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| 画像説明 = ジェイク・ロバーツ(2013年) |
| 画像説明 = ジェイク・ロバーツ(2013年) |
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| リングネーム = '''ジェイク "ザ・スネーク" ロバーツ''' |
| リングネーム = '''ジェイク "ザ・スネーク" ロバーツ'''<br />ジェイク・スミス・ジュニア<br />ザ・テキサン<br />エル・ディアブロ |
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| 本名 = オーレリアン・ジェイ |
| 本名 = オーレリアン・ジェイコブ・スミス・ジュニア |
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| ニックネーム = ザ・スネーク |
| ニックネーム = ザ・スネーク<br />蛇男 |
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| 身長 = 195cm |
| 身長 = 195cm |
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| 体重 = 120kg(全盛時) |
| 体重 = 120kg(全盛時) |
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| 誕生日 = {{生年月日と年齢|1955|5|30}} |
| 誕生日 = {{生年月日と年齢|1955|5|30}} |
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| 出身地 = {{Flagicon| |
| 出身地 = {{USA}}<br >{{Flagicon|Texas}} [[テキサス州]][[ゲインズビル (テキサス州)|ゲインズビル]] |
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| 所属 = |
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| スポーツ歴 = |
| スポーツ歴 = |
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| トレーナー = [[グリズリー・スミス]]<br />[[バック・ロブレイ]]<br />[[ムース・モロウスキー]]<br />[[ジョニー・ウォーカー (プロレスラー)|ミスター・レスリング2号]]<ref name="oww">{{cite web|url=http://www.onlineworldofwrestling.com/bios/j/jake-roberts/|title=Jake Roberts|accessdate=2014-10-29|publisher=Online World of Wrestling}}</ref> |
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| トレーナー = [[オーレリアン・スミス]] |
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| デビュー = [[1975年]] |
| デビュー = [[1975年]]<ref name="oww"/> |
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| 引退 = |
| 引退 = [[2011年]]<ref name="oww"/> |
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'''ジェイク・ロバーツ'''('''Jake "The Snake" Roberts'''、本名:'''Aurelian |
'''ジェイク "ザ・スネーク" ロバーツ'''('''Jake "The Snake" Roberts'''、本名:'''Aurelian Jacob Smith, Jr.'''、[[1955年]][[5月30日]] - )は、[[アメリカ合衆国]]の元[[プロレスラー]]。[[テキサス州]][[ゲインズビル (テキサス州)|ゲインズビル]]出身。[[1980年代]]のスーパースターの一人で、'''[[DDT (プロレス技)|DDT]]'''の開発者としても有名<ref name="oww"/>。 |
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父親の[[ |
父親の[[グリズリー・スミス| "グリズリー" ジェイク・スミス]]、異母兄弟である弟の[[サム・ヒューストン (プロレスラー)|カウボーイ・サム・ヒューストン]]と妹の[[ロッキン・ロビン (プロレスラー)|ロッキン・ロビン]]も元プロレスラー<ref name="oww"/>。 |
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== 来歴 == |
== 来歴 == |
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父[[グリズリー・スミス|ジェイク・スミス]]らのトレーニングを受け、[[1975年]]5月13日にデビュー<ref name="wd">{{cite web|url=http://wrestlingdata.com/index.php?befehl=bios&wrestler=299&bild=1&details=7|title=Jake Roberts: Places|accessdate=2014-10-29|publisher=Wrestlingdata.com}}</ref>。[[アメリカ合衆国南部|アメリカ南部]]から[[アメリカ合衆国中西部|中西部]]、[[太平洋岸北西部]]まで各地を転戦してキャリアを積み、[[1970年代]]末は[[スチュ・ハート]]が主宰していた[[カナダ]]・[[カルガリー]]の[[スタンピード・レスリング]]で活動<ref name="wd"/>。[[ベビーフェイス (プロレス)|ベビーフェイス]]のポジションで[[桜田一男|ミスター・サクラダ]]や[[ミスター・ヒト]]、[[ネイル・グアイ]]らと対戦し<ref>{{cite web|url=http://wrestlingdata.com/index.php?befehl=bios&wrestler=299&bild=1&details=7&liga=152&jahr=1979|title=The Stampede matches fought by Jake Roberts in 1979|accessdate=2014-10-29|publisher=Wrestlingdata.com}}</ref>、[[1979年]]4月9日に[[ジャンクヤード・ドッグ|ビッグ・ダディ・リッター]]を破ってカルガリー版の北米ヘビー級王座を獲得した<ref name="ab-na-h">{{cite web|url=http://www.wrestling-titles.com/canada/ab/stampede/ab-na-h.html|title=Stampede Wrestling North American Heavyweight Title|accessdate=2014-10-29|publisher=Wrestling-Titles.com}}</ref>。 |
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父のコーチを受け、[[1975年]]にデビュー。父がブッカーを務めていた[[ルイジアナ州]]のMSWA([[ビル・ワット]]主宰)、[[カナダ]]・[[カルガリー]]の[[スタンピード・レスリング]]([[スチュ・ハート]]主宰)、[[NWA (プロレス)|NWA]][[ジョージア州|ジョージア]]地区の[[ジョージア・チャンピオンシップ・レスリング|GCW]]([[ジム・バーネット]]主宰)、[[テキサス州]][[ダラス]]のWCCW([[フリッツ・フォン・エリック]]主宰)などで活躍。その独特の滑るような動きと細身の体型、無表情で陰湿な[[ヒール (プロレス)|ヒール]]としてのキャラクターから、「'''[[ヘビ|ザ・スネーク]]'''」のニックネームを付けられるようになる。 |
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日本には1979年1月、[[国際プロレス]]に初来日し、1月16日に[[広島県立体育館]]にて[[ラッシャー木村]]と[[デスマッチ#金網デスマッチ|金網デスマッチ]]を行っている。翌[[1980年]]2月の再来日では、同時参戦した先輩格のマイク・ボイエッティ<ref>{{cite web|url=http://www.onlineworldofwrestling.com/bios/m/mike-boyette/|title=Mike Boyette|accessdate=2014-12-19|publisher=Online World of Wrestling}}</ref>に合わせ、ロックバンドの[[キッス]]ばりの顔面ペインティングを施していた。当時、[[ペイントレスラー]]は世界的にも珍しかっただけに話題とはなったが、キャリア不足だったこともあって試合においては目立った活躍は果たせなかった。しかしながら、長身を活かしたスケールの大きなファイトスタイルとレスリングセンスの良さは当時から高い評価を獲得しており<ref name="G11">『Gスピリッツ Vol.11』P59「実録・国際プロレス」(2009年、[[辰巳出版]]、ISBN 4777806502)</ref>、同年7月の来日時には、ラッシャー木村や[[大木金太郎]]、[[アニマル浜口]]、[[マイティ井上]]、[[ジプシー・ジョー]]などが出場した[[バトルロイヤル]]において優勝を飾っている<ref>{{cite web|url=http://wrestlingdata.com/index.php?befehl=bios&wrestler=299&bild=1&details=7&liga=367&jahr=1980|title=The IWE matches fought by Jake Roberts in 1980|accessdate=2014-10-29|publisher=Wrestlingdata.com}}</ref>。 |
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アメリカでは、父がブッカーを務めていた[[ビル・ワット]]主宰の[[ビル・ワット#MSWA|MSWA]]を主戦場とし、[[1981年]]5月31日に[[ルイジアナ州]][[シュリーブポート]]にてザ・グラップラー(リン・デントン)からミッドサウス版の北米ヘビー級王座を奪取<ref name="mids-na-h">{{cite web|url=http://www.wrestling-titles.com/us/midsouth/mids-na-h.html#mswa|title=North American Heavyweight Title [Tri-State/Mid-South]|accessdate=2014-10-29|publisher=Wrestling-Titles.com}}</ref>。[[アーニー・ラッド]]、[[スコット・アーウィン|スーパー・デストロイヤー]]、[[ポール・オーンドーフ]]ともタイトルを争った<ref>{{cite web|url=http://wrestlingdata.com/index.php?befehl=bios&wrestler=299&bild=1&details=7&liga=167&jahr=1981|title=The UWF matches fought by Jake Roberts in 1981|accessdate=2014-10-29|publisher=Wrestlingdata.com}}</ref>。その後は[[ジム・クロケット・ジュニア]]が運営していた[[NWA (プロレス)|NWA]]の[[ジム・クロケット・プロモーションズ|ミッドアトランティック地区]]に進出、[[リック・フレアー]]の[[NWA世界ヘビー級王座]]にも挑戦したが<ref>{{cite web|url=http://wrestlingdata.com/index.php?befehl=konst&letter1=J&wrestler1=6274&letter2=R&wrestler2=316&letter3=&wrestler3=0&letter4=&wrestler4=0&matchtyp=0&anzeige=matches|title=Ric Flair vs. Jake Roberts|accessdate=2014-10-29|publisher=Wrestlingdata.com}}</ref>、中堅ベビーフェイスのポジションからオーバーすることはできなかった<ref>{{cite web|url=http://wrestlingdata.com/index.php?befehl=bios&wrestler=299&bild=1&details=7&liga=4&jahr=1981|title=The WCW matches fought by Jake Roberts in 1981|accessdate=2014-10-29|publisher=Wrestlingdata.com}}</ref>。 |
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[[1982年]]8月、[[ヒール (プロレス)|ヒール]]に転向して[[チャンピオンシップ・レスリング・フロム・フロリダ|フロリダ地区]]に参戦し、[[ケビン・サリバン]]や[[ジム・ガービン]]と結託して[[バリー・ウインダム]]との抗争を展開<ref>{{cite web|url=http://wrestlingdata.com/index.php?befehl=bios&wrestler=299&bild=1&details=7&liga=354&jahr=1982|title=The CWF matches fought by Jake Roberts in 1982|accessdate=2014-10-29|publisher=Wrestlingdata.com}}</ref>。この[[ヒール (プロレス)#ヒールターン|ヒールターン]]を機に、その独特の滑るような動きと細身の体型、そして無表情で陰湿なキャラクターから、「'''[[ヘビ|ザ・スネーク]]'''」の異名を付けられるようになる。以降、冷血系のヒールとして頭角を現し、[[ジム・バーネット]]主宰の[[ジョージア・チャンピオンシップ・レスリング]]では[[1983年]]11月6日に[[ロニー・ガービン]]からNWAナショナルTV王座を奪取<ref name="nat-tv">{{cite web|url=http://www.wrestling-titles.com/us/ga/nwa/nat-tv.html|title=NWA National Television Title|accessdate=2014-10-29|publisher=Wrestling-Titles.com}}</ref>。[[ポール・エラリング]]率いる悪の軍団リージョン・オブ・ドゥームに加入して[[ロード・ウォリアーズ]]とも共闘した<ref>{{cite web|url=http://wrestlingdata.com/index.php?befehl=bios&wrestler=299&bild=1&details=7&liga=288&jahr=1984&seite=2|title=The GCW matches fought by Jake Roberts in 1984|accessdate=2014-10-29|publisher=Wrestlingdata.com}}</ref>。 |
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[[テキサス州]][[ダラス]]の[[フリッツ・フォン・エリック|WCCW]]では[[ゲーリー・ハート (プロレスラー)|プレイボーイ・ゲーリー・ハート]]を[[マネージャー (プロレス)|マネージャー]]に迎え、[[1984年]]10月27日には[[クリス・アダムス]]&[[ジノ・ヘルナンデス]]のダイナミック・デュオとのトリオで世界6人タッグ王座を獲得<ref name="am-6">{{cite web|url=http://www.wrestling-titles.com/us/tx/wccw/am-6.html|title=NWA World 6-Man Tag Team Title [World Class]|accessdate=2014-10-29|publisher=Wrestling-Titles.com}}</ref>、[[ケビン・フォン・エリック|ケビン]]、[[ケリー・フォン・エリック|ケリー]]、[[マイク・フォン・エリック|マイク]]の[[フォン・エリック・ファミリー|フォン・エリック兄弟]]と抗争を繰り広げた<ref>{{cite web|url=http://wrestlingdata.com/index.php?befehl=bios&wrestler=299&bild=1&details=7&liga=172&jahr=1984&seite=2|title=The WCCW matches fought by Jake Roberts in 1984|accessdate=2014-10-29|publisher=Wrestlingdata.com}}</ref>。古巣のMSWAでは一時的にベビーフェイスに戻り、[[1986年]]1月から2月にかけて、[[ディック・スレーター]]と北米ヘビー級王座やTV王座を争っている<ref name="mids-na-h"/><ref name="mswa-tv">{{cite web|url=http://www.wrestling-titles.com/us/midsouth/mswa/mswa-tv.html|title=Mid-South Television Title|accessdate=2014-10-29|publisher=Wrestling-Titles.com}}</ref>。 |
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[[ファイル:Jake "The Snake" Roberts.jpg|thumb|left|200px|WWF時代]] |
[[ファイル:Jake "The Snake" Roberts.jpg|thumb|left|200px|WWF時代]] |
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1986年3月、[[WWE|WWF]]に移籍<ref name="wd"/>。再びヒールとなって、[[リッキー・スティムボート|リッキー "ザ・ドラゴン" スティムボート]]との「龍対蛇」の抗争を開始する<ref name="oww"/>。[[ビンス・マクマホン]]によって「ザ・スネーク」のキャラクターには更に肉付けがなされ、蛇のデザインが施されたロングタイツや蛇皮のブーツを着用し、ペットの[[ニシキヘビ科|ニシキヘビ]]「'''ダミアン'''(''Damien'')」を[[麻袋]]に入れてリングに持ち込む[[精神病質|サイコパス]]系の怪奇派ヒールとなった<ref name="oww"/>。また、'''スネーク・ピット'''(''The Snake Pit'')なるインタビューコーナーのホストも担当した<ref name="wwe">{{cite web|url=http://www.wwe.com/superstars/jakeroberts|title=Jake "The Snake" Roberts Bio|accessdate=2014-04-17|publisher=WWE.com}}</ref>。 |
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WWFにおいてもトップ選手の一人として、スティムボートとの抗争終了後は |
WWFにおいてもトップ選手の一人として、スティムボートとの抗争終了後はベビーフェイスに転向。異色の人気スターとなり、[[ウェイン・ファリス|ホンキー・トンク・マン]]、[[リック・ルード]]、[[アンドレ・ザ・ジャイアント]]、[[テッド・デビアス]]、[[リック・マーテル]]らと抗争を展開した(アンドレには「蛇嫌い」という設定がなされた)<ref name="oww"/>。[[1990年]]には10年ぶりの来日が実現、4月13日に[[東京ドーム]]で行われた[[日米レスリングサミット]]において[[レイ・トレイラー|ビッグ・ボスマン]]から勝利を収めている<ref>{{cite web|url=http://www.cagematch.net/?id=1&nr=23081|title=WWF/AJPW Wrestling Summit|accessdate=2014-10-29|publisher=Cagematch.net}}</ref>。[[1991年]]9月よりヒールに戻り、[[ランディ・サベージ]]と抗争を繰り広げたが、WWFではベビーフェイスでの活動期間が長かったこともあり、[[ハルク・ホーガン]]や[[アルティメット・ウォリアー]]との本格的な抗争は行われなかった<ref name="oww"/>。このヒールターン時には、当時売り出し中だった[[ジ・アンダーテイカー]]と怪奇派コンビを結成するが、ほどなくして仲間割れ。[[1992年]]4月5日の[[レッスルマニアVIII|レッスルマニア8]]で対戦するも敗退し、この試合を最後にWWFを去った<ref name="oww"/>。 |
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その後、8月より[[WCW]]に登場。大物ヒールとして迎えられ、[[スティング (プロレスラー)|スティング]]と抗争を展開したが、WCWに定着することはなく、同年11月までの短期参戦で終わる<ref name="oww"/><ref>{{cite web|url=http://wrestlingdata.com/index.php?befehl=bios&wrestler=299&bild=1&details=7&liga=4&jahr=1992|title=The WCW matches fought by Jake Roberts in 1992|accessdate=2014-10-29|publisher=Wrestlingdata.com}}</ref>。翌[[1993年]]9月、[[新日本プロレス]]に来日。9月23日の[[横浜アリーナ]]大会では[[橋本真也]]との[[DDT (プロレス技)|DDT]]対決が行われた<ref name="njpw">『新日本プロレス 来日外国人選手 PERFECTカタログ』P47(2002年、[[日本スポーツ出版社]])</ref>。9月26日の[[大阪城ホール]]大会では、WWFでの盟友[[ブルータス・ビーフケーキ]]と組み、[[スコット・ノートン]]&[[レイ・フェルナンデス|ヘラクレス・ヘルナンデス]]のジュラシック・パワーズと対戦している<ref>{{cite web|url=http://wrestlingdata.com/index.php?befehl=bios&wrestler=299&bild=1&details=7&liga=121&jahr=1993|title=The NJPW matches fought by Jake Roberts in 1993|accessdate=2014-10-29|publisher=Wrestlingdata.com}}</ref>。以降インディー団体を転戦し、[[ポール・ヘイマン]]主宰の[[ECW]]や[[ジム・コルネット]]主宰のスモーキー・マウンテン・レスリングにも出場した<ref name="wd"/>。[[1994年]]は[[メキシコ]]の[[AAA (プロレス)|AAA]]に参戦、5月27日にエル・トレオで行われた "TrippleMania II-C" のメインイベントにて[[コナン (プロレスラー)|コナン]]と[[デスマッチ#髪切りデスマッチ|ヘアバンド・マッチ]]を行うが敗退し、髪の毛を刈られている<ref name="oww"/><ref>{{cite web|url=http://www.cagematch.net/?id=1&nr=43962|title=AAA Sin Limite - TripleMania II - C|accessdate=2014-10-29|publisher=Cagematch.net}}</ref>。 |
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以後、[[WCW]]への短期参戦や[[メキシコ]]、インディー団体転戦を経て、[[1996年]]にWWFに復帰。以前とは打って変わって敬虔な[[キリスト教徒]]ギミックに変わっての参戦だった。同年の[[キング・オブ・ザ・リング#第4回大会(1996年)WWF King of the Ring 1996|キング・オブ・ザ・リング]]決勝戦で[[ストーン・コールド・スティーブ・オースチン]]に敗れる。この時にオースチンが発したのが、彼が大ブレイクするきっかけとなった「オースチン3:16」という決め台詞である。翌年WWFから解雇。 |
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[[Image:Jake Roberts in 1996.jpg|thumb|right|200px|[[トリプルH|ハンター・ハースト・ヘルムスリー]]と対戦するロバーツ(1996年)]] |
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その後は表舞台から姿を消すが、[[1999年]]公開の[[ドキュメンタリー映画]]『[[ビヨンド・ザ・マット]]』の中に、地方の小さな会場で試合に出続けるロバーツのインタビューが収められた。この映画の中で、ロバーツは複雑な家庭環境で育った少年時代、ドラッグ[[中毒]]といった問題を告白し、大きな話題となった。その後も動物虐待や交通事故など、スキャンダラスな話題が続く。現在でも引退はしておらず、愛蛇ダミアンとともに地方のインディー団体を放浪する生活を続けている。一時期は行方不明となったり、ヨーロッパに現れたりと漂流し、[[2005年]]3月には突如WWEにゲスト登場した(テイカーとの対戦を控えた[[ランディ・オートン]]に[[RKO]]で沈められる)。[[2006年]]からは[[TNA]]にも登場した。暗いイメージが付きまとうが、[[スコット・レビー|レイヴェン]]など、彼を憧れの選手として崇める選手は多い。 |
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[[1996年]]1月26日、[[ロイヤルランブル#第9回大会(1996年)WWF Royal Rumble 1996|ロイヤルランブル]]へのサプライズ出場でWWFに復帰<ref name="oww"/>。実生活で[[新生 (キリスト教)|新生キリスト教徒]]となったことから、以前とは正反対の敬虔な[[キリスト教徒|クリスチャン]]・[[ギミック (プロレス)|ギミック]]に変わっての、ベビーフェイスとしての参戦だった<ref name="oww"/>。同年6月23日の[[キング・オブ・ザ・リング#第4回大会(1996年)WWF King of the Ring 1996|キング・オブ・ザ・リング]]では[[レオン・ホワイト|ベイダー]]を破って優勝戦に進んだが、決勝で[[ストーン・コールド・スティーブ・オースチン]]に敗退<ref>{{cite web|url=http://www.cagematch.net/?id=1&nr=1984|title=WWF King Of The Ring 1996|accessdate=2014-10-31|publisher=Cagematch.net}}</ref>。試合後の優勝者インタビューにおいて、オースチンはロバーツのギミックを逆手に取り、[[ヨハネによる福音書|ヨハネの福音書]]3章16節をもじって "''Austin 3:16 says I just whipped your ass! ''" と発言<ref name="wwe"/>。この台詞は "Austin 3:16" として彼のキャッチフレーズとなり、結果としてロバーツは、オースチンが大ブレイクするきっかけを与えたこととなった<ref name="wwe"/>。その後は[[ジェリー・ローラー]]との抗争を経て、翌[[1997年]]2月、WWFを解雇された<ref name="oww"/>。 |
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以降は表舞台から姿を消すが、[[1999年]]公開の[[ドキュメンタリー映画]] "[[:en:Beyond the Mat|Beyond the Mat]]" において、ローカルなインディー団体への出場を続けるロバーツのインタビューが収められた。この映画の中で、ロバーツは複雑な家庭環境で育った少年時代<ref name="slam-dvd">{{cite web|url=http://slam.canoe.ca/Slam/Wrestling/Reviews/2005/12/04/1337535.html|title=Jake 'The Snake' DVD doesn't disappoint|accessdate=2014-11-08|publisher=SLAM! Sports (December 5, 2005)}}</ref>、絶縁状態となっている娘との関係、ドラッグやアルコール中毒など、自身が抱えている問題の数々を告白した<ref name="oww"/>。その後、[[ヨーロッパ]]での活動を経て、[[2005年]]3月14日、[[WWE]]の[[WWE・ロウ|RAW]]にゲスト出演、アンダーテイカーとの対戦を控えた[[ランディ・オートン]]の[[ダイヤモンド・カッター#RKO|RKO]]の餌食となった<ref name="oww"/>。[[2006年]]は[[TNA]]、[[2007年]]には[[フル・インパクト・プロ]]にも登場した<ref name="oww"/>。破滅的で暗いイメージが付きまとうが、[[レイヴェン (プロレスラー)|レイヴェン]]をはじめ[[CMパンク]]や[[ウィンダム・ロタンダ|ブレイ・ワイアット]]など、彼から影響を受けた選手は少なくない<ref name="wwe-news">{{cite web|url=http://www.wwenews.net/jake-roberts-the-master-of-ring-psychology/|title=Jake Roberts: The Master Of Ring Psychology|accessdate=2014-10-29|publisher=WWE News}}</ref>。 |
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日本には[[1979年]]に[[国際プロレス]]へ初来日。翌[[1980年]]の再来日ではロックバンドの[[キッス]]ばりの顔面ペインティングを施していた。当時、ペイントレスラーは世界的にも珍しかっただけに話題となったが、キャリア不足だったこともあって試合においては目立った活躍は果たせなかった。しかしながら、レスリングセンスの良さは当時から高い評価を獲得しており、将来のエース候補と期待されていた。 |
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[[2014年]]4月5日、[[WWE殿堂]]に迎えられる<ref name="wwe" |
[[2014年]]4月5日、[[WWE殿堂]]に迎えられる<ref name="wwe"/>。ルイジアナ州[[ニューオーリンズ]]の[[ニューオーリンズ・アリーナ|スムージー・キング・センター]]で行われた殿堂入り式典では[[ダイヤモンド・ダラス・ペイジ]]がインダクターを務めた。 |
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== 得意技 == |
== 得意技 == |
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* '''[[DDT (プロレス技)|DDT]]''' |
* '''[[DDT (プロレス技)|DDT]]''' |
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: 開発者として知られている<ref name="wwe"/>。「ザ・スネーク」のキャラクターに合わせ、技を繰り出した後は尻餅状態のまま滑るように後ずさりをして背中でフォールをするのが特徴。[[ジョージア・チャンピオンシップ・レスリング|ジョージア]]時代からの盟友[[アーン・アンダーソン]]や、ロバーツへのリスペクトを公言している[[レイヴェン (プロレスラー)|レイヴェン]]なども得意技としていた。 |
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: 多数のプロレスラーが使う技であるが、ロバーツのそれはスピード感に溢れ、本当にDDTと呼べる技を使うのは彼の他には[[スコット・レビー|レイヴェン]]、[[アーン・アンダーソン]]など数人しかいないというファンも多い。 |
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* [[ラリアット#ショートレンジ式|ショートアーム・クローズライン]] |
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: 技を繰り出した後は尻餅状態のまま滑るように後ずさりをして背中でフォールをするのが特徴。 |
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: 至近距離から放つラリアット。 |
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* [[膝蹴り#ニー・リフト|ニー・リフト]] |
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: 至近距離から放つラリアット。クローズラインとラリアットを別の技とする場合クローズラインの元祖もまた、ロバーツであるとされる(詳しくはリンク先を参照)。 |
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* 蛇攻撃 |
* 蛇攻撃 |
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: 愛蛇'''ダミアン'''を使っての攻撃。 |
: 愛蛇'''ダミアン'''を使っての攻撃。入場時に[[麻袋]]に入れて持ち込んだダミアンをリングサイドに置いておき、ピンチに陥った際に袋から出して対戦相手を威嚇し、勝利後には相手の体に巻きつけるのが見せ場となっていた。[[1991年]]末の[[ランディ・サベージ]]との抗争時は、[[コブラ科|コブラ]]をサベージの腕に噛み付かせたこともある<ref name="oww"/>。 |
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== 獲得タイトル == |
== 獲得タイトル == |
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[[File:Jake Snake Roberts Hall of Fame.jpg|thumb|200px|2014年、[[WWE殿堂]]入り]] |
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; [[スタンピード・レスリング]] |
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* スタンピード北米ヘビー級王座:1回<ref name="ab-na-h"/> |
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; [[ビル・ワット#MSWA|ミッドサウス・レスリング・アソシエーション]] |
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* ミッドサウス・ルイジアナ・ヘビー級王座:1回<ref name="la-h">{{cite web|url=http://www.wrestling-titles.com/us/la/la-h.html|title=Louisiana Heavyweight Title|accessdate=2014-10-29|publisher=Wrestling-Titles.com}}</ref> |
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* ミッドサウスTV王座:1回<ref name="mswa-tv"/> |
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; [[ジョージア・チャンピオンシップ・レスリング]] |
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* SMWヘビー級王座:1回 |
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* AWFヘビー級王座:1回 |
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; [[フリッツ・フォン・エリック|ワールド・クラス・チャンピオンシップ・レスリング]] |
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* WCCW TV王座:1回<ref name="nat-tv">{{cite web|url=http://www.wrestling-titles.com/us/tx/wccw/am-tv.html|title=World Class Television Title|accessdate=2014-10-29|publisher=Wrestling-Titles.com}}</ref> |
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; [[ジム・コルネット|スモーキー・マウンテン・レスリング]] |
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* SMWヘビー級王座:1回<ref name="smw-h">{{cite web|url=http://www.wrestling-titles.com/us/tn/e/smw/smw-h.html|title=Smoky Mountain Wrestling Heavyweight Title|accessdate=2014-10-29|publisher=Wrestling-Titles.com}}</ref> |
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; [[WWE|ワールド・レスリング・エンターテインメント]] |
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; オールスター・レスリング・ネットワーク |
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; アメリカン・レスリング・フェデレーション |
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* AWFプエルトリカン・ヘビー級王座:1回 |
* AWFプエルトリカン・ヘビー級王座:1回 |
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; バッド・ボーイズ・オブ・レスリング |
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== 脚注 == |
== 脚注 == |
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== 外部リンク == |
== 外部リンク == |
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* [http://www. |
* [http://www.jakethesnakeroberts.com/ Official website] |
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* [http://www.onlineworldofwrestling.com/profiles/j/jake-roberts.html Profile |
* [http://www.onlineworldofwrestling.com/profiles/j/jake-roberts.html Profile at Online World of Wrestling] |
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* [http://www.cagematch.net/?id=2&nr=36&gimmick=Jake+Roberts Profile at Cagematch.net] |
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* [http://www.wwe.com/superstars/jakeroberts Profile at WWE.com] |
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{{WWE殿堂}} |
{{WWE殿堂}} |
2015年3月13日 (金) 23:31時点における版
ジェイク・ロバーツ | |
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ジェイク・ロバーツ(2013年) | |
プロフィール | |
リングネーム |
ジェイク "ザ・スネーク" ロバーツ ジェイク・スミス・ジュニア ザ・テキサン エル・ディアブロ |
本名 | オーレリアン・ジェイコブ・スミス・ジュニア |
ニックネーム |
ザ・スネーク 蛇男 |
身長 | 195cm |
体重 | 120kg(全盛時) |
誕生日 | 1955年5月30日(69歳) |
出身地 |
アメリカ合衆国 テキサス州ゲインズビル |
トレーナー |
グリズリー・スミス バック・ロブレイ ムース・モロウスキー ミスター・レスリング2号[1] |
デビュー | 1975年[1] |
引退 | 2011年[1] |
ジェイク "ザ・スネーク" ロバーツ(Jake "The Snake" Roberts、本名:Aurelian Jacob Smith, Jr.、1955年5月30日 - )は、アメリカ合衆国の元プロレスラー。テキサス州ゲインズビル出身。1980年代のスーパースターの一人で、DDTの開発者としても有名[1]。
父親の "グリズリー" ジェイク・スミス、異母兄弟である弟のカウボーイ・サム・ヒューストンと妹のロッキン・ロビンも元プロレスラー[1]。
来歴
父ジェイク・スミスらのトレーニングを受け、1975年5月13日にデビュー[2]。アメリカ南部から中西部、太平洋岸北西部まで各地を転戦してキャリアを積み、1970年代末はスチュ・ハートが主宰していたカナダ・カルガリーのスタンピード・レスリングで活動[2]。ベビーフェイスのポジションでミスター・サクラダやミスター・ヒト、ネイル・グアイらと対戦し[3]、1979年4月9日にビッグ・ダディ・リッターを破ってカルガリー版の北米ヘビー級王座を獲得した[4]。
日本には1979年1月、国際プロレスに初来日し、1月16日に広島県立体育館にてラッシャー木村と金網デスマッチを行っている。翌1980年2月の再来日では、同時参戦した先輩格のマイク・ボイエッティ[5]に合わせ、ロックバンドのキッスばりの顔面ペインティングを施していた。当時、ペイントレスラーは世界的にも珍しかっただけに話題とはなったが、キャリア不足だったこともあって試合においては目立った活躍は果たせなかった。しかしながら、長身を活かしたスケールの大きなファイトスタイルとレスリングセンスの良さは当時から高い評価を獲得しており[6]、同年7月の来日時には、ラッシャー木村や大木金太郎、アニマル浜口、マイティ井上、ジプシー・ジョーなどが出場したバトルロイヤルにおいて優勝を飾っている[7]。
アメリカでは、父がブッカーを務めていたビル・ワット主宰のMSWAを主戦場とし、1981年5月31日にルイジアナ州シュリーブポートにてザ・グラップラー(リン・デントン)からミッドサウス版の北米ヘビー級王座を奪取[8]。アーニー・ラッド、スーパー・デストロイヤー、ポール・オーンドーフともタイトルを争った[9]。その後はジム・クロケット・ジュニアが運営していたNWAのミッドアトランティック地区に進出、リック・フレアーのNWA世界ヘビー級王座にも挑戦したが[10]、中堅ベビーフェイスのポジションからオーバーすることはできなかった[11]。
1982年8月、ヒールに転向してフロリダ地区に参戦し、ケビン・サリバンやジム・ガービンと結託してバリー・ウインダムとの抗争を展開[12]。このヒールターンを機に、その独特の滑るような動きと細身の体型、そして無表情で陰湿なキャラクターから、「ザ・スネーク」の異名を付けられるようになる。以降、冷血系のヒールとして頭角を現し、ジム・バーネット主宰のジョージア・チャンピオンシップ・レスリングでは1983年11月6日にロニー・ガービンからNWAナショナルTV王座を奪取[13]。ポール・エラリング率いる悪の軍団リージョン・オブ・ドゥームに加入してロード・ウォリアーズとも共闘した[14]。
テキサス州ダラスのWCCWではプレイボーイ・ゲーリー・ハートをマネージャーに迎え、1984年10月27日にはクリス・アダムス&ジノ・ヘルナンデスのダイナミック・デュオとのトリオで世界6人タッグ王座を獲得[15]、ケビン、ケリー、マイクのフォン・エリック兄弟と抗争を繰り広げた[16]。古巣のMSWAでは一時的にベビーフェイスに戻り、1986年1月から2月にかけて、ディック・スレーターと北米ヘビー級王座やTV王座を争っている[8][17]。
1986年3月、WWFに移籍[2]。再びヒールとなって、リッキー "ザ・ドラゴン" スティムボートとの「龍対蛇」の抗争を開始する[1]。ビンス・マクマホンによって「ザ・スネーク」のキャラクターには更に肉付けがなされ、蛇のデザインが施されたロングタイツや蛇皮のブーツを着用し、ペットのニシキヘビ「ダミアン(Damien)」を麻袋に入れてリングに持ち込むサイコパス系の怪奇派ヒールとなった[1]。また、スネーク・ピット(The Snake Pit)なるインタビューコーナーのホストも担当した[18]。
WWFにおいてもトップ選手の一人として、スティムボートとの抗争終了後はベビーフェイスに転向。異色の人気スターとなり、ホンキー・トンク・マン、リック・ルード、アンドレ・ザ・ジャイアント、テッド・デビアス、リック・マーテルらと抗争を展開した(アンドレには「蛇嫌い」という設定がなされた)[1]。1990年には10年ぶりの来日が実現、4月13日に東京ドームで行われた日米レスリングサミットにおいてビッグ・ボスマンから勝利を収めている[19]。1991年9月よりヒールに戻り、ランディ・サベージと抗争を繰り広げたが、WWFではベビーフェイスでの活動期間が長かったこともあり、ハルク・ホーガンやアルティメット・ウォリアーとの本格的な抗争は行われなかった[1]。このヒールターン時には、当時売り出し中だったジ・アンダーテイカーと怪奇派コンビを結成するが、ほどなくして仲間割れ。1992年4月5日のレッスルマニア8で対戦するも敗退し、この試合を最後にWWFを去った[1]。
その後、8月よりWCWに登場。大物ヒールとして迎えられ、スティングと抗争を展開したが、WCWに定着することはなく、同年11月までの短期参戦で終わる[1][20]。翌1993年9月、新日本プロレスに来日。9月23日の横浜アリーナ大会では橋本真也とのDDT対決が行われた[21]。9月26日の大阪城ホール大会では、WWFでの盟友ブルータス・ビーフケーキと組み、スコット・ノートン&ヘラクレス・ヘルナンデスのジュラシック・パワーズと対戦している[22]。以降インディー団体を転戦し、ポール・ヘイマン主宰のECWやジム・コルネット主宰のスモーキー・マウンテン・レスリングにも出場した[2]。1994年はメキシコのAAAに参戦、5月27日にエル・トレオで行われた "TrippleMania II-C" のメインイベントにてコナンとヘアバンド・マッチを行うが敗退し、髪の毛を刈られている[1][23]。
1996年1月26日、ロイヤルランブルへのサプライズ出場でWWFに復帰[1]。実生活で新生キリスト教徒となったことから、以前とは正反対の敬虔なクリスチャン・ギミックに変わっての、ベビーフェイスとしての参戦だった[1]。同年6月23日のキング・オブ・ザ・リングではベイダーを破って優勝戦に進んだが、決勝でストーン・コールド・スティーブ・オースチンに敗退[24]。試合後の優勝者インタビューにおいて、オースチンはロバーツのギミックを逆手に取り、ヨハネの福音書3章16節をもじって "Austin 3:16 says I just whipped your ass! " と発言[18]。この台詞は "Austin 3:16" として彼のキャッチフレーズとなり、結果としてロバーツは、オースチンが大ブレイクするきっかけを与えたこととなった[18]。その後はジェリー・ローラーとの抗争を経て、翌1997年2月、WWFを解雇された[1]。
以降は表舞台から姿を消すが、1999年公開のドキュメンタリー映画 "Beyond the Mat" において、ローカルなインディー団体への出場を続けるロバーツのインタビューが収められた。この映画の中で、ロバーツは複雑な家庭環境で育った少年時代[25]、絶縁状態となっている娘との関係、ドラッグやアルコール中毒など、自身が抱えている問題の数々を告白した[1]。その後、ヨーロッパでの活動を経て、2005年3月14日、WWEのRAWにゲスト出演、アンダーテイカーとの対戦を控えたランディ・オートンのRKOの餌食となった[1]。2006年はTNA、2007年にはフル・インパクト・プロにも登場した[1]。破滅的で暗いイメージが付きまとうが、レイヴェンをはじめCMパンクやブレイ・ワイアットなど、彼から影響を受けた選手は少なくない[26]。
2014年4月5日、WWE殿堂に迎えられる[18]。ルイジアナ州ニューオーリンズのスムージー・キング・センターで行われた殿堂入り式典ではダイヤモンド・ダラス・ペイジがインダクターを務めた。
得意技
- 開発者として知られている[18]。「ザ・スネーク」のキャラクターに合わせ、技を繰り出した後は尻餅状態のまま滑るように後ずさりをして背中でフォールをするのが特徴。ジョージア時代からの盟友アーン・アンダーソンや、ロバーツへのリスペクトを公言しているレイヴェンなども得意技としていた。
- 至近距離から放つラリアット。
- ニー・リフト
- ストマック・ブロック
- 蛇攻撃
- 愛蛇ダミアンを使っての攻撃。入場時に麻袋に入れて持ち込んだダミアンをリングサイドに置いておき、ピンチに陥った際に袋から出して対戦相手を威嚇し、勝利後には相手の体に巻きつけるのが見せ場となっていた。1991年末のランディ・サベージとの抗争時は、コブラをサベージの腕に噛み付かせたこともある[1]。
獲得タイトル
- スタンピード北米ヘビー級王座:1回[4]
- NWAナショナルTV王座(ジョージア版):2回[13]
- SMWヘビー級王座:1回[28]
- オールスター・レスリング・ネットワーク
- AWN世界ヘビー級王座:1回
- アメリカン・レスリング・フェデレーション
- AWFプエルトリカン・ヘビー級王座:1回
- バッド・ボーイズ・オブ・レスリング
- BBOWヘビー級王座:1回
脚注
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s “Jake Roberts”. Online World of Wrestling. 2014年10月29日閲覧。
- ^ a b c d “Jake Roberts: Places”. Wrestlingdata.com. 2014年10月29日閲覧。
- ^ “The Stampede matches fought by Jake Roberts in 1979”. Wrestlingdata.com. 2014年10月29日閲覧。
- ^ a b “Stampede Wrestling North American Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2014年10月29日閲覧。
- ^ “Mike Boyette”. Online World of Wrestling. 2014年12月19日閲覧。
- ^ 『Gスピリッツ Vol.11』P59「実録・国際プロレス」(2009年、辰巳出版、ISBN 4777806502)
- ^ “The IWE matches fought by Jake Roberts in 1980”. Wrestlingdata.com. 2014年10月29日閲覧。
- ^ a b c “North American Heavyweight Title [Tri-State/Mid-South]”. Wrestling-Titles.com. 2014年10月29日閲覧。
- ^ “The UWF matches fought by Jake Roberts in 1981”. Wrestlingdata.com. 2014年10月29日閲覧。
- ^ “Ric Flair vs. Jake Roberts”. Wrestlingdata.com. 2014年10月29日閲覧。
- ^ “The WCW matches fought by Jake Roberts in 1981”. Wrestlingdata.com. 2014年10月29日閲覧。
- ^ “The CWF matches fought by Jake Roberts in 1982”. Wrestlingdata.com. 2014年10月29日閲覧。
- ^ a b c “NWA National Television Title”. Wrestling-Titles.com. 2014年10月29日閲覧。 引用エラー: 無効な
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タグ; name "nat-tv"が異なる内容で複数回定義されています - ^ “The GCW matches fought by Jake Roberts in 1984”. Wrestlingdata.com. 2014年10月29日閲覧。
- ^ a b “NWA World 6-Man Tag Team Title [World Class]”. Wrestling-Titles.com. 2014年10月29日閲覧。
- ^ “The WCCW matches fought by Jake Roberts in 1984”. Wrestlingdata.com. 2014年10月29日閲覧。
- ^ a b “Mid-South Television Title”. Wrestling-Titles.com. 2014年10月29日閲覧。
- ^ a b c d e f “Jake "The Snake" Roberts Bio”. WWE.com. 2014年4月17日閲覧。
- ^ “WWF/AJPW Wrestling Summit”. Cagematch.net. 2014年10月29日閲覧。
- ^ “The WCW matches fought by Jake Roberts in 1992”. Wrestlingdata.com. 2014年10月29日閲覧。
- ^ 『新日本プロレス 来日外国人選手 PERFECTカタログ』P47(2002年、日本スポーツ出版社)
- ^ “The NJPW matches fought by Jake Roberts in 1993”. Wrestlingdata.com. 2014年10月29日閲覧。
- ^ “AAA Sin Limite - TripleMania II - C”. Cagematch.net. 2014年10月29日閲覧。
- ^ “WWF King Of The Ring 1996”. Cagematch.net. 2014年10月31日閲覧。
- ^ “Jake 'The Snake' DVD doesn't disappoint”. SLAM! Sports (December 5, 2005). 2014年11月8日閲覧。
- ^ “Jake Roberts: The Master Of Ring Psychology”. WWE News. 2014年10月29日閲覧。
- ^ “Louisiana Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2014年10月29日閲覧。
- ^ “Smoky Mountain Wrestling Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2014年10月29日閲覧。