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日本橋本町

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
江戸本町から転送)
日本 > 東京都 > 中央区 > 日本橋本町
日本橋本町
江戸橋。奥側が日本橋本町。
江戸橋。奥側が日本橋本町。
日本橋本町の位置(東京23区内)
日本橋本町
日本橋本町
日本橋本町の位置
北緯35度41分23.61秒 東経139度46分25.51秒 / 北緯35.6898917度 東経139.7737528度 / 35.6898917; 139.7737528
日本の旗 日本
都道府県 東京都
特別区 中央区
地域 日本橋地域
人口
2019年(令和元年)9月1日現在)[1]
 • 合計 1,258人
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
郵便番号
103-0023[2]
市外局番 03[3]
ナンバープレート 品川

日本橋本町(にほんばしほんちょう)は、東京都中央区町名である。現行行政地名は日本橋本町一丁目から日本橋本町四丁目。郵便番号は103-0023[2]

概要

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日本橋区に当たる日本橋地域の西側に位置し、千代田区との区境に当たる。北で千代田区神田美倉町岩本町、東で日本橋小伝馬町日本橋大伝馬町日本橋堀留町日本橋小舟町・南東で日本橋小網町・南で日本橋、西で日本橋室町、北西で千代田区鍛冶町と接する。老舗の商店が数多く軒を連ねており、問屋が多く軒を連ねていた名残として、現在では製薬会社の本社、支店も数多く立地する。国内5大医薬品メーカーのうち、武田薬品工業アステラス製薬第一三共の3社がこの地に本社または東京本社を置いている。大阪市中央区道修町とともに日本を代表する「薬の街」として知られている。

日本橋兜町に所在する中央警察署および日本橋消防署の管轄区域に当たる。

河川

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歴史

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江戸時代には江戸本町の名称で、江戸を代表する町として名高い場所であった。徳川家康の江戸入府以前には、福田村ともまた洲崎とも呼ばれていたという。そののち1590年天正18年)に町地として開発されて以降、寛永の頃にはすでに京・大坂より大店が進出し商業地域として大いに発展を遂げた。本町という町名は江戸で初めに造られたおおもとの町という意味である。一丁目から四丁目まであり、江戸時代には薬種問屋や呉服屋をはじめとして色々な種類の商店が多く集まった。本町三丁目には天正年間より代々薬種業を営み、明治期に国内初の医療機器カタログを発行したいわしや総本店があった。

戯作者の式亭三馬は当時の本町二丁目に住んでいて本町庵と号し、戯作を書くかたわら商売を営んでいた。三代目瀬川如皐も本町四丁目の出身である。江戸城内から、常盤橋、日本橋本町を通り、浅草橋(から浅草)に至る「本町筋」は江戸時代から明治初年まで、江戸=東京の目抜き通りであった(後にその座は直交する京橋-万世橋間の日本橋大通りに移っていく)。

1932年昭和7年)、関東大震災後の区画整理により、本町は近隣の本石町と同様に町域を変更することになり、周辺の伊勢町、岩附町、大伝馬町、鉄砲町、本小田原町、本石町、本船町などの全部または一部を合併し、現在の本町一丁目から四丁目となっている。

経済

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産業

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店・企業

かつて存在した企業

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世帯数と人口

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2019年(令和元年)9月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]

丁目 世帯数 人口
日本橋本町一丁目 181世帯 271人
日本橋本町二丁目 123世帯 201人
日本橋本町三丁目 178世帯 241人
日本橋本町四丁目 389世帯 545人
871世帯 1,258人

小・中学校の学区

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区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[6]

丁目 番地 小学校 中学校
日本橋本町一丁目 全域 中央区立常盤小学校 中央区立日本橋中学校
日本橋本町二丁目 全域
日本橋本町三丁目 1〜5番
その他 中央区立日本橋小学校
日本橋本町四丁目 9~15番
その他 中央区立常盤小学校

交通

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鉄道

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道路

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首都高速道路・出入口

施設

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  • 地蔵橋公園
  • 地蔵橋南東児童遊園
  • 宝田恵比寿神社

史跡

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出身・ゆかりのある人物

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脚注

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  1. ^ a b 町丁目別世帯数男女別人口”. 中央区 (2019年9月3日). 2019年9月23日閲覧。
  2. ^ a b 郵便番号”. 日本郵便. 2019年9月23日閲覧。
  3. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2017年12月31日閲覧。
  4. ^ 『銀行会社要録 附・役員録 第19版』東京府150頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年2月21日閲覧。
  5. ^ a b 『大正人名辞典』1151頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年2月21日閲覧。
  6. ^ 区立学校一覧”. 中央区 (2017年8月17日). 2019年9月23日閲覧。
  7. ^ 『人事興信録 第15版 上』オ51頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年2月22日閲覧。
  8. ^ 『人事興信録 第13版 下』タ95頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年2月22日閲覧。

参考文献

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  • 東洋新報社編『大正人名辞典』東洋新報社、1917年。
  • 東京興信所編『銀行会社要録 附・役員録 第19版』東京興信所、1915年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第13版 下』人事興信所、1941年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第15版 上』人事興信所、1948年。
  • 角川日本地名大辞典編纂委員会編 『角川日本地名大辞典13 東京都』 角川書店、1978年
  • 『日本歴史地名大系13 東京都の地名』 平凡社、2002年
  • 岸井良衛 『江戸・町づくし稿』(上巻) 青蛙房、2003年

関連項目

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外部リンク

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