 | 365,000 | 284,327.64181 | 286,813.23685 |
西国筋 | 244,600.000 | 123,865 | 137,600 | 154,211.21200 | 173,000.99854 |
遠国奉行支配地 | 138,188.000 | 139,651 | 9,100 | 144,196.73099 | 149,406.53199 |
浦賀(相模国)奉行 | 770 | 700 | 6,517.38299 | 3,456.14331 | |
神奈川(武蔵国)奉行 | 6,187.78250 | ||||
伏見奉行 | 4,320.000 | 4,494 | 5,000 | 5,166.68200 | 5,174.96700 |
佐渡奉行 | 130,433.000 | 130,952 | 132,512.66600 | 132,572.37700 | |
新潟(越後国)奉行 | 2,015.26218 | ||||
長崎奉行 | 3,435.000 | 3,435 | 3,400 | ||
代官・遠国奉行支配地合計 | 4,005,623.700 | 3,742,031 | 3,905,100 | 3,428,674.99764 | 3,323,330.67637 |
大名預所 | 739,025 | 577,800 | 763,366.31504 | 752,411.43166 | |
関東筋 | 12,700 | 44,551.89540 | |||
畿内筋 | 42,272 | 255,800 | 106,465.51481 | 83,296.10637 | |
海道筋 | 59,909 | 30,400 | 70,710.78082 | 70,710.78082 | |
北国筋 | 397,955 | 123,700 | 254,358.19707 | 256,785.96562 | |
奥羽筋 | 180,207 | 103,500 | 170,964.18122 | 166,818.83083 | |
中国筋 | 34,273 | 23,300 | 111,829.02950 | 103,141.17024 | |
西国筋 | 24,409 | 28,400 | 49,038.61162 | 27,106.68238 | |
総石高 | 4,481,056 | 4,482,900 | 4,192,041.31268 | 4,075,742.10803 |
寛文4年(1664年)の諸藩の石高(表高)
[編集]幕末の大藩・中藩の石高(表高、内高)
[編集]以下に幕末における公称の表高が10万石以上の藩について、その表高、内高(実高)と旧国別所領をまとめる。なお御三卿は本表には含まれない。また喜連川藩を10万石格とする文献もあるが、幕末の「万石以上分限帳」などに漏れていること、諸役負担の義務を免除されていることなどから表から除外した。
- 藩名は慶応3年旧暦1月1日(1867年2月5日)における藩庁所在地(藩主の居城)により定め、通称や府藩県三治制期の正式名称を括弧内に示す。なお「藩」が正式な行政区分となったのは明治元年(1868年)旧暦4月以降のことであり、明治2年までに金沢藩・鹿児島藩・山口藩・高知藩・佐賀藩などの藩庁所在地による呼称が正式名称として採用され、旧国名による加賀藩・薩摩藩(薩州藩)・長州藩(長門藩)・土佐藩・肥前藩、家名による前田藩・島津藩・毛利藩・山内藩・鍋島藩などはあくまでも通称という扱いとなる。
- 「地図」は藩庁所在地(藩主の居城)。
- 表高は慶応3年旧暦1月1日(1867年2月5日)における公称高[20]だが、長州藩に関しては実行されなかった10万石の減封処分を無視した。幕府の分限帳に記載された公称高と、幕府の発給する朱印状に記載される領知高が著しく異なる場合は別途記載する。なお公称高、領知高と、民間で発売された各武鑑に掲載された表高とが一致しない例が多々あるが、ここでは前者二つを優先する[21]。
- 私領同様預所を含む大名預所や役知等で与えられた所領は幕府天領であり、諸藩の石高には含まれない。
- 内高は『各藩高並租税調帳』または『藩制一覧』による[22]。これらは明治2年旧暦6月12日(1869年7月20日)に明治政府が各藩へ報告提出を通達した郷村帳に基づくものであり、多くの場合明治2年(1869年)中の各藩の内高の状況を示す。ただし戊辰戦争による処分を受けた諸藩(仙台藩・会津藩・盛岡藩・米沢藩・庄内藩・小田原藩・桑名藩・二本松藩・棚倉藩)については『旧高旧領取調帳』により幕末の内高を算出した。
- 本家の表高減少のない内分の支藩については、支藩の内高を本藩の内高に含めて示す。
順位 | 藩名 | 居城の所在地 | 家名 | 大名類別 | 表高 (慶応3年) |
内高 (明治2年) |
領分 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 金沢藩 (加賀藩)[23] | 北緯36度33分51.4秒 東経136度39分33.2秒 | 前田家 | 外様大名 | 1,025,000 | 1,338,083.562100 | 加賀・越中・能登・近江 |
2 | 鹿児島藩 (薩摩藩)[24] | 北緯31度35分53.6秒 東経130度33分15.8秒 | 島津家 | 外様大名 | 728,700 | 869,593.576640 | 薩摩・大隅・日向・琉球 |
3 | 仙台藩[25] | 北緯38度15分11.5秒 東経140度51分24.3秒 | 伊達家 | 外様大名 | 620,056 | 1,018,818.661160 | 陸奥・常陸・下総・近江・蝦夷 |
4 | 名古屋藩 (尾張藩)[26] | 北緯35度11分8秒 東経136度53分56.6秒 | 尾張徳川家 | 御三家 | 619,500 | 913,827.045900 | 尾張・三河・美濃・近江・信濃・摂津 |
5 | 和歌山藩 (紀州藩)[27] | 北緯34度13分39.4秒 東経135度10分17.5秒 | 紀州徳川家 | 御三家 | 555,000 | 615,453.638590 | 紀伊・伊勢・大和・近江 |
6 | 熊本藩 (肥後藩)[28] | 北緯32度48分22.2秒 東経130度42分21秒 | 細川家 | 外様大名 | 540,000 | 786,015.607170 | 肥後・豊後 |
7 | 福岡藩 (筑前藩)[29] | 北緯33度35分3.7秒 東経130度22分59.1秒 | 黒田家 | 外様大名 | 473,100 | 571,141.000000 | 筑前 |
8 | 広島藩 (芸州藩)[30] | 北緯34度24分9.8秒 東経132度27分32.6秒 | 浅野家 | 外様大名 | 426,500 | 483,580.779250 | 安芸・備後 |
9 | 萩藩 (長州藩、山口藩)[31] | 北緯34度25分3.2秒 東経131度22分56.9秒 | 毛利家 | 外様大名 | 369,411 | 978,004.000000 | 周防・長門 |
10 | 佐賀藩 (肥前藩)[32] | 北緯33度14分44.6秒 東経130度18分7.6秒 | 鍋島家 | 外様大名 | 357,036 | 886,525.420075 | 肥前 |
11 | 水戸藩[33] | 北緯36度22分30.5秒 東経140度28分44.1秒 | 水戸徳川家 | 御三家 | 350,000 | 313,415.839000 | 常陸・下野 |
12 | 津藩 (安濃津藩)[34] | 北緯34度43分3.5秒 東経136度30分27.8秒 | 藤堂家 | 外様大名 | 323,950 | 358,020.847000 | 伊勢・伊賀・山城・大和・下総 |
13 | 鳥取藩 (因州藩)[35] | 池田家 | 外様大名 | 320,000 | 428,169.702000 | 因幡・伯耆・武蔵 | |
13 | 福井藩 (越前藩) | 越前松平家 | 親藩 | 320,000 | 336,194.039600 | 越前 | |
15 | 岡山藩 (備前藩)[36] | 池田家 | 外様大名 | 315,200 | 494,956.969600 | 備前・備中 | |
16 | 若松藩 (会津藩)[37] | 会津松平家 | 親藩 | 280,000 | 403,563.665740 | 陸奥・越後・和泉・近江・蝦夷 | |
17 | 徳島藩 (阿波藩) | 蜂須賀家 | 外様大名 | 257,000 | 442,735.000000 | 阿波・淡路 | |
18 | 久留米藩[38] | 有馬家 | 外様大名 | 210,000 | 366,271.710000 | 筑後 | |
19 | 久保田藩 (秋田藩)[39] | 佐竹家 | 外様大名 | 205,800 | 332,038.779000 | 出羽・下野・蝦夷 | |
20 | 高知藩 (土佐藩)[40] | 山内家 | 外様大名 | 202,600 | 495,486.000000 | 土佐 | |
21 | 盛岡藩 (南部藩)[41] | 南部家 | 外様大名 | 200,000 | 316,697.439000 | 陸奥・蝦夷 | |
21 | 彦根藩[42] | 井伊家 | 譜代大名 | 200,000 | 203,887.990000 | 近江・下野・武蔵 | |
23 | 松江藩 (出雲藩)[43] | 越前松平家 | 親藩 | 186,000 | 288,029.180000 | 出雲 | |
24 | 米沢藩[44] | 上杉家 | 外様大名 | 180,000 | 336,645.572940 | 出羽 | |
25 | 厩橋藩 (前橋藩) | 越前松平家 | 親藩 | 170,000 | 217,709.033840 | 上野・下野・武蔵・安房・上総・常陸・近江 | |
25 | 鶴岡藩 (庄内藩、大泉藩) (領知高16万7071石余)[45] | 酒井家 | 譜代大名 | 170,000 | 222,385.359110 | 出羽・蝦夷 | |
27 | 郡山藩 | 柳沢家 | 譜代大名 | 151,288 | 152,912.299870 | 大和・河内・近江 | |
27 | 香春藩 (小倉藩、豊津藩)[46] | 小笠原家 | 譜代大名 | 150,000 | 212,770.764600 | 豊前 | |
29 | 姫路藩 | 酒井家 | 譜代大名 | 150,000 | 211,224.081000 | 播磨 | |
29 | 伊予松山藩 | 久松松平家 | 親藩 | 150,000 | 157,184.977000 | 伊予 | |
29 | 高田藩 | 榊原家 | 譜代大名 | 150,000 | 154,104.158000 | 越後・陸奥 | |
32 | 高松藩[33] | 水戸松平家 | 親藩家門連枝 | 120,000 | 201,714.982000 | 讃岐 | |
33 | 小田原藩[47] | 大久保家 | 譜代大名 | 113,129 | 124,853.480340 | 相模・伊豆・駿河・河内・摂津 | |
34 | 桑名藩[48] | 久松松平家 | 親藩 | 110,000 | 144,439.117390 | 伊勢・越後 | |
34 | 佐倉藩 | 堀田家 | 譜代大名 | 110,000 | 132,941.206910 | 下総・常陸・下野・武蔵・相模・出羽 | |
34 | 備後福山藩 | 阿部家 | 譜代大名 | 110,000 | 112,728.682000 | 備後・備中 | |
37 | 柳河藩 | 立花家 | 外様大名 | 109,647 | 155,394.060000 | 筑後 | |
38 | 小浜藩 | 酒井家 | 譜代大名 | 103,558 | 106,599.348200 | 若狭・越前・近江 | |
39 | 淀藩 | 稲葉家 | 譜代大名 | 102,000 | 113,314.627890 | 山城・摂津・河内・和泉・近江・下総・常陸・上野 | |
40 | 二本松藩[49] | 丹羽家 | 外様大名 | 100,700 | 133,487.127780 | 陸奥 | |
41 | 弘前藩 (津軽藩)[50] | 津軽家 | 外様大名 | 100,000 | 287,733.885000 | 陸奥・蝦夷 | |
41 | 富山藩[23] | 前田家 | 外様大名 | 100,000 | 159,297.871000 | 越中 | |
41 | 忍藩 | 奥平松平家 | 譜代大名 | 100,000 | 141,752.473870 | 武蔵・伊勢・播磨 | |
41 | 新発田藩 | 溝口家 | 外様大名 | 100,000 | 139,102.187350 | 越後・陸奥 | |
41 | 大垣藩 | 戸田氏 | 譜代大名 | 100,000 | 131,106.431580 | 美濃 | |
41 | 松代藩 | 真田家 | 外様大名 | 100,000 | 123,570.020000 | 信濃 | |
41 | 中津藩 | 奥平家 | 譜代大名 | 100,000 | 119,994.301580 | 豊前・備後・筑前 | |
41 | 棚倉藩[51] | 阿部氏 | 譜代大名 | 100,000 | 112,997.053270 | 陸奥・出羽・播磨・信濃・遠江 | |
41 | 津山藩 | 越前松平家 | 親藩 | 100,000 | 104,576.913000 | 美作・讃岐 | |
41 | 宇和島藩[52] | 伊達家 | 外様大名 | 100,000 | 100,402.120000 | 伊予 | |
41 | 明石藩 (領知高8万石)[53] | 越前松平家 | 親藩 | 100,000 | 90,304.109000 | 播磨・美作 | |
41 | 大聖寺藩 (領知高8万石)[23] | 前田家 | 外様大名 | 100,000 | 83,772.033000 | 加賀 | |
41 | 対馬府中藩 (領知高3万3402石余)[54] | 宗家 | 外様大名 | 100,000 | 52,174.778300 | 対馬・肥前・筑前 |
脚注
[編集]- ^ 朝尾直弘「松下志朗「石高」及び「石高制」」『日本歴史大事典』 2巻、小学館〈全4巻〉、2000年。 NCID BA4558060X。
- ^ a b c d e 正保郷帳の表高、元禄郷帳・天保郷帳において、石高以外の表記がされているのは以下の地域である。
- 遠江国 正保郷帳において永高は遠江郡内12村、周知郡内41村、豊田郡内46村で用いられており、但書に永1貫文高五石の換算が記されている。
- 駿河国 正保郷帳において永高は志太郡内15村で用いられており、寛永14年(1637年)に永1貫文高5石の換算が定められた。また金高は安倍郡内金納地9村で用いられており、延宝4年(1676年)に金1両高5石の換算が定められた。
- 相模国 永高840貫文の鶴岡八幡宮を中心とする鎌倉郡内の諸寺社領(村数は郷帳によって異なる)については朱印状が永高で発給され続け、明治時代まで永高公称が存続した。
- 常陸国 元禄郷帳・天保郷帳では、伊勢神宮・富士浅間神社の寺社領が置かれた真壁郡内3村について永高表記となっている。正保郷帳については写本が残っていないため、永高が用いられていたかは不明。
- ^ 太閤検地高(慶長3年高)と享保6年(1721年)の田畑の反別は以下の文献による。
- 野中準編, 「慶長三年地検目録」, 「町歩下組帳」『大日本租税志 中巻』, 1908年, NCID BA36907243.
- ^ a b 蒲生氏郷領91万9千石で実施された文禄検地により文禄3年(1594年)に作成された郷村帳(国立公文書館蔵『蒲生領高目録』)における郡高は以下の通りであるが、文禄3年の時点で既に置賜郡の石高は約18万石となっている。
旧蒲生領における文禄3年石高と正保石高 郡名 文禄3年石高 正保石高 寛文以降の所属郡 稲川郡 35,418.06 35,004.4520 陸奥国河沼郡 河沼郡 19,926.87 20,554.3430 陸奥国河沼郡 大沼郡 57,850.98 77,635.2260 陸奥国大沼郡 門田郡 17,170.22 大沼郡編入 陸奥国大沼郡 山郡 78,842.45 81,306.6170 陸奥国耶麻郡 猪苗代郡 20,424.82 20,622.5530 陸奥国耶麻郡 南山 17,787.69 19,514.4237 陸奥国会津郡・大沼郡 津川 9,131.60 9,113.7560 越後国蒲原郡小川庄 伊南伊北 9,607.37 10,713.2370 陸奥国会津郡 置賜郡 177,933.76 180,000.0000 出羽国置賜郡 上長井 45,494.00 置賜郡編入 出羽国置賜郡 屋代 19,720.05 置賜郡編入 出羽国置賜郡 北条 19,602.46 置賜郡編入 出羽国置賜郡 下長井 93,117.25 置賜郡編入 出羽国置賜郡 白川郡 39,920.48 40,006.6610 陸奥国白河郡 石川郡 30,127.97 36,049.7155 陸奥国石川郡 岩瀬郡 51,414.32 51,326.9450 陸奥国岩瀬郡 安積郡 36,440.74 37,380.3590 陸奥国安積郡 田村郡 86,892.97 87,536.0670 陸奥国田村郡 安達郡 35,200.88 69,781.4390 陸奥国安達郡 二本松郡 33,465.94 安達郡編入 陸奥国安達郡 伊達郡 56,683.88 67,660.6290 陸奥国伊達郡 小手 12,960.72 伊達郡編入 陸奥国伊達郡 苅田郡 38,646.35 21,794.4900 陸奥国刈田郡 信夫郡 53,194.52 53,526.4985 陸奥国信夫郡 総計 919,042.59 919,527.4117 寛永10年(1633年)以降に作成された寛永国絵図や慶長日本総図(川村博忠によると実際には慶長年間ではなく寛永年間に作成されたと考えられる)では何れも置賜郡が陸奥国所属となっており、戦国時代から寛永期まで置賜郡一帯が陸奥国扱いであった可能性が高い。その一方で慶長郷帳高を記載していると考えられる「日本国知行高之覚」は出羽国高について「内拾万石上杉弾正分入」との注釈を入れており、寛永国絵図が作成されるより前の時点で置賜郡の石高が出羽国の石高に含まれるようになったようにも読みとれる。
- ^ a b 松下志朗「近世初期の石高と領知高」『經濟學研究』第42巻第1/6号、九州大学経済学会、1977年5月、275-317頁、CRID 1390572633001525504、doi:10.15017/4474758、hdl:2324/4474758、ISSN 0022975X。
- ^ a b c d 石高の数字は以下の文献による。
- 大野瑞男「国絵図・郷帳の国郡石高」『白山史学』第23号、白山史学会、1987年4月、1-50頁、ISSN 03859460、NDLJP:7920477。
- ^ 寛永十年巡見使国絵図高は、以下の文献による。
- 川村博忠, 『寛永十年巡見使国絵図日本六十余州図』, 柏書房, 2002年.
- ^ a b c d 正保郷帳石高は以下の文献によるが、特に断りの無い限り和泉清司がまとめた石高を採用した。
- 東京大学史料編纂所, 『正保・元禄・天保・明治村高比較表』.
- 菊地利夫, 『続・新田開発―事例編』, 古今書院, 1986年.
- 国絵図研究会編, 『国絵図の世界』, 柏書房, 2005年.
- 和泉清司, 『近世前期郷村高と領主の基礎的研究 : 正保の郷帳・国絵図の分析を中心に』, 岩田書院, 2008年.
- 近世繪圖地圖資料研究会編, 『正保國繪圖』, 柏書房, 2010-2013年.
- ^ 明治5年石高は、東京大学史料編纂所蔵『郡村石高帳』の数字を基本史料としてまとめた。但し肥前の石高は7斗多い『日本地誌提要』の石高を採用し、薩摩・大隅の石高は『明治八年 共武政表』の郡高により石高を修正した。
- ^ 奄美群島は薩摩藩の事実上の直轄領(蔵入地)であったが、江戸時代を通じて対外的には琉球国の一部として集計されていた。明治維新後は明治12年(1879年)に大隅国大島郡が設置されるまで薩摩国の一部とされるなど、帰属が流動的である。
- ^ a b 新田高等の記載がある地域についてのみ、内高を算出する。また新田高の記載のある地域のみで、総計の内高/表高の比を算出している。
- ^ 徳川義親, 『尾張藩石高考』, 徳川林政史研究所, 1959年.
- ^ a b 播磨定男, 石本成暉, 兼重,宗和, 「近世初期検地と物成高 [付] 寛永二年防長両国検地村別石高表」, 徳山大学論叢, 13巻, pp. 92–126 (1979年). なお『寛永2年周防国長門国村一紙』に内訳の詳細が記載されているのは、防長二国65万8299石3斗3升1合の内、萩藩本領57万5288石1斗1升2合のみで、長門国内の長府藩領8万3011石2斗1升9合の内訳は不明である。
- ^ a b 山口和雄「「明治七年 府縣物産表」の分析」『經濟學研究』第1巻、北海道大學經濟學會、1951年、23-58頁、CRID 1050564288947318784、hdl:2115/30974、ISSN 0451-6265。
- ^ 遠藤佐々喜「維新直後調査鹿兒島藩産物出入比較表に就て : 口繪解説」『社会経済史学』第4巻第12号、社会経済史学会、1935年、1406-1408頁、CRID 1390282680081951488、doi:10.20624/sehs.4.12_1406、ISSN 0038-0113。
- ^ 中村哲『明治維新の基礎構造 : 日本資本主義形成の起点』未来社、1968年。NDLJP:3012496 。「国立国会図書館デジタルコレクション.個人送信サービス」
- ^ a b (a) 深谷京司, 中村尚史, 中林真幸 編集『岩波講座 日本経済の歴史 1 中世 11世紀から16世紀後半』, 岩波書店, 2017年. (b) 深谷京司, 中村尚史, 中林真幸 編集『岩波講座 日本経済の歴史 2 近世 16世紀末から19世紀前半』, 岩波書店, 2017年. (c) Bassino, J.-P.; Broadberry, S.; Fukao, K.; Gupta, B.; Takashima, M. "Japan and the Great Divergence 730-1874", University of Oxford Discussion Papers in Economic and Social History, 2017, (156), 1-39 (2017).
- ^ 勝海舟編『吹塵録』所収「天保十三年全国石高内訳」による。
- ^ (a) 村上直 (1973), p. 1-17. (b) 村上直 (1982), p. 60–74.
- ^ 以下の史料における慶応2年旧暦4月1日(1866年5月15日)の公称高を基礎とし、米沢藩などについては加増による修正を加えた。
- 勝海舟編, 『吹塵録』, 「万石以上分限帳」.
- ^ 藤井讓治, 『江戸幕府領知判物・領知朱印状の基礎的研究 研究成果報告書』, 2005年.
- ^ 内高の数字は以下の文献による。
- 早稲田大学図書館, 『大隈重信関係資料』, A1838, 「各藩高並租税調帳」.
- 大塚武松編, 『藩制一覧』, 日本史籍協会, 1928年.
- 呉文聡, 「府藩県所轄並石高」, 『統計集誌』, 5号, pp. 9–22 (1882年).
- 早稲田大学図書館, 『大隈重信関係資料』, A4361, 「府藩県石高人口表」.
- 国立国会図書館憲政資料室, 『大江卓関係文書』, 220, 「藩々租税取調」.
- ^ a b c 金沢藩の石高は、富山藩(公称高10万石)、大聖寺藩(公称高10万石)の石高を含まない。ただし大聖寺藩の石高の内2万石は本家からの蔵米支給であり、実際の領知高は8万石である。また金沢藩は能登に1万4368石9斗3升7合4勺5才の私領打込預所を有していたが、金沢藩の石高には含まない。
- ^ 鹿児島藩の石高は、琉球国(公称高12万3700石、内高9万4230石0斗0升1合5勺7才)の石高を含むが、佐土原藩(公称高2万7070石、内高3万3262石7斗9升3合2勺)の石高を含まない。奄美を含む鹿児島藩本土の石高は77万5363石5斗7升5合0勺7才である。
- ^ 仙台藩の石高は、一関藩(公称高3万石)の石高を含む。また内高は『宮城縣史 本篇2 近世史』、『岩手県史 第6巻 近代篇 1』を参考にして、『旧高旧領取調帳』から算出した。
旧国郡 二藩合計 仙台藩 一関藩 磐城国宇多郡 7,012.74700 7,012.74700 磐城国刈田郡 23,539.23000 23,539.23000 磐城国伊具郡 39,442.94000 39,442.94000 磐城国亘理郡 23,581.81000 23,581.81000 陸前国名取郡 64,249.90000 64,249.90000 陸前国宮城郡 75,435.82000 75,435.82000 陸前国黒川郡 43,611.09000 43,611.09000 陸前国加美郡 39,247.46000 39,247.46000 陸前国柴田郡 30,527.78000 30,527.78000 陸前国遠田郡 62,372.49000 62,372.49000 陸前国志田郡 57,192.83000 57,192.83000 陸前国牡鹿郡 14,927.35000 14,927.35000 陸前国桃生郡 73,441.62000 73,441.62000 陸前国栗原郡 136,492.99000 135,082.13000 1,410.86000 陸前国登米郡 41,791.37000 41,791.37000 陸前国玉造郡 24,906.98000 24,906.98000 陸前国本吉郡 21,682.68000 21,682.68000 陸前国気仙郡 15,626.76000 15,626.76000 陸中国磐井郡 84,007.06000 51,390.62000 32,616.44000 陸中国胆沢郡 75,764.26000 75,764.26000 陸中国江刺郡 38,815.27000 38,815.27000 常陸国筑波郡 3,662.04050 3,662.04050 常陸国信太郡 5,598.66466 5,598.66466 常陸国河内郡 2,213.82700 2,213.82700 下総国豊田郡 295.99000 295.99000 近江国蒲生郡 12,220.49600 12,220.49600 近江国野洲郡 1,157.20600 1,157.20600 合計 1,018,818.66116 984,791.36116 34,027.30000 改易処分後 308,364.610000 278,017.24000 30,347.37000 - ^ 名古屋藩の石高は、明治立藩の御附家老の犬山藩(公称高3万5千石、内高4万2704石8斗0升3合1勺)、今尾藩(公称高3万石、内高1万7906石9斗1升3合)の石高を含むが、御連枝の高須藩(公称高3万石、内高3万0154石5斗0升3合)の石高を含まない。名古屋藩のみの石高は85万3215石3斗2升9合8勺である。
- ^ 和歌山藩の石高は、明治立藩の御附家老の紀伊新宮藩(公称高3万8800石、内高3万9359石4斗0升9合6勺4才)、紀伊田辺藩(公称高3万5千石、内高3万6624石7斗5升8合2勺5才)の石高を含むが、御連枝の西条藩(公称高3万石、内高4万0801石8斗)の石高を含まない。和歌山藩のみの石高は53万9469石4斗7升0合7勺である。
- ^ 熊本藩の石高は、熊本新田藩(高瀬藩)(公称高3万5千石)、宇土藩(公称高3万石)の石高を含む。熊本藩は本領の他に2万2千石の私領同様預所を有していた。
- ^ 福岡藩の石高は、秋月藩(公称高5万石、内高5万1783石6斗2升5合3勺9才)の石高を含まない。
- ^ 広島藩の石高は、広島新田藩(公称高3万石)の石高を含む。
- ^ 萩藩の石高は、長府藩(豊浦藩)(公称高5万石、内高10万0972石)、徳山藩(公称高4万0010石、内高6万9054石)、清末藩(公称高1万石、内高1万3091石)、明治立藩の岩国藩(公称高6万石、内高8万1221石)の石高を含む。萩藩のみの石高は71万3666石である。なお萩藩は慶応2年旧暦5月1日(1866年6月13日)に禁門の変の咎で10万石の減封処分を下されている。
- ^ 佐賀藩の石高は、小城藩(公称高7万3252石)、蓮池藩(公称高5万2625石)、鹿島藩(公称高2万石)の石高を含む。なお佐賀四藩の石高は『藩制一覧』(88万6525石4斗2升0合0勺7才5弗)と『旧高旧領取調帳』(34万2913石3斗8升6合2勺8才)で明白に異なるが、これは佐賀藩における過大な新田高の算出法に起因し(例えば佐賀本藩の石高72万4739石3斗1升5合2勺の内、本高21万1159石0斗9升9合、新田高51万3580石2斗1升6合2勺)、ここでは佐賀藩の報告した過大な石高を採用した。
旧国郡 四藩合計 佐賀藩 小城藩 蓮池藩 鹿島藩 肥前国佐賀郡 95,677.440200 91,158.559200 3,954.138000 564.743000 肥前国神崎郡 41,936.357000 34,875.009300 7,061.347700 肥前国養父郡 11,463.730600 11,463.730600 肥前国三根郡 14,537.362100 14,537.362100 肥前国小城郡 41,137.798600 14,385.799500 26,751.999100 肥前国杵島郡 67,773.728130 63,775.096130 3,998.632000 肥前国藤津郡 33,033.061000 8,782.163800 10,539.488700 13,711.408500 肥前国松浦郡 14,154.731550 11,618.534350 2,317.502200 218.695000 肥前国彼杵郡 2,413.126100 2,413.126100 肥前国高来郡 20,786.057300 20,786.057300 合計 342,913.392580 273,795.438380 33,023.639300 22,382.906400 13,711.408500 『藩制一覧』 886,525.420075 724,739.315200 82,126.320000 59,659.784875 20,000.000000 - ^ a b 水戸藩の石高は、明治立藩の御附家老の常陸松岡藩(公称高2万5千石、内高1万7300石4斗7升)の石高を含むが、御連枝の高松藩(公称高12万石)、守山藩(松川藩)(公称高2万石、内高2万9322石3斗1升9合3勺3才)、常陸府中藩(石岡藩)(公称高2万石、内高2万9069石6斗8升3合0勺1才)。宍戸藩(公称高1万石、内高1万0499石6斗6升6合)の石高を含まない。水戸藩のみの石高は29万6115石3斗6升9合である。
- ^ 津藩の石高は、久居藩(公称高5万3千石、内高5万8686石1斗6升5合)の石高を含む。津藩のみの石高は29万9334石6斗8升2合である。
- ^ 鳥取藩の石高は、鳥取東館新田藩(鹿奴藩)(公称高3万石)、鳥取西館新田藩(若桜藩)(公称高1万5千石)、および明治立藩の福本藩(公称高1万0573石)へ分知した4500石の石高を含むが、福本藩の旧交代寄合領(内高7073石0斗5升2号)は含まない。
- ^ 岡山藩の石高は、鴨方藩(公称高2万5千石、内高2万5839石7斗7升)、生坂藩(公称高1万5千石)の石高を含む。岡山藩のみの石高は45万4117石1斗9升9合6勺である。
- ^ 会津藩は文久元年(1861年)旧暦4月、本領23万石(陸奥国5郡、越後国蒲原郡、安房国)の内、安房1万6600石と陸奥国会津・河沼・耶麻郡の内3万3400石を越後国魚沼・蒲原・岩舟・三島郡5万石に替え、陸奥国会津・河沼・耶麻郡の3万3400石を大名預所に振り替えることで、陸奥・下野・越後に広がる大名預所は7万5千石に増えた。文久3年10月15日(1863年11月25日)、この大名預所は私領同様預所とされた。京都守護職に就任した際、畿内を中心に5万石の役知(山城、河内、播磨)が支給されたが、他に文久4年2月11日(1864年1月4日)には5万石の加増の決定を受けた。多くの書籍ではこの時の加増として陸奥・下野の南山御蔵入領5万石を領分に振り替えたと記述しているが、実際に加増された地域は別に越後2万5千石、近江1万5千石、和泉1万石とする研究があり、本表ではこれに従った。詳しくは以下を参照。
- 真木惇, 「幕末期越後の会津藩領」, 『新潟史研究』, 15号, pp. 25–38 (1983年).
- 廣野卓, 「和泉国の会津藩領について」, 『会津史談会』, 48号, pp. 28–50 (1975年).
- 新田美香「京都守護職に対する幕府の財政援助(研究)」『お茶の水史学』第45巻、読史会、2001年10月、53-73頁、CRID 1050282677928565376、hdl:10083/900、ISSN 02893479。
旧国郡 領分・預所・役知合計 会津藩領分 会津藩預所 京都守護職役知 岩代国安積郡 12,121.10984 12,121.10984 岩代国河沼郡 76,212.17100 56,729.96800 19,482.20300 岩代国会津郡 88,221.33950 88,221.33950 岩代国大沼郡 53,029.61600 28,544.90800 24,484.70800 岩代国耶麻郡 126,244.94100 101,864.91300 24,380.02800 越後国魚沼郡 48,142.40550 24,579.43500 23,562.97050 越後国三島郡 4,486.12500 4,486.12500 越後国蒲原郡 48,058.66015 48,058.66015 越後国岩舟郡 13,191.57857 13,191.57857 和泉国南郡 1,273.35180 1,273.35180 和泉国日根郡 9,430.77490 9,430.77490 近江国栗太郡 1,401.84413 1,401.84413 近江国蒲生郡 829.52500 829.52500 近江国高島郡 3,024.39000 3,024.39000 近江国野洲郡 9,805.74285 9,805.74285 下野国塩谷郡 951.82100 951.82100 山城国愛宕郡 552.03140 552.03140 山城国葛野郡 3,179.09063 3,179.09063 山城国乙訓郡 3,002.27700 3,002.27700 山城国紀伊郡 4,365.51700 4,365.51700 山城国久世郡 6,654.22720 6,654.22720 山城国綴喜郡 3,618.76670 3,618.76670 山城国相楽郡 810.21950 810.21950 河内国河内郡 3,892.47700 3,892.47700 河内国讃良郡 5,912.00500 5,912.00500 河内国交野郡 4,614.54880 4,614.54880 河内国若江郡 3,923.46800 3,923.46800 播磨国美嚢郡 1,739.24990 1,739.24990 播磨国加東郡 2,031.86892 2,031.86892 播磨国加西郡 6,818.01400 6,818.01400 合計 547,539.15729 403,563.66574 92,861.73050 51,113.76105 - ^ 久留米藩は本領の他に2万2千石の私領同様預所を有していた。
- ^ 久保田藩の石高は、久保田新田藩(秋田新田藩、岩崎藩)(公称高2万石)の石高を含む。
- ^ 高知藩の石高は、高知新田藩(公称高1万石)の石高を含む。
- ^ 盛岡藩の石高は、盛岡新田藩(七戸藩)(公称高1万1千石)の石高を含むが、八戸藩(公称高2万石)の石高は含まない。また内高は『旧高旧領取調帳』から算出した。
旧国郡 三藩合計 盛岡・七戸藩合計 盛岡藩 七戸藩 八戸藩 陸中国厳手郡 45,941.572 45,941.572 45,941.572 陸中国紫波郡 54,630.511 47,812.127 47,812.127 6,818.384 陸中国稗貫郡 51,689.690 51,689.690 51,689.690 陸中国和賀郡 53,170.809 53,170.809 53,170.809 陸中国閉伊郡 28,559.015 28,559.015 28,559.015 陸中国鹿角郡 20,965.045 20,965.045 20,965.045 陸中国九戸郡 11,907.890 956.103 956.103 10,951.787 陸奥国二戸郡 14,796.270 14,796.270 14,796.270 陸奥国三戸郡 42,952.698 29,282.249 29,282.249 13,670.449 陸奥国北郡 23,524.559 23,524.559 9,611.033 13,913.526 合計 348,138.059 316,697.439 302,783.913 13,913.526 31,440.620 改易処分後 211,382.579 171,308.579 160,923.932 10,384.647 40,074.000 - ^ 彦根藩は本領の他に3万4千石の私領同様預所(内高3万4278石9斗2升)を有していた。
- ^ 松江藩の石高は、広瀬藩(公称高3万石、内高3万3128石0斗9升)、母里藩(公称高1万5千石、内高9560石9斗3升1合)を含む。松江藩のみの石高は24万5340石1斗5升9合である。
- ^ 米沢藩の石高は、米沢新田藩(公称高2万石)の石高を含む。なお慶応2年旧暦6月25日(1866年8月5日)に屋代郷3万石を加増されることで、出羽国置賜郡一円の所領が復帰した。米沢藩は本領の他に1万3千石の私領同様預所を有していた。内高は『旧高旧領取調帳』記載の羽前国置賜郡の総石高。
- ^ 幕末の鶴岡藩は「拾七万石之格」として扱われたが、実際の領知高は16万7071石余であった。鶴岡藩の石高は、出羽松山藩(松峰藩)(公称高2万5千石)の石高を含まない。また内高は『旧高旧領取調帳』から算出した。
旧国郡 二藩合計 大泉藩 松峰藩 羽前国村山郡 13,720.98120 13,720.98120 羽前国田川郡 157,863.44384 154,509.90731 3,353.53653 羽前国飽海郡 74,886.33810 67,875.45180 7,010.88630 上野国勢多郡 2,354.46100 2,354.46100 上野国山田郡 1,001.70400 1,001.70400 合計 249,826.92814 222,385.35911 27,441.56903 改易処分後 146,800.15744 120,000.00000 26,800.15744 - ^ 小倉藩の石高は、小倉新田藩(千束藩)(公称高1万石、内高1万0172石2斗1升2合6勺)、及び慶応3年旧暦1月20日(1867年2月24日)に長州藩預所となった企球郡代の石高(3万6981石2斗)を含む。豊津藩のみの石高は16万5617石3斗5升2合である。
- ^ 小田原藩の内高は『旧高旧領取調帳』から算出した。
旧国郡 内高 相模国足柄上郡 33,117.75041 相模国足柄下郡 28,467.56900 相模国淘綾郡 1,235.87839 相模国大住郡 3,326.93979 相模国愛甲郡 250.42200 相模国津久井県 4,612.21825 伊豆国君沢郡 2,932.72270 伊豆国田方郡 1,438.04100 駿河国駿東郡 16,590.62900 駿河国富士郡 1,135.80700 河内国石川郡 1,708.64600 河内国古市郡 660.39700 河内国安宿郡 777.36900 河内国大県郡 2,213.57300 河内国高安郡 721.54800 河内国河内郡 2,201.65100 河内国交野郡 8,156.41170 河内国若江郡 1,679.76800 河内国志紀郡 991.64400 河内国丹南郡 1,548.62100 河内国丹北郡 3,691.79400 摂津国東成郡 2,070.21800 摂津国住吉郡 5,323.86210 合計 124,853.48034 改易処分後 75,532.40314 - ^ 桑名藩の内高は『旧高旧領取調帳』から算出した。
旧国郡 内高 伊勢国桑名郡 30,662.92400 伊勢国員弁郡 32,884.77300 伊勢国朝明郡 14,110.25200 伊勢国三重郡 6,008.33000 越後国古志郡 1,472.08800 越後国魚沼郡 4,087.79500 越後国刈羽郡 40,058.02339 越後国三島郡 10,253.15300 越後国蒲原郡 4,901.77900 合計 144,439.11739 改易処分後 60,560.32500 - ^ 二本松藩の内高は『旧高旧領取調帳』から算出した。
旧国郡 内高 岩代国安達郡 87,124.05506 岩代国信夫郡 4,719.96030 岩代国安積郡 41,643.11242 合計 133,487.12778 改易処分後 500,000.000 - ^ 弘前藩の石高は、黒石藩(公称高1万石、内高1万3251石8斗8升5合)の石高を含む。弘前藩のみの石高は27万4482石である。
- ^ 棚倉藩の内高は『旧高旧領取調帳』から算出した。ただし信濃、遠江の白河藩領とされる地域も棚倉藩領として合算した。
旧国郡 内高 磐城国白川郡 22,955.74965 磐城国菊多郡 14,378.29860 磐城国楢葉郡 12,503.13000 磐城国磐前郡 2,663.53100 磐城国磐城郡 933.81000 岩代国伊達郡 17,679.10700 岩代国信夫郡 2,841.51800 羽前国村山郡 8,549.75800 播磨国加東郡 5,847.35400 信濃国伊那郡 14,039.90002 遠江国山名郡 3,075.17100 遠江国豊田郡 5,085.95000 遠江国麁玉郡 293.28000 遠江国引佐郡 2,150.49600 合計 112,997.05327 改易処分後 59,982.00000 - ^ 宇和島藩の石高は、伊予吉田藩(公称高3万石、内高3万0007石6斗8升8合5勺4才)の石高を含まない。
- ^ 幕末の明石藩は「拾万石之格」として扱われていたが、実際の領知高は8万石であった。
- ^ 幕末の対馬府中藩は「拾万石之格」として扱われたが、実際の領知高は3万3402石余であった。なお内高は『長崎県史 藩政編』により、他に預地3万5190石を豊前・豊後に有していた。明治2年旧暦9月18日(1869年10月22日)、歳賜米3万石を領地に換え、さらに明治3年旧暦1月19日(1870年2月19日)、領地の一部を振り替えることで、8万4509石余に加増される。
参考文献
[編集]- 村上直「江戸幕府直轄領の地域的分布について」『法政史学』第25巻、法政大学史学会、1973年2月、1-27頁、CRID 1390290699804342272、doi:10.15002/00010913、ISSN 03868893。
- 村上直「江戸後期,幕府直轄領の地域的分布について」『法政史学』第34巻、法政大学史学会、1982年3月、60-74頁、CRID 1390572174781114496、doi:10.15002/00011685、ISSN 03868893。