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2016年10月17日 (月) 13:45時点における版
ビョーク Björk | |
---|---|
基本情報 | |
出生名 |
Björk Guðmundsdóttir 原語の発音;ビョルク・グズムンズドッティル |
生誕 | 1965年11月21日(59歳) |
出身地 | アイスランド レイキャヴィーク |
ジャンル |
ロック ポップ・ミュージック エレクトロニカ オルタナティヴ・ロック ダンス ジャズ トリップ・ホップ クラシック |
職業 |
ボーカリスト ミュージシャン 音楽プロデューサー 作詞家 作曲家 編曲家 プログラマー 俳優 |
担当楽器 | ボーカル、ラップトップ(ノートパソコン) |
活動期間 | 1977年 - |
レーベル |
One Little Indian Elektra Polydor Mother Smekkleysa |
共同作業者 | The Sugarcubes, Tappi Tikarrass, KUKL, Spit and Snot, Exodus, Jam80 |
公式サイト | bjork.com |
ビョーク・グズムンズドッティル(アイスランド語:Björk Guðmundsdóttir、翻字:([ˈpjœr̥k ˈkvʏðmʏntsˌtoʊhtɪr] ( 音声ファイル))、1965年11月21日 - )は、アイスランドの歌手、シンガーソングライター、音楽プロデューサー、作詞家、作曲家、編曲家、女優。
概要
アイスランドのレイキャヴィークで生まれた女性歌手で、ビョークとして知られている。ソロで精力的に活動する以前は、オルタナティヴ・ロックバンド「ザ・シュガーキューブス」のメイン・ボーカルとして活動していた。
彼女は様々なジャンルの音楽に影響を受けた革新的な音楽を生み出すことで知られ、グラミー賞に12回、アカデミー賞に1回ノミネートされるなど多数の賞を獲得している。
彼女のレコード・レーベル One Little Indianによると、2003年現在、彼女は全世界で1,500万枚のアルバムを売り上げている。
「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第60位にランクインしている[1]。
また、「Q誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第35位にランクインしている[2]。
「ビョーク」とは「カバノキ」、「グズムンズドッティル」とは「グズムンズの娘」を意味する。
経歴
1990年以前
ヒッピームーブメントに影響を受けた両親(ちなみに両親は彼女が1歳の時に離婚している。母の再婚相手はギタリスト)のもと、4歳の頃から作曲を始め、7歳から地元の音楽学校に通いフルートやピアノ、クラシックを学ぶ。
1977年に母ヒュドゥルの勧めで12歳にしてアルバム『Björk Guðmundsdóttir』でデビュー。アイスランド童謡を歌ったこのレコードで、アイスランド国内で爆発的な人気を得る。しかし彼女自身はカバーばかりで自分の曲が1曲しか入っていないこのアルバムに満足していない発言を後に残しており、レコード会社からの2枚目のアルバムの話を断り、天才少女の肩書きと決別する。
さらに、アーティストたるもの新しいものを創造することが使命であり、過去の作品を演奏することの多いアカデミックな音楽教育に疑問を呈する発言をしており、その後アイスランドに訪れたパンクの波に影響され13歳で「タッピティカラス」などのいくつかのバンドを結成。さまざまなパートを担当する。
1986年、ギタリストのソール・エルドンと結婚し、6月8日に息子シンドリを出産。この日にギターポップバンド「ザ・シュガーキューブス」を結成。夫と共に立ち上げたレーベル「バッド・テイスト」からデビュー。英語で発表した曲はアイスランドのみならず英語圏でも注目を集めて人気インディーズバンドとなり、1990年にはワールドツアーを行い、来日も果たす。 同じく1986年アイスランドにて息子シンドリの育児をしながら、グリム童話を題材にした映画 ビョークの『ネズの木』〜グリム童話よりに主演を果たしている。
1990年以降
ザ・シュガーキューブス解散後、1993年にソロアルバムをリリース。ソロとしては3枚目であるが改めて『デビュー』と題したこのアルバムはハウスを取り入れた先鋭的かつポップなサウンド、天真爛漫でフォースフルなボーカルが大々的にフィーチャーされ、世界的にヒットした。
若い頃には東洋的な顔立ちから日本人に似ていると周囲に指摘され、三島由紀夫などの日本文学を読んでいた。幼少時に観た日本映画『鬼婆』に形容しようのない印象を受け、日本に強い興味を抱いていたという。空手をしていると公言したり「アーティストとして初めてリスペクトされていると感じたのが日本」ともコメントしている。その影響か日本人アーティストとコラボレートすることも多く、アコーディオニストのcobaは1995年のワールドツアーに参加。アートディレクター石岡瑛子にはミュージックビデオの監督を依頼。Dokakaはヒューマンビートボックスでアルバム『メダラ』に参加した。川久保玲やジュンヤ・ワタナベの服を好んで着ることでも有名。写真家 荒木経惟のファンであり、彼が撮ったポートレートをアルバム『テレグラム』(1996年)のジャケットに使用したほか、荒木のドキュメンタリ映画『アラキメンタリ』に出演したり雑誌などでも盛んに共演している[3]。
2000年、ミュージカル映画『ダンサー・イン・ザ・ダーク』に主演。ゴールデングローブ賞主演女優賞、最優秀オリジナル・ソング賞にノミネート。カンヌ国際映画祭のパルム・ドール、最優秀女優賞を受賞した。劇中での音楽を担当し、アルバム『セルマソングス〜ミュージック・フロム・ダンサー・イン・ザ・ダーク』をリリース。グラミー賞とアカデミー賞にノミネートされ、アカデミー賞会場ではマラヤン・ペジョスキーがデザインした白鳥ドレスを着てレッドカーペットに現れ、ステージで劇中歌「I've Seen It All」を披露し、大きな話題を呼んだ。 日本では2001年の正月映画として公開されヒットした。
2004年に行われたアテネオリンピックの開会式で「Oceania」をパフォーマンス。
2005年7月2日はDREAMS COME TRUE、Do As Infinityなども参加した幕張メッセのLIVE 8 Japanコンサートでライヴ・パフォーマンスを披露した。LIVE 8はG8八カ国同日に行われたイベントであり、世界貧困撲滅キャンペーンの一つである。
同年、ビョークは日本についての映画『拘束のドローイング9』への出演とサウンドトラック創作に打ち込んでいた。同作を製作したアーティストのマシュー・バーニーとの間に娘イザドラをもうけたが、2013年に破局した。
ビョークは2012年11月22日、自身のFacebookページにおいて、数年前に医師から声帯にポリープがあることを告げられ、その後4年間に及ぶ食事療法などを行って来たが、最終的にレーザーによる本格的な治療を行った為、しばらく休養する旨を発表した。ビョークは発表したメッセージの文末で「食事療法などがうまくいくと信じていたし、仕事をキャンセルするような事になるまでは、この話はしたくなかった。2013年に、また皆さんの前で歌える事を楽しみにしています。」としている。
以下は原文:
dear friendsfew years ago doctors found a vocal polyp on me chords ... i decided to go the natural way and for 4 years did stretches and tackled it with different foods and what not . then they discovered better technology and i got tempted into hi tech lazer stuff and i have to say , in my case anyway : surgery rocks ! i stayed quiet for 3 weeks and then started singing and definitely feel like my chords are as good as pre nodule ! it´s been very satisfying to sing all them clear notes again .
im sorry i had to cancel stuff earlier in the year , didnt want to talk about this until i knew for sure if it would work . so looking forward to singing for you in 2013
all the warmth ,björk. — Björk、ビョーク (bjork) - Facebook
2015年にはニューヨーク近代美術館(MoMA)にてビョークの回顧展が開催された[4]。回顧展に合わせて書籍『Björk: Archives』を出版[5]。また、このときに展示された「Stonemilker」の360度パノラマVR(バーチャル・リアリティ)ビデオは、iOS向けアプリ「Björk: Stonemilker VR」として発売された[6]。
様々な分野のミュージシャンとコラボレーションを行うことでも知られ、インタビューなどでビョークに影響を受けたと答えるミュージシャンも多い。シンクロナイズドスイミングのヴィルジニー・デデューやフィギュアスケートのミシェル・クワン[要出典]、高橋大輔(2007-2008シーズンエキシビジョン)の演技で彼女の曲が使われるなど、他分野の人々にも影響を与えている。
事件
ストーカーによる爆弾送付未遂事件
精神に病を患ったフロリダの熱烈なファン、リカルド・ロペス(Ricardo Lopez、1975年1月14日 - 1996年9月12日)は、ビョークを殺害するための酸性爆弾(本の中に仕掛けており、開くと薬品が飛び出す仕組み。本のプレゼントにカムフラージュさせたものだった)を作製する過程をフィルムに撮影した。22時間にわたるそのビデオテープには、爆弾作製の過程に加えて、愛に対する彼の考えや彼の不平不満なども語られ、彼のビョークへの強い執着が述べられていた。映像はさらに続き、爆弾をビョーク宛に郵送し終えて、すぐにでもビョークが死ぬと信じている彼は、上半身裸になり奇妙なフェースペイントを塗り、頭髪を剃った後、カメラの前で自分自身を銃弾で撃ち抜いた。彼は自分の命を奪うことには成功したが、そのビデオを見た警察によって、郵送された爆弾はビョークに届く前にスコットランドヤードが探し出した。撮影された彼の部屋には沢山のビョークの写真やポスターがあり、製作中もビョークのビデオを流していた。 この事件をきっかけにビョークは婚約者と破局した。
暴行事件
2008年1月13日、ニュージーランド滞在中に、オークランド国際空港で付き添い人の制止を無視して撮影を行ったカメラマンに暴行した。カメラマンがビョークの写真を数枚撮影後、その場から離れようとした際、ビョークが追いかけてカメラマンのTシャツを引き裂いた。揉み合いを続ける中、ビョークは床に転倒した[7]。
チベット・コソボ独立連呼騒動
2008年3月2日、中国・上海で行われたコンサートで事前に演奏を届け出ていない[8]「Declare Independence」を歌った際にチベットを連呼した[9]。これを受け、中国文化省は文化省のサイト上で、規定に違反して個人的な芸術活動を政治利用し人民の感情を傷つけると不快感を表すコメントを掲載すると共に、中国国外アーティストへの制限を強化する意向を発表している[10]。一方のビョークも自身のサイトで、自分は政治家ではなくミュージシャンである旨のコメントを返している。
2008年2月に日本武道館で開催されたコンサートでは同じ曲でコソボを連呼しており、この影響でセルビアでのフェスティヴァルの出演をキャンセルされている[11]。
ディスコグラフィー
スタジオアルバム
- デビュー/Debut (1993)
- ポスト/Post (1995)
- ホモジェニック/Homogenic (1997)
- ヴェスパタイン/Vespertine (2001)
- メダラ/Medúlla (2004)
- ヴォルタ/Volta (2007)
- バイオフィリア/Biophilia (2011)
- ヴァルニキュラ/Vulnicura (2015)
サウンドトラック
- タンク・ガール/Tank Girl (1995) - 『タンク・ガール』のサウンドトラック。複数のアーティストによるオルタナティブ・コンピレーションアルバムとなっている。『アーミー・オブ・ミー』収録。
- セルマソングス〜ミュージック・フロム・ダンサー・イン・ザ・ダーク/Selmasongs (2000) - 『ダンサー・イン・ザ・ダーク』のサウンドトラック。レディオヘッドのヴォーカリストトム・ヨークとのデュエット『I've Seen It All』を収録
- 『スクリーミング・マスターピース』 - アイスランド音楽に関する2005年のドキュメンタリー映画にミュージシャンとして出演し、サウンドトラックを音楽を提供した。
- ミュージック・フロム『拘束のドローイング9』/The Music from Drawing Restraint 9 (2005) - 映像作品『拘束のドローイング9』のサウンドトラック。この映像作品と音楽の製作過程はドキュメンタリー映画『マシュー・バーニー:拘束ナシ』に収められている。
- Sucker Punch (soundtrack) (2011) - エンジェル ウォーズ/Sucker Punch のサウンドトラック。複数のアーティストによるコンピレーション。Army of Me (Sucker Punch Remix)/Björk (feat. Skunk Anansie)収録。
リミックスアルバム
- ザ・ベスト・ミクシーズ・フロム・ザ・アルバム・デビュー・フォー・オール・ザ・ピープル・フー・ドント・バイ・ホワイト・レーベルズ/The Best Mixes from the Album Debut for All the People Who Don't Buy White Labels (1994) - 『デビュー』のシングルから選曲したリミックスアルバム
- テレグラム/Telegram (1996) - 『ポスト』のシングルから選曲したリミックスアルバム
- バスターズ/Basterds (2012) - 『バイオフィリア』のシングルから選曲したリミックスアルバム
ベストアルバム
- グレイテスト・ヒッツ/Greatest Hits (2002) - ファン投票を元にしたベストアルバム
ボックスセット
- ファミリー・トゥリー/Family Tree (2002) - ビョーク自身の選曲による『グレイテスト・ヒッツ』に未発表曲などを加えた6枚組ボックスセット
- ザ・ライヴ・ボックス/Live Box (2003) - 『デビュー』『ポスト』『ホモジェニック』『ヴェスパタイン』のライブ音源のボックスセット
- サラウンド/Surrounded (2006) - 過去のアルバムを5.1chサラウンドにリミックスし、全ビデオクリップも加えた7枚組DualDisc(DVD+CD)の限定ボックスセット
- ヴォルタイック/Voltaic (2009) - 『ヴォルタ』のバンド録音CD、ライブDVD、ミュージックビデオ、リミックスのボックスセット。バージョン違いあり。
その他
- ビョーク・グズムンズドッティル/Björk Guðmundsdóttir (1977) - ビョークが11歳の時に出した初のソロアルバム
- グリン・グロ/Gling-Gló (1991) - 母国のバックバンドとセッションしたスウィング・ジャズアルバム。グリン・グロとはアイスランド語で時計の針が進む擬音。
- アイチューンズ・オリジナルズ/iTunes Originals (2005)
- ナットゥラ/Náttúra (2008) -母国アイスランドの自然環境保護キャンペーン「Nattura」のために書き下ろし、デジタル配信限定でのリリース。トム・ヨークがバックコーラスで参加しており、収益はすべて同キャンペーンに寄付される。
- ヴァルニキュラ・ストリングス (2015) - アルバム『ヴァルニキュラ』を全編ストリングスで再構成したもの。
出演
- ビョークの『ネズの木』〜グリム童話より The Juniper Tree (1990)
- ダンサー・イン・ザ・ダーク Dancer in the Dark (2000) 音楽も担当
- 拘束のドローイング9 Drawing Restraint 9 (2005) 音楽も担当
日本公演
- 1994年
- 2月3日心斎橋クラブクアトロ、4日名古屋クラブクアトロ、5日 渋谷 ON-AIR WEST、7日,8日,9日 渋谷 ON-AIR
- 1996年
- 1998年
- フジロック・フェスティバル - 8月1日 東京ベイサイドスクエア
- 2001年
- 12月2日 昭和女子大学人見記念講堂、5日 オーチャードホール、7日 東京国際フォーラムホールC
- 2003年
- フジロック・フェスティバル - 7月26日 苗場スキー場
- 2005年
- 2008年
- 2月19日,22日 日本武道館、25日 大阪城ホール
- 2013年
脚注
- ^ Rolling Stone. “100 Greatest Singers: Björk”. 2013年5月26日閲覧。
- ^ “Rocklist.net...Q Magazine Lists..”. Q - 100 Greatest Singers (2007年4月). 2013年5月21日閲覧。
- ^ 雑誌SWITCH2003年10月号掲載
- ^ MoMA - "Björk" exhibition. Retrieved 6 December 2014
- ^ Amazon – Björk: Archives. Retrieved 6 December 2014
- ^ "Björk Releases "Stonemilker" Virtual Reality App". Pitchfork. Retrieved 2016-01-15
- ^ 歌手ビョーク、ニュージーランドでカメラマンに暴行(ロイター)
- ^ 「営業性演出管理条例」にもとづき、中華人民共和国内で演奏する中国国外アーティストは演奏する曲目を文化省に提出し許可を得る必要がある。
- ^ “公演で「チベット独立」叫んだビョークに、中国政府が非難声明”. AFPBB News. (2008年3月7日) 2016年6月2日閲覧。
- ^ “ビョークの「チベット」連呼、国外アーティストに中国が警告”. AFPBB News. (2008年3月13日) 2016年6月2日閲覧。
- ^ “ビョーク、東京公演でのコメントに波紋が広がる”. MTVジャパン. MTV (2008年3月5日). 2016年6月2日閲覧。
- ^ ビョーク「Biophilia Tokyo(バイオフィリア トウキョウ)」 | 日本科学未来館 (Miraikan)