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'''ジョヴァンニ・トラパットーニ'''(Giovanni Trapattoni、[[1939年]][[3月17日]] - )は、[[イタリア]]・[[クザーノ・ミラニーノ]]出身の元[[サッカーイタリア代表|同国代表]][[サッカー選手]]、サッカー指導者。 |
'''ジョヴァンニ・トラパットーニ'''(Giovanni Trapattoni、[[1939年]][[3月17日]] - )は、[[イタリア]]・[[クザーノ・ミラニーノ]]出身の元[[サッカーイタリア代表|同国代表]][[サッカー選手]]、サッカー指導者。 |
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監督としてイタリア、[[ドイツ]]、[[ポルトガル]]、[[オーストリア]]の異なる4ヶ国でリーグ制覇を成し遂げ、[[ヨーロッパサッカー連盟]](UEFA)主催の3大タイトル([[UEFAチャンピオンズリーグ|UEFAチャンピオンズカップ]]、[[UEFAカップ]]、[[UEFAカップウィナーズカップ]])<ref>UEFA3大タイトルを獲得した人物は、トラパットーニ以外には[[バイエルン・ミュンヘン]]等を率いた[[ドイツ]]の[[ウド・ラテック]]がいる。</ref>及び[[インターコンチネンタルカップ (サッカー)|トヨタカップ]]の両方を制覇した唯一の人物。 |
監督としてイタリア、[[ドイツ]]、[[ポルトガル]]、[[オーストリア]]の異なる4ヶ国でリーグ制覇を成し遂げ、[[ヨーロッパサッカー連盟]](UEFA)主催の3大タイトル([[UEFAチャンピオンズリーグ|UEFAチャンピオンズカップ]]、[[UEFAカップ]]、[[UEFAカップウィナーズカップ]])<ref>UEFA3大タイトルを獲得した人物は、トラパットーニ以外には[[FCバイエルン・ミュンヘン|バイエルン・ミュンヘン]]等を率いた[[ドイツ]]の[[ウド・ラテック]]がいる。</ref>及び[[インターコンチネンタルカップ (サッカー)|トヨタカップ]]の両方を制覇した唯一の人物。 |
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== 経歴 == |
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===監督時代=== |
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その後、[[1973年]]に[[チェーザレ・マルディーニ]]の後を受けてACミラン監督として指導者としてのキャリアをスタート。[[1976年]]に[[ユヴェントス]]の監督に就任すると、初年度でセリエA優勝を果たし、[[1986年]]までの在籍期間に[[UEFAチャンピオンズカップ]]優勝等、13個のタイトル獲得に力を発揮。さらに指揮を執った[[インテルナツィオナーレ・ミラノ|インテル]]や[[バイエルン・ミュンヘン]]でも多くのタイトルを獲得した。 |
その後、[[1973年]]に[[チェーザレ・マルディーニ]]の後を受けてACミラン監督として指導者としてのキャリアをスタート。[[1976年]]に[[ユヴェントス]]の監督に就任すると、初年度でセリエA優勝を果たし、[[1986年]]までの在籍期間に[[UEFAチャンピオンズカップ]]優勝等、13個のタイトル獲得に力を発揮。さらに指揮を執った[[インテルナツィオナーレ・ミラノ|インテル]]や[[FCバイエルン・ミュンヘン|バイエルン・ミュンヘン]]でも多くのタイトルを獲得した。 |
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[[2000年]]、[[サッカー欧州選手権2000|EURO2000]]終了後に[[ディノ・ゾフ]]がイタリア代表監督を辞任したのを受けて代表監督に就任。[[2002年]]の[[2002 FIFAワールドカップ|日韓W杯]]、[[サッカー欧州選手権2004|EURO2004]]などで指揮を執った。守備的な戦術によって豊富なタレントを活かすことは出来ず、EURO2004ではグループリーグ敗退という結果に終わる。 |
[[2000年]]、[[サッカー欧州選手権2000|EURO2000]]終了後に[[ディノ・ゾフ]]がイタリア代表監督を辞任したのを受けて代表監督に就任。[[2002年]]の[[2002 FIFAワールドカップ|日韓W杯]]、[[サッカー欧州選手権2004|EURO2004]]などで指揮を執った。守備的な戦術によって豊富なタレントを活かすことは出来ず、EURO2004ではグループリーグ敗退という結果に終わる。 |
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== エピソード == |
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*守備を最重要視する監督として知られており、結果は残すが攻撃的なサッカーは滅多に行わない。そのため、確実に勝ち点を稼いでいく堅実的なタイプの監督であるが、同時に彼の率いるクラブからは魅力が感じられない、と批判の対象になることも多い。一方で、規律正しいサッカーをチームに実践させ、ドイツでも長年指揮を取ったことからイタリアでは「テデスコ」(''Il Tedesco''、ドイツ人)と頻繁に呼ばれている。[[バイエルン・ミュンヘン]]監督時代は、[[フランツ・ベッケンバウアー]]からの評価は高かった。このこともあり、後に[[レッドブル・ザルツブルク]]の監督を務めている。 |
*守備を最重要視する監督として知られており、結果は残すが攻撃的なサッカーは滅多に行わない。そのため、確実に勝ち点を稼いでいく堅実的なタイプの監督であるが、同時に彼の率いるクラブからは魅力が感じられない、と批判の対象になることも多い。一方で、規律正しいサッカーをチームに実践させ、ドイツでも長年指揮を取ったことからイタリアでは「テデスコ」(''Il Tedesco''、ドイツ人)と頻繁に呼ばれている。[[FCバイエルン・ミュンヘン|バイエルン・ミュンヘン]]監督時代は、[[フランツ・ベッケンバウアー]]からの評価は高かった。このこともあり、後に[[レッドブル・ザルツブルク]]の監督を務めている。 |
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*トラパットーニは大の話好きであり、また難解な独自の言い回しを用いるために国際試合での記者会見などでは同時通訳者の頭を悩ませている。 |
*トラパットーニは大の話好きであり、また難解な独自の言い回しを用いるために国際試合での記者会見などでは同時通訳者の頭を悩ませている。 |
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*練習や試合中は、独特の音色を出す指笛で選手を呼ぶ。この指笛は、幼い頃羊飼いをしていた友人に教わったものだという。「その友人は指笛の名人でね。指一本で様々な音色を出せたんだ。私にはとても真似できなかったよ」(トラパットーニ談)。 |
*練習や試合中は、独特の音色を出す指笛で選手を呼ぶ。この指笛は、幼い頃羊飼いをしていた友人に教わったものだという。「その友人は指笛の名人でね。指一本で様々な音色を出せたんだ。私にはとても真似できなかったよ」(トラパットーニ談)。 |
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* [[サッカー・ブンデスリーガ (ドイツ)|ドイツ・ブンデスリーガ]]:1回 (1996-97) |
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* [[ドイツリーグカップ]]:1回 (1996-97) |
* [[ドイツリーグカップ]]:1回 (1996-97) |
2017年8月29日 (火) 09:40時点における版
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名前 | ||||||
愛称 | トラップ、テデスコ | |||||
ラテン文字 | Giovanni Trapattoni | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | イタリア | |||||
生年月日 | 1939年3月17日(85歳) | |||||
出身地 | クザーノ・ミラニーノ | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | DF | |||||
ユース | ||||||
1953-1959 | ミラン | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1959-1971 | ミラン | 274 | (3) | |||
1971-1972 | ヴァレーゼ | 10 | (0) | |||
代表歴 | ||||||
1960-1964 | イタリア | 17 | (1) | |||
監督歴 | ||||||
1972-1974 | ミラン (ユース) | |||||
1974 | ミラン | |||||
1975-1976 | ミラン | |||||
1976-1986 | ユヴェントス | |||||
1986-1991 | インテル・ミラノ | |||||
1991-1994 | ユヴェントス | |||||
1994-1995 | バイエルン・ミュンヘン | |||||
1995-1996 | カリアリ | |||||
1996-1998 | バイエルン・ミュンヘン | |||||
1998-2000 | フィオレンティーナ | |||||
2000-2004 | イタリア | |||||
2004-2005 | ベンフィカ | |||||
2005-2006 | シュトゥットガルト | |||||
2006-2008 | レッドブル・ザルツブルク | |||||
2008-2013 | アイルランド | |||||
2010 | バチカン | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
ジョヴァンニ・トラパットーニ(Giovanni Trapattoni、1939年3月17日 - )は、イタリア・クザーノ・ミラニーノ出身の元同国代表サッカー選手、サッカー指導者。
監督としてイタリア、ドイツ、ポルトガル、オーストリアの異なる4ヶ国でリーグ制覇を成し遂げ、ヨーロッパサッカー連盟(UEFA)主催の3大タイトル(UEFAチャンピオンズカップ、UEFAカップ、UEFAカップウィナーズカップ)[1]及びトヨタカップの両方を制覇した唯一の人物。
経歴
選手時代
1959年、セリエA・ACミランに入団し、リーグを2回、コッパ・イタリアを1回、チャンピオンズカップを2回優勝し、活躍を見せた。イタリア代表としても17試合に出場し、1962年のチリW杯にも参加。1972年、ヴァレーゼに在籍したのを最後に選手を引退した。
監督時代
その後、1973年にチェーザレ・マルディーニの後を受けてACミラン監督として指導者としてのキャリアをスタート。1976年にユヴェントスの監督に就任すると、初年度でセリエA優勝を果たし、1986年までの在籍期間にUEFAチャンピオンズカップ優勝等、13個のタイトル獲得に力を発揮。さらに指揮を執ったインテルやバイエルン・ミュンヘンでも多くのタイトルを獲得した。
2000年、EURO2000終了後にディノ・ゾフがイタリア代表監督を辞任したのを受けて代表監督に就任。2002年の日韓W杯、EURO2004などで指揮を執った。守備的な戦術によって豊富なタレントを活かすことは出来ず、EURO2004ではグループリーグ敗退という結果に終わる。
EURO2004終了後に代表監督を辞した後、ベンフィカとレッドブル・ザルツブルクの監督を務め、ポルトガルとオーストリアでリーグ優勝を果たした。
2007-08シーズン終了後、ザルツブルク監督の職を辞し、アイルランド代表監督に就任した[2]。2010 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選ではグループ2位となり、フランスとのプレーオフに臨んだが、アンリのハンドが見逃される誤審もあり敗北し、本大会出場はならなかった。
エピソード
このサッカー指導者のエピソードに関する文献や情報源が必要です。 (2014年1月) |
- 守備を最重要視する監督として知られており、結果は残すが攻撃的なサッカーは滅多に行わない。そのため、確実に勝ち点を稼いでいく堅実的なタイプの監督であるが、同時に彼の率いるクラブからは魅力が感じられない、と批判の対象になることも多い。一方で、規律正しいサッカーをチームに実践させ、ドイツでも長年指揮を取ったことからイタリアでは「テデスコ」(Il Tedesco、ドイツ人)と頻繁に呼ばれている。バイエルン・ミュンヘン監督時代は、フランツ・ベッケンバウアーからの評価は高かった。このこともあり、後にレッドブル・ザルツブルクの監督を務めている。
- トラパットーニは大の話好きであり、また難解な独自の言い回しを用いるために国際試合での記者会見などでは同時通訳者の頭を悩ませている。
- 練習や試合中は、独特の音色を出す指笛で選手を呼ぶ。この指笛は、幼い頃羊飼いをしていた友人に教わったものだという。「その友人は指笛の名人でね。指一本で様々な音色を出せたんだ。私にはとても真似できなかったよ」(トラパットーニ談)。
獲得タイトル
選手時代
- スクデット:2回 (1961-62, 1967-68)
- チャンピオンズカップ:2回 (1962-63, 1968-69)
- コッパ・イタリア:1回 (1966-67)
- カップウィナーズカップ:1回 (1967-68)
- インターコンチネンタルカップ:1回 (1968-69)
監督時代
- スクデット:6回 (1976-77, 1977-78, 1980-81, 1981-82, 1983-84, 1985-86)
- コッパ・イタリア:2回 (1978-79, 1982-83)
- UEFAチャンピオンズカップ:1回 (1984-85)
- UEFAカップ:2回 (1976-77, 1992-93)
- UEFAカップウィナーズカップ:1回 (1983-84)
- ヨーロッパ・スーパーカップ:1回 (1985)
- トヨタカップ:1回 (1985)
- スクデット:1回 (1988-89)
- UEFAカップ:1回 (1990-91)
- スーペルコッパ・イタリアーナ:1回 (1989)
- ドイツ・ブンデスリーガ:1回 (1996-97)
- ドイツリーグカップ:1回 (1996-97)
- ドイツ・カップ:1回 (1997-98)
- スーペル・リーガ:1回 (2004-05)
- オーストリア・ブンデスリーガ:1回 (2006-07)
脚注
- ^ UEFA3大タイトルを獲得した人物は、トラパットーニ以外にはバイエルン・ミュンヘン等を率いたドイツのウド・ラテックがいる。
- ^ AFPBBニュース 2008年5月2日配信
外部リンク
- ジョバンニ・トラパットーニ – FIFA主催大会成績