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瀬田吉之助

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

瀬田 吉之助(せた きちのすけ、1884年明治17年)6月1日[1] - 1937年昭和12年)11月14日[1])は、日本実業家政治家資産家[2]地主[3][4][5][6][7]。瀬田不動産合資会社代表社員[1][注 1]。鍋屋合資会社代表社員[10]。板橋町大山出身[11]

経歴

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東京市板橋区板橋町九丁目、瀬田吉兵衛の息子[注 2]東大林学科卒業[3]農業を営む[12][13]1915年板橋町会議員に当選、以来1919年に至る1期間板橋町政に参画し、町利民福の為に大いに尽瘁したが、1919年に至って考える所があり政界を断念し、土地管理等の家業に努力する[1]

傍ら事業界に進出し、東洋計器会社、斎藤レンズ製作所、浦和商業銀行等に投資する[1]1926年成子内親王神代雛上田直次作木彫)一対を献上する[1]

人物

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同志会に籍を置き、公爵・桂太郎の殊遇を受け、その指導に接する[11]。熱烈な皇室中心主義者であった[1][11]。敬神の念が極めて篤く、邸内には不動尊及び正観音を安置し、深くこれに帰依した[11]

趣味は読書、旅行[1]、名所旧跡探勝[3]。宗教は日蓮宗[1]。住所は東京市板橋区板橋町八丁目[1][3][4]

家族・親族

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瀬田家
親戚

脚注

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注釈

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  1. ^ 目的は不動産の管理並びに売買、不動産に対する金銭貸付、右に関連する一切の業務[8]。無限責任社員瀬田吉之助が死亡し、無限責任社員全員が退社したため昭和12年11月10日に解散する[9]
  2. ^ 『遺徳顕彰故人年鑑 第1輯 昭和14年』には「瀬田吉兵衛の三男[1]」、『帝国大学大観』や『人事興信録 第7版』には「瀬田吉兵衛の四男[3][2]」とある。
  3. ^ 『遺徳顕彰故人年鑑 第1輯 昭和14年』には「富澤權治郎の長女[1]」、『人事興信録 第7版』には「富澤權次郎の三女[2]」とある。

出典

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l 『遺徳顕彰故人年鑑 第1輯 昭和14年』108 - 114頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年8月11日閲覧。
  2. ^ a b c 『人事興信録 第7版』せ6頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年8月11日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g 『帝国大学大観』セの部330頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年8月12日閲覧。
  4. ^ a b 『東京紳士録 昭和9年版』東京セの部440頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年8月11日閲覧。
  5. ^ 『日本紳士録 第33版』東京セの部449頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年8月11日閲覧。
  6. ^ 『日本紳士録 第34版』東京セの部417頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年8月11日閲覧。
  7. ^ a b 『日本紳士録 第40版』東京セの部312頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年8月11日閲覧。
  8. ^ 『官報 1937年03月26日』官報 第3067号 808頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年8月11日閲覧。
  9. ^ 『官報 1938年03月16日』官報 第3358号 25頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年8月11日閲覧。
  10. ^ 『銀行会社要録 附・役員録 23版』役員録セ200頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年8月11日閲覧。
  11. ^ a b c d 『自治団体之沿革 東京府之部』人文記 自治功績録55 - 56頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年8月11日閲覧。
  12. ^ a b 『大日本紳士名鑑』東京府26頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年8月11日閲覧。
  13. ^ 『日本紳士録 第18版』東京せ之部760頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年8月11日閲覧。
  14. ^ a b c d e f 『人事興信録 第13版 上』せ6頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年8月11日閲覧。

参考文献

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  • 交詢社編『日本紳士録 第18版』交詢社、1913年。
  • 竹内伊四郎編『大日本紳士名鑑』明治出版社、1916年。
  • 東京興信所編『銀行会社要録 附・役員録 23版』東京興信所、1919年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第7版』人事興信所、1925年。
  • 交詢社編『日本紳士録 第33版』交詢社、1929年。
  • 交詢社編『日本紳士録 第34版』交詢社、1930年。
  • 篠田皇民『自治団体之沿革 東京府之部』東京都民新聞社、1931年。
  • 国際公論社編『東京紳士録 昭和9年版』国際公論社、1934年。
  • 交詢社編『日本紳士録 第40版』交詢社、1936年。
  • 大蔵省印刷局編『官報 1937年03月26日』日本マイクロ写真、1937年。
  • 大蔵省印刷局編『官報 1938年03月16日』日本マイクロ写真、1938年。
  • 帝国大学学友会編『帝国大学大観』帝国大学学友会、1939年。
  • 大日本頌徳会編纂部編『遺徳顕彰故人年鑑 第1輯 昭和14年』大日本頌徳会編纂部、1939年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第13版 上』人事興信所、1941年。

関連項目

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