キケ・サンチェス・フローレス
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名前 | ||||||
本名 |
エンリケ・サンチェス・フローレス Enrique Sánchez Flores | |||||
ラテン文字 | Quique Flores | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | スペイン | |||||
生年月日 | 1965年2月2日(59歳) | |||||
出身地 | マドリード | |||||
身長 | 176cm | |||||
体重 | 67kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | DF | |||||
ユース | ||||||
ペガソ・トレス・カントス | ||||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1984-1994 | バレンシア | 272 | (23) | |||
1994-1996 | レアル・マドリード | 63 | (2) | |||
1996-1997 | サラゴサ | 9 | (0) | |||
通算 | 344 | (2) | ||||
代表歴 | ||||||
1982-1983 | スペイン U-18 | 9 | (0) | |||
1984-1986 | スペイン U-21 | 13 | (0) | |||
1986-1987 | スペイン U-23 | 2 | (0) | |||
1987-1991 | スペイン | 15 | (0) | |||
監督歴 | ||||||
2001-2004 | レアル・マドリード (ユース) | |||||
2004-2005 | ヘタフェ | |||||
2005-2007 | バレンシア | |||||
2008-2009 | ベンフィカ | |||||
2009-2011 | アトレティコ・マドリード | |||||
2011-2013 | アル・アハリ | |||||
2013-2014 | アル・アイン | |||||
2015 | ヘタフェ | |||||
2015-2016 | ワトフォード | |||||
2016-2018 | エスパニョール | |||||
2018-2019 | 上海申花 | |||||
2019 | ワトフォード | |||||
2021-2023 | ヘタフェ | |||||
2023-2024 | セビージャ | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
キケ・フローレス(Quique Flores)ことエンリケ・サンチェス・フローレス(Enrique Sánchez Flores、 1965年2月2日 - )は、スペインの首都マドリード出身のサッカー指導者、元サッカー選手。現役時代のポジションはディフェンダー。
経歴
[編集]選手時代
[編集]右サイドバックとして、バレンシアCF、レアル・マドリード、およびレアル・サラゴサでプレー。バレンシアではキャリアの大半となる10シーズンを過ごし、2シーズンを過ごしたレアル・マドリードではリーガ・エスパニョーラ制覇を経験した。
スペイン代表としても15試合に出場し、1990年のワールドカップ・イタリア大会のメンバーにも選出された。
監督時代
[編集]- キャリア初期
レアル・マドリードの下部組織で指導者としてのキャリアをスタート。2004-05シーズンに1部リーグ初昇格のヘタフェCFの監督に招聘されると、降格候補の筆頭格に挙げられていたクラブを13位に導き、1部リーグ残留を果たした。
- バレンシア
ヘタフェでの手腕を買われ、2005-06シーズンより古巣バレンシアの監督に就任。就任初年度からリーグ戦を3位で終え、チャンピオンズリーグ(CL)の出場権を確保した。翌2006-07シーズンは多くの怪我人を抱えながらも、国内リーグでCL出場圏内の4位確保に成功。CLではASローマを抑えてグループリーグを首位通過すると、決勝トーナメント1回戦でインテルを撃破。準々決勝でチェルシーFCに敗れたものの、ベスト8の成績を残した。しかし、3年目のシーズンは開幕戦で黒星を喫すると低迷し、第9節のセビージャFC戦に0-3で敗れた後に解任された。
- ベンフィカ
2008-09シーズン、ホセ・アントニオ・カマーチョの後任としてベンフィカの監督に就任[1]。開幕前にはホセ・アントニオ・レジェスやパブロ・アイマールを獲得する大型補強を敢行した。リーグ戦では年を越すまで無敗を続けたものの、後半に失速。最終順位は3位で翌シーズンのCL出場権を逃した。また、UEFAカップではグループリーグ最下位に終わった。契約期間はあと一年残っていたものの、シーズン終了後に双方合意のもとで契約を解除した[2]。
- アトレティコ・マドリード
2009年10月、シーズン途中にアトレティコ・マドリードの監督に就任。深刻な不振に陥っていたチームを7ヶ月間で建て直した[3]。リーグ戦は9位に終わったものの、ヨーロッパリーグで優勝、コパ・デル・レイでは準優勝を果たした。シーズン終了後に1年間の契約延長に合意した[4]。
翌2010-11シーズンは、8月に行われたUEFAスーパーカップでインテルを破り優勝[5]。幸先のよいスタートを切ったものの、エースFWのディエゴ・フォルランとの確執が度々報じられ[6][7]、チーム状態が悪化。リーグ戦は7位に終わり、ヨーロッパリーグでもグループステージで敗退。シーズン終了と同時に辞任した。
- ヘタフェ(第2期)
アトレティコ・マドリードを退団してからはUAEのクラブで監督を務めていた。2015年1月、ヘタフェCFに10年ぶりに復帰した[8]。しかし、2月26日に突如辞任を表明した[9]。
- ワトフォード
2015年6月6日、プレミアリーグに昇格したばかりのワトフォードFCの監督に就任した[10]。
- 上海申花
2018年12月25日にウ・ジングイ前監督の後任として、中国・スーパーリーグの上海申花の監督に就任した。若手選手を積極的に起用し、チーム力の底上げに尽力したが、2019シーズンは第15節終了時点で3勝3分け9敗の14位と低迷。2019年7月3日、個人的な理由で辞任したことを発表した[11]。
- ワトフォード(第2期)
2019年9月7日、解任されたハビ・グラシアの後任としてワトフォードFCの監督に復帰[12]。 しかし、チームを立て直すことができずリーグ戦10試合でわずか1勝にとどまったことから11月30日に解任された[13]。
- ヘタフェ(第3期)
2021年10月6日、ミチェルの後任としてリーグ最下位に沈むヘタフェの監督に就任した[14]。
- セビージャ
2023年12月17日、ディエゴ・アロンソの後任としてリーグ降格圏に沈んでいたセビージャの監督に就任した[15]。その後チームを14位まで引き上げ残留させることに成功するも、2024年5月18日、1年の契約を残し今季限りでの退団が発表された[16]。
指導方針
[編集]特に組織戦術に重きを置くタイプの監督である。バレンシア時代は全体をコンパクトに保ったうえで、ボールを奪った後は素早いカウンターを仕掛ける、堅守速攻のサッカーを志向した[17]。また、この戦術をチームに浸透させるため、視聴覚室を新設し、ここでのミーティングを頻繁に行った[18]。
一方で、選手が犯すミスには厳しく、罰として招集メンバーから外すこともあった[19]。
監督成績
[編集]- 2019年11月30日現在
クラブ | 就任 | 退任 | 記録 | |||||||
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試 | 勝 | 分 | 敗 | 得 | 失 | 差 | 勝率 | |||
ヘタフェCF | 2004年7月8日 | 2005年5月31日 | 42 | 15 | 11 | 16 | 44 | 51 | −7 | 35.71 |
バレンシアCF | 2005年5月31日 | 2007年10月29日 | 116 | 59 | 27 | 30 | 172 | 115 | +57 | 50.86 |
SLベンフィカ | 2008年5月24日 | 2009年6月8日 | 44 | 23 | 12 | 9 | 73 | 47 | +26 | 52.27 |
アトレティコ・マドリード | 2009年10月23日 | 2011年5月22日 | 102 | 42 | 23 | 37 | 164 | 141 | +23 | 41.18 |
アル・アハリ・ドバイ | 2011年11月11日 | 2013年6月11日 | 64 | 33 | 15 | 16 | 133 | 96 | +37 | 51.56 |
アル・アイン | 2013年9月28日 | 2014年3月8日 | 23 | 11 | 8 | 4 | 43 | 24 | +19 | 47.83 |
ヘタフェCF | 2015年1月5日 | 2015年2月26日 | 11 | 4 | 1 | 6 | 9 | 13 | −4 | 36.36 |
ワトフォードFC | 2015年6月5日 | 2016年6月30日 | 44 | 16 | 9 | 19 | 46 | 54 | −8 | 36.36 |
RCDエスパニョール | 2016年6月9日 | 2018年4月20日 | 80 | 27 | 26 | 27 | 86 | 98 | −12 | 33.75 |
上海緑地申花 | 2018年12月25日 | 2019年7月3日 | 17 | 5 | 3 | 9 | 23 | 28 | −5 | 29.41 |
ワトフォードFC | 2019年9月7日 | 2019年12月1日 | 12 | 2 | 4 | 6 | 9 | 23 | −14 | 16.67 |
合計 | 554 | 236 | 139 | 179 | 800 | 681 | +119 | 42.60 |
家族
[編集]獲得タイトル
[編集]選手として
[編集]- バレンシアCF:
- セグンダ・ディビシオン: 1986-87
- レアル・マドリード:
- U-23サッカースペイン代表:
- UEFA U-21欧州選手権: 1986
監督として
[編集]- クラブ
- ベンフィカ:
- タッサ・ダ・リーガ: 2008-09
- アトレティコ・マドリード:
- UEFAヨーロッパリーグ: 2009-10
- UEFAスーパーカップ: 2010
- コパ・デル・レイ: 準優勝 2009-10
- アル・アハリ・ドバイ:
- UAEリーグカップ: 2011-12
- UAEプレジデントカップ: 2012-13
- アル・アインFC:
- UAEプレジデントカップ: 2013-14
- 個人
- プレミアリーグ月間最優秀監督:2015年12月
脚注
[編集]- ^ ベンフィカ キケ・フローレス氏の監督就任を発表
- ^ ベンフィカのサンチェス・フローレス監督が退団
- ^ 優勝だけを見据えるキケ・フローレス監督
- ^ アトレティコ、フローレス監督と契約延長
- ^ キケ・フローレス「選手たちを称賛したい」
- ^ キケ:「フォルランのことは複雑な問題」
- ^ キケ、確執が取りざたされるフォルランを招集外に
- ^ キケがヘタフェ監督に就任 「多くを考える必要はなかった」 Goal 2015年1月5日
- ^ ヘタフェ、キケが突然の辞任 「これが最良の決断だと思った」 Goal 2015年2月26日
- ^ プレミア昇格のワトフォード、キケ・フローレス招へいを発表 Goal 2015年6月6日
- ^ 上海申花を率いるキケ・フローレス監督が個人的な理由で辞任…今季前半戦は14位と低迷 超WORLDサッカー! 2019年7月3日
- ^ “4戦未勝利のワトフォード、グラシア監督を解任…フローレス監督が4季ぶり復帰”. サッカーキング (2019年9月8日). 2019年9月8日閲覧。
- ^ “Quique Sanchez Flores: Watford sack manager after less than three months in charge”. BBCスポーツ (2019年12月1日). 2021年10月8日閲覧。
- ^ "Quique Sánchez Flores: "Cada partido, una final"" (Press release) (スペイン語). ヘタフェCF. 6 October 2021. 2021年10月8日閲覧。
- ^ Inc, SEESAW GAME (2023年12月19日). “17位低迷のセビージャ、フローレス監督の招へいを発表…初陣は降格圏グラナダとの大一番に”. サッカーキング. 2024年6月7日閲覧。
- ^ “キケ・サンチェス監督の今季限りでの退任が正式発表…セビージャ会長「彼の多大な努力に感謝したい」”. 超ワールドサッカー!. 2024年6月7日閲覧。
- ^ キケ・フローレス 「戦術を語るには2日かかる」page 3
- ^ キケ・フローレス 「戦術を語るには2日かかる」page 1
- ^ キケ・フローレス監督「ミスを罰する時が来た」
外部リンク
[編集]- キケ・サンチェス・フローレス - BDFutbolによる個人成績
- BDFutbol coach profile
- National team data
- International appearances; at RSSSF