「知多鉄道デハ910形電車」の版間の差分
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{{鉄道車両 |
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[[画像:M0901-三郷.jpg|thumb|250px|モ900形(三郷駅、1978年)]] |
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| 車両名 = 知多鉄道デハ910形電車<div style="font-size:80%;">名鉄モ910形電車</div> |
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'''知多鉄道デハ910形電車'''(ちたてつどうデハ910がたでんしゃ)は、[[1931年]](昭和6年)に[[知多鉄道]]が新製した[[特急形車両]]。[[1943年]](昭和18年)2月に知多鉄道は[[名古屋鉄道]](名鉄)に吸収合併され、同時に本形式は'''モ910形'''と改称されている。なお、本形式の「910形」という形式番号は、製造年が[[神武天皇即位紀元|皇紀]]25'''91'''年であったことに由来する。 |
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| 背景色 = #C00029 |
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| 文字色 = #FFFFFF |
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| 画像 = Chita deha 910.jpg |
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| 画像幅 = 280px |
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| 画像説明 = 知多デハ910形917 |
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| 運用者 = [[知多鉄道]]→[[名古屋鉄道]]<ref name="PRC11_p100" /> |
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| 製造所 = [[日本車輌製造]]本店<ref name="NBP-1-1_p241" /> |
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| 製造年 = [[1931年]](昭和6年)<ref name="NBP-1-1_p241" /> |
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| 製造数 = 8両<ref name="PRC11_p100" /> |
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| 運用開始 = 1931年(昭和6年)3月<ref name="RP473_p173" /> |
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| 運用終了 = [[1978年]](昭和53年)3月<ref name="JTBC-R131_p159" /> |
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| 引退 = |
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| 廃車 = |
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| 運用範囲 = |
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| 編成 = |
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| 軌間 = 1,067 [[ミリメートル|mm]]([[狭軌]]) |
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| 電気方式 = [[直流電化|直流]]1,500 [[ボルト (単位)|V]]([[架空電車線方式]]) |
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| 最高運転速度 = |
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| 設計最高速度 = |
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| 起動加速度 = |
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| 常用減速度 = |
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| 非常減速度 = |
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| 減速度 = |
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| 編成定員 = |
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| 車両定員 = 100人(座席56人) |
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| 荷重 = |
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| 車両重量 = |
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| 自重 = 34.50 [[トン|t]] |
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| 積車重量 = |
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| 編成重量 = |
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| 編成長 = |
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| 長さ = |
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| 幅 = |
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| 高さ = |
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| 全長 = 16,852 [[ミリメートル|mm]] |
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| 全幅 = 2,714 mm |
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| 全高 = 4,193 mm |
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| 車体長 = |
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| 車体幅 = |
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| 車体高 = |
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| 床面高さ = |
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| 車体材質 = 半鋼製 |
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| 台車 = [[ボールドウィンA形台車#日本車輌製造|D16]] |
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| 主電動機 = [[直巻整流子電動機|直流直巻電動機]] WH-556-J6 |
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| 主電動機出力 = 74.6 [[ワット|kW]]<br />(端子電圧750 V時一時間定格) |
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| 搭載数 = 4基 / 両 |
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| 駆動方式 = [[吊り掛け駆動方式|吊り掛け駆動]] |
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| 歯車比 = 3.045 (67:22) |
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| 出力 = |
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| 編成出力 = |
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| 定格出力 = |
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| 定格速度 = |
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| 制御方式 = [[主制御器#電空単位スイッチ式|電空単位スイッチ式]]間接非自動加速制御(HL制御) |
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| 制御装置 = HL-272-G-6 |
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| 制動装置 = AMM[[自動空気ブレーキ]] |
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| 保安装置 = |
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| 備考 = 主要諸元は現・名鉄成立後、1956年(昭和31年)現在<ref name="RP64_p34" />。主電動機の仕様など一部データは1961年(昭和36年)現在<ref name="RP120_p37" />。 |
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| 備考全幅 = |
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}} |
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'''知多鉄道デハ910形電車'''(ちたてつどうデハ910がたでんしゃ)は、現在の[[名鉄河和線]]に相当する路線を敷設・運営した[[知多鉄道]]が、同社路線の開業に際して[[1931年]]([[昭和]]6年)に導入した[[電車]]である。「910形」の形式称号は、製造年の1931年が[[神武天皇即位紀元|皇紀]]25'''91'''年に相当したことに由来する<ref name="RP249_p58" />。 |
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デハ910形は、[[1941年]](昭和16年)に形式称号を'''モ910形'''と改め<ref name="1941-no289" />、後年の知多鉄道の[[名古屋鉄道]](名鉄)への吸収合併に際しては原形式・原記号番号のまま名鉄へ継承され、その後車種変更を伴う複雑な改造を経て、最終的に'''モ900形'''の形式称号が付与された<ref name="RP247_p60" />。 |
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本形式は名鉄の1500V区間用[[吊り掛け駆動]]車両のうち、手動進段制御器を搭載する'''HL車'''に属するが、後年機器振替えにより600V区間用'''AL車'''に改造され、'''モ900形'''と改称されている。 |
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モ910形の形式称号が付与されていた当時は、名鉄に在籍する[[吊り掛け駆動方式|吊り掛け駆動]]車各形式のうち、架線電圧1,500 V線区用の[[主制御器#手動進段|間接非自動進段制御器]]を搭載する'''[[名古屋鉄道の車両形式#「AL車」という用語について|HL車]]'''に属した<ref name="PRC11_p100" />。後年の改造により架線電圧600 V線区用の[[主制御器#自動進段|間接自動進段制御器]]を搭載する'''[[名古屋鉄道の車両形式#「AL車」という用語について|AL車]]'''となり、同時に形式称号をモ900形と改め、[[1978年]](昭和53年)まで運用された<ref name="PRC11_p100" />。 |
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==概要== |
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[[1931年]](昭和6年)4月に[[太田川駅|太田川]] - [[成岩駅|成岩]]間を開業させた知多鉄道が、その開業に際して新製したのが本形式である。デハ910 - 914・916 - 918の8両が一挙に新製され、製造は[[日本車輌製造]]で行われた。なお、起番を0とし、末尾5を欠番とするのはいずれも[[愛知電気鉄道]](愛電)の伝統であり<ref>[[1919年]](大正8年)10月に発生した正面衝突事故の当該車両がいずれも末尾5番であったことから、それ以降の新製車については末尾5を欠番としたものである。</ref>、同社の資本参加により設立された子会社である知多鉄道においてもそれは踏襲された。 |
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以下、本項においてはデハ910形として落成した車両群を「本形式」と記述する。 |
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===車両概要=== |
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車体外観は親会社である愛電の主力車両であった[[愛知電気鉄道デハ3300形電車|デハ3300形]]に類似しているが、本形式の車体長は16mとデハ3300形よりも1.5m短くされたことと、浅めの屋根も相まって、昭和初期に製造された車両としては軽快感のある外観とされた。類似の車体を持つものには[[名鉄三河線|三河鉄道]][[福井鉄道120形電車|デ300形]]や[[伊勢電気鉄道モハニ231形電車|伊勢電気鉄道モハニ231形]]などがあり、いずれも同時期に日車で製造されたものであった。 |
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== 導入経緯 == |
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その他、正面貫通型の両運転台構造はデハ3300形を踏襲しており、小手荷物積卸の便を考慮して運転台右側の乗務員扉が広幅の引き扉となっていることも同様である。なお、客用扉部ステップは当初から設置されていない。窓配置はd2D10D2d(d:乗務員扉, D:客用扉)でデハ3300形と同一であるが、車体長の相違から側窓幅・側窓間柱幅が10 - 20mmほど縮小され、各部吹寄せ寸法も変更されている。車内は[[鉄道車両の座席#セミクロスシート|セミクロスシート]]仕様で、扉間に8脚の[[鉄道車両の座席#ボックスシート|ボックスシート]]が装備されていた。 |
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[[知多半島]]東岸地域における鉄道路線敷設を目的として、[[愛知電気鉄道]](愛電)の資本参加により[[1927年]](昭和2年)11月に設立された知多鉄道は<ref name="meitetsu1961_p302-303" />、[[1931年]](昭和6年)4月に愛電常滑線(現・[[名鉄常滑線]])の[[太田川駅|太田川]]より分岐して[[成岩駅|成岩]]に至る延長15.8 [[メートル|km]]の路線を暫定開業した<ref name="RP473_p81" />。本形式はその開業に際して、1931年(昭和6年)3月にデハ910 - デハ914・デハ916 - デハ918の計8両が[[日本車輌製造]]本店において新製され、開業と同時に運用を開始した<ref name="RP473_p173" />。本形式は[[鉄道の車両番号|車両番号]]を1ではなく0から起番し、かつ末尾5を欠番としているが、これは親会社である[[愛知電気鉄道#保有鉄道車両|愛電における車両番号付与基準]]を踏襲したことによるものである<ref name="RP247_p60" />。 |
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== 仕様 == |
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床下機器については電空単位スイッチ式手動加速制御器、[[ウェスティングハウス・エレクトリック|ウェスティングハウス]]製WH556-J6型主電動機<ref>端子電圧750V時定格出力75kW/定格回転数985rpm, 歯車比3.05</ref>、日車製[[鉄道車両の台車#イコライザー式|釣り合い梁式]]D16型台車を搭載し、これらの装備はデハ3300形と同一である。また、当初は[[集電装置|パンタグラフ]]を2基装備していたことが特徴であった。車体塗装については愛電の標準塗装であったマルーン一色塗りとされている。 |
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本形式は、知多半島東岸地域の対名古屋方面への旅客輸送において知多鉄道線と競争関係となる[[鉄道省]][[武豊線]]への対抗上<ref name="RP370_p150" />、当時としては近代的な半鋼製車体に、現在の[[グリーン車]]に相当する鉄道省の2等車並みのシートピッチを確保した[[鉄道車両の座席#クロスシート(横座席)|クロスシート]]を備える居住性の高い車両として設計された<ref name="RP370_p150" />。基本設計は愛電の最新型車両であった[[愛知電気鉄道デハ3300形電車|デハ3300形]]に類似するが、デハ3300形が車体長18 m級であったのに対して、本形式は車体長16 m級の一回り小型の車体を採用したことから、各部に設計変更が加えられている<ref name="RP370_p150" />。 |
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=== 車体 === |
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==その後の経緯== |
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構体主要部分を普通鋼とした車体長16,000 [[ミリメートル|mm]]・車体幅2,630 mmの半鋼製車体を備える<ref name="NBP-1-1_p241" />。前後妻面に運転台を備える両運転台仕様で、妻面中央部に630 mm幅の引き扉構造の貫通扉を設置し、その左右に700 mm幅の前面窓を配した<ref name="NBP-1-1_p241" />。 |
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===名鉄合併後から戦後にかけて=== |
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知多鉄道においては急行・特急<ref>日中一往復のみ運転。神宮前 - 知多半田間を27分で結んだ。</ref>といった優等列車は[[神宮前駅|神宮前]] - [[知多半田駅|知多半田]]間において愛電と[[直通運転|相互直通運転]]を行っており、本形式も神宮前まで乗り入れていた。その後、[[1943年]](昭和18年)に知多鉄道が名古屋鉄道へ吸収合併されたことに伴い本形式は'''モ910形'''と改称、旧デハ910はモ915に改番されてモ911 - 918に車番が再編された。また、車体塗装は検査入場の際に順次ダークグリーン一色に塗り替えられ、その他車内のオールロングシート化、パンタグラフの1基化等が施工されている。 |
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[[構体 (鉄道車両)#側面窓配置|側面窓配置]]はd 2 D 10 D 2 d(d:乗務員扉、D:客用扉、各数値は側窓の枚数)と愛電デハ3300形と同様であるが<ref name="NBP-1-1_p241" /><ref name="NBP-1-1_p217" />、約1,600 mmの車体長の相違を吸収するため、本形式においては客用扉幅を1,000 mm(デハ3300形は1,200 mm)、側窓幅を700 mm(同710 mm)、窓間柱幅を80 mm(同100 mm)とそれぞれ縮小し、その他各部吹き寄せ寸法についても縮小した<ref name="NBP-1-1_p241" /><ref name="NBP-1-1_p217" />。側窓を含む全ての開閉可能窓は上段固定・下段上昇式の二段窓構造とした<ref name="NBP-1-1_p241" />。側面窓下段部には2本の保護棒が設置されたが<ref name="NBP-1-1_p241" />、これは後年全車とも撤去されている<ref name="PRC11_p100" />。乗務員扉は車内側から見て左側(運転台側)の扉については一般的な556 mm幅の開き扉構造としたが、同右側(車掌側)の扉については開口幅を700 mmに拡幅した引き扉構造とした<ref name="NBP-1-1_p241" />。これは小手荷物輸送時の便宜を考慮したもので、愛電デハ3300形より継承された設計の一つである<ref name="RP370_p150" />。なお、本形式は落成当初より客用扉下部の乗降用内蔵ステップを省略し、客用扉の下端部は車内床面高さと同一に揃えられた<ref name="NBP-1-1_p241" />。 |
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合併後も主に[[名鉄常滑線|常滑線]]系統で使用されることの多かった本形式であったが、[[1948年]](昭和23年)8月に発生した太田川車庫の火災によりモ914(初代)が車体を焼失し、その主要機器を流用して[[名鉄モ3750形電車|モ3750形]]が製造された。[[1951年]](昭和26年)にモ918がモ914(2代)に改番されて空番を埋め、以降911 - 917の全7両の陣容となった。 |
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屋根上には前後端部にパンタグラフを各1基備え、その他[[ベンチレーター#吸い出し式|ガーランド形ベンチレーター]](通風器)を1両あたり4基、屋根部中央に一列配置する<ref name="NBP-1-1_p241" />。車体塗装は愛電保有の旅客用車両における標準塗装であったマルーン1色塗りを踏襲した<ref name="RP370_p150" />。 |
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その後[[1955年]](昭和30年)から[[1958年]](昭和33年)にかけて全車豊橋寄りの運転室機器を撤去されて片運転台化され、翌[[1959年]](昭和34年)には豊橋寄りの運転台そのものを完全に撤去した<ref>乗務員扉は存置されたため側面外観上の変化はなかった。</ref>。この状態で従来型HL車と2連 - 3連を組み、主に[[名鉄名古屋本線|名古屋本線]]等の幹線系統における普通列車運用に就いていた。 |
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車内は愛電デハ3300形と同様<ref name="NBP-1-1_p217" />、客用扉間の側窓8枚分に相当する箇所に左右計10脚の[[鉄道車両の座席#固定式クロスシート|固定クロスシート]](ボックスシート)を設け、その他の座席を[[鉄道車両の座席#ロングシート(縦座席)|ロングシート]]としたセミクロスシート仕様とした<ref name="NBP-1-1_p241" />。ボックスシート部の座席間隔は1,610 mmと愛電デハ3300形の1,650 mmより40 mm縮小されているが、前後座面長については逆に愛電デハ3300形の540 mmに対して本形式は550 mmと10 mm拡大されている<ref name="NBP-1-1_p241" /><ref name="NBP-1-1_p217" />。 |
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===床下機器供出に伴う変遷・モ900形へ改称=== |
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半鋼製HL車の[[名鉄3700系電車 (2代)#3730系|3730系]]への更新進捗に伴い、本形式もその対象となって[[1964年]](昭和39年)に床下機器を同系列に供出し、代わりに廃車発生品の[[ブリル]]27MCB2型台車を装備して'''ク2330形'''2331 - 2337と改称・改番された。こうして1500V区間用HL制御の制御車となった本形式は、機器供出未施工であったモ3300形等と編成を組んで使用されたが、3730系の増備に伴いその後1年足らずの翌[[1965年]](昭和40年)から[[1966年]](昭和41年)にかけて、再び同系列に台車等を供出することとなった。 |
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=== 主要機器 === |
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再びその車体の処遇が宙に浮くこととなった本形式であったが、折りしも[[名鉄瀬戸線|瀬戸線]]において老朽化した木造車[[名岐鉄道デボ600形電車|モ600形(初代)]]の代替が計画されており、同形式の床下機器を流用して架線電圧600V区間用AL制御の電動車に転用することが決定した。形式は'''モ900形'''901 - 906<ref>ク2337のみ遅れて転属したためである。同車の転属に伴い後述のように車番の振替えを伴う改番が行われた。</ref>と改称・改番され、ドアエンジンを撤去し手動扉化の上、順次瀬戸線に投入された。なお、ク2337は他車よりも半年ほど遅れて1966年(昭和41年)2月に瀬戸線へ転入し、入線に際しては以下のように車番の振替えが行われている。 |
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主要機器については愛電保有の旅客用車両の仕様を踏襲し、制御装置は[[ウェスティングハウス・エレクトリック]] (WH) 製の[[主制御器#電空単位スイッチ式|電空単位スイッチ式]]間接非自動進段制御器(HL制御器)を<ref name="RP473_p173" />、主電動機は同じくウェスティングハウス・エレクトリックWH-556-J6(端子電圧750 V時定格出力74.6 kW、同定格回転数985 rpm)をそれぞれ採用した<ref name="JTBC-R131_p154" />。駆動方式は[[吊り掛け駆動方式|吊り掛け式]]で、歯車比は3.045 (67:22) に設定された<ref name="JTBC-R131_p154" />。[[鉄道車両の台車|台車]]は愛電デハ3300形同様、日本車輌製造製の[[ボールドウィンA形台車#日本車輌製造|D16]]形鋼組立形[[鉄道車両の台車#イコライザー式|釣り合い梁式台車]]を装着する<ref name="RP473_p173" />。制動装置はM三動弁を用いるAMM[[自動空気ブレーキ]]を常用制動として使用し、[[手ブレーキ|手用制動]]を併設する<ref name="RP473_p173" />。 |
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その他、[[集電装置]]は[[日立製作所]]製の大型[[集電装置#菱形|菱形パンタグラフ]]を採用<ref name="RP473_p173" />、単行運転時における冗長性確保を目的として1両あたり2基、屋根上前後端部へ1基ずつ搭載した<ref name="RP370_p150" />。 |
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;改番一覧 |
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:ク2331 → モ901(初代) → モ907(2代) |
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:ク2332 → モ902(初代) → モ906(2代) |
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:ク2333 → モ903(初代) → モ905(2代) |
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:ク2334 → モ904 |
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:ク2335 → モ905(初代) → モ903(2代) |
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:ク2336 → モ906(初代) → モ902(2代) |
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:ク2337 → モ901(2代) |
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== 運用 == |
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=== 落成から太平洋戦争前後にかけて === |
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1966年(昭和41年)3月より瀬戸線に特急列車<ref>特急料金は不要であった。運行は[[1977年]](昭和52年)2月まで行われ、同月のダイヤ改正で停車駅はそのままに急行へ種別変更された。</ref>を運行することになり、モ901 - 903と[[愛知電気鉄道電7形電車|ク2300形]]2301 - 2303からなる2両編成3本が特急用車両に選ばれ、以下の改造が施工された。 |
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{{Vertical_images_list |
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|幅= 240px |
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| 1= Meitetsu mo 912 sukaguchi.jpg |
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| 2= パンタグラフ1基が撤去されたモ910形912(旧知多デハ910形912) |
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知多鉄道線の開通と同時に運用を開始した本形式は、線内運用のほか知多鉄道線内から愛電の[[神宮前駅|神宮前]]へ[[直通運転]]を行う特急・急行運用に充当された<ref name="RP370_p150" />。[[1940年]](昭和15年)9月当時の[[ダイヤグラム|ダイヤ]]においては、1時間間隔で運行される急行は神宮前 - [[知多半田駅|知多半田]]間を30分で、1日1往復のみ運行される特急は同区間を27分で結び<ref name="RP370_p150" />、車両の快適性と速達性の両面で武豊線を上回った知多鉄道線は、半田地区における主たる公共交通手段として定着した<ref name="RP473_p73" />。 |
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[[1935年]](昭和10年)8月に知多鉄道の親会社であった愛知電気鉄道(愛電)は名岐鉄道と対等合併し、現・名古屋鉄道(名鉄)が発足した<ref name="meitetsu1961_p201-202" />。それに伴って従来愛電の傘下事業者であった知多鉄道も名鉄の傘下事業者となった<ref name="RP370_p149" />。その後1941年(昭和16年)1月17日付届出にて、本形式の車両記号を愛電の流儀に則った「デハ」から名鉄の流儀に則った「モ」へ変更し、同時に車両番号のゼロ起番を廃止する改番が実施された<ref name="1941-no289" />。本形式は形式称号が'''モ910形'''と改められ、旧デハ910をモ915と改番、車両番号はモ911 - モ918(モ914・モ915・モ917は初代)に再編された<ref name="1941-no289" />。 |
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* 扉間に転換クロスシートを装備・セミクロスシート化 |
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* 客用扉の自動扉化 |
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* 車体塗装をダークグリーンからスカーレットへ変更 |
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* [[名鉄7000系電車|7000系]]パノラマカーに装備されたものと同形状の[[逆さ富士]]型行先・種別表示板を取り付け |
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* [[警笛#鉄道車両#ミュージックホーン|ミュージックホーン]]新設 |
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その後、[[太平洋戦争]]の激化に伴う[[戦時体制]]への移行により、[[陸上交通事業調整法]]を背景とした地域交通統合の時流に沿う形で<ref name="RP473_p75" />、[[1943年]](昭和18年)2月に知多鉄道は名鉄へ吸収合併された<ref name="meitetsu1961_p302-303" />。本形式は合併に際して原形式・原記号番号のまま全車とも名鉄へ継承され、名鉄への継承後は車体塗装のダークグリーン1色塗り化、戦時体制下における輸送量増加を受けて混雑緩和を目的とした車内座席のオールロングシート化のほか<ref name="JTBC-R131_p155-156" />、2基搭載されたパンタグラフのうち1基を撤去する改造が全車を対象に施工された<ref name="JTBC-R131_p155-156" />。 |
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同時にモ904は塗装変更のみ行われ<ref>編成相手であった[[愛知電気鉄道電7形電車|ク2320形]]2324も同様に塗装変更が行われ、[[1967年]](昭和42年)7月には同車のみ車内のセミクロスシート化を施工した。</ref>、特急予備車として使用された。 |
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=== 戦後の動向 === |
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この特急列車は好評を博し、増発のため[[1968年]](昭和43年)3月にはモ904 - 906の3両が追加改造され、モ901 - 903と同仕様に改装された<ref>モ905・906の編成相手であったク2320形2322・2323はロングシート仕様のままであった。</ref>。その後特急用車両となった6両に対しては1968年(昭和43年)7月から[[1969年]](昭和44年)4月にかけて窓下に白帯塗装を追加している。なお、これら格上げの対象から外れたモ907については客用扉の自動扉化のみ施工されたが、[[1972年]](昭和47年)にロングシート仕様のまま車体塗装のみスカーレットに白帯とし、他車と外観を揃えている<ref>編成相手のク2320形2321についても同様の改造が施工された。</ref>。 |
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本形式は合併後も主に常滑線系統で運用され、全車とも空襲などによる戦災を免れたものの、[[1948年]](昭和23年)8月に発生した[[太田川検車区|太田川車庫]]火災において<ref name="RP248_p65" />、モ914(初代)がモ3300形3301・3304(旧愛電デハ3300形、車番はいずれも初代)とともに被災焼失した<ref name="RP247_p60" /><ref name="RP248_p65" />。復旧に際しては焼損した旧車体を廃棄し、当時の最新型車両であった運輸省規格型車両の[[名鉄3800系電車|3800系]]と同一の車体を新製<ref name="RP556_p21-22" />、[[名鉄モ3750形電車|モ3750形]]と別形式に区分された<ref name="RP556_p21-22" />。その後[[1951年]](昭和26年)10月にモ918をモ914(2代)へ改番し、空番を解消した<ref name="RP247_p60" />。 |
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残存した7両については、[[1958年]](昭和33年)より順次豊橋寄りの運転台を撤去する片運転台化改造が施工された<ref name="RP247_p60" />。初期に施工されたモ911 - モ913は運転関連機器の撤去のみに留められたが、翌[[1959年]](昭和34年)に施工されたモ914 - モ917については運転室仕切壁の撤去も施工された<ref name="JTBC-R131_p155-156" />。同時にモ915とモ917の間で記号番号の振り替えが行われ、旧番順にモ917(2代)・モ915(2代)となった<ref name="JTBC-R131_p155-156" />。また片運転台化改造と同時に、前面窓のアルミサッシ化、両側妻面への貫通幌枠・貫通幌の設置、前面貫通扉の開き扉構造化などが施工されたが、全車共通内容で実施されたものではなかったことから各車で仕様に差異が生じ<ref name="JTBC-R131_p155-156" />、前面貫通扉が引き扉構造のまま存置された車両は前面行先表示板が貫通扉部ではなく前面向かって右側へ設置された点が特徴となった<ref name="JTBC-R131_p155-156" />。 |
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その後、モ901・904 - 907は正面窓がアルミサッシとなり<ref>側面窓は木製サッシのままであった。</ref>、その他正面貫通扉および客用扉が鋼製化された車両も存在したが、モ902・903の2両はそのような改造を受けることなく、外観上比較的原形を保ったまま使用されていた。 |
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後年の新型車導入に伴って、本形式を含む主電動機出力の低いHL車各形式は[[名鉄名古屋本線|名古屋本線]]など幹線系統における運用から順次撤退、架線電圧1,500 V化昇圧工事が実施された支線区における運用が主となり、2 - 3両編成を組成して運用された<ref name="RP370_p151" />。 |
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==廃車・譲渡== |
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瀬戸線の主力形式として使用された本形式であったが、[[1978年]](昭和53年)の瀬戸線の架線電圧1500V昇圧に伴い淘汰の方針が決まり、同年3月12日には[[鉄道友の会]]名古屋支部主催の「[[さよなら運転|600V車惜別行事]]」が行われた<ref>モ903-ク2303の編成が使用された。</ref>。そして昇圧を前日に控えた同月18日の運用を最後に全車廃車となった。 |
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=== 3700系列新製に伴う主要機器供出 === |
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廃車後、モ901・902・907の3両が[[福井鉄道]]へ、モ903 - 906の4両が[[北陸鉄道]]へそれぞれ譲渡された。福井鉄道譲渡車は[[福井鉄道140形電車|140形]]の一部(141-2・142-2・143-2)となり、[[2006年]]([[平成]]18年)まで在籍した。北陸鉄道譲渡車は[[北陸鉄道モハ3740形電車|モハ3740形]]3741 - 3744となり、同社[[北陸鉄道石川線|石川線]]の主力車両として[[1990年]](平成2年)まで使用された。 |
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木造車体のHL車を対象とした[[名鉄3700系電車 (2代)|3700系(2代)]]への更新が[[1957年]](昭和32年)以降順次進捗し<ref name="RP556_p16" />、[[1964年]](昭和39年)以降は半鋼製車体のHL車を種車として改良型の[[名鉄3700系電車 (2代)#3730系・3770系|3730系]]への更新が開始された<ref name="RP556_p19" />。 |
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本形式も3730系への更新対象となって<ref name="RP556_p19" />、1964年(昭和39年)10月から翌[[1965年]](昭和40年)2月にかけて台車や制御装置・主電動機など主要機器を供出し、代わりに木造車の廃車発生品である[[ブリル#27MCB|ブリル27-MCB-2]]台車を装着して[[制御電動車]]から[[制御車]]へ改造、形式称号を'''ク2330形'''と改めた<ref name="JTBC-R131_p156" />。車両番号は旧番順にク2331 - ク2337となった<ref name="JTBC-R131_p156" />。 |
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制御車となった本形式は機器供出未施工であったモ3300形などHL制御の電動車と編成を組成したが、3730系および同系列の改良型である3770系の増備に際して再び台車を供出することとなった<ref name="RP370_p152" />。不要となった本形式の車体は、車体長16 m級の小型車体が、規格が狭小であった架線電圧600 V線区の[[名鉄瀬戸線|瀬戸線]]の入線条件に合致したため<ref name="RP370_p152" />、老朽化した木造車の代替目的で瀬戸線へ転用された<ref name="RP247_p60" />。 |
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=== 瀬戸線への転用 === |
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{{鉄道車両 |
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|車両名= 名鉄モ900形電車 |
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|社色= #C00029 |
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|画像= M0901-三郷.jpg |
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|画像説明= モ900形901(2代、旧知多デハ910) |
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|unit= self |
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|編成両数= |
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|営業最高速度= |
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|設計最高速度= |
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|起動加速度= |
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|減速度= |
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|車両定員= 100人(座席48人){{refnest|group="*"|ロングシート仕様車の座席定員は56人<ref name="JTBC-R131_p148-149" />。}} |
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|全長= |
|||
|全幅= |
|||
|全高= |
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|車体材質= |
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|車両重量= 34.50 [[トン|t]]{{refnest|group="*"|ロングシート仕様車の自重は34.30 t<ref name="JTBC-R131_p148-149" />。}} |
|||
|軌間= |
|||
|電気方式= [[直流電化|直流]]600 [[ボルト (単位)|V]]([[架空電車線方式]]) |
|||
|主電動機= [[直巻整流子電動機|直流直巻電動機]] TDK-516-A{{refnest|group="*"|モ904 - モ907(モ904を除き2代)の主電動機はTDK-31-SN<ref name="JTBC-R131_p147" />。定格出力などスペックは同一<ref name="JTBC-R131_p157" />。}} |
|||
|主電動機出力= 52.2 [[ワット|kW]]<br />(端子電圧500 V時一時間定格) |
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|搭載数= 4基 / 両 |
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|歯車比= 2.65 (61:23) |
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|定格速度= |
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|駆動装置= [[吊り掛け駆動方式|吊り掛け駆動]] |
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|制御装置= [[主制御器#電動カム軸接触器式|電動カム軸式]]間接自動加速制御 ES-155 |
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|台車= ST-2 |
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|制動方式= SME[[直通ブレーキ#SME|非常直通ブレーキ]] |
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|保安装置= |
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|製造メーカー= |
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|備考= 冒頭テンプレートとの重複事項は省略。 |
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}} |
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本形式の瀬戸線への転用に際しては、瀬戸線所属の木造電動車である[[名岐鉄道デボ600形電車|モ600形(初代)]]<ref name="JTBC-R131_p147" />および[[名古屋鉄道デボ650形電車|モ650形]]<ref name="JTBC-R131_p147" />より主要機器を流用して再び制御電動車へ改造された<ref name="RP247_p60" />。 |
|||
本形式は1965年(昭和40年)10月から翌[[1966年]](昭和41年)1月にかけて順次瀬戸線の[[喜多山駅 (愛知県)#喜多山検車区|喜多山検車区]]へ搬入され<ref name="JTBC-R131_p139" />、3730系および3770系へ供出する台車などを取り外したのち、種車となる木造電動車より供出された主要機器を再整備の上で搭載した<ref name="JTBC-R131_p139" />。これにより、本形式は従来のHL車から種車由来の[[主制御器#電動カム軸接触器式|電動カム軸式]]間接自動進段制御器を搭載するAL車となり<ref name="JTBC-R131_p139" />、常用制動装置が同じく種車由来のSME[[直通ブレーキ#SME|三管式非常直通ブレーキ]]となったほか<ref name="JTBC-R131_p157" />、瀬戸線在籍の従来車と仕様を統一するため客用扉の手動扉化などが施工された<ref name="JTBC-R131_p144" />(主要機器の仕様は右表参照<ref name="JTBC-R131_p157" />)。 |
|||
竣功に際しては形式称号を'''モ900形'''と改め、先行して導入されたク2331 - ク2336は旧番順にモ901 - モ906(いずれも初代)と改番された<ref name="JTBC-R131_p157" />。 |
|||
他車に遅れて1966年(昭和41年)2月に転属したク2337についてもモ901 - モ906(いずれも初代)と同様の改造を施工の上、モ907の記号番号付与が予定されていたが<ref name="JTBC-R131_p148-149" />、同年3月のダイヤ改正において瀬戸線に特急列車の新設が決定したことを受け、ク2337を含む本形式の一部車両を特急列車用車両として整備することとなった<ref name="JTBC-R131_p139-140" />。 |
|||
そのため、ク2337については制御電動車化改造に加えて、客用扉間の座席の転換クロスシート化、車内照明の[[蛍光灯]]化、車内暖房装置および放送装置の新設のほか、車内壁部をニス塗り仕上げから薄緑色のエナメル塗料塗り潰し仕様に改め、客用扉を自動扉仕様のまま存置するなど、接客設備改善工事が実施された<ref name="JTBC-R131_p143" />。さらに車体塗装を[[名鉄7000系電車|7000系「パノラマカー」]]と同一の[[名鉄スカーレット|スカーレット]]1色塗りとし、前面行先種別表示板もパノラマカーと同一形状のいわゆる「逆さ富士形」のものを装着、[[ミュージックホーン#名古屋鉄道|ミュージックホーン]]を新設するなど<ref name="RP247_p60" />、幹線系統の優等列車用車両と仕様を極力近付ける改良工事が施工された<ref name="RP247_p60" />。 |
|||
上記改造が施工されたク2337は同年2月18日に竣功し、記号番号をモ901(2代)と改め<ref name="JTBC-R131_p143" />、同一内容の改造が施工された[[愛知電気鉄道電7形電車|ク2300形(2代)]]2301と編成を組成した<ref name="JTBC-R131_p143" />。また同日付でモ901(初代)をモ907と記号番号を改め、車番の重複を回避している<ref name="JTBC-R131_p143" />。 |
|||
次いで、モ906・モ905(いずれも初代)の順に、編成を組成したク2300形(初代)2302・2303とともにモ901(2代)と同一内容の改造が施工された<ref name="JTBC-R131_p143" />。竣功後の同2両は旧番の逆順にモ902・モ903(いずれも2代)と記号番号を改め<ref name="JTBC-R131_p143" />、同時にモ902・モ903(いずれも初代)を同じく旧番の逆順にモ906・モ905(いずれも2代)と記号番号を改めた<ref name="JTBC-R131_p143" />。これらの改番は、自動扉・蛍光灯照明仕様の車両を若い番号順に再編する目的で実施されたものであった<ref name="JTBC-R131_p141" />。 |
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その後1966年(昭和41年)4月までに、モ904は特急予備車として客用扉の自動扉化・車内照明の蛍光灯化のほか車体塗装のスカーレット1色塗り化が<ref name="JTBC-R131_p143" />、モ905(2代)・モ906(2代)・モ907については客用扉の自動扉化・車内照明の蛍光灯化のみがそれぞれ施工された<ref name="JTBC-R131_p143" />。 |
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また同年7月には、モ902-ク2302の編成を対象に、前面から側面にかけての窓下幕板部へ200 mm幅の白帯を追加する試験塗装が実施され<ref name="JTBC-R131_p159" />、のちに特急列車仕様に改装された全車に普及した<ref name="JTBC-R131_p159" />。 |
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=== 瀬戸線転属後の動向 === |
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[[1968年]](昭和43年)3月のダイヤ改正において特急列車の増発が実施されることとなり<ref name="JTBC-R131_p158-159" />、特急予備車であったモ904のほかモ905・モ906(ともに2代)の計3両についても同年2月から3月にかけてモ901 - モ903(いずれも2代)と同一内容による特急列車仕様化改造が実施された<ref name="JTBC-R131_p158-159" />{{refnest|group="*"|モ904と編成を組成するク2320形2324は車内座席の転換クロスシート化などモ904と同一内容による改造が施工されたが<ref name="RP247_p61" />、モ905・モ906(ともに2代)と編成を組成するク2320形2322・2323については車内座席がロングシート仕様のまま存置された<ref name="RP247_p61" />。}}。 |
|||
唯一特急列車仕様化改造の対象から外れたモ907については、[[1972年]](昭和47年)に車体塗装のスカーレット地に白帯化、および前面行先種別表示板の「逆さ富士形」化が実施されて外観が他車と統一されたが<ref name="RP370_p152" />、車内座席はロングシート仕様のまま存置された<ref name="RP370_p152" />。その他、同時期にモ904の[[尾張瀬戸駅|尾張瀬戸]]寄り右側の客用扉が鋼製扉に交換された<ref name="JTBC-R131_p148-149" />。 |
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その後、1970年代半ば頃に名鉄の保有する鉄道車両の標準塗装をスカーレット1色とする方針が定められた<ref name="RP370_p92" />。本形式も定期検査に際して順次白帯を廃してスカーレット1色塗装に改められたが<ref name="JTBC-R131_p159" />、モ902-ク2302の編成のみは運用離脱まで白帯が存置された<ref name="RP771_p84-85" />。なお、主に本形式によって運行された瀬戸線の特急列車は、名鉄において「特急」の種別を特別料金を必要とする列車のみに適用するよう営業政策を改めたことに伴って<ref name="RP816_p177" />、[[1977年]](昭和52年)3月のダイヤ改正に際して停車駅設定はそのままに種別が急行に変更された<ref name="RP816_p177" />。 |
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=== 退役 === |
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瀬戸線は地下新線による[[栄町駅 (愛知県)|栄町]]乗り入れ工事完成に際して、架線電圧を従来の[[直流電化|直流]]600 Vから幹線系統と同一の直流1,500 Vへ昇圧することとなった<ref name="YPB8_p28" />。昇圧時には新造車両([[名鉄6000系電車#車両概説|6600系]])および幹線系統からの転属車両(3770系・[[名鉄3780系電車|3780系]])の導入によって在籍車両を一新し、本形式を含む瀬戸線に在籍する従来車は全て淘汰する方針が決定した<ref name="YPB8_p28" />。 |
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1978年(昭和53年)3月19日の架線電圧昇圧に先立って、同年3月12日にはモ903-ク2303の編成を用いて、[[鉄道友の会]]名古屋支部主催の「600 V車惜別行事」と称する[[さよなら運転|さよならイベント]]が実施された<ref name="RP370_p152" />。モ903は前面窓のアルミサッシ化などが施工されておらず、最も知多デハ910形の原形を保っていたことから、「600 V車惜別行事」主催者の指名によりさよならイベントに充当された<ref name="RP370_p152" />。 |
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その後、昇圧前日となる3月18日の運用を最後に、他の架線電圧600 V仕様の従来車とともに全車運用を離脱した<ref name="JTBC-R131_p159" />。本形式は他の架線電圧600 V路線区への転属は行われず<ref name="RP473_p173" />{{refnest|group="*"|昇圧に際して余剰となった従来車のうち、[[名古屋鉄道デセホ700形電車|モ700形・モ750形]]およびク2320形の一部については、同じく架線電圧600 V線区である[[名鉄揖斐線|揖斐線]]系統へ転属した<ref name="RP611_p112" />。}}、7両全車とも同年3月20日付で一斉に[[廃車 (鉄道)|除籍]]となり、形式消滅した<ref name="PRC11_p179" />。 |
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== 譲渡車両 == |
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{{Vertical_images_list |
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|幅= 240px |
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| 1= Fukutetu 141-2 inTawaramachi.jpg |
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| 2= 福井鉄道140形モハ141-2<br />(元名鉄モ902、2005年) |
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}} |
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{{Main|福井鉄道140形電車|北陸鉄道モハ3740形電車}} |
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廃車後、本形式は全車とも地方私鉄へ譲渡されることとなり、モ901・モ902・モ907の3両が[[福井鉄道]]へ<ref name="RP701_p103" />、モ903 - モ906の4両が[[北陸鉄道]]へそれぞれ譲渡された<ref name="RP370_p111" />。 |
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福井鉄道向けの3両は名鉄在籍当時の仕様のまま譲渡され、<!--福井鉄道側で原型を留めないほどの大改造が行われて就役した。←その通りなのですが、提示した資料には記載がないためコメントアウトします。解除の際は出典を明記願います-->北陸鉄道向けの4両については[[岐阜検車区|名鉄岐阜工場]]において両運転台仕様への復元・前面窓のHゴム固定支持化・妻面貫通扉および客用扉の鋼製扉化など各種改造を施工した上で譲渡先へ発送された<ref name="RP370_p111" />。 |
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北陸鉄道への譲渡車両は[[1990年]]([[平成]]2年)12月に全廃となった<ref name="RP701_p87" />。福井鉄道への譲渡車両についても[[1998年]](平成10年)より淘汰が開始され<ref name="RP701_p103" />、最後まで残存した140形モハ141-2(元名鉄モ902、旧知多デハ916)が[[2006年]](平成18年)10月をもって運用を離脱、翌[[2007年]](平成19年)8月に解体処分され、全廃となった<ref name="JTBC-R131_p168-169" />。従って、知多鉄道デハ910形に由来する車両はいずれも現存しない<ref name="JTBC-R131_p168-169" />。 |
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== 記号番号の変遷 == |
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{| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:80%; margin:1em 0em 2em 3em;" |
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|- |
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| style="border-bottom:solid 3px #C00029; background-color:#ccc;"| |
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| style="border-bottom:solid 3px #C00029; width: 4em;"| '''落成時''' |
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| style="border-bottom:solid 3px #C00029;"| '''改番'''<br />(知多鉄道時代に実施) |
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| style="border-bottom:solid 3px #C00029; width: 4em;"| '''改番''' |
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| style="border-bottom:solid 3px #C00029;"| '''電装解除''' |
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| style="border-bottom:solid 3px #C00029;"| '''瀬戸線転属・電動車化<br />(機器流用元)'''<ref name="JTBC-R131_p147" /><ref name="JTBC-R131_p139" /> |
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| style="border-bottom:solid 3px #C00029; width: 4em;"| '''改番''' |
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| style="border-bottom:solid 3px #C00029;"| '''備考''' |
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|- |
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! rowspan="8"| 記号番号 |
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| デハ910 |
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| モ915 I |
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| モ917 II |
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| ク2337 |
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| モ901 II<br />(モ607・モ652) |
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| – |
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| 瀬戸線転属時、当初モ907の記号番号を予定 |
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|- |
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| デハ911 |
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| モ911 |
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| – |
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| ク2331 |
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| モ901 I<br />(モ601) |
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| モ907 |
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| |
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|- |
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| デハ912 |
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| モ912 |
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| – |
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| ク2332 |
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| モ902 I<br />(モ604) |
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| モ906 II |
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| |
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|- |
|||
| デハ913 |
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| モ913 |
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| – |
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| ク2333 |
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| モ903 I<br />(モ602) |
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| モ905 II |
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| |
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|- |
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| デハ914 |
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| モ914 I |
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| – |
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| – |
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| – |
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| – |
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| 1948年8月、太田川検車区火災で被災焼失 |
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|- |
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| デハ916 |
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| モ916 |
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| – |
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| ク2336 |
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| モ906 I<br />(モ605・モ607) |
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| モ902 II |
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| |
|||
|- |
|||
| デハ917 |
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| モ917 I |
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| モ915 II |
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| ク2335 |
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| モ905 I<br />(モ603) |
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| モ903 II |
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| |
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|- |
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| デハ918 |
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| モ918 |
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| モ914 II |
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| ク2334 |
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| モ904<br />(モ606) |
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| – |
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| |
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|- |
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|} |
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== 脚注 == |
== 脚注 == |
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{{脚注ヘルプ}} |
{{脚注ヘルプ}} |
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=== 注釈 === |
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{{reflist}} |
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{{reflist|group="*"}} |
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=== 出典 === |
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{{Reflist|2|refs= |
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<ref name="1941-no289">[[#1941-no289|「監督局 第289号 電動客車型式、記号番号変更ノ件 昭和16年1月30日」]]</ref> |
|||
<ref name="meitetsu1961_p201-202">[[#meitetsu1961|『名古屋鉄道社史』 pp.201 - 202]]</ref> |
|||
<ref name="meitetsu1961_p302-303">[[#meitetsu1961|『名古屋鉄道社史』 pp.302 - 303]]</ref> |
|||
<ref name="YPB8_p28">[[#YPB8|『ヤマケイ私鉄ハンドブック8 名鉄』 p.28]]</ref> |
|||
<ref name="PRC11_p100">[[#PRC11|『私鉄の車両11 名古屋鉄道』 p.100]]</ref> |
|||
<ref name="PRC11_p179">[[#PRC11|『私鉄の車両11 名古屋鉄道』 p.179]]</ref> |
|||
<ref name="NBP-1-1_p217">[[#NBP-1-1|『日車の車輌史 図面集 - 戦前私鉄編 上』 p.217]]</ref> |
|||
<ref name="NBP-1-1_p241">[[#NBP-1-1|『日車の車輌史 図面集 - 戦前私鉄編 上』 p.241]]</ref> |
|||
<ref name="JTBC-R131_p139">[[#JTBC-R131|『名鉄電車 昭和ノスタルジー』 p.139]]</ref> |
|||
<ref name="JTBC-R131_p139-140">[[#JTBC-R131|『名鉄電車 昭和ノスタルジー』 pp.139 - 140]]</ref> |
|||
<ref name="JTBC-R131_p141">[[#JTBC-R131|『名鉄電車 昭和ノスタルジー』 p.141]]</ref> |
|||
<ref name="JTBC-R131_p143">[[#JTBC-R131|『名鉄電車 昭和ノスタルジー』 p.143]]</ref> |
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<ref name="RP701_p87">[[#RP701_p81-90|「現有私鉄概説 北陸鉄道」 (2001) p.87]]</ref> |
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<ref name="RP701_p103">[[#RP701_p98-106|「現有私鉄概説 福井鉄道」 (2001) p.103]]</ref> |
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<ref name="RP771_p84-85">[[#RP771_p84-85|「瀬戸線 大変革の頃」 (2006) pp.84 - 85]]</ref> |
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<ref name="RP816_p177">[[#RP816_p176-177|「名鉄電車 Nostalgic color」 (2009) p.177]]</ref> |
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== 参考資料 == |
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=== 公文書 === |
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* [[国立公文書館]]所蔵資料 |
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** {{Anchors|1941-no289}}[[鉄道省]] 地方鉄道免許・名古屋鉄道(元知多鉄道)・昭和11 - 17年 「監督局 第289号 電動客車型式、記号番号変更ノ件 昭和16年1月30日」 |
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=== 書籍 === |
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* {{Anchors|meitetsu1961}}名古屋鉄道株式会社社史編纂委員会 『名古屋鉄道社史』 名古屋鉄道 1961年5月 |
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* {{Anchors|YPB8}}[[吉川文夫]]・[[広田尚敬|廣田尚敬]] 『ヤマケイ私鉄ハンドブック8 名鉄』 [[山と溪谷社]] 1982年12月 ISBN 4-635-06120-5 |
|||
* {{Anchors|PRC11}}白井良和 『私鉄の車両11 名古屋鉄道』 [[保育社]] 1985年12月 ISBN 4-586-53211-4 |
|||
* {{Anchors|NBP-1-1}}日本車両鉄道同好部 鉄道史資料保存会 編著 『日車の車輌史 図面集 - 戦前私鉄編 上』 [[鉄道史資料保存会]] 1996年6月 |
|||
* {{Anchors|JTBC-R131}}[[徳田耕一]] 『名鉄電車 昭和ノスタルジー』 [[JTBパブリッシング]] 2013年5月 ISBN 4-533-09166-0 |
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=== 雑誌記事 === |
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* 『[[鉄道ピクトリアル]]』 [[電気車研究会|鉄道図書刊行会]] |
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** {{Anchors|RP64_p33-37}}渡辺肇 「私鉄車両めぐり(27) 名古屋鉄道 2」 1956年11月号(通巻64号) pp.33 - 37 |
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** {{Anchors|RP120_p32-39}}渡辺肇 「私鉄車両めぐり(46) 名古屋鉄道 補遺」 1961年7月号(通巻120号) pp.32 - 39 |
|||
** {{Anchors|RP247_p58-65}}渡辺肇・加藤久爾夫 「私鉄車両めぐり(87) 名古屋鉄道 2」 1971年2月号(通巻247号) pp.58 - 65 |
|||
** {{Anchors|RP248_p60-65}}渡辺肇・加藤久爾夫 「私鉄車両めぐり(87) 名古屋鉄道 3」 1971年3月号(通巻248号) pp.60 - 65 |
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** {{Anchors|RP249_p54-65}}渡辺肇・加藤久爾夫 「私鉄車両めぐり(87) 名古屋鉄道 終」 1971年4月号(通巻249号) pp.54 - 65 |
|||
** {{Anchors|RP370_p92-106}}藤野政明・渡辺英彦 「私鉄車両めぐり(115) 名古屋鉄道」 1979年12月臨時増刊号(通巻370号) pp.92 - 106 |
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** {{Anchors|RP370_p149-153}}徳田耕一 「名車の軌跡 知多鉄道デハ910物語」 1979年12月臨時増刊号(通巻370号) pp.149 - 153 |
|||
** {{Anchors|RP473_p65-81}}[[青木栄一 (地理学者)|青木栄一]] 「名古屋鉄道のあゆみ -その路線網の形成と地域開発-」 1986年12月臨時増刊号(通巻473号) pp.65 - 81 |
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** {{Anchors|RP473_p166-176}}白井良和 「名古屋鉄道の車両前史 現在の名鉄を構成した各社の車両」 1986年12月臨時増刊号(通巻473号) pp.166 - 176 |
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** {{Anchors|RP556_p16-23}}白井良和 「名古屋鉄道にみる車体更新車の興味」 1992年3月号(通巻556号) pp.16 - 23 |
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** {{Anchors|RP611_p108-113}}渡利正彦 「名鉄モ700、モ750を称え、その足跡をたどる」 1995年8月号(通巻611号) pp.108 - 113 |
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** {{Anchors|RP701_p81-90}}山本宏之 「現有私鉄概説 北陸鉄道」 2001年5月臨時増刊号(通巻701号) pp.81 - 90 |
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** {{Anchors|RP701_p98-106}}[[岸由一郎]] 「現有私鉄概説 福井鉄道」 2001年5月臨時増刊号(通巻701号) pp.98 - 106 |
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** {{Anchors|RP771_p84-85}}吉川文夫 「瀬戸線 大変革の頃」 2006年1月臨時増刊号(通巻771号) pp.84 - 85 |
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** {{Anchors|RP816_p176-177}}鶴田裕・長谷川明・小林武 「名鉄電車 Nostalgic color」 2009年3月臨時増刊号(通巻816号) pp.176 - 177 |
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2023年6月19日 (月) 12:50時点における最新版
知多鉄道デハ910形電車 名鉄モ910形電車 | |
---|---|
知多デハ910形917 | |
基本情報 | |
運用者 | 知多鉄道→名古屋鉄道[1] |
製造所 | 日本車輌製造本店[2] |
製造年 | 1931年(昭和6年)[2] |
製造数 | 8両[1] |
運用開始 | 1931年(昭和6年)3月[3] |
運用終了 | 1978年(昭和53年)3月[4] |
主要諸元 | |
軌間 | 1,067 mm(狭軌) |
電気方式 | 直流1,500 V(架空電車線方式) |
車両定員 | 100人(座席56人) |
自重 | 34.50 t |
全長 | 16,852 mm |
全幅 | 2,714 mm |
全高 | 4,193 mm |
車体 | 半鋼製 |
台車 | D16 |
主電動機 | 直流直巻電動機 WH-556-J6 |
主電動機出力 |
74.6 kW (端子電圧750 V時一時間定格) |
搭載数 | 4基 / 両 |
駆動方式 | 吊り掛け駆動 |
歯車比 | 3.045 (67:22) |
制御方式 | 電空単位スイッチ式間接非自動加速制御(HL制御) |
制御装置 | HL-272-G-6 |
制動装置 | AMM自動空気ブレーキ |
備考 | 主要諸元は現・名鉄成立後、1956年(昭和31年)現在[5]。主電動機の仕様など一部データは1961年(昭和36年)現在[6]。 |
知多鉄道デハ910形電車(ちたてつどうデハ910がたでんしゃ)は、現在の名鉄河和線に相当する路線を敷設・運営した知多鉄道が、同社路線の開業に際して1931年(昭和6年)に導入した電車である。「910形」の形式称号は、製造年の1931年が皇紀2591年に相当したことに由来する[7]。
デハ910形は、1941年(昭和16年)に形式称号をモ910形と改め[8]、後年の知多鉄道の名古屋鉄道(名鉄)への吸収合併に際しては原形式・原記号番号のまま名鉄へ継承され、その後車種変更を伴う複雑な改造を経て、最終的にモ900形の形式称号が付与された[9]。
モ910形の形式称号が付与されていた当時は、名鉄に在籍する吊り掛け駆動車各形式のうち、架線電圧1,500 V線区用の間接非自動進段制御器を搭載するHL車に属した[1]。後年の改造により架線電圧600 V線区用の間接自動進段制御器を搭載するAL車となり、同時に形式称号をモ900形と改め、1978年(昭和53年)まで運用された[1]。
以下、本項においてはデハ910形として落成した車両群を「本形式」と記述する。
導入経緯
[編集]知多半島東岸地域における鉄道路線敷設を目的として、愛知電気鉄道(愛電)の資本参加により1927年(昭和2年)11月に設立された知多鉄道は[10]、1931年(昭和6年)4月に愛電常滑線(現・名鉄常滑線)の太田川より分岐して成岩に至る延長15.8 kmの路線を暫定開業した[11]。本形式はその開業に際して、1931年(昭和6年)3月にデハ910 - デハ914・デハ916 - デハ918の計8両が日本車輌製造本店において新製され、開業と同時に運用を開始した[3]。本形式は車両番号を1ではなく0から起番し、かつ末尾5を欠番としているが、これは親会社である愛電における車両番号付与基準を踏襲したことによるものである[9]。
仕様
[編集]本形式は、知多半島東岸地域の対名古屋方面への旅客輸送において知多鉄道線と競争関係となる鉄道省武豊線への対抗上[12]、当時としては近代的な半鋼製車体に、現在のグリーン車に相当する鉄道省の2等車並みのシートピッチを確保したクロスシートを備える居住性の高い車両として設計された[12]。基本設計は愛電の最新型車両であったデハ3300形に類似するが、デハ3300形が車体長18 m級であったのに対して、本形式は車体長16 m級の一回り小型の車体を採用したことから、各部に設計変更が加えられている[12]。
車体
[編集]構体主要部分を普通鋼とした車体長16,000 mm・車体幅2,630 mmの半鋼製車体を備える[2]。前後妻面に運転台を備える両運転台仕様で、妻面中央部に630 mm幅の引き扉構造の貫通扉を設置し、その左右に700 mm幅の前面窓を配した[2]。
側面窓配置はd 2 D 10 D 2 d(d:乗務員扉、D:客用扉、各数値は側窓の枚数)と愛電デハ3300形と同様であるが[2][13]、約1,600 mmの車体長の相違を吸収するため、本形式においては客用扉幅を1,000 mm(デハ3300形は1,200 mm)、側窓幅を700 mm(同710 mm)、窓間柱幅を80 mm(同100 mm)とそれぞれ縮小し、その他各部吹き寄せ寸法についても縮小した[2][13]。側窓を含む全ての開閉可能窓は上段固定・下段上昇式の二段窓構造とした[2]。側面窓下段部には2本の保護棒が設置されたが[2]、これは後年全車とも撤去されている[1]。乗務員扉は車内側から見て左側(運転台側)の扉については一般的な556 mm幅の開き扉構造としたが、同右側(車掌側)の扉については開口幅を700 mmに拡幅した引き扉構造とした[2]。これは小手荷物輸送時の便宜を考慮したもので、愛電デハ3300形より継承された設計の一つである[12]。なお、本形式は落成当初より客用扉下部の乗降用内蔵ステップを省略し、客用扉の下端部は車内床面高さと同一に揃えられた[2]。
屋根上には前後端部にパンタグラフを各1基備え、その他ガーランド形ベンチレーター(通風器)を1両あたり4基、屋根部中央に一列配置する[2]。車体塗装は愛電保有の旅客用車両における標準塗装であったマルーン1色塗りを踏襲した[12]。
車内は愛電デハ3300形と同様[13]、客用扉間の側窓8枚分に相当する箇所に左右計10脚の固定クロスシート(ボックスシート)を設け、その他の座席をロングシートとしたセミクロスシート仕様とした[2]。ボックスシート部の座席間隔は1,610 mmと愛電デハ3300形の1,650 mmより40 mm縮小されているが、前後座面長については逆に愛電デハ3300形の540 mmに対して本形式は550 mmと10 mm拡大されている[2][13]。
主要機器
[編集]主要機器については愛電保有の旅客用車両の仕様を踏襲し、制御装置はウェスティングハウス・エレクトリック (WH) 製の電空単位スイッチ式間接非自動進段制御器(HL制御器)を[3]、主電動機は同じくウェスティングハウス・エレクトリックWH-556-J6(端子電圧750 V時定格出力74.6 kW、同定格回転数985 rpm)をそれぞれ採用した[14]。駆動方式は吊り掛け式で、歯車比は3.045 (67:22) に設定された[14]。台車は愛電デハ3300形同様、日本車輌製造製のD16形鋼組立形釣り合い梁式台車を装着する[3]。制動装置はM三動弁を用いるAMM自動空気ブレーキを常用制動として使用し、手用制動を併設する[3]。
その他、集電装置は日立製作所製の大型菱形パンタグラフを採用[3]、単行運転時における冗長性確保を目的として1両あたり2基、屋根上前後端部へ1基ずつ搭載した[12]。
運用
[編集]落成から太平洋戦争前後にかけて
[編集]知多鉄道線の開通と同時に運用を開始した本形式は、線内運用のほか知多鉄道線内から愛電の神宮前へ直通運転を行う特急・急行運用に充当された[12]。1940年(昭和15年)9月当時のダイヤにおいては、1時間間隔で運行される急行は神宮前 - 知多半田間を30分で、1日1往復のみ運行される特急は同区間を27分で結び[12]、車両の快適性と速達性の両面で武豊線を上回った知多鉄道線は、半田地区における主たる公共交通手段として定着した[15]。
1935年(昭和10年)8月に知多鉄道の親会社であった愛知電気鉄道(愛電)は名岐鉄道と対等合併し、現・名古屋鉄道(名鉄)が発足した[16]。それに伴って従来愛電の傘下事業者であった知多鉄道も名鉄の傘下事業者となった[17]。その後1941年(昭和16年)1月17日付届出にて、本形式の車両記号を愛電の流儀に則った「デハ」から名鉄の流儀に則った「モ」へ変更し、同時に車両番号のゼロ起番を廃止する改番が実施された[8]。本形式は形式称号がモ910形と改められ、旧デハ910をモ915と改番、車両番号はモ911 - モ918(モ914・モ915・モ917は初代)に再編された[8]。
その後、太平洋戦争の激化に伴う戦時体制への移行により、陸上交通事業調整法を背景とした地域交通統合の時流に沿う形で[18]、1943年(昭和18年)2月に知多鉄道は名鉄へ吸収合併された[10]。本形式は合併に際して原形式・原記号番号のまま全車とも名鉄へ継承され、名鉄への継承後は車体塗装のダークグリーン1色塗り化、戦時体制下における輸送量増加を受けて混雑緩和を目的とした車内座席のオールロングシート化のほか[19]、2基搭載されたパンタグラフのうち1基を撤去する改造が全車を対象に施工された[19]。
戦後の動向
[編集]本形式は合併後も主に常滑線系統で運用され、全車とも空襲などによる戦災を免れたものの、1948年(昭和23年)8月に発生した太田川車庫火災において[20]、モ914(初代)がモ3300形3301・3304(旧愛電デハ3300形、車番はいずれも初代)とともに被災焼失した[9][20]。復旧に際しては焼損した旧車体を廃棄し、当時の最新型車両であった運輸省規格型車両の3800系と同一の車体を新製[21]、モ3750形と別形式に区分された[21]。その後1951年(昭和26年)10月にモ918をモ914(2代)へ改番し、空番を解消した[9]。
残存した7両については、1958年(昭和33年)より順次豊橋寄りの運転台を撤去する片運転台化改造が施工された[9]。初期に施工されたモ911 - モ913は運転関連機器の撤去のみに留められたが、翌1959年(昭和34年)に施工されたモ914 - モ917については運転室仕切壁の撤去も施工された[19]。同時にモ915とモ917の間で記号番号の振り替えが行われ、旧番順にモ917(2代)・モ915(2代)となった[19]。また片運転台化改造と同時に、前面窓のアルミサッシ化、両側妻面への貫通幌枠・貫通幌の設置、前面貫通扉の開き扉構造化などが施工されたが、全車共通内容で実施されたものではなかったことから各車で仕様に差異が生じ[19]、前面貫通扉が引き扉構造のまま存置された車両は前面行先表示板が貫通扉部ではなく前面向かって右側へ設置された点が特徴となった[19]。
後年の新型車導入に伴って、本形式を含む主電動機出力の低いHL車各形式は名古屋本線など幹線系統における運用から順次撤退、架線電圧1,500 V化昇圧工事が実施された支線区における運用が主となり、2 - 3両編成を組成して運用された[22]。
3700系列新製に伴う主要機器供出
[編集]木造車体のHL車を対象とした3700系(2代)への更新が1957年(昭和32年)以降順次進捗し[23]、1964年(昭和39年)以降は半鋼製車体のHL車を種車として改良型の3730系への更新が開始された[24]。
本形式も3730系への更新対象となって[24]、1964年(昭和39年)10月から翌1965年(昭和40年)2月にかけて台車や制御装置・主電動機など主要機器を供出し、代わりに木造車の廃車発生品であるブリル27-MCB-2台車を装着して制御電動車から制御車へ改造、形式称号をク2330形と改めた[25]。車両番号は旧番順にク2331 - ク2337となった[25]。
制御車となった本形式は機器供出未施工であったモ3300形などHL制御の電動車と編成を組成したが、3730系および同系列の改良型である3770系の増備に際して再び台車を供出することとなった[26]。不要となった本形式の車体は、車体長16 m級の小型車体が、規格が狭小であった架線電圧600 V線区の瀬戸線の入線条件に合致したため[26]、老朽化した木造車の代替目的で瀬戸線へ転用された[9]。
瀬戸線への転用
[編集]名鉄モ900形電車 | |
---|---|
モ900形901(2代、旧知多デハ910) | |
主要諸元 | |
電気方式 | 直流600 V(架空電車線方式) |
車両定員 | 100人(座席48人)[* 2] |
車両重量 | 34.50 t[* 1] |
台車 | ST-2 |
主電動機 | 直流直巻電動機 TDK-516-A[* 3] |
主電動機出力 |
52.2 kW (端子電圧500 V時一時間定格) |
搭載数 | 4基 / 両 |
駆動方式 | 吊り掛け駆動 |
歯車比 | 2.65 (61:23) |
制御装置 | 電動カム軸式間接自動加速制御 ES-155 |
制動装置 | SME非常直通ブレーキ |
備考 | 冒頭テンプレートとの重複事項は省略。 |
本形式の瀬戸線への転用に際しては、瀬戸線所属の木造電動車であるモ600形(初代)[28]およびモ650形[28]より主要機器を流用して再び制御電動車へ改造された[9]。
本形式は1965年(昭和40年)10月から翌1966年(昭和41年)1月にかけて順次瀬戸線の喜多山検車区へ搬入され[30]、3730系および3770系へ供出する台車などを取り外したのち、種車となる木造電動車より供出された主要機器を再整備の上で搭載した[30]。これにより、本形式は従来のHL車から種車由来の電動カム軸式間接自動進段制御器を搭載するAL車となり[30]、常用制動装置が同じく種車由来のSME三管式非常直通ブレーキとなったほか[29]、瀬戸線在籍の従来車と仕様を統一するため客用扉の手動扉化などが施工された[31](主要機器の仕様は右表参照[29])。
竣功に際しては形式称号をモ900形と改め、先行して導入されたク2331 - ク2336は旧番順にモ901 - モ906(いずれも初代)と改番された[29]。
他車に遅れて1966年(昭和41年)2月に転属したク2337についてもモ901 - モ906(いずれも初代)と同様の改造を施工の上、モ907の記号番号付与が予定されていたが[27]、同年3月のダイヤ改正において瀬戸線に特急列車の新設が決定したことを受け、ク2337を含む本形式の一部車両を特急列車用車両として整備することとなった[32]。
そのため、ク2337については制御電動車化改造に加えて、客用扉間の座席の転換クロスシート化、車内照明の蛍光灯化、車内暖房装置および放送装置の新設のほか、車内壁部をニス塗り仕上げから薄緑色のエナメル塗料塗り潰し仕様に改め、客用扉を自動扉仕様のまま存置するなど、接客設備改善工事が実施された[33]。さらに車体塗装を7000系「パノラマカー」と同一のスカーレット1色塗りとし、前面行先種別表示板もパノラマカーと同一形状のいわゆる「逆さ富士形」のものを装着、ミュージックホーンを新設するなど[9]、幹線系統の優等列車用車両と仕様を極力近付ける改良工事が施工された[9]。
上記改造が施工されたク2337は同年2月18日に竣功し、記号番号をモ901(2代)と改め[33]、同一内容の改造が施工されたク2300形(2代)2301と編成を組成した[33]。また同日付でモ901(初代)をモ907と記号番号を改め、車番の重複を回避している[33]。
次いで、モ906・モ905(いずれも初代)の順に、編成を組成したク2300形(初代)2302・2303とともにモ901(2代)と同一内容の改造が施工された[33]。竣功後の同2両は旧番の逆順にモ902・モ903(いずれも2代)と記号番号を改め[33]、同時にモ902・モ903(いずれも初代)を同じく旧番の逆順にモ906・モ905(いずれも2代)と記号番号を改めた[33]。これらの改番は、自動扉・蛍光灯照明仕様の車両を若い番号順に再編する目的で実施されたものであった[34]。
その後1966年(昭和41年)4月までに、モ904は特急予備車として客用扉の自動扉化・車内照明の蛍光灯化のほか車体塗装のスカーレット1色塗り化が[33]、モ905(2代)・モ906(2代)・モ907については客用扉の自動扉化・車内照明の蛍光灯化のみがそれぞれ施工された[33]。
また同年7月には、モ902-ク2302の編成を対象に、前面から側面にかけての窓下幕板部へ200 mm幅の白帯を追加する試験塗装が実施され[4]、のちに特急列車仕様に改装された全車に普及した[4]。
瀬戸線転属後の動向
[編集]1968年(昭和43年)3月のダイヤ改正において特急列車の増発が実施されることとなり[35]、特急予備車であったモ904のほかモ905・モ906(ともに2代)の計3両についても同年2月から3月にかけてモ901 - モ903(いずれも2代)と同一内容による特急列車仕様化改造が実施された[35][* 4]。
唯一特急列車仕様化改造の対象から外れたモ907については、1972年(昭和47年)に車体塗装のスカーレット地に白帯化、および前面行先種別表示板の「逆さ富士形」化が実施されて外観が他車と統一されたが[26]、車内座席はロングシート仕様のまま存置された[26]。その他、同時期にモ904の尾張瀬戸寄り右側の客用扉が鋼製扉に交換された[27]。
その後、1970年代半ば頃に名鉄の保有する鉄道車両の標準塗装をスカーレット1色とする方針が定められた[37]。本形式も定期検査に際して順次白帯を廃してスカーレット1色塗装に改められたが[4]、モ902-ク2302の編成のみは運用離脱まで白帯が存置された[38]。なお、主に本形式によって運行された瀬戸線の特急列車は、名鉄において「特急」の種別を特別料金を必要とする列車のみに適用するよう営業政策を改めたことに伴って[39]、1977年(昭和52年)3月のダイヤ改正に際して停車駅設定はそのままに種別が急行に変更された[39]。
退役
[編集]瀬戸線は地下新線による栄町乗り入れ工事完成に際して、架線電圧を従来の直流600 Vから幹線系統と同一の直流1,500 Vへ昇圧することとなった[40]。昇圧時には新造車両(6600系)および幹線系統からの転属車両(3770系・3780系)の導入によって在籍車両を一新し、本形式を含む瀬戸線に在籍する従来車は全て淘汰する方針が決定した[40]。
1978年(昭和53年)3月19日の架線電圧昇圧に先立って、同年3月12日にはモ903-ク2303の編成を用いて、鉄道友の会名古屋支部主催の「600 V車惜別行事」と称するさよならイベントが実施された[26]。モ903は前面窓のアルミサッシ化などが施工されておらず、最も知多デハ910形の原形を保っていたことから、「600 V車惜別行事」主催者の指名によりさよならイベントに充当された[26]。
その後、昇圧前日となる3月18日の運用を最後に、他の架線電圧600 V仕様の従来車とともに全車運用を離脱した[4]。本形式は他の架線電圧600 V路線区への転属は行われず[3][* 5]、7両全車とも同年3月20日付で一斉に除籍となり、形式消滅した[42]。
譲渡車両
[編集]廃車後、本形式は全車とも地方私鉄へ譲渡されることとなり、モ901・モ902・モ907の3両が福井鉄道へ[43]、モ903 - モ906の4両が北陸鉄道へそれぞれ譲渡された[44]。
福井鉄道向けの3両は名鉄在籍当時の仕様のまま譲渡され、北陸鉄道向けの4両については名鉄岐阜工場において両運転台仕様への復元・前面窓のHゴム固定支持化・妻面貫通扉および客用扉の鋼製扉化など各種改造を施工した上で譲渡先へ発送された[44]。
北陸鉄道への譲渡車両は1990年(平成2年)12月に全廃となった[45]。福井鉄道への譲渡車両についても1998年(平成10年)より淘汰が開始され[43]、最後まで残存した140形モハ141-2(元名鉄モ902、旧知多デハ916)が2006年(平成18年)10月をもって運用を離脱、翌2007年(平成19年)8月に解体処分され、全廃となった[46]。従って、知多鉄道デハ910形に由来する車両はいずれも現存しない[46]。
記号番号の変遷
[編集]落成時 | 改番 (知多鉄道時代に実施) |
改番 | 電装解除 | 瀬戸線転属・電動車化 (機器流用元)[28][30] |
改番 | 備考 | |
記号番号 | デハ910 | モ915 I | モ917 II | ク2337 | モ901 II (モ607・モ652) |
– | 瀬戸線転属時、当初モ907の記号番号を予定 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
デハ911 | モ911 | – | ク2331 | モ901 I (モ601) |
モ907 | ||
デハ912 | モ912 | – | ク2332 | モ902 I (モ604) |
モ906 II | ||
デハ913 | モ913 | – | ク2333 | モ903 I (モ602) |
モ905 II | ||
デハ914 | モ914 I | – | – | – | – | 1948年8月、太田川検車区火災で被災焼失 | |
デハ916 | モ916 | – | ク2336 | モ906 I (モ605・モ607) |
モ902 II | ||
デハ917 | モ917 I | モ915 II | ク2335 | モ905 I (モ603) |
モ903 II | ||
デハ918 | モ918 | モ914 II | ク2334 | モ904 (モ606) |
– |
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ ロングシート仕様車の自重は34.30 t[27]。
- ^ ロングシート仕様車の座席定員は56人[27]。
- ^ モ904 - モ907(モ904を除き2代)の主電動機はTDK-31-SN[28]。定格出力などスペックは同一[29]。
- ^ モ904と編成を組成するク2320形2324は車内座席の転換クロスシート化などモ904と同一内容による改造が施工されたが[36]、モ905・モ906(ともに2代)と編成を組成するク2320形2322・2323については車内座席がロングシート仕様のまま存置された[36]。
- ^ 昇圧に際して余剰となった従来車のうち、モ700形・モ750形およびク2320形の一部については、同じく架線電圧600 V線区である揖斐線系統へ転属した[41]。
出典
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- ^ a b c d e f g h i 『名鉄電車 昭和ノスタルジー』 p.143
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参考資料
[編集]公文書
[編集]書籍
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- 日本車両鉄道同好部 鉄道史資料保存会 編著 『日車の車輌史 図面集 - 戦前私鉄編 上』 鉄道史資料保存会 1996年6月
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- 渡辺肇・加藤久爾夫 「私鉄車両めぐり(87) 名古屋鉄道 3」 1971年3月号(通巻248号) pp.60 - 65
- 渡辺肇・加藤久爾夫 「私鉄車両めぐり(87) 名古屋鉄道 終」 1971年4月号(通巻249号) pp.54 - 65
- 藤野政明・渡辺英彦 「私鉄車両めぐり(115) 名古屋鉄道」 1979年12月臨時増刊号(通巻370号) pp.92 - 106
- 徳田耕一 「名車の軌跡 知多鉄道デハ910物語」 1979年12月臨時増刊号(通巻370号) pp.149 - 153
- 青木栄一 「名古屋鉄道のあゆみ -その路線網の形成と地域開発-」 1986年12月臨時増刊号(通巻473号) pp.65 - 81
- 白井良和 「名古屋鉄道の車両前史 現在の名鉄を構成した各社の車両」 1986年12月臨時増刊号(通巻473号) pp.166 - 176
- 白井良和 「名古屋鉄道にみる車体更新車の興味」 1992年3月号(通巻556号) pp.16 - 23
- 渡利正彦 「名鉄モ700、モ750を称え、その足跡をたどる」 1995年8月号(通巻611号) pp.108 - 113
- 山本宏之 「現有私鉄概説 北陸鉄道」 2001年5月臨時増刊号(通巻701号) pp.81 - 90
- 岸由一郎 「現有私鉄概説 福井鉄道」 2001年5月臨時増刊号(通巻701号) pp.98 - 106
- 吉川文夫 「瀬戸線 大変革の頃」 2006年1月臨時増刊号(通巻771号) pp.84 - 85
- 鶴田裕・長谷川明・小林武 「名鉄電車 Nostalgic color」 2009年3月臨時増刊号(通巻816号) pp.176 - 177