瀬田醻一
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瀬田醻一 せた しゅういち | |
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生年月日 | 1895年8月16日 |
出生地 |
日本 東京府北豊島郡板橋町 (現・東京都板橋区) |
没年月日 | 1968年 |
出身校 | 早稲田大学大学部法学科英法科卒業[1] |
前職 | 金融業 |
親族 |
祖父・飯田春教(板橋町長) 義兄・2代目田村新蔵(粕壁町会議員) 叔父・瀬田熊太郎(上板橋村会議員)[2] 叔父・瀬田吉之助(板橋町会議員) |
東京市会議員 | |
選挙区 | 板橋区 |
在任期間 | 1933年3月 - ? |
板橋区会議員 | |
在任期間 | 1932年11月 - ? |
板橋町会議員 | |
当選回数 | 3回 |
在任期間 | 1921年5月 - 1932年9月 |
瀬田 醻一[3](せた しゅういち、1895年(明治28年)8月16日[3] - 1968年(昭和43年)[4])は、日本の政治家、東京府多額納税者[1][5][6]、鍋屋、金融業[7]、地主・家主[5][8]。東京市会議員[5][9](板橋区選出、革正会会員[3])、板橋区会議員[1]。
経歴
[編集]東京府北豊島郡板橋町大山出身[2]。質商・瀬田文次郎の長男[9][10]。
早稲田中学、同高等学院を経て1917年、早稲田大学大学部法学科英法科卒業[1][2][11]。貸地貸家業[1]、金融業[6][12]を営んだ。
1921年5月、板橋町会議員に当選し、1932年9月市郡併合迄3期在職[1]。1931年4月、板橋町名誉助役として市郡併合迄在職[1]。
1932年11月、板橋区会議員に当選[1]。1933年3月、東京市会議員に当選[1]。1938年4月、東京市参事会員に当選[1]。
人物
[編集]醻一は祖先より7代目に当たり[1]、1925年に家督を相続した[5][12]。民主党を支持した[9]。公共の為に尽力した[11]。趣味は読書、旅行[5][9]。宗教は日蓮宗[5][9]。住所は東京都板橋区大山町、東京市板橋区板橋町九丁目[5]。
家族・親族
[編集]- 瀬田家
瀬田家は家号を「鍋屋」と称し[2]、板橋町の名門で、町内に重きをなした[13]。また大山発展のためにずいぶん尽くした家であり、現在の瀬田家の前、川越街道になった所には、瀬田家の築山、言わば庭園があった[14]。
- 祖父・吉兵衛(? - 1907年[15]、板橋町会議員[2]、東京府平民[16]、質商[17]) - 住所は東京府北豊島郡板橋町大字下板橋[17]。
- 父・文次郎[5](1868年 - ?、板橋町会議員[18]、東京府平民[16]、質商[10]) - 瀬田吉兵衛の長男[10]。質業を営む[19]。知名の質商である[10]。
- 母・はな(1873年 - ?、東京、飯田春教の長女)[5][9][12]
- 弟
- 妻・げん(1896年 - ?、埼玉、田村新蔵の四女)[5][24]
- 男(建設省勤務)[9]
- 長女[9]
- 親戚
- 父の弟・瀬田吉之助[13][25](1884年 - ?、地主[7][20]、農業[19]、資産家[25]、板橋町会議員[13]、瀬田不動産合資会社代表社員、鍋屋合資会社代表社員[15])
- 従弟・瀬田吉兵衛(1911年 - ?) - 瀬田吉之助の長男[5]。富国徴兵保険勤務[5]。
- 妻の父・初代田村新蔵(埼玉県多額納税者、農業、洋紙、砂糖[24]、小麦粉販売業、粕壁銀行、明治貯蓄銀行各頭取) - 住所は埼玉県南埼玉郡粕壁町[24]。
- 妻の兄・2代目田村新蔵(埼玉県多額納税者、農業、洋紙、砂糖、小麦粉販売業、東武商事代表取締役)
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k 『早稲田大学紳士録 昭和15年版』469頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2017年3月10日閲覧。
- ^ a b c d e 『北豊島郡総覧 昭和6年度版』せ2頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年8月4日閲覧。
- ^ a b c 『東京市会議員要覧 昭和12年5月』144頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年5月20日閲覧。
- ^ 『わたしたちの大山町会史』298頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年8月4日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 『人事興信録 第14版 上』セ6頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2017年3月10日閲覧。
- ^ a b 『日本紳士録 第37版附録 多額納税者名簿』全国多額納税者 東京府 京都府6頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2017年3月10日閲覧。
- ^ a b c 『日本紳士録 第33版』東京セの部449 - 450頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年12月13日閲覧。
- ^ 『日本紳士録 第41版』東京セの部337頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年8月24日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k 『人事興信録 第15版 上』セ2頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年8月25日閲覧。
- ^ a b c d 『現代人名辞典』セ5頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年3月3日閲覧。
- ^ a b 『東京府市名誉録』補遺之部(板橋)26頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2017年3月10日閲覧。
- ^ a b c 『人事興信録 第8版』セ6頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年12月6日閲覧。
- ^ a b c 『自治団体之沿革 東京府之部』人文記 自治功績録55-56頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年8月25日閲覧。
- ^ a b 『わたしたちの大山町会史』148頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年8月12日閲覧。
- ^ a b 『遺徳顕彰故人年鑑 第1輯 昭和14年』108 - 114頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年8月11日閲覧。
- ^ a b 『人事興信録 第6版』せ4-5頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年12月3日閲覧。
- ^ a b 『日本紳士録 第7版』東京せ之部733頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年12月3日閲覧。
- ^ 『北豊島郡職員鑑 明治44年11月末日迄』10 - 11頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年8月4日閲覧。
- ^ a b 『日本紳士録 第18版』東京せ之部760頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2017年3月11日閲覧。
- ^ a b c 『日本紳士録 第34版』東京ス、セの部417頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年12月6日閲覧。
- ^ a b 『東京紳士録 昭和23年 上巻』セ231頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年8月11日閲覧。
- ^ a b c d 『人事興信録 第38版』せ8頁。
- ^ a b c d e 『人事興信録 第25版 上』せ7 - 8頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年8月12日閲覧。
- ^ a b c 『人事興信録 第9版』タ69頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年8月24日閲覧。
- ^ a b 『人事興信録 第7版』せ6頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年8月24日閲覧。
参考文献
[編集]- 『日本紳士録 第7版』交詢社、1901年。
- 清水照雄編『北豊島郡職員鑑 明治44年11月末日迄』辛亥社、1911年。
- 古林亀治郎編『現代人名辞典』中央通信社、1912年。
- 交詢社編『日本紳士録 第18版』交詢社、1913年。
- 人事興信所編『人事興信録 第6版』人事興信所、1921年。
- 篠田皇民『東京府市名誉録』東京人事調査所、1925年。
- 人事興信所編『人事興信録 第7版』人事興信所、1925年。
- 人事興信所編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年。
- 交詢社編『日本紳士録 第33版』交詢社、1929年。
- 交詢社編『日本紳士録 第34版』交詢社、1930年。
- 人事興信所編『人事興信録 第9版』人事興信所、1931年。
- 篠田皇民『自治団体之沿革 東京府之部』東京都民新聞社、1931年。
- 大正毎日新聞社編『北豊島郡総覧 昭和6年度版』北豊島総覧社、1932年。
- 交詢社編『日本紳士録 第37版附録 多額納税者名簿』交詢社、1933年。
- 交詢社編『日本紳士録 第41版』交詢社、1937年。
- 東京市会事務局編『東京市会議員要覧 昭和12年5月』東京市会事務局、1937年。
- 大日本頌徳会編纂部編『遺徳顕彰故人年鑑 第1輯 昭和14年』大日本頌徳会編纂部、1939年。
- 早稲田大学紳士録刊行会編『早稲田大学紳士録 昭和15年版』早稲田大学紳士録刊行会、1939年。
- 人事興信所編『人事興信録 第14版 上』人事興信所、1943年。
- 人事興信所編『人事興信録 第15版 上』人事興信所、1948年。
- ジャパン・クレヂット・ビューロー編『東京紳士録 昭和23年 上巻』ジャパン・クレヂット・ビューロー 、1948年。
- 人事興信所編『人事興信録 第25版 上』人事興信所、1969年。
- 平野清編『わたしたちの大山町会史』東京都板橋区大山町会、1973年。
- 人事興信所編『人事興信録 第38版 上』人事興信所、1995年。