烏丸資慶
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烏丸資慶像(土佐光成画) | |
時代 | 江戸時代前期 |
生誕 | 元和8年5月11日(1622年6月19日) |
死没 | 寛文9年11月28日(1670年1月19日) |
官位 | 正二位、権大納言 |
主君 | 後光明天皇→後西天皇 |
氏族 | 烏丸家 |
父母 | 父:烏丸光賢、母:まん |
兄弟 | 飛鳥井雅章室、吉田兼起室、裏松資清[1]、正受院[2] |
妻 | 正室:清閑寺共房の娘 |
子 |
光雄、桜野順光、七条隆豊室、房 養子:深達院 |
烏丸 資慶(からすまる すけよし)は、江戸時代前期の公卿・歌人。烏丸光賢の子。母は細川忠興の娘・まん。官位は正二位・権大納言。烏丸家11代当主。
経歴
[編集]歌道に秀でていた為、後水尾上皇から後西天皇・中院通茂と共に古今伝授を受けた。また、細川家と深い姻戚関係にあり、細川幽斎より伝授された聞書・切紙等を伝領していたので、上皇より伝授されたそれらを進上するように命じられた。また、弟子の遠藤常友より依頼され、東常縁の和歌を編集して『常緑集』として編集にとりかかるも没し資慶死後は光雄が受け継ぎ、2代に渡って寛文11年(1671年)に完成させている。所領のあった太秦に法雲院を造営し、祖父の烏丸光広を祀った。
系譜
[編集]脚注
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