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南部安信

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
南部 安信
南部安信像
時代 戦国時代
生誕 明応2年(1493年[1]
死没 天文10年(1541年[注釈 1]
別名 右馬允
戒名 悦山怡公
幕府 室町幕府
氏族 三戸南部氏
父母 南部政康[1]:不詳
兄弟 安信石川高信南長義石亀信房毛馬内秀範
晴政
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南部 安信(なんぶ やすのぶ)は、戦国時代陸奥国大名南部氏23代当主。

略歴

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南部政康の長男[1]。次弟に石川高信[2]でその子(安信にとり甥)が南部信直

安信は南部氏の戦国大名化を目指し、積極的に勢力拡大政策を推し進めた。大永4年(1524年石川高信ら3人の弟を動員して、津軽地方の諸城を抑えて津軽を平定させ[1]、そこに高信を置いて統治を任せている。さらに弟の南長義には五戸地方を、同じく弟の石亀信房には石亀城を、同じく弟の毛馬内秀範には毛馬内城を任せて、南部氏の体制を固めている。

このように安信が築き上げた基盤は、次代の南部晴政時代の発展へと繋がったと言われているが、上記の安信の事跡は後世の書籍に記されているもので、安信に関する一次資料は不足しており、実際の功績は定かでないと言われる。同様の理由から、安信以前の南部氏の素性には、疑問視する点が多いとも言われている。

脚注

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注釈

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  1. ^ 阿部 & 西村 1990, p. 591では安信の没年は大永5年(1525年)、『寛政重修諸家譜』では永正5年(1508年)4月5日。

出典

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  1. ^ a b c d 阿部 & 西村 1990, p. 591.
  2. ^ 阿部 & 西村 1990, p. 590.

参考文献

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  • 阿部猛; 西村圭子 編『戦国人名事典』(コンパクト)新人物往来社、1990年9月。ISBN 4-404-01752-9