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フェルナンド・サントス (ポルトガルのサッカー選手)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
フェルナンド・サントス
2018年のサントス
名前
本名 フェルナンド・マヌエル・フェルナンデス・ダ・コスタ・サントス
Fernando Manuel Fernandes da Costa Santos
愛称 ペンタの技師[1]
ラテン文字 Fernando Santos
基本情報
国籍 ポルトガルの旗 ポルトガル
生年月日 (1954-10-10) 1954年10月10日(70歳)
出身地 リスボン
選手情報
ポジション DF(RSB)
利き足 右足
ユース
1966-1971 ポルトガルの旗 ベンフィカ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1971-1973 ポルトガルの旗 マリティモ
1973-1975 ポルトガルの旗 エストリル
監督歴
1987-1994 ポルトガルの旗 エストリル
1994-1998 ポルトガルの旗 エストレラ
1998-2001 ポルトガルの旗 ポルト
2001-2002 ギリシャの旗 AEKアテネ
2002-2003 ギリシャの旗 パナシナイコス
2003-2004 ポルトガルの旗 スポルティングCP
2004-2006 ギリシャの旗 AEKアテネ
2006-2007 ポルトガルの旗 ベンフィカ
2007-2010 ギリシャの旗 PAOK
2010-2014 ギリシャの旗 ギリシャ代表
2014-2022 ポルトガルの旗 ポルトガル代表
2023 ポーランドの旗 ポーランド代表
2024 トルコの旗 ベシクタシュ
2024- アゼルバイジャンの旗 アゼルバイジャン代表
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

フェルナンド・サントス(Fernando Santos, 1954年10月10日 - )は、ポルトガルリスボン出身の元サッカー選手、現アゼルバイジャン代表監督。現役時代のポジションはディフェンダー(RSB)。2014年からポルトガル代表監督を務め、UEFA EURO 2016UEFAネーションズリーグ2018-19の優勝監督となった。

経歴

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選手

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リスボンに生まれ、1966年にベンフィカの下部組織に加入。1971年にマリティモに移籍してプロデビューし、1973年にはエストリル・プライアに移籍した。しかし1975年、度重なる負傷の影響で、まだ21歳の時に選手生活を終えた[1]

指導者

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1977年にリスボン・エンジニア上級学校で、電気通信技師のバチャレラット学位[2]を取得している。技師を経て1987年にサッカー界に復帰すると、エストリル・プライアの監督を務めた7年間で2度の昇格を果たし、テルセーラ・ジヴィゾン(当時3部)からプリメイラ・ジヴィゾン(当時1部)まで駆け上った。1994年、エストレラ・アマドーラ監督に就任した。1998年にはリーグ4連覇中のFCポルト監督に引き抜かれ、初年度の1998-99シーズンにプリメイラ・ジヴィゾンを獲得した。5連覇はポルトガル史上初めての出来事であり、サントスは「ペンタ(5連覇)の技師」として知られている[1]。1999-2000シーズンには6連覇を目指したが、最終節までもつれた優勝争いはスポルティング・クルーベ・デ・ポルトゥガルが制した。しかし、ポルトはスーペルタッサ・カンディド・デ・オリベイラタッサ・デ・ポルトガルを制し、UEFAチャンピオンズリーグでは準々決勝に進出。2000年には、国際サッカー連盟 (FIFA) によって世界のサッカー指導者ランキングの第9位に選出された。

2001年にはギリシャに渡り、スーパーリーグAEKアテネ監督に就任。2001-02シーズンのリーグ戦ではオリンピアコスに得点差で敗れて優勝を逃したが、ギリシャ・カップで優勝した。2002-03シーズンはパナシナイコスFCを、2003-04シーズンは地元のスポルティング・クルーベ・デ・ポルトゥガルを指揮した。2004年には再びギリシャのAEK監督に就任し、若手選手主体ながらギリシャ・カップで準決勝に進出し、リーグ戦では1位と勝ち点3差の3位となった。

2006年5月20日、ベンフィカ監督就任が発表された。2006-07シーズンは優勝したポルトとは勝ち点2差の僅差だったが、2位のスポルティングと勝ち点1差の3位に終わり、UEFAチャンピオンズリーグのグループリーグ出場権を逃した。2007年夏にはキャプテンのシモン・サブローザアトレティコ・マドリードに移籍し、2007-08シーズン開幕戦のレイションイス戦に引き分けると、2007年8月20日に解任され[3]、スペイン人のホセ・アントニオ・カマーチョ監督に代わった。

2007年9月、ギリシャのPAOKテッサロニキと3年契約を結んで監督に就任した。UEFA EURO 2004でキャプテンとしてトロフィーを掲げたテオドロス・ザゴラキスがクラブの新会長に就任しており、3年計画でのクラブ再生を開始した。2009-10シーズンのレギュラーシーズンではパナシナイコス、オリンピアコスに次ぐ3位だったが、プレーオフで1位となってUEFAチャンピオンズリーグ予選3回戦の出場権を獲得した。2010年5月19日、PAOKの監督退任の意向を表明した[4]

2010年7月1日、オットー・レーハーゲル監督の後任としてギリシャ代表監督に就任した[5][6]UEFA EURO 2012予選を突破し、UEFA EURO 2012本大会ではベスト8となった。2014 FIFAワールドカップではギリシャを初のベスト16へ導いたものの、決勝トーナメント1回戦のコスタリカ戦で「審判団に対してスポーツマンらしくない言動」があったとして、FIFAから8試合のベンチ入り禁止処分を受けた[要出典]。ワールドカップ終了後、契約満了に伴い退任。

2014年9月23日、同月11日に解任されたパウロ・ベント前監督の後任としてポルトガル代表監督に就任した[7]。前述の処分は同年10月14日のデンマーク代表戦から適応され、UEFA EURO 2016予選開催中は指揮を執ることが出来ない。その後、処分が一時保留[8]となり、2015年3月23日、異議を一部認められ、処分が4試合に軽減された(うち2試合は猶予扱い)。なお、罰金処分も2万スイスフランから半減となった。処分は同年3月29日のセルビア代表戦から同年6月13日のアルメニア代表戦まで適用された[9]

UEFA EURO 2016では予選を突破し、本大会ではポルトガル代表をUEFA EURO初優勝に導いた。さらにUEFAネーションズリーグ2018-19では、大会の初代優勝に導いた。

自身最後となった大舞台である2022 FIFAワールドカップでは、グループステージを2連勝で決勝トーナメント進出へ導いた。ベスト16のスイス代表戦ではクリスティアーノ・ロナウドをベンチに座らせ、代役として若手のゴンサロ・ラモスを抜擢すると、ラモスがハットトリックを挙げ、6-1と快勝してベスト8へ駒を進めた。そのベスト8ではモロッコ代表と対戦。再びロナウドを先発起用しないことを決めたサントスだったが、ボールを支配してはいたものの1点が遠く、モロッコのカウンター1発でチームは0-1で敗れてしまった。

ワールドカップ敗退から4日後の2022年12月15日、ポルトガルサッカー連盟と双方合意のもと契約を解除した[10]。報道後には多くの新旧代表選手らがSNSで感謝の意を示したが、カタールW杯での采配に納得していなかったロナウドはコメントを発することはなかった[11]

2023年1月24日、ポーランド代表の監督に就任した[12]

2024年1月7日、ベシクタシュJKの監督に就任した[13]

2024年6月12日、サッカーアゼルバイジャン代表の監督に就任した[14]

タイトル

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監督時代

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FCポルト
AEKアテネFC
ポルトガル代表

個人

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指導者成績

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2024年10月14日現在
チーム 就任 退任 記録
試合数 勝利 引分 敗北 勝率
エストリル 1988年1月19日 1994年3月7日 230 81 72 77 035.22
CFエストレラ・アマドーラ 1994 1998 136 39 47 50 028.68
FCポルト 1998 2001 156 98 31 27 062.82
AEKアテネFC 2001 2002 51 38 5 8 074.51
パナシナイコスFC 2002 2003 4 1 0 3 025.00
スポルティング・クルーベ・デ・ポルトゥガル 2003 2004 36 22 5 9 061.11
AEKアテネFC 2004 2006 60 38 15 7 063.33
SLベンフィカ 2006年5月20日 2007年8月20日 48 28 11 9 058.33
PAOKテッサロニキFC 2007年9月4日 2010年5月18日 95 48 21 26 050.53
ギリシャ代表 2010年7月1日 2014年7月1日 49 26 17 6 053.06
ポルトガル代表 2014年9月24日 2022年12月15日 109 67 23 19 061.47
ポーランド代表 2023年1月24日 2023年9月13日 6 3 0 3 050.00
ベシクタシュJK 2024年1月7日 2024年4月13日 16 7 4 5 043.75
アゼルバイジャン代表 2024年6月12日 4 0 0 4 000.00
通算成績 1,068 532 264 272 049.81

脚注

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  1. ^ a b c 西部謙司『世界のサッカー名将のイラスト戦術ガイド』エクスナレッジ、2018年、64頁。ISBN 978-4-7678-2471-0 
  2. ^ ポルトガルにおけるバチャレラットはポリテクニック(Polytechnic、大学とは異なる学問機関)で与えられるものであり、いわゆる学士号(バチェロア)に準ずるものである。リセンシアトゥーラ (licenciatura) のみが学士号と同等である。
  3. ^ Leixões-Benfica : 1–1 Scorespro.com
  4. ^ Η Συνέντευξη Τύπου του Fernando Santos PAOKテッサロニキFC公式サイト
  5. ^ “Fernando Santos named as new Greece coach”. (July 2010). http://soccerphase.com/index.php?option=com_news&news_id=6232 
  6. ^ Fernando Santos named new Greece coachBBC Sport
  7. ^ ポルトガル代表、サントス監督就任を発表 goal.com 2014年9月23日
  8. ^ ポルトガル代表監督のベンチ入り禁止処分が保留になり、デンマーク戦の指揮が可能に Qoly 2014年10月14日
  9. ^ 処分軽減のポルトガル監督、C・ロナウドの状態は「心配していない」 サンケイスポーツ 2015年3月24日
  10. ^ ポルトガル代表、サントス監督の退任を発表…2014年から約8年間指揮”. サッカーキング (2022年12月16日). 2023年3月2日閲覧。
  11. ^ カタールW杯から考察する代表チームの近未来』ソルメディア、2023年2月10日、84-85頁https://www.footballista.jp/magazine/153825 
  12. ^ Former Portugal boss Santos named as Poland coach”. Radio France Internationale (24 January 2023). 2024年10月22日閲覧。
  13. ^ Kulübümüzden Bilgilendirme” [Information from our club] (トルコ語). Beşiktaş J.K. (7 January 2024). 2024年10月22日閲覧。
  14. ^ AFFA İcraiyyə Komitəsinin onlayn formatda iclası keçirilib” [AFFA Executive Committee meeting was held online] (アゼルバイジャン語). Association of Football Federations of Azerbaijan (12 June 2024). 2024年10月22日閲覧。

外部リンク

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