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津軽海峡・冬景色

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
津軽海峡冬景色から転送)
「津軽海峡・冬景色」
石川さゆりシングル
初出アルバム『365日恋模様』
A面 津軽海峡・冬景色
B面 野の花のように
リリース
規格 シングルレコード
8cmシングル
マキシシングル
ジャンル 演歌歌謡曲
時間
レーベル 日本コロムビア
作詞 阿久悠
作曲 三木たかし
ゴールドディスク
チャート最高順位
  • 週間6位(オリコン
  • 1977年度年間16位(オリコン)
  • 1978年度年間64位(オリコン)
石川さゆり シングル 年表
花供養
1976年
津軽海峡・冬景色
1977年
能登半島
(1977年)
試聴
津軽海峡・冬景色 - YouTube
テイチクエンタテインメント提供のYouTubeアートトラック)
テンプレートを表示
竜飛崎近くにある、津軽海峡・冬景色の歌碑(2番のみ)
青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸横にある、津軽海峡・冬景色歌碑

津軽海峡・冬景色」(つがるかいきょう・ふゆげしき)は、1977年1月1日に発売された石川さゆりの15枚目のシングルである。

当曲の大ヒットにより、石川は同年末の第19回日本レコード大賞歌唱賞、'77FNS歌謡祭グランプリ・最優秀歌唱賞などの音楽賞を獲得した。石川がアイドル歌手から本格的演歌歌手へと変貌した曲であり、その後も演歌を代表する楽曲として世代を問わず親しまれている。

解説

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元々1976年11月に発売された石川のコンセプトアルバム『365日恋もよう英語版』の1曲だった。少女が大人の女へと成長していく1年間を12曲で描いた同アルバムの最後を飾る12月の曲として制作された。タイトルが先に決まっており、三木たかしが作曲したメロディに阿久悠が作詞をした。その際に阿久側から「津軽海峡冬景色」のフレーズで終わるように要望があった[1]。歌詞の内容は、東京を発って本州最北端の青森県にたどり着き、津軽海峡をこえて北海道に渡る人々を描いた叙事詩である。

この曲は当時、東京都にとって北日本北陸地方を含む)への玄関口であった上野駅から夜行列車に乗り、雪が降る青森県青森駅で降りて、黙ったままボーディング・ブリッジを渡って本州から津軽海峡を隔てた北海道函館駅に向かう青函連絡船へと乗り継いで行く人々の描写がある。すなわち、北海道に縁がある人々の移動を表現したものである。歌詞には青森県の風景が織り込まれているが、青森県民の日常的行為ではない。

発売当時、首都圏と北海道との間の交通手段は(旅客機フェリーの他に)、青函連絡船を介した日本国有鉄道の列車があった。この頃は東北本線経由の「はくつる」「八甲田」、常磐線経由「ゆうづる」「十和田」などの夜行列車があり、青函連絡船への接続を前提に多数運転されていた。歌詞は竜飛崎の回想までで、青函連絡船上の津軽海峡で北海道に帰る女性の心情を吐露させて終わる。

この曲は三木が作曲だけでなく、編曲も手掛けている。「イメージの中の“荒波”がどこかにあったので、イントロから作りだした」と、NHKスペシャル「三木たかし〜時代を彩った作曲家〜」(2009年放送)で語っている。イントロのテナーサックス演奏は佐野正明[2]

歌のタイトルの「津軽海峡」の後に中黒(・)を入れた理由を阿久自身は覚えておらず、後には「津軽海峡冬景色」という一つの象徴語なので、中黒は不要だと考えるようになったという[3][注釈 1]

高度経済成長期1960年代以降、東京都札幌市との間の移動は、従前の国鉄列車と青函連絡船の乗り継ぎから、飛行機の時代に次第に移行していく。1970年代初頭には東京国際空港と千歳空港の間に日本航空ジャンボジェット機(ボーイング747)の運航が始まり、1974年以後は青函連絡船の利用が減少傾向に転じるなど、本州北海道との間の移動の障壁の象徴である津軽海峡は次第に存在感を失っていくことになる。

売上げ

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累計売上はミリオンセラー[4]

エピソード

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収録曲

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  1. 津軽海峡・冬景色(3分43秒)
    編曲:三木たかし
  2. 野の花のように(4分17秒)
    編曲:竹村次郎

NHK紅白歌合戦

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  • 石川はNHKNHK紅白歌合戦』で、紅白初出場となった1977年第28回)をはじめ、1982年第33回)、1993年第44回)、2000年第51回)に披露。2007年第58回)からは隔年で「天城越え」と交互に歌うようになり、これ以降の本曲は奇数年・偶数回次に歌唱している。
  • 1993年、2007年、2011年第62回)、2017年第68回)と4回紅組トリで披露したが、紅組における同一曲でのトリ回数では「天城越え」と並ぶ、紅白歌合戦では史上最多記録である(白組を含めたものでは北島三郎の「まつり」の5回に次ぐ歴代2位タイ)。
  • 上述にもあるが、2007年の第58回では阿久の追悼として、石川が紅組トリで同曲を歌唱した(白組トリおよび大トリも同じく阿久が作詞の「契り」を、五木ひろしが歌った)。また、2009年の第60回でも三木を追悼し同曲を歌唱した。
  • 2005年NHKが実施した「スキウタ〜紅白みんなでアンケート〜」では、紅組39位にランクインされた(但し、同年の紅白歌合戦で石川が歌唱したのは「スキウタ」で紅組16位だった「天城越え」)。

カバー・トリビュート

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脚注

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注釈

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  1. ^ 初版レコード盤(日本コロムビア AK-43、600円)のジャケットでは「津軽海峡 冬景色」は左上に縦2行に書かれ、中黒はない。
  2. ^ 「あけぼの」はその後も臨時列車として運行されていたが、2015年冬季以降は運行されなくなった。なお、上野駅と北海道の札幌駅を結ぶ寝台特急「北斗星」(2015年運行終了)および「カシオペア」(2016年運行終了)は、共に青森駅には運転停車するのみで乗降できなかった。
  3. ^ いずれも前身を含めると本曲が発表された当時より(青函連絡船とは別に)運航している。

出典

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  1. ^ 三木たかしインタビューLIBRA
  2. ^ 第10回インタビュー 箱崎晋一郎「抱擁」京 建輔 Fan Site
  3. ^ a b 阿久悠愛すべき名歌たち—私的歌謡曲史—』(岩波書店 1999年7月19日ISBN 978-4004306252
  4. ^ 『精選盤 昭和の流行歌 流行歌物語』日本音楽教育センター、26頁。
  5. ^ 「メロディーとともに (43) 津軽海峡冬景色」『神戸新聞』2000年3月3日付夕刊、3面。
  6. ^ アンジェラ・アキ 「津軽海峡・冬景色」有線演歌歌謡曲チャート1位!歌ネット、2011年9月14日。

関連項目

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外部リンク

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