コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

P-MODEL

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
核P-MODELから転送)
P-MODEL / 核P-MODEL
出身地 日本の旗 日本
ジャンル
活動期間
レーベル
事務所
  • MODEL HOUSE→オクターブ(1979年 - 1989年)
  • アイスリープロモーション(1989年 - 1997年)
  • ケイオスユニオン(1997年 - )
公式サイト SUSUMU HIRASAWA
メンバー 平沢進ボーカルギター
旧メンバー

P-MODEL(ピー・モデル)は、日本音楽グループ1979年結成、2000年より無期限活動休止中。ここでは、2004年より活動している核P-MODELについても扱う。

媒体によっては「P-model」「P-モデル」等の表記揺れがあるが、正式な表記は全て大文字の「P-MODEL」である[要出典]

概要

[編集]

1979年1月1日、前身バンド「MANDRAKE」が解散。即日P-MODELが結成され、シングル『美術館で会った人だろ (ART MANIA)』で同年7月にメジャーデビュー[2][3]ジョージ・オーウェルの小説『1984年』をコンセプトの下敷きとした1stアルバム『IN A MODEL ROOM』を発表[4]

プラスチックスヒカシューと共に「テクノ御三家」とされ、YMOを始めとする80年代テクノポップブームの一翼を担い、テクノニューウェイブシーンにおける中心的存在となる[5]。メジャーデビュー後にはXTCヴァン・ヘイレンなど海外バンドの来日ツアーの前座を務め、日本武道館公演なども経験した[6]

1981年に発売された3rdアルバム『Potpourri』で「脱・テクノ」を宣言。以降はメンバーや音楽性が激しく変遷を重ねた末、1988年12月に「凍結」(活動休止)を宣言[7]

1991年、期間限定の活動という前提でP-MODELの「解凍」を宣言し、同年9月に日比谷野外音楽堂にて行われたライブイベント『ERROR OF UNIVERSE』にて活動再開。再びテクノポップを全面に打ち出した。時代が進み、デジタルシンセによる音圧の高いサイバー感のあるサウンドに変化を遂げた。また、Amigaを中心とするマルチメディアの活用を行った。

1993年、メンバーチェンジに伴う「改訂」作業に入る事を発表。同年10月に日比谷野外音楽堂にて行われたライブイベント「ERROR OF INFORMATION "待機"」を以て、一時的に活動「待機」(活動休止)となる[8]

1994年12月、メンバーの「改訂」を終え再び活動を再開。当時黎明期だったインターネットをキーワードとして様々な活動を行い、その中の一環として楽曲のMP3配信を行った。この事はメジャー出身バンドとして日本国内で初めての試みであった[9]

2000年12月にP-MODELの解体を発表し、「培養」期間に入ることを宣言[10]

アメリカ最大の音楽レビューサイト「Rate Your Music」ではテクノ・ニュー・ウェイブバンドとして海外の音楽リスナーから強い支持を得ている[11]

核P-MODEL

[編集]

2004年からは、中心メンバーだった平沢がP-MODELの作風を継承したプロジェクト「核P-MODEL」として不定期に活動している[12][注 1]

なお、当初は平沢のソロバンドとして始まったが、2ndアルバム『гипноза』にはP-MODELのオリジナルメンバーだった田中靖美、平沢がプロデュースを手掛けたバンドPEVOよりPEVO1号が参加している。

ライブにおいても2014年からはサポートミュージシャンを加えており、2014年に行われたライブ「パラレル・コザック」と「HYBRID PHONON」にはサポートメンバーとしてPEVO1号が参加した。その他、「パラレル・コザック」には福間創扮する「謎の毛糸帽の男」がスポット出演している。

2018年から2019年に行われたライブ「回=回」では、正体不明のメンバー「会人(EJIN)」がサポートメンバーとして参加している。

メンバー

[編集]
  • 個人記事のあるメンバーについてはそちらを参照。
氏名 パート 生年月日・出身地 在籍期間 他の所属グループ
現メンバー(P-MODEL / 核P-MODEL)
平沢 進
(ひらさわ すすむ)
ボーカル
ギター
シンセサイザー
(1954-04-01) 1954年4月1日(70歳)
東京都足立区
1979年1月 -
不幸のプロジェクト
元メンバー(P-MODEL)
秋山 勝彦
(あきやま かつひこ)
ベース
キーボード
シンセサイザー
(1959-04-11) 1959年4月11日(65歳)
東京都
1979年1月 - 1980年11月
1991年9月 - 1993年10月
CROSS
秋山×藤掛Duo
田中 靖美
(たなか やすみ)
キーボード
シンセサイザー
(1953-12-05) 1953年12月5日(70歳)
東京都東久留米市
1979年1月 - 1983年3月
田井中 貞利
(たいなか さだとし)
ドラムス (1953-10-29) 1953年10月29日(71歳)
福岡県築上郡
1979年1月 - 1984年12月
1987年3月 - 1988年12月
菊池 達也
(きくち たつや)
ベース (1963-07-30) 1963年7月30日(61歳)
東京都港区
1980年11月 - 1984年8月 さよなら子供たちオーケストラ
三浦 俊一
(みうら しゅんいち)
キーボード
(ギター)
(1964-08-18) 1964年8月18日(60歳)
東京都江戸川区
1983年3月 - 1985年12月 ケラ&ザ・シンセサイザーズ
NESS
横川 理彦
(よこがわ ただひこ)
ベース
バイオリン
(1957-01-29) 1957年1月29日(67歳)
鳥取県鳥取市
1984年8月 - 1985年12月 4-D mode1
After Dinner
メトロファルス
荒木 康弘
(あらき やすひろ)
ドラムス
パーカッション
(1959-01-22) 1959年1月22日(65歳)
新潟県柏崎市
1984年12月 - 1987年3月 ALLERGY
Chevalf
中野 照夫
(なかの てるお)
ベース
キーボード
シンセサイザー
(1963-08-12) 1963年8月12日(61歳)
東京都
1986年1月 - 1988年12月 LONG VACATION
Sonic Sky
高橋 芳一
(たかはし よしかず)
キーボード
Systems
(1961-08-02) 1961年8月2日(63歳)
東京都
1986年1月 - 1987年9月 CROSS
Chevalf
ことぶき 光
(ことぶき ひかる)
キーボード
シンセサイザー
プログラミング
(1964-03-30) 1964年3月30日(60歳)
北海道沼田町
1987年11月 - 1988年12月
1991年9月 - 1993年10月
プノンペンモデル
藤井 ヤスチカ
(ふじい やすちか)
ドラムス
シーケンサー
プログラミング
(1967-11-21) 1967年11月21日(57歳)
広島県福山市
1991年9月 - 1993年10月 THE GROOVERS
福間 創
(ふくま はじめ)
キーボード
シンセサイザー
System-1
1970年11月10日
2022年1月1日(51歳没)
大阪府
1994年11月 - 2000年12月 YAPOOS
ケラ&ザ・シンセサイザーズ
Soyuz Project(ソロ活動)
小西 健司
(こにし けんじ)
キーボード
System-2
ベース
(1955-10-20) 1955年10月20日(69歳)
兵庫県西宮市
1994年11月 - 2000年12月 4-D mode1
不幸のプロジェクト
上領 亘
(かみりょう わたる)
ドラムス
Algorhythm
(1964-09-03) 1964年9月3日(60歳)
東京都
1994年11月 - 1997年5月 NeoBallad
GRASS VALLEY
CROW

時系列

[編集]

その他企画バンド

[編集]
IKARI
  • 5thアルバム『ANOTHER GAME』の発売延期に関して、当時のマネージャーである広瀬充がジャパンレコードと揉めて帰ってきたところ、平沢に「その怒りを音で表現するんだ」と言われて結成したバンド[13]。ソノシートを1枚リリースしている他、1983年に“P-MODELの前座”という形で1回ライブを行っている。
ボーカル ギター ベース キーボード ドラムス 備考
1983年 広瀬充 平沢進
三浦俊一
菊池達也 (三浦俊一) 田井中貞利
此岸のパラダイス亀有永遠のワンパターンバンド
  • KERA有頂天)の呼びかけで結成されたP-MODELのコピーバンド。当時封印状態だった初期P-MODELの楽曲を演奏するために結成された。1987年に2回、1990年に1回ライブに出演している。
ボーカル ギター ベース キーボード ドラムス 備考
1987年 KERA 平沢進 秋山勝彦 三浦俊一 田井中貞利
1990年 ことぶき光 田井中貞利
荒木康弘
平沢は曲によってボーカルも担当
ドラムスは曲ごとに交代
亀有タワーズ / Miburi隊
  • ファンクラブ主催のP-MODELコピーバンドコンテスト『Errors of P-MANIA!』にて結成された「P-MODELメンバー本人によるコピーバンド」。全員が本来の担当楽器と異なる楽器を演奏している。『Errors of P-MANIA!』は1993年 - 1995年の3回開催され、93・94年は「亀有タワーズ」名義で、95年は「Miburi隊」名義で出演している。
ボーカル ギター ベース キーボード ドラムス その他のメンバー 披露した楽曲
1993年 加藤賢崇 秋山勝彦 ことぶき光
藤井ヤスチカ
横川理彦 平沢進 KERA(マラカス ミサイル
1994年 加藤賢崇
TAKA
戸川純カズー カウボーイとインディアン
フ・ル・ヘッ・ヘッ・ヘッ
1995年 福間創 平沢進
Miburi/Syn)
横川理彦(Miburi/Snare)
中野テルヲ(Miburi/Kick)
小西健司(タンバリン HEAVEN

来歴

[編集]

音楽性

[編集]

時期によって激しく変遷しているため、大きく6つに分けて記述する。

その他エピソード

[編集]
  • MANDRAKE結成時からの「パート不問」の伝統を受け継いでいる。
    • 秋山はもともとキーボード奏者であったが、P-MODEL結成にあたりキーボードの続投を求めた田中の意向により、全く未経験であったベースを担当することになった。
    • Potpourri』のレコーディング時には秋山の脱退によりベーシストが不在だった[注 15]ことから、平沢・田中がベースを弾いている。
    • 横川の在籍中、彼がバイオリンを演奏する際は平沢がベース、三浦がギターを弾く変則的な編成がとられた。
    • 中野はP-MODEL加入にあたり、空席となっていたベース・キーボードのどちらかを選択させられた。また中野と同時期に加入した高橋はもともとベーシストだったものの、既に中野がベーシストとして内定していた事から未経験のキーボードを担当することになった。
    • 解凍期以降は正式なベーシストが存在しないが、楽曲によっては秋山や小西がベースを弾くこともあった。
  • 活動再開こそ絶望視されているものの、元メンバー同士の関係は現在でも良好である。2000年代以降は楽曲制作やライブ共にほぼ1人で行っていた平沢も、2010年代からはかつて平沢がプロデュースしたShampoo、PEVOのメンバーも交えて共演、共作など盛んに交流が行われている。
  • かきふらいによる漫画「けいおん!」の主要登場人物の氏名はP-MODELのメンバーに由来するのではないかと双方のファンから指摘されており[45][注 16]、これに対して「由来」となったメンバーもそれぞれ反応している。
    • 平沢はTwitterを開設直後の2009年10月に「間違えてないか?私は平沢進だぞ。平沢唯じゃない。」とのツイートを行った[46]。この発言によりフォロワー数が一気に増加したが、狙って言ったものではなく「本心」であるとしている[47]。なお、その後もTwitterで度々平沢唯に言及している。
    • 秋山は田井中律モデルのドラムスティックを購入したことをブログで公表しており、ソロ活動やCROSSで使用している。
    • 中野は2010年7月、実弟から中野梓フィギュアを差し入れされている。

作品

[編集]

平沢進個人の作品については

ミュージックビデオ

[編集]
監督 曲名 備考
不明 偉大なる頭脳(1979年)
ASHURA CLOCK(discomuniactor)(1997年)
「偉大なる頭脳」は21stセンチュリーワンダーランド制作。[48]
平沢裕一 アート・ブラインド(1979年)
I AM ONLY YOUR MODEL(1980年)
different ≠ another(1981年)
Potpourri (ポプリ) (2種類)(1981年)
ナチュラル(1981年)
いまわし電話(1981年)
Heaven (2種類)(1982年)
Perspective(1982年)
のこりギリギリ(1982年)
HOKA NO KEIKAKU(1983年)
ECHOES (不許可曲集 Ver.)(1983年)
ふるへっへっへ (2種類)(1983年)
フ・ル・ヘッ・ヘッ・ヘッ (1984年)
ATOM-SIBERIA(1984年)
HARM HARMONIZER(1984年)
「ふるへっへっへ」は『BITMAP』に収録。他作品は一般公開されていないが、近年一部PVが動画共有サイトにアップロードされた。
ピーター・カラス Karkador 3min 1986 Australia(1986年) 「KARKADOR」をBGMに使った映像作品であり、公式なプロモーションビデオでは無い。
神尾明朗 Another Day(1986年) ACユニット制作。[48] このPVに納得が出来なかった平沢はAmigaを導入し、自分で制作するようになる。[49]
平沢進 2D or not 2D(1992年)
Grid(1992年)
Monotone Grid(1994年)
http (1996年)
平沢がAmigaで制作。「http」は当時ライブで流していた映像と同一。「2D or not 2D」「Grid」は『BITMAP』収録。「Monotone Grid」は平沢ソロビデオ『PHOTON-3』、「http」はシングル『Rocket Shoot』に収録。
ホッホー石田 夢見る力に(1995年) 全編CGで作成。P-MODELメンバーは写真のみ。
大和久マサル 論理空軍(1999年) 『音楽産業廃棄物 ~P-MODEL OR DIE』DVD版ではディレクターズ・カット版も収録されている。

ライブ・データ

[編集]
  • 正式なライブタイトルがあるもののみ記載。

ライブ・ツアー

[編集]
  • 中止になった公演は取消線、振替公演は緑色、追加公演は赤色で表記
日程 タイトル 公演スケジュール 備考
1979年 9月3日 - 9月13日 VAN HALEN来日ツアー 全公演にOAとして帯同。初の武道館公演
1980年 1月3日 - 1月11日 P-TRICK PLAN Vol.1 初の主催ツアー
3月28日 - 4月13日 P-TRICK PLAN Vol.2
6月15日 POP THE HERO
11月21日 P-MODEL in a “M” room concert 菊池加入後初のライブ
1981年 6月5日 - 6月9日 万物三つこぶらくだの旅
10月18日 - 11月8日 カナリアの籠展開図ぐるりと回る360度
期待は記憶気のどくだねオゾノコブラノスキー
1982年 3月8日 - 3月20日 BAND in Perspective
3月26日 突拍子のためのLesson.1
8月22日 突拍子のためのLesson.2
1983年 10月2日 LOOPING OPPOSITION
10月24日 - 12月27日 ANOTHER GAME TOUR
1984年 3月16日 - 3月25日 ANOTHER GAME TOUR 2nd
4月15日 SPECIAL DAY&NIGHT
6月24日 - 8月5日 因果律ランダムパーティ 8月の2公演は「スペシャル公演」として開催
8月28日 - 11月3日 SCUBA TOUR
12月16日 - 12月23日 SCUBA TOUR(Ⅱ)
1985年 5月26日 - 5月28日 10MILES HIGH
10月26日 - 12月27日 KARKADOR TOUR
1986年 4月28日 埼玉県動説 重力過密地帯
7月19日 - 9月28日 ONE PATTERN TOUR
10月19日 - 10月25日 ONE PATTERN TOUR 2nd
11月26日 ゼブラの日
1987年 3月14日 進化の軌跡 ガラパゴス島の待ち伏せ男 田井中の復帰公演
4月25日 売上税黄金狂時代
5月8日 - 5月29日 MODEL HOUSE Presents Tour
6月20日 Shoot the Monster
7月1日 - 7月26日 TOUR SENSONICS
9月12日 埼玉県動説Ⅱ
9月27日 グレーテルの一撃?
11月1日 逆さパラダイス 恐竜図鑑のたくらみ 羊羹ゑるゑる(ことぶき)加入後初の公演
12月4日 北から来たオルガン弾き
1988年 3月3日 - 3月5日 天国のANAGRAM
3月12日 BAND in PerspectiveⅡ バンド名を「Heaven」としたシークレットライブ
6月10日 DAY'S BRAVO!
6月11日 NIGHT'S BRAVO! このライブで初めてAMIGAを導入
7月29日 FEAR'S BRAVO!
12月28日 凍結ライブ
1990年 9月23日 ERROR FORCE P-MODELの再集結はあくまで「シャレ」
1991年 9月23日 ERROR OF UNIVERSE 解凍後初のライブ
1992年 3月10日3月18日 P-MODEL TOUR '92
5月11日 - 7月14日 TOUR ON GRID 初の追加公演を含むツアー
5月13日の心斎橋公演は機材トラブルにより中止
10月25日 PLANET ERROR
12月7日 - 12月11日 能率の予感
1993年 5月26日 - 6月21日 BIG BODY TOUR
10月11日 ERROR OF INFORMATION “待機” 解凍期のラストライブ
1995年 9月30日 ENDING ERROR 改訂期初の主催ライブ
1996年 3月9日 - 4月6日 電子舟訪日行脚
10月5日 Unfix #0 “Branch-O”
11月15日 Unfix #3 “コミュノ・ハイブリディア” 平沢は体調不良のため欠席
12月24日 Unfix #5
“Another Green Nerves「ススムとケンジ」”
平沢の体調不良のため中止
1997年 10月21日10月22日 非局所性LIVE
1998年 1月21日 - 2月7日 LIVE 電子悲劇
1999年 10月4日 - 10月28日 音楽産業廃棄物~P-MODEL OR DIE
11月6日 音楽産業廃棄物 取扱技能者総決起集会
2004年 11月8日 - 11月13日 LIVE トーキョー・ビストロン 核P-MODEL初のライブ
2014年 1月11日 - 1月14日 LIVE パラレル・コザック
10月11日 - 10月13日 HYBRID PHONON 「平沢進×核P-MODEL」名義でのライブ
2018年 9月14日 - 1月14日 LIVE 回=回
2019年

参加イベント

[編集]

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ P-MODELとは明確に異なるものと定義されている。
  2. ^ 平沢側は「80年代の業界人」として名指しをしていないが、近田はクイックジャパンにて自分である事を明かしている。
  3. ^ テープエコーマシーンとキーボードを用いてサンプラーに似たシステムを構築したもの。当時のサンプラーは「1戸建ての家が買える」と言われた程高価であり、その後の音楽業界に「平沢進が宝くじを当てた(=当選金でサンプラーを導入した)らしい」との噂がしばらく立つ事になった。
  4. ^ 実際は一身上の都合で止む無く脱退となったもの。この後荒木は一時音楽活動を休止し、コンピュータプログラマーとして活動することになる。
  5. ^ P-MODELを凍結させた理由として、あくまでバンドという形で音楽活動を続けていきたかった平沢であるが、片腕的存在だった田中の脱退により、最終的にバンドが平沢のワンマン状態になってしまった事が主な要因であると語られている。
  6. ^ 実際は平沢がパニック障害の発作を起こし出演できなくなったためである。
  7. ^ このイベントの模様は後にテレビ放映されたが、TALBOを叩き付けるシーンはカットされている。
  8. ^ 公式サイトからは「風邪のため」と発表された。
  9. ^ 実際は「殺人的スケジュール」によってパニック障害を患っていたものと、後に新事務所設立時のコメントおよびTwitterで語っている。
  10. ^ 但し、ネット接続のないリスナーの為にインディーズレーベル「MAGNET」からCDでのリリースも行われた。
  11. ^ 高橋はオファーがあれば参加したい旨を述べている。小西も平沢が「(小西自身が)好きなだけドイツにいてもいい」と認めることを前提条件として述べているが再結成には前向きである。しかし平沢はインタビューやTwitterで再結成を否定している。
  12. ^ 『音楽産業廃棄物』内のインタビューにて、『メンバー全員「打倒・ピンクレディー」で行こうとしていた』と語っている。
  13. ^ 「LUCKY TIME」は後にIKARI名義で、ソノシートに収録された。「IKARI/NO PERSPECTIVE」を参照。
  14. ^ 『音楽産業廃棄物』のインタビューにて、ことぶきはトリガーを押しているだけで大半がパフォーマンスだったと語っている。
  15. ^ 後任である菊池は当時サポートメンバー扱いであったため、レコーディングには参加していない。
  16. ^ ただし、原作者のかきふらいから名前の由来に関する公式なアナウンスはなされていない。

出典

[編集]
  1. ^ a b c d e f g Martin, Ian. P-Model Biography, Songs & Albums - オールミュージック. 2021年12月26日閲覧。
  2. ^ 『音楽産業廃棄物』 平沢進SIDE「卓上のウロボロス 」p46
  3. ^ プロフィール| P-MODEL | 日本コロムビアオフィシャルサイト”. 日本コロムビア公式サイト. 2021年11月16日閲覧。
  4. ^ 『改訂復刻DIGITAL版音楽産業廃棄物』P-MODEL SIDE Open Sourse(Shop Fascination、33/139(p.33))
  5. ^ Inc, Natasha. “平沢進”. 音楽ナタリー. 2021年10月21日閲覧。
  6. ^ 高橋かしこによるバイオグラフィー”. 2021年10月25日閲覧。
  7. ^ プロフィール| P-MODEL | 日本コロムビアオフィシャルサイト”. 日本コロムビア公式サイト. 2021年10月24日閲覧。
  8. ^ ROCKIN'ON JAPAN Vol.79(1993年 12月号)
  9. ^ a b MP3音楽配信を開始した「P-MODEL」の平沢進氏に聞く”. internet.watch.impress.co.jp. 2021年10月24日閲覧。
  10. ^ index” (2001年7月2日). 2001年7月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年6月28日閲覧。
  11. ^ top albums of all-time (Electropop) https://rateyourmusic.com/charts/top/album/all-time/g:electropop/uloc:-japan/exc:live,archival/
  12. ^ 平沢進ディスコグラフィー|平沢進 Susumu Hirasawa (P-MODEL) Official site”. susumuhirasawa.com. 2021年10月24日閲覧。
  13. ^ a b c d e f g h i j 改訂復刻版音楽産業廃棄物. ブッキング. (2005) 
  14. ^ 平沢進のツイート(2016年1月11日)2019年11月5日閲覧。
  15. ^ 平沢進のツイート(2016年1月11日)2019年11月5日閲覧。
  16. ^ 『音楽産業廃棄物 卓上のウロボロス』 p.51
  17. ^ a b c d e f アルバム『VIRTUAL LIVE-2』内ライナーノーツより。
  18. ^ a b c d P NEWS LETTER Vol.2(1980)より
  19. ^ a b クイック・ジャパン vol.83『近田春夫「適当に思い出してます」』
  20. ^ すべての記事一覧 - 詳細表示 - 秋山勝彦の宅録日記 - Yahoo!ブログ”. web.archive.org (2019年12月12日). 2022年1月2日閲覧。
  21. ^ 『音楽産業廃棄物 卓上のウロボロス』 p.50
  22. ^ 『音楽産業廃棄物 OPEN SOURCE』 p.73
  23. ^ a b 『音楽産業廃棄物 OPEN SOURCE』 p.56
  24. ^ ボックスセット『太陽系亞種音』ファンクラブ会員限定特典「田井中貞利伝説」より。
  25. ^ a b 『音楽産業廃棄物 OPEN SOURCE』 p.56
  26. ^ a b ピコエンタテイメント Vol.2 p.128
  27. ^ a b 『音楽産業廃棄物 OPEN SOURCE』 p.56
  28. ^ 『音楽産業廃棄物 OPEN SOURCE』 p.56
  29. ^ ピコエンタテイメント Vol.2 p.133
  30. ^ [1] 平沢進公式サイト 2024年2月17日閲覧。
  31. ^ 平沢進のツイート(2013年10月25日)2020年3月26日閲覧。
  32. ^ DVD パラレル・コザック | 平沢進公式サイト / Susumu Hirasawa Official Site”. susumuhirasawa.com. 2022年11月7日閲覧。
  33. ^ DVD HYBRID PHONON|平沢進 Susumu Hirasawa (P-MODEL) Official site”. susumuhirasawa.com. 2022年11月7日閲覧。
  34. ^ 平沢進のツイート(2018年4月3日)2019年11月9日閲覧。
  35. ^ Inc, Natasha. “核P-MODEL「回=回」ワンマン、豊洲PITで追加公演”. 音楽ナタリー. 2022年11月7日閲覧。
  36. ^ https://twitter.com/hirasawa/status/1245683525199646720”. Twitter. 2022年11月7日閲覧。
  37. ^ 核P-MODELのライヴDVD『回=回』発売決定 ダイジェストムービー公開”. amass. 2022年11月7日閲覧。
  38. ^ NHK衛星第2テレビジョン「80年代ニューウェーブ特集 P-MODEL」、2001年11月28日
  39. ^ VHS『CG年賀状』(1989年)
  40. ^ キーボードマガジン 2010 AUTUMN No.370. リットーミュージック). (2010) 
  41. ^ P-MODELディスコグラフィー・P-MODEL|平沢進 Susumu Hirasawa (P-MODEL) Official site”. susumuhirasawa.com. 2021年10月24日閲覧。
  42. ^ a b P-MODELディスコグラフィー・舟|平沢進 Susumu Hirasawa (P-MODEL) Official site”. susumuhirasawa.com. 2021年10月24日閲覧。
  43. ^ 平沢進のツイート(2018年4月15日)2019年11月10日閲覧。
  44. ^ HIRASAWA SUSUMU 激烈インタビュー(2013年11月13日)2019年11月10日閲覧。
  45. ^ なぜ我々は「けいおん!」に萌えてしまうのか?ASCII.jp(2009年6月7日)2020年12月21日閲覧。
  46. ^ 平沢進のツイート(2009年10月26日)2020年12月21日閲覧。
  47. ^ ASCII. “「私は平沢進だぞ。平沢唯じゃない」 本人に聞いてみた (5/6)”. ASCII.jp. 2020年4月13日閲覧。
  48. ^ a b 「P-MODEL BOX」目録(1987年)
  49. ^ 『来なかった近未来』(2012年)

外部リンク

[編集]