コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

普門寺 (藤沢市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
普門寺
普門寺本堂 地図
所在地 神奈川県藤沢市本鵠沼五丁目4番12号
位置 北緯35度20分14.8秒 東経139度28分22秒 / 北緯35.337444度 東経139.47278度 / 35.337444; 139.47278座標: 北緯35度20分14.8秒 東経139度28分22秒 / 北緯35.337444度 東経139.47278度 / 35.337444; 139.47278
山号 密厳山[1]
院号 遍照院[1]
宗旨 古義真言宗[1]
宗派 高野山真言宗
寺格 もと三島山感應院三十二か寺
本尊 不動明王[1]
創建年 大永8年/享禄元年(1528年
開基 権少都長良元
中興年 延宝4年(1676年)以前
中興 善龍[1]生田浄耕
正式名 密厳山 遍照院 普門寺
密嚴山 遍照院 普門寺
札所等 相模国準四国八十八箇所霊場
法人番号 7021005000258 ウィキデータを編集
普門寺 (藤沢市)の位置(神奈川県内)
普門寺 (藤沢市)
テンプレートを表示

普門寺(ふもんじ)は神奈川県藤沢市本鵠沼にある高野山真言宗の寺。相模国準四国八十八箇所のうち第四十七番札所と第八十八番結願の札所がある。1872年(明治5年)から1913年(大正2年)まで、藤沢市立鵠沼小学校の前身である鵠沼学舎、尋常高等鵠沼小学校が置かれていた[2]

歴史

[編集]

密巌山遍照院普門寺と号し、高野山真言宗(古義真言宗)に属しているが、もと藤沢・大鋸の感應院三十二か寺の一つであった。過去帳によると、享禄元年(1528年5月、感應院三五代権大僧都良元(良元僧都)が、唐土ヶ原平塚市)に一寺を創建、十一面観音像を本尊としたという。その後、元和3年(1617年3月、元朝阿遮梨が、砥上ヶ原の現地に再興開基し、本尊を不動明王像とした。元本尊の十一面観音像は、寺の東方に離れて観音堂を建立して安置した。

伽藍

[編集]

境外施設

[編集]

歴代住持墓所

[編集]

山門を出て藤沢市立鵠沼小学校正門前の道路を行った左側台上(本鵠沼5-2)にある。

  • 法印権大僧都受元 – 三十五世、元禄15年(1702年8月8日、入寂。巨大な五輪塔。
  • その右側にも同様、巨大な五輪塔が立っている。
  • 宥資上人墓碑 – 元和3年(1617年6月12日入寂。笠塔婆型。
  • 生田浄耕の墓 – 普門寺中興の祖。1898年(明治31年)7月17日64歳で入寂。四段の礎石の上に塔婆型の墓石。

大東観音堂

[編集]

鵠沼小学校前交差点を東に入った藤沢市本鵠沼2-4-36にあった。現在は大東町内会館が建ち、その一室にかつての普門寺本尊だった十一面観音像が祀られている。

  • 十一面観音像 – 高さ110cm、寄木造で厨子内に安置されている。
  • 相模国準四国八十八箇所七十九番札所 – 町内会館の東側にある。赤く塗られたトタン葺き方形屋根の大師堂に石造弘法大師坐像が安置されている。

相模国準四国八十八箇所

[編集]
木像弘法大師坐像、結願札所

浅場太郎右衛門(鵠沼村最南部の堀川在住)は下総国利根川下流部に四国八十八箇所札所の砂を埋めた新四国八十八箇所相馬霊場があるのを知り、相模にも同趣旨の巡礼場を開設しようと普門寺の僧善応密師に相談、その候補地の選定と交渉を行った。文化14年(1817年)、善応の弟子で、当時大東の観音堂の庵主をしていた浄心に依頼して、四国八十八箇所の霊場の砂と宝印を集めさせた。それを現在の鎌倉市横浜市泉区藤沢市茅ヶ崎市寒川町にまたがる設定の場所に埋め、標示石を立てるとともに、大師像と御堂を建てた。しかし、太郎右衛門は霊場造営中途の文政10年(1827年)8月30日に没し、その遺業は、同名を襲名した子(弘化4年(1847年)9月12日没)に引き継がれた。太郎右衛門親子二代の墓石の側面には、父の方に「願主の墓」、子の方に「土砂加持起願之墓」と刻してある。普門寺には四十七番札所と結願の八十八番札所がある。

壇信徒の高野山参拝

[編集]

相模国と縁の深い高野山の塔頭、高室院の文書(寒川総合図書館・寒川文書館蔵)によると、正徳元年(1711年6月21日から慶応3年(1867年8月13日までの間に鵠沼村の村人延べ337人が63回にわたって高野山金剛峯寺に参拝している。うち普門寺僧と判明するのは8名である。この文書で注目すべきは、ほとんどの参拝者が姓を名乗っていることである[誰?]。鵠沼村の村人は大多数が農家であった。[3]

脚注

[編集]

出典

  1. ^ a b c d e 新編相模国風土記稿 鵠沼村 普門寺.
  2. ^ 藤沢市立鵠沼小学校を参照のこと
  3. ^ 圭室文雄:日本人の宗教と庶民信仰(吉川弘文館、2006年)

参考文献

[編集]

関連事項

[編集]

外部リンク

[編集]