中条信徳
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時代 | 江戸時代後期 |
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生誕 | 安永7年12月4日(1779年1月21日) |
死没 | 文政13年7月23日(1830年9月9日) |
改名 | 直年→信徳 |
別名 | 通称:鶴次郎 |
官位 | 従五位下侍従、大和守 |
幕府 | 江戸幕府旗本 |
主君 | 徳川家斉 |
氏族 | 明石松平家→中条氏 |
父母 | 父:松平直泰、養父:中条信義 |
兄弟 |
松平直之、松平直周、松平直暠、信徳、 松平直方、本多忠曄、有馬広寿、 松平直顕、安藤定則、千賀直標、 松平直宝、松平直董、栄、輝、寿、 堀田一権正室、幹、喬、晋、小堀政共正室ら |
妻 | 正室:中条信義娘 |
子 |
信礼 養子:有り |
中条 信徳 (ちゅうじょう のぶのり)は、江戸時代後期の高家旗本。官位は従五位下・侍従、大和守。
略歴
[編集]播磨国明石藩主・松平直泰の六男として誕生。初名は直年。通称は鶴次郎。
兄に明石藩主松平直之、出雲国母里藩主松平直方、弟に高家旗本有馬広寿らがいる。文化7年12月9日(1811年)、高家旗本中条信義の養子となる。文化8年(1811年)閏2月15日、11代将軍・徳川家斉に御目見する。同年6月3日、高家見習に召し出されて、7月18日、従五位下・侍従・大和守に叙任する。文政10年(1827年)6月3日、信義の死去により家督を相続する。文政12年(1829年)10月28日、病気を理由に高家職を辞職する。文政13年(1830年)7月23日死去。享年53。
正妻は中条信義の娘。実子1人(中条信礼)、養子1人を確認できる。
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