正法寺 (京都府和束町)
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正法寺 | |
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所在地 | 京都府相楽郡和束町大字南小字下河原71 |
位置 | 北緯34度47分33.5秒 東経135度54分10.5秒 / 北緯34.792639度 東経135.902917度座標: 北緯34度47分33.5秒 東経135度54分10.5秒 / 北緯34.792639度 東経135.902917度 |
山号 | 瑞泉山(ずいせんざん) |
宗派 | 臨済宗永源寺派 |
本尊 | 阿弥陀如来坐像 |
創建年 | 天平16年(744年) |
開基 | 行基 |
法人番号 | 2130005008494 |
正法寺(しょうほうじ)は、京都府相楽郡和束町にある臨済宗永源寺派の寺。
歴史
[編集]- 天平16年(744年)安積親王(聖武天皇の皇子)の菩提を弔うため、僧・行基により創建されたと伝える。
- 当初は幡寺または仏法寺と称されてうしろ山の仏法寺山にあった。[1]
- 元弘・建武年間(1331年 - 1338年)の頃、武将の陣所にあてられ荒廃した。
- 佛光寺城主の田村貞清[2]の祖父・宗意が無量寿仏(阿弥陀如来)を求めて、貞清の父・了徹が寺を創建。その後、貞清が禅刹(禅寺)とするために永源寺第八十一世の如雪文厳を迎え中興の祖となる。
- 正保年間(1644年 - 1648年)に後水尾天皇・東福門院の外護を得た如雪文巌が現在地に再興、明暦2年(1656年)に正法寺と改称。
- 1998年(平成10年)、初めての参道や境内のライトアップが行われる(夕方から夜10時まで)[3]
- 2009年、台風18号の影響で寺院内のヒノキなど20本ほどが倒れる被害が発生。[4]
文化財
[編集]京都府指定文化財
[編集]- 有形文化財
その他
[編集]- 阿弥陀如来坐像(江戸時代 本尊)[7]
- 聖観音像(江戸時代 木造 東福門院(後水尾天皇の后)の念持仏と伝えられる。)[7]
- 絹本著色十八羅漢像(明時代 蒋子成筆 四幅 寛文十年(1670)に寄進) [8]
- 蘭亭記(支那刻石慴)
- 蓮社図(虜山十八賢・文微明写)
- 半身達磨画像(筆者不明)
- 正法開山如雪文厳公塔路(江戸時代 黄檗高泉筆 巻子装 一巻) [9]
- 南都東大寺大仏殿再修(開光明香語行列の序)
- 観音画像(西園寺実晴郷筆)
- 絹本著色釈迦如来像(江戸時代 性融筆・黄檗隠元賛 一幅) [10]
- 出山釈迦画像(仏頂国師自画賛)
- 渡唐天神画像(雪舟筆)
- 難波慮杖(後水尾天皇御所持(烏丸光広郷拝領)、烏丸資慶筆)
- 金銅製麒麟香爐(開山所持品)
- 仏舎利塔(後水尾天皇・東福門院御寄進)
- 隠元隆琦墨蹟 如雪禪人宛乙未仲夏日(江戸時代 隠元筆 巻子装 一巻 隠元隆琦から如雪文厳宛の法語) [11]
- 隠元隆琦墨蹟 挽如雪偈辛亥猛夏(江戸時代 隠元筆 巻子装 一巻 如雪文厳の示寂(=高僧が死ぬこと)時に隠元隆琦が書いた挽詩)
死者を悼む詩)) [12]
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石柱
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表門(正面)
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表門(裏側)
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殉国英霊碑
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仏殿
所在地
[編集]周辺
[編集]- 和束茶カフェ
- 京都和束荘
脚注
[編集]- ^ 日本歴史地名体系第二十六巻 京都府の地名 P64
- ^ 山城綴喜郡誌 京都府教育会綴喜郡部会 名著出版 P304
- ^ 京都新聞 1998年11月18日 22面
- ^ 京都新聞 2009年10月30日 27面
- ^ 平成29年3月17日京都府公報 (PDF) より京都府教育委員会告示第1号(リンクは京都府ホームページ)。
- ^ a b 京都市の文化財 第三十五集 京都府教育委員会 P7
- ^ a b 昭和京都名所圖會 大渕馨 駸々堂出版 P400
- ^ 京都の美術工芸 南山城編 財団法人 京都府文化財保護基金 P64
- ^ 京都の美術工芸 南山城編 財団法人 京都府文化財保護基金 P191
- ^ 京都の美術工芸 南山城編 財団法人 京都府文化財保護基金 P66
- ^ 京都の美術工芸 南山城編 財団法人 京都府文化財保護基金 P192
- ^ 京都の美術工芸 南山城編 財団法人 京都府文化財保護基金 P193
- ^ 京都の美術工芸 南山城編 財団法人 京都府文化財保護基金 P194
参考文献
[編集]- 宗教法人正法寺のパンフレット
- 観峰館・平成29年度冬季企画展『近江仏画めぐり』図録、作品№14・15・28・31・32・35・38