コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「吉田勝己」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
 
(40人の利用者による、間の100版が非表示)
1行目: 1行目:
{{Infobox 人物
[[ファイル:Katsumi-Yoshida20110213.jpg|alt=吉田勝已|吉田勝已|260px|thumb]]
|氏名 = 吉田 勝已
'''吉田 勝已'''(よしだ かつみ、[[1948年]](昭和23年)[[11月23日]] - )は[[日本]]の[[競走馬]]生産者。[[ノーザンファーム]]代表、[[ノーザンホースパーク]]代表取締役社長、[[社台スタリオンステーション]](有限会社社台コーポレーション)代表取締役を務める。[[馬主]]でもある。
|ふりがな = よしだ かつみ
|画像 = [[File:Katsumi Yoshida 2024 Japanese Derby.jpg|260px]]
|画像サイズ =
|画像説明 = [[第91回東京優駿]](日本ダービー)パドック<br />(2024年5月26日)
|出生名 =
|生年月日 = {{生年月日と年齢|1948|11|23}}
|生誕地 = {{JPN}} [[千葉県]]
|住居 =
|国籍 = <!-- {{JPN}} -->
|別名 =
|民族 =
|出身校 =
|職業 = [[実業家]]<br />[[競走馬]][[生産者]]<br />[[馬主]]
|活動期間 =
|給料 =
|純資産 =
|身長 =
|体重 =
|肩書き = [[ノーザンファーム]]代表<br />[[ノーザンホースパーク]]代表取締役社長<br />[[社台スタリオンステーション]](有限会社社台コーポレーション)代表取締役<br/>北海道乗馬連盟会長
|任期 =
|配偶者 = [[吉田和美|吉田 和美]]
|子供 = [[吉田俊介|吉田 俊介]](長男)
|親 = [[吉田善哉|吉田 善哉]](父)<br />[[吉田和子 (社台グループ)|吉田 和子]](母)
|親戚 = [[吉田照哉|吉田 照哉]](兄)<br />[[吉田晴哉|吉田 晴哉]](弟)
|家族 =
|受賞 =
|栄誉 =
|署名 =
|署名サイズ =
|補足 =
}}
'''吉田 勝已'''(よしだ かつみ、[[1948年]](昭和23年)[[11月23日]] - )は、[[日本]]の[[実業家]]。日本を代表する[[競走馬]]生産[[牧場]]として知られる[[ノーザンファーム]]の代表及び北海道乗馬連盟会長を務める。


== 人物 ==
== 経歴 ==
1948年11月23日、当時[[社台牧場]]千葉富里分場の経営者であった[[吉田善哉]]の次男として生まれる。1歳上の兄に[[吉田照哉|照哉]]<ref group="注">後に[[社台ファーム]]代表。</ref>、3歳下の弟に[[吉田晴哉|晴哉]]<ref group="注">後に[[社台レースホース]]、[[追分ファーム]]代表。</ref>がいる。出生当日に[[天皇賞(秋)]]を制した[[カツフジ]]にあやかり「勝哉」と名づけられるはずであったが、出生当時に限り「哉」が[[人名用漢字]]と認められていなかったことから<ref group="注">勝己が生まれた年の1948年(昭和23年)1月1日の[[戸籍法]]改正により、出生した子供の人名に使える漢字は「[[当用漢字表]]に掲げる漢字」に限定されることとなり、「哉」の字はこれに含まれていなかった。晴哉が生まれる2日前の1951年(昭和26年)5月25日に、新たに人名に使える漢字として「[[人名用漢字]]別表」が指定され、これにより「哉」の字が使えるようになった。</ref>、勝已と名づけられた<ref>木村(1998)p.18</ref>。幼少より馬に親しみ、小学校4年次に母と兄弟が[[東京都]][[港区 (東京都)|港区]]に購入した家に移ったのちも、勝已だけは善哉の勧めで牧場に残り、雑用を手伝っていた<ref>木村(1998)p.20</ref>。小学校卒業後は東京に移り、[[青山学院中等部・高等部|青山学院中等部]]、[[慶應義塾高等学校]]を経て[[慶應義塾大学]]商学部に進学<ref name="kimura">木村(1998)p.22</ref>。高校、大学では[[馬術]]に没頭し<ref name="yoshikawa">吉川(1999)p.208</ref>、また、その活動を通じて妻となる和美とも知り合った<ref name="kimura" />。
[[北海道]]出身。[[社台グループ]]創始者[[吉田善哉]]の次男。本当は勝哉と名づけられるはずであったが、出生当時に「哉」の漢字が人名に使われないようになっていたため、勝已と名づけられた。[[慶應義塾大学]]商学部卒業。


大学4年次の末から、照哉が管理を任されていたイギリスのリッジウッド・スタッドを手伝いに入ったが、遊蕩し2カ月で日本に帰され、以後は善哉が[[北海道]][[早来町]]に新設する社台ファーム早来(後のノーザンファーム)の建設作業に2年間従事した<ref name="yoshikawa" />。その完成後は場長を任され、[[アンバーシャダイ]]が1981年に[[有馬記念]]を制したのを皮切りに、数々の[[八大競走]]、[[競馬の競走格付け|GI級競走]]優勝馬を生み出した。
代表を務めるノーザンファームは日本屈指の大牧場で、優秀な[[繁殖牝馬]]を多数所有する。生産馬が2004年の[[キングカメハメハ]]による[[東京優駿|日本ダービー]]から2005年の[[ディープインパクト (競走馬)|ディープインパクト]]による[[菊花賞]]に至るまでの[[中央競馬クラシック三冠|クラシック]]7連勝を成し遂げた。


他方、[[白老ファーム|社台ファーム白老]]の生産馬でGI競走2勝を挙げた[[サッカーボーイ]]の引退に際しては、[[種牡馬]]としての繋養場所を巡って善哉と対立した。輸入種牡馬の優越を主張する善哉に対し、勝己は同馬の優れたスピードは輸入馬に劣らず、社台で繋養すべきだと説き、これを認めさせた<ref name="dokuhon">『競馬種牡馬読本2』p.71</ref>。この出来事について勝己は後年「兄貴<small>''(照哉)''</small>は若い時から海外へ行って、アメリカの競馬や生産も目の当たりにしてきた。私の学生時代は馬術に熱中していて、関東学生選手権で優勝したり、インカレで2位になったり。競馬や生産にしても、基本的には日本でしか見ていませんでしたから、内国産種牡馬に対しての思い入れはあったかもしれません」と語っている<ref name="yushun">『優駿』2007年3月号、p.44</ref>。
趣味は[[乗馬]]。

1989年には妻・和美とともに乗馬文化普及をテーマとした公園・[[ノーザンホースパーク]]を創業した<ref>吉川(1999)pp.379-380</ref>。これは従業員の乗馬技術の向上や<ref name="yushun" />、生産馬が余生を送る場所の設置という目的もあった<ref name="dokuhon" />。自身も北海道乗馬連盟会長を務め、北海道の馬術競技振興に尽力している<ref>{{Cite web |url=https://www.doubaren.com/outline.html |title= 組織役員|website= 連盟概要|publisher= 北海道乗馬連盟|language=ja |date= |accessdate=2024-08-26}}</ref>。

1993年8月に善哉が死去すると、照哉が場長を務める社台ファーム千歳、勝己の社台ファーム早来、そして社台ファーム白老は、それぞれ[[社台ファーム]]、ノーザンファーム、白老ファームに分社化され、独立した牧場となった。

1999年、ノーザンファームは[[東京優駿|東京優駿(日本ダービー)]]に優勝した[[アドマイヤベガ]]らの活躍で初めてリーディングブリーダー(生産馬の獲得賞金額首位)となり<ref>『優駿』2000年2月号、p.153</ref>、以降も社台ファームと首位の座を争い続けている。両牧場のライバル関係について勝己は「スタッフの間ではお互いをライバルだと思って気合いが入っている人も多いでしょう。それはそれでいいことですが、兄弟の間では意識していませんね」と述べている<ref name="yushun" />。

2005年には[[ディープインパクト (競走馬)|ディープインパクト]]が[[中央競馬]]史上6頭目の[[中央競馬クラシック三冠|クラシック三冠]]を達成、最終的には[[シンボリルドルフ]]以来の「七冠馬」となり、2008年に[[社台グループ]]の生産馬として初めて中央競馬の[[JRA顕彰馬|殿堂入り]]を果たした。


== 親族 ==
== 親族 ==
[[ファイル:Kazumi-Yoshida20110410.jpg|alt=妻の吉田和美|妻の吉田和美|120px|thumb]]
[[ファイル:Kazumi-Yoshida20110410.jpg|alt=妻の吉田和美|妻の吉田和美|200px|thumb]]
* [[吉田善太郎]](曾祖父・北海道開拓功労者)
兄に[[社台ファーム]]代表および[[社台スタリオンステーション]]代表取締役[[吉田照哉]]、弟に[[追分ファーム]]代表および社台スタリオンステーション専務取締役[[吉田晴哉]]がいる。母の[[吉田和子 (社台グループ)|吉田和子]]、妻でノーザンホースパーク取締役の吉田和美も馬主。[[ノーザンファーム空港牧場]]場長[[吉田俊介]](2008年から有限会社[[サンデーレーシング]]〈事務所・[[東京都]][[港区 (東京都)|港区]]〉の代表取締役を務めている)は長男。{{要出典範囲|長女の吉田真知子はジム・オドネル著『ジョンがポールと出会った日』の訳者である。|date=2012年5月}}
* 吉田善助(祖父・社台牧場創業者)
* [[吉田善哉]](父・社台グループ創業者)
* [[吉田和子 (社台グループ)|吉田和子]](母・馬主)
* 吉田和美(妻・馬主)
* [[吉田俊介]](長男・[[サンデーレーシング]]代表)
* [[吉田照哉]](兄・社台ファーム代表)
* 吉田千津(義姉・馬主)
** [[吉田哲哉]](甥・[[社台レースホース]]代表<ref name="#1">[https://gunosy.com/articles/aaFO9 社台G3代目のお値打ち良血馬戦略]グノシー、2015年11月24日閲覧</ref>)
* [[吉田晴哉]](弟・[[追分ファーム]]代表)
* 吉田安恵(義妹・馬主)
** [[吉田正志]](甥・[[G1レーシング]]代表<ref name="#1"/>)
* [[米本昌史]](娘婿・[[シルクレーシング]]代表)


== おも所有馬 ==
== 生産馬 ==
{{main|ノーザンファーム}}
=== 吉田勝已名義 ===
[[JRA顕彰馬]]となったものに[[ディープインパクト (競走馬)|ディープインパクト]]、[[ジェンティルドンナ]]、[[アーモンドアイ]]、[[JRA賞|JRA年度代表馬]]となったものに[[エアグルーヴ]]<ref group="注">社台ファーム早来生産馬。</ref>、[[ジャングルポケット (競走馬)|ジャングルポケット]]、ディープインパクト、[[アドマイヤムーン]]、[[ブエナビスタ (競走馬)|ブエナビスタ]]、ジェンティルドンナ、アーモンドアイ、[[リスグラシュー]]、[[エフフォーリア]]、[[イクイノックス]]がいる。
*[[スカーレットブーケ]]([[クイーンカップ]]、[[中山牝馬ステークス]])

*[[ダンスパートナー]]([[優駿牝馬]]、[[エリザベス女王杯]])
== 主な所有馬 ==
*[[フラワーパーク]]([[スプリンターズステークス]]、[[高松宮記念 (競馬)|高松宮杯]])
=== 吉田勝己名義 ===
*[[サンバレンティン]]([[福島記念]]、[[七夕賞]])
[[ファイル:Mousquetaire(JPN) 20130323nakayamarc.jpg|thumb|勝己の[[勝負服]]色|250px]]
*[[ムスカテール]]([[目黒記念]])
{{See also|社台グループオーナーズ|LEX PRO}}
*[[ジャングルポケット]](取得後は未勝利)
吉田勝己名義の競走馬は大半が[[社台グループオーナーズ]]の所属馬であるが、[[LEX PRO]]の所属馬([[ゴールドドリーム]]など)や他馬主から中途購入した個人所有馬も含まれる。
*[[ベッラレイア]](取得後は未勝利)

'''GI競走優勝馬'''
* [[ダンスパートナー]](1995年[[優駿牝馬]]、1996年[[エリザベス女王杯]]など重賞3勝)
* [[フラワーパーク]](1996年[[高松宮記念 (競馬)|高松宮杯]]、[[スプリンターズステークス]]など重賞3勝)
* [[ゴールドドリーム]](2017年[[フェブラリーステークス]]、[[チャンピオンズカップ (中央競馬)|チャンピオンズカップ]]、2018年・2019年[[かしわ記念]]、2018年[[帝王賞]]など重賞6勝<ref>[http://db.netkeiba.com/horse/2013106119/ ゴールドドリーム]netkeiba.com、2017年2月19日閲覧</ref>)
* [[ステレンボッシュ (競走馬)|ステレンボッシュ]](2024年[[桜花賞]])

'''その他重賞競走優勝馬'''
* [[スカーレットブーケ]](1990年[[札幌2歳ステークス|札幌3歳ステークス]]、1991年[[クイーンカップ]]、1992年[[京都牝馬ステークス|京都牝馬特別]]、[[中山牝馬ステークス]])
* メローフルーツ(1993年札幌3歳ステークス)
* エクセレンスロビン(1993年[[新潟2歳ステークス|新潟3歳ステークス]])
* [[エリザベスローズ]](1993年[[セントウルステークス]])
* マックロウ(2001年[[京都記念]])
* デモリションマン(2004年[[新潟ジャンプステークス]])
* [[サンバレンティン]](2006年[[福島記念]]、2007年[[七夕賞]])
* [[ポップロック (競走馬)|ポップロック]](2007年[[目黒記念]])
* [[セイクリッドバレー]](2011年[[新潟大賞典]])
* クリーバレン(2011年新潟ジャンプステークス)
* [[エピセアローム]](2011年[[小倉2歳ステークス]]、2012年セントウルステークス)
* [[ムスカテール]](2013年目黒記念)
* [[ミトラ (競走馬)|ミトラ]](2014年[[福島記念]]、2015年[[金鯱賞]])
* [[テトラドラクマ (競走馬)|テトラドラクマ]](2018年クイーンカップ)
* [[メドウラーク]](2018年[[七夕賞]]、2019年[[阪神ジャンプステークス]])
* [[アウィルアウェイ]](2020年[[シルクロードステークス]])
* [[オールアットワンス (競走馬)|オールアットワンス]](2021年・2023年[[アイビスサマーダッシュ]])
* [[アイスジャイアント (競走馬)|アイスジャイアント]](2021年[[JBC2歳優駿]])
*シャバーサナ/Shavasana(2023年オークスイタリアーノ<ref>{{Cite web|和書|title=吉田勝己氏が所有のシャバーサナ、伊オークス逃げ切りで二冠達成 {{!}} JRA-VAN World - 海外競馬情報サイト |url=https://world.jra-van.jp/news/N0013042/ |website=JRA-VAN Ver.World - 海外競馬 |access-date=2023-06-15 |language=ja}}</ref>)
* [[ヴィブラフォン (競走馬)|ヴィブラフォン]](2023年[[神奈川記念]])<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0001309879/|title=ヴィブラフォン|work=JBISサーチ|publisher=公益財団法人[[日本軽種馬協会]]|accessdate=2023-12-14}}</ref>
* [[スマイルスルー]](2024年[[京都ジャンプステークス]])
'''その他の馬'''
* [[ジャングルポケット (競走馬)|ジャングルポケット]](取得後は未勝利)
* [[ベッラレイア]](取得後は未勝利)


=== 吉田和美名義 ===
=== 吉田和美名義 ===
[[ファイル:Suni horse20111228.jpg|thumb|和美の勝負服色|250px]]
*[[ジャリスコライト]]([[京成杯]])
吉田和美名義の所有馬は[[外国産馬]]、セールで[[ノーザンファーム]]が購入した他牧場生産馬が多数を占める。その他、健康面などの諸事情によりクラブでの募集やセールへの上場が叶わなかったノーザンファーム生産馬も含まれる。
*[[キンシャサノキセキ]]([[高松宮記念 (競馬)|高松宮記念]]、[[スワンステークス]]、[[阪神カップ]]、[[函館スプリントステークス]]、[[オーシャンステークス]])
*[[ロックドゥカンブ]]([[ラジオNIKKEI賞]]、[[セントライト記念]])
*[[スーニ (競走馬)|スーニ]]([[全日本2歳優駿]]、[[JBCスプリント]]2勝、[[東京盃]]、[[兵庫ジュニアグランプリ]]、[[黒船賞]]、[[東京スプリント]])
*[[テスタマッタ]]([[ジャパンダートダービー]]、[[マーチステークス]]、[[フェブラリーステークス]])
*[[ジャガーメイル]]([[天皇賞]](春))
*[[マーティンボロ]]([[中日新聞杯]])


==== GI級競走優勝馬 ====
==出典==
* [[スーニ (競走馬)|スーニ]](2008年[[全日本2歳優駿]]、2009年・2011年[[JBCスプリント]]など重賞9勝)
*東京商工リサーチ経営者情報
* [[テスタマッタ]](2009年[[ジャパンダートダービー]] 2012年[[フェブラリーステークス]]など重賞4勝)
* [[キンシャサノキセキ]](2010年・2011年高松宮記念など重賞7勝)
* [[ジャガーメイル]](2010年[[天皇賞・春]])
* [[モーリス (競走馬)|モーリス]](2015年[[安田記念]]、[[マイルチャンピオンシップ]]<ref>{{Cite web|和書|date=|url=https://www.jra.go.jp/datafile/seiseki/g1/mile/result/mile2015.html|title=第32回 マイルチャンピオンシップ|publisher=JRA|accessdate=2015-11-22}}</ref>)

==== その他重賞競走優勝馬 ====
* [[ジャリスコライト]](2006年[[京成杯]])
* [[ロックドゥカンブ]](2007年[[ラジオNIKKEI賞]]、[[セントライト記念]])
* [[マーティンボロ]](2014年[[中日新聞杯]]、[[新潟記念]])
* [[エスメラルディーナ]](2014年[[関東オークス]]、2015年トゥクソムカップ)
* [[アルビアーノ (競走馬)|アルビアーノ]](2015年[[フラワーカップ]]、[[スワンステークス]])<ref>[http://www.jbis.or.jp/race/result/20150321/106/11/ 2015年レース結果] - JBIS 2015年3月23日閲覧</ref>
* [[メラグラーナ]](2017年[[オーシャンステークス]])
* [[ラーゴブルー]](2019年[[マリーンカップ]])
* [[フィアーノロマーノ]](2019年[[ダービー卿チャレンジトロフィー]]、2020年[[京阪杯]])
* [[グロリアムンディ]](2023年[[ダイオライト記念]]、[[平安ステークス]])<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0001269870/|title=グロリアムンディ|work=JBISサーチ|publisher=公益財団法人[[日本軽種馬協会]]|accessdate=2023-05-20}}</ref>
* [[パライバトルマリン]](2023年関東オークス)<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0001364952/|title=パライバトルマリン|work=JBISサーチ|publisher=公益財団法人[[日本軽種馬協会]]|accessdate=2023-06-14}}</ref>
* [[ビザンチンドリーム]](2024年[[きさらぎ賞]])

== 脚注・出典 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Reflist|group=注}}

=== 出典 ===
{{Reflist|3}}

== 参考文献 ==
* 木村幸治『名馬牧場物語』(洋泉社、1998年)ISBN 978-4896913194
* [[吉川良]]『血と知と地 - 馬・吉田善哉・社台』(ミデアム出版社、1999年)ISBN 978-4944001590
*『競馬種牡馬読本2』(宝島社、1997年)ISBN 978-4796693400
** 後藤正俊「ガンコな善哉氏も負けた! サッカーボーイに賭けた吉田勝己氏の心意気」
*『優駿』2007年3月号(日本中央競馬会)
** 後藤正俊「優駿ロングインタビュー 吉田勝己 - 極めよメイド・イン・ジャパン」


==関連項目==
==関連項目==
*[[社台グループ]]
* [[社台グループ]]


==外部リンク==
==外部リンク==
*[http://www.northernfarm.jp/cgi-bin/index02.cgi ノーザンファーム]
* [http://www.northernfarm.jp/ ノーザンファーム]
{{社台グループ}}

{{デフォルトソート:よした かつみ}}
{{keiba-stub}}
{{DEFAULTSORT:よした かつみ}}
[[Category:社台グループの人物]]
[[Category:社台グループの人物]]
[[Category:馬主]]
[[Category:馬主]]
[[Category:競走馬生産者]]
[[Category:競走馬生産者]]
[[Category:日本の実業家]]
[[Category:20世紀日本の実業家]]
[[Category:1948年生]]
[[Category:21世紀日本の実業家]]
[[Category:日本の馬術選手]]
[[Category:青山学院中等部・高等部出身の人物]]
[[Category:慶應義塾高等学校出身の人物]]
[[Category:慶應義塾大学出身の人物]]
[[Category:北海道出身の人物]]
[[Category:北海道出身の人物]]
[[Category:1948年生]]
[[Category:存命人物]]
[[Category:存命人物]]

2024年11月29日 (金) 02:58時点における最新版

よしだ かつみ

吉田 勝已
第91回東京優駿(日本ダービー)パドック
(2024年5月26日)
生誕 (1948-11-23) 1948年11月23日(76歳)
日本の旗 日本 千葉県
職業 実業家
競走馬生産者
馬主
肩書き ノーザンファーム代表
ノーザンホースパーク代表取締役社長
社台スタリオンステーション(有限会社社台コーポレーション)代表取締役
北海道乗馬連盟会長
配偶者 吉田 和美
子供 吉田 俊介(長男)
吉田 善哉(父)
吉田 和子(母)
親戚 吉田 照哉(兄)
吉田 晴哉(弟)
テンプレートを表示

吉田 勝已(よしだ かつみ、1948年(昭和23年)11月23日 - )は、日本実業家。日本を代表する競走馬生産牧場として知られるノーザンファームの代表及び北海道乗馬連盟会長を務める。

経歴

[編集]

1948年11月23日、当時社台牧場千葉富里分場の経営者であった吉田善哉の次男として生まれる。1歳上の兄に照哉[注 1]、3歳下の弟に晴哉[注 2]がいる。出生当日に天皇賞(秋)を制したカツフジにあやかり「勝哉」と名づけられるはずであったが、出生当時に限り「哉」が人名用漢字と認められていなかったことから[注 3]、勝已と名づけられた[1]。幼少より馬に親しみ、小学校4年次に母と兄弟が東京都港区に購入した家に移ったのちも、勝已だけは善哉の勧めで牧場に残り、雑用を手伝っていた[2]。小学校卒業後は東京に移り、青山学院中等部慶應義塾高等学校を経て慶應義塾大学商学部に進学[3]。高校、大学では馬術に没頭し[4]、また、その活動を通じて妻となる和美とも知り合った[3]

大学4年次の末から、照哉が管理を任されていたイギリスのリッジウッド・スタッドを手伝いに入ったが、遊蕩し2カ月で日本に帰され、以後は善哉が北海道早来町に新設する社台ファーム早来(後のノーザンファーム)の建設作業に2年間従事した[4]。その完成後は場長を任され、アンバーシャダイが1981年に有馬記念を制したのを皮切りに、数々の八大競走GI級競走優勝馬を生み出した。

他方、社台ファーム白老の生産馬でGI競走2勝を挙げたサッカーボーイの引退に際しては、種牡馬としての繋養場所を巡って善哉と対立した。輸入種牡馬の優越を主張する善哉に対し、勝己は同馬の優れたスピードは輸入馬に劣らず、社台で繋養すべきだと説き、これを認めさせた[5]。この出来事について勝己は後年「兄貴(照哉)は若い時から海外へ行って、アメリカの競馬や生産も目の当たりにしてきた。私の学生時代は馬術に熱中していて、関東学生選手権で優勝したり、インカレで2位になったり。競馬や生産にしても、基本的には日本でしか見ていませんでしたから、内国産種牡馬に対しての思い入れはあったかもしれません」と語っている[6]

1989年には妻・和美とともに乗馬文化普及をテーマとした公園・ノーザンホースパークを創業した[7]。これは従業員の乗馬技術の向上や[6]、生産馬が余生を送る場所の設置という目的もあった[5]。自身も北海道乗馬連盟会長を務め、北海道の馬術競技振興に尽力している[8]

1993年8月に善哉が死去すると、照哉が場長を務める社台ファーム千歳、勝己の社台ファーム早来、そして社台ファーム白老は、それぞれ社台ファーム、ノーザンファーム、白老ファームに分社化され、独立した牧場となった。

1999年、ノーザンファームは東京優駿(日本ダービー)に優勝したアドマイヤベガらの活躍で初めてリーディングブリーダー(生産馬の獲得賞金額首位)となり[9]、以降も社台ファームと首位の座を争い続けている。両牧場のライバル関係について勝己は「スタッフの間ではお互いをライバルだと思って気合いが入っている人も多いでしょう。それはそれでいいことですが、兄弟の間では意識していませんね」と述べている[6]

2005年にはディープインパクト中央競馬史上6頭目のクラシック三冠を達成、最終的にはシンボリルドルフ以来の「七冠馬」となり、2008年に社台グループの生産馬として初めて中央競馬の殿堂入りを果たした。

親族

[編集]
妻の吉田和美
妻の吉田和美

主な生産馬

[編集]

JRA顕彰馬となったものにディープインパクトジェンティルドンナアーモンドアイJRA年度代表馬となったものにエアグルーヴ[注 4]ジャングルポケット、ディープインパクト、アドマイヤムーンブエナビスタ、ジェンティルドンナ、アーモンドアイ、リスグラシューエフフォーリアイクイノックスがいる。

主な所有馬

[編集]

吉田勝己名義

[編集]
勝己の勝負服

吉田勝己名義の競走馬は大半が社台グループオーナーズの所属馬であるが、LEX PROの所属馬(ゴールドドリームなど)や他馬主から中途購入した個人所有馬も含まれる。

GI競走優勝馬

その他重賞競走優勝馬

その他の馬

吉田和美名義

[編集]
和美の勝負服色

吉田和美名義の所有馬は外国産馬、セールでノーザンファームが購入した他牧場生産馬が多数を占める。その他、健康面などの諸事情によりクラブでの募集やセールへの上場が叶わなかったノーザンファーム生産馬も含まれる。

GI級競走優勝馬

[編集]

その他重賞競走優勝馬

[編集]

脚注・出典

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ 後に社台ファーム代表。
  2. ^ 後に社台レースホース追分ファーム代表。
  3. ^ 勝己が生まれた年の1948年(昭和23年)1月1日の戸籍法改正により、出生した子供の人名に使える漢字は「当用漢字表に掲げる漢字」に限定されることとなり、「哉」の字はこれに含まれていなかった。晴哉が生まれる2日前の1951年(昭和26年)5月25日に、新たに人名に使える漢字として「人名用漢字別表」が指定され、これにより「哉」の字が使えるようになった。
  4. ^ 社台ファーム早来生産馬。

出典

[編集]
  1. ^ 木村(1998)p.18
  2. ^ 木村(1998)p.20
  3. ^ a b 木村(1998)p.22
  4. ^ a b 吉川(1999)p.208
  5. ^ a b 『競馬種牡馬読本2』p.71
  6. ^ a b c 『優駿』2007年3月号、p.44
  7. ^ 吉川(1999)pp.379-380
  8. ^ 組織役員”. 連盟概要. 北海道乗馬連盟. 2024年8月26日閲覧。
  9. ^ 『優駿』2000年2月号、p.153
  10. ^ a b 社台G3代目のお値打ち良血馬戦略グノシー、2015年11月24日閲覧
  11. ^ ゴールドドリームnetkeiba.com、2017年2月19日閲覧
  12. ^ 吉田勝己氏が所有のシャバーサナ、伊オークス逃げ切りで二冠達成 | JRA-VAN World - 海外競馬情報サイト”. JRA-VAN Ver.World - 海外競馬. 2023年6月15日閲覧。
  13. ^ ヴィブラフォン”. JBISサーチ. 公益財団法人日本軽種馬協会. 2023年12月14日閲覧。
  14. ^ 第32回 マイルチャンピオンシップ”. JRA. 2015年11月22日閲覧。
  15. ^ 2015年レース結果 - JBIS 2015年3月23日閲覧
  16. ^ グロリアムンディ”. JBISサーチ. 公益財団法人日本軽種馬協会. 2023年5月20日閲覧。
  17. ^ パライバトルマリン”. JBISサーチ. 公益財団法人日本軽種馬協会. 2023年6月14日閲覧。

参考文献

[編集]
  • 木村幸治『名馬牧場物語』(洋泉社、1998年)ISBN 978-4896913194
  • 吉川良『血と知と地 - 馬・吉田善哉・社台』(ミデアム出版社、1999年)ISBN 978-4944001590
  • 『競馬種牡馬読本2』(宝島社、1997年)ISBN 978-4796693400
    • 後藤正俊「ガンコな善哉氏も負けた! サッカーボーイに賭けた吉田勝己氏の心意気」
  • 『優駿』2007年3月号(日本中央競馬会)
    • 後藤正俊「優駿ロングインタビュー 吉田勝己 - 極めよメイド・イン・ジャパン」

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]