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{{鉄道車両 |
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'''愛知電気鉄道電3形電車'''(あいちでんきてつどうでん3がたでんしゃ)は、[[愛知電気鉄道]](愛電)が新製した[[通勤形車両 (鉄道)|通勤形電車]]。'''デハ1020形'''とも称する。後年愛電と[[名古屋鉄道#名古屋電気鉄道|名岐鉄道]]が合併し[[名古屋鉄道]](名鉄)が設立されたことに伴い、'''モ1000形'''および'''モ1020形'''と改称された。 |
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|車両名= 愛知電気鉄道電3形電車<div style="font-size:80%;">電4形電車</div> |
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|社色= #C00029 |
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|画像= Meitetsu mo 1001 nishio.jpg |
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|pxl = 280px |
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|画像説明= 名鉄モ1000形1001(旧電3形デハ22) |
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|unit= self |
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|編成両数= |
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|営業最高速度= |
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|設計最高速度= |
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|減速度(通常)= |
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|減速度(非常)= |
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|車両定員= 80人(座席36人)<ref name="RML187_p44" />{{Refnest|group="*"|名鉄モ1020形1021・1022(旧電3形デハ20・デハ21)の座席定員は24人<ref name="RML187_p44" />。}} |
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|全長= 電3形:13,487 [[ミリメートル|mm]]<ref name="RP65_p35" /><br />電4形:15,126 mm<ref name="RP65_p35" /> |
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|全幅= 2,642 mm<ref name="RP65_p35" /> |
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|全高= 電3形:4,195 mm<ref name="RP65_p35" /><br />電4形:4,178 mm<ref name="RP65_p35" /> |
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|車両重量= 電3形:24.09 [[トン|t]]<ref name="RP65_p35" />{{Refnest|group="*"|名鉄モ1020形1021・1022(旧電3形デハ20・デハ21)の公称自重は24.69 t<ref name="RP65_p35" />。}}<br />電4形:24.57 t<ref name="RP65_p35" /> |
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|軌間= 1,067 mm([[狭軌]])<ref name="RML187_p10" /> |
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|電気方式= [[直流電化|直流]]600 [[ボルト (単位)|V]]([[架空電車線方式]])<ref name="RML187_p10" /> |
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|主電動機= [[直巻整流子電動機|直流直巻電動機]] WH-546-J<ref name="RML187_p44" />{{Refnest|group="*"|[[#RML187|『RM LIBRARY187 名鉄木造車鋼体化の系譜 -3700系誕生まで-』 p.44]]によると、1959年(昭和34年)当時、モ1030形1031を除く全車はWH-646-Jを搭載していたとされる。546-Jと646-Jは定格出力は同一ながら公称定格電流値が異なり、546-Jは92 [[アンペア|A]]であるのに対して646-Jは108 Aである<ref name="RML187_p44" />。}} |
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|主電動機出力= 65 [[馬力#英馬力|PS]] (48.49 [[ワット (単位)|kW]])<ref name="RML187_p10" /> |
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|搭載数= 4基 / 両<ref name="RML187_p10" /> |
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|歯車比= 3.14 (66:21)<ref name="RML187_p10" /> |
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|定格速度= 35.2 [[キロメートル毎時|km/h]]<ref name="RML187_p10" /> |
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|駆動装置= [[吊り掛け駆動方式|吊り掛け駆動]]<ref name="RML187_p10" /> |
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|制御装置= 電3形:[[主制御器#電空単位スイッチ式|電空単位スイッチ式]]間接非自動制御(HL制御)<ref name="RP473_p171" /><br />電4形:[[マスター・コントローラー#直接式|直接制御]]<ref name="RP473_p171" /> |
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|台車= [[ブリル#27MCB|ブリル27-MCB-2]]<ref name="RP249_p64" /> |
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|制動方式= 電3形:SME[[直通ブレーキ#SME|非常直通ブレーキ]]<ref name="RP473_p171" /><br />電4形:GE直通ブレーキ<ref name="RP473_p171" /> |
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|保安装置= |
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|製造メーカー= [[日本車輌製造]]本店<ref name="RP249_p64" /> |
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|備考= |
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'''愛知電気鉄道電3形電車'''(あいちでんきてつどうでん3がたでんしゃ)は、[[愛知電気鉄道]](愛電)が[[1921年]]([[大正]]10年)に導入した[[電車]]([[動力車|制御電動車]])である。 |
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前後妻面を丸妻5枚窓構造とした木造車体を備え<ref name="CB521_p119" />、従来導入した[[二軸車 (鉄道)|4輪単車]]構造の[[愛知電気鉄道電1形電車|電1形・電2形・附1形]]とは異なり、愛電の保有車両として初めて[[ボギー台車|2軸ボギー台車]]を装着するボギー構造を採用した<ref name="meitetsu1961_p163-164" />。また、間接制御装置の採用によって[[総括制御]]を可能とした点を特徴とする<ref name="CB521_p119" />。 |
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== 沿革 == |
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[[1921年]](大正10年)に[[日本車輌製造]]で製造された愛知電気鉄道で最初の[[ボギー台車|ボギー車]]である。また、愛知電気鉄道で初めて[[空気ブレーキ]]、[[汽笛]]が採用された車両である。20 - 24、26(後に1020 - 1024、1026に改称)<ref>愛電は末尾5を忌み番号としている([[愛知電気鉄道電1形電車|電1形]]参照)</ref>がの6両が製造された。 |
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翌[[1922年]](大正11年)には、電3形を設計の基本としつつ車体長を13 [[メートル|m]]級から15 m級に延長し、さらに車内に荷物室を備える[[旅客車#合造車|客貨合造構造]]とした'''電4形'''(でん4がた)が増備された<ref name="RP473_p171" />。その他、制御装置の仕様が[[マスター・コントローラー#直接式|直接制御]]に改められ、総括制御が不可能となった点が電3形とは異なる<ref name="RP473_p171" />。 |
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同時期に製造された[[美濃電気鉄道]][[美濃電気軌道セミボ510形電車|DB505形]](後のモ520形)、[[名鉄各務原線|各務原鉄道]][[各務原鉄道K1-BE形電車|K1-BE形]](後のモ450形)、[[名鉄挙母線|岡崎電気軌道]][[岡崎電気軌道デ200形電車|デ200形]](後のモ460形)と同様の正面5枚窓の車体であったが、3扉車であったのが特徴である。当時の愛知電気鉄道の路線は架線電圧600Vであり、有松線(現・[[名古屋本線|名鉄名古屋本線]][[神宮前駅|神宮前]] - [[有松駅|有松裏]])で運用されるが、[[名鉄常滑線|常滑線]]に移る。 |
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後年、電3形のうち4両が愛電傍系の[[碧海電気鉄道]]へ譲渡され、同社'''デ100形'''(2代)となった<ref name="RP809_p109" />。また、愛電と[[名古屋鉄道#名古屋電気鉄道|名岐鉄道]]との合併による現・[[名古屋鉄道]](名鉄)の発足と、碧海電気鉄道の名鉄への吸収合併に伴って、最終的には電3形・電4形・碧海デ100形とも全車名鉄籍へ編入され、各種改造を経て最終的に'''モ1000形・モ1020形・モ1030形'''の3形式に再編された<ref name="RP248_p64" />。これら3形式は終始架線電圧600 [[ボルト (単位)|V]]仕様の各路線区にて運用され、[[1964年]]([[昭和]]39年)まで在籍した<ref name="RP248_p64" />。 |
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[[1928年]](昭和3年)、傍系会社の[[碧海電気鉄道]]が1500Vから600Vに降圧すると、1022 - 1024、1026の4両は車輌交換で碧海電気鉄道に移り、碧海電気鉄道100形となる。残りの2両は郵便室が設置され、デハユ1020形(1020、1021)となる。 |
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以下、本項では電3形および電4形として導入された計8両の車両群について記述する。 |
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[[1935年]](昭和10年)、名岐鉄道と愛知電気鉄道が合併すると、デハユ1020形はモユ1020形に改称する。その後(時期不明)、郵便室が撤去され、モ1020形となる。 |
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== 導入経緯 == |
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[[1944年]](昭和19年)、碧海電気鉄道が名古屋鉄道に合併すると、碧海電気鉄道100形はモ1000形(1001 - 1004)に改称する。 |
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愛電は同社[[名鉄常滑線|常滑線]]の複線化工事進捗に伴う輸送力増強を目的として<ref name="meitetsu1961_p163-164" />、1921年(大正10年)5月に電3形6両を導入した<ref name="RP473_p171" />。 |
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電3形の[[鉄道の車両番号|記号番号]]はデハ21 - デハ24・デハ26・デハ27と、附1形サハ20からの続番が付与され<ref name="RP248_p64" />、「デハ25」は当初から欠番とされている<ref name="RP248_p64" />。これは1919年(大正8年)10月に発生した正面衝突事故の当該車両2両(電1形デハ5・電2形デハ15)がいずれも車番末尾「5」の車両であったことから<ref name="RP248_p64" />、以降愛電において車番末尾「5」は[[忌み数]]とされたことによるものである<ref name="RP248_p64" />。 |
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戦後、1000形と1020形は[[名鉄西尾線|西尾線]]、[[名鉄蒲郡線|蒲郡線]]で使用されたが、1500V昇圧のため[[名鉄各務原線|各務原線]]に移り、[[1964年]](昭和39年)ころ廃車となった。 |
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翌1922年(大正11年)3月には、同じく輸送力増強を目的として電4形2両が増備された<ref name="meitetsu1961_p163-164" /><ref name="RP473_p171" />。電4形は車体長が15 m級に延長され、車内を客貨合造構造に設計変更した点などが電3形とは異なる<ref name="RP473_p171" />。電4形の記号番号はデハニ1030・デハニ1031と1000番台の車番が付与され、十位を30番台とした新規番台に区分されている<ref name="RP248_p64" />。 |
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なお、電3形・電4形とも全車[[日本車輌製造]]本店にて新製された<ref name="RP249_p64" />。 |
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== 主要諸元 == |
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=== モ1000形 === |
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== 車体 == |
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*全長:13,487mm |
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全長13,585 [[ミリメートル|mm]]・全幅2,642 mmの、木造二重屋根(ダブルルーフ)車体を備える<ref name="RML187_p10" />。電4形は全長が15,126 mmに延長されているが、全幅などその他の車体設計は電3形を踏襲する<ref name="RP473_p171" />。 |
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*全幅:2,642mm |
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*全高:4,191mm |
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前後妻面は前後方向に大きな半円を描く丸妻形状とし、各妻面に計5枚の前面窓を配置する<ref name="CB521_p119" />。この妻面形状は当時の電車設計における流行を取り入れたもので<ref name="CB521_p119" />、愛電電3形・電4形同様に後年名鉄へ継承された同時代製造の車両では、[[美濃電気軌道]]が導入した[[美濃電気軌道DB505形電車|DB505形]]<ref name="RP473_p170-171" />、[[名鉄各務原線|各務原鉄道]]が導入した[[各務原鉄道K1-BE形電車|K1-BE形]]<ref name="RP473_p170-171" />、[[名鉄岡崎市内線|岡崎電気軌道]]が導入した[[岡崎電気軌道デ200形電車|デ200形]]<ref name="RP473_p175" />などが、電3形・電4形と同じく前面5枚窓構造の車体を備える<ref name="RP473_p170-171" /><ref name="RP473_p175" />。 |
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*自重:24.9t |
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*定員(座席):80(36) |
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運転台を前後妻面に設けた両運転台構造を採用、[[前照灯]]は落成当初前後妻面の腰板中央部へ設置されたが<ref name="meitetsu1961_p163-164" />、後年屋根上中央部へ移設されている<ref name="CB521_p119" />。 |
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*台車:[[ブリル]]27-MCB-2 |
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=== モ1020形 === |
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側面には片開客用扉を片側3箇所設け、各客用扉間に5枚の側窓を設置する<ref name="RML187_p10" />。5枚の側窓は太い窓間柱によって2枚・3枚の形に区切られ、[[構体 (鉄道車両)#側面窓配置|側面窓配置]]は D 3 2 D 2 3 D(D:客用扉、各数値は側窓の枚数)である<ref name="RP248_p64" />。電4形は車体長が延長されたことから各客用扉間の側窓が1枚増加し、側面窓配置は D 3 3 D 3 3 D と異なる<ref name="RP248_p64" />。 |
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*全長:13,585mm |
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*全幅:2,642mm |
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屋根部の設計は前述の通り二重屋根構造のモニター屋根となっており、モニター屋根の両脇には[[ベンチレーター#水雷形|水雷形通風器]]を片側2個、1両あたり計4個設置する<ref name="RP65_p36-37" />。両端の車端部には[[集電装置#トロリーポール|トロリーポール]]を搭載する<ref name="meitetsu1961_p163-164" />。 |
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*全高:4,191mm |
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*自重:24.7t |
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車内座席は[[鉄道車両の座席#ロングシート(縦座席)|ロングシート]]仕様で、各客用扉間に定員36人分の座席が設置されている<ref name="RML187_p10" />。また、電4形は中央扉付近の車内空間を荷物室とした客貨合造構造を採用する<ref name="RP473_p171" />。前後車端部の乗務員空間と客室空間は、運転台の直後、車端部に向かって中央部にのみ設けられた仕切り壁によって区分されている<ref name="RML187_p10" />。 |
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*定員(座席):80(36) |
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*台車:[[ブリル]]27-MCB-2 |
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== 主要機器 == |
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[[画像:Brill 27MCB-2 Truck.jpg|240px|right|thumb|(参考)ブリル27-MCB-2台車。画像は他社在籍車両が装着するもの。]] |
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電3形・電4形の電装品は[[アメリカ合衆国|米国]][[ウェスティングハウス・エレクトリック]] (WH) 製の輸入品が多く採用されている<ref name="RML187_p44" /><ref name="RP473_p171" />。これは後継の各形式にも踏襲され、愛電の保有する鉄道車両においてウェスティングハウス・エレクトリック製の主要機器が標準仕様となる端緒となった<ref name="RML187_p34-35" /><ref name="RML187_p39" />。 |
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電3形の制御装置は、愛電初となる総括制御対応の間接制御方式を採用、HL-264T-19[[主制御器#電空単位スイッチ式|電空単位スイッチ式]][[主制御器#手動進段|間接非自動制御装置]]を床下へ搭載する<ref name="RML187_p44" />。一方、電4形の制御装置は電1形などと同じく直接制御方式に変更され、直接制御器(ドラムコントローラー)を各運転台へ設置する<ref name="RP473_p171" />。なお、電4形は名鉄継承後にHL-480-B1電空単位スイッチ式間接非自動制御装置を搭載<ref name="RML187_p44" />、電3形と同じく間接制御車(HL車)となった<ref name="RP473_p171" />。 |
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主電動機はWH-546-J[[直巻整流子電動機|直流直巻電動機]](端子電圧600 V時定格出力65 [[馬力#英馬力|PS]]≒48.49 [[ワット (単位)|kW]])を採用<ref name="RML187_p44" />、[[歯車比]]3.14 (66:21) にて1両あたり4基、各軸に搭載する<ref name="RML187_p44" />。 |
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台車は[[ブリル]] (J.G.Brill) 製の鍛造鋼組立型釣り合い梁式台車の[[ブリル#27MCB|27-MCB-2]]を装着する<ref name="RML187_p44" />。車輪径は864 mm、固定軸間距離は2,134 mmである<ref name="RML187_p44" />。 |
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制動装置は、総括運転を前提に導入された間接制御車の電3形が[[ウェスティングハウス・エア・ブレーキ]] (WABCO) 製のSME[[直通ブレーキ#SME|非常直通ブレーキ]]であるのに対して<ref name="RP473_p171" />、単行運転を前提に導入された直接制御車の電4形は米国[[ゼネラル・エレクトリック]] (GE) 製の直通ブレーキと仕様が異なる<ref name="RP473_p171" />。ただし、電4形についても前述した間接制御化に際して制動装置をSME非常直通ブレーキ仕様に改造<ref name="RML187_p44" />、仕様が統一されている。 |
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集電装置は当初トロリーポールを採用、前後の車端部へ各1基搭載したが<ref name="meitetsu1961_p163-164" />、後年全車とも[[集電装置#菱形|菱形パンタグラフ]]に換装され、一端の車端部へ1両あたり1基搭載する形態に改められている<ref name="RML187_p10" />。 |
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連結器は当初、[[日本国有鉄道|国有鉄道]]との貨物連絡運輸を念頭に、貨車牽引の目的で[[連結器#ねじ式連結器|螺旋連結器]]仕様で落成<ref name="shirai-e_tita.htm" />、その後[[1925年]](大正14年)に[[連結器#並形自動連結器|並形自動連結器]]へ交換されている<ref name="shirai-e_tita.htm" />{{Refnest|group="*"|この連結器換装は電3形・電4形のみならず、当時愛電が保有した鉄道車両全車を対象に実施された<ref name="shirai-e_tita.htm" />。}}。 |
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== 運用 == |
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=== 導入当初 === |
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導入後、電3形は電4形と同じく車番を1000番台に改め、同時に車番をゼロ起番とする改番が実施され、記号番号は旧番順にデハ1020 - デハ1024・デハ1026と再編された<ref name="RP248_p64" />。この改番は、2軸ボギー車の車番を1000番台以降に集約する目的があったものと指摘され<ref name="RP816_p86" />、実施時期は不詳であるが大正年間末期には既に改番が実施されていたことが現存する画像にて明らかとされている<ref name="meitetsu1961_p163-164" /><ref name="RP816_p86" />。 |
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電3形・電4形は当初、幹線路線区にて運用されたが<ref name="RP816_p86" />、[[1925年]](大正14年)から[[1929年]](昭和4年)にかけて岡崎線(後の豊橋線、現・[[名鉄名古屋本線]]の一部)および[[名鉄常滑線|常滑線]]の[[架線]]電圧が[[直流電化|直流]]600 Vから同1,500 Vに昇圧されたため<ref name="meitetsu1961_p170-171" /><ref name="meitetsu1961_p178-179" />、以降直流600 V[[鉄道の電化|電化]]路線区の西尾線(現・[[名鉄西尾線]]の一部)に集中配置された<ref name="RP809_p109" />。 |
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[[1928年]](昭和3年)に電3形デハ1022 - デハ1024・デハ1026の4両は碧海電気鉄道へ譲渡され、同社の'''デ100形'''(2代)101 - 104となった<ref name="RP248_p64" />。これは愛電西尾線と碧海電気鉄道線(現・名鉄西尾線の一部)の直通運転開始に際して、碧海電気鉄道線の架線電圧を従来の直流1,500 Vから西尾線と共通の直流600 Vに降圧したことにより<ref name="meitetsu1961_p178-179" />、運用車両の入れ替えを行う必要が生じたため、愛電と碧海電気鉄道との間で直流600 V仕様の電3形と同1,500 V仕様の[[碧海電気鉄道デ100形電車|碧海デ100形(初代)]]3両の交換移籍が行われたものである<ref name="RP809_p109" />。また、愛電に残存したデハ1020・デハ1021は同時期に車内に郵便室を新設して郵便合造車となり、デハユ1020・デハユ1021と記号を改めた<ref name="RP65_p36-37" />。 |
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=== 名鉄籍への編入 === |
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[[1935年]](昭和10年)8月に愛電と名岐鉄道の合併によって現・名古屋鉄道(名鉄)が発足<ref name="meitetsu1961_p201-202" />、電3形・電4形は全車とも名鉄へ継承された<ref name="RP65_p36-37" />。なお、電4形デハニ1030は[[1933年]](昭和8年)に碧海電気鉄道線[[北安城駅|北安城]] - [[南安城駅|南安城]]間の[[東海道本線]]との交差部分に存在する跨線橋付近にて転落事故を起こし<ref name="RP473_p171" /><ref name="RP65_p36-37" />、車体を大破焼失し[[廃車 (鉄道)|廃車]]となっていたため<ref name="RP473_p171" />、この時点で名鉄へ継承された車両は電3形デハユ1020・デハユ1021および電4形デハニ1031の3両であった<ref name="RP65_p36-37" />。 |
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名鉄籍への編入に際しては、電3形が'''モユ1020形'''1021・1022、電4形が'''モニ1030形'''1031とそれぞれ形式称号・記号番号を改め、デハユ1020はモユ1022と記号番号を改めて車番のゼロ起番を廃止した<ref name="RP248_p64" />。その後、両形式とも車内の郵便室・荷物室を撤去して全室客室化し、'''モ1020形・モ1030形'''と形式・車番はそのままに記号のみを改めた<ref name="RP248_p64" />。 |
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一方、碧海電気鉄道へ譲渡された元電3形のデ100形(2代)101 - 104は、[[1944年]](昭和19年)3月に実施された碧海電気鉄道の名鉄への吸収合併に際して名鉄籍へ編入された<ref name="RP248_p64" />。同4両は'''モ1000形'''と別形式に区分され、旧番順にモ1001 - モ1004の記号番号が付与された<ref name="RP248_p64" />。 |
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上記経緯によって、電3形・電4形に属する車両は前述した電4形デハニ1030を除く計7両が名鉄へ継承され<ref name="RP248_p64" />、西尾線にて引き続き運用された<ref name="RP809_p109" />。 |
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=== 戦後の動向 === |
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戦後の[[1947年]](昭和22年)に、旧[[名鉄三河線#歴史|三河鉄道]]由来の[[非電化|非電化路線]]である[[名鉄蒲郡線|蒲郡線]]が、西尾線と同じく直流600 V規格にて電化された<ref name="RP811_p106-107" />。運用車両は西尾線と共通とされたため、モ1000形・モ1020形・モ1030形の運用範囲は西尾線および蒲郡線の両路線に拡大した<ref name="RP811_p106-107" />。また、西尾線・蒲郡線運用当時の[[1949年]](昭和24年)から翌[[1950年]](昭和25年)にかけて、モ1000形・モ1020形・モ1030形全車を対象に、経年劣化が進行した車体木部の改修が順次施工された<ref name="RML187_p10" />。 |
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西尾線・蒲郡線は、[[1959年]](昭和34年)に蒲郡線が、翌[[1960年]](昭和35年)に西尾線が、それぞれ架線電圧を1,500 Vに昇圧された<ref name="RP811_p106-107" />。それに伴って、同600 V仕様のモ1000形・モ1020形・モ1030形は、当時架線電圧600 V仕様で存置されていた犬山地区の支線区([[名鉄各務原線|各務原線]]・[[名鉄小牧線|小牧線]]・[[名鉄広見線|広見線]])へ転用された<ref name="RP248_p64" />。 |
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しかし、同時期には全車とも経年による老朽化が進行し、特に木造車体については落成後40年余を経過して「締替が不可能なほど老化」と指摘される状態となった<ref name="RML187_p10" />。その後、[[1964年]](昭和39年)1月にモ1020形1022が<ref name="RP248_p64" />、同年10月に残る全車(モ1000形1001 - 1004・モ1020形1021・モ1030形1031)が廃車となり<ref name="RP248_p64" />、愛知電気鉄道電3形および電4形として導入された車両群は全廃となった<ref name="RML187_p10" />。 |
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== 脚注 == |
== 脚注 == |
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{{脚注ヘルプ}} |
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<references /> |
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=== 注釈 === |
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{{Reflist|group="*"}} |
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== 参考資料 == |
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=== 書籍 === |
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* {{Anchor|meitetsu1961|名古屋鉄道株式会社社史編纂委員会 『名古屋鉄道社史』 名古屋鉄道 1961年5月}} |
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* {{Anchor|CB521|[[白井昭]]・白井良和・井上広和 『日本の私鉄4 名鉄』 [[保育社]] 1982年8月 ISBN 4-586-50521-4}} |
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* {{Anchor|RML187|[[清水武 (鉄道研究家)|清水武]] 『RM LIBRARY187 名鉄木造車鋼体化の系譜 -3700系誕生まで-』 [[ネコ・パブリッシング]] 2015年3月 ISBN 978-4-7770-5377-3}} |
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=== 雑誌記事 === |
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* 『[[鉄道ピクトリアル]]』 [[電気車研究会|鉄道図書刊行会]] |
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** {{Anchor|RP65_p32-38|渡辺肇 「私鉄車両めぐり(27) 名古屋鉄道 3」 1956年12月号(通巻65号) pp.32 - 38}} |
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2015年4月12日 (日) 04:50時点における版
愛知電気鉄道電3形電車 電4形電車 | |
---|---|
名鉄モ1000形1001(旧電3形デハ22) | |
基本情報 | |
製造所 | 日本車輌製造本店[1] |
主要諸元 | |
軌間 | 1,067 mm(狭軌)[2] |
電気方式 | 直流600 V(架空電車線方式)[2] |
車両定員 | 80人(座席36人)[4][* 2] |
車両重量 |
電3形:24.09 t[3][* 1] 電4形:24.57 t[3] |
全長 |
電3形:13,487 mm[3] 電4形:15,126 mm[3] |
全幅 | 2,642 mm[3] |
全高 |
電3形:4,195 mm[3] 電4形:4,178 mm[3] |
台車 | ブリル27-MCB-2[1] |
主電動機 | 直流直巻電動機 WH-546-J[4][* 3] |
主電動機出力 | 65 PS (48.49 kW)[2] |
搭載数 | 4基 / 両[2] |
駆動方式 | 吊り掛け駆動[2] |
歯車比 | 3.14 (66:21)[2] |
定格速度 | 35.2 km/h[2] |
制御装置 |
電3形:電空単位スイッチ式間接非自動制御(HL制御)[5] 電4形:直接制御[5] |
制動装置 |
電3形:SME非常直通ブレーキ[5] 電4形:GE直通ブレーキ[5] |
愛知電気鉄道電3形電車(あいちでんきてつどうでん3がたでんしゃ)は、愛知電気鉄道(愛電)が1921年(大正10年)に導入した電車(制御電動車)である。
前後妻面を丸妻5枚窓構造とした木造車体を備え[6]、従来導入した4輪単車構造の電1形・電2形・附1形とは異なり、愛電の保有車両として初めて2軸ボギー台車を装着するボギー構造を採用した[7]。また、間接制御装置の採用によって総括制御を可能とした点を特徴とする[6]。
翌1922年(大正11年)には、電3形を設計の基本としつつ車体長を13 m級から15 m級に延長し、さらに車内に荷物室を備える客貨合造構造とした電4形(でん4がた)が増備された[5]。その他、制御装置の仕様が直接制御に改められ、総括制御が不可能となった点が電3形とは異なる[5]。
後年、電3形のうち4両が愛電傍系の碧海電気鉄道へ譲渡され、同社デ100形(2代)となった[8]。また、愛電と名岐鉄道との合併による現・名古屋鉄道(名鉄)の発足と、碧海電気鉄道の名鉄への吸収合併に伴って、最終的には電3形・電4形・碧海デ100形とも全車名鉄籍へ編入され、各種改造を経て最終的にモ1000形・モ1020形・モ1030形の3形式に再編された[9]。これら3形式は終始架線電圧600 V仕様の各路線区にて運用され、1964年(昭和39年)まで在籍した[9]。
以下、本項では電3形および電4形として導入された計8両の車両群について記述する。
導入経緯
愛電は同社常滑線の複線化工事進捗に伴う輸送力増強を目的として[7]、1921年(大正10年)5月に電3形6両を導入した[5]。
電3形の記号番号はデハ21 - デハ24・デハ26・デハ27と、附1形サハ20からの続番が付与され[9]、「デハ25」は当初から欠番とされている[9]。これは1919年(大正8年)10月に発生した正面衝突事故の当該車両2両(電1形デハ5・電2形デハ15)がいずれも車番末尾「5」の車両であったことから[9]、以降愛電において車番末尾「5」は忌み数とされたことによるものである[9]。
翌1922年(大正11年)3月には、同じく輸送力増強を目的として電4形2両が増備された[7][5]。電4形は車体長が15 m級に延長され、車内を客貨合造構造に設計変更した点などが電3形とは異なる[5]。電4形の記号番号はデハニ1030・デハニ1031と1000番台の車番が付与され、十位を30番台とした新規番台に区分されている[9]。
なお、電3形・電4形とも全車日本車輌製造本店にて新製された[1]。
車体
全長13,585 mm・全幅2,642 mmの、木造二重屋根(ダブルルーフ)車体を備える[2]。電4形は全長が15,126 mmに延長されているが、全幅などその他の車体設計は電3形を踏襲する[5]。
前後妻面は前後方向に大きな半円を描く丸妻形状とし、各妻面に計5枚の前面窓を配置する[6]。この妻面形状は当時の電車設計における流行を取り入れたもので[6]、愛電電3形・電4形同様に後年名鉄へ継承された同時代製造の車両では、美濃電気軌道が導入したDB505形[10]、各務原鉄道が導入したK1-BE形[10]、岡崎電気軌道が導入したデ200形[11]などが、電3形・電4形と同じく前面5枚窓構造の車体を備える[10][11]。
運転台を前後妻面に設けた両運転台構造を採用、前照灯は落成当初前後妻面の腰板中央部へ設置されたが[7]、後年屋根上中央部へ移設されている[6]。
側面には片開客用扉を片側3箇所設け、各客用扉間に5枚の側窓を設置する[2]。5枚の側窓は太い窓間柱によって2枚・3枚の形に区切られ、側面窓配置は D 3 2 D 2 3 D(D:客用扉、各数値は側窓の枚数)である[9]。電4形は車体長が延長されたことから各客用扉間の側窓が1枚増加し、側面窓配置は D 3 3 D 3 3 D と異なる[9]。
屋根部の設計は前述の通り二重屋根構造のモニター屋根となっており、モニター屋根の両脇には水雷形通風器を片側2個、1両あたり計4個設置する[12]。両端の車端部にはトロリーポールを搭載する[7]。
車内座席はロングシート仕様で、各客用扉間に定員36人分の座席が設置されている[2]。また、電4形は中央扉付近の車内空間を荷物室とした客貨合造構造を採用する[5]。前後車端部の乗務員空間と客室空間は、運転台の直後、車端部に向かって中央部にのみ設けられた仕切り壁によって区分されている[2]。
主要機器
電3形・電4形の電装品は米国ウェスティングハウス・エレクトリック (WH) 製の輸入品が多く採用されている[4][5]。これは後継の各形式にも踏襲され、愛電の保有する鉄道車両においてウェスティングハウス・エレクトリック製の主要機器が標準仕様となる端緒となった[13][14]。
電3形の制御装置は、愛電初となる総括制御対応の間接制御方式を採用、HL-264T-19電空単位スイッチ式間接非自動制御装置を床下へ搭載する[4]。一方、電4形の制御装置は電1形などと同じく直接制御方式に変更され、直接制御器(ドラムコントローラー)を各運転台へ設置する[5]。なお、電4形は名鉄継承後にHL-480-B1電空単位スイッチ式間接非自動制御装置を搭載[4]、電3形と同じく間接制御車(HL車)となった[5]。
主電動機はWH-546-J直流直巻電動機(端子電圧600 V時定格出力65 PS≒48.49 kW)を採用[4]、歯車比3.14 (66:21) にて1両あたり4基、各軸に搭載する[4]。
台車はブリル (J.G.Brill) 製の鍛造鋼組立型釣り合い梁式台車の27-MCB-2を装着する[4]。車輪径は864 mm、固定軸間距離は2,134 mmである[4]。
制動装置は、総括運転を前提に導入された間接制御車の電3形がウェスティングハウス・エア・ブレーキ (WABCO) 製のSME非常直通ブレーキであるのに対して[5]、単行運転を前提に導入された直接制御車の電4形は米国ゼネラル・エレクトリック (GE) 製の直通ブレーキと仕様が異なる[5]。ただし、電4形についても前述した間接制御化に際して制動装置をSME非常直通ブレーキ仕様に改造[4]、仕様が統一されている。
集電装置は当初トロリーポールを採用、前後の車端部へ各1基搭載したが[7]、後年全車とも菱形パンタグラフに換装され、一端の車端部へ1両あたり1基搭載する形態に改められている[2]。
連結器は当初、国有鉄道との貨物連絡運輸を念頭に、貨車牽引の目的で螺旋連結器仕様で落成[15]、その後1925年(大正14年)に並形自動連結器へ交換されている[15][* 4]。
運用
導入当初
導入後、電3形は電4形と同じく車番を1000番台に改め、同時に車番をゼロ起番とする改番が実施され、記号番号は旧番順にデハ1020 - デハ1024・デハ1026と再編された[9]。この改番は、2軸ボギー車の車番を1000番台以降に集約する目的があったものと指摘され[16]、実施時期は不詳であるが大正年間末期には既に改番が実施されていたことが現存する画像にて明らかとされている[7][16]。
電3形・電4形は当初、幹線路線区にて運用されたが[16]、1925年(大正14年)から1929年(昭和4年)にかけて岡崎線(後の豊橋線、現・名鉄名古屋本線の一部)および常滑線の架線電圧が直流600 Vから同1,500 Vに昇圧されたため[17][18]、以降直流600 V電化路線区の西尾線(現・名鉄西尾線の一部)に集中配置された[8]。
1928年(昭和3年)に電3形デハ1022 - デハ1024・デハ1026の4両は碧海電気鉄道へ譲渡され、同社のデ100形(2代)101 - 104となった[9]。これは愛電西尾線と碧海電気鉄道線(現・名鉄西尾線の一部)の直通運転開始に際して、碧海電気鉄道線の架線電圧を従来の直流1,500 Vから西尾線と共通の直流600 Vに降圧したことにより[18]、運用車両の入れ替えを行う必要が生じたため、愛電と碧海電気鉄道との間で直流600 V仕様の電3形と同1,500 V仕様の碧海デ100形(初代)3両の交換移籍が行われたものである[8]。また、愛電に残存したデハ1020・デハ1021は同時期に車内に郵便室を新設して郵便合造車となり、デハユ1020・デハユ1021と記号を改めた[12]。
名鉄籍への編入
1935年(昭和10年)8月に愛電と名岐鉄道の合併によって現・名古屋鉄道(名鉄)が発足[19]、電3形・電4形は全車とも名鉄へ継承された[12]。なお、電4形デハニ1030は1933年(昭和8年)に碧海電気鉄道線北安城 - 南安城間の東海道本線との交差部分に存在する跨線橋付近にて転落事故を起こし[5][12]、車体を大破焼失し廃車となっていたため[5]、この時点で名鉄へ継承された車両は電3形デハユ1020・デハユ1021および電4形デハニ1031の3両であった[12]。
名鉄籍への編入に際しては、電3形がモユ1020形1021・1022、電4形がモニ1030形1031とそれぞれ形式称号・記号番号を改め、デハユ1020はモユ1022と記号番号を改めて車番のゼロ起番を廃止した[9]。その後、両形式とも車内の郵便室・荷物室を撤去して全室客室化し、モ1020形・モ1030形と形式・車番はそのままに記号のみを改めた[9]。
一方、碧海電気鉄道へ譲渡された元電3形のデ100形(2代)101 - 104は、1944年(昭和19年)3月に実施された碧海電気鉄道の名鉄への吸収合併に際して名鉄籍へ編入された[9]。同4両はモ1000形と別形式に区分され、旧番順にモ1001 - モ1004の記号番号が付与された[9]。
上記経緯によって、電3形・電4形に属する車両は前述した電4形デハニ1030を除く計7両が名鉄へ継承され[9]、西尾線にて引き続き運用された[8]。
戦後の動向
戦後の1947年(昭和22年)に、旧三河鉄道由来の非電化路線である蒲郡線が、西尾線と同じく直流600 V規格にて電化された[20]。運用車両は西尾線と共通とされたため、モ1000形・モ1020形・モ1030形の運用範囲は西尾線および蒲郡線の両路線に拡大した[20]。また、西尾線・蒲郡線運用当時の1949年(昭和24年)から翌1950年(昭和25年)にかけて、モ1000形・モ1020形・モ1030形全車を対象に、経年劣化が進行した車体木部の改修が順次施工された[2]。
西尾線・蒲郡線は、1959年(昭和34年)に蒲郡線が、翌1960年(昭和35年)に西尾線が、それぞれ架線電圧を1,500 Vに昇圧された[20]。それに伴って、同600 V仕様のモ1000形・モ1020形・モ1030形は、当時架線電圧600 V仕様で存置されていた犬山地区の支線区(各務原線・小牧線・広見線)へ転用された[9]。
しかし、同時期には全車とも経年による老朽化が進行し、特に木造車体については落成後40年余を経過して「締替が不可能なほど老化」と指摘される状態となった[2]。その後、1964年(昭和39年)1月にモ1020形1022が[9]、同年10月に残る全車(モ1000形1001 - 1004・モ1020形1021・モ1030形1031)が廃車となり[9]、愛知電気鉄道電3形および電4形として導入された車両群は全廃となった[2]。
脚注
注釈
- ^ 名鉄モ1020形1021・1022(旧電3形デハ20・デハ21)の公称自重は24.69 t[3]。
- ^ 名鉄モ1020形1021・1022(旧電3形デハ20・デハ21)の座席定員は24人[4]。
- ^ 『RM LIBRARY187 名鉄木造車鋼体化の系譜 -3700系誕生まで-』 p.44によると、1959年(昭和34年)当時、モ1030形1031を除く全車はWH-646-Jを搭載していたとされる。546-Jと646-Jは定格出力は同一ながら公称定格電流値が異なり、546-Jは92 Aであるのに対して646-Jは108 Aである[4]。
- ^ この連結器換装は電3形・電4形のみならず、当時愛電が保有した鉄道車両全車を対象に実施された[15]。
出典
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参考資料
書籍
- 名古屋鉄道株式会社社史編纂委員会 『名古屋鉄道社史』 名古屋鉄道 1961年5月
- 白井昭・白井良和・井上広和 『日本の私鉄4 名鉄』 保育社 1982年8月 ISBN 4-586-50521-4
- 清水武 『RM LIBRARY187 名鉄木造車鋼体化の系譜 -3700系誕生まで-』 ネコ・パブリッシング 2015年3月 ISBN 978-4-7770-5377-3
雑誌記事
- 『鉄道ピクトリアル』 鉄道図書刊行会
- 渡辺肇 「私鉄車両めぐり(27) 名古屋鉄道 3」 1956年12月号(通巻65号) pp.32 - 38
- 渡辺肇・加藤久爾夫 「私鉄車両めぐり(87) 名古屋鉄道 3」 1971年3月号(通巻248号) pp.60 - 65
- 渡辺肇・加藤久爾夫 「私鉄車両めぐり(87) 名古屋鉄道 終」 1971年4月号(通巻249号) pp.54 - 65
- 白井良和 「名古屋鉄道の車両前史 現在の名鉄を構成した各社の車両」 1986年12月臨時増刊号(通巻473号) pp.166 - 176
- 白井昭 「600V時代の名鉄西尾蒲郡線 (前編)」 2009年10月号(通巻809号) pp.108 - 113
- 白井昭 「600V時代の名鉄西尾蒲郡線 (後編)」 2009年11月号(通巻811号) pp.106 - 111
- 白土貞夫 「続 絵葉書が語る 名古屋鉄道前史時代」 2009年3月臨時増刊号(通巻816号) pp.83 - 87