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松平直方 (母里藩主)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
松平 直方
時代 江戸時代中期 - 後期
生誕 安永8年11月6日1779年12月13日
死没 天保13年7月21日1842年8月26日
改名 英三郎(幼名)、直方、看雲(法名)
戒名 一路院
墓所 天徳寺
官位 従五位下、右近将監、志摩
幕府 江戸幕府
出雲国母里藩
氏族 越前松平家(明石家→母里家)
父母 父:松平直泰、母:丹羽高庸の娘
養父:松平直暠
兄弟 直之直周直暠中条信徳直方
有馬広寿
正室:八重松平直行の娘・松平直暠の養女)
継室:松平輝和の娘
直興、娘(戸田光逸正室)、
娘(水谷勝昌正室)、娘(柴田康豊正室)、
娘(有馬広憲室)、娘(津田信義正室)、
娘(斉藤利時正室)
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松平 直方(まつだいら なおかた)は、出雲母里藩の第7代藩主。母里松平家7代。

略伝

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安永8年(1779年)11月6日、播磨明石藩主・松平直泰の九男として生まれる。寛政8年(1796年)に実兄で母里藩の第6代藩主である直暠が死去すると、兄の養女(先々代松平直行の娘)と結婚して婿養子となった上で家督を相続した。

文化14年(1817年)3月25日、家督を長男・直興に譲って隠居し、看雲と号した。天保13年(1842年)7月21日に死去した。享年64。