オズヴァルド・バニョーリ
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名前 | ||||||
ラテン文字 | Osvaldo Bagnoli | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | イタリア | |||||
生年月日 | 1935年7月3日(89歳) | |||||
出身地 | ミラノ | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1955-1957 | ACミラン | 18 | (2) | |||
1957-1960 | エラス・ヴェローナ | 97 | (27) | |||
1960-1961 | ウディネーゼ | 11 | (1) | |||
1961-1964 | カタンザーロ | 102 | (22) | |||
1964-1967 | S.P.A.L. | 92 | (12) | |||
1967-1968 | ウディネーゼ | 22 | (4) | |||
1968-1973 | en:S.S. Verbania Calcio | 135 | (23) | |||
通算 | 477 | (91) | ||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
オズヴァルド・バニョーリ(Osvaldo Bagnoli,1935年7月3日 -)は、イタリアのミラノ出身の元サッカー選手でサッカー指導者。
経歴
[編集]1986-87年シーズに、エルケーア・ラルセン、ブリーゲルらを擁し、エラス・ヴェローナを初のセリエA制覇に導いた[1]。
1991-92年シーズンにはジェノアをUEFAカップ準決勝まで導くと[2]、1992-93年シーズン、インテルナツィオナーレ・ミラノの監督を任された。前半戦こそACミランに独走を許したが、後半怒濤の追い上げを見せ、優勝にあと一歩まで迫った[3]。翌シーズン、デニス・ベルカンプ、ヴィム・ヨンクを加え、リーグ優勝が期待されたが、ベルカンプの不振もあり[4]、リーグ戦では全く振るわず、シーズン途中に解任された。(一方のUEFAカップでは勝ち上がっていて、このシーズン、監督を引き継いだジャンピエロ・マリーニの指揮下で優勝を果たしている[5]。)この解任を最後に監督業から引退した。
獲得タイトル
[編集]- 選手時代
ACミラン
[編集]- セリエA : 1956-57
- 指導者
エラス・ヴェローナFC
[編集]- セリエA : 1984-85
- セリエB : 1981-82
- 個人
- セミナトーレ・ドオロ : 1984
- イタリアサッカーの殿堂
外部リンク
[編集]脚注
[編集]- ^ “Hellas Verona, 36 anni fa lo scudetto: che fine hanno fatto i giocatori di Bagnoli?” (イタリア語). スカイスポーツ (2021年5月12日). 2022年3月26日閲覧。
- ^ “Osvaldo Bagnoli” (イタリア語). イタリアサッカー協会. 2022年3月26日閲覧。
- ^ “Inter, Taccola e il derby '93: "Gullit me lo sogno ancora. I re della notte? Berti e Zenga. Ma Allegri..."” (イタリア語). ガゼッタ (2017年10月12日). 2022年3月26日閲覧。
- ^ “BERGKAMP AND INTER MILAN'S SEASON FROM HELL” (英語). OTB SPORTS (2017年3月1日). 2022年3月26日閲覧。
- ^ “1993/94: Inter reclaim UEFA Cup”. UEFA. 2022年3月26日閲覧。