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広部銀行

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

無限責任広部銀行(ひろべぎんこう)は、かつて東京府東京市日本橋区本町四丁目(現・東京都中央区日本橋本町)に存在した個人事業の銀行[1][2][3]

概要

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1887年明治20年)[2]広部清兵衛が東京市日本橋区本町に広部銀行を創立する[4][5][6]資本金は10万円[1][2][3]。諸預り金は438万4千円[3]

1903年(明治36年)12月、麻布支店開設[1]1906年(明治39年)11月、神田支店開設[1]1912年(明治45年)1月、渋谷支店開設[1]1914年大正3年)12月、千駄ヶ谷支店開設[1]。同年7月、五反田支店開設[1]

1927年昭和2年)2月14日、休業する[7]。小説家永井荷風は日記『断腸亭日乗』に「三月以来銀行の破産する者甚多し。余が現住せる宅地の所有主は広部銀行なるがこれも去月閉店せるなり。」と書いている[8]1929年(昭和4年)6月24日に廃業した[9]

行主・支配人・支店長

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『銀行会社要録 附・役員録 第23版』

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  • 行主・広部清兵衛[1]
  • 支配人・五十嵐鋿次郎[1]
  • 麻布支店長・広部七郎[1]
  • 神田支店長・田上金太郎[1]
  • 渋谷支店長・広部清一郎[1]
  • 千駄ヶ谷支店長・広部賢二[1]
  • 五反田支店長・広部熊太郎[1]

『日本全国諸会社役員録 第32回』

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  • 行主・広部清兵衛[2]
  • 支配人・五十嵐鋿次郎[2]
  • 麻布支店長・山岡惣三郎[2]
  • 神田支店長・田上金太郎[2]
  • 渋谷支店長・広部清一郎[2]
  • 千駄ヶ谷支店長・広部賢二[2]
  • 五反田支店長・広部熊太郎[2]

支店

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脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s 『銀行会社要録 附・役員録 第23版』東京府26頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年2月20日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j 『日本全国諸会社役員録 第32回』上編 東京府25 - 26頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年2月20日閲覧。
  3. ^ a b c 『日本産業総覧』商業18頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年2月16日閲覧。
  4. ^ 『京浜実業家名鑑』713頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年2月20日閲覧。
  5. ^ 『大正名家録』ヒ10頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年2月20日閲覧。
  6. ^ 『大正人名辞典』1151頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年2月20日閲覧。
  7. ^ 『朝日年鑑 昭和3年』551頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年2月20日閲覧。
  8. ^ 『摘録 断腸亭日乗 上』昭和2年4月18日、143頁。
  9. ^ 広部銀行 - 銀行変遷史データベース、銀行図書館、2020年2月20日閲覧。

参考文献

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  • 遠山景澄編『京浜実業家名鑑』京浜実業新報社、1907年。
  • 原田道寛編『大正名家録』二六社編纂局、1915年。
  • 東洋新報社編『大正人名辞典』東洋新報社、1917年。
  • 東京興信所編『銀行会社要録 附・役員録 第23版』東京興信所、1919年。
  • 商業興信所編『日本全国諸会社役員録 第32回』商業興信所、1924年。
  • 二六新報社編『日本産業総覧』二六新報社、1927年。
  • 『朝日年鑑 昭和3年』朝日新聞社、1927 - 1933年。
  • 永井荷風『摘録 断腸亭日乗 上』岩波書店、1987年。