コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

フリスト・ボネフ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
フリスト・ボネフ
名前
本名 Hristo Atanasov Bonev
ラテン文字 Hristo Bonev
ブルガリア語 Христо Aтанасов Бонев
基本情報
国籍  ブルガリア
生年月日 (1947-02-03) 1947年2月3日(77歳)
出身地 プロヴディフ
選手情報
ポジション MF
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1959-1967 ブルガリアの旗 ロコモティフ・プロヴディフ 64 (19)
1967-1968 ブルガリアの旗 CSKAソフィア 6 (5)
1968-1979 ブルガリアの旗 ロコモティフ・プロヴディフ 337 (161)
1979-1981 ギリシャの旗 AEKアテネ 10 (0)
1982-1984 ブルガリアの旗 ロコモティフ・プロヴディフ 6 (0)
代表歴
1967-1979 ブルガリアの旗 ブルガリア 96 (48)
監督歴
1983-1985 ブルガリアの旗 ロコモティフ・プロヴディフ
1987-1988 ブルガリアの旗 ロコモティフ・プロヴディフ
1988-1990 ギリシャの旗 パナシナイコス
1990-1993 ギリシャの旗 AEL 1964
1993-1994 ギリシャの旗 ロニコス・ニカイアス
1994-1996 キプロスの旗 APOELニコシア
1996-1998 ブルガリアの旗 ブルガリア代表
1997-1998 ブルガリアの旗 ロコモティフ・ソフィア
2000 ドイツの旗 ザクセン・ライプツィヒ
2010 ブルガリアの旗 ロコモティフ・プロヴディフ
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

フリスト・アタナソフ・ボネフHristo Atanasov Bonev (ブルガリア語: Христо Aтанасов Бонев1947年2月3日 - )は、ブルガリア出身の元サッカー選手サッカー指導者。ポジションはミッドフィールダー

経歴

[編集]

選手時代

[編集]

クラブレベルでは1959年にロコモティフ・プロヴディフへ入団して以来、選手生活の大半を過ごし[1]、5度のブルガリア年間最優秀選手賞を受賞した。1979年に国外のクラブへの移籍が認められ、ギリシャAEKアテネへ移籍[1]。晩年は古巣のDFSロコモティフへ復帰し、1984年に現役を引退した。

ブルガリア代表としては1967年3月22日に行われた西ドイツ代表戦で代表デビューを飾った[2]。1970年のFIFAワールドカップ・メキシコ大会ではグループリーグのペルー代表戦で1得点[2]、1974年のFIFAワールドカップ・西ドイツ大会では1次リーグのウルグアイ代表戦で1得点をあげた[2]。その後、1979年4月25日に行われたアルゼンチン代表戦を最後に代表から退くまで、国際Aマッチ96試合に出場し48得点を記録した[2]

引退後

[編集]

引退後は指導者の道へ進むと、ブルガリアやギリシャ、キプロスのクラブで監督を務め、1988-89シーズンにギリシャのパナシナイコスFCの監督としてリーグ優勝[3]、キプロスのAPOELニコシアでは1996年にリーグとカップの二冠に導いた。1996年からはブルガリア代表監督を務め、1998年のFIFAワールドカップ・フランス大会出場に導いたが[3]、本大会ではグループリーグ初戦のパラグアイ代表戦で引分け、勝ち点1を獲得したものの、最終戦のスペイン代表戦で1-6と大敗を喫してグループリーグ敗退という結果に終わる。

大会後も続投したがEURO2000地区予選第1戦のポーランド戦に0-3で敗れ辞任した。

2000年にドイツのザクセン・ライプツィヒを率いたのを最後に監督業から遠ざかっていたが、2010年に古巣のロコモティフ・プロヴディフの監督を務めた[3]

個人タイトル

[編集]
  • ブルガリア年間最優秀選手賞 5回(1967年、1969年、1971年、1972年、1973年)

脚注

[編集]
  1. ^ a b 週刊サッカーマガジン 編『サッカーマルチ大事典 改訂版』ベースボール・マガジン社、2006年、449頁。ISBN 4-583-03880-1 
  2. ^ a b c d Hristo Bonev - Goals in International Matches”. rsssf.com. 2017年4月28日閲覧。
  3. ^ a b c Bonev bids to rescue Loko Plovdiv”. UEFA.com (2010年5月4日). 2017年4月28日閲覧。