「中央線快速」の版間の差分
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2008年10月8日 (水) 09:05時点における版
中央快速線(ちゅうおうかいそくせん)は、東日本旅客鉄道(JR東日本)管内である中央本線の御茶ノ水駅から三鷹駅間の複々線区間における優等列車用の線路の通称(正式名称は中央急行線であり本来は中央快速線は間違った呼び方である)、およびこの区間を含む東京駅から高尾駅までの快速系電車の運転系統の案内上の呼称である。
名称について
路線名としては、東京駅 - 神田駅間は東北本線、代々木駅 - 新宿駅間は山手線に属し、その他の区間は中央本線である。国鉄時代はこれらの2区間が二重籍であったが、民営化後に変更された。なお、マルスのシステム上の経路表示においては「中央東線」と呼び、区間は「東京 - 神田 - お茶の水 - 代々木 - 新宿 - 韮崎 - 」となっており、東京 - 神田間が「東北線」と重複し、「山手線」の代々木 - 新宿間は分断されている。
当該区間のうち、御茶ノ水駅 - 中野駅間は東京の国鉄の中で早くに複々線化されたことや、山手線内で複々線の両方に旅客列車が走行し急行運転を行ってきたことから、現在、快速電車や長距離列車などが走る本線は正式には「中央本線(急行線)」と呼ばれる。これは駅構内の出発信号機などの表示などで用いられている。
かつて現在の快速電車は急行電車と称していた。しかし、松本・甲府方面の準急が急行列車(有料)に格上げされ、中央線では有料の急行列車と無料の急行電車が存在することから、混乱を避けるため、無料急行電車を快速電車と改称することとした。
本項の名称として用いている「中央快速線」は、案内上で上記の無料急行電車を改称した「中央線快速電車」などと用いられているものと、東京圏で行われた通勤五方面作戦における緩急分離による急行線の呼び名で「快速線」と称したことから、それに倣う形となっている。
概要
基本的な運行系統としては主に東京駅 - 高尾駅間を運行するが、一部は大月駅や青梅線青梅駅(上りのみ奥多摩駅発の設定あり)、五日市線武蔵五日市駅(青梅線経由)、八高線高麗川駅(同)、富士急行線河口湖駅まで運行される。
中央本線の沿革の兼ね合いや運行系統のため、東京圏で単に「中央線」と言う場合には、中央快速線を走る電車(オレンジ色の電車)を指す場合が多い。この運転系統の駅構内での案内方法は、高尾駅 - 武蔵境駅間(複線)と神田駅 - 東京駅間では「中央線」、三鷹駅 - 御茶ノ水駅間(複々線)では「中央線(快速)」と案内される。ラインカラーは201系の車体色およびE233系の帯色である■オレンジバーミリオン(国鉄朱色1号)である。なお、中央快速線に限らず、JR東日本の東京近郊区間では「車体の色=(運転系統としての)路線色」を徹底している。
京阪神間の東海道・山陽本線の複々線区間(京阪神緩行線も参照されたい)には、中間のターミナル駅などに渡り線が設置され、柔軟な運用を行っているが、一方、中央快速線は貨客分離を優先とした大改修を行った上で旅客化されていることや、改修に際して渡り線を複々線区間の出入口に当たる地点にのみ設けた関係で、各駅停車以外は快速も特急もすべてこの路線で運行されている。そのため、特急の通過待ちをしている快速が緩行線の電車(各駅停車)に追い抜かれるダイヤがある。
日本の鉄道の割には定時性はあまり良くない。ラッシュ時に5 - 6分程度の遅れが頻繁に発生するので、終日定時運行するのは1か月で1日あるかないかである。これは乗客の多さと、1時間に最大30本という超過密ダイヤが主な原因である。2分に1本のペースは、10両編成での高速鉄道運行の限界である。他にも、人身事故の多さや、30分に1本走る特急や特別快速、通勤ライナーなど多種多様な列車種別があること、青梅線などの支線が多く運行形態が複雑などといった理由もある。他の東京近郊路線が15両編成で運転できるのに対して、中央快速線では最大10両編成と輸送力が低いため、混雑緩和が難しい。
また、中央快速線は他の都心から郊外に延びる路線と比較すると朝の下り線と夕方の上り線の混雑が激しい。これは、前述した編成両数の問題に加えて、沿線に大学が多数あり、学生の利用客が多いためである。
沿線風景
東京 - 新宿
東京駅の中央快速線ホームは、1995年7月2日に完成した3重層構造高架線の最上部にある(それ以前は現在の3・4番線にあった)。東海道・東北・上越の各新幹線のホームを真下に見渡すことも、赤レンガ駅舎を真横に見ることもできるホームは、非常に近代的な構造となっている。
東京駅を発車すると、左手に大手町の高層ビル街を見ながら近代的な高架線を下っていき、一層下の山手線・京浜東北線とフラットレベルになると首都高速八重洲線(地下)と交差、日本橋川と直上の首都高速都心環状線を潜り渡り神田駅に到着する。
高尾寄りで国道17号(中央通り)を跨ぐ。この付近は中小ビルが連なる中で商店も多く軒を連ねている。間もなく緩やかに左へカーブし山手線・京浜東北線から分かれる。間もなく交通博物館および万世橋駅・昌平橋駅の跡地が見えると右手から神田川が近付く。間もなく中央・総武緩行線のアーチ橋が見え、中央・総武緩行線が33‰の急勾配を一気に駆け下り合流し聖橋を潜ると御茶ノ水駅に到着する。同駅は神田川を通すため武蔵野台地を削った谷にあり、都心部とは思えない崖に引っかかっているような駅となっている。駅周辺は日本最大の学生街であり、日本大学や明治大学など多くの教育施設がある。
御茶ノ水駅から複々線区間に入る。右へ左へとカーブを切りながら方向別複々線から路線別複々線となり、左手から崖がなくなると水道橋駅に到着する。駅北側に東京ドームシティがあり、東京ドームでの巨人戦やイベント開催時には大変混雑する。
水道橋駅を発車して間もなく首都高速5号池袋線を潜り、神田川と別れ、左手に日本貨物鉄道(JR貨物)の本社ビルが見えてくる。ここはかつての飯田町駅の跡地である。甲武鉄道のターミナルとして開業し、近年は紙の物流基地として栄えた飯田町駅だが、開発の進んだ現在はほとんどその面影がない。間もなく飯田橋駅に到着する。この駅は急カーブ上にあり、南西へ向きを変える。駅西側の神楽坂はかつて花街として栄え、東京都道・埼玉県道25号飯田橋石神井新座線(早稲田通り)沿いの商店街には瀬戸物屋や和菓子屋など老舗店舗が立ち並んでいたが、近年はチェーン店やコンビニエンスストアなどに押されてしまい、急速に減少している。商店街から路地に入るとそこは閑静な住宅街であり、その中にレストランや料亭などが立ち並ぶ。
飯田橋駅を発車すると見えてくるのは旧江戸城の外堀となる。お堀の堤には青々と草が生え、桜の木も多くさながら都会のオアシスのようである。市ケ谷駅下の外堀には釣り堀があり、毎日のように釣り人で賑わっている。
市ケ谷駅を発車すると並行していた外堀が消え、左へカーブし南を向くと四ツ谷駅に到着し、国道20号(新宿通り)と東京地下鉄丸ノ内線を潜る。高尾寄りがカーブ上にあり、再び南西を向く。
四ツ谷駅を発車すると間もなく御所トンネルを抜ける。このトンネルは赤坂離宮(現・赤坂迎賓館)を潜るため、離宮内の土を開削しトンネルを建設した後再び廃土を埋め戻す、地下鉄の開削工法のような手間のかかる工事が行われた。御所トンネルを抜けると新宿区に入り、左手から首都高速4号新宿線が近付くと信濃町駅に到着する。
間もなく左手奥に明治神宮外苑が見えて渋谷区に入る。さらに右手に新宿御苑が見えると千駄ケ谷駅へ。並行していた首都高速4号新宿線が左へ分かれると右へカーブして北を向き、山手線・埼京線・湘南新宿ラインと合流して代々木駅に到着する。
間もなくルミネが見えると勾配を下り再び新宿区に入り、国道20号(甲州街道)を潜ると新宿駅。JR以外に小田急小田原線・京王線・西武新宿線(西武新宿駅)の大手私鉄3社、東京地下鉄丸ノ内線と東京都交通局を含めると5社局が接続する一大ターミナル駅である。JRの1日の平均乗降者数が150万人(2005年度)で日本一、さらに接続する5社局7路線の乗降者数を含めると346万人(2004年度)に達し、日本一どころか、世界一である。
駅東側はかつて甲州街道の第1宿(内藤新宿)や青梅街道が分岐する交通の要衝として発達し、伊勢丹などの老舗デパートや専門店・飲食店が立ち並び日本有数の繁華街となっており、特にスタジオアルタなどは全国的に知名度が高い。また繁華街に北接する駅北東側の歌舞伎町は日本有数の歓楽街であり、飲食店やホテルが軒を連ねている。
一方の駅西側は戦前まで行楽地であったが、高度経済成長期の1960年代から1970年代にかけて小田急百貨店・京王百貨店・ヨドバシカメラが開店し、1971年に淀橋浄水場の跡地に建てられた京王プラザホテルを皮切りに続々と高層ビルが建設された。さらに1991年に千代田区丸の内から東京都庁が移転し、現在は新宿副都心として都心部に次ぐ商業集積地帯となっている。駅南側は再開発によって商業化が進み、前述のルミネのほか、新南口に隣接してタカシマヤタイムズスクエアがある。
新宿 - 三鷹
新宿駅を発車するとガード(新宿大ガード)を渡り、高層ビル群を見ながら緩やかに左へカーブして湘南新宿ライン・山手線・埼京線から分かれ、間もなく大久保駅に到着する。この付近は関東最大のコリア・タウンとして有名であり、アジア諸国の料理店や雑貨店が立ち並んでいるが、新宿の繁華街に近いことから各種オフィスも多く、その他に専門学校やラブホテルなども軒を連ねる色々な顔を持つ街になっている。
その先も緩やかにカーブし、カーブを抜けて西を向くと再び神田川を渡り中野区に入って東中野駅に到着、ここからはるか先の立川駅まで長い直線区間となる。
東中野駅を発車し、東京都道317号環状六号線(山手通り)を潜ると、右手に桜並木が見える。桜が満開の春には飯田橋 - 市ケ谷間と並ぶ絶好の撮影ポイントとなっている。左手に中野電車区が現れると東京地下鉄東西線が地上に出て合流し、中野駅に到着する。
同駅周辺は中野サンプラザや中野ブロードウェイを中心に繁華街が形成されて賑わいを見せている。高架駅だが、高架が低い上構内が広いためか、地上駅の様相を見せる。この先一旦高架線を降りるが、間もなく杉並区に入ると再び高架線を上る。
高架線の下には住宅街が広がっているが、高円寺駅・阿佐ケ谷駅周辺はコンパクトに収まった商業地帯となっている。高架線の下に住宅街が迫り側道を作る余裕がないため、この区間の高架下には歩行者専用道路を作るなどの苦慮が施されている。一旦高架線を降り、東京都道5号新宿青梅線(青梅街道)を潜ると荻窪駅に到着する。東京都道311号環状八号線(環八通り)を跨ぐと再び高架を上り、善福寺川を渡る。
西荻窪駅は東京女子大学を中心とした文教地区にあり、駅周辺にはアンティーク雑貨店や古書店が立ち並んでいる。また一方で新興宗教の関連施設も多く、かつてオウム真理教の主要施設があったことでも知られる。発車すると間もなく東京23区を抜け、武蔵野市に入る。
東京都道7号杉並あきる野線(五日市街道)を跨ぐと大規模な繁華街に入り、吉祥寺駅へ。水道橋にあった同名の寺院の門前町の住民が五日市街道沿いのこの付近に移住し開墾したことから始まり、現在では京王井の頭線と接続して多摩地区有数の商業地帯となっている。発車すると間もなく両側の高層ビルはなくなり、再び住宅街を走る。駅から北へ15分のところには成蹊学園がある。また、南口は歓楽街として、夜になると別の顔を見せる。
そして再び高架線を下ったところが三鷹駅となる。駅直下に玉川上水が流れ、武蔵野市と三鷹市の市境となっている。北側(武蔵野市)には官公庁の施設が多く、南側(三鷹市)には南北に商店街が伸びている。ここで複々線区間は終わる。
三鷹 - 立川
三鷹 - 国分寺間は2007年7月1日現在で上り線が地上の仮線、下り線が新しい高架線であるために上下線で車窓からの景観は大きく異なる。以下の記述は下り線を主体としている。
三鷹駅を発車すると左手に三鷹車両センターが見えてきて、跨線橋をくぐると間もなく高架線をのぼる。再び武蔵野市に入り、左手の日本獣医生命科学大学を過ぎると武蔵境駅に到着する。甲武鉄道開業時からの駅であり周辺には商業施設も多いが、三鷹・吉祥寺の両駅に近く商業地帯としてはあまり大規模なものではない。
西武多摩川線の高架が地上に降りて左手に分かれると間もなく小金井市に入る。東小金井駅周辺は東京農工大学や法政大学など実に大学6校と高校3校が所在する文教地区だが、北口・南口共に大規模な商業施設はなく、少し閑散とした様相である。
武蔵小金井駅の手前(地上)には、開かずの踏切の代表格であり、2003年に高架工事ミスおよびそれによる踏切距離拡幅障害が起きた東京都道15号府中清瀬線(小金井街道)の踏切がある。同駅を発車すると高架線から電車庫に通じる線路が分かれて下っていく。駅北西方向には東京学芸大学がある。右手に豊田車両センター武蔵小金井派出所(旧・武蔵小金井電車区)を見ながら間もなく国分寺市に入る。
東京経済大学を左手に見ながら高架線をおりると、間もなく東京都道133号小川山府中線(国分寺街道)を跨いですぐ堀割となり、国分寺駅に到着する。元々快速と各駅停車のみの停車駅であったが、駅周辺の再開発によって大きく変貌し、現在では特別快速・通勤快速・通勤特快の全列車と成田エクスプレスが停車するようになった。また並行してホームがある西武国分寺線との間にはかつて渡り線があり、貨物列車の受け渡しが行われ、甲武鉄道時代には飯田町 - 川越(現・西武新宿線本川越駅)間直通列車まで運転されていた。さらにかつて下河原線が分岐し、廃止後もホームが残されていたが、駅構造が大きく変化した現在ではその面影はほとんどなくなり、高尾寄りの線路脇に廃線跡が残るのみである。
国分寺駅を発車すると右手に西武国分寺線が並行するが、野川を渡ると間もなく分かれ、左側に住宅街と姿見の池緑地保全地域を見下ろす。かつては左手に中央鉄道学園があり、前述の下河原線の廃線が中央鉄道学園への引き込み線として使用されていた。現在跡地は再開発が進められており、西側が団地、東側が武蔵国分寺公園となっている。旧鉄道学園は線路よりやや高くなっている。間もなく再び切り通しに入り、西国分寺駅に到着する。同駅は住宅街に囲まれているため乗降客はそれほど多くないが、武蔵野線に接続するため乗り換え客が多く、特に朝夕ラッシュ時は混雑する。
西国分寺駅を発車すると間もなく府中市をかすめるが、駅はなくすぐに再び国分寺市に入る。勾配を上り切ると上下線の間が広がり、間から武蔵野線の短絡線が地上に出てくる。下り勾配となって短絡線と合流し、国分寺崖線を越え国立市に入る。間もなく掘り割りを出て盛土高架となり、左手に高架用地が現れる。国立駅は箱根土地(後のコクド、現・プリンスホテル)の堤康次郎が計画した学園都市の最寄り駅として開業した経緯があり、駅南口から南・南西・南東の3方向に放射状に道路が伸びる。三角屋根の国立駅旧南口駅舎の屋根の形状はこの道路の形状を現していると云われる。南へ延びる東京都道146号国立停車場谷保線(大学通り)に沿って一橋大学や桐朋中学校・高等学校など教育施設が多く立ち並び、駅から2km程南進したところに南武線の谷保駅がある。また北側(所在地は国分寺市)には鉄道総合技術研究所があり、かつて同駅から引き込み線があったが、2004年に廃止され、現在その跡地は自転車駐輪場となっている。国立駅を発車するとほぼ地上に降り、両側に住宅街を見て走る。左側は学園都市の計画によって碁盤状に整備されている。
立川市に入ると次第に国立市から続く住宅街から商業地帯へと入っていく。前方にルミネが見え、左手から高架用地が消えると間もなく左手から南武線が合流、東京都道・埼玉県道16号立川所沢線(立川通り)を跨ぎ、立川駅に到着する。高尾寄りで直上を多摩都市モノレール線が跨いでいる。同駅はかつて日本国有鉄道東京西鉄道管理局が所在し、一部の中距離電車も発着する交通の要衝であり、現在は利用客の増加に伴い大規模な駅舎改良工事が進んでいる。また駅周辺は多摩地区でも随一の繁華街であり、北側・南側共に商業施設が軒を連ねている。
立川 - 八王子
立川駅を発車すると右手に青梅線が分かれ、その先で中央快速線→青梅線直通列車や貨物列車などが使用する青梅短絡線が分かれると大きく左へカーブし南西を向き、切り通しに入り勾配を下っていく。
切り通しが終わり、武蔵野台地を抜けると残堀川を渡り築堤となり、東京都道29号立川青梅線(新奥多摩街道)を跨ぐと多摩川を渡り、日野市に入る。日野駅は東京都道256号八王子国立線(甲州街道)との交差部の築堤上にあり、利用客に対してホームが大変狭く、危険な状態になっている。日野市の中心部にあり、駅周辺には商業施設が広がる。
日野駅を発車すると中央自動車道を潜り、日野台地に入る。切り通しに入ると鉄道総合研究所の研究施設と共に本線に挟まれたホームのない待避線が現れる。開業時はこちらに日野駅が設置され、1937年に現在地に移転した後も同駅発着列車の折り返しに使用されていたが、発着列車がなくなった現在では一部の回送列車や臨時列車が使用するのみである。
国道20号(日野バイパス)を潜ると日野台地を抜け築堤となり、緩やかに右へカーブしながら勾配を下っていく。カーブを抜けたところが豊田駅となる。同駅は日野台地南端の崖下にあり、駅北側は商業施設や工場が多いが、駅南側は北側ほど開発が進んでおらず少し閑散としている。発車すると間もなく左手に豊田車両センターが広がり、201系やE233系、115系など様々な車両を見ることができる。周辺は住宅街だが、大規模な農地も多い。
右へ大きくカーブしながら新駅設置予定地を抜けて勾配を上ると切り通しに入りすぐに左へカーブする。ここは中央線で非常に有名な撮影スポットの一つで、列車の撮影をしている鉄道ファンの姿を目にすることも多い。そして切り通しと八王子盆地に入り、浅川を渡ると八王子市に入る。再び大きく右へカーブし北西を向くと右手に八王子卸売市場などの大型商業施設と日本オイルターミナルの引き込み線を見ながら勾配を上り、国道16号(八王子バイパス)を跨ぐと右手に八王子(貨物)駅(八王子オフレールステーション)を見る。前方にそごうが現れると間もなく京王線を跨ぎ、右手から八高線が合流、さらに左手から横浜線も合流し、八王子駅に到着する。かつて八王子機関区も所在し、現在もJR東日本八王子支社とJR貨物八王子総合鉄道部が所在する多摩地区の交通の要衝であり、構内には多くの側線がある。駅北側はかつて甲州街道最大の宿場(八王子横山十五宿)であり、多摩地区の経済的中心として古くから発達、官公庁施設や大規模な商業施設が立ち並び、近年は中央大学を初め多数の大学を擁する学生街、学園都市として大きな繁華街を形成している。駅から北東へ0.4km程離れた繁華街の東側には京王線京王八王子駅がある。一方で駅南側は再開発が進んでおり、平成22年秋に地上41階の複合ビルが完成する予定。これにあわせ南口も北口同様ペデストリアンデッキ化される。
八王子 - 高尾
八王子駅を発車すると勾配を上り、東京都内では珍しい国道16号(東京環状)の踏切を渡る。1.5km程走ると大きく左へカーブし南西を向き、西八王子駅に到着する。八王子駅から続く市街地にあるが、駅南側を中心に住宅街も広がっており、教育施設も多く、朝夕は多くの学生で賑わう。
発車すると前方には関東山地が現れ、市街地から抜け住宅街をほぼ一直線で抜けていくが、2km程走ると右手に駐車場と化した空き地が見える。ここは東浅川駅の跡地である。同駅は大正天皇の大喪列車の終着駅として設置され、その後も皇室の多摩御陵参拝に利用された。廃止後駅舎は八王子市に下賜され「陵南会館」という集会施設となっていたが、1990年の過激派による放火で焼失してしまった。
東浅川駅跡地を過ぎると右へカーブしながら勾配を上り、東京都道47号八王子町田線(町田街道)を跨ぎ勾配を上りきったところが高尾駅。左手に京王高尾線の高架線が見える。同駅は八王子盆地の西端にあり、駅北側と西側は共に山が迫る。駅南側は開発が進み、住宅街が広がっている。
国鉄時代より中央線は高尾で運行系統が分断されているが、1986年末より大月直通が増えていき、現在では高尾 - 大月間も中央線の通勤電車区間となり、ラインカラーにもオレンジが追加されている。
列車種別
定期列車のうち、普通列車については以下の系統が運行される。種類は多いが、中央特快と青梅特快は同一視でき、それと快速の2種しか基本的に走らないと認識できる(それ以外の種別は一部の時間帯しか走らず、本数が少ない)。中央(青梅)特快以下の下り列車は立川以降各駅停車と案内される。また、高尾駅より西側に跨って運転する列車は、同駅以西では末尾が「M」の列車番号となるため、同駅以東の種別に関係なくすべて「普通列車」(中距離列車)である。ただし、上りは高尾以東の種別で案内しており(普通列車以外)、冊子の時刻表でも「東京・高尾間快速」などと注記されている。各駅停車・ライナーを除く上り電車は中野以東の停車駅が同一となるが、新宿駅と四ツ谷駅では案内がすべて「快速東京行き」で統一され、御茶ノ水駅では種別なしで単に「東京行き」とだけ案内される。また、神田駅では終点東京の1駅手前であるにもかかわらず「快速東京行き」「中央特快東京行き」などと案内される。
中央ライナー・青梅ライナー
東京・新宿 - 高尾(一部八王子発着)・青梅間を結ぶホームライナーである。E257系かE351系の特急形車両で運転される。下りライナーは東京駅・新宿駅で乗車客扱いのみを、他の駅では降車客扱いのみを行う。上りライナーはその逆である。
グリーン車の扱いは首都圏の通勤ライナーとは違い指定席扱いとなる。
通勤特快(通勤特別快速)
平日朝のみ運転で上り東京行のみの設定。略称は「通特」。立川以西でも快速運転され、料金不要の列車では最も停車駅が少ないが、ダイヤが最も過密になるラッシュ時間帯を走っている上、快速も2分間隔と多いため所要時間はかなり長く、通常の快速とあまり変わらない。特に三鷹 - 新宿の各駅停車と併走する区間では列車が詰まりやすく、その影響で非常にスピードが遅くなる。
E233系のフルカラーLED式行先表示器では赤色、201系の方向幕では紫色で表わされる。
大月・青梅始発各2本・高尾始発1本の1日5本が運行されている。時間帯は立川到着7時台2本・8時台3本。立川と国分寺で快速と接続するほか、豊田・武蔵小金井・三鷹・中野で快速を追い越すこともある。
中央特快(中央特別快速)・青梅特快(青梅特別快速)
共に日中から夜間にかけて運転されている。夜間の下りは土曜・休日のみ運転。いわゆる「特別快速」であり、東京駅 - 立川駅間で速達運転を行う。中央快速線は国鉄で最初に「特別快速」が設定された路線であり、国鉄 - JR初期は「特別快速」で運転されていたが、1988年12月1日から「中央特快」に種別名を変更し、合わせて青梅線直通特別快速として「青梅特快」を新設した。立川から青梅線へ直通するのが「青梅特快」、そうでないのは「中央特快」である。停車駅に差はないため、一般的には両者を併せて略称である「特快」と呼ばれることが多い。
その他、このグループには ホリデー快速「おくたま」「あきがわ」が含まれる。
中央特快と青梅特快の違いは国分寺駅に停車するかどうかだけであったが、1993年4月10日のダイヤ改正から青梅特快が同駅に停車するようになった。これにより基本的に中央特快と青梅特快の中央線内での停車駅は統一されたが、新宿駅始発の中央特快は中野駅を通過する。これは、新宿駅で後続の快速が同駅到着後に発車することから、中野駅に停車する必要性が低いなどのダイヤ上の理由が挙げられる。ただし、ホリデー快速の「おくたま」「あきがわ」は新宿駅始発だが、中野駅にも停車する。
E233系のLED式行先表示器では中央特快が青色、青梅特快が緑色で表わされるが、高尾方面の列車はそれ以下の列車も含めてすべて各駅に停車するようになる立川からは「各駅停車」となり、種別が表示されなくなる。201系の字幕式行先表示器でも中央特快が青色、青梅特快が緑色で表わされる。
日中は1時間あたり4本前後の割合で中央特快と青梅特快がおおよそ3対1程度の割合で運行されている。原則として国分寺と三鷹、さらに一部は立川で快速または各駅停車に接続する。立川接続は青梅特快に多く見られる。
一部の中央特快は豊田駅・高尾駅(下りのみ)・相模湖駅・四方津駅のいずれかで特急の通過待ちを行うことがある。特に高尾駅以遠発着の列車(大月駅始発など)はそのほとんどが途中で特急に追い抜かされる。青梅特快が特急の通過待ちを行うことはない。
通勤快速
平日夕方から夜間下りに特快に代わって運転されている。そのため、運行形態は中央特快・青梅特快のように三鷹・国分寺・立川などにおいて快速や各駅停車との接続を行う。特快の停車駅に加えて、荻窪と吉祥寺にも停車する。略称は「通快」。E233系のLED式行先表示器では紫色で、201系の字幕式行先表示器は赤色で種別名が表わされる。一部の通勤快速は豊田・高尾・相模湖・四方津のいずれかの駅で特急の通過待ちを行うことがある。大月行と河口湖行の列車はすべてが途中で特急に追い抜かれる。2007年3月18日のダイヤ改正より21時台の4本の特別快速が通勤快速に変更された。
快速
中央快速線の基本列車で、この路線で最も多く運行されている種別である。複々線区間のみで快速運転を行う。なお、平日ダイヤでは、中野 - 吉祥寺間の高円寺・阿佐ケ谷・西荻窪に停車する。E233系のLED式行先表示器では上りの全区間と平日下りの中野、土曜・休日の吉祥寺まではオレンジ色で「快速」と表示されるようになった。駅の発車案内でも平日は中野、土曜・休日は吉祥寺から「各駅停車」となり、種別が表示されなくなる。なお、中央快速線の基本種別であることから201系の字幕式行先表示器には「快速」という種別表記はなく、単に終点の駅名のみが表記されている。
なお、同じ「快速」を名乗るものとしては八王子 - 国立(通過) - 大宮間(武蔵野線経由)の快速・ホリデー快速「むさしの」と快速・「ホリデー快速河口湖」がある。ただし停車駅などの点から特別快速とほぼ同格であり、前者は中央快速線内では立川と八王子のみに停車し、後者は(新宿)、(三鷹)、立川、八王子、高尾に停車する(1・2号のみ停車)。
杉並三駅問題
1960年代の中央線複々線化工事の際には高円寺・阿佐ヶ谷・西荻窪にホームを建設しない予定であったが、高円寺駅周辺の商店街や沿線住民を中心とした運動により土曜日を含む平日に限り停車することになった。その後、土曜日も通過するようなダイヤに変更する際も反対運動が行われた。緩行線が別線路で並行しており、しかも朝ラッシュ時には快速線と緩行線との混雑率に大きな差があること、中野・荻窪・吉祥寺・三鷹と比較すると利用客は遥かに少ないことから、これら3駅には快速を停車させる必要がないのではという意見が非常に多い。また、杉並三駅周辺の住民の意見を尊重して高尾・青梅方面から都心に向かう遠距離通勤客を軽視していると旧国鉄に対して批判する者も多い。多摩地区の市議会議員には平日の通過を政策に掲げる者もいる[1]。この問題を、特にインターネット上では杉並三駅問題と称している。
各駅停車
早朝と深夜は総武緩行線との直通を行わず、快速線の電車が御茶ノ水 - 三鷹間でも快速運転をせず、各駅停車(E233系は黄色の囲み文字、201系は紺色文字)の表示を出して東京 - 高尾などの間を運行する。なお、早朝の上りと夜間の下りには武蔵小金井・立川始発・終着の総武線直通電車がある(緩行線用の209系・E231系の運用)。なお、東京駅発着の各駅停車の運転時間帯は早朝・深夜とも土曜・休日ダイヤでは平日より30分 - 1時間程度長い。
各駅停車と快速の区別は停車駅の他に走行線路を含めて決まる。各駅停車は水道橋 - 三鷹間で緩行線ホームに発着する。終電に運行される高尾発中野行各駅停車は快速と全く同じ停車駅だが、三鷹 - 中野間を緩行線で運行するため「各駅停車」の表示を使用する。そのため早朝・深夜帯では中央快速線の電車と中央緩行線の電車が同じ車両を使い、それぞれ別のホームから発車するため、誤乗が起きることがある。
また、三鷹駅以西のみを走行する電車(武蔵小金井駅・立川駅始発の下り電車など)については201系・E233系ともに種別が表示されないため快速扱いだが、実際の車内放送や構内放送は始発駅から終点まで通して各駅停車と案内されるため、実質各駅停車といえる。全国版の時刻表での中央本線の項にて早朝の立川発大月行の電車についてはJTB時刻表の場合JRの扱いをそのまま記載していたため「立川・高尾間快速」との記述がなされていたが、現在は単に立川 - 高尾の列車番号が記述されている。JR時刻表では現在も「立川・高尾間快速」が残されている。
普通列車
立川以西には中央本線の中距離列車である普通列車も運転されている。国鉄時代は新宿・立川・八王子・高尾以西停車であったが、その後三鷹にも(その後さらに西八王子も)停車を開始した。1993年12月1日に新宿発着が廃止され、現在は全列車立川以西発着となり、さらに1996年12月1日に日野・豊田にも停車するようになってからは通過駅がなくなった。
なお、東京始発の快速大月行きは高尾より中距離電車と同じ扱いになる。
その他の列車種別および補足
定期列車では他に優等列車として特急「スーパーあずさ」「あずさ」「かいじ」「成田エクスプレス」がある。
なお、青梅線方面の特快系(通勤特快・青梅特快・通勤快速)の列車は必ず立川か国分寺で高尾方面の快速・各駅停車に接続して、八王子・高尾方面からも利用できるようになっている。逆に青梅線方面の快速・各駅停車が高尾方面の特快系(通勤特快・中央特快・通勤快速)の列車に接続することも多いが、こちらは全てではない。
東京 - 立川間では、快速は主に三鷹と国分寺で優等列車と接続したり、特急・ライナーなどを待避したりする。そのため、目安として中央特快、青梅特快、通勤快速、特急、ライナーの3本前の快速は途中優等列車に抜かれずに東京 - 立川間を走ると見ることができる。ただし、下り3本前の列車は立川で青梅線方面の優等列車からの接続待ちを行うこともある。通勤特快はより多くの快速を追い抜くため、5本前からの快速は通勤特快に追い抜かされる(すべて上り立川・下り東京発時点)。
基本的に当系統路線の下り電車は、終日ほとんどの時間帯で上り電車(東京行)の折り返しとして運行している。東京駅周辺に中央線の引き上げ線や車庫はなく、ホームも1面2線と設備が乏しい。そのため、平日朝の大量の東京行の電車はそのまま折り返し下り電車として運行しなければならず、30秒もしないうちに次々に折り返していく。武蔵小金井駅以東では8時台後半 - 9時台に2分おきという大量の下り方面の電車が走る。
駅一覧
複々線区間の走行線路 | 緩行線 | 急行線 | |||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
駅名 | 駅間営業キロ | 累計営業キロ | 中央 ・ 総武線各駅停車 |
東京駅発着 各駅停車 |
東京地下鉄東西線直通 | 中央本線普通列車 | 快速 | 通勤快速 | 中央特快 | 青梅特快 | 通勤特快 | 中央ライナ丨 ・ 青梅ライナ丨 |
接続路線 | 所在地 | |
東京駅 | - | 0.0 | 総武線千葉駅まで直通運転 | □ | (○) | ● | ● | ● | ● | ● | ● | 東日本旅客鉄道:東北新幹線・山形新幹線・秋田新幹線・上越新幹線・北陸新幹線(長野新幹線)・山手線・京浜東北線・東海道線・総武線(快速)・横須賀線・京葉線 東海旅客鉄道:東海道新幹線 東京地下鉄:丸ノ内線 (M-17)、東西線(大手町駅:T-09) |
千代田区 | ||
神田駅 | 1.3 | 1.3 | □ | ● | ● | ● | ● | ● | | | 東日本旅客鉄道:山手線・京浜東北線 東京地下鉄:銀座線 (G-13) | |||||
御茶ノ水駅 | 1.3 | 2.6 | ● | □ | ● | ● | ● | ● | ● | | | 東日本旅客鉄道:総武線(各駅停車)(秋葉原・船橋方面直通運転) 東京地下鉄:丸ノ内線 (M-20)、千代田線(新御茶ノ水駅:C-12) | ||||
水道橋駅 | 0.8 | 3.4 | ● | □ | | | | | | | | | | | | | 都営地下鉄:三田線 (I-11) | ||||
飯田橋駅 | 0.9 | 4.3 | ● | □ | (●) | | | | | | | | | | | | | 東京地下鉄:東西線 (T-06)・有楽町線 (Y-13)・南北線 (N-10) 都営地下鉄:大江戸線 (E-06) | |||
市ケ谷駅 | 1.5 | 5.8 | ● | □ | | | | | | | | | | | | | 東京地下鉄:有楽町線 (Y-14)・南北線 (N-09) 都営地下鉄:新宿線 (S-04) | ||||
四ツ谷駅 | 0.8 | 6.6 | ● | □ | ● | ● | ● | ● | ● | | | 東京地下鉄:丸ノ内線 (M-12)・南北線 (N-08) | ||||
信濃町駅 | 1.3 | 7.9 | ● | □ | | | | | | | | | | | | | 新宿区 | ||||
千駄ケ谷駅 | 0.7 | 8.6 | ● | □ | | | | | | | | | | | | | 都営地下鉄:大江戸線(国立競技場駅:E-25) | 渋谷区 | |||
代々木駅 | 1.0 | 9.6 | ● | □ | | | | | | | | | | | | | 東日本旅客鉄道:山手線 都営地下鉄:大江戸線 (E-26) | ||||
新宿駅 | 0.7 | 10.3 | ● | □ | ● | ● | ● | ● | ● | ● | 東日本旅客鉄道:山手線・埼京線・湘南新宿ライン 小田急電鉄:小田原線 京王電鉄:京王線、京王新線 東京地下鉄:丸ノ内線 (M-08) 都営地下鉄:新宿線 (S-01)、大江戸線(新宿駅:E-27、新宿西口駅:E-01) |
新宿区 | |||
大久保駅 | 1.4 | 11.7 | ● | □ | | | | | | | | | | | | | |||||
東中野駅 | 1.1 | 12.8 | ● | □ | | | | | | | | | | | | | 都営地下鉄:大江戸線 (E-31) | 中野区 | |||
中野駅 | 1.9 | 14.7 | ● | □ | ● | ● | ● | ◇ | ● | | | | | 東京地下鉄:東西線 (T-01) | |||
高円寺駅 | 1.4 | 16.1 | ● | □ | ● | ◆ | | | | | | | | | | | 杉並区 | |||
阿佐ケ谷駅 | 1.2 | 17.3 | ● | □ | ● | ◆ | | | | | | | | | | | ||||
荻窪駅 | 1.4 | 18.7 | ● | □ | ● | ● | ● | | | | | | | | | 東京地下鉄:丸ノ内線 (M-01) | |||
西荻窪駅 | 1.9 | 20.6 | ● | □ | ● | ◆ | | | | | | | | | | | ||||
吉祥寺駅 | 1.9 | 22.5 | ● | □ | ● | ● | ● | | | | | | | | | 京王電鉄:井の頭線 | 武蔵野市 | ||
三鷹駅 | 1.6 | 24.1 | ● | □ | ● | ● | ● | ● | ● | | | | | 三鷹市[2] | |||
武蔵境駅 | 1.6 | 25.7 | □ | □ | ● | | | | | | | | | | | 西武鉄道:多摩川線 | 武蔵野市 | |||
東小金井駅 | 1.7 | 27.4 | □ | □ | ● | | | | | | | | | | | 小金井市 | ||||
武蔵小金井駅 | 1.7 | 29.1 | □ | □ | ● | | | | | | | | | | | |||||
国分寺駅 | 2.3 | 31.4 | □ | □ | ● | ● | ● | ● | ● | | | 西武鉄道:国分寺線・多摩湖線 | 国分寺市 | |||
西国分寺駅 | 1.4 | 32.8 | □ | □ | ● | | | | | | | | | | | 東日本旅客鉄道:武蔵野線 | ||||
国立駅 | 1.7 | 34.5 | □ | □ | ● | | | | | | | | | | | 国立市 | ||||
立川駅 | 3.0 | 37.5 | □ | □ | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | 東日本旅客鉄道:青梅線(一部直通)・南武線 多摩都市モノレール:多摩都市モノレール線(立川北駅・立川南駅) |
立川市 | ||
日野駅 | 3.3 | 40.8 | □ | ● | ● | ● | ● | 青梅線直通 | | | | | 日野市 | ||||
豊田駅 | 2.3 | 43.1 | □ | ● | ● | ● | ● | | | | | ||||||
八王子駅 | 4.3 | 47.4 | □ | ● | ● | ● | ● | ● | ● | 東日本旅客鉄道:横浜線・八高線 京王電鉄:京王線(京王八王子駅) |
八王子市 | ||||
西八王子駅 | 2.4 | 49.8 | □ | ● | ● | ● | ● | | | | | ||||||
高尾駅 | 3.3 | 53.1 | □ | ● | ● | ● | ● | ● | ● | 東日本旅客鉄道:中央本線(大月・甲府方面、直通区間は下記参照) 京王電鉄:高尾線 | |||||
最長運転区間 | 立川駅 | 高尾駅/青梅駅 | 三鷹駅 | 松本駅/河口湖駅 | 奥多摩駅/河口湖駅/武蔵五日市駅/高麗川駅 | 河口湖駅/青梅駅 | 河口湖駅 | 青梅駅/武蔵五日市駅/高麗川駅 | 大月駅/青梅駅 | 高尾駅/青梅駅 |
- 高尾以遠の区間はこれらのいずれの種別も各駅に停車(駅一覧は中央本線#駅一覧を参照)。
- 上表において黄色の東京駅発着各駅停車は早朝と深夜のみ運転。この電車の三鷹 - 水道橋間の発着ホームは中央・総武緩行線ホームである。
- 凡例
- この字体 の駅:各駅停車のみ停車
- 停車駅
- ●:停車、|:通過、□:早朝・夜間のみ運転
- ◆:土休日ダイヤ時は終日通過、◇:新宿駅始発の下り列車は通過
- (●)・(○) :東京地下鉄の駅に停車
- ※ (○) 印は東京駅構内および大手町駅の東西線部分でのみ相互に乗り換えの案内がなされている。
- 長距離乗車券の特定都区市内
- :東京山手線内(東京 - 新宿間)、:東京都区内(東京 - 西荻窪間)
注
- 一部の各駅停車・快速・通勤快速・通勤特快とすべての青梅特快・青梅ライナーは立川駅から青梅線青梅駅まで直通運転している。青梅ライナーを除き青梅線内各駅停車。また、五日市線武蔵五日市駅および八高線高麗川駅発着の快速・青梅特快(土曜・休日のみ)、奥多摩駅発の快速もある。五日市・八高線内は各駅停車。
- 立川駅以東発着の電車が高尾駅以遠に乗り入れるのは一部の通勤特快・中央特快・通勤快速・快速のみである。土曜・休日は大月駅発各駅停車東京駅行が1本運転されている。また、早朝(全日)に立川発の大月行が各駅停車として運転されている。なお、これらに該当するものは高尾駅で列車番号が変更される。
- 立川駅以西はライナーと通勤特快以外すべて各駅停車になる。
- 主に朝夕の一部の普通・快速・通勤快速・中央特快は大月駅から富士急行線河口湖駅まで直通運転している。
- 立川・八王子発の普通列車はごく一部で、ほとんどが高尾発着で運転する。
使用車両
現行使用車両
快速(通勤特快・中央特快・青梅特快・通勤快速を含む)/早朝・深夜の各駅停車
- E233系(2006年12月 - ):58編成(580両・中央線運用編成のみ)
- 中央快速線の主力車両。2006年12月26日より東京 - 大月・青梅間で10両編成による営業運転を開始し、翌2007年3月18日のダイヤ改正より分割運用へ進出、青梅以遠・五日市線・八高線・富士急行線直通列車で運用開始した。名目上は2007年6月末に分割運用を完全に置き換えたことにはなっているが、その後も車両数の関係でE233系の運用に201系が入る日があり、2008年3月のダイヤ改正までは分割運用に使用される場合もあった。201系では快速運転を実施する場合でも行先のみを表示するのに対し、E233系では行先表示器に「快速」を併記している(平日:東京 - 中野間、土曜・休日:東京 - 吉祥寺間。上り電車は全区間に渡り種別を併記)。E233系0番台は中央線用編成としてはT1 - 42とH43 - 57の57本が製造されたが、2008年3月ダイヤ改正で運用本数の変更があり、青梅線・五日市線専用編成2本(青458・658)を中央線編成に転用し、H58に改名している(E233系では中央線運用車と青梅線専用車は全く同一仕様のため、転用に際し編成番号の変更以外手はつけられていない)。
- 201系(1979年8月 - ):2編成(20両・保留車等除く)
- 基本的に10両編成で運行されるが、4+6両分割と10両貫通の2種類がある。列車番号・編成番号では前者がH、後者がTとされ、運用も区別されているが、現在ではH運用は編成数に対して少なく、逆にT運用は在籍編成以上の運用数がある。2008年6月現在T編成はすべて廃車されておりH編成が2本(H4・H7)あるのみ[要出典]エラー: タグの貼り付け年月を「date=yyyy年m月」形式で記入してください。間違えて「date=」を「data=」等と記入していないかも確認してください。であるが既に分割運用からは退き、実質T編成として運用されている。現在は全編成が豊田車両センターに所属しているが、この区分はHが旧武蔵小金井電車区、Tが旧豊田電車区受け持ちを示していた頃の名残りである。過去には旧三鷹電車区の受け持ち運用もあり、A運用となっていた。A編成は10両貫通であり、A運用は三鷹区が緩行線専門になった以降もしばらくの間武蔵小金井区の10両貫通運用に存在したが、JR化後の平成初期にH運用となり、その後豊田への統合でTへと変化している。高尾駅以西に乗り入れる場合、いずれも高尾駅以西の列車番号の末尾はMになる。
- 一部に富士急行線からの4両の間合いのために高尾駅 - 大月駅間を6両編成で運転することがあるが、その場合は中央本線普通列車(中距離電車)と同じ扱いであるため、快速ではなく普通と表示される。
- E233系の導入に伴い、2007年3月18日のダイヤ改正で201系の分割編成の一部がE233系に合わせた編成(東京側が6両)に組み替えを行い、H1編成を除くすべての編成で編成番号を変更した。非分割編成に編入されたH編成はT編成100番台へ改番後2007年12月にT109編成の廃車もって消滅。
2008年3月末までに201系からE233系への置き換えを完了するが、201系は置き換え完了後も予備車として2編成残存させる。該当編成は三鷹 - 国分寺間の高架工事完成まで使用される予定で、残存する201系についてもデジタル無線設置工事が施工されている。
中央ライナー・青梅ライナー
過去の使用車両
快速
中央ライナー・青梅ライナー
- 183系・189系(1991年3月 - 2008年3月14日)
101系は、最初に中央線で運行を開始したことからもわかる通り高速での運行をある程度考慮した設計だが、元々山手線用に開発された103系は、高速運転にやや不向きであった。[3]一方、101系は当初の設計よりM車比を落としたため性能が限界に近く、冷房装置を載せると加速力が落ちたり主電動機が過熱するため、一部の限定運用車以外は冷房装置の搭載ができなかった。なお、103系は総武緩行線や南武線の冷房化率を向上させるため、101系よりも早い時期に全車両が他線に転出した。
183系・189系はライナーの運用から外れた後もゴールデンウィークや夏季などの多客時に臨時で運転される特急「あずさ」号や「かいじ」号に使用されることがある。基本は189系幕張車(国鉄色)だが、たまに長野車や幕張車(あずさ色)によって運転されることもある。
女性専用車
警視庁による首都圏鉄道路線での痴漢件数調査で、中央線は埼京線に次いで第2位の多さという結果が出た。これを受けて2005年9月5日より痴漢防止対策として平日朝ラッシュ時間帯の7時30分 - 9時30分に新宿駅を発着する上り快速・通勤特快で東京寄りの一番前の車両(1号車)に女性専用車が設定されている。JR東日本においては埼京線に続き2路線目。ちなみに設定開始翌年の2006年に行われた調査では、同線を超えて痴漢件数第1位という結果が出たという。
最初に設定された時点では、分割対応編成は奥多摩・高麗川・河口湖乗り入れ運用をこなす4両編成が東京寄りに連結される編成を組んでいたため、この4両編成が乗り入れる区間から女性専用車が設定されていた。しかし、2007年3月18日のダイヤ改正以降はE233系による編成分割運用が登場し、201系の分割対応編成も運用共通化のため編成の組み換えを実施した。分割対応編成は東京寄りに6両編成が連結される組成になり、女性専用車が4両編成側から6両編成側に移動したため、翌3月19日の列車からは設定区間が変更されている。
201系の一部編成では女性専用車であることを分かりやすくするため、1号車に女性向け商品の車体広告がラッピングされていた。また、2006年12月から運転を開始したE233系では、1号車のみすべての吊り手や網棚の位置を優先席と同様に低くする工夫がなされている。
なお、中央線では1912年(明治45年)1月31日に昌平橋(同年4月1日万世橋駅開設に伴い廃止) - 中野間の登下校時間帯の電車に婦人専用車を連結したのが始まりで[4]。戦後は1947年5月5日 - 1973年8月31日にも婦人子供専用車を設置していた。また、1957年に二等車を廃止した代わりに老人幼児優先車を翌年まで連結していたことがある。
沿革
甲武鉄道の東京都心乗り入れに際して建設された市街線(しがいせん)に関東大震災後の復興事業での貨客分離および長距離列車と近郊電車との路線分離を行うために複々線化した上で列車線兼貨物線として開業したのが現行の中央快速線の始まりとされる。
御茶ノ水 - 中野で複々線が建設され、1932年(昭和7年)に完成した。計画当初は貨物輸送力の増強を図る目的であったが、複々線全線完成後一部時間帯に急行電車を運行させ、旅客輸送力の強化が図られた。また、この計画と同時に総武本線両国 - 御茶ノ水間についても高架鉄道として建設され、この結果東京始発のものをラッシュ時には急行電車として運転することとなり、各駅に停車する列車は一部の時間帯に総武本線へ乗り入れることとなった。
第二次大戦後、俗に言う「通勤五方面作戦」で中野以西の輸送力の増強を図ることになり、1966年(昭和41年)に中野 - 荻窪間の複々線化が完成し、中央緩行線の電車と営団地下鉄東西線(現・東京地下鉄東西線)乗り入れの列車がこの区間に運行されている。なお、1969年(昭和44年)には複々線区間が三鷹まで延長された。だがそれ以降計画はほとんど進まず、三鷹から立川間の複々線化がなされる気配はない。
なお、複々線化と列車運行とが軌を一にしないのは、いわゆる中電とも称される甲府方面の列車の多彩さ・煩雑さと、すでに1960年代までに沿線の都市化が進行していたためとされる。
- 1889年(明治22年)4月11日 甲武鉄道新宿 - 立川間開業。
- 1889年(明治22年)8月11日 立川 - 八王子間延伸開業。
- 1894年(明治27年)10月9日 牛込 - 新宿間延伸開業(市街線の開業)。
- 1895年(明治28年)4月3日 飯田町 - 牛込間延伸開業。
- 1904年(明治37年)8月21日 飯田町 - 中野間電化(直流600V)。
- 1904年(明治37年)12月31日 御茶ノ水 - 飯田町間延伸開業(電化)。
- 1901年(明治34年)8月1日 官設鉄道八王子 - 上野原間開業。
- 1902年(明治35年)6月1日 上野原 - 鳥沢間延伸開業。
- 1902年(明治35年)10月1日 鳥沢 - 大月間延伸開業。
- 1906年(明治39年)10月1日 甲武鉄道御茶ノ水 - 八王子間を買収・国有化し、八王子 - 篠ノ井間を鉄道に編入、これにより御茶ノ水 - 篠ノ井間が鉄道となる。
- 1908年(明治41年)4月19日 御茶ノ水 - 昌平橋間延伸開業(電化)。
- 1911年(明治44年)5月1日 宮ノ越 - 木曽福島間延伸開業(全通)。中央西線を編入し、昌平橋 - 名古屋間を中央本線に改称。
- 1912年(明治45年)4月1日 昌平橋 - 万世橋間延伸開業(電化)。
- 1919年(大正8年)1月25日 中野 - 吉祥寺間電化。
- 1919年(大正8年)3月1日 万世橋 - 東京間延伸開業。
- 1920年(大正9年)5月26日 国分寺 - 下河原間貨物支線開業(東京砂利鉄道の線路を譲受、1910年(明治43年)敷設)。
- 1922年(大正11年)11月20日 吉祥寺 - 国分寺間電化。
- 1927年(昭和2年)2月 東浅川駅が開業。
- 1927年(昭和2年)3月1日 代々木 - 信濃町間複々線化。
- 1928年(昭和3年)5月1日 新宿 - 中野間複々線化。
- 1928年(昭和3年)11月15日 飯田橋駅が開業。
- 1929年(昭和4年)3月10日 国分寺 - 国立間電化。
- 1929年(昭和4年)4月15日 飯田町 - 信濃町間複々線化。牛込駅(現・飯田橋駅東口付近)廃止。
- 1929年(昭和4年)6月16日 国立 - 立川間電化。
- 1930年(昭和5年)12月20日 立川 - 浅川(現在の高尾)間電化。
- 1931年(昭和6年)4月1日 浅川 - 甲府間電化。
- ただし、浅川以遠を結ぶ列車は電気機関車牽引の客車により運転される。
- 1932年(昭和7年)7月1日 御茶ノ水 - 飯田橋間複々線化。御茶ノ水駅改良工事完了。総武本線乗り入れ開始。
- 1933年(昭和8年)7月15日 長距離列車の東京方始発駅を飯田町駅から新宿駅に変更。
- 1933年(昭和8年)9月1日 朝夕ラッシュ時に限り列車線を使用して御茶ノ水 - 中野間で急行電車運行開始。
- 1934年(昭和9年)4月2日 国分寺 - 東京競馬場前間の支線開業(電化路線、国分寺 - 北府中間は国分寺 - 下河原間貨物支線と二重戸籍)。
- 1943年(昭和18年)11月1日 万世橋駅休止(事実上廃止)。
- 1944年(昭和19年)3月5日 急行電車の運行を休日にも拡大。
- 1944年(昭和19年)10月1日 国分寺 - 東京競馬場前間休止。
- 1946年(昭和21年)6月14日 東中野 - 大久保間のカーブ区間でドアより通勤客が放り出され死亡する事故が発生。鉄道事故も参照されたい。
- 1946年(昭和21年)6月17日 朝間上りに限り急行電車が四ツ谷駅を通過。
- 1947年(昭和22年)4月24日 国分寺 - 東京競馬場前間の支線の運行を再開。
- 1947年(昭和22年)5月5日 急行電車に婦人子供専用車を設定。
- 1949年(昭和24年)9月 二等車の連結を再開。
- 1951年(昭和26年)4月14日 三鷹 - 武蔵野競技場前間の支線開業(ただし不定期列車のみ運転)。
- 1951年(昭和26年)9月17日 急行電車の朝間上りの四ツ谷駅通過措置を終了。
- 1956年(昭和31年)9月1日 国分寺 - 下河原間貨物支線の起点を北府中に変更、これにより国分寺 - 東京競馬場前間の支線との二重戸籍が解消。
- 1957年(昭和32年) 急行電車に101系が導入を開始。二等車の設定を廃止し、代わって老幼優先車が設定される(1958年に廃止)。
- 1959年(昭和34年)11月1日 三鷹 - 武蔵野競技場前間の支線廃止。
- 1959年(昭和34年)11月9日 平日に限り急行電車の全日運行開始。
- 1960年(昭和35年)9月10日 東浅川駅廃止。
- 1961年(昭和36年)3月17日 急行料金を徴収する急行列車「アルプス」の運行開始(1960年)により、急行電車を現行の快速電車に改称。
- 1966年(昭和41年)4月28日 中野 - 荻窪間複々線化。休日にも快速電車の全日運行が行われる。
- 1967年(昭和42年)7月3日 国電区間が中野から高尾まで延長。同時に「特別快速」の運行を開始。設定時より昼間時のみ運行。
- 1969年(昭和44年)4月8日 荻窪 - 三鷹間複々線化。
- 1973年(昭和48年)4月1日 国分寺 - 東京競馬場前間の支線廃止。北府中 - 下河原間貨物支線は武蔵野線に移籍(1976年9月20日廃止)。
- 1973年(昭和48年)9月1日 婦人子供専用車を廃止。
- 1979年(昭和54年) 201系試作車の導入開始。
- 1981年(昭和56年) 201系量産車の導入開始。
- 1985年(昭和60年)3月14日 定期普通列車の新宿乗り入れを夜行の下り1本を除いて廃止。
- 1986年(昭和61年)11月1日 定期普通列車の新宿駅乗り入れを朝夕を中心に復活。快速電車の大月方面への直通運行および「通勤快速」運行開始(当初は新宿駅始発の「通勤快速」も設定されていた)。停車駅は現在と異なり、新宿以東と三鷹以西は快速と同じ、新宿 - 三鷹間は中野のみ停車(新宿始発は中野通過)。途中での追い越しはなし。設定は深夜帯。
- 1988年(昭和63年)12月1日 国分寺駅2面4線化完成。従来の特別快速を「中央特快」に名称を変更し、新たに国分寺駅に停車を開始する。また休日の夕方以降にも運転時間帯を拡大する。青梅線に直通し国分寺駅を通過する「青梅特快」を運転開始。当時のダイヤでは青梅特快のみ新宿の発車時刻が他の特快よりも特急に近く、国分寺に停車させるとそこで追い抜かれざるを得ないため、青梅線方面への速達効果を最大限に出すために国分寺駅通過の措置を採っていた。また、夜間の新宿始発含む「通勤快速」を「中央特快」に格上げ。夕方ラッシュ時に新たな「通勤快速」を新設。停車駅は現行と同じ。
- 1990年(平成2年)3月10日 快速電車の富士急行線河口湖までの直通運転開始。
- 1991年(平成3年)3月16日 「おはようライナー高尾・青梅」「ホームライナー高尾・青梅」を新設。
- 1993年(平成5年)4月10日 「青梅特快」が国分寺駅に停車。「通勤特快」運行開始。
- 1993年(平成5年)12月1日 新宿発着の普通列車(下り3本・上り1本)を廃止。115系が新宿駅から完全に撤退。
- 1996年(平成8年)3月16日 八高線電化により青梅線経由で拝島-高麗川間へ直通運転開始。
- 1999年(平成11年)12月4日 「成田エクスプレス」高尾駅発着列車の運行開始(1往復)。
- 2001年(平成13年)12月1日 「おはようライナー高尾・青梅」と「ホームライナー高尾・青梅」が「中央ライナー」・「青梅ライナー」に列車名と運行形態を変更して運転開始。
- 2003年(平成15年)9月28日 三鷹 - 立川間の連続立体交差事業の一環として、前日夜から同日にかけて三鷹 - 国分寺の上り線を仮線に切り替える工事を実施。この際大きなミスが発生し、工事終了予定時刻(朝6時頃)を過ぎても8時間あまり同区間が不通になる状態が続いた(後述)。
- 2004年(平成16年)7月19日 同日未明から早朝までの高架化工事により、武蔵小金井駅付近の下り線を仮線化。
- 2004年(平成16年)11月7日 同日未明から朝までの高架化工事により、国分寺・東小金井・武蔵境駅付近の下り線を仮線化。三鷹 - 国分寺間は上下線とも仮線となった。
- 2005年(平成17年)9月5日 女性専用車両を再設定。
- 2005年(平成17年)9月25日 前日夜から同日朝までの高架化工事により、西国分寺 - 立川間の上り線を仮線化。
- 2006年(平成18年)10月9日 前日深夜から同日朝までの高架化工事により、西国分寺 - 立川間の下り線を仮線化。西国分寺 - 立川間は上下線とも仮線となった。
- 2006年(平成18年)12月26日 E233系の運用開始。
- 2007年(平成19年)7月1日 前日夕方から同日朝までの高架化工事により、三鷹 - 国分寺間の下り線が高架になる。
- 2008年(平成20年)3月13日 ライナーにおける183系・189系の使用を終了。
- 2008年(平成20年)3月17日 3月15日のダイヤ改正により新設された東京発箱根ヶ崎行運行開始(平日のみ)。
連続立体交差事業(高架化)
2008年(平成20年)9月1日現在、中央線では三鷹 - 立川間での連続立体交差事業(高架化工事)が行われている。この工事により三鷹 - 立川間にある18か所の踏切が廃止される。事業主体は東京都などで、財源は自動車税やガソリン税などである。
工事は1999年(平成11年)から始まり、2006年(平成18年)10月までに5回の仮線への切り替え工事が行われた。当初は2007年(平成19年)春頃に三鷹 - 国分寺間の下り線が高架に切り替えられる予定だったが、若干遅れ同年7月1日となった。西国分寺 - 立川間は2005年(平成17年)9月に上り線が、2006年10月に下り線が仮線に切り替えられ、さらに2009年(平成21年)晩冬頃に下り線が高架に切り替えられる見込みである。詳しい工事予定は、JR東日本八王子支社のホームページ[5]および小金井市公式ウェブサイトの記述[6]を参照されたい。
高架化は西国分寺 - 立川間(上り線)が2010年頃、三鷹 - 国分寺間(上り線)が2009年頃である。(2008年秋頃を予定していたが遅れる見通しとなった)その後、仮線路の撤去などが行われ、最終的な完成は2011年を予定している。
なお、国分寺駅西側から国立駅東側までは、現行の掘割の形を維持するため、大規模な工事は行われない。
第1回切り替え工事の問題
最初の大規模な工事は、2003年(平成15年)9月27日の夕方から翌28日朝までの予定で行われ、三鷹 - 国分寺間の上り線を仮線に切り替えた。27日は予定通り進んだが、翌28日朝になってから武蔵小金井駅でポイントの不具合が見つかり、工事終了予定時刻を過ぎてもその点検が続いた。JR東日本は代行バスの運転時間を延長するよう各バス会社に要請するが、人員不足などを理由に1時間の延長で代行バスは終了し、同区間から立川・新宿方面への確実な移動手段がなくなったため大混乱となった。ポイント故障が復旧し(この時点では故障の原因不明)、同区間の電車の運転が再開されたのは、工事終了予定より8時間程遅れた午後2時頃であった。また、この作業の際に武蔵境駅周辺ではケーブルテレビ(電波障害用)が日中帯に半日程視聴できなかったが、この件に関してもJR側からは何の説明も行われなかった。
この前代未聞の事件に各種メディアはトップでJR東日本を批判した。「同社が関連会社に工事を丸投げして監督責任を怠っていたこと」「東海旅客鉄道(JR東海)が東海道新幹線品川駅工事の時に事前に工事リハーサルを行ったなどの例に比して、これだけの大規模な工事をぶっつけ本番で一挙に行う半ば無謀な計画であったこと」「工事前後で踏切による交通遮断時間が2倍近く伸び、遮断機が下りる前に渡りきれないなど交通障害が余計ひどくなったこと」などが槍玉に挙げられた。これらの批判を受け、JR東日本は歩行者・自転車用に架道橋を設置したりした。
9月28日にJR東日本は記者会見を行ったが、その中で「もっとバスを借りられるように手配すべきであったが、ここまでの事態は予想できなかった。しかし、すべての乗客をそもそもバスに振り替えるのは無理。バス輸送は補完的なもので、隣接する私鉄に回って、と前からお願いしていた」と発言し、さらなる批判を招いた。
また、この約2週間後には京浜東北線で線路上に置き去りにされた保線用のスコップを跳ねて朝のラッシュ時に長時間にわたって運転を見合わせるという事故も発生し、一連の不手際に対して、国土交通省はJR東日本に業務改善命令を下した。
いわゆる“開かずの踏切”に加え、仮線に切り替えられたことにより踏切の幅が広くなり、渡りきれないなどのケースが続出した(翌2004年の7月と11月に行われた仮線への切替工事により、仮線切替前の横断距離に戻った[7]ほか、2007年6月30日の下り線高架化により遮断時間・横断距離が短縮されている)。
また、この後に実施された三鷹 - 国分寺間下り線の仮線化工事に際しては、切替工事に対するリスク管理のため、[8]切替区間を分割して実施された。以降実施された切替工事に関してもリスク管理の徹底が図られ、すべて予定時間内に完了している。
複々線化
この高架化事業とは別に、三鷹駅 - 立川駅では複々線化が計画中である。複々線のうち急行線は高規格な地下路線となる予定で、実現した場合には中野駅 - 立川駅間を運行している快速の停車駅にも変更を迫られると見られる。2015年頃までの完成を計画していたが、高架工事の状況から見込みが立っていない。
三鷹駅 - 立川駅間の複々線化は1970年代にはすでに計画されており、そのさなかに開業した西国分寺駅のホーム構造を見れば明らかなように用地は確保されていた。しかし、複々線化工事の着工に手間取っているうちに法改正がなされ、高架化する際には、脇に側道を整備することが義務付けられたため、複々線の用地を環境側道に転用することになってしまった。このため、仮に複々線化が実現したとしても「緩行線は高架・快速線は地下」という構造になる見込みである。ただし、国分寺駅西側から国立駅東側までは掘割であり、既存線に並行して複々線を設置する用地もある。
この複々線を利用する特急列車などの優等列車が三鷹駅から大深度地下を利用した高速地下鉄道によって新宿駅を経由し、東京駅で京葉線につなげるという構想もある。ただしその為の設備投資費用はJR東日本だけが負うにはあまりにも巨額のため、国や自治体の道路建設や整備新幹線並みの援助が必要だろうといわれている[9]。
私鉄との関係
中央線の新宿駅 - 高尾駅間は、路線の南側に併走している京王電鉄京王線、高尾線、井の頭線とで競合関係にある。そのため、新宿駅 - 八王子駅間や吉祥寺駅 - 渋谷駅間などに割安の特定運賃を設けるなどの対抗策を講じている。また新宿 - 拝島駅間では西武新宿線・拝島線とも競合をしているが、西武新宿線のターミナル駅の立地がよくないこと、また所沢・本川越方面の列車の方が本数が多いことから、さほど大きな競合関係には至っていない。しかし、2008年6月14日の西武鉄道ダイヤ改正で、西武新宿 - 拝島を43分で結ぶ新種別「拝島快速」が登場しており、青梅特快との競合に拍車がかかる。さらに東京 - 荻窪間では東京地下鉄丸ノ内線とも競合しており、御茶ノ水・四ツ谷・新宿の各駅では両線が接続している。中央線では東京・御茶ノ水・四ツ谷・新宿・荻窪の順に経由するのに対し丸ノ内線は御茶ノ水・東京・四ツ谷・新宿・荻窪の順で経由している。
京王と競合関係にある新宿 - 八王子間での比較(京王線は新宿 - 京王八王子間)を例に比較してみる。
- 運賃
- 普通乗車券の比較では京王線が350円で、JRは特定運賃の適用で460円となっている。JRの割引率のよい定期券では通勤3か月定期および通学の6か月定期は京王線の方がわずかながら安く、通勤6か月は京王が割高でJRが割安となる。
- 所要時間
- 日中は京王線(特急および準特急)・中央線(特別快速)のどちらも同程度の所要時間であり、やや京王線の方が速い。最速は中央線特急列車(有料)の「あずさ」「かいじ」だが、500円の自由席特急料金が別途必要である。朝ラッシュ時の上りの列車では中央線の方が速い。
- 終電
- 深夜帯に関しても京王線は23時を過ぎると急激に本数が減り、終電も比較的早く、八王子までの運転は午前0時前に終えるのに対して、中央線は午前0時41分まで高尾行が走っている。
人身事故
他の路線と比較して自殺、事故を含めた人身事故が多いとされているが、正確な統計が公開されていないためその真偽は不明である[10]。ただし、一般的には「中央線は自殺の名所」や「中央線は人身事故が多い」というようなイメージが定着しており、事実多くの件数の人身事故が発生している。
自殺が多いとされることの原因については諸説あるが、自殺の名所というイメージが定着することによって自殺が自殺を呼ぶというような、他の自殺の名所と同様の負の連鎖反応によるものなどがあげられている。また、踏切や高架化されていない区間が多く線路へ侵入しやすいことも自殺、事故が多く発生する原因となっているとされている。ほかには(心理的に)中央線のオレンジ色の車体がはねられても苦痛を感じることがないという説もある。JRでは一部の駅でホームの両端に柵を設ける、照明を増やす、死角となる壁や柱を作らないなどの対策を行っており、荻窪駅では自殺を思いとどめさせる目的でホームの向かい側に鏡を設置している。
今後の予定
日野市には豊田駅 - 八王子駅間に西豊田駅(仮称)を設置する計画がある([1])。そのため同区間の中間に設置を求める看板が設置されている。
その他
2007年10月から、JR東日本では「中央線が好きだ。」というポスターを製作し、駅や電車の中吊りに掲出している。
脚注
- ^ http://urano.age.jp/kouyaku.html
- ^ 市の境界にまたがって建っており、駅の半分は武蔵野市に掛かっている。
- ^ ただし、101系より103系の方が速度記号上は上(高速性能が103l系の方がある事を示す)である
- ^ 沢和哉『日本の鉄道ことはじめ』築地書館、1996年 pp.95-97 ISBN 4-8067-5595-8
- ^ プレスリリース(PDF)
- ^ JR中央本線(三鷹 - 立川間)他連続立体交差事業の概要
- ^ 2004年7月21日、11月9日付け交通新聞
- ^ 2004年5月19日付け交通新聞
- ^ 山之内秀一郎 『JRはなぜ変われたか』 毎日新聞社、2008年、ISBN 978-4-620-31832-5。
- ^ 個人による中央線の事故件数の統計はあり