コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

張曼玉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
マギー・チャン
2007年、上海にて
基本情報
繁体字 張曼玉
簡体字 张曼玉
漢語拼音 Zhāng Mànyù
注音符号 ㄓㄤㄇㄢˋㄩˋ
粤拼 Zoeng① Maan⑥ Juk⑥
生誕 (1964-09-20) 1964年9月20日(60歳)
香港の旗 イギリス領香港
英語名 Maggie Cheung
職業 女優
ジャンル 映画
活動期間 1984年 -
テンプレートを表示
張曼玉の手形と署名入りプレート。(香港・星光大道

張 曼玉マギー・チャン、Maggie Cheung, 1964年9月20日 - )は、香港出身の女優。代表作に『ポリス・ストーリー』シリーズ(3まで)、『ロアン・リンユィ 阮玲玉』『ラヴソング』『花様年華』『クリーン』など。

来歴・人物

[編集]

香港で生まれ、8歳の時にイギリスケントに移住し、幼少期および青年期をイギリスで過ごし、ケントの中学校に通っていた。当時の夢はヘアスタイリストになることで、16歳の時にはロンドンの書店で店員として働いていた。

1982年、17歳で香港の親戚を訪ねた時にスカウトされてパートタイムの広告モデルとして働き始め、18歳の時にミス香港で2位になったことがきっかけで芸能界入りし多数のテレビや映画に出演した。1985年から始まった『ポリス・ストーリー』シリーズを始め、ジャッキー・チェンの作品にも出演。『ポリス・ストーリー2 九龍の眼』(1988年)の撮影では、金属の枠が将棋倒しになるシーンで枠が頭に当たって入院するほどの怪我をし[1]、脱出用シュートから脱出するシーンでも頭に負傷したという[2]

デビュー当初はアイドル的な役柄が多かったが、ウォン・カーウァイ監督の『いますぐ抱きしめたい』(1988年)、『欲望の翼』(1990年)に出演した頃から徐々に演技派へと転進した。香港電影金像奨では『仔猫のように抱きしめて』(1989年)、『ロアン・リンユィ 阮玲玉』(1991年)、『ラヴソング』(1996年)、『宋家の三姉妹』(1997年)、『花様年華』(2000年)で最優秀主演女優賞を5度、台湾金馬奨では『フルムーン・イン・ニューヨーク』(1989年)、『ロアン・リンユィ 阮玲玉』『ラヴソング』『花様年華』で最優秀主演女優賞を4度、『レッドダスト』(1990年)で最優秀助演女優賞を1度、それぞれ受賞している。『ロアン・リンユィ 阮玲玉』では、第42回ベルリン国際映画祭女優賞も受賞した。1992年には日本・香港合作のテレビドラマ『ホンコン・ドリーム』(NHK)に出演、奥田瑛二らと共演している。

1990年代後半からはパリで過ごすことが多くなり、フランス語を流暢に操るようにもなった。1998年にはフランスの映画監督オリヴィエ・アサヤスと結婚。2人は3年後に離婚したが、2004年に製作されたアサヤス監督の『クリーン』では彼女が主演を務め、第57回カンヌ国際映画祭で女優賞を獲得した。2007年には、カンヌ国際映画祭審査員を務める。

香港のみならず中華圏を代表する女優として知られているが、『クリーン』を最後に女優業を休業しており、映画のフィルム編集や音楽について学んでいるという。2014年5月にはロックバンドのボーカルとして歌手デビューした。上海の音楽フェスティバルで披露した初パフォーマンスに、音程のずれなど厳しい指摘を受けたが、その後の北京の音楽フェスティバルのステージ上で「子どもの頃からの夢なので諦めない」と強く宣言し、観客から拍手で迎えられた。2015年のオムニバス映画『恋する都市 5つの物語』では作詞・作曲を含めて主題歌を担当している。

出演作品

[編集]

映画

[編集]

テレビドラマ

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ その時の映像はエンド・クレジットのNG集に収録されている。
  2. ^ 「作品解説『哀れなヒロインを演じきったマギー・チャンの女優魂』」『ジャッキー・チェン DVDコレクション 第14号』DeAGOSTINI〈デアゴスティーニ・シリーズ〉、2014年9月2日、3頁。雑誌コード:30215-9/30。

外部リンク

[編集]