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ノート:津軽海峡・冬景色

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「夜行列車」について

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上野発青森行の夜行列車は2002年で全廃とあるのですが、あけぼの (列車)の扱いはどうなりますでしょうか。確かに東北本線・常磐線といった東北地方を通す列車ではなく、高崎線経由でいったん北陸の新潟の方に抜けるといえば抜けるのですが、よろしければ適宜記事の修正を考えてみたく存じますので、参考意見をお聞かせいただければと思います。--soramine 2005年10月19日 (水) 14:43 (UTC)[返信]

あけぼのの扱いもそうですが、歌の主題としては青函連絡船の筈では?その辺をふまえて手を加えましたが、如何でしょうか。Sat.K 2005年10月31日 (月) 02:41 (UTC)[返信]

曲名は「津軽海峡・冬景色」です

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タイトル直した方がいいんじゃないですか。Kappie

「阿久悠の歌詞」について

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下の発言は ShikiH の「歌詞の冒頭に上野駅と青森駅が出てくる。この2駅は数百キロメートル離れているが、歌の中ではわずか数小節であり、途中の記述は一切ない。」という投稿、その他に対して述べられたものです。全文は本文の 2008年1月3日 (木) 13:12 版をご覧ください。--ShikiH 2008年1月4日 (金) 18:31 (UTC)[返信]


記事を拝見している限り、阿久悠氏がどのような思想心情でこの唄の詩を起こしたかについてほとんどふれられておらず、ただ単に当時の連絡船と竜飛岬の解説をしているに過ぎません。このような貧弱な解説まがいの文章はやめて阿久悠氏の作詞描写をふくらませるか、それができないならいっそのこと削除するかを考えた方がよいと思うのですがいかがでしょうか。「上野発の夜行列車」が上野から青森まで描写がないなんて、あまりにも下らなさすぎ。この唄は津軽海峡の唄なのであって鉄道マニアの寝台列車の唄ではないのです。何の唄なのかわかって解説しているのかどうかも疑わしく、悲しくなってしまいます。--Station 2008年1月4日 (金) 13:46 (UTC)[返信]

この歌詞でもっともよいところは、去年の版にあったように上野と青森の間のスピード感で、作詞者がもっとも苦心した所だと推測します。歌詞の他の解説は削除したとしても、これだけは残しておきたいと思います。この間の描写がないということは、物思いにふけっていてあっという間に到着してしまったことを暗示させます。わたくしは鉄道マニアではありません。詩情を解説したいと思っております。ただ、そのようなことを記述すると、個人的な考えを押しつけるものだと言われそうなので、上野、青森間の描写がないことを指摘するにとどめました。 --ShikiH 2008年1月4日 (金) 13:19 (UTC)ShikiH[返信]

いずれにせよ、この項目を見て阿久悠がなぜそのような描写をしたかが見えてこないのです。おそらくスピード感云々というのはここら辺からの転載[1]か何かだと思うのですが、そのおっしゃるスピード感と次の歌詞とのつながりがよくわからない。私が鈍感なだけかもしれませんが。ただ、「上野発の」という修飾語がないと、後半部分の歌詞が生きてこないようには思います。夜行列車を降り、冬景色を見た瞬間、現実に引き戻された。いわゆる都会との対比・比喩がないと、この詩が生きてこないと思うのです。単なる傷心であれば、夜行列車の中からこの女性は泣いていなければならない。いっぽう、夜行列車という描写がなければ、単純な青函連絡船内のみを描写する傷心旅行になってしまい、非常につまらない。あえて「上野発の夜行列車」を加えて都会からの描写を混ぜることで、詩に奥行きとストーリー性を持たせることを阿久悠氏は考えたのではないかと思います。これは、単に「スピード感」のみで片付けるのとはまた違うように思いますし、スピード感よりももっと深いものが実はあるんじゃないか、そう思うのです。ということで、結局阿久悠さん本人がしゃべったというものでなければ、私もShikiH氏も結局独自研究の域を出ないわけで、この「阿久悠の歌詞」の項目は、やはり別の名称「青函連絡船と竜飛岬」ぐらいにするのがせいぜいの内容ではないかと思います。--Station 2008年1月4日 (金) 13:46 (UTC)[返信]

そのサイトは今はじめてみました。スピード感を書いた投稿者もここを見たかどうかはわかりません。注意深い読者なら、気がつくようなことだと思います。ウィキペディアは多くの人が共有できる客観的な記事を載せるところでしょうから、独自研究を書いてはいけない。だから上野・青森間の記載は不要というならばその通りだと思います。ですからわたしは再編集はしませんでした。これからもしません。スピード感と書くと、あなたの気に入らないだろうと思ったので、事実を指摘するだけにしたのですが、これも気に入らないと言われてしまった。もう書きようがないので、そのままにしたわけです。ちなみにスピード感という言葉を使ったのは、わたしではありません。他の投稿者が書いたことも、その裏の意味がわたしにはわかるような気がします。連絡船への通路は騒がしかったと書いた人は、阿久悠が事実をねじ曲げても女性の傷心を書きたかったと言いたいのでしょう。竜飛崎が無名の地であることを指摘した人は、それによってリアリティがあると言っているようです。函館に到着しないことを述べた人は、函館に着いたときの気分を述べると興ざめだ、と主張しているのでしょう。とにかくウィキペディアの性格上、この節を全部削除すべしと言う考え方の人がいるのは、やむを得ないと思います。--ShikiH 2008年1月4日 (金) 15:05 (UTC)ShikiH[返信]
すみません。割り込みます。
この解説は鉄道マニアの唄のようにはなっていませんし、くだらない解説にもなっていません。
なぜなら、歌自体が青函連絡船はあくまでも鉄道連絡船(による旅)をうたったものだからです。つまり歌の理解には当時の渡道の時代背景と鉄道・青函連絡船の状況を知る必要があります。現代の感覚ではかなりズレます。
青函連絡船は青森着の夜行列車をはじめとする長距離列車と函館から道内各地へ向かう長距離列車の連絡船なので、青函連絡船と鉄道(上野・青森)とは切り離して考えることはできないでしょう。本州と北海道が鉄路で結ばれていなかった、そして今よりは鉄道連絡による渡道が行われていた時代の状況を理解する必要があるでしょう。これは津軽海峡という海の上だけをうたった歌ではありません(青函連絡船自体に、前後の鉄路が付いて回るものですから)。
もっとも、スピード感についても、かなり疑問符ですね。スピード感を感じるのは個人的な印象にすぎないような気がします(阿久悠のコメントが検証できるなら別ですが)。この歌の歌詞とスピード感は直接的な結合はありません。私自身は全くスピード感など感じる余地がありません。上野発青森ゆきの夜行列車が、八甲田、津軽、十和田、はくつる、ゆうづる、とたくさんあったわけですが、どの夜行列車に「スピード」というイメージがあるでしょうか。特急ゆうづるの一部は電車が使用されていたので確かに客車列車よりはスピードがありますが…夜行列車自体が、速度よりも夜朝の有効時間帯を意識してダイヤ設定されていたものですから、速度を夜行列車(とくに上野・青森)に要求するのはちょっとどうかと思われます。
スピード感があると感じられる感性は否定するものではありませんが、渡道の手段としては飛行機と比べてスピードとはほど遠い「鉄道~青函連絡船」の歌ですから、青函連絡船をうたっている時点でもはやスピードは関係ないのではないでしょうか(これは時代背景を理解する必要があるでしょう)。夜行列車自体も、決してスピードを誇るようなものではありません。確かにゆうづるの一部とはくつるには電車が使用されていたが、決して速度を要求されるものではなかったですし、青函連絡という使命からは、速度よりも接続時間帯を優先したダイヤだったわけです。
そういう時代背景やモチーフにされた事物の事情を踏まえる必要があります。百科事典の記事は個人的な歌の解説ではないので、印象の記載は控えたほうがよろしいかと思います。--はるひ 2008年1月4日 (金) 15:44 (UTC)[返信]
現在の版ではスピード感については触れられておらず、鉄道連絡や連絡船に関する記載も特に問題があるとは思えません。--はるひ 2008年1月4日 (金) 15:47 (UTC)[返信]
困りました。スピード感は描写のスピードのこと言ったと思いますよ。上野の次の行に、もう青森があるっていうこと。列車の実際のスピードが速いと言ってる訳じゃありません。--ShikiH 2008年1月4日 (金) 15:55 (UTC)[返信]
誤読だったでしょうか。だとしたら失礼しました。もっとも出だしは「上野発の夜行列車降りたときから」で、描写は青森駅で、上野駅は出てこないのですよね。語り口のスピード感も感じる部分はないのですが(そもそも、鉄道連絡で北帰行するという行動自体、十数時間から丸一日以上かかるもので、スピード感とは相いれないのですが)、感性の問題はこれくらいにしておきますね、お付き合いありがとうございます。ともかくも、1977年当時と現代とは鉄道連絡船も夜行列車もだいぶ変容しているので、この歌を解説するなら鉄道連絡による渡道に関しては現在のように最低限触れておく必要はあると思いますが、いかがでしょうか。--はるひ 2008年1月4日 (金) 16:23 (UTC)[返信]
ここでの議論が落ち着いたようであり、正月休みも終わってしまうので、芸術作品の評価に対する私の意見を述べておきたいと思います。
芸術作品はいったん発表してしまうと一人歩きをするものです。作者は作品それ自体に語らせるのです。作者が自作の解説をする必要はありません。ここにすばらしい茶碗と中程度の茶碗があり、すばらしい茶碗の作者は何も語らず、中程度の茶碗の作者は自作を褒め称えているとしましょう。後世の人が茶碗を見たとき、茶碗の良し悪しは言葉では説明しにくいものです。独自研究を避ける立場から言うと、すばらしい茶碗に対する意見は独自研究と言われてしまうでしょう。中程度の方は検証可能な意見が集まるでしょう。これをもって茶碗の評価とするならば、これら二つの評価は逆転してしまいます。極端なことを言えば、つまらない茶碗でも、作者がほめていれば評価の高い茶碗になるのでしょうか。それは滑稽です。茶碗の評価は茶碗自身にあるのであって、自作解説によるのではありません。上の議論でお二人とも、阿久悠自身がそう言ってるかどうかを問題にしてますが、それを基準にする必要はない。作品はそれ自身で完結しているものです。
上野・青森間について、最初の人はスピード感と言いました。わたしは無描写と言いました。同じ事を言ってると思います。この歌詞に対してこのように感じる人は結構いるので、しばらくすると似た意見が復活するかもしれません。2度あることは3度あると言いますから。
繰り返しになりますが、ウィキペディアでは検証可能性を求め、独自研究を排除するものですから、わたしはこの意見を再度投稿はしません。しかしながら同時に、わたしの感じ方が間違っているとも思っていません。--ShikiH 2008年1月5日 (土) 18:13 (UTC)[返信]