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* [http://www.city.itoigawa.lg.jp/3791.htm 糸魚川の歴史年表] |
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* [http://www.marukei-g.com/kubikibus/shasi/index.html 頸城自動車社史] |
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糸魚川市の歴史(いといがわしのれきし)
ここでは糸魚川市の歴史について扱う。
戦国時代以前
- 710年 - 古事記が完成。奴奈川姫と大国主命の記述。
- 989年 - 新潟焼山が大噴火。火砕流が海岸線付近に到達。
- 927年 - 延喜式が定められる。奴奈川神社、青海神社が掲載される。
- 1092年9月13日 - 越後国一帯に地震。親不知に大津波。
- 1221年 - 承久の乱。親不知の浄土崩れで幕府軍と朝廷軍が戦う。
- 室町時代 - 勝山城、根知城が築城。長尾氏の勢力下に。
- 1502年1月28日 - 越後南西部地震が発生。県境付近の真名板山が崩壊して姫川をせき止め天然ダムができる[1]。
- 1515年 - 白山神社本殿建造。
- 1565年 - 上杉謙信が村上義清を根知城城主に定める。
- 1599年 - 上杉遺民一揆
- 1601年 - 堀清重が清崎城を築く(根知城を放棄)。
江戸時代
- 江戸時代 - 北国街道と千国街道の交点として、糸魚川が宿場町として栄える。
- 1610年 - 越後高田藩の一部となり糸魚川城代(1万5,000石)に藩の家老職が入り一帯を治めた。
- 1611年 - 天津神社に対し、江戸幕府が黒印地百石を寄進
- 1613年 - 清崎城に荻田長繁(越後高田藩家老)が入城。
- 1618年 - 稲葉正成が糸魚川へ入る(-1624年)。
- 1624年 - 荻田長繁が糸魚川に入り、以降、1681年まで荻田家が三代に渡って糸魚川を治める。
- 1650年 - 清酒加賀ノ井の醸造元、加賀の井酒造が創業。
- 1681年 - 糸魚川城代荻田主馬(長繁の孫)が越後騒動に連座、八丈島へ遠島。清崎城は廃城。
- 1691年 - 延岡藩から有馬清純が5万石で入り糸魚川藩が誕生。
- 1695年 - 有馬清純が丸岡藩に転封。天領になる。
- 1699年 - 村山藩から本多助芳が1万石で入り糸魚川藩が復活。
- 1714年 - 正徳小谷地震。被害激甚。
- 1717年 - 本多助芳が飯山藩へ転封。松平直之が1万石で入り、幕末まで越前松平家の藩主が続くが、江戸に詰める定府大名であったため、実質的な統治は郡代が治めた。清崎城の近隣(現在の新潟県立糸魚川白峰高等学校付近)に城の代わりの陣屋が築かれる。
- 1747年8月19日 - 姫川が氾濫。須沢村(現在の糸魚川地域)で65軒226人が流失する。後に卯の満水と呼ばれる。
- 1751年4月11日 - 高田地震が発生。糸魚川周辺でも山腹崩壊が多数発生。圧死者多数。
- 1755年4月12日 - 姫川が氾濫。新田村(現在の糸魚川地域)で50戸残らず流失し、一時集団移転する。
- 1773年 - 新潟焼山が噴火。火砕流が発生。
- 1782年3月1日 - 姫川が氾濫。須沢村(現在の糸魚川地域)で全ての堤防と多数の家が流出。
- 1806年5月2日 - 大町が大火、306棟焼失。
- 1814年8月16日 - 七間町が大火、508棟焼失。
- 1816年2月17日 - 横町大火、744棟焼失。
- 1819年 - 黒川騒動勃発。苛酷な御用金徴収を行った郡代の黒川九郎治に対する一揆。
- 1824年 - 根知村(現在の糸魚川地区)の戸倉山で大規模な雪崩が発生。千国街道のボッカ宿が全壊し、死者多数。
- 1826年6月20日 - 浜町大火、600棟焼失。
- 1834年4月20日 - 横町大火、458棟焼失。
明治時代
- 1869年 - 版籍奉還により清崎藩となる。
- 1871年8月 - 廃藩置県で、清崎藩が清崎県となる。
- 1871年12月31日 - 清崎県が柏崎県に統合される。
- 1872年 - 七間町に郵便取扱所(後の糸魚川郵便局)設置。
- 1873年6月10日 - 柏崎県を廃し、新潟県に合併。
- 1873年6月13日 - 浦本で大火、300棟焼失。
- 1873年 - 糸魚川取締所(後の糸魚川警察署)設置。
- 1876年 - 高田病院糸魚川分院が開業。
- 1877年 - 複数の起業家の手により、もぐさの工業的生産が始まる(以後、参入する会社も増え、糸魚川周辺の名産品となる)。
- 1887年9月26日-28日 - 明治天皇が北陸道、東海道巡幸で糸魚川入り。高田方面から入り、28日に親不知を越えて富山へ移動した[2]。
- 1878年 - 郡区町村編制法によって西頸城郡が発足。郡役所が糸魚川町に設置。
- 1882年 - 北陸道の親不知道が開通。山沿いに道が拓かれ、危険な海岸線を歩く必要が無くなった。
- 1885年 - 北陸道(現在の国道8号)が国道21号甲に指定。
- 1887年 - 小滝村赤禿山にて小滝炭鉱の開発が始まる(数社の手により、太平洋戦争後まで断続的に撤退、参入が続く)。
- 1889年 - 町村制の施行に伴い、各地域に町村が成立。
- 1892年10月21日 - 上能生村(現在の能生地区)が南能生村から分立。
- 1898年9月7日 - 集中豪雨により姫川上流部で河道閉塞が発生。閉塞箇所は破堤し、土石流となって下流の須沢村(現在の糸魚川地区)を襲い、村役場や小学校を含め多数の家屋が床上浸水の被害にあった。多くの田畑(40町歩)は流出してきた土石により埋まり荒廃した。
- 1901年11月1日 - 各地域で市町村の合併が行われる。
- 1903年8月 - 新潟県立高田中学校糸魚川分校(後の新潟県立糸魚川高等学校)が設立。仮校舎による授業開始は1906年。
- 1904年8月13日 - 新屋町にて大火、459棟焼失。
- 1906年4月14日 - 能生白山神社の聖観音立像が国の重要文化財に指定。
- 1908年 - 新潟県立能生水産学校が設立(前身は1899年に設立された能生町立能生水産補習学校、現在は新潟県立海洋高等学校)。
- 1911年4月22日 - 浜町にて大火、503棟焼失。
- 1911年8月8日 - 姫川上流長野県小谷村の稗田山が大崩壊(1億立方メートル)。姫川本流の土砂流出が活発になる。
- 1912年7月12日 - 梅雨前線が活発化し姫川が氾濫。姫川の支流、小滝村(現在の糸魚川地区)の大所発電所工事箇所が決壊、青海村(現在の青海地区)に建設中だった日本窒素肥料(現在のチッソ)の工場が立ちゆかなくなる。下流域でも、今井村(現在の糸魚川地区)の須沢小学校が流出するなど氾濫、河口域でも建設中の信越線(現在の北陸本線)姫川橋梁が大破、国道橋も流出した。
大正時代
- 1912年10月15日 - 信越線泊駅-青海駅間延伸開業。同時に親不知駅も開業。
- 1912年12月16日 - 信越線名立駅-糸魚川駅間延伸開業。同時に能生駅、梶屋敷駅も開業。
- 1913年4月1日 - 青海駅-糸魚川駅間が開業し米原駅-直江津駅間が全通。信越線を北陸本線に改める。
- 1916年12月28日 - 暴風雪により市振駅~親不知駅間(現在の青海地区)のトンネルの入口付近崩壊、また、親不知駅付近と青海駅付近で路盤が流出。
- 1917年頃 - 乗合バスの運行開始(これ以前は、乗合馬車が運行されていた)。
- 1919年 - 国道21号甲(現在の国道8号)が路線番号見直しにより国道11号に指定。
- 1920年 - 糸魚川-小滝間の道路が新潟県道糸魚川松本線(三等県道)に指定。
- 1921年 - 電気化学工業により小滝川水力発電所が完成。姫川沿いの水力発電所建設が盛んになる。電気化学工業は、電力を用いて石灰窒素とカーバイドの製造を開始。
- 1921年 - 今井橋が完成。
- 1922年2月3日 - 北陸本線勝山トンネル(現在の青海地区)西口で雪崩が発生し列車が巻き込まれる。除雪人夫を含め死者90人、負傷者40名。(北陸線列車雪崩直撃事故)
- 1923年2月4日 - 風波集落(現在の青海地区)で雪崩が発生。1家6人が死亡。他の3戸も被害にも被害が及び、風波地区から退去。
- 1923年 - 緑町住民により簡易水道組合が設立。水道水の供給が始まる。
- 1923年3月28日 - 水保の十一面観音立像が国の重要文化財に指定。
- 1923年 - 電気化学工業が小滝に大所川水力発電所を完成。
- 1925年 - 今井、須沢地区にて、酸性白土の採掘が水神白土合資会社(後の東洋活性白土)により始まる。
- 1926年 - 信越窒素肥料(現在の信越化学工業の前身)が親不知に鉱業所を設置。石灰石を採掘し、直江津工場へ輸送を開始。
昭和時代(旧糸魚川市発足以前)
- 1927年2月8日 - 大雪のため能生、糸魚川地区で雪崩が頻発、能生谷村で死者11人、磯部村で死者5人、糸魚川町で死者5人。
- 1927年2月10日 - 能生町大洞で地すべりが発生、死者12人の被害。
- 1927年8月1日 - 青海村が青海町へ。
- 1929年1月2日 - 波浪により市振村(現在の青海地区)で全戸浸水の被害。船小屋、漁具が全部流失するなど大きな経済的な損失を受ける。歌外波村(現在の青海地区)でも30戸が浸水、漁具が流失する被害。北陸本線の路盤も流失する。
- 1929年4月4日 - 能生町浦本で地すべり、北陸本線の路盤が被害を受け10日間不通に。
- 1929年8月8日-9日 - 集中豪雨により各河川が氾濫するなどの被害。北陸本線では、浦本近辺で発生した土砂崩れに貨物列車が乗り上げ、蒸気機関車及び4-5両の貨車が脱線転覆。
- 1930年7月9日-10日 - 集中豪雨により各河川が氾濫。姫川は4.2mの水位上昇が見られた。
- 1932年12月21日 - 横町で大火、368棟焼失。
- 1933年 - 電気化学工業が大所川水力発電所、小滝水力発電所を現物出資し、黒部川電力株式会社が設立(1953年、証券保有制限令により出資が解消され再び電気化学工業の所有に)。
- 1934年2月 - 能生町藤崎で地すべり、北陸本線の路盤が被害を受け9日間不通に。
- 1934年 - 黒部川電力株式会社により姫川第六水力発電所が完成。
- 1934年11月14日 - 大糸北線糸魚川駅- 根知駅間開業。
- 1936年2月11日 - 糸魚川町矢内で雪崩が発生。死者6人。
- 1937年- 上越医療購買利用組合連合会上越病院糸魚川分院(現在の新潟県厚生農業協同組合連合会糸魚川総合病院)が開業。
- 1935年12月24日 - 大糸北線根知駅-小滝駅間延伸開業。
- 1936年 - 糸魚川商工会(糸魚川商工会議所の前身)が発足。
- 1937年 - 能生銀行に大和川銀行が吸収されるなど、中・小銀行の再編成が始まる。
- 1938年 - 小滝村でヒスイが発見される(* 1955年、天然記念物に指定)。
- 1939年 - 電気化学工業により青海川水力発電所が完成。
- 1940年12月27日 - 糸魚川タクシーが創業。
- 1942年4月1日 - 浦本村の旧鬼伏村区域が木浦村へ移管。
- 1943年 - 戦時統制の影響により、第四銀行に能生銀行、第一三九銀行などが吸収される。
- 1944年3月21日 - 青海町の電化社(現在の電気化学工業青海工場)の原石山で発破が失敗し大崩壊が発生、11名死亡。
- 1944年 - 戦時統制の影響により、市内のバス会社6社が頸城鉄道へ吸収される。
- 1947年5月19日 - 能生町柵口にて地すべりが発生。被害家屋80戸。
- 1948年9月6日 - 集中豪雨により新潟県西部域で被害。罹災者165人、浸水33件、田の流出30a、冠水1,000a、土砂流入150a、畑の冠水600a、橋の流出2か所、道路の流出1か所、堤防決壊2か所。
- 1949年7月30日 - 新潟焼山から泥流が発生。
- 1949年 - 信越化学が山之坊(小滝)で蛇紋岩(熔成燐肥の材料)の採掘を始める。
- 1949年 - 水族館ができる。
- 1951年9月20日 - 糸魚川信用組合発足。
- 1952年7月1日 - 集中豪雨により水田3,500a冠水。歌地区で土砂崩れにより死者1人。
- 1952年12月4日 - 国道11号が国道8号に統合される。
- 1953年5月18日 - 国道148号(前県道糸魚川-松本線)が指定。
昭和時代(旧糸魚川市発足以降)
- 1954年6月1日 - 糸魚川町に浦本村、下早川村、上早川村、大和川村、西海村、大野村、根知村、小滝村が合併し糸魚川市が誕生。
- 1954年10月1日 - 各地域で市町村合併が行われ、以後、2005年の大合併まで51年間の1市2町村体勢ができあがる。
- (現在の能生地区):能生町、能生谷村、磯部村、木浦村が合併して能生町となる。
- (現在の糸魚川地区):糸魚川市に今井村の一部が編入。
- (現在の青海地区):青海町、歌外波村、市振村、上路村及び今井村の一部を編入して青海町が成立。
- 1954年 - 電気化学工業青海工場にセメント工場が建設。
- 1955年 - 姫川電力(現・東京発電)により姫川第七水力発電所が完成。
- 1956年 - 青海川のヒスイの原産地が国の天然記念物に指定(前年には小滝川が指定)。
- 1957年8月15日 - 大糸北線の小滝駅以南が開通。大糸北線を改め大糸線。
- 1959年 - 赤痢大発生。300名以上の患者が発生する。
- 1961年4月1日 - 糸魚川高等学校の商業科を分離し、新潟県立糸魚川商工高等学校が設立(現新潟県立糸魚川白嶺高等学校)。
- 1961年 - 第2室戸台風の集中豪雨により、姫川が増水。姫川橋が破損し、一週間運行停止。
- 1962年8月 - 東北電力大所川第一水力発電所運用開始
- 1962年12月1日 - 大糸線経由の新宿駅行き、急行第一白馬が運行開始。2両編成、大糸線内準急扱いも首都圏へ向けた初の直通列車となる(糸魚川駅での特急停車は、1966年のはくたかが初)。
- 1963年3月16日 - 能生町小泊で地すべりが発生。死者・行方不明者4人、負傷者6人、倒壊家屋27戸。また、当該箇所で北陸本線の列車が脱線転覆し、負傷者15人。
- 1964年 - 明星セメント糸魚川工場が操業開始。
- 1965年9月30日 - 北陸本線黒岩信号場-青海駅間が複線化。同時に泊駅-糸魚川駅間が交流電化。
- 1965年 - 姫川港の建設が始まる。
- 1966年9月29日 - 北陸本線の無煙化。
- 1967年5月8日 - 姫川が氾濫。小滝の大所川で発電所が土石流により埋没。
- 1969年 - 国道148号線沿い姫川温泉付近に白馬大仏が完成。
- 1969年10月1日 - 糸魚川駅-直江津駅間直流電化(糸魚川駅東方にデッドセクション設置)、全線複線電化完成。
- 1972年6月 - 能生バイパス供用開始。
- 1972年 - 大糸線無煙化。
- 1972年12月12日 - 能生町島道で地すべりが発生。倒壊家屋4戸。
- 1973年 - 姫川港西埠頭2号岸壁完成。開港宣言。
- 1973年12月7日 - 糸魚川バイパス供用開始。
- 1974年7月28日 - 新潟焼山が噴火。山頂付近で3人が死亡。
- 1974年10月 - 信越化学工業(新潟ポリマー株式会社)糸魚川工場が完成。
- 1974年 - 早川郷藤まつりが始まる。
- 1975年7月19日 - おまんたまつりが始まる。
- 1975年12月8日 - 天津神社舞楽が無形民俗文化財に指定。
- 1976年4月1日 - 1市2町(糸魚川、青海、能生)による糸魚川地域消防事務組合が設立。
- 1976年 - 蓮華温泉へ通じる道路が開通。
- 1980年1月28日 - 糸魚川・能生の舞楽が重要無形民俗文化財に指定。
- 1980年12月 - 糸魚川シーサイドバレースキー場開場。
- 1981年 - 糸魚川警察署移転。
- 1982年7月 - 珠洲港-糸魚川港間に航路開設。
- 1985年2月15日 - 青海町市振で地すべりが発生。死者10人、負傷者4人、倒壊家屋9人。
- 1985年 - 高浪池、ヒスイ峡一帯が白馬山麓国民休養地に指定される。
- 1987年 - 糸魚川医療生活協同組合姫川病院が開業(2007年6月末閉院、同年8月25日破産)
- 1988年7月20日 - 北陸自動車道の朝日インターチェンジ-親不知インターチェンジ-糸魚川インターチェンジ-能生インターチェンジ-名立谷浜インターチェンジ間が開通し、北陸自動車道が全線開通。
- 1988年7月21日 - 頸城自動車による上越-糸魚川間の高速バスが運行開始(* 1999年廃止)
平成時代(糸魚川市発足以前)
- 1990年7月24日 - 奴奈川観光開発(2004年1月21日民事再生法の適用を申請)が糸魚川カントリークラブを開業。
- 1990年8月22日 - 最低気温30.8度を記録。日本の気象観測史上最も高温の記録。
- 1990年9月16日 - 第一回糸魚川さかなまつりが開催。
- 1990年10月22日 - 新潟交通と頸城自動車の共同運行による新潟駅-糸魚川駅間の高速バスが運行開始。
- 1994年4月25日 - フォッサマグナミュージアムが開業。
- 1994年10月1日 - 頸城自動車から糸魚川バスが分社化。
- 1994年11月26日 - 市振バイパスの供用開始。
- 1995年7月11日 - 梅雨前線の活発化により集中豪雨(7.11水害)。姫川は氾濫し、国道148号も沿線で土石流が頻発し各地で寸断され山之坊、平岩などの集落が孤立し500人以上がヘリコプターで避難した。山之坊小学校の敷地は地すべりにより崩壊した。路盤が流出した大糸線の南小谷駅-根知駅間が1997年11月29日まで不通に。
- 1996年12月6日 - 蒲原沢(新潟・長野県境)上部で土石流が発生。下流の災害復旧現場にて死者14名(蒲原沢土石流災害)。
- 1997年4月11日 - 道の駅として越後市振の関(青海)が指定。
- 1998年8月6日 - 新潟焼山の入山を一部解禁(2006年全面解除、但し登山道はない)。
- 1998年12月19日 - 能生にシャルマン火打スキー場が開業。
- 1999年3月31日 - 小滝小学校が児童数の減少により休校(その後閉校)。
- 1999年 - 雨飾温泉へ道路が開通。
- 2000年10月3日 - 北陸自動車道路、親不知インターチェンジ-糸魚川インターチェンジ間の改良工事が終了。北陸自動車道路が全線で4車線化。
- 2000年12月8日 - 親不知ピアパークが道の駅に認定。
- 2003年 - 姫川港がリサイクルポートに指定。翌年、貨物取扱量が560万トンを突破。
平成時代(糸魚川市発足以降)
- 2005年3月19日 - 糸魚川市、能生町、青海町が新設合併して現在の糸魚川市となる。旧糸魚川市の合併時の面積は466.62km2(境界未定部分あり)、人口は31,567人(2004年9月1日)。
- 2005年3月31日 - 中早川小学校、北西海小学校、南西海小学校、歌外波小学校が児童数の減少により閉校。
- 2005年4月25日 - 糸魚川市長選挙、市議員選挙投票日。有権者数42,208人、市長選投票率80.07%、市議選投票率83.15%。市長選は米田徹が当選、山岸美隆、吉岡静夫を下す。
- 2007年7月17日- 新潟県中越沖地震発生、糸魚川市震度4。けが人1名。市内各所で土砂災害が発生。北陸自動車道糸魚川インターチェンジ以東が一時通行止になる。
- 2008年6月2日 - 市議会議員定数削減条例案(30を26に削減)を可決
- 2008年 - 上越漁協と糸魚川、青海などの各漁協が合併。
- 2008年12月 - 糸魚川ジオパークが日本ジオパークネットワークに加盟。日本ジオパークとして認定される[3]。
- 2009年8月22日 - 糸魚川ジオパークが世界ジオパークネットワークに加盟。世界ジオパークとして認定される[3]。
- 2010年3月31日 - 磯部中学校が閉校。
- 2015年3月14日 - 北陸新幹線糸魚川駅が開業。同時に市内を走る北陸本線がJR西日本からえちごトキめき鉄道へ移管され、路線名も日本海ひすいラインへと変更となる。
- 2016年12月22日 - 糸魚川駅前の商店街にて大規模な火災が発生した(糸魚川大火)[4]。
出典
- ^ 1502年の姫川流域・真那板山の大崩壊と天然ダムいさぼうネット(2017年1月3日閲覧)
- ^ 富山県護国神社『富山県における聖帝四代の御製を拝す』富山県護国神社、2012年、p78頁。
- ^ a b 糸魚川ユネスコ世界ジオパーク > 糸魚川ジオパークとは > 糸魚川ジオパークのあゆみ
- ^ 延焼150棟・4万平方メートルと発表 糸魚川の火災(朝日新聞デジタル 2016年12月23日閲覧)
参考文献
- 新潟県西頚城郡青海町の主な災害記録 - ウェイバックマシン(2004年10月24日アーカイブ分)
- 糸魚川の歴史年表
- 市町村変遷 (PDF)
- 新潟県治山事業のあゆみ (PDF) (2005年3月29日時点のアーカイブ)
- 頸城自動車社史
- 糸魚川市史[要文献特定詳細情報]