南部安信
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南部安信像 | |
時代 | 戦国時代 |
生誕 | 明応2年(1493年)[1] |
死没 | 天文10年(1541年)[注釈 1] |
別名 | 右馬允 |
戒名 | 悦山怡公 |
幕府 | 室町幕府 |
氏族 | 三戸南部氏 |
父母 | 父:南部政康[1]、母:不詳 |
兄弟 | 安信、石川高信、南長義、石亀信房、毛馬内秀範 |
子 | 晴政 |
南部 安信(なんぶ やすのぶ)は、戦国時代の陸奥国の大名。南部氏23代当主。
略歴
[編集]南部政康の長男[1]。次弟に石川高信[2]でその子(安信にとり甥)が南部信直。
安信は南部氏の戦国大名化を目指し、積極的に勢力拡大政策を推し進めた。大永4年(1524年)石川高信ら3人の弟を動員して、津軽地方の諸城を抑えて津軽を平定させ[1]、そこに高信を置いて統治を任せている。さらに弟の南長義には五戸地方を、同じく弟の石亀信房には石亀城を、同じく弟の毛馬内秀範には毛馬内城を任せて、南部氏の体制を固めている。
このように安信が築き上げた基盤は、次代の南部晴政時代の発展へと繋がったと言われているが、上記の安信の事跡は後世の書籍に記されているもので、安信に関する一次資料は不足しており、実際の功績は定かでないと言われる。同様の理由から、安信以前の南部氏の素性には、疑問視する点が多いとも言われている。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d 阿部 & 西村 1990, p. 591.
- ^ 阿部 & 西村 1990, p. 590.
参考文献
[編集]- 阿部猛; 西村圭子 編『戦国人名事典』(コンパクト)新人物往来社、1990年9月。ISBN 4-404-01752-9。