男の娘
「男の娘」(おとこのこ[2]、英: Otokonoko、中: 偽娘)は、日本のインターネットスラングのひとつ[3]。2000年代にサブカルチャーの領域で知られるようになり、2010年代に広く一般に普及してブームを起こした[3]。フィクション(二次元)および現実世界(三次元)における、「少女のような外見をした少年」を指していう他者からの評価語であるという一定の共通認識は成立しているが[4][5]、厳密な解釈は定まっていない[6]。
二次元における「男の娘」の流行は、1990年代に形成されたショタや百合などのジャンルが、2000年代前半以降急速に女装と結びついて発生したものという考察がなされている[7]。代表的なキャラクターとしては『GUILTY GEAR XX』のブリジットや、『処女はお姉さまに恋してる』の宮小路瑞穂、『はぴねす!』の渡良瀬準(詳細はいずれも後述)などが挙げられる。それらがオタク男性の性的指向の変化を反映したものかどうかに関しては専門家の意見が分かれているが[8][9]、「受け身になりたい」という男性たちの願望が表れているであろうという点では大体の一致をみている[10][11]。
三次元で「男の娘」と呼ばれる男性の多くは、トランスジェンダーやゲイなどではなく一種のコスプレイヤーであるという点で複数の専門家の見方が一致している[12][13]。江戸時代以前の日本は稚児や女形などの芸能が盛んであり、女装を禁忌としていた西洋文化圏とは対照的な地域のひとつであった[14]。二次元サブカルチャーの動きは、元来女装に寛容であった日本の伝統へと接続し、「かわいい」(英: kawaii)に価値を置く若い世代のカジュアルなファッション文化として定着した[15]。その過程ではインターネットの普及が大きな役割を果たしていた[16]。そして、現実で女装する彼らにも「かわいがられたい」という欲望の存在が指摘されている[17]。
時期の重なり合う両者に共通する社会的背景は、第二次世界大戦後のフェミニズムの拡大・男性優位主義の縮小の過程と[18]、バブル崩壊後の長引く景気後退・労働市場の急激な規制緩和であり、浮かび上がってくる問題は「男性の生きづらさ」である[19]。女装してリラックスしたいというこの現象は、現代日本における男性問題の映し鏡として登場したものという考察がなされている[20]。
定義
「男の娘(おとこのこ[2][注 6])」という言葉は、「少年」を意味する「男の子」の「
椿の調査によれば、この言葉は2006年9月9日に開催された同人誌即売会「男の娘COS☆H」において、初めて(語の意味とともに)記録に残る形で使用された[28]。女装・ふたなり・女体化・異性への憑依などをした「男の娘」の同人誌即売会
が、その第1回の開催概要であった[11]。「男の娘」という言葉は明確な定義がなされないまま[29]、インターネットスラング、インターネット・ミームとして拡散していった[24]。
二次元文化に端を発した「男の娘」がメディアで紹介される機会は、2009年[30][31]ないし2010年[27][32]ごろ以降増えていった。ところが、その多くは三次元の「男の娘」、つまり現実に存在する男性の女装であった(図1)[30]。二次元の流行が波及し、若年層を中心にポップでカジュアルな女装がおこなわれるようになったのである[33][30]。「オカマ」「ニューハーフ」「女装少年(男子)」「女装子」など、似た意味の言葉は従来多く存在していたが[34]、その中で「男の娘」が人口に膾炙した背景には用語問題があった[18]。侮蔑的・差別的なニュアンスを含む「オカマ」のような言葉に対し、人々は敏感になっていた[12][35][注 8]。漫画評論家の永山薫によれば、そこで決定的だったのが「男の娘」という語の登場であった[18]。直接的に「女装」の意味を含まず、婉曲的で、未だ手垢も付かず、ふわふわしていてカワイイ感じの「男の娘」が多くの人々のオトシドコロとして選択された
のである[18]。ときには、マーケティングの都合から「男の娘」が使用されることもあった[36]。
定義の例
「男の娘」の定義は、専門家により、例えば以下のように言及されている(これらのほかにも複数の言及がある)。
二次元
論者 | 定義 |
---|---|
漫画研究者 日高利泰 |
そもそも「男の娘」とは一体何なのか。漠然とした共通理解として、それが女の子のような外見をした少年(とりわけ美少年)を指して用いられるということはわかる[4]。 |
ライター 来栖美憂 |
「男の娘」というワードはもともとネットスラングであり、二〇一〇年代に入って一般に普及した。『大人限定 男の娘のヒミツ』によると「きれいな女装少年」を指し示す言葉であり、女装をしてはいるがどこかに「男」の要素を必ず残していることが肝心であるという[37]。〔田中東子による来栖 2015b, p. 32の解説〕 |
日本近代文学研究者 水野麗 |
「男の娘」とは「どんな服装であれ、女の子のように見えるかわいらしい美少年」を指し、女装少年は「女の服装をしている、かわいらしい美少年」を指すという違いがある〔……〕[38]。 |
新聞記者 (福) |
「女装男子」は、見た目で女の子の格好をしている男子ですよね。「男の娘」は主体的というか「自分で女の子の格好をしたい」「女の子になりたい」っていう気持ちを持っている男子を指す言葉ですかね。〔……〕「女装男子」はスタンスは少年で、たまに女の子の格好をする[39]。 |
タレント 大島薫 |
自分で名乗るのは男の娘じゃないとよく言われます。〔……〕おそらくそのひとたちの主張の根幹にあるのは、自ら女装してしまったら男の娘ではないということなんだと思います。男の格好をしていて本人も男だと思っているけれど、女の子に見えてしまうのが男の娘である[40]。 |
オタク文化史研究者 吉本たいまつ |
現在の二次元表現に現れる「男の娘」は、非常に多様である。〔……〕「見た目は美少女だが内面は男らしい」という、非常にゆるい共通認識はあるが、女装に対する認識や性自認などはキャラクターごとに違う。内面の設定から「男の娘」を定義することは難しい。〔……〕そこで本稿では「男の娘」に厳密な定義を行わず、外見で大まかに区分することとする[41]。 |
三次元
論者 | 定義 |
---|---|
ライター 川本直 |
「女装している容姿端麗な男の子」というのが最小限の定義である。〔……〕川本直は、「男の娘」を「ジェンダーアイデンティティがセックスや与えられたジェンダーと一致しない」という広義のトランスジェンダーとみなすことを提案している[42]。〔シャロン・キンセラによる川本 2014, pp. 2–3の解説〕 |
「プロパガンダ」主宰 西原さつき |
男の娘という存在の、明確な定義は私もハッキリと分かっている訳ではない。ただ女性ホルモンの投与を受けておらず、身体は完全に男性の状態。でも顔は女の子にしか見えない。かつ、若い。というのが私の中での男の娘の印象だ[43]。 |
ニューハーフAV女優 橘芹那 |
三次元では敢えて言葉を濁している人が多いから、定義をはっきり確立させたほうがいいよ。誰一人、三次元で男の娘という言葉の定義をはっきりさせていない。だから、叩かれるのは当たり前だと思う。人によって定義が違うんだから。自分が「男の娘とは何か」と訊かれたら、それは女装もニューハーフも含むと断言するよ[44]。 |
性社会・文化史研究者 三橋順子 |
今、定義を四つ[注 9]申しましたが、そのうちの二つに、「カワイイ」という言葉が入っています。これが一つのキーワードだと思います。そこで、私なりの定義を示しますと「まるで女の子のようにカワイイ、女装した男の子」ということになります[45]。 |
共通する認識
「女装」という概念は、男性が女性風の装いをすることで自然と発生するが[46][47]、「男の娘」はそうではない。漫画研究者の泉信行は、従来の「オカマ」「ニューハーフ」などの呼称は女装という行為によって付けられはするが、その巧拙までは問われなかったと指摘し[34]、次のように続けている(二次元/三次元)。
「男の娘」は、まず第一に「女子にしか見えない/女子より女装が似合う」といった容姿への賛辞が前提としてある。〔……〕「充分に女子として見られる」という「見る側」の視点から呼ばれる言葉なのだ。
—泉 2015, pp. 176–177、出典の強調は傍点
すなわち、ライターの宮本直穀も指摘し[48]、日本文学研究者の伊藤慎吾なども論じているように[5]、「男の娘」は外部・他者からの評価語だということである[注 10]。そこでは、「かわいらしさ」「美しさ」「若さ」といったものが評価のポイントになってくる。例えば美術評論家の暮沢剛巳は、二次元のキャラクターに関し、「美少女にしか見えない」という外見上の要件が欠落している限り「男の娘」とみなすことはできない
と主張している[8]。メディア文化論研究者の田中東子も、来栖の定義のうちに「きれい」「少年」(=若い)という要素が抜きがたく含まれている点に注意を向けている[50]。三次元に対しては、三橋が「かわいい」がキーワードだと看破しているほか(前掲)[45]、性の事典『セックスペディア』(2014年、文藝春秋)でも女装愛好家との線引きは難しいところですが、若くて、ルックスレベルが高いと男の娘に認定されるようです
という説明がなされている[51]。
女装を必須としない定義もある(樋口 2015, p. 85、斎藤 2015, p. 203、伊藤 2023, pp. 226, 230など)。日本近代文学研究者の水野麗もそのような立場(前掲)だが[38]、やはり「かわいい女の子にしか見えない」という審美的な基準が含まれてくると述べている[52]。タレントの大島薫が紹介している女装を不可とする定義(前掲)にも、女の子に見えてしまう
という要件が含まれている[40]。
一定の共通認識が存在するにもかかわらず、この言葉の定義をめぐる領域は、銃弾飛び交う戦場にも似ていて、今にも弾丸の音が聞こえてきそうだ
と、ライターの川本直は書いている[2][6]。まず、「男の娘」は二次元限定の幻想・虚構的な概念であるという考え方があり、三次元に実在する人間を「男の娘」という語で呼ぶことに対しては、「三次は惨事」[53]などと反発する声がある[54][55][6]。三次元の「男の娘」同士でも解釈をめぐる争いがあるという[56][57]。二次元においても事情は同様であり、例えば以下は、主人公が女装して女学園に潜入するアダルトゲーム(いわゆる女装潜入もの)の開発者座談会でのやり取りである。
東ノ助:『月に寄りそう乙女の作法』の情報を公式HPで解禁した時、主人公の紹介に「男の娘」って書いてあったんです。そうしたら発売後にユーザーさんから「朝日は男の娘じゃない!」ってお叱りをいただきました。〔……〕
NYAON:実は私も『オトメ*ドメイン』のコンセプト紹介で湊を「男の娘」って書いてしまって、怒られました。 — BugBug 2016年12月号, p. 151
吉田悟郎の漫画作品『オトコの娘ラヴァーズ!!』(2012年)は、こうした状況について、「女装している子を愛でたい人」「かわいく女装したい人」「かわいい男の子が好きな人」といった、そもそもは異なる対象を愛好していた人々が、「男の娘」という便利な言葉の登場にともないひと括りにされたため、混乱が生じたものという解説をおこなっている[53]。編集者・井戸隆明は、この語の使用者は男の娘はこうだというふうに誰かに決められたくない、定義されたくない
という無意識の欲望を持っていると推測しており、無理に定義せずに曖昧さを残しておくほうが望ましいと語っている[58]。来栖も、「男の娘」の定義の曖昧さが逆に女装コスプレ人口の増加に繋がったとの見方を示している[59]。宮本は二次元に関し、作品の受け手にとって女の子っぽさが可愛らしい少年
程度の理解で充分である趣旨を述べている(強調はママ)[48]。漫画家の秀良子は「男の娘」に相対的な概念が存在しないことを示唆している[60]。
成立
ブームへといたる流れ
漫画
永山や、オタク文化史研究者の吉本たいまつらの解説によれば、漫画史における「男の娘」の系譜は手塚治虫にまで遡ることができるという[61][62]。手塚は『メトロポリス』(1949年)・『リボンの騎士』(1953年)などに両性具有のキャラクターを登場させ[63][61]、『キャプテンKen』(1960年)・『バンパイヤ』(1966年)などで少年が女装する場面を描いてきた[61][64]。主人公が(常時)女装していた最古の少年漫画の候補として、永山は関谷ひさし『ヘンでオカシなスゴイ奴』(1969年)・永井豪『おいら女蛮』(1974年)などを挙げているが、これらは2000年代の「男の娘」ブームとほとんど繋がりがないという[65]。少女のような外見の美少年を主人公とする作品群は、まずは少女漫画の新たなイメージとして世に出てきた[66]。漫画研究者の藤本由香里は、岸裕子『玉三郎恋の狂騒曲』(1972年)・名香智子『花の美女姫』(1973年)などを初期の作品として挙げている[66]。
複数の専門家の見解が一致するところ[注 11]、のちの「男の娘」ブームの先駆・ルーツとなる(あるいはそうと仮託される)作品は、江口寿史『ストップ!! ひばりくん!』(1981年)である。孤児となった主人公の少年はヤクザの大空家に引き取られ、三女の大空ひばりに一目惚れする。ところが、ひばりは実は組の跡目を継ぐ予定の長男だったという展開のギャグ漫画である[72]。
どう見ても美少女なのに、「男」と言い張ることは、端から見ればおかしな主張である。しかしそれは『ストップ!! ひばりくん!』からすでに見られたものであったし、二次元表現ではこうしたマジックは容易である。 — 吉本 2015, p. 215
男でありながら作中のどの少女よりもかわいいという[73]大空ひばりのキャラクター人気は1980年代初めにおいて急騰し[72]、作品は大ヒットを記録した(1983年にアニメ化)[67]。来栖は、それまでにも人気を博した女装キャラクターが存在しなかったわけではないとしつつ、ひばりくんの可愛さは衝撃的であり、彼が近代女装美少年文化の始点という評価に異を唱える者はまずいないだろう
と主張している[68]。吉本は、『ひばりくん』では従来の作品よりはっきりと男の子でもかわいければ恋愛・性の対象にしてもよい
というメッセージが打ち出されていたと分析している[62]。『ひばりくん』のあと、男女の描き分けの転倒は少年漫画においてしばらく途絶えるが[68][74]、川原由美子『前略・ミルクハウス』(1983年)[68]・那州雪絵『ここはグリーン・ウッド』(1986年)・高河ゆん『アーシアン』(1987年)[75]など、少女漫画に一旦受け継がれる形で[68]創作パターンのひとつとして定着していった[62]。
少年漫画において『ひばりくん』に続く女装美少年の象徴的作品として登場したのが、小野敏洋『バーコードファイター』(1992年)であった[76]。小学生向けの漫画雑誌『月刊コロコロコミック』(小学館)で連載が始まった同作品のヒロイン役・有栖川桜は、女の子の容姿で描かれており、台詞もかわいらしかった[62]。ところが読者の子供たちの人気を充分獲得したあと[68]、実は女装した男子であったことを明かし、女の子と信じていた彼らを大いに驚かせたのである[77]。来栖はこの出来事をオトコの娘史に残すべき大事件
と形容している[78]。『バーコードファイター』は女装した男子を一貫して肯定的に描いた[62]。永山は、この作品が一部の読者に対しては女装男子でも可愛いからいいのだ
むしろ男の子の方がいい
という新しい扉を開いたと述べている[77]。
1997年以降、小・中学生の少女向け作品でも動きが起きる。『りぼん』に吉住渉『ミントな僕ら』(1997年)が、『小学五年生』(小学館)にやぶうち優『少女少年』(1997年)[79][80]が、さらに『ちゃお』(同)に富所和子『ライバルはキュートBoy』(1999年)[79]が相次いで登場し、それらはいずれも女装した少年を扱っていたのである。特に、少年が女装してアイドルになる展開を描く『少女少年』は読者の好評を博し[79]、永山はこれもまた彼らの秘密の扉を開いたと推測している[81]。来栖は、これらの作品が偏見の少ない子供たちの認識形成に影響し、のちのブームに繋がったと見ている[79]。
来栖やライターの森瀬繚はまた、この時期に高橋留美子『らんま1/2』(1987年)がヒットを飛ばしていたことにも注意を向けている[82][75]。同作主人公の早乙女乱馬は水をかぶると女に変身してしまう特異体質の持ち主である[83]。来栖は、性転換ものは一般に抵抗感が小さく、広く受け入れられやすかったことを指摘し、『らんま』とそれに続いたあろひろし『ふたば君チェンジ♡』(1990年)・西森博之『天使な小生意気』(1999年)などの作品群が、よりマニアックなジャンルである女装ものへの入り口の役目を務めたと述べている[84]。
ショタ
一方、アニメにおいては1970年代初頭から、女性が幼少の男子に性的な欲求を向ける動きがあった[62]。いわゆるショタであり、1990年代中・後半期に男性向けジャンルへ越境していく[85][86]。複数の専門家が[注 12]、このショタが「男の娘」の成り立ちに直接影響したもの・最大の背景になったものだとしている。
小学校高学年くらいの少年同士、または若者と少年の性行為が描かれるショタは、もともとは「やおい」(ボーイズラブ、BL)のサブジャンルであった[92][93]。少年を主人公とするアニメでは、主として女性ファンによる二次創作がおこなわれていた[94]。1983年にアニメ化された高橋陽一『キャプテン翼』は同人誌即売会の規模を大きく拡大させた[95][96]。同作の登場人物が少年から青年へと成長していく中、女性たちの人気を再び博したのが、元気な小学4年生の活躍する[97]『魔神英雄伝ワタル』(1988年)であった[98][62]。ショタが「やおい」から分離し、独自のジャンルとして成立する契機となったのが『ワタル』である[92]。『ワタル』と後続作品のヒットにより、少年ものの二次創作はさらに活性化していった[98][94]。そして、1994年に『赤ずきんチャチャ』『勇者警察ジェイデッカー』『ヤマトタケル』が放映されると男性のショタファンが急増し[99]、同人誌の即売会は3作品の男女のファンで混み合うようになる[100]。この流れに『ロミオの青い空』『新世紀エヴァンゲリオン』(いずれも1995年。『エヴァ』の主人公・碇シンジは、そのウジウジした態度などからショタキャラクターとして注目されていた[101]。)などが続いた[102][96]。
そうした中で「男の娘」の源流を形成したのが、ショタ作品を集めたアンソロジーコミック「ショタアンソロジー」であった[90][96]。これは二次創作の盛り上がりを受けて生まれた同人誌アンソロジーを母体としており[注 13]、少年ものの二次創作を出身とする女性作家が多く[96]、最初は完全に女性向けの商品であった[107][93]。それが、1995年に[108]男性ファンによるショタ専門の同人誌即売会「ショタケット」が開催されると[100]、男性作家・編集者が刺激を受け[109]、便乗するように男性向けのショタアンソロジーも作られるようになる[107][109](#社会的背景も参照)。
すると刊行数の急増に作家の確保が追いつかなくなり、女性向けに描いていた作家を男性向けに融通するということがおこなわれるようになった(その逆のパターンもあった)[107]。ショタアンソロジーは女性作家の男性向けジャンルへの大量越境の橋頭堡
(永山 2015, p. 153)となり、多くの男性読者が女性作家の表現に触れる切っ掛けとなったのである[107][110]。日本視覚文化研究者のシャロン・キンセラ(Sharon Kinsella)は、このことはかわいい女装少年の現代様式を生み出したクロスオーバーポイントのひとつとして検討できるだろうと述べている[64]。
このように成立したショタアンソロジーの多くは、性行為において主人公の少年を受動的に描いていた。漫画・ジェンダー論研究者の堀あきこは、このことは読者男性の「男性性からの逃避」願望の反映として解釈できるとしている[111]。永山は、ミソジニー(女性蔑視)を内包する男性優位主義が衰退していった結果、女性を強く描き、少年を受動的に描く表現が登場したと解説している[112]。さらに、ショタアンソロジーの性行為表現は非常に過激なものであった[113]。吉本は、ショタアンソロジーによって、かわいい男の子が美少女と同じように、男性たちから「性的に消費」「まなざ」される存在になっていったと述べている[113]。
ショタアンソロジーが果たした重要な役割は〈かわいい男の子を性的に消費する表現を確立した〉ことであった。
—吉本 2015, p. 214、出典の強調は傍点
精神科医・批評家の斎藤環は、男性向けの作品では少年はあきらかにペニスを持った少女という位置を担わされている
と分析している[114]。一方、吉本の調査によれば、この時点のショタアンソロジーでは女装している「受け」は全体の3.5%に過ぎなかった[113]。吉本は、これは男の子を女装させるメソッドが確立していなかったためと推測している[113]。
ショタアンソロジーは1995年から1998年にかけてブームを迎える[107]。女性向けの商品とみなされたため後述する成年マークも付けられず、18歳未満の若者にも買われていった[113]。最も多くの巻数が発行されていた『ROMEO』(一水社→光彩書房。誌名の由来は『ロミオの青い空』。)がそれらの代表であり、ピークの1998年には63種もの単行本が書店に並んでいた[96]。ところが、同年に児童ポルノ法が国会で審議入りすると出版各社に動揺が走った[115][116]。連立与党が提出した法案は漫画も規制の対象とし、同性愛表現をポルノに含めていたのである[117]。漫画は結局規制対象から除外されたものの[115][118]、このことが最大の原因となって、1999年にショタアンソロジーは一度壊滅する[111][113](図3)。ショタアンソロジーの作者は約75%が女性であり、多くは2000年代初頭のボーイズラブへと流れていった[113]。しかし、少なくない数の作家が、のちに「男の娘」が登場する成年向け漫画で活躍することになる[119]。
ブリジット (GUILTY GEAR)
1991年に『ストリートファイターII』(カプコン)がヒットすると、多くのメーカーがこのジャンルに参入して対戦型格闘ゲームのブームが発生した[120]。そこでは、かわいらしい仕草の少女キャラクターも多く活躍するようになっていった[121]。2002年5月、『GUILTY GEAR XX(ギルティギア イグゼクス)』(アークシステムワークス)が稼働を開始する[113]。現代の「男の娘」の直接の先祖・ブームの起爆剤であるとされるキャラクターが、この作品に登場するブリジットである[113][122][123]。
# | 日付 | スレッドのタイトル[注 14] |
---|---|---|
1 | 2002年1月26日 | ブリジットが男確定、で自殺した奴の数→ |
2 | 2002年2月11日 | ブリジットが男確定、で転生した奴の数→ |
3 | 2002年3月6日 | 鰤たんと俺たちで創る理想郷 |
ブリジットはヨーヨーを武器に戦う[125]、修道女風の服装に身を包んだキャラクターである[126]。『XX』のリリースを報じたニュースメディアに掲載されたイラストがどう見ても少女の姿であったため[121]、GUILTY GEARシリーズのファンたちは美少女キャラクターが新作に登場すると沸き立った[108]。ところが、その後の報道で判明した事実にファンたちは大きな衝撃を受けることになった[108][124]。ブリジットは、双子を忌避する村に双子の弟として生まれたため、因習に従い女の子として育てられたという設定の少年キャラクターだったのである[127]。当時の「2ちゃんねる」での反応を調査した来栖・吉本によれば、最初は「男だとわかって絶望」[108]のような否定的な感想が支配的であったという。それが次第に「男の子でも萌えるのでは?」[124]「むしろ男だからいい!」[108]といった肯定的な意見に逆転していった(表1)。そしてブリジットはゲーマーのコミュニティの垣根を越え、オタク全体へと認知を広げていく[108]。来栖の取材したところによれば、アーク社には売り出すためにわざと性別を隠しておき、センセーショナルな発表をおこなうという意図はなかった[128]。実は男であるという設定が期せずして話題を呼び込んだのである[128]。
ブリジットの影響で[121][124]、2002年から2003年にかけ、『好色少年のススメ』(2002年、茜新社)・『少年愛の美学』(2003年、松文館)・『少年嗜好』(2003年、桜桃書房)など、ショタアンソロジーが成年マーク付きで復活していった[129][130]。1990年代と違い女装少年の登場する作品が多数掲載されるようになっていた[131][124]。
ブリジットが果たした役割は、〈かわいい少年と女装を結びつけた〉ことにあった。
—吉本 2015, p. 215、出典の強調は傍点
ブリジットの女性服は体の線を隠しており、男子の体型にフィットしたものではなかった[124]。吉本は、「男の娘」の描き方が確立されるまでにはもう少しの進歩を待たなければならなかったとしつつ、かわいい少年を女装させたら一層「いい」ことがブリジットの登場によって発見されたと解説している[124]。来栖も吉本とともに、女装した少年に「萌え」るという意識を作り出し、男性向けジャンルの萌え属性(萌え要素)のひとつに押し上げたのはブリジットだと述べている[108][124]。画像掲示板の「ふたば☆ちゃんねる」では「こんなかわいい子が女の子のはずがない」という「男の娘」を象徴する倒錯フレーズが生まれたが、吉本によればこのフレーズもブリジットに端を発している[124]。
そして2002年11月[108]、ブリジットをメインに据えた、女装・ふたなり・女体化の同人誌即売会(いわゆるオンリー即売会)「鰤計画」[注 15]が開催され、盛況となった[134]。鰤計画には多くの女装コスプレイヤーが参加していた[131]。1990年代後半のメイドブーム以降[135]、女装コスプレイヤーの数は増加傾向を示していたが、多くのコスプレイベントは主に外見上の快・不快の問題から、彼らを締め出していた[135][136]。鰤計画はそのような状況に一石を投じることとなった[134]。また、鰤計画にはのちの「男の娘」ブームを支えることになる人々が多数参加していた[128][注 16]。ブリジットの人気は二次元と三次元のクロスオーバーを発生させ[131]、「男の娘」文化を形成していく人々の出会いの場をも生み出したのである[128]。
鰤計画の刺激を受けた[138][139]2006年の「男の娘COS☆H」では、参加者の交流により重きが置かれるようになった[134]。前述したように、「男の娘」という語はそこにおいて初めて記録に残る形で使用されることとなった[28]。来栖は、「男の娘」という言葉の定着はブリジットによるところが大きかったと述べている[128]。
この時期にはまた、一般向けの漫画でも志村貴子『放浪息子』(2002年)や、宮野ともちか『ゆびさきミルクティー』(2003年)・塩野干支郎次『ブロッケンブラッド』(2003年)・畑健二郎『ハヤテのごとく!』(2004年)[140]・遠藤海成『まりあ†ほりっく』(2006年)[141]など、女装少年の登場する作品が再び注目を集めている。
百合
1990年代以降、武内直子の漫画作品『美少女戦士セーラームーン』(1991年。1992年にアニメ化。)[143]・テレビアニメ『少女革命ウテナ』(1997年)・今野緒雪による少女小説『マリア様がみてる(マリみて)』(1998年)のヒットを契機として百合ブームが発生し、ジャンルとして定着した[144][145][146]。百合とは、性的表現を含まない女性同性愛の物語[147]、少女同士の淡い関係・微妙な距離感[144]などと説明されるようなポップカルチャーのジャンルであり、これもまた「男の娘」の背景のひとつと考えられている[148]。
まず、『セーラームーン』がアニメ化されると、セーラー戦士・天王はるかと海王みちるのカップルに代表されるような[149][150]同作のパロディが女性同人誌コミュニティで大量に作られるようになった[151][152]。それらの内容は百合であった[149][152]。社会学者の熊田一雄によれば、吉屋信子以来の高邁な魂を呼び合う二人
という百合のテーマは『セーラームーン』によって「身近な愛」へと一変した。この愛の形は男性にも理解しやすいものであった[153]。藤本も、同作の二次創作においてそれ以前の百合作品に見られたような暗さが消失したことを指摘している[154]。『ウテナ』の主人公・天上ウテナは男装した少女である[142]。従来女性の男装には、例えば『リボンの騎士』(前出)[155]や池田理代子『ベルサイユのバラ』(1972年)[156]などのように、社会的な力を獲得しようとする意思が繰り返し描かれてきたが[157][158]、ウテナのある種女性的な男装には、女性の生きづらさが減った、と思われた、二十世紀末の状況
(久米 2013, p. 71)を示唆するような試みがあった[158]。
つまり九〇年代初めは、女であることをマイナスの記号だと考えない人の割合が全体の二〇パーセントを越える、その転換期だったのである。〔……〕ストレートに「愛と正義のために」闘うセーラームーンの一方で、少年ものの雄たる『新世紀エヴァンゲリオン』の主人公・碇シンジは「なぜエヴァに乗るのか?」と自問自答し続けている〔……〕。 — 藤本 1998, p. 222、ルビは省略
そこへ続いた『マリみて』の影響は大きかった[144]。集英社の少女向けレーベル・コバルト文庫から刊行された[159]『マリみて』は、2003年[注 17]に男性の間で大きなブームを呼び起こし、2004年にはテレビアニメも放映される[148][133]。俗世から隔絶された男子禁制のミッションスクールで少女同士が恋愛的な関係(シスターフッド)を結ぶさまに、男性たちは「萌え」たのである[160][159][126]。どうして俺は女子高生じゃないんだ!
というファンによる関連掲示板への投稿は、彼らの間で名言として伝えられた[161]。
男性が百合を支持した理由について、熊田は、社会学者・岩井阿礼の「やおい」に関する実証研究を援用した仮説を提示している[163]。まず岩井は、「やおい」の作者・読者は良妻賢母を理想とするような古い女性ジェンダーに囚われ、男女の対等な関係を求める新しい女性ジェンダーとの間で板挟みになっているとし、「対等な対」のあり方に思いをめぐらせる思考実験あるいは避難の場として、「男性同性愛」という形式を、必要とした
のだと推測している[164][165]。その上で熊田は、男性もまた、女性を一方的に値踏みする古い男性ジェンダーと対等な関係を求める新しい男性ジェンダーの板挟みになっているとし、女性と同様に「対等な対」のあり方に思いをめぐらせる思考実験あるいは避難の場所として、「女性同性愛」という形式を必要とした
と推測するのである[166][注 18]。そして、複数の専門家が[注 19]、特にアダルトゲームにおける女装もののブームの背景にこの百合ブームがあったことを指摘している。
後述する、主人公が女装して女学園に通うという内容の『処女はお姉さまに恋してる(おとめはボクにこいしてる、おとボク)』(2005年、キャラメルBOX)には『マリみて』ブームの影響が強く見られる[148][173]。シナリオライターの彼佐真近は、『おとボク』をはじめとする女装美少年ものが2005年当時急速に流行しだしたことは『マリみて』という下地があったからこそだと述べている[169]。『PC NEWS』編集長(当時)の今俊郎も、アダルトゲーム市場のムーブメントは一般に周辺市場の動向に追随して生じると説明し、『おとボク』のブレイクも決して偶然ではなかったと述べている[168]。以下は、2010年の森瀬の記事における、シナリオライター2人の対談の抜粋である。
A:女装といえば、『おとボク』は当時、正直やられたと思った。マリみてを持ってくるアイデアとして、どうして自分では閃かなかったんだろうと。
B:2005年というと、ちょうどブリジットの影響が芽を出す頃ですね。 — A・Bともにシナリオライター、森瀬 2010, p. 78
ほかにも、『るいは智を呼ぶ』(2008年、暁WORKS)[148][174]や『花と乙女に祝福を』(2009年、ensemble)[175]などに『マリみて』の影響が指摘されている。日本近代文学研究者の久米依子も同様の認識のもとで、主人公が「男の娘」化するのちのライトノベル作品も、百合ブームから繋がった『おとボク』の影響を直接に受けたと推測している[176]。
吉本は、女装もののアダルトゲームには百合関係を体験したいという男性の欲望が反映されているとしており、女子校・女子寮潜入を題材とした漫画作品にも男性の体験願望が反映されていると解説している[148]。日本近代文学研究者の樋口康一郎は、百合文化を受容したオタク男性はもはや少女同士のコミュニティの中に男性が入ることを好まず、少女たちを鑑賞する位置に自らを置こうとする
と述べている(「空気系」も参照)[146]。
アダルトゲーム
アダルトゲームの市場は、1997年の『To Heart』(Leaf)や1999年の『Kanon』(Key)などのヒット以降、2002年にかけて急速な拡大を遂げていった[177][178]。それは業界にさまざまな表現の模索を可能とさせた[177]。「男の娘」キャラクターに本格的な注目が集まったのは2005年、このジャンルにおいてであった[179]。
アダルトゲームでは2004年まで、作中に女装少年を登場させることには賛否両論が存在していた[177]。例えば『はなマルッ!』(2004年、TinkerBell)では、ヒロインの一人が男性であることが発売まで伏せられていたため、購入した一部のユーザーがメーカーに抗議する事態にまで発展している[180][181]。しかし、2005年に『おとボク』と『はぴねす!』(ういんどみる)が発売されるとそうした状況は大きく変わった[182][179][177]。『おとボク』の主人公・宮小路瑞穂は、祖父の遺言で名門女学園へ無理矢理に入学させられるが、たちまち人気者となり、全校生徒の代表(お姉さま)に選出される[183]。『はぴねす!』のサブキャラクター・渡良瀬準は、ヒロインを攻略する主人公のサポート役でありながら、女装姿で小悪魔のような魅力を発揮し物語を牽引していく[181]。2人はともに、メーカー公式のキャラクター人気投票でヒロインたちを差し置いて1位を獲得したのである[173][177]。
瑞穂と準は、大空ひばり[69]や有栖川桜[62]らと違い、自身を男だと明確に認識しているキャラクターであった[177]。来栖は、瑞穂と準が2000年代半ばを代表する「男の娘」であったとし、2人が同じ年に登場したのは偶然ではなかったという趣旨を述べている[184]。吉本は、瑞穂と準をまさに「男の娘」と呼ばれるに相応しいキャラクターであった
と評し、それまではっきりしなかった「男の娘」の基準がこの2人により明確化されていったと述べている[177]。
瑞穂と準は〈男の娘の理想型のひとつを示した〉のである。
—吉本 2015, p. 216、出典の強調は傍点
暮沢も、瑞穂と準を「男の娘」の歴史におけるエポックメーキングなキャラクターと評している[179]。両者の設定上の差異はまた、「男の娘」キャラクターに豊富なバリエーションが存在することを示していた[185](「男の娘キャラクターの一覧#分類」も参照)。
では、なぜ女装少年は魅力的なのか——〔……〕何より重要なのは、そのキャラが実は男であるというギャップです。〔……〕『はぴねす!』の準がまさにそれ。〔……〕
また、男性にとって同性である女装キャラは、自己をより投影しやすい存在でもあります。〔……〕例えば『おとボク』の瑞穂になりきることこそ、萌えの究極形態と言えるでしょう。そして、この2つの作品が2006年にテレビアニメ化されたことで、それまで成年向けコンテンツに触れることのなかった人々にも「男の娘」的なキャラクター類型の存在が広く知られるようになった[186][187][注 20]。テレビアニメ『乙女はお姉さまに恋してる』(『処女は—』から改題[189])は2006年の全アニメ作品を対象にした「このアニメがすごい! 2007」で13位に入賞し[190]、宮小路瑞穂は第29回アニメグランプリで男性キャラクター部門の11位にランクインした[191]。
吉本は特に準の果たした役割を評価している。メーカー公式サイトで「オカマちゃん」と紹介されていた[192][48]準のデザインは、従来の女装少年のそれとは一線を画していた[177]。瑞穂のような胸の膨らみがなく、肩幅も女性キャラクターに比べればわずかに広く描かれており、全体において目立たない程度に男性らしさを主張するものであった[177](吉本はそこに女装ショタの影響を認めている[104])。ここにおいてついに「男の娘」の描き方のスタンダードが確立
(吉本 2015, p. 218)したのである。
準は、〈男の娘の描き方を完成させた〉点で、重要な役割を果たしたのである。
—吉本 2015, p. 217、出典の強調は傍点
準は「準にゃん」という愛称で親しまれるようになり、ファンディスクでは攻略対象のヒロインに昇格した[192][48]。2007年には渡良瀬準のオンリー即売会「準にゃん足りてる?」が開催されている[133]。森瀬は、準がアダルトゲームにおける「男の娘」属性確立のターニングポイントとなったと述べている[192]。宮本は、二次元の「男の娘」の確立の基盤となったキャラクターの一人として準を評価している[48]。
『おとボク』と『はぴねす!』のヒットにより、女装ものはアダルトゲームにおいてブームを迎え[193][注 21]、『恋する乙女と守護の楯』(2007年、AXL)・『キラ☆キラ』(2007年、OVERDRIVE)などの作品があとに続いた[194]。このブームを受け、すでに『空想女装少年コレクション』(2005年)を出していた[179]一迅社から、『女装少年コレクション ゲーム編』(2008年)・『女装少年コレクション ゲーム編2009』(2009年)が続けて刊行された[193]。2005年後半から2008年前半までに登場した女装少年キャラクターは48人(『ゲーム編』)であったのに対し、その後2009年前半までにさらに39人(『ゲーム編2009』、重複1人)が登場する事態となっていた[195]。吉本は、わずか1年で驚くべき伸びを示したと述べ[195]、2008年から2009年にかけて表現の幅が広がりを見せたと分析している[196]。
三次元の女装
後述する「男の娘」ブーム期のことになるが、伊藤は2009年の印象に残ったこととして同人誌即売会・コミックマーケット(コミケ、コミケット)での体験をのちに次のように語っている。
ニコニコ動画の本格運用が始まり、『東方Project』シリーズ(1996年 - 、上海アリス幻樂団)はVOCALOID・アイドルマスターと並ぶ「御三家」の一角として[197]2008年ごろから爆発的なブームを形成していた[198][12]。『東方』キャラクターのほぼ全員が少女の姿をしていたにもかかわらず、作品の男性コスプレイヤー(必然的に多くは女装コスプレとなる)は急増した(図4)[199][12]。谷川流原作のアニメ『涼宮ハルヒの憂鬱』(2006年)の女装コスプレも多く、イベント会場は多くの女装コスプレイヤーでにぎわったという[200]。
ターニングポイントになったといわれるのが、2007年に一迅社が刊行した初心者向けの女装マニュアル『オンナノコになりたい!』である。同種の指南書はそれ以前にも存在しなかったわけではなかったが[201]、表紙に萌え絵をあしらった『なりたい!』のデザインは二次元の女装キャラクターに憧れるオタク男性を主な購買層に据えたことをうかがわせるもので[12]、内容的には目新しいものがなかったにもかかわらず、この本は大きな話題を呼んだ[202][注 22]。
二次元と三次元のボーダレス化は着々と進行した。二〇〇七年、一迅社から『オンナノコになりたい!』という女装指南書が発売され、ベストセラーになる。この本が二次元と三次元の女装を繋ぐターニングポイントとなった。
—川本 2014, p. 142、強調はウィキペディア
二次元で「男の娘」が普及していくにともない、各地の同人誌即売会では「男の娘」キャラクターのコスプレが増加し、「男の娘」をタイトルに冠したコスプレ同人誌も作られるようになった[205]。『東方』などの人気も背中を押し、現実世界でも新しいタイプの若い女装者が目立つようになる[12][206]。
『東方』の人気は、女装という行為を一気に普遍的なものへと昇華させた。
—椿 2011, p. 28、強調はウィキペディア
そうした現実の女装男性にも、この時期徐々に「男の娘」の呼称が使われはじめていた[12][207]。「男の娘」は女装した男性を無条件に指すものではなく、見る側の、特に二次元的なかわいらしさに対する評価が重視される言葉である[208](#定義も参照)。「男の娘」たちは二次元キャラクターの姿を理想としつつ[209][206]、商業作品キャラクターのコスプレとしてではない、自己表現としての独自の女装を指向した[206]。旧来の女装者もこうした異変に気がつくようになり、このことは現実世界の女装の系譜に二次元の「男の娘」文化が接続を果たしたことを示していた[206]。
『なりたい!』の発売と同じ2007年の8月、秋葉原では女装メイド喫茶「
さらに同じ2007年8月、モカというトランス女性により、定期開催の女装イベント「プロパガンダ」も立ち上げられている[138]。mixiコミュニティでの告知から始まり、新宿二丁目にある収容人数50人の店で第1回が開かれた[213]このイベントは、回を追うごとに参加人数が膨らんでいき、やがて国内最大規模の女装の祭典へと成長していく[33]。川本は2014年に、プロパガンダは女装の歴史のうえでの分水嶺だった
と振り返っている[214]。
『なりたい!』のあとには『オトコの娘のための変身ガイド』(2008年、遊タイム出版)[215][177][注 23]・『女の子の声になろう!』(2009年、秀和システム)[217][218]など、数多くの入門書が続いていった。伊藤は、こうした指南書からも、二次元の「男の娘」を理想とし、現実でそれを再現したいという動きが起こっていたことが読み取れるとしている[201]。吉本は、現実の男性に影響をおよぼしたであろう作品として、自身の男性ジェンダーに違和感を持ち、女の子になりたいと願う少年をそれぞれ主人公としていた『放浪息子』『ゆびさきミルクティー』(前出)を挙げている[219]。来栖は、子供のころに読んだ『少女少年』(前出)などの影響を受けて女装を始めた者も多かったようだと述べている[79]。
「男の娘」ブーム
2006年以降、「男の娘」という概念は次第に認知されるようになり、普及していった[193](#三次元の女装も参照)。アダルトゲームでは制作側がこの言葉を意識しはじめ、2007年の『ツイ☆てる』(c:drive)公式サイトに「男の娘」の記述が出てくる[122]。ショタアンソロジーでも、2007年末になり「男の娘」という表現が初めて登場する(吉本調べ)[220]。2008年のメディアミックス『オトコのコはメイド服がお好き!?』(ホビージャパン)を分析した吉本は、渡良瀬準に始まった「男の娘」キャラクターの描き方がこの時期には確立していると判断している[220]。
2009年にかけて「男の娘」は急成長していく[220]。2007年にイラスト投稿サイトのPixivが[221]、2008年にTwitter日本語版が[222]それぞれサービスを開始すると、個人が作品を発表するハードルは大幅に低下した[221]。「男の娘」は当時流行しつつあった萌え擬人化などとイラスト作品の相性がよく、インターネット上でブームとなっていった[223]。2009年のニンテンドーDS向けゲーム『THE IDOLM@STER Dearly Stars』(バンダイナムコゲームス)の主人公の一人・秋月涼は、女装した少年であった[224]。ブリジットのときと情報の出し方が似ており[225]、男ではないかという大方の予想が的中すると、「バンナム、はじまったな」などと喝采が上がって[226]人気キャラクターとして定着した[225]。同人サークル「テクノコスプレ研究会」主宰のあしやまひろこは、『ひばりくん』と松本トモキ『プラナス・ガール』(2009年)の対比のうちに1980年代から2000年代に至るまでのパラダイムシフトを見いだしている[227]。かつての大空ひばりは家族以外には本当は男であることを隠さなければならなかったが、『プラナス・ガール』のヒロイン・藍川絆は性別を偽らずとも学園のアイドルとして受け入れられる[69][70]。あしやまは、「かわいいは正義」が(2000年代において)作品のシンプルなテーマとして通用するようになったと述べている[227]。
2009年5月、三和出版から成年向け女装美少年専門誌『オトコノコ倶楽部』(のちに編集者の井戸が独立し『オトコノコ時代』(マイウェイ出版)へと改題[228][229])が刊行され[230]、創刊号はマニア誌としては異例の発行部数を記録した[229][注 24]。井戸は、「男の娘」という語を当時頻繁にインターネットで見かけるようになっていたといい、男の娘ということばのポップな、現代的なイメージを借りれば、ことば自体もキャッチーだし、〔従来のニューハーフ雑誌より〕もっと幅広い層に受けるんじゃないか
と考えたのだという[229]。2009年ごろまで「男の娘」という語は「女装少年」とシェアを競っていたが、2010年代に入ると[232]「男の娘」が一般化し、「女装少年」を置き換えるようになっていく[232][220]。
三次元では「プロパガンダ」以降、女装関係の飲食店・イベントが増えていく[214]。東京の女装文化の中心は1990年代までは新宿であったが[233]、「男の娘」文化の中心は秋葉原であった[233][234][235]。
2009年5月[236]、雲雀亭のスタッフが分かれる形で[210]「男の娘カフェ&バー NEWTYPE」が同地に開店する[237][238]。「NEWTYPE」は常設の店舗であり[239]、男性向けの女性用メイク講座を開いたり[204]、店員の写真集やDVDを発売するなどして[注 25]秋葉原の女装文化の中心的な存在になっていく[240]。2009年以降「男の娘」に関するメディア報道が増えていったが(図5)、それらの多くが「NEWTYPE」を取材したものであった[220]。
2009年11月には、化粧した男性たちが美しさを競い合うイベント「東京化粧男子宣言!」が東京都荒川区で開催されている[241]。主催は『オトコノコ倶楽部』第1号の表紙を飾った井上魅夜[242]。司会は女装タレントのいがらし奈波[243]。ニューハーフAV女優の月野姫[243]や、ミス・ユニバース・ジャパン主催企業社長の谷本龍哉、漫画家のいがらしゆみこ(奈波の母)、三橋[244]らが審査員を務め、これもテレビ局の取材を受けた[245][246]。
また、複数の大学で女装コンテストが活発に開かれるようになった[247][248]。2011年には川本が確認しただけで、東京大学・電気通信大学・東京工業大学など6校でコンテストが実施されている[247]。参加者の大半がオタクであったという[249]。筑波大学はつくばエクスプレス(2005年開業[139])で秋葉原と結ばれ、川本によれば最も盛んに女装がおこなわれる大学となっていた[250]。女装の流行は彼らを中心として若年層に広がり[251]、インターネットには若い男性の女装画像が大量にアップロードされるようになった[2]。Twitterでは「#女に見えたらRT」などというハッシュタグが使われていた(2013年時点)[252][253]。
比較文化学者の佐伯順子がおこなった調査によれば、「男の娘」「女装子」の新聞メディア初出は、2010年1月27日付け[注 26]読売新聞の以下の記事である[254][注 27]。
「 | 「ジョソコ」っていったい何? 「女装子」と書けば分かる通り、趣味で女性ファッションを楽しむ男性のこと。女性と見まがう美しい人もいて、今やテレビで特集が組まれたり、「男の娘(こ)」という言葉が生まれたりするほど広がり、ゲームやアニメにも当然のように登場します。〔……〕 | 」 |
NHKの英語ニュース番組『NEWSLINE』は2010年2月、こうした日本の現象を「Boys will be boys?」と題して世界百数十カ国に向けて紹介した[255]。コメント出演の依頼を受けた三橋によれば、驚いた三橋がそんなニュースを流して大丈夫なのかと確認したところ、番組のディレクターは実は、日本国内よりも外国で注目されているので、十分ニュース価値があるんです
と答えたという[255]。5月にはBS情報番組『MAG・ネット〜マンガ・アニメ・ゲームのゲンバ〜』でも「男の娘」が特集されている[256](吉本らが出演[257])。
そしてこの年には「男の娘」の一般向け専門誌が2誌創刊された[258][228]。月刊漫画誌の販路を有していた一迅社の『わぁい!』と、実話・実録系雑誌を強みとしていたミリオン出版の『
さらに両社からは、「男の娘」漫画のアンソロジー・単行本が大量に出版された[119]。すでにスクウェア・エニックスが先行しており、両社やエンターブレインがあとに続いた格好であった[239]。成年向けの「男の娘」漫画も発行点数が増えた[119]。前出のショタアンソロジー『少年嗜好』『好色少年のススメ』は、それぞれ「男の娘」アンソロジー『オトコのコHEAVEN』(メディアックス)・『好色少年』へと受け継がれ、この両誌が2010年代を牽引していった[262][263]。成年向けの漫画は、吉本によれば明確にショタアンソロジーの系譜に連なっていた[119]。1990年代末にショタアンソロジーで執筆していた作家たちが「男の娘」漫画の担い手になっていたのである[119]。さらに、性転換もののアンソロジー『チェンジH』(2009年、少年画報社)など、隣接する領域も活性化した[119]。
アダルトゲームではおとこの娘倶楽部のような専門ブランドも設立され[264]、女装ものの年間発売本数が2010年と2011年にそれぞれ42本(吉本調べ)にもおよんだ[193]。2011年には「男の娘」がヒロインを務める作品が増えたという報告がある[265]。同年の、全ヒロインが「男の娘」という内容の『女装山脈』(脳内彼女)はヒット作となり[266][267]、萌えゲーアワードの話題賞・金賞を受賞した[268][122]。翌2012年に発売された『月に寄りそう乙女の作法』(Navel、前出)は同アワード最高の賞である大賞を受賞し、この流れに続いた[269]。
# | 男性部門 | 女性部門 | 総合 | 出典 |
---|---|---|---|---|
2009 | 1位 | 10位 | 2位 | [270] |
2010 | 1位 | 7位 | 1位 | [271] |
「男の娘」は文字媒体との親和性も高かった。作者が「男」として書けばどのような人物でも男ということにできるからである[28]。ライトノベル業界は2010年ごろから大量生産・大量消費の時代に突入しており、差別化が求められていた中で「男の娘」はよく見映えのするものであった[272]。2009年の論稿で、ライトノベルに中性的な女装少年を魅力的に描く物語が出始めている
と書いた久米は、2013年になりそして四年経った現在、女装少年は〈男の娘〉と呼びならわされ、もはやライトノベルの登場人物としては〈標準仕様〉と言いたくなるほど一般化してしまった
と報告した[273]。久米[274]・樋口[275]・伊藤[276]らは、代表例として井上堅二『バカとテストと召喚獣(バカテス)』(2007年、ファミ通文庫)の木下秀吉や、白瀬修『おと×まほ』(2007年、GA文庫)の白姫彼方、築地俊彦『けんぷファー』(2008年、MF文庫J)の瀬能ナツル、平坂読『僕は友達が少ない』(2009年、同)の楠幸村、逢空万太『這いよれ! ニャル子さん』(2009年、GA文庫)のハス太、木村心一『これはゾンビですか?』(2009年、富士見ファンタジア文庫)の相川歩、渡航『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』(2011年、ガガガ文庫)の戸塚彩加、水沢夢『俺、ツインテールになります。』(2012年、同)の観束総二などを挙げている。特に『バカテス』の秀吉は、男性キャラクター・女性キャラクターの両面で読者の支持を集めた[75][277](表2)。またこの時期、こうした領域では従来性転換ものが主流であったジュブナイルポルノでも「男の娘」作品が登場している[278]。
メディアミックスはすでに一般的となっており、アニメにおいても「男の娘」は数を増やしていく[279]。吉本は、代表的な作品として『ハヤテのごとく!』(2007年)などを挙げている[226]。来栖は、2011年の主な作品として『放浪息子』『まりあ†ほりっく あらいぶ』や『STEINS;GATE』(原作は5pb.のXbox 360用ゲーム[280])などを挙げ、同じクールに複数の「男の娘」キャラクターが登場したこともあったと報告している[281]。『STEINS;GATE』の漆原るかに対する「だが、男だ」という主人公の独白は、以降ほかの「男の娘」キャラクターにも使われる定番の台詞となった[282]。アニメ雑誌『娘TYPE』が、ブームの火付け役・牽引役として同年に名前を挙げたのは『バカテス』(2010年にアニメ化)の秀吉であった[283]。2014年には佃煮のりおが『わぁい!』で連載していた『ひめゴト』もテレビアニメ化を果たす[284][285]。サブカルチャーの全域で、「男の娘」は脚光を浴びていった[188][273][275]。
2011年5月[286]、ドワンゴと提携した井上がニコニコチャンネル内に『男の娘☆ちゃんねる』を立ち上げる[287][288]。その主力コンテンツ「男の娘だョ! 全員集合」のパーソナリティは、女装タレントの桜塚やっくん・モカ・「NEWTYPE」を経営する「茶漬け」らであった[289]。2011年9月のバラエティ番組『スッキリ!!』(日本テレビ)は、「男の娘」特集を流した際、テロップの「男の娘」に読み仮名を振ることをもはやしていなかった[290]。川本は、2012年に実写映画『僕の中のオトコの娘』が公開されたことなどを取り上げ、「男の娘」という言葉が(この時期)確実に一般社会にも浸透しはじめたと述べている[291]。ニューハーフヘルスの中にはキャストを「男の娘」として売り出す店も出てきた[132]。関西の女装ブームの中心は大阪であった[292]。千日前の味園ビルで2008年に始まった女装イベント「ウルトラ・エクセレント」は2013年ごろから活気を帯びていった[293]。東京とは雰囲気が異なり、井戸により女装の世界に東西の分断が起こっている
と評された[293]。
50人の会場でスタートした「プロパガンダ」は、より大人数の参加者を収容するため、新宿の中で次々に開催場所を移していった[294]。川本著『「男の娘」たち』(2014年)には、2012年当時の様子が次のように記されている。
二〇一二年二月二五日二一時三〇分、風林会館五階の狭いエレベーターホールは女装子、MtF、男性、女性でごった返していた。プロパガンダは毎月の最終土曜日、二二時から新宿歌舞伎町の「風林会館ニュージャパン」で開催されていた。規模は四〇〇人ほどで〔……〕。会場内ではすでに江戸時代の陰間茶屋(男娼が男女をもてなす娼館)をコンセプトとするバー「若衆bar化粧男子」の店主、井上魅夜が、和装姿で二人のスタッフを引き連れて入場していた。プロパガンダを、ドワンゴと提携して配信しているニコニコチャンネル『男の娘☆ちゃんねる』(現=『TJTV』)で中継するためだ。
一人で来た客を楽しませるためにモカが結成したプロパガンダ・ガールズもスタンバイしていた。〔……〕ガールズは総勢七人。最古参で秋葉原にある「男の娘カフェ&バー NEWTYPE」の共同経営者chiakiがリーダーで〔……〕。
この日はテレビクルーも入っていた。モカがリポーターを務めるエンタメ〜テレHDのテレビ番組『二丁目なう』のスタッフたちで、今回は初回放映の撮影だ。テーマはモカ自身がプロパガンダをリポートするというもので、彼らはかなりのやる気を見せていた。
二二時、開場と同時に参加者が雪崩れ込んでくる。 — 川本 2014, pp. 31–34、ルビは省略
「男の娘」ブームは2008年から2014年ごろにかけて続いた[295]。吉本は、爆発的なブームが観測されたのは、二次元では2012年から2013年にかけてであったとしている[296]。井戸は、2013年ごろには勢いが落ち着いていたと語っている[297]。来栖は、文化として最も活気があった時期は2009年であったと述べている[210]。
成立の背景
文化・歴史的背景
ユダヤ・キリスト教文化圏から日本を訪れる人が、テレビ番組のオネエタレントを見て驚くというのは珍しくない話である[298]。旧約聖書には女は男の着物を着てはならない。また男は女の着物を着てはならない
(申命記22章5節)と記されている[299][300]。百年戦争の英雄、ジャンヌ・ダルクは異端審問で火刑に処せられたが、神の教えに背いたとされた決定的な理由は彼女の男装であった[300]。旧約聖書にはまた、男性同性愛をおこなった者は必ず殺されなければならない
(レビ記20章13節)とも書かれており[299][300]、フランスには1726年に男性同性愛者が死刑になった記録が残っている[301]。一方、日本の神道・仏教には旧約聖書のような規範が存在しない[300]。
日本における「女装した少年」の起源を遡ると『古事記』『日本書紀』のヤマトタケルにたどり着くことは複数の専門家が指摘している[注 28]。ヤマトタケルは叔母から贈られた「
女人禁制を建前とする仏教界は男性同性愛文化の温床であった[307]。また、女装芸能の発祥の場所でもあった[308]。日本の中世寺院社会では稚児と呼ばれた女装の少年が僧侶の男色の対象とされていて[300][309]、儀式の場では延年などの芸能を披露していた(その模倣が白拍子である)[310]。やがて、猿楽・田楽・延年などを源流とし、性別越境を特徴とする能や、阿国歌舞伎が生まれる[311]。江戸幕府により女性が遊女歌舞伎に出ることを禁じられると若衆歌舞伎が盛んになり[312][313]、そこから近世歌舞伎の女形が発生していく[300]。歌舞伎の世界で端役さえ与えられず舞台に立つ機会のない者は「陰子」と呼ばれた[314]。陰子は生活のために茶屋で接客業に従事するようになったと考えられ、茶屋で色を売る女装の少年を「陰間」と総称するようになった[315]。フランスなどとは対照的に、18世紀の日本では陰間が接客する陰間茶屋が繁盛していた[301][316]。
西洋には女装を肯定的に描いた作品がアジア地域と比較して少ない[317]。日本では宗教上の制約などがなかったこともあり、女装(異性装)を題材とした作品が古くから多く見られる[318]。オリジナルが散逸し、現代には改作のみが伝わる『とりかへばや物語』(作者不詳、平安時代末期)は、そのようなジャンルでは先駆的と評されるもので、のちの数々の作品にも影響を与えている[319]。『南総里見八犬伝』は、1814年から1842年にかけて曲亭馬琴が著した長編伝奇小説である[320]。里見家復興のため活躍する八犬士のうち2人は女装しており[321][75]、特に犬坂毛野は八犬士中随一の人気を集めた[322]。三橋は、これは馬琴が江戸庶民の嗜好に合わせた側面もあったと推測している[322]。
もともと『女装が似合うような男が美男子』という感覚を日本人はずっと抱いてきた。
—三橋、共同通信 2010
キリスト教規範の影響の下、性別越境者に対する差別が強まったのは明治時代前期(1870年代 - 1880年代)以降のことである[316]。一時期、異性装は違式詿違条例という法令で禁止されていた[323][324]。西洋の精神医学も異性装の文化に影響を与えた。1886年にドイツの精神科医クラフト=エビングが『性の精神病理』を著し、日本にも紹介されると[325]、これが元となった通俗性欲学が大正から昭和初期(1910年代 - 1920年代)にかけて広まっていく[326][316]。それによれば「女性的男子」とは変態性欲という精神病の小分類のひとつであり、その最も好むところのものは、女装を為すこと
であった[327]。(クラフト=エビングらの目的は、「背教者」として迫害されていた西洋の性別越境者たちを医療施設に保護することにあった[328]。)
第二次世界大戦後、性別越境の文化は抑圧から解放される[329]。終戦間もない時期には女装した男娼が上野などの街頭に立ち[329]、1950年代には丸山(美輪)明宏に端を発したゲイ・ブームが到来する[330]。ゲイバー世界は男性同性愛者と女装者が混在するものであったが[331](「女装子」という言葉が後者に対する蔑称として生まれたのはこの時期である[332])、1960年代から1970年代にかけて住み分けが進んでいった[333]。1970年代にはピーター(池畑慎之介)がスターとして活躍している[334]。美輪や池畑は、例えば『玉三郎恋の狂騒曲』(前出)の主人公・楡崎玉三郎のモデルにもなったと目されている[335]。また、この時期にはイタリア・フランス合作映画『ベニスに死す』(1971年)に出演したビョルン・アンドレセンの影響もあり、竹宮恵子『風と木の詩』(1976年)や、魔夜峰央『パタリロ!』(1978年)といった少女漫画作品に多くの女装美少年が登場している[334]。1980年代には、男性のホステス・松原留美子がポスター企画「六本木美人」のモデルとして起用されたことを切っ掛けに、ニューハーフブームが発生した[336][334]。『ひばりくん』はこのブームを背景として作られた作品である[337][338]。1988年にバラエティ番組『笑っていいとも!』(フジテレビ)でニューハーフのコーナーが始まると[339]、1992年ごろから1995年ごろにかけて多くのニューハーフがテレビ番組に出演し、オネエタレントとして活動するようになっていった[340]。
稚児や陰間などの女装を重視していた伝統的な文化は、現代でも新宿や六本木のニューハーフ・パブ、新宿歌舞伎町周辺の女装コミュニティ(セミプロの世界)などに引き継がれている[341](対して、主に新宿二丁目周辺の女装を必要としないゲイのコミュニティが汲んでいるものは衆道の流れである[342])。三橋は、三次元の「男の娘」もそうした性別越境文化の長い伝統に連なるものであり、現代の特異現象などではないと主張している[343][344]。佐伯は、「男の娘」はアニメや少女漫画といったポップカルチャーと強く結びついたまったく新しい女装現象であるとしつつ、それが性別越境の手段ではなくコスプレの一種であったことが江戸時代以前の社会的寛容への接続を可能にしたと考察している[234]。
インターネットは重要な役割を果たしたとされている。かつては本格的な女装を始めるためには、ニューハーフ・パブなどの世界や女装コミュニティに入るなどしてやり方を学んでいくのが普通であった[225](アマチュア女装者はまた、エリザベス会館などの女装クラブにも集まった[345][346])。「プロパガンダ」を主宰(2015年時点)していた西原さつきは、インターネットの普及により女装に関する情報が簡単に入手できるようになり、ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)などで仲間と交流しやすくなっていたことに加え、「男の娘」という言葉の登場もあり、女装がポジティブでカジュアルなものに変わったと述べている[43]。井戸も、若者が女装の方法をインターネットで学べるようになったことが大きいとし[346]、次のように述べている。
いままでは情報がなくて、メイクのしかたひとつとってもわからなかった。女装しようと思っても、初めてやるときはすごく敷居が高いんです。まずお金がかかるし、女装用品をバレないように隠さなきゃいけない。むかしよく言われていたのは、女装趣味というのはひとりの愛人を囲うくらいコストのかかることなんだと。〔……〕いまはインターネットが使えればメイクのしかたとかいろいろな情報に接することもできるし、ちょっと女装をして写真をネットに上げればかわいいと言われるような増幅装置もある。 — 井戸 2015, p. 187
来栖も、三次元の「男の娘」文化は動画配信のようなインターネットの双方向メディアと相性が良かったと述べている[347]。二次元の「男の娘」の成立にもインターネットは必要不可欠であった[348](#「男の娘」ブームなども参照)。
そのほかには、市販化粧品の品質が向上したことも三次元の流行の大きな一因となっていた[349]。『マンガで振り返るオトコノコ10年史』(2020年、三和出版)は、写真編集アプリの登場と「盛る」文化の興隆がこれらに拍車を掛けたとしている[350](柴田 2015なども参照)。また西原は、日本人はもともと骨格の男女差が小さく、女装向きの民族であったことも手伝ったと指摘している[349]。三橋も、西原の言うような傾向が2012年時点で以前より顕著になりつつあると述べている[351]。
メカニズム(二次元)
「男の娘」を視点人物(主人公)に据えた『おとボク』の登場に対し、いち早く考察をおこなった一人が評論家の本田透である。主人公の宮小路瑞穂は『マリみて』を彷彿とさせる女学園に女装して編入し、女生徒たちと親睦を深めていく。そこでははじめ友人関係が結ばれ、それが百合関係に発展し、最後に男であることが露見して恋人関係になる[352]。本田が着目しているのは、従前に結ばれた対等な対としての関係が、新たな関係に進展したあとも、
- 友人関係
- 友人関係+百合関係
- 友人関係+百合関係+恋愛関係
というように継続する点である[353]。瑞穂はまた、プレイヤーの感情移入の対象でありながらしばしば画面上にその姿が映し出される[354][173]。本田は、主人公が女装することで主人公に感情移入するプレイヤー自身が「萌え」の対象になっていると指摘し、現実における男女の恋愛とはもはや無関係な、そして現実世界では実現不可能な新しい関係性
が実現されていると考察している[355]。
ところで、男性が女性キャラクターに感情移入するにあたっては外見と性感の乖離が障害になるはずであった[169][11]。その点について、同じく『おとボク』の人気を分析した椿は、永山の以下の講演内容[注 29]を援用しつつ、宮小路瑞穂(一般に主人公タイプの「男の娘」)はプレイヤーにその乖離を乗り越えさせるため、必然的に男性器が描写されているものだと主張している[11](「ミラーニューロン」も参照[356])。
八〇年代末期から囁かれてきたことなんですが、エロ漫画の作者、読者というのは実は女の子になりたいんじゃないかということがあるんですね。男性向けエロ漫画には、だいたい四半世紀、長めに見積もって半世紀の歴史があるんですけれども、そこで繰り返し描かれてきたのは、結局女の子が気持ちよくなっている画像ばかりなんですね。そうすると、やっぱり一所懸命頑張っている男になるよりは、気持ち良くなっている女の子になったほうが得だよねという意識がどこかで働いているのではないかと思います。
そこに、やはり男が女の感覚をシミュレートするのは難しいので、ペニスも残しておきたいということで、ふたなりブームやシーメールのブームが来るわけです。ただ飛躍が大き過ぎる。そこでショタ=少年の身体ということになるわけですね。魔北葵という漫画家が指摘したことですが、ショタになぜみんな惹かれるかと言えば、あれはつまりロリータ体型のシーメールだからだと言うんですね。
— 椿かすみによる永山 2003, pp. 52–53の抜粋[11]
椿は同時に、アダルトゲームは反家父長制的かつ超家父長制的な感覚に支えられ
ているという批評家・東浩紀のアイデア[357][358]を借りて、以下のように整理している。「男の娘」が主人公となるゲームのプレイヤーは、気持ちよくなる女性の立場と服従させる男性の立場に同時に感情移入しており[290]、男性器の描写がそれを可能にさせているというのである[11]。
|
反家父長制 | 超家父長制 | 受容のされかた | |
---|---|---|---|---|
アダルトゲーム(東) | →詳細は「AIR (ゲーム) § 批評」を参照
| |||
男の娘ゲーム(椿) | モテない(家父長たりえない)プレイヤーは、物語世界の疑似恋愛に逃避するが、同一化する視点人物は女装している。反家父長制的な心理に加え、男性性を放棄する態度までもがここに表出している[11]。 | 主人公は、複数の女性キャラクターと性交渉を持つ。あるいは女装した主人公自らが陵辱される。現実世界のプレイヤーにとって、結局、女性キャラクターは単なる攻略対象に過ぎない[11]。 | プレイヤーは、気持ち良くなる女性の立場と、服従させる男性の立場の双方に、多重人格的に感情移入している[290]。この二面性(男性の解離)を視覚が受容している[358]。 |
同様のことを2005年の時点で彼佐がすでに指摘している。百合文化を受容したアダルトゲームのプレイヤーは美少女同士のシスターフッドに憧れるものの、感情移入するキャラクターが女性であっては感覚の乖離が生じてしまう。また男性として挿入することもできなくなる[169]。彼佐は、そのジレンマを女装少年はクリアしてしまったと述べ、男性プレイヤーも「やおい」を楽しむ女性と同じように「受け」側(特に後輩ヒロイン)に感情移入しているのではないかという仮説を立てていた[169]。
椿は、「男の娘」が攻略対象であるゲームにおいても、やはりプレイヤーは男性的に解離していると述べている[11]。永山が2014年になって「男の娘」漫画に関して示した見方も同様である。ショタ漫画の男性読者が「攻め」と「受け」の両方に感情移入していることはすでに解明されていた[359](やはり男性器がポイントとなる[360])。永山は、ショタが一般向けに浸透したものが「男の娘」である以上、それはオートエロティシズムの文脈で読み解くことができると述べている[361]。来栖は、(成年向け媒体における)「男の娘」の魅力は、少女の外見をしているにもかかわらず男性器がある点に集約されると断じている[362]。この問いには確実な答えがある。ペニスである。
[363]
一方、男性器を露出させない一般向けの「男の娘」には、こうした欲求・感情移入の形を当てはめることができない[187]。椿は、登場キャラクターの性別がはっきりと男と女に分かれていた従来のハーレムものなどにおいては、異性のキャラクター間に発生する感情は恋愛感情だけであったと指摘する[187]。「男の娘」はそこへ男性でも女性でもない/ある存在
として投入され、
- 男性たちのアイドル的な存在になり、ときには本気で惚れられたり、
- 女性たちの輪に自然に溶け込み、ときには女性から告白されたり、
- 「男性の気持ちを知り尽くした女性」として、男性からの恋愛相談にのったり、
といった役割を務めるようになった[364]。椿は、これらによって生み出されるキャラクター関係のダイナミズム・関係性の多様さこそが、脱がない「男の娘」の作品にもたらす魅力なのではないかと考察している[364]。このことは女性向けの作品、特に「やおい」に通じるものがあるという[365]。
水野は、オタク男子を対象としたインタビュー調査をおこなっている。「男の娘」の魅力とは何かという質問に対し、ある19歳の男子高専生は要旨次のように回答している[366][52]。
- 異性である女性の考えていることは理解できず、一緒にいると疲れるが、
- 同性である男性であれば思考がわかりやすく、そばにいても楽である。
- さらに、かわいいので癒やされる。
この学生は女性に対して距離感を持っているが、性的指向は異性愛であるため男性グループの中にいるだけでは満足できない。水野は、安心できる同性でありながら女性的なかわいらしさをあわせ持つ「男の娘」が、インタビュイーのジレンマを解決する存在になっていると分析している[367]。
社会的背景
このように、女装少年〔男の娘〕には、男性の様々な欲望や願望が込められている。それはとりもなおさず、女装少年を作り出し、女装少年を熱狂的に楽しむ男性たちが、様々な抑圧を受け、不自由な思いをしていることを浮き彫りにする。—吉本 2009, p. 26
三橋が最も重要と指摘している背景は、男性たちの女装に対する価値観の変化である[368]。かつての男性上位社会においては、女装には「下降」のイメージがつきまとっており、マゾヒズムとも無縁ではなかった[369][368]。しかし第二次世界大戦後、男性優位主義的な価値観は崩壊の一途をたどり、旧来文化から「かわいい文化」へのパラダイムシフトが生じた[370]。これは、高度経済成長の終わった1970年代中ごろから1980年代にかけて顕著な社会の動きであった[371]。三橋は、男女雇用機会均等法(1986年施行)の定着なども経て[372]、現代の日本人は男性文化よりも女性たちの「かわいい文化」のほうを上位に感じるようになっていると説明している[373][146]。三次元の「男の娘」たちの根幹にはより輝いているあこがれの女の子ライフに近づいていく
という「上昇」志向があり、女装する彼らに対する社会の評価もまた肯定的なものに変化しているのだという[373]。同趣旨のことは『現代視覚文化研究 Vol.4』(2010年、三才ブックス)の対談記事(ノトフ、(福))でも語られている[374]。吉本は、二次元の「男の娘」にも、「かわいいものを愛好したい」「かわいくなりたい」、あるいは「女の子になりたい」という男性の願望が反映されていると述べている[375]。
バブル景気(1985年11月 - 1991年2月[378])の崩壊に、男女によるパイの奪い合いもかさなって労働条件は悪化し、男性の収入は減少していったが[379]、その一方で、外に出て働き、家族を養うのは夫の役割(性役割)であるといった戦前からの考え方は現代社会に依然として残り続けた[379][380]。毎日新聞は2013年、三次元の「男の娘」の背後に「生きづらい男社会」の現実や、男でいることの閉塞感が、現実の社会の映し鏡のように
存在している可能性を報じている[372][20]。記事中で佐伯は、男性は『稼がなければ』とプレッシャーがかかるのに、一部の女性は、結婚して経済的に男性に依存する生き方も許される。不況で労働環境が厳しくなり、そんな女性の役割に『逃げ込みたい』と考える男性がいる。
と解説している[372]。女装子専門のアダルトビデオメーカーを経営する二村ヒトシも、男性たちが“男”であろうとすることが、めんどうくさい
“男”という役割を降りたい
などと思っていると推測している[381]。佐伯は2015年の論稿において、三次元の女装はいまなお男性に押しつけられている稼得役割や社会的責任からの解放を当事者が希求するものであると述べ、ブームの背景には男性に対する抑圧・男性の自殺の増加など、日本社会の「深刻な男性問題」があると推測している[20]。永山は、2000年代を境に大量の女装少年漫画が登場した背景には、フェミニズムの伸長・男性優位主義の崩壊などとともに、男性たちによる男性性の忌避もあったと考察している[18]。
21世紀の最初の20年間、日本では若い世代の約40 - 50%(キンセラ)が、異性との恋愛・結婚・育児という普通の人生からほぼ全面的に排除されてきた[19](図7)。キンセラは、そのような受難の時代と「男の娘」現象は広く関連しあっていると論じ[19]、この新しい文化は二つの方向から検討できるとしている[384]。ひとつの方向性としては、川本の定義に「容姿端麗」とあるように、ある程度のルックスに恵まれている場合、ともかくも社会の変革に適応しようとすることができる。それが三次元の「男の娘」であるという[384]。
そして、「批判的な抵抗の立場」とみなされるもうひとつの方向性が二次元の「男の娘」である[384]。バブル期に成立した恋愛においては男性が積極性を発揮しなくてはならない
デートの費用は全て男性持ち
誕生日などの恋愛イベントをスルーしてはならない
といった男女交際の規範はその後も残り[379]、非常な負担として男性たちにのしかかるようになった[379][385]。本田によれば、また吉本もそのようなケースは実際多いと認めているところ[379][386]、このプレッシャーから逃れ、二次元の世界に純愛を求める存在こそがオタクである[387][379](その逃避はミソジニーであるともされる。#評価・影響も参照。)。吉本は、二次元の「男の娘」が、恋愛でもセックスでも、受け身=客体になった方がずっと「楽」
であり、受け身になりたいという男性の願望を反映していると分析している[10]。前述したアダルトゲーム開発者の座談会においても、参加者たちは主人公が受け身になるシーンがユーザーに好評だと口を揃えている[388]。椿は、男でいることに疲れ、受け身になりたい現代の男性たちが、ふたなりやショタに引き続き「男の娘」に性的な欲求を向けていると述べている[290](#メカニズム(二次元)も参照)。水野は、非モテ(オタク)男性のほうこそが旧来のジェンダー規範に強く囚われていると反論しているが、結局彼らは「男らしさ」の理想にほど遠い自分たちの「鏡」として「男の娘」を必要としたのだと述べている[389]。
三橋・椿らが着目している背景として、ほかに性同一性障害の認知の広がりがある。1995年、それまでもっぱら「性的倒錯」という肯定的でない訳語があてがわれていた「transsexualism」の概念が、1994年のハリー・ベンジャミン国際性別違和協会の決定にのっとり、「性同一性障害(gender identity disorder)」として一般にも認知されるようになった[390]。性別を越えて生きたいと願うことを精神疾患だと捉えるこの概念がメディアで大きく取り上げられたため、ニューハーフ・パブや新宿コミュニティなどの女装文化は再び打撃を受ける[391][392]。しかし性同一性障害への取り組みには、医療による女性化を重視し、性表現やファッション、化粧といったものを軽視するきらいがあった[233]。三橋は、「男の娘」ブームにはその反動という側面もあったと指摘している。気楽に性別を乗り越える(と三橋が主張する)「男の娘」にメディアが飛びついた面が大きいというのである[233]。椿も、性同一性障害の広まりにファッションの女装文化としての「男の娘」が接続した面があると見ている[12]。
もうひとつ、永山・吉本が指摘している背景として出版物の成年マークがある。遡ること1980年代初頭、それまで劇画タッチで描かれてきた成年コミックを「かわいい」アニメタッチで描くという転換がおこなわれ、いわゆるロリコン漫画ブームを形成した[393]。1988年から1989年にかけ、東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件が発生し、容疑者がロリコンのオタクであると報じられると[394][395]、猛烈な批判が男性向け成年コミックに向けられた(有害コミック騒動)[396][397]。この騒動は、出版各社が区分陳列のための成年マークを自主規制として導入することで一応の決着をみる[398][96]。ところが、冬の時代を迎えたかに見えた業界は[399]、その後逆に「成年マーク・バブル」(永山 2014, p. 102)に沸くことになった[400][113]。永山の調査によれば、1990年代中・後半のほぼ全期間、年間1,000冊を超える成年コミックの出版ラッシュが続いたという[401][113]。この主な要因は、永山・吉本によれば、いつ本当に規制されるかわからないという飢餓感[402]、成年マークが逆にエロ本であることの保証となったこと[403][113]などであった[注 30]。急拡大した成年コミック業界はロリコン(童顔巨乳)に続く新しいエポックを模索した[404][113]。そのひとつがショタアンソロジーである[405][401]。これがブリジットのブレイクへと接続して[107][79]「男の娘」の最大の源流となったことは、#ショタおよび#ブリジット (GUILTY GEAR)を参照のこと。
ブームの収束
2015年現在[update]、「男の娘」ブームは全体として収束状態にあり、井戸は「低空飛行で安定」したと表現している[231]。来栖は、〔2015年〕現在、「男の娘」というワードに、数年前まで確かにあった魔法のようなものは消えてしまったかもしれない
と述べている[406]。
2013年5月に専門誌の『おと☆娘』が休刊に追い込まれると、その9か月後の2014年2月には『わぁい!』も休刊を表明する[284][259]。椿は、少ないパイをおそらく奪い合った結果[259]、売り上げが低迷したことを大きな要因として指摘している[407]。井戸は、見るべき作品が2誌から生まれなかったためだと述べている[231]。2誌で連載されていた漫画作品のうち、『ひめゴト』だけが他誌に移籍して新刊を出し続けていたが、それも2015年7月の単行本が最終巻となった[259]。
■成年マークのつかない「男の娘」コミックの刊行点数は2012年にピークを迎えたが、2014年に大きく減少した[296]。これは専門2誌が休刊し、アンソロジーも終了したため、作品の供給自体がなくなったためである[296]。吉本は2015年の時点で、非成年コミックのブームは終了に向かっていると判断している[296]。ただし、●成年コミックでは非成年での供給減少を補うような形で継続しているとの見方を示している(図8)[296]。
アダルトゲーム業界では『おとボク』がヒットした直後の2005年の時点で、彼佐などが「女装」と「美少年」以外の新たな要素が必要になってくるだろうと述べていた[169]。さらに、以下のようにブームの早期終焉を危惧する声が上がっていた[408]。
あとは企画力の勝負になると思うんですよね。例えば主人公の立場をどこに置くか、とか。ぶっちゃけ、大概どれも学園ものじゃないですか。既存の学園ものに、主人公の立場だけを単純に変えて、その女学園に放り込む、みたいな。そういうパターンを今後はもう少し変えていかないと、あっという間に飽和しちゃいますよ。 — ミスターX、空想女装少年コレクション, p. 81
『はぴねす!』を企画した「ちゃとら」も、女装キャラクターが必然性なく登場することが渡良瀬準以降増えたと不満を語っていた[409]。結局、2015年になり、アダルトゲームでは明らかにブームが終了に向かっていると吉本は結論した(図9)[296][注 34]。『女装山脈』などのディレクションを手掛けた西田一は、非常に残念なことですが、〔ヒロインとしての〕男の娘が美少女ゲームの一ジャンルを築くことはついぞありませんでした
と述べ、受け皿の少なさから一過性のものに終わったとの認識を示している[411]。
井戸は、ブームのころに面白いコンテンツがあまり出てこなかったと述べている[231]。椿は、《男の娘》が有名になり、大量のシミュラークルが市場に投下され続けた
結果、オタクたちが単純に飽きてしまったという可能性を指摘している[171]。来栖も、粗製濫造により全体の質が低下したと分析している[412]。作品数が増え、「男の娘」が単なる萌え属性として使われ始めた結果、「女のキャラがただ男と言ってるだけ」というものに代表される、表層的に記号化され、物語も魅力も薄っぺらい平坦なキャラクター
が多くなり、制作者・ユーザーの双方が飽きてしまったのだという[412]。『オトコのコHEAVEN』(前出)などに作品が掲載される[413]漫画家の七松建司は、2010年代前半のブームについて以下のとおり振り返っている。
ラノベとかアニメのヒロインにも、とりあえず男の娘は入れといた方がいいんじゃないのって空気はあったと思うんです。ストーリーにおいて重要じゃない役どころのキャラはとりあえず女装キャラということにしておいた方がキャッチーだ、という感じで放り込まれた女装キャラ結構見かけましたし。 — 七松 2022, p. 54
吉本は、二次元表現における爆発的なブームは全体としては過ぎたとの見解を示しているが、成年コミック(図8)とコミックマーケット(図10)における増加傾向から、「男の娘」を性的に愛好する動きは2015年の時点において継続していると分析しており[296]、以降は安定していくと予想している[22]。成年向け漫画の一般として、一度生まれたモード、スタイル、テーマ、モチーフ、趣味趣向、傾向は盛衰があっても決してなくなら
(永山 2014, p. 96)ず、その需要は存在し続ける[22](図10の▲ふたなりも参照)。二次創作でも、ブラウザゲーム『艦隊これくしょん』(2013年、DMM.com→EXNOA)の「島風くん」が人気を集め、モバイルアプリケーション『Fate/Grand Order』(2015年、アニプレックス)のアストルフォが続いている[414]。
2013年10月にパーソナリティであった桜塚が事故死したため、『男の娘☆ちゃんねる』は2014年1月に名称を『Trance Japan TV』と改め、トラニーチェイサー(トランスジェンダー愛好者のこと[415])番組として再スタートを切った[288]。『オトコノコ時代』は10号で終了となった[297]。「プロパガンダ」も2016年3月に9年間の歴史に幕を下ろした[416]。ブームのうち特に旧来の女装界隈が主体となっていたものについて、井戸は報道と実情の乖離を肌で感じていたとし[417]、次のように振り返っている。
メディアってフィードバックがあるから、テレビでやってると「あ、女装流行ってるんだ、私たちめっちゃ来てるじゃん!」って感じになる人もいたから〔……〕。むしろ、ブームって言われてた頃に店舗がどんどん減っていったからね。 — 井戸 2020, p. 42
吉本は、しかし、三次元の「男の娘」には定着した印象があると述べている[22]。椿も、「NEWTYPE」が2015年時点で依然定期的にメディアで取り上げられていることなどを挙げ、〔男の娘という〕存在の特異さにすっかり慣れてしまったのが、この二〇一五年なのではないだろうか
と語っている[171]。
表3:約10年周期の流行(来栖)[337] | |
---|---|
1960年代 |
|
1970年代 |
|
1980年代 |
|
1990年代 | |
2000年代 | 「男の娘」ブーム |
ブームが収束したことに関し、来栖は、「男の娘」的な文化はこれまでもおよそ10年おきに何度か発生し、その都度消えていったとし(表3)[418]、再来の可能性は充分にあると主張している[419]。三橋も、繰り返されてきた流行現象の「21世紀リニューアル・バージョン」が「男の娘」であると語っている[343]。井戸は、ブームが再来する可能性はないと見ているが[338]、来栖・三橋らと同様に同じものが形を変えて反復しているという認識は持っており、「男の娘」的なものは今後も存在し続けると推測している[304]。吉本は、今後再びブームになる可能性があるとすれば、ショタが「男の娘」に変化したように、別の要素が加わることでまた新たな性的嗜好の対象が作られたときであろうと予想している[420]。
評価・影響
2023年現在[update]、「男の娘」という語は『大辞林』(三省堂)などに収録されるものになっている[421]。この語の広がりを受け、ニューハーフAV女優の橘芹那や漫画家の幾夜大黒堂は、包み込む言葉がなかったから、いい言葉だと思う
[422]新しい、強力なことばだと思います
[423]などと語っている。「男の娘」ブームの興味深い特徴は、二次元と三次元の盛り上がりが同時期に発生したところにある[424]。ブーム期の雑誌のつくりにも象徴されるように、二次元の愛好者は三次元の女装当事者でもありえ、そこではフィクションと現実世界の問題が密接に関わってくる[425]。井戸は、二次元と三次元の「男の娘」は相互に影響しあいながら、同じような流れをたどった面があると述べている[304]。
二次元
主として美少女(英: Bishōjo)キャラクターを礼賛・消費してきた日本のオタク文化は、2000年代において徹底して、フェミニズム[275]やバブル的恋愛観[426]からの批判を受けてきた。そのさなかにロリやツンデレ、妹などと並ぶ萌え属性として登場した[427]「男の娘」は、少女ではなく少年のキャラクターであるという点において強い衝撃をともなうものであった[275]。オタク男性たちは少女を欲望の対象とすることからついに脱却しつつあるものと受け取られたのである[275]。泉は、「こんなかわいい子が女の子のはずがない」(=男の子だからこそかわいい)といったような常識の逆転そのものが、知的な興味の対象にされたのではないかと考察している[428]。第一に提示された魅力は既成概念からのギャップであった[429][423]。批評家の石岡良治は、「男の娘」が登場するライトノベルやアニメのハーレム作品では、そのキャラクターがヒロインたちの誰よりもかわいいという設定が定番になったように思えると述べている[430]。
しかし、暮沢[8]・水野[431]・樋口[275]らは、実際にはこの表象はツンデレや妹を愛好してきた従来のオタク文化の延長として出現したものに過ぎず、オタク男性たちの性的指向に本質的な変化が生じたわけではないと指摘している。斎藤も、「男の娘」がブームになったことは別段驚くほどのものではないとし[432]、次のように語っている。
別にゲイが増えたってワケじゃない。そもそも萌えの基本文法は「ギャップ」でしょ。〔……〕こういう「ギャップ」にはいろんなものがあるけど、やっぱり「性」に関するものが最強、ってこと。
—斎藤 2015, p. 205
泉は、(三次元も含め)「男の娘」という言葉が用いられているとき、実は「女子に見えるという状況とは何か」こそが問われており、「男の娘」は「女子(美少女)とはこういうものだ」という強い規範・理想の上に成り立っていると主張している[428]。
前述のインタビュー調査をおこなった水野は、分かりあえて、楽で、かわいくて、癒やされる
タイプの「男の娘」が支持を得ていることの背景にミソジニーやホモソーシャリティ(同性間の社会的絆)があると推測している[367][52]。『バカテス』を読んだ樋口の感想も同じである。木下秀吉は主人公に好意を持っているが、あくまでコメディとして描かれる[433]。樋口は、そこには同性愛ではないというメッセージが込められており、読者のホモフォビア(同性愛嫌悪)の発動を回避していると指摘する[433]。秀吉は、従来の美少女キャラクターと同じように、ホモソーシャルな男性読者共同体の中でコミュニケーションのネタとして消費されているというのである(ミソジニー)[433]。オタク男性たちは「男の娘」の内面まで踏み込まず、安全な場所からキャラクターを消費していると樋口は言い、そのような読者層をターゲットにする以上、創作の表現も制約を受けざるをえず、「男の娘」表象にはおのずと限界があると指摘している[433]。吉本・暮沢なども同様の趣旨を述べている[434][8]。(アダルトゲーム・成年向け漫画などでは、「男の娘」は直接に「性的に消費」「まなざ」されるといわれる存在になる[435][436]。)水野は、そのような「男の娘」が受け容れられたにあたり決定的な役割を果たしたのは「かわいい」であったとし[437]、次のようにまとめている。
ミソジニー、ホモソーシャリティ、ヘテロセクシズム、ホモフォビアを、女性の媒介なしに同時に成立させ、既存の秩序の枠内にきっちりと収めているのだから〔本当は男でも問題ない〕。近代のジェンダー秩序から一歩も踏み出すことなく、コミュニケーションと性の問題を一挙解決したい、その願いを叶えるアクロバットな装置が「男の娘」なのだ。
—水野 2015, p. 201
これらに対しまず、「男の娘」が本質的には少女であり、非成年向けのジャンルにおいてオタク男性たちは従来の異性愛規範から一歩も出ていないという点については、否定的な意見がいくつか出されている。堀は、2016年の『ひばりくん』に関する論稿の中で、男性読者の欲望は異性愛の単なる延長ではないという見方を示している[9]。作者の江口はラブコメに対するアンチテーゼとして『ひばりくん』を描いた[337][438]。男性読者の異性愛規範とホモフォビアにより、主人公と大空ひばりの関係はギャグとして笑い飛ばされるはずであった[439]。堀はしかるに、読者は『ひばりくん』を純粋にラブコメとして楽しんでいたと分析し[440]、大空ひばりの「かわいい」には規範意識を攪乱するほどの威力があったと述べるのである[441]。吉本も『ひばりくん』に関し堀と同様の見解を示している[62](#漫画も参照)。泉も、恋愛ものの「男の娘」作品の一般として、発動するホモフォビアを「かわいい」が乗り越えさせると考察している[442]。伊藤は、『バカテス』の秀吉を三橋が言うところの「双性美」を体現したものと評し、それはジェンダー概念が解体されたものともいえるとしている[443]。
オタク男性が作品キャラクターを依然一方的に「消費」「まなざ」しているという批判に関しては、そもそも複数の専門家が「男の娘」には受け身(消費される側)になりたいという男性の願望が反映されていると指摘しているところ(#メカニズム(二次元)および#社会的背景を参照のこと)、『おとボク』の非性的な側面や、その下地となった『マリみて』などの考察からも反対する意見が出ている。本田は、前述したように、『おとボク』のヒロインは主人公の友人的な存在であり、むしろ主人公=主人公に感情移入するプレイヤー自身がプレイヤーの「萌え」の対象になっていると指摘している[444]。本田は、それによりオタク男性は現実世界の不均衡な男女関係から抜け出せているとし、『おとボク』のような作品が登場した背景には彼らの「脱男性性」の志向があると論じている[444]。熊田も、百合を楽しむ男性は安全な場所から一方的に作品内部のキャラクターをまなざしているわけではないと述べ、『マリみて』をめぐるどうして俺は女子高生じゃないんだ!
という発言が象徴するように、彼らの男性性はやはり着実な前進をみせつつあると主張している[445]。(なお、実際には女性も「男の娘」を性的に消費する主体になっている[446]。吉本はボーイズラブでいうところの「性別受」と「男の娘」の類似を指摘している[447][注 35]。)
「男の娘」[33]の内面を描いたものと認知され、高く評価されている作品も存在する。例えば『放浪息子』は、性別に違和感を抱く2人の少年少女を中心に思春期の繊細さを描き出した作品であり[449]、「萌え」やコメディに重点を置いた女装少年コミックとは一線を画すと評されている[450][451]。ふみふみこ『ぼくらのへんたい』(2012年)は異なる理由で女装している3人の少年を詩的に描いた群像劇であり[451]、川本[451]・来栖[452]・井戸[453]らにより特筆すべき作品と見なされている。泉はまた恋愛作品一般に関し、多様なメンタリティで描かれる男の娘は、その感情の動きの複雑さこそが読む魅力となる
と述べている[49]。
ライトノベルのキャラクターを調査した久米は、客体としての「男の娘」(代替少女型)と、主人公が女装する「男の娘」(ここでは「主人公型」と呼ぶ)を区別することの必要性を訴えている[454]。代替少女型(楠幸村、木下秀吉など)においてはギャップが旧来のジェンダー秩序を補強している一方[455]、主人公型(瀬能ナツル、白姫彼方など)においてはミソジニーではなくミサンドリー(男性嫌悪)が観測されるというのである(表4)[456][433]。久米は、男子読者の女装して少女コミュニティの一員になりたいという願望は、少女に全肯定されたい少年の自己愛物語
と批判されるようなセカイ系や、男性は女性をリードするべきだという規範を、男性自らが忌避する傾向
を(同様に)示すような戦闘美少女などとテーマが一致すると指摘している[457]。
タイプ | 代表的なキャラクター | ルーツ | 分析 |
---|---|---|---|
代替少女型 |
|
『ひばりくん』[458] | ジェンダー秩序の強化 |
主人公型 |
|
百合→『おとボク』[176] | ミサンドリー |
樋口は、自身の前述の批判にもかかわらず、「男の娘」表象が男性優位主義的な価値観から脱落する男性たちから生じてきていることは確かであるとし、以前の段階から百合文化を経て「男の娘」まで到達したことは異性愛規範を克服していく過程として肯定的に捉えることができると評価している[459]。吉本も、二次元の「男の娘」により「男でもかわいければよい」「むしろ男だからよい」という考えが広まったとし、同性愛を忌避していた状況に変化が現れたことを歓迎している[22]。また、「男らしさにこだわらなくてもよい」「男でもかわいくてよい」という視覚的なメッセージは、バブル的な恋愛観に苦しむ男性たちの救いになっているという[385]。樋口はまた、現代の男性たちの女性ジェンダー化が彼らにとり他者への想像力を広げる契機になっているとし、関係性の多様さを描くタイプの「男の娘」作品群にもそうした要素が見いだせると述べている[459]。
三次元
三次元の「男の娘」の出現は、二次元のイメージの具現化[30]、現実と二次元の逆転[201]として注目を集めたと同時に、女装者に対する世間の印象を動かした[461][462]。それ以前、日本人が女装男性と聞いて多く思い浮かべるイメージは、テレビ番組に出演するステレオタイプなオネエタレントの類いであった[462]。「男の娘」はそこへ、例えば大島・あしやまが最初から個人個人で判断するべきじゃないかなと思うんです
[463]純粋にありのままの思い
[464]などと語るように、「自分はあくまで自分」という主張とともに登場し、既成の構造に組み入れられない新しい存在となった[462]。従来の女装コミュニティは30代・40代が中核であったが、「男の娘」には若年層が多い[373]。10代から20代が多く、30代以降は少ないという[373]。また、「男の娘」は川本[42]・橘[44]のような包括的な立場もあるが、漫画家の魔北葵[465]・佐伯[466]・西原[43]・あしやま[467]らが注意するように、さらにジェンダー・セクシュアリティ研究者の石井由香理が2017年に報告しているように[416]、その女装が身体改造をともなうことは少ないとされている。コスプレ女装のクオリティは「男の娘」ブームの到来で大きく変わった[468]。
映像外部リンク | |
---|---|
メーク女子高生のヒミツ - YouTube 2015年の資生堂のCM。“女子高生”たちの教室でくつろぐ光景がリバースで再生され、化粧してウィッグを着ける前の姿が徐々に浮かび上がってくる。最後は「だれでもカワイクしちゃいます。」というキャッチフレーズで締めくくられる[469]。世界三大広告賞受賞[470]。 | |
メーク女子高生のヒミツ メイキング映像 - YouTube |
1960年代に始まった男性向け化粧品の市場は、2010年代に急速な拡大を遂げた[471]。リクルートライフスタイルが2018年におこなった調査によれば、10代・20代の男性の約10%が日常的にファンデーションを購入するようになっている[472][473]。各種化粧品の使い方が解説された『完全女装マニュアル』(2014年、三和出版)が「男の娘」たちのバイブルになっているという報告があるように、服装だけでなく化粧もまた重要な女装技術であり、「男の娘」は化粧品各社がこの市場を開拓していった上で重要な役割を果たしていた[471]。キンセラは、2015年に公開された資生堂のウェブCM「High School Girl? メーク女子高生のヒミツ」を、「男の娘」のジェンダー曖昧性の商業利用における完璧な結晶と評している[471]。
三次元の「男の娘」を愛好する人々には女性も多く含まれる。「東京化粧男子宣言!」の観客は女性が中心であった[474]。「NEWTYPE」の客層にも女性は多い[212][注 36]。『セックスペディア』によれば、女性たちにとり「男の娘」は人形のように愛でてかわいがる対象であり、気の合う同性の友人のような存在であるという[51]。彼らの魅力のひとつとされているのはやはりギャップである。大島が解説するには、女装のレベルを上げて女性性を高めすぎてしまうと「男の娘」ならではの魅力が損なわれてしまう。そこで言葉遣いを男らしくするなどの工夫がおこなわれるという[475]。井戸によれば、「男の娘」の女性ファンの多くは腐女子である[476]。
タイプ | 説明 |
---|---|
フェティシズム型 | 女性の衣服や化粧に性的に執着している。 |
ナルシシズム型 | 自分の女装した姿に性的に興奮する。 |
女装ゲイ型 | 性的指向が同性愛で、男性の気を引くために女装する。 |
性別違和感型 | 自分の性別に違和感を抱いており、一時的に女性としての自分を実体化する。 |
性同一性障害型 | 性同一性障害の診断を受け、日常的に女装している。 |
タイプ | 説明 |
---|---|
性的欲求解消型 | 自らを女性だと思い込むことにより性的に興奮する(オートガイネフィリア)。 |
自己陶酔型 | ニコニコ生放送やTwitterなどで女装姿を公開する。 |
女装している自分が本当の自分だと感じる型 | トランスジェンダー女性の多くは、性別適合手術を受ける前に女装を経験する。 |
自己表現型 | 自己表現のひとつの形・コスプレとして女装する(ドラァグクイーンなど)。 |
誰かのために女装をする型 | 一部のゲイは、パートナーの好みに合わせて女装する。 |
性別なんて糞喰らえ型 | Xジェンダーやトランスジェンダーの一部は、性自認に関係なく女装を楽しむ。 |
「男の娘」と、ゲイやトランスジェンダーといった性的マイノリティの内面の違いについていくつかの考察がなされている。まず女装者の分類としては、三橋(表5)や、フリーペーパー『季刊性癖』を発行している水の人美・まゐ(表6)によるものなどがある[467]。三橋によれば、従来のコミュニティに集っていた女装者の大部分は「性別違和感型」(表5)に該当するという[479]。
一方佐伯は、前述したように「男の娘」が性別越境を目的としたものとは見ていない[480]。マイウェイ出版のある編集者も、秋葉原の『NEWTYPE』は、女装をジェンダーの観点から考えることが嫌いで、ファッションの側面ばかり強調しています。あの店の人たちは、セクシュアリティに関連した事柄を話したがらないんです。
と語っている[481]。キンセラは、2015年の大島のインタビュー記事における、「『男の娘』とは、必ずしも女性的ではない純粋な『かわいさ』への欲望なのではないか」(要旨)というインタビュアーの発言[注 37]を特に紹介している[482][483]。あしやまは、秋葉原に主として集う女装者については、その有する傾向は「自己陶酔型」(「ナルシシズム型」)「自己表現型」、あるいは「フェティシズム型」「性的欲求解消型」(表5, 6の )ではないかと考察している[13]。
「男の娘」と新宿女装コミュニティなどの女装家が異なる社会階層に属していることは、女装家は金持ちです。彼らには仕事があります。
(2015年、埼玉県在住の「男の娘」)という当事者の発言からもうかがえる[484]。キンセラは2019年、三次元の「男の娘」に関するいくつかの資料や証言から、特に代替のキャリア・生計の手段として女装している人々の中には、起業家精神旺盛で挑戦的な大卒者だけでなく社会的に明らかに恵まれていない層が多く含まれているように見えると報告している[485]。そして、特にお嬢様的なコスチュームが「男の娘」たちの人気を集めているといい、その背後には彼らの贅沢願望があるのではないかと推測している[486]。キンセラは、長引く不況と、恋愛・結婚・育児という人生からの排除という文脈において、「男の娘」やその他のクィアな存在になることは、当事者たちの性的指向と必ずしも関係することなく、新たな将来へ踏み出すための現実的な選択肢のひとつになっているとし[487]、心理的な生存と経済的な生存を両立させることが肝要であろうと論じている[488]。
複数の専門家が「男の娘」たちの承認欲求に言及している[注 38]。吉本は、三次元においても消費する男性 > 消費される「男の娘」
という不均衡の存在が無視しがたいだろうと述べているが[22]、井戸によれば消費されることで承認欲求が満たされている当事者も少なくない[490][491]。田中は、三次元の「男の娘」には男性たちからかわいがられたいという欲求を見つけることができるとし、性別への違和感や女性への執着などではなく、欲望の客体となって受け身の快楽
(井戸)を味わいたいという願望の表明こそが「男の娘」なのだと主張している[17]。二村も、男性たちは「女になってみたい」というよりは「愛されたい」のだと見ており[381]、次のように続けている。
女であることだって充分めんどうくさいことであるはずだし、ある種の女性たちは「男から勝手に“欲望の対象”にされる」ことで常に深く傷ついている。しかし、男たちも「自分たちが愛されないこと」に無意識に傷ついている。傷ついている男の多くは、自分が傷ついていることを認められないのだけれど。
だから、ある種の男は「女装したい」と思う。あるいは「女を、ではなくて“美しい男の娘”を、愛したい」と思う。
—二村 2015, p. 209
教育学者の杉田真衣は、この現象は「男らしさ・女らしさ」に本質的な変化が現れたものとは言いがたいとしている[286]。大島は、ギャップが魅力となる「男の娘」という言葉や概念自体が性別二元制の最たるものではないかと語っている[492]。佐伯は、三次元の「男の娘」を男女平等のゆがんだ方向の一つ
と問題視しており[372]、女装してリラックスしたいという欲求の発露であろうその出現を、ジェンダーフリーな社会の到来として素直に喜ぶことはできないと警告を発している[20]。
新語・流行語大賞
「男の娘」は、2010年の新語・流行語大賞にノミネートされた[291][228]。なお、2014年には「女装子」もノミネートされている[493]。
商標問題
「男の娘」を自社商品・サービスの商標として登録しようとする動きがある。2010年7月に、電子書籍の販売などを手掛けていた未来少年という企業が「男の娘」を商標出願していたことが判明し、登録されれば「男の娘」という語を名称に含んだ商品を他社が自由に出せなくなるという懸念の声があがった[494]。結果としてこの出願は拒絶されたものの(表7)、今度は2011年9月に[495]、「男の娘COS☆H」から改称した[232]「男の娘☆コンベンション」の関係者が、即売会イベントの名称である「男の娘☆」を商標登録していたことが判明する[495][58]。やはり占有とみなされ批判を呼んだが[58]、そのままの「男の娘」が登録されたわけではなかったことなどから騒動は収束に向かった[412]。
その後2019年になり、今度は「男の娘」そのものが商標登録された。「NEWTYPE」の運営会社によるもので、商標区分は「飲食物の提供」であった[496]。2020年現在[update]、名称に「男の娘」を掲げる店舗が関東圏と大阪に複数存在しており、それらに影響がおよぶ可能性が指摘されている[496]。
登録番号 | 商標 | 区分 | 出願/権利者 | 登録日 |
---|---|---|---|---|
拒絶 | 男の娘 | 電子コミックなど | 未来少年 | — |
5437080 | 男の娘☆ | 同人誌即売会など | 旧・男の娘COS☆H | 2011年9月9日 |
6202025 | 男の娘 | 飲食物の提供 | NEWTYPE | 2019年11月29日 |
二・五次元(バーチャル領域)へ
2018年ごろ以降、美少女キャラクターをアバターとして用い[498]、多くはボイスチェンジャーの力を借りて[499]、YouTubeをはじめとする動画配信サービスや、VRChat(多人数同時参加型のソーシャルプラットフォーム)などのバーチャル環境において少女を演じる男性たちが登場した[498]。彼らは美少女キャラクターの「肉体」を得た「バーチャル美少女受肉」、略して「
バ美肉とは仮想世界の中で自らを女性化するものである[501]。あしやまは2019年、バーチャルの世界では三次元の女装のような手間を普及に要さず、技術の進歩もあいまって急速に「かわいさの民主化」が進んだと語っている[502]。
人類学研究者のリュドミラ・ブレディキナ(Ludmila Bredikhina)は、しかしながらバ美肉たちの目的は女性そのものになることではなく、あくまで「かわいい」を体現することにあり、彼らの構図は三次元の「男の娘」のそれと似たものになると述べている[483]。ブレディキナは、あるバ美肉の日本の現実が酷すぎるからだと思います
という証言を紹介しつつ、バ美肉の背景にもやはりバブル崩壊後の長期不況・労働環境の悪化といった諸問題があると考察している[380]。バ美肉たちは男性につきまとうようになった負のイメージを仮想空間の中で脱ぎ捨て、「かわいい」の領域で承認欲求を満たそうとしているのだという[380](図11)。
2023年現在[update]、「男の娘」の表現領域は、二次元と三次元の融合した二・五次元の世界で新たな広がりを見せている[503]。
年表
年 | オタク社会 | 一般社会 |
---|---|---|
1981年 |
| |
1986年 |
| |
1987年 |
|
|
1988年 |
|
|
1989年 |
| |
1991年 |
|
|
1992年 |
|
|
1994年 |
|
|
1995年 |
|
|
1997年 |
|
|
1998年 |
|
|
1999年 |
|
|
2000年 |
|
|
2001年 | ||
2002年 |
|
|
2003年 |
|
|
2004年 | ||
2005年 |
|
|
2006年 |
|
|
2007年 |
|
|
2008年 |
| |
2009年 |
|
|
2010年 |
|
|
2011年 |
|
|
2012年 |
| |
2013年 |
|
|
2014年 |
|
|
2016年 |
| |
2018年 |
|
代表的なキャラクター・人物
二次元のキャラクター
「男の娘」と評されることのあるキャラクターには、以下のようなものがある。「論者」の欄は、そのキャラクターがほかの専門家によっては「男の娘」と評されていないということを必ずしも意味しない。
発表年 | キャラクター | 作品名 | 作品種別 | 論者 |
---|---|---|---|---|
1981年 | 大空ひばり | ストップ!! ひばりくん! | 漫画 | |
1992年 | 有栖川桜 | バーコードファイター | 漫画 | |
2002年 | ブリジット | GUILTY GEAR XX | ゲーム | |
2002年 | 二鳥修一 | 放浪息子 | 漫画 | |
2004年 | 綾崎ハヤテ | ハヤテのごとく! | 漫画 | |
2005年 | ことりちゃん | WORKING!! | 漫画 |
|
2005年 | 宮小路瑞穂 | 処女はお姉さまに恋してる | アダルトゲーム | |
2005年 | 渡良瀬準 | はぴねす! | アダルトゲーム | |
2006年 | 衹堂鞠也 | まりあ†ほりっく | 漫画 | |
2007年 | 木下秀吉 | バカとテストと召喚獣 | ライトノベル | |
2007年 | 白姫彼方 | おと×まほ | ライトノベル | |
2008年 |
|
オトコのコはメイド服がお好き!? | メディアミックス |
|
2009年 | 藍川絆 | プラナス・ガール | 漫画 | |
2009年 | 秋月涼 | THE IDOLM@STER Dearly Stars | ゲーム | |
2009年 | 漆原るか | STEINS;GATE | ゲーム | |
2010年 | 國崎出雲 | 國崎出雲の事情 | 漫画 |
|
2011年 | 有川ひめ | ひめゴト | 漫画 |
三次元の人物
いがらし奈波は公の場で「男の娘」を名乗った三次元の存在の初期の一人である[244]。2009年、ジャニーズ事務所に所属してアイドル活動をしていた[248]奈波は、コスプレで女性服を身につけたときに「競争ばかりの男性社会」とは異なる新しい生き方を発見し[474]、その体験を自伝エッセイ漫画『わが輩は「男の娘」である!』(2010年)に描いた[248]。三橋は2012年の時点でモカ・佐藤かよ・井上魅夜らを三次元の「男の娘」として挙げている[525]。田中は、2015年時点における代表例として大島薫や加茂碧唯の名前を挙げている[526]。堀・キンセラも、大島が「男の娘」の代表例であるとしている[527][528]。大島は、男性AV女優としては整形や性別適合手術を必要としない最初の世代に属していた人物である[529]。自分はLGBTといった既存のどのカテゴリーにも該当しないと語っており、2015年に『ボクらしく。』と題した全年齢向けエッセイを著した[530][529]。あしやまひろこは、筑波大学学園祭の男女合同ミスコン「TSUKUBAN BEAUTY 2011」に初音ミクのコスプレで出場して優勝し、ミス筑波大学として一躍有名になった男性である[531]。2015年の論稿において、普段は女装者を名乗っているもののマーケティングの都合で自身を「男の娘」と称することがあると述べている[532]。
日本以外の国・地域
「男の娘」は、東アジア地域の特に日本・中国・台湾で流行しつつあるという報告が2021年時点でなされている[533]。欧米については、そもそも「男の娘」という概念が理解されにくいだろうという予測がなされている[534]。
中国
中国語で「男の娘」に相当する言葉は「
湖北省武漢市では2009年に偽娘のグループ「アリス偽娘団(Alice Cosplay Group、ACG)」が結成された[539]。作詞家の周耀輝は、ACGの名称が日本のアニメ・コミック・ゲームにかけたものであるように[539]、中国の若者が女装に憧れるようになったのは日本のサブカルチャーに影響されたところが大きいと報告している[540]。一時期、『おとボク』の「瑞穂」は偽娘の代名詞として通用していた[535]。偽娘が流行し、インターネットには女装の一部始終を記録した動画や女装指南の専門サイトなどが多く見られるようになった[541]。
ところが偽娘は広く知られるにつれ、「男らしさ」の中国文化を揺るがすものとして警戒されるようになった。当初好奇の目を向けていたメディアも批判的に報じるようになり[541]、中国当局は映像作品における男性出演者の偽娘化の傾向を問題視するようになった[542]。2021年、国家ラジオテレビ総局は芸能界の管理統制を強化する通達を発表し、男子のジェンダーレスなイメージの発信を禁止する方針(限娘令)を明確にした[543]。当局の要請を受けた中国音像・デジタル出版協会ゲーム出版工作委員会と、テンセントやNetEaseを含む213の同国オンラインゲーム事業者は、娘炮(女性的な男性)や耽美 (ボーイズラブ)などを自主規制の対象とするガイドラインを発表した[544]。一方で、当局が教育やエンターテインメント業界への規制を進めていることには、国内外から文化大革命の再来であるとの批判が上がっている[545]。
台湾
日本政府のクールジャパン戦略を背景に、偽娘は2010年ごろから台湾でも人気を伸ばした[537]。『女装山脈』の後継作『女装神社』(2019年、の〜すとらいく)は、日本語版と同時に英語版と繁体字中国語版も発売されており、販売本数の約半分を中国語版が占めたという(2019年7月時点)[536]。偽娘は三次元の大衆文化としても浸透し[546]、2021年現在[update]いくつかの女装部屋がオープンするなどしているが[547]、台湾当局はこうした性別越境の文化に対し寛容な態度を取っている[548]。
-
『東方Project』のコスプレイヤーたち(2011年7月、第18回Fancy Frontier 開拓動漫祭)
-
『艦隊これくしょん』島風のコスプレ(2016年7月、動漫之力3)
-
『Fate/Grand Order』アストルフォのコスプレ(2020年8月、第55回コミックワールド台湾)
欧米
欧米では、漫画やアニメに登場する性別越境的な男性キャラクターに対し「trap」という呼称が使用されることがある。本当は男性のキャラクターであるにもかかわらず、魅惑的な女性の外見をしているために男性ユーザーがその罠にかかってしまうといったニュアンスである[549][550]。(「trap」はファンや批評家の間で生まれた用語で、『スター・ウォーズ』シリーズの登場人物・アクバー提督が劇中で発した台詞「It's a trap!」に由来している[550]。)
「男の娘」的なキャラクターは欧米にも波及し、「trap」[551]「Japanese trap」[552]として扱われて人気を博した。アメリカのシスジェンダー男性のオンラインコミュニティでは「trap trad wife」や「trap waifu」が「関係の到達点」の願望用語として通用するようになった[553]。前出の『女装神社』の英題も『Trap Shrine』である[549]。
ところで魔北は、従来欧米に「男の娘」に相当する概念は存在しなかったと語っている[534]。
2020年、アメリカの掲示板サイト・Redditのアニメコミュニティにおいて、女性のような外見の男性キャラクターを「trap」と呼ぶことが新たに禁止された[552]。同性愛嫌悪・性差別(トランスフォビア)などにあたるとされたためである[552]。コミュニティの管理人は、「trap」を使っていた掲示板利用者におそらく悪意はなく、愛情表現の一環であったかもしれないとは断りつつ、実在のトランスジェンダーや性別とジェンダーの不一致に悩む人たちへの配慮を欠いたものと判断したとしている[552]。(この際利用者に案内された代替語には、「otokonoko(男の娘)」のほか、「femboy」「tomgirl」「cutie」「crossdresser」「josou(女装)」などがあった[552]。)
2022年、GUILTY GEARシリーズの新作『GUILTY GEAR -STRIVE-』(2021年)に再登場したブリジットは、トランスジェンダーの女性として描き直されていた[554][555]。それに対し一部のプレイヤーから抗議の声があがり、論争へと発展した[555](図12)。欧米ではこの騒動の過程において、設定変更によって「彼女」(ブリジット)がトランスフォビア的な悪しきミームから解放されたというような論調で報じたメディアがあった[554](詳細は「ブリジット (GUILTY GEAR)#ブリジット論争」を参照)。
脚注
注釈
- ^ 例えば、つむらちた『僕男のコだよ? 〜つむらちた オトコの娘作品集〜』ミリオン出版〈おと娘コミックス〉、2016年6月24日。ASIN B01M7WO0LZ。
- ^ 例えば、ぽむ『先輩はおとこのこ』 1巻、LINE Digital Frontier〈LINEコミックス〉、2021年11月25日。ASIN B09MD8L12R。
- ^ 例えば『迷elleオトコノ娘』というオリジナルアニメの企画が存在した(制作:SHAKE-UP)[1]。
- ^ 例えば、『男娘の子HEAVEN』司書房〈つかさコミックス〉、2007年5月24日。ISBN 978-4812816585。
- ^ a b 吉本の調査対象は、朝日新聞・読売新聞・Web OYA-Bunko[22]。
- ^ 「おとこのむすめ」と読む場合もあるとされる[23]。
- ^ 川本が2000年のログを確認している[26]。
- ^ 例えば、川本直『「男の娘」たち』(2014年)のまえがきには次のように記されている。敢えて本書を『「男の娘」たち』と名づけた。さもなければ、あの忌まわしい「オカマ」という差別用語を使わざるをえなくなる。言わば、苦肉の策である。〔……〕また、本書では、必要に迫られない限り、ニューハーフという言葉の使用を控えた。〔……〕今では蔑称に成り代わっているからだ。 — 川本 2014, p. 3
- ^ 『オトコの娘のための変身ガイド』『わが輩は「男の娘」である!』『男の娘☆ちゃんねる』(いずれも後出)、および2012年時点のウィキペディアの本項目[45]。
- ^ 「男の娘」を自称する女装者も存在する。そのような場合は、
自身の「目」を外側に移動させた「自己評価」
ということになろうと泉は補足している[49]。 - ^ 暮沢[67]、来栖[68]、三橋[27]、川本[26]、あしやま[69]、永山[70]、吉本[62]、伊藤[71]など。
- ^ 吉本[87]、『わぁい!』編集長・土方敏良[88]、永山[89]、秀良子[90]、来栖[91]など。
- ^ ぶどううり・くすこの説[106]。
- ^ 吉本 2015, p. 222で提示されたURLを参照し、タイトルの一部に修正を加えた。
- ^ 「鰤」は同人誌コミュニティにおけるブリジットの愛称[132]。2004年に「計画」へと名称変更した[133]。
- ^ 例えば、後述する『オンナノコになりたい!』の著者・三葉と、編集者・土方敏良は、ともに「計画」で女装をしていた。2人の出会いが同書の出版に繋がった[137]。
- ^ a b 久米 2013, p. 77では2004年。
- ^ 単純に反転させて論じることはできないという意見もある[167]。
- ^ 今[168]、彼佐[169]、吉本[148]、久米[159]、藤本[170]、椿[171]、宮本[172]など。
- ^ 同じ2006年には、あかほりさとる原作の『かしまし 〜ガール・ミーツ・ガール〜』や、つだみきよ『プリンセス・プリンセス』もアニメ化されており、暮沢はこれらの影響もあったとしている[188]。
- ^ 同時期には、女装ファン向け専門ブランドのCatearやCAGEなども作品を発表しており、宮本はこれらが女装ものの人気を側面から支えていたと分析している[122]。
- ^ 『オンナノコになりたい! コスプレ編』[203]などの続編2冊も含め、累計で11万部超を記録した[204](三葉 & 土方 2010なども参照)。
- ^ 売り上げは1万5千部以上、シリーズ全4冊で6万部[216]。
- ^ 井戸 2015, pp. 184–185によれば増刷して1万数千部。川本 2014, p. 76によれば1万部以上。マニア誌の増刷というのは当時はほぼなかったという[231]。
- ^ 写真集には『女々男子〜綺麗な男の娘は好きですか〜』『女々男子∞』『ゆりだんし』、DVDには『男の娘DVD〜実は私達、男の娘なのです。〜』『男の娘DVD2〜男の娘×男の娘〜』などがあった[240]。『ゆりだんし』は1万部弱が発行されたという[33](Kinsella 2019, p. 442なども参照)。
- ^ 佐伯 2015, p. 80は2010年4月1日付けとしているが、誤記である。
- ^ 雑誌メディアへの登場は、例えば月刊誌『サイゾー』(2009年10月)など、新聞よりも早い[20]。
- ^ 来栖[302]、三橋[303][304]、佐伯[305]など。
- ^ 東浩紀は、永山が「男の娘」ブームを予言していたと述べている。ロリコンマンガの読者がじつは犯す男性ではなく犯される幼女に同一化しているのではないかとの指摘〔永山 2014〕は、のちの「男の娘」ブームを予告するものとも言え重要である。 — 東浩紀、同書の解説(pp. 367-368)
- ^ 美少女コミック研究者の稀見理都や漫画家の陽気婢は、出版業界の当時の好景気が主因であったとしている[399]。
- ^ 吉本の本文は2009年を42本としているが、吉本の調査方法にのっとって検討し、吉本のグラフの数値を採用した。
- ^ 椿は2011年を35本と報告しているが、同年半ばに発行された資料であるため記載を省略した。
- ^ 吉本のグラフの横軸は2008夏と同冬の順序が入れ替わっており、グラフの数値と共に修正した。
- ^ アダルトゲームの市場規模自体も縮小傾向である[296][410]。
- ^ 『わぁい!』の読者コーナーには「腐女子ですがオトコの娘も大好きで〔……〕」といった投稿が確認できる[448]。
- ^ 2010年の共同通信は客の約7割が男性と書いている[474]。
- ^ キンセラは大島の発言として紹介している[482]。
- ^ 佐伯[254]、西原[43]、あしやま[489]、井戸[346]など。
- ^ ほかには「可愛的男孩子」「女装dalao」などが主にオタクに使用されるという[535]。
出典
- ^ わぁい!, Vol.2, pp. 21-23.
- ^ a b c d 川本 2014, p. 1.
- ^ a b c Kinsella 2019, p. 433.
- ^ a b 日高 2015, p. 158.
- ^ a b 伊藤 2023, pp. 226, 229–230, 238–239.
- ^ a b c Kinsella 2019, p. 443.
- ^ 吉本 2009, pp. 10–18.
- ^ a b c d 暮沢 2010, p. 174.
- ^ a b 堀 2016, pp. 226–227.
- ^ a b 吉本 2009, p. 24.
- ^ a b c d e f g h i 椿 2015, p. 194.
- ^ a b c d e f g h i 椿 2011, p. 28.
- ^ a b あしやま 2015, pp. 114–115.
- ^ 三橋 2008, pp. 52–69, 78–97, 335–342.
- ^ 三橋 2013, pp. 68, 71–75, 78–79.
- ^ 三橋 2013, p. 77.
- ^ a b 田中 2015, p. 128.
- ^ a b c d e 永山 2015, p. 154.
- ^ a b c Kinsella 2019, pp. 453–454.
- ^ a b c d e 佐伯 2015, p. 83.
- ^ a b 吉本 2015, p. 211.
- ^ a b c d e f 吉本 2015, p. 221.
- ^ a b Ashcraft, Brian (26 May 2011). "What Is Japan's Fetish This Week? Male Daughters" (英語). Kotaku. 2021年5月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年5月7日閲覧。
- ^ a b c 来栖 2015a, p. 6.
- ^ 河内実加 [@macamica] (2022年2月26日). "時代が早すぎた作品大発見!読みたい!(同じく75年7月号)". 2022年2月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。X(旧Twitter)より2022年2月27日閲覧。
- ^ a b c 川本 2014, p. 136.
- ^ a b c 三橋 2013, p. 67.
- ^ a b c d 椿 2015, p. 192.
- ^ 来栖 2015b, p. 32.
- ^ a b c d 吉本 2015, p. 210.
- ^ 斎藤 2015, p. 203.
- ^ 井戸 2020, p. 27.
- ^ a b c d 朝日新聞 2014.
- ^ a b 泉 2015, p. 176.
- ^ Kinsella 2022, p. 195.
- ^ あしやま 2015, pp. 114, 121.
- ^ 田中 2015, pp. 124–125.
- ^ a b 水野 2011, p. 33.
- ^ ノトフ & (福) 2010, p. 98.
- ^ a b c 大島 2015, pp. 97–98.
- ^ 吉本 2015, pp. 210–211.
- ^ a b Kinsella 2019, pp. 433, 446.
- ^ a b c d 西原 2015, p. 111.
- ^ a b 川本 2014, p. 53.
- ^ a b c 三橋 2013, p. 63.
- ^ 三橋 2008, p. 24.
- ^ 水野 2011, p. 31.
- ^ a b c d e 宮本 2017, p. 209.
- ^ a b 泉 2015, p. 181.
- ^ 田中 2015, pp. 124–126.
- ^ a b 三浦ゆえ、平成女子性欲研究会『セックスペディア:平成女子性欲事典』文藝春秋、2014年3月12日、32-33頁。ISBN 978-4163900339。
- ^ a b c 水野 2015, p. 200.
- ^ a b 吉田悟郎『オトコの娘ラヴァーズ!!』ミリオン出版〈ミリオンコミックス〉、2013年9月26日、51-52, 110頁。ISBN 978-4813054009。
- ^ 暮沢 2010, pp. 172–173.
- ^ 川本 2014, pp. 1–2, 65–66.
- ^ 川本 2014, pp. 1–2, 53.
- ^ 柴田 2015, pp. 131–132.
- ^ a b c 井戸 2015, p. 190.
- ^ 来栖 2011, p. 49.
- ^ ふみ & 秀良子 2015, p. 68.
- ^ a b c 永山 2015, p. 147.
- ^ a b c d e f g h i j 吉本 2015, p. 212.
- ^ 藤本 1998, pp. 130–132.
- ^ a b Kinsella 2019, p. 440.
- ^ 永山 2015, p. 150.
- ^ a b 藤本 1998, p. 136.
- ^ a b 暮沢 2010, p. 175.
- ^ a b c d e f 来栖 2012, p. 103.
- ^ a b c あしやま 2015, p. 116.
- ^ a b c 永山 2015, p. 151.
- ^ 伊藤 2023, p. 242.
- ^ a b 堀 2016, p. 222.
- ^ a b 来栖 2015c, p. 51.
- ^ 川本 2014, p. 137.
- ^ a b c d 森瀬 2010, p. 74.
- ^ 来栖 2009a, p. 142.
- ^ a b 永山 2015, pp. 151–152.
- ^ 来栖美憂「来栖美憂のオトコの娘名作批評 第3回“バーコードファイター”」『おと☆娘 VOL.10』ミリオン出版〈ミリオンムック〉、2013年2月18日、283頁。ISBN 978-4813067252。
- ^ a b c d e f 来栖 2009a, p. 143.
- ^ a b c 斎藤 2015, p. 204.
- ^ 永山 2015, p. 152.
- ^ 来栖 2009b, p. 170.
- ^ 来栖 2015c, p. 53.
- ^ 来栖 2009b, p. 166.
- ^ 永山 2014, pp. 290–291.
- ^ Kinsella 2022, p. 191.
- ^ 吉本 2009, pp. 10–11.
- ^ a b 土方敏良、坂本恵 (2010年4月5日). "前代未聞の「オトコの娘マガジン」誕生 編集長が趣味全開でその魅力を語る". ナタリー. ナターシャ. 2023年4月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年7月12日閲覧。
- ^ 永山 2014, p. 344.
- ^ a b ふみ & 秀良子 2015, p. 58.
- ^ 田中 2015, p. 125.
- ^ a b 渡辺 1998, p. 36.
- ^ a b 永山 2014, p. 291.
- ^ a b 吉本 2015, pp. 212–213.
- ^ 渡辺 1998, pp. 34–35.
- ^ a b c d e f 吉本 2015, p. 213.
- ^ 吉本 2014a, p. 6.
- ^ a b 渡辺 1998, pp. 35–36.
- ^ 渡辺 1998, pp. 37, 48.
- ^ a b 渡辺 1998, p. 38.
- ^ 吉本 2014a, p. 8.
- ^ 渡辺 1998, p. 39.
- ^ a b 吉本 2014a, p. 20.
- ^ a b c 吉本 2014b, p. 39.
- ^ 永山 2015, pp. 153–154.
- ^ 吉本 2014a, pp. 6–7.
- ^ a b c d e f 吉本 2007, p. 107.
- ^ a b c d e f g h i 来栖 2010a, p. 222.
- ^ a b 吉本 2014b, p. 5.
- ^ 永山 2014, pp. 105–106.
- ^ a b 堀あきこ『欲望のコード:マンガにみるセクシュアリティの男女差』臨川書店〈ビジュアル文化シリーズ〉、2009年6月1日、226-227頁。ISBN 978-4653040187。
- ^ 永山 2003, pp. 50–51.
- ^ a b c d e f g h i j k l m 吉本 2015, p. 214.
- ^ 斎藤環『博士の奇妙な思春期』日本評論社、2003年2月1日、40頁。ISBN 978-4535561977。
- ^ a b 永山 2014, p. 118.
- ^ 吉本 2014a, pp. 12–13.
- ^ 吉本 2014a, p. 12.
- ^ 吉本 2014a, p. 13.
- ^ a b c d e f g h 吉本 2015, p. 219.
- ^ "社団法人日本アミューズメントマシン工業協会設立20周年記念誌" (pdf). 日本アミューズメント産業協会. p. 38. 2022年4月20日時点のオリジナルよりアーカイブ (PDF)。2022年11月24日閲覧。
- ^ a b c 吉本 2009, p. 14.
- ^ a b c d 宮本 2017, p. 210.
- ^ 川本 2014, pp. 138–139.
- ^ a b c d e f g h i j 吉本 2015, p. 215.
- ^ 吉本 2015, pp. 214–215.
- ^ a b Kinsella 2019, p. 441.
- ^ a b 暮沢 2010, p. 180.
- ^ a b c d e 来栖 2015a, p. 16.
- ^ 永山 2014, pp. 292–293.
- ^ 吉本 2014b, p. 38.
- ^ a b c 川本 2014, p. 139.
- ^ a b c 来栖 2015a, p. 31.
- ^ a b c d 吉本 2015, p. 223.
- ^ a b c 来栖 2011, p. 45.
- ^ a b 来栖 2011, p. 44.
- ^ 田中 2015, pp. 123–124.
- ^ 三葉 & 土方 2010, p. 183.
- ^ a b 上手詩織 著「女装文化の歴史 第五回◎女装イベント、その発生と展開」、井戸隆明 編『オトコノコ時代 VOL.1』マイウェイ出版〈マイウェイムック〉、2011年5月12日、188-189頁。ISBN 978-4861358067。
- ^ a b c 来栖 2012, p. 104.
- ^ 吉本 2015, pp. 215–217.
- ^ a b c 川本 2014, p. 140.
- ^ a b 久米 2013, p. 70.
- ^ 熊田 2005, pp. 72, 74.
- ^ a b c たまごまご 2010, p. 60.
- ^ 藤本 2014, pp. 104–107.
- ^ a b c 樋口 2015, p. 87.
- ^ 熊田 2005, p. 73.
- ^ a b c d e f 吉本 2009, p. 13.
- ^ a b 熊田 2005, p. 74.
- ^ 天野 2014, p. 93.
- ^ 渡辺 1998, p. 51.
- ^ a b 藤本 2014, p. 105.
- ^ 熊田 2005, pp. 75–76.
- ^ 藤本 1998, pp. 218–221.
- ^ 佐伯 2009, pp. 118–131.
- ^ 藤本 1998, p. 135.
- ^ 佐伯 2009, pp. 117–260.
- ^ a b 久米 2013, pp. 70–71.
- ^ a b c 久米 2013, p. 77.
- ^ 本田 2005, pp. 151–152.
- ^ 熊田 2005, pp. 93–95.
- ^ 天野 2014, p. 95.
- ^ 熊田 2005, pp. 77–80.
- ^ 岩井阿礼「性表現の主体としての女性:女性向け男性同性愛ファンタジーに見られる性役割葛藤と性役割多元化の試み」『Sociology today』第6号、お茶の水社会学研究会、1995年12月20日、10頁、NAID 40005205006。
- ^ 熊田 2005, pp. 77–78.
- ^ 熊田 2005, pp. 80–82.
- ^ 堀江有里「女たちの関係性を表象すること:レズビアンへのまなざしをめぐるノート」『ユリイカ:特集=百合文化の現在』2014年12月号、青土社、2014年11月27日、83-84頁。ISBN 978-4791702800。 NAID 40020518645。
- ^ a b 今 2005, p. 74.
- ^ a b c d e f 彼佐 2005, p. 75.
- ^ 藤本 2014, p. 107.
- ^ a b c 椿 2015, p. 198.
- ^ 宮本 2017, pp. 270–271.
- ^ a b c 宮本 2017, p. 205.
- ^ 森瀬 2010, p. 78.
- ^ クリエンタ 編『花と乙女に祝福を ビジュアルファンブック』彩文館出版〈CREATIVE SERIES〉、2009年11月26日、103頁。ISBN 978-4775604519。
- ^ a b 久米 2013, pp. 77, 83.
- ^ a b c d e f g h i j k l 吉本 2015, p. 216.
- ^ 宮本 2017, pp. 140–180.
- ^ a b c d e 暮沢 2010, p. 177.
- ^ 来栖 2010a, p. 224.
- ^ a b 森瀬 2010, p. 75.
- ^ 来栖 2010b, p. 211.
- ^ a b 暮沢 2010, p. 178.
- ^ 来栖 2015a, pp. 17–18.
- ^ 暮沢 2010, pp. 178–179.
- ^ (福) 2006, p. 16.
- ^ a b c 椿 2015, p. 195.
- ^ a b 暮沢 2010, p. 179.
- ^ a b c 来栖 2015a, p. 17.
- ^ 『このアニメがすごい! 2007』宝島社〈別冊宝島〉、2007年3月17日、19頁。ISBN 978-4796657440。
- ^ 「第29回アニメグランプリ 結果発表!」『アニメージュ』2007年6月号、徳間書店、2007年5月10日、15頁、全国書誌番号:00031922。
- ^ a b c d 森瀬 2010, p. 76.
- ^ a b c d e 吉本 2015, p. 217.
- ^ 現代視覚文化研究 Vol.4, p. 37.
- ^ a b 吉本 2009, pp. 4–5.
- ^ 吉本 2009, pp. 17–18.
- ^ 現代視覚文化研究 Vol.4, p. 64.
- ^ 現代視覚文化研究 Vol.4, p. 68.
- ^ 来栖 2011, p. 48.
- ^ 伊藤 2023, pp. 228–229.
- ^ a b c 伊藤 2023, p. 236.
- ^ 来栖 2015a, pp. 19–20.
- ^ 三葉 & 土方 2010, p. 184.
- ^ a b 朝日新聞 2011.
- ^ 伊藤 2023, pp. 234–235.
- ^ a b c d 伊藤 2023, p. 235.
- ^ a b 伊藤 2023, p. 234.
- ^ 伊藤 2023, pp. 229–230.
- ^ 中根 2023, p. 33.
- ^ a b c d e 来栖 2015a, p. 20.
- ^ 現代視覚文化研究 Vol.4, p. 55.
- ^ a b 吉田 & 茶漬け 2011, p. 82.
- ^ 川本 2014, p. 23.
- ^ a b 川本 2014, p. 73.
- ^ 三橋 2009, pp. 86, 113.
- ^ 三橋 2013, p. 64.
- ^ a b c d e f g 椿 2011, p. 27.
- ^ 伊藤 2023, pp. 235–236.
- ^ 吉本 2015, pp. 215–216.
- ^ a b c d e f g h 吉本 2015, p. 218.
- ^ a b 伊藤 2023, pp. 230–231.
- ^ 甲斐祐樹 (2008年4月23日). "Twitter日本語版サービスが開始". BB Watch. インプレス. 2022年9月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年6月9日閲覧。
- ^ 伊藤 2023, pp. 231–233.
- ^ 佐伯 2015, p. 81.
- ^ a b c 来栖 2015a, p. 21.
- ^ a b 吉本 2009, p. 8.
- ^ a b c あしやま 2015, pp. 116–117.
- ^ a b c 来栖 2015a, p. 22.
- ^ a b c 井戸 2015, p. 184.
- ^ 川本 2014, p. 76.
- ^ a b c d e 井戸 2015, p. 185.
- ^ a b c 川本 2014, p. 142.
- ^ a b c d 三橋 2013, p. 76.
- ^ a b 佐伯 2015, pp. 80–81.
- ^ Kinsella 2022, p. 192.
- ^ 吉田 & 茶漬け 2011, p. 83.
- ^ 川本 2014, p. 75.
- ^ Kinsella 2019, p. 444.
- ^ a b c d e 来栖 2012, p. 105.
- ^ a b 川本 2014, pp. 75–76.
- ^ オトコノコ倶楽部 VOL.3, p. 82.
- ^ 川本 2014, pp. 88–89.
- ^ a b 三橋 2013, p. 70.
- ^ a b 川本 2014, p. 89.
- ^ オトコノコ倶楽部 VOL.3, p. 83.
- ^ 井上 2012, p. 167.
- ^ a b 川本 2014, p. 135.
- ^ a b c Kinsella 2019, p. 438.
- ^ 川本 2014, pp. 135, 144–145.
- ^ 川本 2014, pp. 153–154.
- ^ 川本 2014, pp. 1, 135.
- ^ 水の & まゐ 2013, p. 24.
- ^ あしやま 2015, p. 115.
- ^ a b 佐伯 2015, p. 80.
- ^ a b 三橋 2013, p. 66.
- ^ 暮沢 2010, p. 200.
- ^ "放送内容". MAG・ネット. NHK. 2011年5月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年5月12日閲覧。
- ^ 永山 2014, p. 345.
- ^ a b c d e 椿 2015, p. 191.
- ^ 吉本 2015, pp. 218–219.
- ^ Kinsella 2020, pp. 46–47.
- ^ 七松 2022, p. 58.
- ^ 新野 2022, p. 66.
- ^ 宮本 2017, p. 239.
- ^ 民安 2012, p. 216.
- ^ 来栖 2012, pp. 104–105.
- ^ 川本 2014, p. 141.
- ^ 来栖 2015a, p. 15.
- ^ 「輝く!萌えゲーアワード2013」『BugBug』2014年7月号、マガジン・マガジン、2014年6月3日、149頁、全国書誌番号:01019126。
- ^ 『このライトノベルがすごい! 2009』宝島社、2008年11月22日、9, 46, 49頁。ISBN 978-4796666954。
- ^ 『このライトノベルがすごい! 2010』宝島社、2009年11月21日、12, 62, 65頁。ISBN 978-4796674904。
- ^ 伊藤 2023, p. 238.
- ^ a b 久米 2013, p. 69.
- ^ 久米 2013, pp. 73–76.
- ^ a b c d e f g h 樋口 2015, p. 85.
- ^ 伊藤 2023, pp. 237–253.
- ^ a b 暮沢 2010, p. 182.
- ^ 伊藤 2023, pp. 254–255.
- ^ 吉本 2009, p. 7.
- ^ わぁい!, Vol.2, p. 18.
- ^ 来栖 2015a, pp. 14–15, 22.
- ^ 新美友那 (2022年2月5日). "男の子なのにかわいすぎるキャラ3選 「不覚にも萌える」「だが、男だ」". マグミクス. メディア・ヴァーグ. 2022年2月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年1月5日閲覧。
- ^ 「4月4日は男の娘の節句!?」『娘TYPE』2011年5月号、角川書店、2011年3月30日、57頁、全国書誌番号:01024078。
- ^ a b 川本 2014, p. 144.
- ^ Kinsella 2019, p. 442.
- ^ a b 北陸中日新聞 2011.
- ^ 井上 2012, pp. 182–184.
- ^ a b 川本 2014, p. 77.
- ^ 川本 2014, pp. 75–77.
- ^ a b c d 椿 2011, p. 26.
- ^ a b 川本 2014, p. 143.
- ^ 川本 2014, p. 130.
- ^ a b 川本 2014, pp. 130–131.
- ^ 川本 2014, pp. 23–24.
- ^ 来栖 2015a, pp. 23–24.
- ^ a b c d e f g h i j 吉本 2015, p. 220.
- ^ a b 井戸 2020, p. 31.
- ^ 熊田 2005, p. 193.
- ^ a b 三橋 2008, p. 336.
- ^ a b c d e f 三橋 2015, p. 71.
- ^ a b 三橋 2008, p. 335.
- ^ 来栖 2015a, p. 7.
- ^ a b 三橋 2015, p. 73.
- ^ a b c 井戸 2015, p. 189.
- ^ a b 佐伯 2015, p. 77.
- ^ 三橋 2008, pp. 31–32.
- ^ 佐伯 2009, p. 28.
- ^ 三橋 2008, p. 73.
- ^ 佐伯 2015, pp. 79, 84.
- ^ 三橋 2008, pp. 70–72.
- ^ 三橋 2008, pp. 73–74.
- ^ 三橋 2008, p. 80.
- ^ 来栖 2015a, pp. 7–8, 31.
- ^ 三橋 2008, p. 100.
- ^ 三橋 2008, pp. 100–101.
- ^ a b c 三橋 2015, p. 72.
- ^ 佐伯 2009, p. 258.
- ^ 中根 2023, pp. 12–13.
- ^ 江口啓子「異性装の恋:異性愛と同性愛が交わる場所」『異性装:歴史の中の性の越境者たち』集英社インターナショナル〈インターナショナル新書〉、2023年2月7日、97-98頁。ISBN 978-4797681178。
- ^ 三橋 2008, p. 117.
- ^ 三橋 2008, pp. 117–118.
- ^ a b 三橋 2008, p. 119.
- ^ 三橋 2008, pp. 129, 142.
- ^ 佐伯 2015, p. 79.
- ^ 三橋 2008, pp. 152–153.
- ^ 三橋 2008, p. 153.
- ^ 三橋 2008, pp. 154–155.
- ^ 三橋 2008, pp. 338–339.
- ^ a b 三橋 2008, p. 179.
- ^ 三橋 2008, pp. 190–191.
- ^ 三橋 2008, p. 191.
- ^ 三橋 2008, p. 263.
- ^ 三橋 2008, p. 208.
- ^ a b c d 来栖 2015a, p. 8.
- ^ 来栖美憂「このオトコの娘ヒロインがスゴい!」『おと☆娘 VOL.1』ミリオン出版〈ミリオンムック〉、2010年10月25日、94頁。ISBN 978-4813063902。
- ^ 三橋 2008, pp. 213–214.
- ^ a b c 来栖 2015a, pp. 8–9.
- ^ a b c 井戸 2015, p. 186.
- ^ a b 三橋 2008, p. 216.
- ^ 三橋 2008, pp. 219–220.
- ^ 三橋 2008, pp. 192–193.
- ^ 三橋 2008, p. 192.
- ^ a b 三橋 2015, p. 76.
- ^ 樋口 2015, p. 88.
- ^ 三橋 2008, pp. 235–242.
- ^ a b c 井戸 2015, p. 187.
- ^ 来栖 2015a, pp. 21–22.
- ^ 来栖 2009b, p. 171.
- ^ a b 西原 2015, p. 112.
- ^ オトコノコ10年史, pp. 52–53.
- ^ 三橋 2013, p. 78.
- ^ 本田 2005, p. 156.
- ^ 本田 2005, pp. 156–157.
- ^ 吉本 2009, p. 21.
- ^ 本田 2005, pp. 157–158.
- ^ 大島 2015, p. 95.
- ^ 東浩紀『ゲーム的リアリズムの誕生:動物化するポストモダン2』講談社〈講談社現代新書〉、2007年3月16日、313頁。ISBN 978-4061498839。
- ^ a b c d 椿 2015, p. 193.
- ^ 渡辺 1998, p. 52.
- ^ 永山 2015, pp. 294–295.
- ^ 永山 2015, p. 345.
- ^ a b 来栖 2015a, pp. 9–10.
- ^ 来栖 2015a, p. 9.
- ^ a b 椿 2015, pp. 195–196.
- ^ a b 椿 2015, p. 196.
- ^ 水野 2011, pp. 33–35.
- ^ a b 水野 2011, p. 35.
- ^ a b 三橋 2013, pp. 78–79.
- ^ 三橋 2009, pp. 97–98.
- ^ 永山 2014, pp. 81–83.
- ^ 島村 1991, pp. 105–113.
- ^ a b c d 毎日新聞 2013.
- ^ a b c d 三橋 2013, p. 79.
- ^ ノトフ & (福) 2010, p. 99.
- ^ 吉本 2009, pp. 23–24.
- ^ 井上 2012, p. 94.
- ^ 田中 2015, p. 129.
- ^ 永山 2014, p. 83.
- ^ a b c d e f 吉本 2007, p. 111.
- ^ a b c Bredikhina & Giard 2022, p. 11.
- ^ a b 二村 2015, p. 208.
- ^ "男女共同参画白書〈平成26年版〉". 内閣府. 2014年6月1日. 2022年10月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年6月19日閲覧。
- ^ "少子化社会対策白書〈平成30年版〉" (pdf). 内閣府. 2018年7月1日. p. 13. 2022年9月6日時点のオリジナルよりアーカイブ (PDF)。2022年2月7日閲覧。
- ^ a b c Kinsella 2020, p. 53.
- ^ a b 吉本たいまつ「女装少年に萌え〜!」『女装の王子様』光彩書房〈光彩コミックス〉、2009年2月27日、159-160頁。ISBN 978-4860933050。
- ^ 吉本 2009, p. 31.
- ^ 本田 2005, pp. 80–85, 152–153.
- ^ BugBug 2016年12月号, pp. 153–154.
- ^ 水野 2015, pp. 202–203.
- ^ 椿 2011, pp. 27–28.
- ^ 三橋 2009, pp. 88–91.
- ^ 三橋 2013, pp. 75–76.
- ^ 永山 2014, pp. 81–88.
- ^ 永山 2014, p. 97.
- ^ 宮本 2017, pp. 72–74.
- ^ 吉本 2009, p. 11.
- ^ 永山 2014, pp. 98–102.
- ^ 永山 2014, pp. 102–103.
- ^ a b 稀見理都『エロマンガノゲンバ』三才ブックス、2016年12月20日、67-68, 144, 165頁。ISBN 978-4861999383。
- ^ 永山 2014, pp. 102–104.
- ^ a b 永山 2014, pp. 104–105.
- ^ a b 永山 2014, p. 103.
- ^ 吉本 2014a, p. 7.
- ^ 永山 2014, p. 104.
- ^ 吉本 2014a, pp. 7–8.
- ^ 来栖 2015a, p. 27.
- ^ 椿 2015, p. 197.
- ^ 空想女装少年コレクション, p. 81.
- ^ ちゃとら & こ〜ちゃ 2009, p. 92.
- ^ 宮本 2017, p. 179.
- ^ 西田 2015, p. 128.
- ^ a b c 来栖 2015a, p. 23.
- ^ 七松 2022, p. 37.
- ^ 新野 2022, pp. 77, 83.
- ^ 川本 2014, p. 34.
- ^ a b 石井由香理「トランスジェンダーとクロスドレッサーの性の商業化と現状について」『人文学報』第52号、首都大学東京人文科学研究科、2017年3月17日、23-29頁、hdl:10748/00009369、NAID 120006328055。
- ^ 井戸 2020, p. 42.
- ^ 来栖 2015a, pp. 7, 9.
- ^ 来栖 2015a, p. 30.
- ^ 吉本 2015, pp. 220–221.
- ^ 中根 2023, p. 13.
- ^ 川本 2014, pp. 52–53.
- ^ a b 幾夜 2015, p. 144.
- ^ 永山 2014, p. 346.
- ^ 七松 2022, pp. 54–55.
- ^ 本田 2005, p. 80.
- ^ 暮沢 2010, p. 194.
- ^ a b 泉 2015, p. 177.
- ^ 大島 2015, pp. 96–97.
- ^ 石岡良治『現代アニメ「超」講義』PLANETS/第二次惑星開発委員会、2019年6月21日、255頁。ISBN 978-4905325130。
- ^ 水野 2011, pp. 36–37.
- ^ 斎藤 2015, p. 205.
- ^ a b c d e 樋口 2015, p. 91.
- ^ 吉本 2009, pp. 22, 26.
- ^ 吉本 2009, p. 17.
- ^ 吉本 2015, pp. 218, 221.
- ^ 水野 2015, p. 201.
- ^ 堀 2016, p. 223.
- ^ 堀 2016, p. 225.
- ^ 堀 2016, p. 226.
- ^ 堀 2016, pp. 227–228.
- ^ 泉 2015, p. 178.
- ^ a b 伊藤 2023, pp. 249–250.
- ^ a b 本田 2005, pp. 156–158.
- ^ 熊田 2005, pp. 82–83.
- ^ 吉本 2015, pp. 211–212.
- ^ 吉本 2009, pp. 2, 30–31.
- ^ わぁい!, Vol.2, p. 207.
- ^ 日高 2015, pp. 159–166.
- ^ 吉本 2009, p. 16.
- ^ a b c 川本 2014, pp. 140–141.
- ^ 来栖 2015a, p. 26.
- ^ 井戸 2015, pp. 185–186.
- ^ 久米 2013, p. 71.
- ^ 久米 2013, pp. 72–75.
- ^ 久米 2013, pp. 79–81.
- ^ 久米 2013, pp. 79–80.
- ^ a b 久米 2013, p. 72.
- ^ a b 樋口 2015, p. 92.
- ^ 川本 2014, pp. 143–144.
- ^ 来栖 2015a, p. 29.
- ^ a b c オトコノコ10年史, p. 58.
- ^ 大島 2015, pp. 103–104.
- ^ あしやま 2015, p. 117.
- ^ 魔北 2011, p. 165.
- ^ a b 佐伯 2015, p. 82.
- ^ a b あしやま 2015, p. 114.
- ^ 川本 2014, pp. 135–136.
- ^ Kinsella 2019, pp. 447–448.
- ^ "資生堂のWEB動画が世界三大広告賞「クリオ アワード」でゴールドを受賞". 資生堂. 2016年10月13日. 2023年7月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年7月13日閲覧。
- ^ a b c Kinsella 2019, p. 447.
- ^ 「男性もメイク 肌色整え好感度アップ」『読売新聞』2019年1月18日、東京朝刊、19面。
- ^ Kinsella 2020, p. 51.
- ^ a b c 共同通信 2010.
- ^ a b 大島 2015, p. 97.
- ^ 井戸 2015, p. 188.
- ^ 三橋 2008, p. 268.
- ^ 水の & まゐ 2013, pp. 24–25.
- ^ 三橋 2009, p. 98.
- ^ 佐伯 2015, pp. 81–83.
- ^ Kinsella 2019, p. 446.
- ^ a b Kinsella 2020, p. 50.
- ^ a b Bredikhina & Giard 2022, p. 10.
- ^ Kinsella 2019, p. 451.
- ^ Kinsella 2019, pp. 452–453.
- ^ Kinsella 2019, p. 435.
- ^ Kinsella 2019, p. 454.
- ^ Kinsella 2019, p. 432.
- ^ あしやま 2015, p. 119.
- ^ 井戸 2015, pp. 187–188.
- ^ 井戸 2020, p. 46.
- ^ 大島 2015, p. 99.
- ^ "男の女装がカジュアル化 ネットとカワイイ文化を背景に浸透". NEWSポストセブン. 小学館. 2015年1月2日. 2015年1月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年9月17日閲覧。
- ^ "「男の娘」の商標出願、「他社への権利主張が目的ではない」". ITmedia NEWS. ITmedia. 2010年7月30日. 2022年3月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年3月16日閲覧。
- ^ a b 永山 2015, p. 157.
- ^ a b 和泉宗吾 (2020年2月6日). "【速報】「男の娘」が商標登録". 秋葉原PLUS. 2020年3月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年10月21日閲覧。
- ^ Bredikhina & Giard 2022, pp. 5–9.
- ^ a b Bredikhina & Giard 2022, pp. 2–3.
- ^ Bredikhina & Giard 2022, pp. 7–8.
- ^ Bredikhina & Giard 2022, p. 2.
- ^ Bredikhina & Giard 2022, p. 4.
- ^ ねぎぽよし、izm、あしやまひろこ「VTuberを支えるバ美肉技術者」『女装と思想』Vol.9、テクノコスプレ研究会、2019年8月11日、14頁。全国書誌番号:23722550。
- ^ 伊藤 2023, p. 264.
- ^ 永山 2014, p. 81.
- ^ "情報通信白書〈令和元年版〉" (pdf). 総務省. 2019年7月1日. p. 17. 2022年7月7日時点のオリジナルよりアーカイブ (PDF)。2023年1月23日閲覧。
- ^ 三橋 2009, p. 107.
- ^ 川本 2014, p. 188.
- ^ Kinsella 2019, p. 437.
- ^ 来栖 2015a, p. 14.
- ^ 斎藤 2015, pp. 203–204.
- ^ 暮沢 2010, pp. 176–177.
- ^ 伊藤 2023, pp. 239–240.
- ^ 来栖 2015c, pp. 50–51.
- ^ 来栖 2015c, p. 54.
- ^ 暮沢 2010, p. 181.
- ^ 日高 2015, p. 159.
- ^ 吉本 2009, pp. 5–8.
- ^ 来栖 2015a, p. 19.
- ^ 暮沢 2010, pp. 180–181.
- ^ 伊藤 2023, p. 240.
- ^ 久米 2013, p. 73.
- ^ 吉本 2009, pp. 8–9.
- ^ 久米 2013, pp. 75–76.
- ^ 来栖 2015c, p. 50.
- ^ 三橋 2013, pp. 68–69.
- ^ 田中 2015, p. 126.
- ^ 堀 2016, p. 230.
- ^ Kinsella 2020, p. 48.
- ^ a b Kinsella 2019, p. 445.
- ^ 大島 2015, pp. 99–101.
- ^ 川本 2014, pp. 163–166.
- ^ あしやま 2015, p. 121.
- ^ 羅 2021, p. 37.
- ^ a b 魔北 2011, p. 163.
- ^ a b c はちこ『中華オタク用語辞典』文学通信、2019年6月28日、31頁。ISBN 978-4909658081。
- ^ a b 昼間たかし (2019年7月7日). "中国でも急成長する男の娘ジャンル エロのフロンティアはまだ有望な鉱脈だ!". おたぽる. サイゾー. 2021年11月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年11月7日閲覧。
- ^ a b 羅 2021, p. 38.
- ^ 張暁娜『中国語における日源新詞の受容について』(博士(学術)論文・人文社会科学研究科専攻)鹿児島大学、2020年、50-51頁。hdl:10232/00031486。 NAID 500001442136。
- ^ a b c Chow 2017, p. 4.
- ^ Chow 2017, p. 6.
- ^ a b Chow 2017, p. 5.
- ^ "出奇招!中國祭影視男星「限娘令」 網友痛批:強制審美". Next TV (中国語). 年代電視台. 2021年3月11日. 2021年10月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年10月25日閲覧。
- ^ anomado (2021年9月13日). "ジェンダーレス男子はNG!「限娘令」で芸能人たちが"男性らしさ"のアピールをスタートか". Record China. 2021年9月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年10月22日閲覧。
- ^ Narita, Seiji (2021年9月25日). "中国でゲーム業界団体が"自主規制ガイドライン"を発表。実名認証厳守でボーイズラブも自主規制、213企業が協賛する厳しい条件". AUTOMATON. アクティブゲーミングメディア. 2021年10月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年10月22日閲覧。
- ^ 浦上早苗 (2021年9月9日). "ジェンダーレス男子、タレント二世も起用NG。中国エンタメ界に吹き荒れる大統制". ITmediaビジネスオンライン. ITmedia. 2021年10月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年10月22日閲覧。
- ^ 羅 2021, pp. 37, 39.
- ^ 羅 2021, p. 47.
- ^ 羅 2021, p. 40.
- ^ a b "ヒロインは女神も含めて皆、男!美少年(女)ノベルゲーム『女装神社』Steam配信開始". Game*Spark. イード. 2019年3月30日. 2021年10月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年10月4日閲覧。
- ^ a b Lewicki 2022, p. 81.
- ^ Lewicki 2022, pp. 79–81.
- ^ a b c d e "「男の娘」を指す「trap」は差別用語?海外掲示板の処置に日本でも物議". J-CASTニュース. ジェイ・キャスト. 2020年8月16日. 2021年9月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年10月4日閲覧。
- ^ Lewicki 2022, pp. 79–80.
- ^ a b ヒナタカ (2022年8月20日). "ちょっとブリジットについて語らせてくれ!「男の娘」として生まれたキャラクターが現実の「トランスジェンダー」についても知見を投げかける理由". ねとらぼ. ITmedia. 2022年8月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年8月25日閲覧。
- ^ a b 中村建貴(TBSテレビ) (2022年10月26日). "独占取材:「男の娘」から「女性」へ 人気ゲーム・ギルティギアの「ブリジット」誕生秘話". TBS NEWS DIG. TBS・JNN NEWS DIG合同会社. 2022年11月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年11月27日閲覧。
参照資料
記事中で参照した箇所の少ないものは脚注に記載した。
書籍
- 島村麻里『ファンシーの研究:「かわいい」がヒト、モノ、カネを支配する』ネスコ、1991年3月1日。ISBN 978-4890368143。
- 藤本由香里『私の居場所はどこにあるの?:少女マンガが映す心のかたち』学陽書房、1998年3月1日。ISBN 978-4313870116。
- 岡田斗司夫 編『国際おたく大学:1998年 最前線からの研究報告』光文社、1998年7月1日。ISBN 978-4334971823。
- 渡辺由美子「ショタの研究」、31-55頁。
- 永山薫、斎藤環、伊藤剛、竹熊健太郎、小谷真理 著、東浩紀 編『網状言論F改:ポストモダン・オタク・セクシュアリティ』青土社、2003年1月23日。ISBN 978-4791760091。
- 永山薫「セクシュアリティの変容」、39-57頁。
- 土方敏良 編『空想女装少年コレクション』一迅社、2005年7月27日。ISBN 978-4758010382。
- 今俊郎「女装美少年ゲーム 今後はこうなる!」、74頁。
- 彼佐真近「男性から見た女装美少年、女性から見た女装美少年」、75頁。
- 「緊急! 覆面座談会」、80-85頁。
- 熊田一雄『男らしさという病?:ポップ・カルチャーの新・男性学』風媒社、2005年9月21日。ISBN 978-4833110679。
- 本田透『萌える男』筑摩書房〈ちくま新書〉、2005年11月7日。ISBN 978-4480062710。
- 『現代視覚文化研究』三才ブックス〈三才ムック〉、2006年12月14日。ISBN 978-4861990618。
- (福)「女装少年に首ったけ!」、16頁。
- 『ユリイカ:総特集=腐女子マンガ大系』2007年6月臨時増刊号、青土社、2007年6月25日。ISBN 978-4791701636。
- 吉本たいまつ「男もすなるボーイズラブ」、106-112頁。 NAID 40015546616。
- 三橋順子『女装と日本人』講談社〈講談社現代新書〉、2008年9月19日。ISBN 978-4062879606。
- 『オトコノコ倶楽部 VOL.1』三和出版、2009年5月12日。ISBN 978-4776904298。
- ちゃとら、こ〜ちゃ「見逃せない2D世界の男の娘達①人気ゲーム「はぴねす!」《渡良瀬準》編」、90-93頁 。
- 来栖美憂「女装少年の系譜 第1回:メジャー漫画・2000年編」、138-143頁 。
- 成実弘至 編『コスプレする社会:サブカルチャーの身体文化』せりか書房、2009年6月25日。ISBN 978-4796702904。
- 三橋順子「変容する女装文化:異性装と自己表現」、84-114頁。
- 『オトコノコ倶楽部 VOL.2』三和出版、2009年10月8日。ISBN 978-4776904762。
- 来栖美憂「女装少年の系譜 第2回:メジャー漫画の“性転換モノ”について」、166-171頁。
- 佐伯順子『「女装と男装」の文化史』講談社〈講談社選書メチエ〉、2009年10月9日。ISBN 978-4062584500。
- 『現代視覚文化研究 Vol.4』三才ブックス〈三才ムック〉、2010年4月19日。ISBN 978-4861992513。
- たまごまご「ゼロ年代は「百合」ジャンルの創成期!!」、60-61頁。
- ノトフ、(福)「いますぐ始めよう! 僕たち男の娘宣言!」、98-99頁。
- 『オトコノコ倶楽部 VOL.3』三和出版、2010年4月15日。ISBN 978-4776905264。
- 「女装イベントリポート① 東京化粧男子宣言」、82-85頁。
- 三葉、土方敏良「女装愛から企画されたマニュアル本誕生まで」、182-184頁。
- 来栖美憂「女装少年の系譜 第3回:90年代を受けて00年代 “女装少年”の展開」、220-225頁。
- 『オトコノコ倶楽部 VOL.4』三和出版、2010年10月15日。ISBN 978-4776905844。
- 来栖美憂「女装少年の系譜 最終回:「オトコノコ」の今」、210-215頁。
- 暮沢剛巳『キャラクター文化入門』NTT出版、2010年11月25日。ISBN 978-4757142565。
- 井戸隆明 編『オトコノコ時代 VOL.2』マイウェイ出版〈マイウェイムック〉、2011年11月9日。ISBN 978-4861358593。
- 来栖美憂「女装初心者・男の娘のための女装とコスプレ特集」、43-49頁。
- 魔北葵「ふたなりから男の娘という表現へ」、160-165頁。
- 『しそちず!』#8、コンテクチュアズ友の会、2011年12月20日。全国書誌番号:01029759。
- 椿かすみ「魅せ(られ)る男たち:〈男の娘〉の系譜」、26-28頁。
- 『おと☆娘 VOL.7』ミリオン出版〈ミリオンムック〉、2012年4月26日。ISBN 978-4813065944。
- 来栖美憂「おと☆娘特製 オトコの娘年表」、103-105頁。
- 民安ともえ「民安ともえの2011年ひとりオトコの娘アワード?」、216-217頁。
- 井上魅夜『化粧男子:男と女、人生を2倍楽しむ方法』太田出版、2012年9月27日。ISBN 978-4778313388。
- 一柳廣孝、久米依子 編『ライトノベル・スタディーズ』青弓社、2013年10月19日。ISBN 978-4787292162。
- 久米依子「トラブルとしてのセクシュアリティ:〈男の娘〉表象と少女コミュニティ志向」、69-83頁。
- 永山薫『エロマンガ・スタディーズ:「快楽装置」としての漫画入門』(増補版)筑摩書房〈ちくま文庫〉、2014年4月9日。ISBN 978-4480431691。
- 川本直『「男の娘」たち』河出書房新社、2014年9月25日。ISBN 978-4309246741。
- 『ユリイカ:特集=百合文化の現在』2014年12月号、青土社、2014年11月27日。ISBN 978-4791702800。
- 天野しゅにんた「女子と/の恋愛:百合という観測問題」、92-100頁。 NAID 40020518661。
- 藤本由香里「「百合」の来し方:「女どうしの愛」を漫画はどう描いてきたか?」、101-109頁。 NAID 40020518670。
- 井戸隆明 編『大人限定 男の娘のヒミツ』マイウェイ出版〈マイウェイムック〉、2015年7月9日。ISBN 978-4865113792。
- 来栖美憂「「男の娘」と「ボクら」の歴史」、6-31頁。
- 来栖美憂「男の娘的なものの分類」、32-38頁。
- 来栖美憂「名作に見る様々な男の娘たち」、49-57頁。
- 西田一「“脳内彼女”ディレクター・西田一に訊く「男の娘とは?」」、128-129頁。
- 『ユリイカ:特集=男の娘 —“かわいい”ボクたちの現在—』2015年9月号、青土社、2015年8月27日。ISBN 978-4791702947。
- ふみふみこ、秀良子「女装男子は一日にしてならず、いわんや男の娘をや」、56-68頁。 NAID 40021144955。
- 三橋順子「トランスジェンダー文化の原理:双性のシャーマンの末裔たちへ」、69-76頁。 NAID 40021144969。
- 佐伯順子「“男性差別”社会の癒やし:女装男子の歴史と現在」、77-84頁。 NAID 40021144976。
- 樋口康一郎「「女の子になりたい男」の近代:異性愛制度のなかの〈男の娘〉表象」、85-92頁。 NAID 40021144985。
- 大島薫「超克される性/別:〈男の娘〉という存在論」、93-104頁。 NAID 40021144995。
- さつき「男の一生よりも刺激的な女の一夜」、110-113頁。 NAID 40021145005。
- あしやまひろこ「女装と男の娘の容姿と身体」、114-121頁。 NAID 40021145010。
- 田中東子「自由と抑圧のはざまでかわいさを身にまとう」、122-130頁。 NAID 40021145017。
- 柴田英里「ヘルマフロディトスの身体:オブジェとしての男の娘は如何にして誕生し、何を求めるのか」、131-138頁。 NAID 40021145026。
- 幾夜大黒堂「境目と境界の漸近線:『境界のないセカイ』の向こう側」、139-146頁。 NAID 40021145032。
- 永山薫「大きな声ではいえないオトコノコ漫画の秘密」、147-157頁。 NAID 40021145037。
- 日高利泰「彷徨う者たちの倫理:来るべき志村貴子論のために」、158-166頁。 NAID 40021145042。
- 泉信行「男の娘のメカニズム:その見られ方、読まれ方」、176-181頁。 NAID 40021145053。
- 井戸隆明「“オトコノコ”はどこにいる」、182-190頁。 NAID 40021145063。
- 椿かすみ「魅せ(られ)た男たち:《男の娘》10年の軌跡」、191-198頁。 NAID 40021145076。
- 水野麗「「男の娘」への愛と傷と鏡」、199-204頁。 NAID 40021145083。
- 二村ヒトシ「彼女から生えているのは「ぼくのと同じちんぽ」だ」、205-209頁。 NAID 40021145090。
- 吉本たいまつ「ショタ・女装少年・男の娘:二次元表現における「男の娘」の変遷」、210-224頁。 NAID 40021145098。
- 斎藤環『おたく神経サナトリウム』二見書房、2015年10月26日。ISBN 978-4576151694。
- 『ユリイカ:総特集=江口寿史』2016年2月臨時増刊号、青土社、2016年1月25日。ISBN 978-4791703036。
- 堀あきこ「〈かわいい〉の威力、〈あこがれ〉の伝播:『ストップ!! ひばりくん!』の頃と現在」、222-231頁。 NAID 40021144906。
- Rössler, Patrick, ed (2017-03-08). The International Encyclopedia of Media Effects. John Wiley & Sons, Inc.. ISBN 978-1118784044
- Chow, Yiu Fai. “Subcultures: Role of Media”. pp. 1-11. doi:10.1002/9781118783764.wbieme0175
- 宮本直穀『エロゲー文化研究概論』(増補改訂版)総合科学出版、2017年4月25日。ISBN 978-4881818596。
- 『マンガで振り返るオトコノコ10年史』三和出版〈三和ムック〉、2020年9月17日。ISBN 978-4776923350。
- 井戸隆明「『オトコノコ倶楽部』創刊編集長・井戸隆明に聞く」、11-46頁。
- 「女装美少年たちが美少女化した時代背景」、47-65頁。
- Wong, Irwin, ed (2022-05-03). The Obsessed: Otaku, Tribes, and Subcultures of Japan. Die Gestalten Verlag. ISBN 978-3967040081
- Kinsella, Sharon. “OTOKO NO KO(オトコの娘)”. pp. 190-195
- 中根千絵、本橋裕美、東望歩、江口啓子、森田貴之、日置貴之、阪本久美子、伊藤慎吾『異性装:歴史の中の性の越境者たち』集英社インターナショナル〈インターナショナル新書〉、2023年2月7日。ISBN 978-4797681178。
- 中根千絵「古典の中の性の越境者たち:物語、演劇に描かれる異性装」、7-34頁。
- 伊藤慎吾「稚児と〈男の娘〉」、225-264頁。
雑誌
- 森瀬繚「エロゲー人の基礎知識 Vol.13:男の娘パラダイス!?」『メガストア』2010年6月号、コアマガジン、2010年4月17日、73-78頁、全国書誌番号:01013812。
- 『わぁい!』Vol.2、一迅社、2010年7月24日、全国書誌番号:01027249。
- 吉田博高、茶漬け「「萌え系」業界の“鬼才” 吉田博高(虎の穴社長)のアキバ見・聞・録⑨アキバの「カリスマ」突撃対談(4の巻 上)“男の娘”カフェ&バー NEWTYPEオーナー 茶漬けさん」『経済界』2011年10月4日号、経済界、2011年9月20日、82-83頁、NAID 40018963352、全国書誌番号:00006373。
- 真田昌樹、東ノ助、NYAON「ensemble×Navel×ぱれっとクオリア 女装主人公ヒミツの座談会」『BugBug』2016年12月号、富士見出版、2016年11月2日、149-155頁、全国書誌番号:01019126。
論文
- 三橋順子「「男の娘(おとこのこ)」なるもの:その今と昔・性別認識を考える」『日本文化研究』第10号、駒沢女子大学日本文化研究所、2013年3月、61-83頁、NAID 40019759731。
- Kinsella, Sharon (27 November 2019). "Cuteness, josō, and the need to appeal: otoko no ko in male subculture in 2010s Japan". Japan Forum. British Association for Japanese Studies. 32 (3): 432–458. doi:10.1080/09555803.2019.1676289。
- Kinsella, Sharon (Fall 2020). "Otoko no ko Manga and New Wave Crossdressing in the 2000s: A Two-Dimensional to Three-Dimensional Male Subculture". Mechademia Second arc. University of Minnesota Press. 13 (1): 40–56. doi:10.5749/mech.13.1.0040。
- 羅盤針「偽娘與另類世界的浮現:臺灣扮裝社群的酷兒時空」『文化研究季刊』第175号、國立臺灣大學人類學研究所、2021年9月30日、36-59頁。
- Bredikhina, Liudmila; Giard, Agnès (10 March 2022). "Becoming a Virtual Cutie: Digital Cross-Dressing in Japan". Convergence: The International Journal of Research into New Media Technologies. SAGE Publishing: 1–19. doi:10.1177/13548565221074812。
- Lewicki, Riley Hannah (14 December 2022). "Prefiguring the Otokonoko Genre: A Comparative Trans Analysis of Stop!! Hibari-Kun! and No Bra". Journal of Anime and Manga Studies. University of Illinois Urbana-Champaign. 3: 62–84. doi:10.21900/j.jams.v3。
同人誌
- 吉本たいまつ『おとこの娘を考える。』みるく☆きゃらめる、2009年10月25日。全国書誌番号:21716596。
- 『『少女』文化の友』5号、「少女」文化研究会、2011年。ISSN 1883-2776。全国書誌番号:01022566。
- 水野麗「「男の娘」好きの男の子についての考察」、31-45頁。 NAID 40018735562。
- 『女装と思想』Vol.1、テクノコスプレ研究会、2013年8月11日。全国書誌番号:23173749。
- 水の人美、まゐ「「季刊性癖」出張版」、24-25頁。
- 吉本たいまつ『ショタアンソロジーを考える:1994-1999』みるく☆きゃらめる、2014年8月27日。全国書誌番号:22464221。
- 吉本たいまつ『Another Side of ショタアンソロジーを考える:1994-1999』みるく☆きゃらめる、2014年12月30日。全国書誌番号:22514617。
- 新野安、氷上絢一 編『〈エロマンガの読み方〉がわかる本5:特集=男の娘』夜話.zip、2022年8月13日。
- 七松建司「七松建司 ロングインタビュー」、37-58頁。
- 新野安「男の娘に目覚めるためのブックガイド」、59-85頁。
新聞記事
- 福田淳「注目ワード:ジョソコ ボクたち「男の娘」」『読売新聞』2010年1月27日、東京夕刊、8面。
- 関口康雄「ニッポン解析:女装楽しむ「男の娘」ブーム」『中国新聞』(共同通信社)2010年9月16日、朝刊、文化面。
- 高久潤「「男の娘」になりたくて」『朝日新聞』2011年11月12日、東京夕刊、3面。
- 松本浩司、奥野斐「popress:男の娘(オトコノコ)自然体 オンもオフも気軽に女装」『北陸中日新聞』2011年11月27日、朝刊。
- 鈴木敦子「ストーリー:女子化する男たち」『毎日新聞』2013年2月17日、東京朝刊、1, 4面。
- 神庭亮介「女装に恋して“男の娘” 集う若者「ストレスから解放」」『朝日新聞』2014年9月20日、東京夕刊、11面。
ウェブページ
- 脚注に記載した。
関連項目
外部リンク
- 女装&女体化キャラオンリーイベント「計画」公式サイト
- 「男の娘☆コンベンション」公式サイト
- 「男の娘カフェ&バー NEWTYPE」公式サイト
- 女装ニューハーフイベント「プロパガンダ」公式サイト - ウェイバックマシン(2015年7月8日アーカイブ分)
- TJTV -Trans Japan TV-(旧・男の娘☆ちゃんねる) - ニコニコチャンネル