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「田代まさし」の版間の差分

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2016年11月10日 (木) 23:57時点における版

たしろ まさし
田代 まさし
本名 田代 政(たしろ まさし)
別名義 マーシー
田代 マサシ
生年月日 (1956-08-31) 1956年8月31日(68歳)
出生地 佐賀県唐津市
国籍 日本の旗 日本
民族 日本人
身長 172cm
血液型 A型
職業 歌手タレント俳優
映画監督作詞家
ジャンル テレビ番組テレビドラマ
Vシネマ
活動期間 1980年 - 2001年(地上波)
2002年2008年 - 2010年(地上波以外)
活動内容 1980年鈴木雅之らとシャネルズ(後のラッツ&スター)を結成
1986年志村けんに見出され、タレント活動を開始
2001年:前年の不祥事によりタレント活動を引退
2002年:Vシネマ監督で復帰
2004年:再びの不祥事で逮捕
2008年:インターネットやCSなどのアンダーグラウンドで芸能活動
2010年:再び不祥事で逮捕
2015年薬物依存リハビリ施設「ダルク」のスタッフとして講演活動開始
著名な家族 独身2005年に元夫人と獄中離婚)
主な作品

バラエティ
志村けんのバカ殿様
志村けんのだいじょうぶだぁ
テレビドラマ
熱っぽいの!
季節はずれの海岸物語
テレビコマーシャル
メガネスーパー
森永製菓
著作
『田代まさしの道徳読本』
『自爆 -THE JUDGEMENT DAY』
映像
『四国やくざ・戦場の主役たち2』
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田代 まさし(たしろ まさし、1956年(昭和31年)8月31日 - )は、日本タレント歌手司会者俳優Vシネマ監督作詞家である。本名は田代 政(読み同じ)である。愛称は、マーシー等。ラッツ&スター(旧名シャネルズ)のメンバーであり、そこでの名義は田代 マサシである。また作詞の名義も田代 マサシである。

来歴 (1990年代まで)

デビューまで

1956年(昭和31年)8月31日、母の故郷である佐賀県に生まれるが、出生後まもなくしてキャバレーチェーン店を経営していた父親がほかの女性のもとへ走ったため両親は離婚。母親に引き取られ、中学時代まで母親のもとで育った。母親は夜の仕事をしながら政を育て、母親が留守の間は大家に預けられていた。ミッション系の幼稚園に入園、その後小学校入学直前に東京都新宿区へ転居した。転居先の百人町でも母親との二人暮らしをする。

田代が13歳の時、母親が再婚。その後間もなくして父親や父親の再婚相手である女性と一緒に住む事となったが、その生活になじめず素行不良が目立つようになり、煙草シンナーに手を染める。また、新宿映画館によく通っていた。

杉並区の中学校への転校を経て、1972年(昭和47年)4月に芝浦工業大学工業高等学校機械科に入学、同年の11月には早くも自動二輪運転免許を取得し、オートバイにも乗るようになる。高校入学直後、同校では田代以上の不良だった鈴木雅之と出会う[1]ソウルミュージック好きだった田代と鈴木はすぐに仲良くなり、相変わらず父との生活になじめなかった田代は鈴木の家によく遊びに行き、鈴木の母からも家族同然にかわいがられていたという。高校生になってからも中学生時代からの素行不良は変わらず、ケンカ暴走族ディスコナンパに明け暮れ、傷害事件で警察留置されたこともあった。一方鈴木は、高校在学中に映画『レッツ・ザ・グッド・タイム・ロール』中に登場するドゥーワップに刺激され、ドゥーワップグループ結成を決意。その後高校を中退し、父の工場で働く傍らコーラスダンスの練習を重ねており、田代もその輪の中に入っていく。当時はまだプロになるという考えはなかった[2]

1975年(昭和50年)3月、高校卒業。この時期から田代は車に凝りだし、サニーグロリアカマロフォードプレリュードベンツなど、次々と車を乗り換えている。同年の6月、父と大喧嘩をして家を飛び出す。その後シャネルズのメンバー・久保木博之の誘いで同じガソリンスタンドに就職し、会社の寮で暮らす事になる。この頃に大型自動車免許を取得し、3年後の1978年(昭和53年)にトラックの運転手に転職する。シャネルズのデビュー後もしばらくは運転手を続けていた。この頃、眠気覚ましという名目で先輩トラック運転手から覚醒剤を勧められたと明かしている[3]。しかしものが悪かったのか、あまり効果はなかったという。

シャネルズ

1980年(昭和55年)に、鈴木雅之や桑野信義らと共に、ドゥーワップグループの「シャネルズ」の一員としてメジャーデビュー。デビューシングル『ランナウェイ』が110万枚のミリオンセラーを達成する[1]。しかし同年7月、メンバー10人のうち5人(久保木・桑野・新保・山崎・須川)が埼玉県青少年保護育成条例違反(わいせつ行為)の疑いで書類送検され、シャネルズは半年間謹慎する。なお田代はこの件に関わっていない。

その後フランスの高級ブランドシャネルから物言いがついたことで(化粧品会社のCMソングを担当することになり、シャネルズというグループ名を使うことが不適切になったためという説あり)、1983年(昭和58年)に同グループが「ラッツ&スター」と改称された。その後も多数のヒット曲に関わり、『ザ・ベストテン』などの歌謡番組を通じて日本のお茶の間のお馴染みの顔となる。また、ソロデビューとしてシングル『新島の伝説』をリリースし[4]作詞家としても小泉今日子の楽曲を手がけるなどの活動を行う。

ダジャレの帝王

その後、ザ・ドリフターズ志村けんにそのお笑いセンスを見出され、1986年(昭和61年)頃からタレントコメディアンとしても活動開始。その独自のお笑いセンスから「ダジャレの帝王」、「ギャグの王様」、「小道具の天才」と呼ばれ、レギュラー番組を何本も持ち、大企業テレビCMに何本も出演するなど人気を博した[1]。さらには自伝やダジャレ語録などの著作本出版や、自らの名を冠したファミコンゲームソフト田代まさしのプリンセスがいっぱい』の発売、原宿竹下通りの「マーシーズ」や清里高原へのタレントショップの開店、また映画監督としてVシネマの撮影を行うなど、多彩な活躍を見せていた。しかし順風満帆な人生とは裏腹に、田代自身は仕事に対し、日々プレッシャーを感じて精神を摩り減らしていたという。

来歴 (2000年代以降)

書類送検・芸能活動の休止

2000年(平成12年)9月24日東急東横線都立大学駅構内において帽子、サングラス、マスクという姿で、女性の下着盗撮しようとしている様子を目撃者から通報され、不審人物として警察が任意同行事情聴取東京都迷惑防止条例違反で書類送検された[1]

この事件に触れるメディアが全くないことを疑問に思った通報者が各媒体に連絡を入れて徐々に公になる。田代によると、この時には覚醒剤を使用していなかったとインタビューで語っているが[5]、著書『審判』では1991年(平成3年)に家族旅行でハワイに行った際に覚醒剤を購入し、その時に初めて使用したと語っている。

同年10月4日に事件が発覚し、テレビリポーターに盗撮した理由を聞かれ「『ミニタコができる』というタイトルのギャグ映像を作ろうとしていた」と苦しい弁明をしてバッシングされた[1]。「胼胝(たこ)ができる」という慣用表現とかけたシャレで、この時、事務所から「ギャグにしよう」と言われて考えたら、かえってバッシングを受け裏目に出たと後に語っている[5]

同年12月14日東京簡裁から「罰金5万円」の略式命令が下り、田代は一時芸能活動を休止した。

芸能活動再開

その後志村けんらが田代の芸能活動復帰を働きかけ、翌年2001年(平成13年)7月頃に『ダウンタウンDX』、『めちゃ²イケてるッ!』、『ぐるぐるナインティナイン』等のテレビ番組、『志村けんのバカ殿様』等に出演し芸能界復帰した。また『HAMADA COMPANY 弾丸ヒーローズ』では、番組レギュラーを目指して出発点の東京から沖縄まで目撃されずにゴールするという企画に挑戦した。結果的には滞在先の京都にて写真100枚を撮られて失敗に終わったが、その後も連続してゴールデンタイムの番組に度々登場するようになった。

2回の逮捕と契約解除

HAMADA COMPANY』の最後の出演から間もない2001年(平成13年)12月9日、田代は近所の男性宅風呂を覗いたとして、軽犯罪法違反容疑で現行犯逮捕された[1]。さらに自宅から覚醒剤が発見され、覚せい剤取締法違反容疑(使用・所持)で12月11日、再逮捕された[1]。これを受け、当時田代の所属していたエムティエムプロダクションは同年12月11日付で田代を契約解除した。

この田代の逮捕を受け、芸能界復帰に手助けした志村けんは、「あいつは最低な事をしたのだから芸能界から消えてもらいたい」とコメントした。

加えて、2002年(平成14年)1月に放送された『新春かくし芸大会』や『志村けんのバカ殿様』の収録にも参加していたが、逮捕後の放送のため田代の収録分は全てカットされお蔵入りとなった。フジテレビ側も、「今後の彼の出演は考えられない」と語った。

また、これらの不祥事が2ちゃんねるで話題となり、一時的にアメリカ合衆国の『タイム』誌のパーソン・オブ・ザ・イヤーに選ばれる「田代祭」と呼ばれる騒動も起きている(最終的には、田代はパーソン・オブ・ザ・イヤーの対象外となっている)。

この事件の公判裁判長から職業を質問された際に「元タレント」と答えたことから、その後「元タレント」とテレビなどで表記される様になった。また、シャネルズ、ラッツ&スター時代も含めた田代の過去のVTRや写真が地上波で放送・公開されることが極めて難しくなり、田代のVTRや写真などがテレビで放送される際、田代の音声が薄らかであるか全体を修正されたり、顔を隠されたり、身体の一部しか映らない程度の映像になることが多くなった。

また、テレビの報道番組で刑事被告人または犯罪者など、「元タレント」としては触れるが、「タレント・田代まさし」について触れることがほとんどなくなった。CSの有料チャンネルなどでは、過去の出演作品がそのまま放送されていたが、これらの番組も終了となっている[注釈 1]

なお、田代は後日、お蔵入りになった番組など8,000万円の損害賠償請求をされ、7年経過した2009年(平成21年)になっても返済していることを公表した[6]

執行猶予

2002年(平成14年)3月、裁判懲役2年執行猶予3年の判決を受けた。その後はVシネマ監督として復帰し、『鯨道』シリーズなどを手がける。また2003年(平成15年)正月には『サンデージャポン』にVTR出演し、久々に喋り出すようになった。田代の報道系以外での地上波テレビ番組の出演はこれが最後である(2016年2月時点)。

2004年(平成16年)春頃にはテレビ界復帰も検討されるようになったが、同年6月16日の深夜午前1時頃、杉並区梅里を運転中に青梅街道の「転回禁止」の場所でUターンしてオートバイに乗った男子学生に衝突して大ケガをさせる人身事故を起こし、業務上過失傷害道路交通法違反容疑で書類送検された[7]。これにより復帰が白紙に戻る。この件で鈴木雅之が田代の代わりに謝罪している。

3回目の逮捕

さらに執行猶予中の2004年(平成16年)9月20日夜に中野区新井の路上で車を駐車中、再び覚醒剤及び刃渡り8cmバタフライナイフを所持していたとして、銃刀法違反と覚せい剤取締法違反で現行犯逮捕された[1][8]

野方警察署留置された田代は取り調べの時、何度も嘔吐気絶を繰り返し、病院へ担架で運ばれ点滴を打つという事態にまで至る[9]。本気で自殺を考えた田代だったが、夢枕に立った母親に止められたという[9]鈴木邦男によれば、田代に薬を打たれたとされる交際女性は「いやだったけど、でも嫌われたくなくて」と涙ながらに証言したという[10]

本人は「芸能活動において日頃かなりのプレッシャーを感じていた故に犯行に及んだ[5]」、「盗撮事件後、家族関係が悪くなりヤケになってしまった[11]」と弁明。また裁判所の法廷で裁判官から「(もともと)タレントに向いてないのでは?」との問いかけに「そう思います」と小さく答えた。なお、テレビ出演時に眼鏡やサングラスをしていることが多かったが、実際は伊達眼鏡で眼鏡なしではテレビに出演できないほどのあがり症だと『徹子の部屋』で話したことがある[注釈 2]

1回目の懲役

2005年(平成17年)2月7日、東京地裁で開かれた判決公判で執行猶予中の再犯のため等を主な理由とし、懲役3年6か月の実刑判決が下され[1]、同年3月16日付で東京高裁への控訴を取り下げたため刑が確定した[12]。精神的に不安定なため、服役中に睡眠薬精神安定剤を服用していることが話題になった。

自らも大麻で2度の逮捕歴がある美川憲一は「(刑務所から)出てきたら私のところに来てちょうだい。付き人でも何でもさせて一から叩き直してやるわよ」と述べた後、「立ち直って欲しいの、お願いだから…」と泣き崩れていた。収監前から既に妻子とは別居状態にあったが、服役中に正式に離婚が成立した[13]

収監中、田代は障害者老人、元政治家などが作業する工場で刑務作業に従事していたが、周りに障害者が多かったため与えられた作業が単純なものになってしまい辛かったと語っている[14]

出所

栃木県黒羽刑務所に収監されていた田代は、刑期から未決勾留日数が引かれ、2008年(平成20年)6月26日に満期出所した[13][15]仮釈放がつかなかったのは、身元引受人がいなかったためという[13]。7月16日、阿佐ヶ谷ロフトAにて、雑誌『篠田博之編集長主催のトークイベントに出演した[16]。その場の記者会見では一部ろれつが回らないなど、心身ともに衰弱している様子が見受けられ、田代自身、不眠で医師の処方を受けていることを打ち明けている。

活動再開

2008年(平成20年)10月に公式サイトおよび公式ブログを開始。トップページの画像には「神降臨」の文字が記載される[17]。インターネットにおいて話題となり、100万を超えるアクセス数を記録した。

趣味の格闘技観戦を重ね、昔の伝でお笑いライブの司会を務めたり、2009年(平成21年)3月からは動画共有サイトzoomeで冠番組『田代まさしのお久しブリーフ』を持ったり、またニコニコ生放送において長時間のトークを行うなど[18]テレビや音楽活動といったかつての表舞台ではないものの、「リハビリ」として段階的に芸能活動を再開させた。また旧知の仲でラッツ&スターのリーダーである鈴木も田代の復帰手助けを自身のイベント内で約束するなどの支援を行っていった。

2009年(平成21年)3月18日にインターネット配信された『田代まさしのお久しブリーフ』第1回では、過去の事件について頭を下げて謝罪するとともに、「ありがたいことに色々なところからお仕事を頂いたり、ブブカゲームラボの連載を頂いたり、ちょくちょくライブなどに顔を出したりしている。芸能界的なお仕事もそうだが、ちゃんとした仕事もしていきたい」と近況や自身の今後についての胸の内を明かした。

2009年(平成21年)6月に発売されたニポポのアルバムには、そのうちの2曲に田代がボーカルとして関わり、そのうちの1曲は作曲まで行うことも報じられている[19]。さらに同年7月からは、ケーブルテレビCS放送のチャンネルであるMONDO21にて、活動再開後初のテレビ番組である『田代まさしのいらっしゃいマーシー』が放送された[20]

2009年(平成21年)9月24日、公式ブログ上で、冠番組『田代まさしのお久しブリーフ』の放送終了を報告とともに「リハビリ完了」を宣言した。

同年11月2日、志村けんが自身のブログ上にて楽屋に田代が訪れて土下座された事を報告し、同エントリーに田代へのエールを綴った。更に同5日の田代のブログには志村とツーショットの写真がアップロードされ、両エントリーには500件以上のコメントが寄せられた。

この頃、テレビの取材などで、薬物検査を受けて結果が陰性だったことを公表したり、記者から「もう薬をやりたいとは思わない?」と質問された際には「全然思わない。目の前に出されてもすぐ捨てられる」と語るなど、完全に薬物から決別したように見えた。

4回目、5回目の逮捕

2010年(平成22年)9月16日午前2時10分頃、神奈川県横浜市中区新港1丁目赤レンガパーク駐車場の身体障害者専用スペースに止めていた車両をアジア太平洋経済協力会議(APEC)国際会議の応援警備に当たっていた福岡県警察本部警察官が発見。そこで職務質問を受けた際、コカインをポリ袋に入れて所持していたことが発覚し、直ちに麻薬及び向精神薬取締法違反の容疑で神奈川県警横浜水上警察署に現行犯逮捕された[1]。また、この際一緒にいた美容室経営者の女も覚醒剤を所持していたため、覚せい剤取締法違反の容疑で逮捕された[1][21]。さらに、女のポーチや女性の自宅に覚醒剤、コカイン、大麻を隠し持っていたとして、同年10月14日に覚せい剤取締法違反(共同所持)の容疑などで2人とも再逮捕された[1][22]

逮捕までの経緯

田代はこの逮捕前の2010年(平成22年)5月に胆石の手術を行った頃から急激に痩せだし、夏頃には頬がこけるまで激痩せしていた。田代は出版プロデューサーの高須基仁からこの事について問われると「体力をつけて仕事を頑張るためにジムに通ってダイエットしている」と答えたが、2010年(平成22年)8月に札幌で行われた地下格闘技大会でMCを務めた時には、ろれつが回らない上に手の震えも止まらず、選手の名前を忘れたりと明らかに集中力を欠いていた。これらの事を不審に思った高須から「まだ薬物をやっているのか?」とその場で問い詰められたが、「やってません」と否定したという[23]

またこの頃から、出演するラジオ番組にも「(田代が)何を喋っているのか全然わからない」とリスナーからの苦情が相次いでいた[23]。逮捕前日にはテリー伊藤からも数々の挙動不審を問い質され、「まだ薬をやっているの?」と聞かれ否定こそしたものの、高須から薬物使用の事を問い詰められた時と同じく、テリーに視線を合わせようとしなかった[24]。このように、一部の関係者からは逮捕前から薬物再使用の疑いを持たれていた。8月12日にインタビューを受けた際、薬物をやっていないことを証明するため薬物検査報告書をインタビュアーに見せたが5月に受けたものであった。この逮捕の際、頭髪も薄く、げっそりとやつれた姿が大きく報道され世間に衝撃を与えた[1]

逮捕後の関係者の反応

4回目の田代逮捕の報を聞いた鈴木雅之は、「本当に何と言っていいか言葉になりません。あれだけ多くの人に迷惑をかけたのだから、そのことを肝に銘じて生きてほしかったです。本当にあいつは大馬鹿です」と落胆と無念の思いを込めたコメントを発表している[25]

また、田代の芸能界復帰を積極的に支援してきた南部虎弾は「心が痛い」「仲間が復帰を支援する事より、薬の方が魅力的だったんでしょうか」と悲痛な面持ちを浮かべ、「(今回の逮捕で)残念ですけど終わりですね。復帰なんてもうない」と突き放し[26]、逮捕の前日に会っていたテリー伊藤も「本当に、本当に、本当に、頭にきちゃう」とコメントを残している。なお、3度目の逮捕を知って涙ながらに叱咤激励のコメントを述べていた美川憲一も「今なんて涙も出ないわよ」とコメントし、田代を完全に見限っている[27]。他にも様々な芸能人が落胆と無念のコメントを残している[24]。また、南部の呼びかけで始めた「田代 中村 南部 アクアちゃん」(レインボータウンFM)も田代の逮捕を受けて同月終了した。なお、この番組は田代の芸能界復帰支援を目的に開始されたため、番組終了まで出演者は全員ノーギャラだった。

公判では、シャネルズのデビュー30周年記念イベントの出演依頼があったもののレコード会社より前科を理由に出演を断られたことによるショックと、2010年(平成22年)3月の握手会で薬物の密売人から連絡先のメモを渡された時期が重なったことから、交際相手の被告人を通じ密売人から入手していたことを語っている[28]

2回目の懲役

2011年(平成23年)7月1日横浜地裁で開かれた判決公判で薬物の常習性が顕著であることなどをおもな理由とし、懲役3年6か月の実刑判決が下され、同年7月15日付で東京高裁への控訴を取り下げたため刑が確定し府中刑務所に収監された[1][29]

2回目の出所

2014年(平成26年)7月2日に仮釈放され[30]2015年(平成27年)2月20日、4年6ヶ月ぶりに自身のブログを更新して、民間の薬物依存リハビリ施設「ダルク」のプログラムを受けていることを報告、謝罪の言葉を書き込むと共に「また、みなさんの前に姿をあらわす機会もあるかと思いますがよろしくお願い致します!」と心境を綴った[31]

2015年(平成27年)3月18日には阿佐ヶ谷ロフトAで会見を開き、更には6年ぶりの著書『マーシーの薬物リハビリ日記』の発売イベントも行った。逮捕前に見られた激やせ姿から健康的な姿になり、「ダルク」での活動を詳細に語ったが、「回復したら復帰というのはない」、「本意ではない」と芸能界復帰は否定している。「ダルク」ではスタッフとして勤務し、「芸能人専用のダルクを作りたい」と語っている。また、同じく覚せい剤取締法違反などで有罪判決を受けたASKAに会っていたことも明かした[32]

活動再開(2015年以降)

芸能人でなくDARCスタッフとして社会的な活動を再開。薬物中毒者への講演を主体とした活動に移行した。以前と変わって心理的な余裕も生まれ、田代の名を無断使用した盗撮ビデオメーカーに対し「やかましいわ!一回俺にお伺いを立てろ!」と切り返す度量を見せた[33]。依然芸能活動については難しいとの見方を崩していないが、ラッツ&スターにだけは何年かかっても復帰したい旨を強く述べている[34]

2015年(平成27年)5月3日、バイカーイベント「九州魂」に出席し、チャリティーに協力。7月1日、「社会を明るくする運動中央推進委員会」が主催の「立ち直りフォーラム」に出席。薬物依存の怖さやDARCの活動などを話す。同年7月3日からDARC職員として東北方面に出張し、薬物中毒者向けの講演を精力的にこなす。

その後7月10日から東京都迷惑防止条例容疑で書類送検されたため活動が途切れるが(本人は盗撮容疑に関しては否定)、罰金を支払ったうえで9月から活動を再開し、いまだ「自らが立ち直り途上の身にある」としつつもDARCスタッフとしての邁進を誓った[35]

2016年(平成28年)2月、清原和博覚せい剤取締法違反で逮捕されたことを受け、NHK『ニュースウオッチ9』や民放テレビの報道番組に久しぶりに出演。自身が回復途上であることを前置きした上で、止めたいと思う心と相反する身体の快楽欲求との闘いの日々の体験を激白し、薬物依存の恐ろしさと更生の困難さについて語った[36][37]

2016年(平成28年)3月、田代まさし名義でiTunes Storeから「リハビリマーシー(feat. D.O, 漢 a.k.a. GAMI, RYKEY)」が配信された。楽曲に参加している漢が代表を務める9sari groupYouTube公式チャンネルに、リハビリマーシーのミュージックビデオを含む映像「9SARI HEAD LINE #番外編VOL.4『田代まさしが心配して9sari スタジオに来た!』」が公開された[38]。映像に登場する田代はB系ファッションで、楽曲は覚せい剤についてラップをするフィーチャリングのラッパー達の問いに対し、田代が志村けんのギャグとしても知られる「だいじょうぶだぁ」と連呼し返答する内容となっている。

2016年現在は、おもにTwitterで近況を発信している。

主な出演番組

バラエティ

特に記述がない番組はフジテレビ系。

ドラマ

映画出演・映画監督

  • マーシーの不良風 女を口説く方法 あの手この手教えます(1992年)
  • マーシーの禁断! お嬢様学園危機イッパツ(1993年)
監督:南部英夫、脚本:森保鉄志、原案:増田紀雄、撮影:満井坦彦、音楽:渡辺敬之
出演:田代まさし・斉藤慶子野々村真網浜直子相原勇稲川淳二根岸明美高木ブーしのざき美知
原作:伊集院静、監督・脚本:市川準、助監督:永田智春
出演:田代まさし・南果歩・堀江奈々・渡辺いっけい大久保鷹・向井田彩子・加倉井えり
企画:吉田達、製作:仁平幸男、プロデューサー:服巻泰三・山本芳久
監督:宮坂武志、脚本:岩澤勝己、音楽:松崎裕子、美術:野尻均
出演:田代まさし・濱田のり子TEAH小沢和義山田辰夫桑野信義天宮良
  • 実録やくざ抗争史 LB熊本刑務所 vol.4 刑務所前バス停(2003年、第1回DVシネマ大賞[40]受賞)
監督:田代まさし、脚本:大学中庸
出演:武蔵拳・嘉門洋子本宮泰風比企理恵神保美喜・松田ケイジ・山本集十勝花子山本昌平
  • 実録・プロジェクト893XX 金嬉老 無期懲役・拘禁52年 3(2004年)
  • 四国やくざ・戦場の主役たち2(2004年)

インターネット配信

ラジオ

CM

ほか多数

その他

音楽作品

シャネルズ、ラッツ&スター名義でリリースされた作品はラッツ&スターを参照のこと。

  • 新島の伝説(1986年8月27日発売)
  • パラディラタンの夜は更けて(1987年9月21日発売、「慎之介&マーシー」名義)
  • ウンジャラゲ(1988年11月2日発売、「志村けん&田代まさしとだいじょうぶだぁファミリー」名義)
  • 熱帯夜(1994年7月1日発売、「マーシー&いずみ」名義)
  • 婆様と爺様のセレナーデ(1993年12月17日発売、「けん&マーシー」名義)
  • 愛が懐かしい(1995年3月8日、「田代まさし&麻木久仁子」名義)
  • 監獄ポップ / 監獄アシッドハウス (2009年11月4日発売、「マーシー☆ポルシェ」名義。)
  • お騒がせリズム / 監獄SOUL(2010年2月3日発売、「ニポポ feat. 田代まさし&SSTV DAX LIVE!!」「ニポポ feat. 田代まさし」名義)
  • ウルトラ☆テング / FRONTIER CREATE (2010年8月14日夏コミで頒布された『東方Project』の二次創作同人CD
  • リハビリマーシーfeat. D.O, 漢 a.k.a. GAMI, RYKEY(2016年3月4日発売(配信限定))

著書

  • 田代まさしの道徳読本(1988年5月、講談社、ISBN 4061031015
  • マーシーの超法則(1994年4月、マガジンハウス、ISBN 4838705344
  • シネマで愛して―映画の数ほど、恋したい(1993年10月、日本文芸社、ISBN 4537023848
  • 自爆―THE JUDGEMENT DAY(2002年7月、ケイツー出版販売、ISBN 4434022520
  • 審判(2009年5月、創出版、ISBN 4924718947
  • マーシーの薬物リハビリ日記(2015年3月、アース・スター エンターテイメント、ISBN 4803006725

関連書籍・作品

  • 帰ってこいマーシー(2010年7月、リーダーズノート、ISBN 4903722201
  • どげせん - 田代をモデルにした漫画。企画の板垣恵介が田代の転落を嘆き、本作の主演俳優として復帰を願ったもの[41]。しかし田代は拘置所から板垣に「漫画の世界では土下座で解決するようであってほしいが、世の中には土下座では決着がつかないこともある」と悲観的な書簡を宛てており、板垣も「そんなこと大人に言うなよって感じでね。確かに、いくら土下座したって今は出られないからね」と諦念を示すなど、合意に至っていない[42]

脚注

注釈

  1. ^ フジテレビ721の『志村けんのだいじょうぶだぁ』など。
  2. ^ 一部ドラマや『志村けんのバカ殿様』でのみ眼鏡なしで出演している。また、眼鏡メーカーのCMや広告に出演したことがある。

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n 「大麻・薬物に溺れた者たち――田代まさし」(芸能人犯罪 & 2012-09, p. 26)
  2. ^ 北海道テレビ放送株式会社夢チカ18 ゲスト 鈴木雅之/Epic Records/マザーポップコーン』(2008年6月21日時点のアーカイブ
  3. ^ リハビリ & 2015-03
  4. ^ 新島の伝説 / パシフィック(夏は罪つくり)作曲:鈴木雅之、作詞:秋元康。同時収録曲は作曲:鈴木雅之、作詞:田代まさし「パシフィック」。(2009年2月15日時点のアーカイブ
  5. ^ a b c 田代まさし「"人生すべてがギャグ"──きっとそう思われている」」(日刊サイゾー、2008年10月9日)
  6. ^ J-CASTニュース : 酒井法子の億単位賠償 一体だれが負担するのか(2009年8月19日)
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参考文献

  • 田代まさし; 北村ヂン『マーシーの薬物リハビリ日記』泰文堂・アース・スター エンターテイメント〈ミリオンムック67〉、2015年3月。ISBN 978-4803006728 
  • 梁瀬敦 編『日本のタブー――芸能人・有名人が過去に起こした犯罪&事件』ミリオン出版〈ミリオンムック67〉、2012年9月。ISBN 978-4813066675 

外部リンク