ディエゴ・アロンソ
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2022年のアロンソ | ||||||
名前 | ||||||
本名 |
ディエゴ・マルティン・アロンソ・ロペス Diego Martín Alonso López | |||||
愛称 | Tornado (竜巻) | |||||
ラテン文字 | Diego Alonso | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 |
ウルグアイ イタリア | |||||
生年月日 | 1975年4月16日(49歳) | |||||
出身地 | モンテビデオ | |||||
身長 | 188cm | |||||
体重 | 80kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | FW (CF) | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
1993-1995 | CAベジャ・ビスタ | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1995-1999 | CAベジャ・ビスタ | 38 | (19) | |||
1999-2000 | クラブ・デ・ヒムナシア・イ・エスグリマ・ラ・プラタ | 32 | (17) | |||
2000-2002 | バレンシアCF | 20 | (2) | |||
2001-2002 | → アトレティコ・マドリード (loan) | 38 | (22) | |||
2002-2003 | ラシン・サンタンデール | 23 | (1) | |||
2003-2004 | マラガCF | 23 | (6) | |||
2004-2005 | クラブ・ウニベルシダ・ナシオナル | 27 | (12) | |||
2005-2006 | レアル・ムルシア | 25 | (2) | |||
2006 | ナシオナル・モンテビデオ | 7 | (3) | |||
2007 | 上海申花足球倶楽部 | 13 | (7) | |||
2008-2009 | クラブ・デ・ヒムナシア・イ・エスグリマ・ラ・プラタ | 36 | (5) | |||
2009-2011 | CAペニャロール | 43 | (17) | |||
通算 | 325 | (114) | ||||
代表歴 | ||||||
1999-2001 | ウルグアイ | 7 | (0) | |||
監督歴 | ||||||
2011-2012 | CAベジャ・ビスタ | |||||
2012-2013 | クラブ・グアラニー | |||||
2013 | CAペニャロール | |||||
2014 | オリンピア・アスンシオン | |||||
2014-2018 | CFパチューカ | |||||
2018-2019 | CFモンテレイ | |||||
2019-2021 | インテル・マイアミCF | |||||
2021-2022 | ウルグアイ | |||||
2023 | セビージャ | |||||
2024 | パナシナイコス | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
ディエゴ・マルティン・アロンソ・ロペス(Diego Martín Alonso López、1975年4月16日 - )は、ウルグアイのモンテビデオ出身のサッカー監督。元サッカー選手。元ウルグアイ代表。現役時代のポジションはフォワード。
来歴
[編集]選手
[編集]1995年にCAベジャ・ビスタでプロデビューし、2001年にバレンシアCFからのレンタルで当時セグンダ・ディビシオンに在籍してプリメーラ昇格を目指していたアトレティコ・マドリードに移籍した[1]。
アトレティコ・マドリードでは、キャリアハイとなる22ゴールを挙げクラブのリーグ優勝とプリメーラ復帰に貢献、自身もセグンダ得点王を獲得した[1]。レンタル終了後にはアトレティコ・マドリードが買い取りオプションを行使しようとしたが、交渉はまとまらずラシン・サンタンデールに移籍した[2]。
指導者
[編集]2021年12月15日、母国ウルグアイの代表監督に就任した。15年もの長期政権を敷いたオスカル・タバレス監督の後任となる。2022年のW杯カタール大会ではグループステージで敗退し(グループH・3位)、大会後に退任した[3]。
2023年10月10日、成績不振が原因で解任されたホセ・ルイス・メンディリバルの後任としてセビージャFCの監督に就任した[4]が、14試合を指揮して2勝しか挙げることができず、同年12月16日に解任された[5]。
2024年6月10日、パナシナイコスFCの監督に就任した[6]。
人物
[編集]デポルティーボ・アラベスなどでプレーしたイバン・アロンソは従兄弟にあたる[7]。
代表歴
[編集]試合数
[編集]- 国際Aマッチ 7試合 0得点(1999年-2001年)[8]
ウルグアイ代表 | 国際Aマッチ | |
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年 | 出場 | 得点 |
1999 | 3 | 0 |
2000 | 3 | 0 |
2001 | 1 | 0 |
通算 | 7 | 0 |
タイトル
[編集]選手時代
[編集]- CAベジャ・ビスタ
- セグンダ・ディビシオン・プロフェシオナル:1回(1997)
- アトレティコ・マドリード
- セグンダ・ディビシオン : 1回 (2001-02)
- クラブ・ウニベルシダ・ナシオナル
- リーガMXアペルトゥーラ:1回(2004)
- カンペオン・デ・カンペオーネス:1回(2004)
- 上海申花聨盛足球倶楽部
- A3チャンピオンズカップ:1回(2007)
- CAペニャロール
- プリメーラ・ディビシオン:1回(2009-10)
- 個人
- セグンダ・ディビシオン得点王:1回 (2001-02)
- ピチーチ賞(セグンダ・ディビシオン):1回 (2001-02)
指導者時代
[編集]- CFパチューカ
- リーガMXクラウスーラ:1回(2015-16)
- CONCACAFチャンピオンズリーグ:1回(2016-17)
- CFモンテレイ
- CONCACAFチャンピオンズリーグ:1回(2019)
- 個人
- CONCACAFチャンピオンズリーグベストイレブン:1回(2019)
脚注
[編集]- ^ a b “"Villa no fallará, no tengo dudas, es un nueve contrastado"” (スペイン語). アス. 2020年8月4日閲覧。
- ^ “¿Qué fue de Diego Alonso, el estilete del adiós al infierno?” (スペイン語). アス. 2017年9月5日閲覧。
- ^ “ウルグアイ代表暫定監督は日本代表の躍進に驚き「年を追うごとに飛躍的な成長」”. サンケイスポーツ. (2023年3月23日) 2023年3月24日閲覧。
- ^ “セビージャの新監督にディエゴ・アロンソ氏が就任! カタールW杯ではウルグアイ代表を指揮”. サッカーキング (2023年10月10日). 2023年10月12日閲覧。
- ^ “セビージャ、ディエゴ・アロンソ監督を就任から9週間で解任…ラ・リーガ16位と低迷”. Goal (2023年12月17日). 2023年12月17日閲覧。
- ^ Martínez, Joaquín (10 June 2024). “Diego Alonso, nuevo entrenador del Panathinaikos [Diego Alonso, new manager of Panathinaikos]” (スペイン語). ABC 2024年6月13日閲覧。
- ^ “Primos hermanos bajo distinta bandera” (スペイン語). エル・パイス. 2001年2月8日閲覧。
- ^ ディエゴ・アロンソ - National-Football-Teams.com
外部リンク
[編集]カテゴリ:
- ウルグアイのサッカー選手
- サッカーウルグアイ代表選手
- CAベジャ・ビスタの選手
- クラブ・デ・ヒムナシア・イ・エスグリマ・ラ・プラタの選手
- バレンシアCFの選手
- アトレティコ・マドリードの選手
- ラシン・サンタンデールの選手
- マラガCFの選手
- クラブ・ウニベルシダ・ナシオナルの選手
- レアル・ムルシアの選手
- ナシオナル・モンテビデオの選手
- 上海申花足球倶楽部の選手
- CAペニャロールの選手
- コパ・アメリカ1999出場選手
- ウルグアイのサッカー指導者
- CFパチューカの監督
- セビージャFCの監督
- 2022 FIFAワールドカップ監督
- 在アメリカ合衆国外国人のサッカーに関する人物
- イタリア系ウルグアイ人
- 在アメリカ合衆国ウルグアイ人
- モンテビデオ出身の人物
- 1975年生
- 存命人物