ルイ・バロス
表示
| ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
名前 | ||||||
本名 | Rui Gil Soares de Barros | |||||
ラテン文字 | Rui Barros | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | ポルトガル | |||||
生年月日 | 1965年11月24日(58歳) | |||||
出身地 | パレデス | |||||
身長 | 159cm | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF (AMF) | |||||
ユース | ||||||
1978-1979 | アリアドス・ロルデロ | |||||
1980-1982 | レボルドザ | |||||
1982-1983 | パソス・フェレイラ | |||||
1983-1984 | ポルト | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1984-1985 | コヴィリャン | 25 | (5) | |||
1985-1987 | ヴァルジン | 58 | (12) | |||
1987-1988 | ポルト | 34 | (12) | |||
1988-1990 | ユヴェントス | 60 | (14) | |||
1990-1993 | モナコ | 81 | (14) | |||
1993-1994 | マルセイユ | 17 | (4) | |||
1994-2000 | ポルト | 134 | (25) | |||
通算 | 409 | (86) | ||||
代表歴 | ||||||
1987-1996 | ポルトガル | 36 | (4) | |||
監督歴 | ||||||
2005-2010 | ポルト (アシスタント) | |||||
2006 | ポルト (暫定) | |||||
2014-2017 | ポルト (アシスタント) | |||||
2016 | ポルト (暫定) | |||||
2018-2021 | ポルトB | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
ルイ・ジル・ソアレス・デ・バロス(Rui Gil Soares de Barros 、1965年11月24日 - )は、ポルトガル・パレデス出身の元サッカー選手。ポルトガル代表として、1989年から1996年までの間に36試合に出場した[1]現役時代のポジションは攻撃的MF[2]。
経歴
[編集]FCポルトでプロのキャリアをスタートさせ、アトレチコ・マドリードに移籍したパウロ・フットレに代わる選手として[1]、38試合で14得点を挙げてプリメイラ・リーガ優勝に貢献した[1]。また1987年のインターコンチネンタルカップをも獲得した[1]。
1988年、U23イタリア代表とU23ポルトガル代表との親善試合の際のプレーをディノ・ゾフが注目、数ヶ月後、ゾフのユヴェントスFC監督就任にあたりユベントスが獲得した[1]。1年目からリーグ戦では12得点を挙げるなど活躍した[1]。同年にはポルトガル年間最優秀選手賞を受賞した[1]。1989-90年シーズンにはUEFAカップとコッパ・イタリアを獲得したが[1]、シーズン終了後フロント陣が交代すると、チーム構想を外れ[1]、ASモナコに売却された[1]。ASモナコではアーセン・ヴェンゲル監督の指揮下、ジョージ・ウエア、ユーリ・ジョルカエフらとクープ・ドゥ・フランスで優勝した[1]。
その後1993年にオリンピック・マルセイユでのプレーを経て、古巣のポルトに復帰、引退までの6シーズンプレーした[3]。
タイトル
[編集]- FCポルト
- プリメイラ・リーガ : 1987–88, 1994–95, 1995–96, 1996–97, 1997–98, 1998–99
- インターコンチネンタルカップ ; 1987
- タッサ・デ・ポルトガル : 1987–88, 1997–98, 1999–00
- スーペルタッサ・カンディド・デ・オリベイラ : 1993, 1994, 1996, 1998, 1999
- UEFAスーパーカップ : 1987
- ユヴェントス
- ASモナコ
- クープ・ドゥ・フランス : 1990-91
- 個人
- ポルトガル年間最優秀選手賞 : 1988
脚注
[編集]外部リンク
[編集]- ルイ・バロス - ForaDeJogo
- ルイ・バロス監督成績 - ForaDeJogo
- ルイ・バロス - National-Football-Teams.com
- ルイ・バロス – FIFA主催大会成績