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浄瑠璃寺 (松山市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
浄瑠璃寺
本堂
本堂
所在地 愛媛県松山市浄瑠璃町282
位置 北緯33度45分12.8秒 東経132度49分8.8秒 / 北緯33.753556度 東経132.819111度 / 33.753556; 132.819111 (浄瑠璃寺)座標: 北緯33度45分12.8秒 東経132度49分8.8秒 / 北緯33.753556度 東経132.819111度 / 33.753556; 132.819111 (浄瑠璃寺)
山号 醫王山
院号 養珠院
宗旨 新義真言宗
宗派 真言宗豊山派
本尊 薬師如来
創建年 (伝)和銅元年(708年
開基 (伝)行基
正式名 醫王山養珠院淨瑠璃寺
札所等 四国八十八箇所46番
法人番号 1500005000274 ウィキデータを編集
浄瑠璃寺 (松山市)の位置(愛媛県内)
浄瑠璃寺
浄瑠璃寺
地図
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浄瑠璃寺(じょうるりじ)は、愛媛県松山市浄瑠璃町にある真言宗豊山派寺院。医王山(いおうざん)、養珠院(ようじゅいん)と号す。本尊薬師如来四国八十八箇所第四十六番札所。桜、蓮の花、牡丹、紫陽花、アカンサスと季節の花々が咲く寺である。

  • 本尊真言:おん ころころ せんだりまとうぎ そわか
  • ご詠歌:極楽の浄瑠璃世界たくらえば 受くる苦楽は報いならまし

沿革

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寺伝によれば、大仏開眼を前にした和銅元年(708年)に布教に訪れた行基が堂宇を建立、本尊の薬師如来脇侍日光菩薩月光菩薩十二神将を刻んで安置して開基したという。その後、大同2年(807年)に空海(弘法大師)が本寺を再興したと伝わる。[1][2]

室町時代末期には当寺に帰依した足利幕府の武将・平岡道倚(みちより)が伽藍を整備した。正徳5年(1715年)の山火事で焼失し、江戸時代中期の天明5年(1785年)に住職・堯音(ぎょうおん)の尽力により復興した。

境内

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  • 本堂:両脇陣に十二神将、脇仏に日光・月光菩薩立像が拝観できる。
  • 大師堂:衣を着た大師像を拝顔できる。左前の大師の誕生仏をだっこできる。
  • 一願弁財天堂
手判、花判、仏足石
  • 仏手石・仏手華判(指紋)・仏足石:弘法大師生誕1,200年を記念して作られた[2]
  • 籾大師
  • 説法石
  • 万霊塔
  • イブキビャクシン(伊吹柏槙):樹齢千年を超すといわれる松山市指定天然記念物。
  • 句碑:正岡子規「永き日や衛門三郎浄瑠理寺」が入口石段の左脇にある。
  • 鐘楼:薬師十二願の鐘

県道から石段を上ると木々に覆われた境内に入り、右に鐘楼、仏手石が左に納経所がある。先に進むと左に手水場、仏足石、右にイブキビャクシンの木、籾大師、説法石があって正面に本堂が建ち右に大師堂。本堂左手に一願弁財天堂が、さらに進むと境内に隣接した弁天池は蓮園になっていて開花時期には全面に蓮の花が咲き、6月中旬の短い時期であるが境内の北側にはアカンサスが咲く。

  • 宿坊:なし
  • 駐車場:10台。無料。
  • 弁天池の蓮園:境内の南に隣接していて、古代ハスが咲く。
  • 牡丹苑:境内の西に隣接していて、瑠璃観音の周りにボタンが咲く。
  • 大王松:巨大な松ぼっくりが付き、5月になると春蝉が鳴く。

文化財

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国の史跡
松山市指定天然記念物
  • イブキビャクシン 3本:幹囲は (1) 4.8 m、 (2) 3.5 m、 (3) 3.2 mで、高さは20 m、樹齢は (1) が推定600年、昭和43年10月25日指定[7]

交通案内

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鉄道
バス
  • 伊予鉄バス浄瑠璃寺前バス停(2021年3月で路線廃止:予約制乗合タクシー化)
道路

周辺の番外霊場

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網掛石
網掛石
三坂峠より遍路道を浄瑠璃寺方向へ4.3 km下ったところに、表面に網の目の溝が刻まれた大岩があり傍らに大師堂がある。その昔、三坂の道を塞ぐように2つの大きな石があり通行を妨げ困っていた。通りかかった空海は村人のために取り除こうと、村人たちに作らせた葛で編んだ網をかぶせオウク(天秤棒)でその2つの石を運び始めたが、あまりの重さに網が食い込みとうとうオウクが折れて石は飛び、一つの石は三坂の川底へもう一つは現在地に、そして、オウクが飛んで行ったところは大久保と呼ばれるようになったとの伝承がある。

前後の札所

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四国八十八箇所
45 岩屋寺 --(29.5 km)-- 46 浄瑠璃寺 --(0.9 km)-- 47 八坂寺

周辺

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坂本屋
坂本屋
三坂峠より遍路道を浄瑠璃寺方向へ約3 km下ったところにある元遍路宿。現在はお接待所となっていて、テレビドラマのロケも行われた。
  • 所在地:愛媛県松山市窪野町2187 (坂本屋

脚注

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  1. ^ 松山の歴史・文化(札所めぐり)”. 松山市 (2022年1月19日). 2023年7月9日閲覧。
  2. ^ a b 人文社観光と旅編集部 編『郷土資料事典愛媛県・観光と旅 改訂新版』人文社〈県別シリーズ ; 38〉、1983年10月、34頁。全国書誌番号:85014199 
  3. ^ 令和5年文部科学省告示第17号
  4. ^ 伊予遍路道”. 松山市 (2023年3月29日). 2023年6月27日閲覧。 “指定(登録)年月日、平成28年10月3日 指定、令和5年3月20日 松山市内分追加指定”
  5. ^ 伊予遍路道 - 文化遺産オンライン文化庁
  6. ^ 伊予遍路道 - 国指定文化財等データベース(文化庁
  7. ^ イブキビャクシン 3本”. 松山市 (2021年5月6日). 2023年6月26日閲覧。

参考文献

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  • 四国八十八ヶ所霊場会 編『先達教典』四国八十八ヶ所霊場会、2006年。 
  • 宮崎建樹『四国遍路ひとり歩き同行二人』 地図編(第8版)、へんろみち保存協力会、2007年。 

外部リンク

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