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{{半保護}}
{{出典の明記|date=2016年8月}}
{{大学 | 大学名=日本医科大学
{{大学
| 大学名=日本医科大学
| ふりがな=にほんいかだいがく
| ふりがな=にほんいかだいがく
| 英称=Nippon Medical School
| 英称=Nippon Medical School
|公用語表記 = {{Lang|ja|日本醫科大學}}
| 画像=[[File:Nippon_Medical_School,1935.jpg|center|400px]]
|ロゴ =
| 画像説明= 昭和初期の日本医科大学
|画像 = File:Nippon Medical School.JPG
| 大学設置年=1926年
|pxl = 300px
| 画像説明= 千駄木キャンパス
<br />{{maplink2|frame=yes|plain=yes|type=point|zoom=13|frame-align=center|frame-width=270|marker=college}} <br />{{Right|{{location map |Japan Tokyo#Japan|width=200}}}}
<br />日本医科大学・千駄木キャンパスの位置
| 創立年=1876年
| 創立年=1876年
| 創立者=[[長谷川泰]]、[[山根正次]]
| 大学設置年=1926年
| 学校種別=私立
| 学校種別=私立
| 設置者=学校法人日本医科大学
| 設置者=[[学校法人日本医科大学]]
| 国= 日本
| 国= 日本
| 本部所在地=[[東京都]][[文京区]][[千駄木]]1-1-5
| 本部所在地=[[東京都]][[文京区]][[千駄木]]1丁目15
|緯度度 = 35 |緯度分 = 43 |緯度秒 = 15.94 |N(北緯)及びS(南緯) = N
| キャンパス=千駄木キャンパス - [[東京都]][[文京区]]<br/>武蔵境キャンパス - [[東京都]][[武蔵野市]]
|経度度 = 139 |経度分 = 45 |経度秒 = 32.2 |E(東経)及びW(西経) = E
|地図国コード = JP
| 学生数 = 939
| キャンパス=千駄木キャンパス - [[東京都]][[文京区]][[千駄木]]1丁目1番5号<br/>武蔵境キャンパス - [[東京都]][[武蔵野市]][[境南町]]1丁目7番1号<br/>千葉北総キャンパス - [[千葉県]][[印西市]][[鎌苅]]1715
| 学部=[[医学部]]
| 学部=[[医学部]]
| 大学院=[[大学院]]医学研究科
| 研究科 = [[大学院]][[医学研究科]]
| 大学の略称=日本医大、日医大、日医
| 大学の略称='''日本医''''''医大''''''日医大'''、'''日医'''、'''NMS'''
| ウェブサイト=http://www.home.nms.ac.jp/
| ウェブサイト=https://www.nms.ac.jp/college/
}}西洋医師の養成を目的として'''[[長谷川泰]]'''が1876年に私立[[医学校]]「'''[[済生学舎|濟生學舎]]'''」を創立して以来、147年に渡って医師、医学者を養成してきた日本最古の私立[[医科大学]]。
}}

== 概要 ==
== 概要 ==
1876年(明治9年)に[[長谷川泰]]により創設された[[済生学舎]]を前身とする開学130年を超える日本最古の私立医科大学である。1903年(明治36年)8月31日、済生学舎創立者[[長谷川泰]]による済生学舎廃校宣言直後に創立者[[磯部検蔵]]によって設立された「済生学舎同窓医学講習会」、「医学研究会」、[[日本医学校]]の設立や私立[[東京医学校]]との合併、[[専門学校令]]による旧制[[日本医学専門学校]]の時代を経て、1926年(大正15年)の[[大学令]]によって[[旧制]]日本医科大学となる。戦前に大学令によって旧制大学に昇格したのは私立医大では3校であり、[[慶應義塾大学]][[医学部]]、[[東京慈恵会医科大学]]と共に、私立医大[[御三家]]と称されることがある<ref>大学医学部―命をあずかる巨大組織の内幕 (講談社文庫)</ref>。<p role="presentation">なお、[[東京女子医科大学]]は前身の済生学舎出身の[[吉岡弥生]](1892年卒)によって創立され、[[東京医科大学]]は日本医学専門学校から袂を分かった人々によって創立され、[[埼玉医科大学]]は卒業生の[[丸木清美]]により設立された経緯がある。 卒業生には世界的な細菌学者である[[野口英世]](1897年卒)や、野口英世を指導した[[北里柴三郎]]の一番弟子で[[日本細菌会]]賞の一つにその功績を浅川賞として残している[[浅川範彦]](1883、眼科学の内外の現教科書に[[小口病]]として掲載されいる名古屋医科大学学長にもなった[[小口忠太]](1891年卒)東京帝国大学の医化学助教授金沢医科大学学長となった[[須藤憲三]](1893年、癌の免疫療法薬の1つとして有名な[[丸山ワクチン]]を開発した[[丸山千里]](1928年卒)、ベルリン大学医学部で東洋人として初めて教授資格を取得しドイツのウリーツェンで現在も敬愛されている[[肥沼信次]](1934年卒)、[[ジョン・F・ケネディ]]や[[マリリン・モンロー]]を[[検死]]した米国ロサンゼルス郡検死局長の[[トーマス野口]](1951年卒)、[[日本医師会]][[世界医師会]]の会長を務めた[[坪井栄孝]](1952年卒)などを輩出している。</p>
日本医科大学は、1876年(明治9年)に[[長谷川泰]]により創設された私立医学校「[[済生学舎]](濟生學舎)」を前身とし、創立145年を超える日本最古の私立医科大学である。1903年(明治36年)8月31日、済生学舎創立者[[長谷川泰]]による済生学舎廃校宣言直後に創立者[[山根正次]]によって設立された「済生学舎同窓医学講習会」、「医学研究会」、日本医学校の設立や私立[[東京医学校]]との合併、[[専門学校令]]による旧制[[日本医学専門学校]]の時代を経て、1926年(大正15年)の[[大学令]]によって[[旧制]]日本医科大学となる。戦前に大学令によって旧制大学に昇格したのは私立医大では3校であり、[[慶應義塾大学]][[医学部]]、[[東京慈恵会医科大学]]と共に、私立医大[[御三家]]と称されることがある<ref>大学医学部―命をあずかる巨大組織の内幕 (講談社文庫)</ref>。なお、[[東京女子医科大学]]は前身の済生学舎出身の[[吉岡弥生]](1892年卒)によって創立され、[[東京医科大学]]は日本医学専門学校から袂を分かった人々によって創立され、[[埼玉医科大学]]は卒業生の[[丸木清美]]により設立された経緯がある。また、日本医科大[[2001年]](平成13年)に私立医学として初め[[大学院重点化]]宣言をし現在まで継続して大学重点的整備行っいる<ref>[https://www.nms.ac.jp/college/gradschool/gs-introduction/dean-message.html 日本医科大学院紹介]</ref>。
== 出身者 ==
業生には、癌の免疫療法薬の1つである[[丸山ワクチン]]を開発した[[丸山千里]](1928年卒)、ベルリン大学医学部で東洋人として初めて教授資格を取得し[[肥沼信次]](1934年卒)、[[ジョン・F・ケネディ]]や[[マリリン・モンロー]]を[[検死]]した米国ロサンゼルス郡検死局長の[[トーマス野口]](1951年卒)、[[日本医師会]][[世界医師会]]の会長を務めた[[坪井栄孝]](1952年卒)いる。

[[医術開業試験]]の予備校のような存在だった[[済生学舎]]時代の出身者には、細菌学者である[[野口英世]](1897年卒)や、[[日本細菌学会]]賞の一つにその功績を浅川賞として残している[[浅川範彦]](1883年卒)、眼科学の内外の現教科書に[[小口忠太#小口病|小口病]]として掲載されている[[名古屋大学|旧制愛知医科大学]](現:[[名古屋大学]][[医学部]])学長にもなった[[小口忠太]](1891年卒)、東京帝国大学の医化学助教授を経て[[金沢医科大学 (旧制)|旧制金沢医科大学]](現:[[金沢大学]]医学部)学長となった[[須藤憲三]](1893年卒)がいる。

==建学の精神==
==建学の精神==
*'''済生救民'''(さいせいきゅうみん)
*克己殉公
**「貧しくしてその上病気で苦しんでいる人々を救うのが、医師の最も大切な道である」という意味である。この建学の精神は、設立者である[[長谷川泰]]が[[佐倉藩]]の[[佐藤泰然]]の[[学校法人順天堂|順天堂]]に入門して長崎で[[ヨハネス・ポンペ・ファン・メーデルフォールト|ポンペ]]から外科手術学を修得して帰ってきた[[佐藤尚中]]に[[西洋医学]]を学び、特にフーフェランドの内科書 ''Enchiridion Medicum''の巻末にある「医学必携」に感銘し、「済生救民」思想を体得したことに端を発し、「私心を捨て、全ての人々を分け隔てなく助ける」という思想から定められ、[[済生学舎]]の名の由来ともなっており、今日の日本医科大学においても引き継がれている。

==学是==
*'''克己殉公'''(こっきじゅんこう)
**「己を捨てて他の為に生くることもとより医道の本質なり(我が身を捨てて、己に打ち克ち、広く人々のために尽くす)」という意味である。

==教育理念==
==教育理念==
*愛と研究心を有する質の高い医師と医学者の育成
*'''愛と研究心を有する質の高い医師と医学者の育成'''
==沿革==
==沿革==

*[[1876年]]([[明治]]9年)4月 - [[長谷川泰]]により、[[済生学舎]]設立。本校の前身となる。
*[[1876年]]([[明治]]9年)4月 - [[長谷川泰]]により、[[済生学舎]]設立。本校の前身となる。
*[[1903年]](明治36年)
*[[1903年]](明治36年)
**8月 - 済生学舎廃校宣言。<li>9月 - 済生学舎同窓医学講習会組織。</li>
**8月 - 済生学舎廃校宣言。
**9月 - 済生学舎同窓医学講習会組織。
<li>[[1904年]](明治37年)4月 - 済生学舎学生を救済するために[[山根正次]]衆議院議員(校長)らによって'''私立日本医学校'''設立。</li>*[[1910年]](明治43年)3月 - 私立東京医学校を合併。同年10月私立東京医学校跡地駒込(現千駄木校舎)に移転。翌11月付属駒込病院(現・付属病院)開院。
*[[1904年]](明治37年)4月 - 済生学舎学生を救済するために[[山根正次]]衆議院議員(校長)らによって'''私立日本医学校'''設立。
*[[1910年]](明治43年)3月 - 私立東京医学校を合併。同年10月私立東京医学校跡地駒込(現千駄木校舎)に移転。翌11月付属駒込病院(現・付属病院)開院。
*[[1912年]](明治45年)7月 - '''私立日本医学専門学校'''となる。
*[[1912年]](明治45年)7月 - '''私立日本医学専門学校'''となる。
*[[1919年]]([[大正]]8年)8月 - '''日本医学専門学校'''と改称。
*[[1919年]]([[大正]]8年)8月 - '''日本医学専門学校'''と改称。


*[[1924年]](大正13年)7月 - 付属飯田町医院(後の[[日本医科大学付属第一病院]])開院。<li>[[1926年]](大正15年)2月 - [[大学令]]により'''日本医科大学'''に昇格。</li>
*[[1924年]](大正13年)7月 - 付属飯田町医院(後の日本医科大学付属第一病院)開院。
*[[1926年]](大正15年)2月 - [[大学令]]により'''日本医科大学'''に昇格。
:旧大学令による医科大学は私立では日本医科大学、[[東京慈恵会医科大学]]、[[慶應義塾大学医学部]]の3校。公立は[[京都府立医科大学]]。8帝国大学医学部と6官立医科大学に加え、現[[中国医科大学]]の前身、[[満州医科大学]]の計19校。なお、9番目の帝国大学医学部である[[台北帝国大学]]医学部の創設は1936年(昭和11年)。
:旧大学令による医科大学は私立では日本医科大学、[[東京慈恵会医科大学]]、[[慶應義塾大学医学部]]の3校。公立は[[京都府立医科大学]]。8帝国大学医学部と6官立医科大学に加え、現[[中国医科大学]]の前身、満州医科大学の計19校。なお、9番目の帝国大学医学部である[[台北帝国大学]]医学部の創設は1936年(昭和11年)。
[[File:Nippon_Medical_School,1935.jpg|thumb|昭和初期の日本医科大学]]
* [[1932年]](昭和7年)4月 - [[川崎市]][[中原区]][[小杉町 (川崎市)|小杉]]に[[大学予科|予科]]移転。
* [[1937年]](昭和12年)12月 - 付属丸子病院(現・日本医科大学武蔵小杉病院)開院。
* [[1937年]](昭和12年)12月 - 付属丸子病院(現・日本医科大学武蔵小杉病院)開院。
* [[1945年]](昭和20年)7月 - [[山形県]][[鶴岡市]]に[[疎開]]することとなり、[[鶴岡市立荘内病院]]の運営を市が本学に委託。[[1947年]](昭和22年)秋まで[[日本医科大学付属荘内病院]]として運営された。
* [[1945年]](昭和20年)7月 - [[山形県]][[鶴岡市]]に[[疎開]]することとなり、[[鶴岡市立荘内病院]]の運営を市が本学に委託。[[1947年]](昭和22年)秋まで[[日本医科大学付属荘内病院]]として運営された。
* [[1952年]](昭和27年)2月 - [[学制改革]]により'''新制日本医科大学'''となる。[[日本獣医生命科学大学|日本獣医畜産大学]]を運営移管。
* [[1952年]](昭和27年)2月 - [[学制改革]]により'''新制日本医科大学'''となる。[[日本獣医生命科学大学|日本獣医畜産大学]]を運営移管。

* [[1977年]](昭和52年)6月 - 付属多摩永山病院(現・[[日本医科大学多摩永山病院]])開院。
* [[1977年]](昭和52年)6月 - 付属多摩永山病院(現・[[日本医科大学多摩永山病院]])開院。
* [[1983年]](昭和58年)11月 - 本学創立80周年記念式典挙行。
* [[1983年]](昭和58年)11月 - 本学創立80周年記念式典挙行。
46行目: 77行目:
** 4月 - 日本医科大学大学院棟竣工。
** 4月 - 日本医科大学大学院棟竣工。
** 9月 - 日本医科大学医学部棟竣工。
** 9月 - 日本医科大学医学部棟竣工。
* [[2015年]](平成27年) - 老人病研究所を先端医学研究所に改称。
* [[2017年]](平成29年) - 付属病院新病院棟竣工。


==歴代学長==
==歴代学長==
{| class="wikitable"
*[[中原徳太郎]]  大正15年2月 ~ 昭和2年11月
! 代
*小此木信六郎  昭和2年11月 ~ 昭和3年1月
! 氏名
*[[塩田廣重]]  昭和3年1月  ~ 昭和35年1月
! 就任
*河野勝齋  昭和35年2月  ~ 昭和37年9月
! 退任
*石川正臣  昭和37年10月 ~ 昭和49年3月
|-
*[[丸山千里]]  昭和49年4月  ~ 昭和49年9月
| 1
*木村義民  昭和49年10月 ~ 昭和55年9月
| [[中原徳太郎]]
*木村榮一  昭和55年10月 ~ 昭和57年2月
| 大正15年2月
*石川正臣  昭和57年2月  ~ 昭和57年10月
*乘木秀夫  昭和5710月 ~ 昭和59年4
| 昭和211
|-
*常岡健二  昭和59年5月  ~ 昭和61年9月
| 2
*[[菊地吾郎]]  昭和61年10月 ~ 平成4年9月
| 小此木信六郎
*庄司 佑  平成4年10月  ~ 平成7年9月
| 昭和2年11月
*早川弘一  平成7年10月  ~ 平成12年9月
| 昭和3年1月
*淺野伍朗  平成12年10月 ~ 平成15年9月
|-
*荒木 勤  平成15年10月 ~ 平成20年9月
| 3
*田尻 孝  平成20年10月 ~ 平成27年9月
| [[塩田廣重]]
*弦間昭彦 平成27年10月 ~
| 昭和3年1月
| 昭和35年1月
|-
| 4
| 河野勝齋
| 昭和35年2月
| 昭和37年9月
|-
| 5
| 石川正臣
| 昭和37年10月
| 昭和49年3月
|-
| 6
| [[丸山千里]]
| 昭和49年4月
| 昭和49年9月
|-
| 7
| 木村義民
| 昭和49年10月
| 昭和55年9月
|-
| 8
| [[木村栄一 (医学者)|木村榮一]]
| 昭和55年10月
| 昭和57年2月
|-
| 9
| 石川正臣
| 昭和57年2月
| 昭和57年10月
|-
| 10
| 乘木秀夫
| 昭和57年10月
| 昭和59年4月
|-
| 11
| 常岡健二
| 昭和59年5月
| 昭和61年9月
|-
| 12
| [[菊地吾郎]]
| 昭和61年10月
| 平成4年9月
|-
| 13
| 庄司佑
| 平成4年10月
| 平成7年9月
|-
| 14
| 早川弘一
| 平成7年10月
| 平成12年9月
|-
| 15
| 淺野伍朗
| 平成12年10月
| 平成15年9月
|-
| 16
| 荒木勤
| 平成15年10月
| 平成20年9月
|-
| 17
| [[田尻孝]]
| 平成20年10月
| 平成27年9月
|-
| 18
| [[弦間昭彦]]
| 平成27年10月
| (現職)
|}


== 組織 ==
== 組織 ==
* 学校法人 日本医科大学
: 理事会、教授会

=== 学部 ===
=== 学部 ===
* [[医学部]]
* [[医学部]]
76行目: 184行目:


=== 大学院 ===
=== 大学院 ===
* [[医学研究科]] - 博士(医学)
* [[医学研究科]]
**医学専攻 - 博士(医学)


== 施設 ==
== 施設 ==
82行目: 191行目:


=== 校舎 ===
=== 校舎 ===
[[File:Nippon Medical Univ front gate.jpg|thumb|武蔵境キャンパス正門]]
* 千駄木キャンパス:[[東京都]][[文京区]][[千駄木]]
* 武蔵境キャンパス:東京都[[武蔵野市]][[境南町]] ※日本獣医生命科学大学と同じ敷地
* 千駄木キャンパス:[[東京都]][[文京区]][[千駄木]]1丁目1番5号
* 武蔵境キャンパス:[[東京都]][[武蔵野市]][[境南町]]1丁目7番1号  ※[[日本獣医生命科学大学]]と同じ敷地
* 千葉北総キャンパス:[[千葉県]][[印西市]][[鎌苅]]1715


=== 系列・附属施設 ===
=== 系列・附属施設 ===
;教育機関
* [[日本獣医生命科学大学]]:[[武蔵野市]]。[[JR|中央線]]の[[武蔵境駅]]下車。
* [[日本獣医生命科学大学]]:[[武蔵野市]]。[[JR|中央線]]の[[武蔵境駅]]下車。
* [[日本医科大学看護専門学校]]
* [[日本医科大学看護専門学校]]
;医療機関
* [[日本医科大学付属病院]]:[[文京区]][[千駄木]]にある。[[東京地下鉄|東京メトロ]]の[[東大前駅]]・[[根津駅]]・[[千駄木駅]]下車。
* [[日本医科大学付属病院]]:[[文京区]][[千駄木]]にある。[[東京地下鉄|東京メトロ]]の[[東大前駅]]・[[根津駅]]・[[千駄木駅]]下車。
* [[日本医科大学武蔵小杉病院]]:[[川崎市]][[中原区]]。[[東急東横線]]の[[新丸子駅]]・[[武蔵小杉駅]]下車。
* [[日本医科大学武蔵小杉病院]]:[[川崎市]][[中原区]]。[[東急東横線]]の[[新丸子駅]]・[[武蔵小杉駅]]下車。
* [[日本医科大学多摩永山病院]]:[[多摩市]]。[[永山駅 (東京都)|京王永山駅]]・[[永山駅 (東京都)|小田急永山駅]]下車。
* [[日本医科大学多摩永山病院]]:[[多摩市]]。[[永山駅 (東京都)|京王永山駅]]・[[永山駅 (東京都)|小田急永山駅]]下車。
* [[日本医科大学千葉北総病院]]:[[千葉ニュータウン]]の[[印旛日本医大駅]]下車。[[千葉県]][[印西市]]。
* [[日本医科大学千葉北総病院]]:[[千葉ニュータウン]]の[[印旛日本医大駅]]下車。[[千葉県]][[印西市]]。
* [[日本医科大学健診医療センター]]:[[文京区]][[千駄木]]にある。[[東京地下鉄|東京メトロ]]の[[東大前駅]]・[[本駒込駅]]・[[千駄木駅]]下車。
* 日本医科大学健診医療センター:[[文京区]][[千駄木]]にある。[[東京地下鉄|東京メトロ]]の[[東大前駅]]・[[本駒込駅]]・[[千駄木駅]]下車。
* [[日本医科大学呼吸ケアクリニック]]:[[新宿区]][[九段南]]にある。[[東京地下鉄|東京メトロ]]の[[市谷駅]]下車。
* 日本医科大学呼吸ケアクリニック:[[千代田区]][[九段南]]にある。[[東京地下鉄|東京メトロ]]の[[市谷駅]]下車。
* 老人病研究
;研究施設
* 先端医学研究所
* ワクチン療法研究施設
* ワクチン療法研究施設
;合宿施設
* 日医大マリンハウス:[[神奈川県]][[鎌倉市]]坂の下31-14
* 牧心セミナーハウス:[[山梨県]][[南都留郡]][[富士河口湖町]]富士ヶ嶺831
* 富士セミナーハウス:[[山梨県]][[南都留郡]][[富士河口湖町]]富士ヶ嶺799([[日本獣医生命科学大学]]付設)


== その他 ==
== その他 ==
* [[東京医科大学]] - 1916年(大正5年)に前身の日本医学専門学校から分離独立(分裂)、以来系列関係にはない。
* [[東京医科大学]] - 1916年(大正5年)に前身の日本医学専門学校から分離独立(分裂)、以来系列関係にはない。
* [[東京女子医科大学]] - 卒業生[[吉岡弥生]]が1900年(明治33年)に創立した東京女醫學校から発展したが、系列関係にはない。
* [[東京女子医科大学]] - 卒業生[[吉岡弥生]]が1900年(明治33年)に創立した東京女醫學校から発展したが、系列関係にはない。
* [[東京理科大学]] - [[2009年]][[12月]]、連携協力に関する協定を締結<ref>{{Cite web|url=http://college.nms.ac.jp/news/detail.php?id=914|title=日本医科大学と東京理科大学との連携協力に関する協定の締結について|accessdate=2016-09-20|date=2009-12-24|publisher=日本医科大学|archiveurl=http://web.archive.org/web/20100107053109/http://college.nms.ac.jp/news/detail.php?id=914|archivedate=2010-01-07}}</ref>。
* [[東京理科大学]] - [[2009年]][[12月]]、連携協力に関する協定を締結<ref>{{Cite web|和書|url=http://college.nms.ac.jp/news/detail.php?id=914|title=日本医科大学と東京理科大学との連携協力に関する協定の締結について|accessdate=2016-09-20|date=2009-12-24|publisher=日本医科大学|archiveurl=https://web.archive.org/web/20100107053109/http://college.nms.ac.jp/news/detail.php?id=914|archivedate=2010-01-07|url-status=dead|url-status-date=2017-10}}</ref>。
* [[中央大学]] - [[2010年]][[3月]]、連携協力に関する協定を締結
* [[中央大学]] - [[2010年]][[3月]]、連携協力に関する協定を締結
* [[東京電機大学]] - [[2010年]]12月、連携協力に関する協定を締結
* [[東京電機大学]] - [[2010年]]12月、連携協力に関する協定を締結
* [[郁文館夢学園]] - [[2019年]][[3月]]6日、「高大接続連携に関する協定書」締結<ref>[https://www.ikubunkan.ed.jp/info/2019/04/27174329.html 学校法人 日本医科大学様との高大接続連携に関する調印について]</ref>。
* [[洗足学園高等学校]] - [[2019年]][[6月]]7日、「高大接続連携に関する協定書」締結<ref>[https://www.nms.ac.jp/college/topics/_11240.html 日本医科大学と洗足学園高等学校との高大接続連携に関する調印について]</ref>。
* [[早稲田大学高等学院]] - [[2020年]][[9月]]25日、「高大接続連携に関する協定書」締結<ref>[https://www.nms.ac.jp/college/topics/_12646.html 日本医科大学と早稲田大学高等学院との高大接続に関する協定について]</ref>。
* [[早稲田大学本庄高等学院]] - [[2020年]][[9月]]25日、「高大接続連携に関する協定書」締結<ref>[https://www.nms.ac.jp/college/topics/_12647.html 日本医科大学と早稲田大学本庄高等学院との高大接続に関する協定について]</ref>。
* [[早稲田大学系属早稲田実業学校]]高等部 - [[2020年]][[9月]]25日、「高大接続連携に関する協定書」締結<ref>[https://www.nms.ac.jp/college/topics/_12644.html 日本医科大学と早稲田大学系属早稲田実業学校高等部との高大接続に関する協定について]</ref>。
* [[丸山ワクチン]] - [[丸山千里]]博士による[[皮膚結核]]、[[肺結核]]、[[ハンセン病]]に対する特効薬、あるいは[[悪性腫瘍]]に対する有償治験薬。後者として有名。後者の[[丸山ワクチン]](SSM)は、1972年以来、[[ゼリア新薬工業]]による協力のもと、日本医科大学付属病院ワクチン療法研究施設から全国・世界の医師・患者たちに供給され続けている。
* [[丸山ワクチン]] - [[丸山千里]]博士による[[皮膚結核]]、[[肺結核]]、[[ハンセン病]]に対する特効薬、あるいは[[悪性腫瘍]]に対する有償治験薬。後者として有名。後者の[[丸山ワクチン]](SSM)は、1972年以来、[[ゼリア新薬工業]]による協力のもと、日本医科大学付属病院ワクチン療法研究施設から全国・世界の医師・患者たちに供給され続けている。


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=== 大学関係者一覧 ===
=== 大学関係者一覧 ===
* [[日本医科大学の人物一覧]]
* [[日本医科大学の人物一覧]]

== 脚注 ==
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}{{Reflist}}
{{脚注ヘルプ}}{{Reflist}}
114行目: 236行目:
== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
{{Commonscat|Nippon Medical School}}
{{Commonscat|Nippon Medical School}}
* [http://college.nms.ac.jp/ 日本医科大学]
* [https://www.nms.ac.jp/college/ 日本医科大学]
* [http://www.nurse.nms.ac.jp/ 日本医科大学看護専門学校]
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* [http://hosp.nms.ac.jp/ 日本医科大学附属病院]
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* [http://www.kosugi-h.nms.ac.jp/ 日本医科大学武蔵小杉病院]
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* [http://www.hokuso-h.nms.ac.jp/ 日本医科大学千葉北総病院]
* [https://www.nms.ac.jp/hokuso-h/ 日本医科大学千葉北総病院]
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* [https://www.nvlu.ac.jp/ 日本獣医生命科学大学]


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2024年7月16日 (火) 16:54時点における最新版

日本医科大学
千駄木キャンパス
地図
日本医科大学の位置(東京都内)
日本医科大学
日本医科大学 (東京都)
日本医科大学の位置(日本内)
日本医科大学
日本医科大学 (日本)

日本医科大学・千駄木キャンパスの位置
大学設置 1926年
創立 1876年
創立者 長谷川泰山根正次
学校種別 私立
設置者 学校法人日本医科大学
本部所在地 東京都文京区千駄木1丁目1番5号
北緯35度43分15.94秒 東経139度45分32.2秒 / 北緯35.7210944度 東経139.758944度 / 35.7210944; 139.758944座標: 北緯35度43分15.94秒 東経139度45分32.2秒 / 北緯35.7210944度 東経139.758944度 / 35.7210944; 139.758944
キャンパス 千駄木キャンパス - 東京都文京区千駄木1丁目1番5号
武蔵境キャンパス - 東京都武蔵野市境南町1丁目7番1号
千葉北総キャンパス - 千葉県印西市鎌苅1715
学部 医学部
研究科 大学院医学研究科
ウェブサイト https://www.nms.ac.jp/college/
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日本医科大学(にほんいかだいがく、英語: Nippon Medical School、公用語表記: 日本醫科大學)は、東京都文京区千駄木1丁目1番5号に本部を置く日本私立大学1876年創立、1926年大学設置。大学の略称日本医科大日本医大日医大日医NMS。西洋医師の養成を目的として長谷川泰が1876年に私立医学校濟生學舎」を創立して以来、147年に渡って医師、医学者を養成してきた日本最古の私立医科大学

概要

日本医科大学は、1876年(明治9年)に長谷川泰により創設された私立医学校「済生学舎(濟生學舎)」を前身とし、創立145年を超える日本最古の私立医科大学である。1903年(明治36年)8月31日、済生学舎創立者長谷川泰による済生学舎廃校宣言直後に創立者山根正次によって設立された「済生学舎同窓医学講習会」、「医学研究会」、日本医学校の設立や私立東京医学校との合併、専門学校令による旧制日本医学専門学校の時代を経て、1926年(大正15年)の大学令によって旧制日本医科大学となる。戦前に大学令によって旧制大学に昇格したのは私立医大では3校であり、慶應義塾大学医学部東京慈恵会医科大学と共に、私立医大御三家と称されることがある[1]。なお、東京女子医科大学は前身の済生学舎出身の吉岡弥生(1892年卒)によって創立され、東京医科大学は日本医学専門学校から袂を分かった人々によって創立され、埼玉医科大学は卒業生の丸木清美により設立された経緯がある。また、日本医科大学は2001年(平成13年)に私立医科大学として初めて大学院重点化宣言をし、現在まで継続して大学院の重点的整備を行っている[2]

出身者

卒業生には、癌の免疫療法薬の1つである丸山ワクチンを開発した丸山千里(1928年卒)、ベルリン大学医学部で東洋人として初めて教授資格を取得した肥沼信次(1934年卒)、ジョン・F・ケネディマリリン・モンロー検死した米国ロサンゼルス郡検死局長のトーマス野口(1951年卒)、日本医師会世界医師会の会長を務めた坪井栄孝(1952年卒)がいる。

医術開業試験の予備校のような存在だった済生学舎時代の出身者には、細菌学者である野口英世(1897年卒)や、日本細菌学会賞の一つにその功績を浅川賞として残している浅川範彦(1883年卒)、眼科学の内外の現教科書に小口病として掲載されている旧制愛知医科大学(現:名古屋大学医学部)学長にもなった小口忠太(1891年卒)、東京帝国大学の医化学助教授を経て旧制金沢医科大学(現:金沢大学医学部)学長となった須藤憲三(1893年卒)がいる。

建学の精神

  • 済生救民(さいせいきゅうみん)
    • 「貧しくしてその上病気で苦しんでいる人々を救うのが、医師の最も大切な道である」という意味である。この建学の精神は、設立者である長谷川泰佐倉藩佐藤泰然順天堂に入門して長崎でポンペから外科手術学を修得して帰ってきた佐藤尚中西洋医学を学び、特にフーフェランドの内科書 Enchiridion Medicumの巻末にある「医学必携」に感銘し、「済生救民」思想を体得したことに端を発し、「私心を捨て、全ての人々を分け隔てなく助ける」という思想から定められ、済生学舎の名の由来ともなっており、今日の日本医科大学においても引き継がれている。

学是

  • 克己殉公(こっきじゅんこう)
    • 「己を捨てて他の為に生くることもとより医道の本質なり(我が身を捨てて、己に打ち克ち、広く人々のために尽くす)」という意味である。

教育理念

  • 愛と研究心を有する質の高い医師と医学者の育成

沿革

  • 1876年明治9年)4月 - 長谷川泰により、済生学舎設立。本校の前身となる。
  • 1903年(明治36年)
    • 8月 - 済生学舎廃校宣言。
    • 9月 - 済生学舎同窓医学講習会組織。
  • 1904年(明治37年)4月 - 済生学舎学生を救済するために山根正次衆議院議員(校長)らによって私立日本医学校設立。
  • 1910年(明治43年)3月 - 私立東京医学校を合併。同年10月私立東京医学校跡地駒込(現千駄木校舎)に移転。翌11月付属駒込病院(現・付属病院)開院。
  • 1912年(明治45年)7月 - 私立日本医学専門学校となる。
  • 1919年大正8年)8月 - 日本医学専門学校と改称。
  • 1924年(大正13年)7月 - 付属飯田町医院(後の日本医科大学付属第一病院)開院。
  • 1926年(大正15年)2月 - 大学令により日本医科大学に昇格。
旧大学令による医科大学は私立では日本医科大学、東京慈恵会医科大学慶應義塾大学医学部の3校。公立は京都府立医科大学。8帝国大学医学部と6官立医科大学に加え、現中国医科大学の前身、満州医科大学の計19校。なお、9番目の帝国大学医学部である台北帝国大学医学部の創設は1936年(昭和11年)。
昭和初期の日本医科大学
  • 1977年(昭和52年)6月 - 付属多摩永山病院(現・日本医科大学多摩永山病院)開院。
  • 1983年(昭和58年)11月 - 本学創立80周年記念式典挙行。
  • 1986年(昭和61年)
    • 9月 - 創立80周年記念付属病院東館改築竣工。
    • 11月 - 済生学舎開校110年記念祭挙行。
  • 1994年平成6年)1月26日 - 付属千葉北総病院(現・日本医科大学千葉北総病院)開院[3][4]
  • 1997年(平成9年)10月 - 付属第一病院閉院。
  • 2010年(平成22年)
    • 4月 - 日本医科大学大学院棟竣工。
    • 9月 - 日本医科大学医学部棟竣工。
  • 2015年(平成27年) - 老人病研究所を先端医学研究所に改称。
  • 2017年(平成29年) - 付属病院新病院棟竣工。

歴代学長

氏名 就任 退任
1 中原徳太郎 大正15年2月 昭和2年11月
2 小此木信六郎 昭和2年11月 昭和3年1月
3 塩田廣重 昭和3年1月 昭和35年1月
4 河野勝齋 昭和35年2月 昭和37年9月
5 石川正臣 昭和37年10月 昭和49年3月
6 丸山千里 昭和49年4月 昭和49年9月
7 木村義民 昭和49年10月 昭和55年9月
8 木村榮一 昭和55年10月 昭和57年2月
9 石川正臣 昭和57年2月 昭和57年10月
10 乘木秀夫 昭和57年10月 昭和59年4月
11 常岡健二 昭和59年5月 昭和61年9月
12 菊地吾郎 昭和61年10月 平成4年9月
13 庄司佑 平成4年10月 平成7年9月
14 早川弘一 平成7年10月 平成12年9月
15 淺野伍朗 平成12年10月 平成15年9月
16 荒木勤 平成15年10月 平成20年9月
17 田尻孝 平成20年10月 平成27年9月
18 弦間昭彦 平成27年10月 (現職)

組織

学部

大学院

施設

  • 同窓会館橘桜会館

校舎

武蔵境キャンパス正門

系列・附属施設

教育機関
医療機関
研究施設
  • 先端医学研究所
  • ワクチン療法研究施設
合宿施設

その他

大学関係者と組織

大学関係者一覧

脚注

  1. ^ 大学医学部―命をあずかる巨大組織の内幕 (講談社文庫)
  2. ^ 日本医科大学大学院紹介
  3. ^ “元熱田派、調停受け入れ 話し合いの場は共生懇に”. 毎日新聞 (毎日新聞社): p. 19. (1994年1月27日) 
  4. ^ “北総地域の中核医療施設 日本医科大学附属「千葉北総病院」きょう開院”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 6. (1994年1月26日) 
  5. ^ 日本医科大学と東京理科大学との連携協力に関する協定の締結について”. 日本医科大学 (2009年12月24日). 2010年1月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年9月20日閲覧。
  6. ^ 学校法人 日本医科大学様との高大接続連携に関する調印について
  7. ^ 日本医科大学と洗足学園高等学校との高大接続連携に関する調印について
  8. ^ 日本医科大学と早稲田大学高等学院との高大接続に関する協定について
  9. ^ 日本医科大学と早稲田大学本庄高等学院との高大接続に関する協定について
  10. ^ 日本医科大学と早稲田大学系属早稲田実業学校高等部との高大接続に関する協定について

外部リンク