コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

飛鳥井雅章

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
飛鳥井雅章
飛鳥井雅章の肖像粉本
時代 江戸時代前期
生誕 慶長16年3月1日1611年4月13日
死没 延宝7年10月12日1679年11月15日
改名 雅昭(初名)→雅章
官位 従一位権大納言
主君 後水尾天皇明正天皇後光明天皇後西天皇
氏族 飛鳥井家
父母 父:飛鳥井雅庸、養父:飛鳥井雅宣
兄弟 雅賢難波宗勝(雅宣)、雅章
養兄弟:難波宗種
烏丸光賢の娘、四辻公遠の孫娘ら
雅知雅直難波宗量雅豊
難波宗尚中院通躬正室、平松時量室、小川坊城俊広室、吉田兼起
テンプレートを表示

飛鳥井 雅章(あすかい まさあき、慶長16年3月1日1611年4月13日)-延宝7年10月12日1679年11月15日))は、江戸時代前期の公卿歌人権大納言飛鳥井雅庸の三男。官位従一位・権大納言。武家伝奏飛鳥井家16代当主。

経歴

[編集]

慶長16年(1611年)飛鳥井雅庸の子供として誕生し[1]、兄・飛鳥井雅宣の嗣子として16代当主となる[2]

寛永20年(1643年)に参議慶安2年(1649年)に権中納言承応元年(1652年)に権大納言に任じられ、承応3年(1653年)から翌年まで賀茂伝奏寛文元年(1661年)から同10年(1670年)まで武家伝奏を歴任し、延宝5年(1677年)に従一位に叙された[3]

明暦3年(1657年後水尾院から古今伝授を受け、歌壇の中心的歌人として活躍した[2]。和歌御会の歌題提出は飛鳥井家と冷泉家が担当したが、この時期には雅章一人で担当している[2]

家集に『雅章卿御詠』『雅章卿千首』、歌学書『飛鳥井雅章卿聞書』『尊師聞書』、歌文紀行『吉野紀行』がある[2]

系譜

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ 上田正昭、津田秀夫、永原慶二、藤井松一、藤原彰、『コンサイス日本人名辞典 第5版』、株式会社三省堂、2009年 36頁。
  2. ^ a b c d 岡本勝雲英末雄『新版近世文学研究事典』おうふう、2006年2月、205頁。 
  3. ^ 母利美和「飛鳥井雅章」『朝日日本歴史人物事典』(朝日新聞社、1994年) ISBN 978-4-02-340052-8