糸魚川町
表示
いといがわまち 糸魚川町 | |
---|---|
廃止日 | 1954年6月1日 |
廃止理由 |
新設合併 糸魚川町、浦本村、下早川村、 上早川村、大和川村、西海村、 大野村、根知村、小滝村 → 糸魚川市 |
現在の自治体 | 糸魚川市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 |
中部地方、北陸地方 甲信越地方 |
都道府県 | 新潟県 |
郡 | 西頸城郡 |
隣接自治体 | 大和川村、西海村、大野村、今井村 |
糸魚川町役場 | |
所在地 | 新潟県西頸城郡糸魚川町大町2-5-10(1913年時点)[1] |
座標 | 北緯37度02分21秒 東経137度51分46秒 / 北緯37.03903度 東経137.86267度座標: 北緯37度02分21秒 東経137度51分46秒 / 北緯37.03903度 東経137.86267度 |
ウィキプロジェクト |
糸魚川町(いといがわまち)は、かつて新潟県西頸城郡にあった町。現在の糸魚川市主要部。
位置・地勢
[編集]郡の中央に位し、姫川右岸にあり日本海に面す。東方に大和川(海川)、南方は丘陵を隔てて遠く信越国境の山嶺を望む。
歴史
[編集]弘法大師通過の際、「管に糸を巻きたるまま川に投げ入れたるもの、魚となるより糸魚と名あり」の伝聞がある。天文年間には越後長尾氏の勢力が及び、堀氏、松平忠輝領と続く。享保2年、松平信濃守直之が1万石で入り陣屋を構え、代々襲封し維新を迎える。柏崎縣を経て新潟県の管轄に統一された。
→詳細は「糸魚川市の歴史」を参照
沿革
[編集]- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、西頸城郡糸魚川寺町、糸魚川大町、糸魚川横町、糸魚川七間町、糸魚川新屋町、糸魚川新田町及び糸魚川鉄砲町の区域をもって、西頚城郡糸魚川町が発足する。
- 1901年(明治34年)11月1日 - 西頸城郡糸魚川町、柳形村及び奴奈川村が合併して、改めて西頸城郡糸魚川町が発足する。
- 1913年(大正2年) - 町役場を大町2-5-10に新築移転[1]。
- 1954年(昭和29年)6月1日 - 西頸城郡糸魚川町、浦本村、下早川村、上早川村、大和川村、西海村、大野村、根知村及び小滝村が合併して、糸魚川市が発足する。
官公署
[編集]- 郡役所
地域
[編集]寺町、大町、新屋、七間、横町、新田、鉄砲町、押上、一之宮、連台寺、上刈、寺島
経済
[編集]産業
[編集]- 農業
『大日本篤農家名鑑』によれば、糸魚川町の篤農家は「石川喜作、牧江節司、牧井順造、中村美樹、増野四方八郎、小柳卯之吉、藤巻民蔵」などである[2]。
出身・ゆかりのある人物
[編集]- 相馬御風(詩人、歌人、作詞家) - 大町出身。
脚注
[編集]- ^ a b 『糸魚川市史 昭和編 年表・索引』(2007年3月31日、糸魚川市発行)2ページ。
- ^ 『大日本篤農家名鑑』518頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年8月14日閲覧。
参考文献
[編集]- 大日本篤農家名鑑編纂所編『大日本篤農家名鑑』大日本篤農家名鑑編纂所、1910年。
- 『市町村名変遷辞典』東京堂出版、1990年。