松平輝和
表示
時代 | 江戸時代中期 - 後期 |
---|---|
生誕 | 寛延3年3月21日(1750年4月27日) |
死没 | 寛政12年8月17日(1800年10月5日) |
改名 | 長三郎、酒之丞(幼名)、輝和 |
墓所 | 埼玉県新座市野火止の平林寺 |
官位 | 従四位下、右京大夫 |
幕府 | 江戸幕府 奏者番兼寺社奉行、大坂城代 |
主君 | 徳川家治、家斉 |
藩 | 上野高崎藩主 |
氏族 | 大河内松平家 |
父母 | 父:松平輝高、母:林氏 |
兄弟 | 輝行、輝和、輝延、永 |
子 |
輝健、絢、松平宗允正室、松平直方継室ら 養子:輝延 |
松平 輝和(まつだいら てるやす)は、江戸時代中期の大名。上野国高崎藩主。寺社奉行、大坂城代。高崎藩大河内松平家5代。
生涯
[編集]高崎藩第3代藩主・松平輝高の次男。兄・輝行の死去により、安永4年(1775年)7月5日、嫡子となる。
天明元年(1781年)11月11日、家督を継ぐ。天明3年(1783年)9月1日、奏者番となり、翌天明4年(1784年)4月26日、寺社奉行を兼任する。寛政10年(1798年)12月8日、大坂城代となる。寛政12年(1800年)、任地の大坂で病没した。
死去に際し実子・輝健がいたが、輝健の誕生以前に弟の輝延を嗣子に定めていたため、家督は輝延が継いだ。
藩政においては、郡奉行大石久敬に農政書『地方凡例録』を編纂させ、藩士の服務規程を定めた。
系譜
[編集]父母
- 松平輝高(父)
- 林氏(母) - 側室
側室
- 羽生田氏
- 小林氏
- 山名氏
- 井出氏
子女
養子
- 松平輝延 - 輝高の三男