日本とギリシャの関係
ギリシャ |
日本 |
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日本とギリシャの関係(ギリシア語: Ελληνο-Ιαπωνικές σχέσεις、英語: Japan–Greece relations)では、日本とギリシャの関係について概説する。漢字表記から日希関係とも。
両国の比較
[編集]ギリシャ | 日本 | 両国の差 | |
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人口 | 1071万人(2019年)[1] | 1億2711万人(2015年)[2] | 日本はギリシャの約11.9倍 |
国土面積 | 13万1957 km²[3] | 37万7972 km²[4] | 日本はギリシャの約2.9倍 |
首都 | アテネ | 東京都 | |
最大都市 | アテネ | 東京都区部 | |
政体 | 共和制 議院内閣制 | (民主制)議院内閣制[5] | |
公用語 | ギリシャ語 | 日本語(事実上) | |
国教 | ギリシャ正教会[6] | なし | |
GDP(名目) | 1,943億7600万米ドル(2020年)[7] | 5兆819億6954万米ドル(2019年)[8] | 日本はギリシャの約26.1倍 |
歴史
[編集]日本とギリシャは、1899年6月に日希修好通商航海条約が締結されたことにより国交が開始した[9]。その後、遅れて1918年には東京市にギリシャ公使館が設置され、本格的な交流が始まったものの第二次世界大戦を機に断絶する[10][11][12]。しかし戦後に国交が回復し、両国が互いの首都に置く公使館は大使館へと格上げされた[10][11][12][13]。それ以降はあらゆる分野で友好的な関係を築いている。
外交
[編集]国交が樹立されて以来、第二次世界大戦による国交断絶を除いて平和的な友好関係にあり、政治的な連携を取る事も少なくない。第一次世界大戦後の1919年のパリ講和会議では、戦勝国となった日本は人種的差別撤廃提案を提案しており、アメリカやイギリスが反対を示す中でギリシャは日本の提案を支持している[14]。また、日本がG4諸国と連携して国際連合安全保障理事会の常任理事国を参入を目指すに際し、ギリシャは日本の参入も支持している[15]。その他、両国はバルカン半島における平和維持への取り組みも行っており、ヨーロッパにおける重要な外交的パートナーである。
要人の往来に関しては、2002年に当時のギリシャ首相であるコンスタンティノス・シミティスがビジネスマンやジャーナリストの代表団を伴って訪日しているほか[16]、ギリシャ議会議長のアンナ・プサルーダ・ベナキ氏が2005年に来日し日本科学未来館を訪れている[17]。一方で日本はEU-日本サミットの開催に際し、当時議長国であったギリシャを総理大臣の小泉純一郎が訪問している。
経済関係
[編集]2019年時点、対日輸入は623億円に上るのに対して、対日輸出は585億円であった。それ以前も、2013年を除き恒常的な日本側の輸出超過が続いている[3]。一方で、両者の差は確実に埋まってきており、ギリシャは依然として日本からの投資が少ない国であるもののギリシャに興味を示す企業は増えつつある。おもな対日輸入品は船舶類、一般機械、自動車、自動車部品、二輪自動車で、主な対日輸出品はたばこ、石油製品、綿花、アルミニウム、果実等である。
文化交流
[編集]観光における交流は深い。ギリシャは日本でもよく知られた観光地であり、2014年の1月から9月までの日本人観光客は17,878人に上るなど、着実に観光客は増えつつある[18]。文化面では、かねてよりアレキサンダー大王などが日本で注目されておりその考古学展などが催されているほか[19]、ギリシャの文学作品『ホメロス』が能の題目となるなど[20]、学問・芸術で交流が進んでいる。また、東京都などがオリンピックに意欲的な姿勢を見せている事もあり、ギリシャはオリンピックの発祥国としてスポーツ関連の交流も盛ん。2009年には両国間の友好関係が110周年を迎え、大規模な文化展がそれに際して催されている[21]。
2021年11月9日、ギリシャ初の日本庭園となるアテネ日本庭園の起工式が執り行われ、コスタス・バコヤニス・アテネ市長、中山泰則在ギリシャ日本大使、リリ・ジゴスルJTIギリシャ・マネージング・ディレクター、ギリシャ政府代表者らが出席した[22]。2022年7月5日にはアテネ日本庭園で開園後初の夏祭りイベントが開催され、バコヤニス市長、中山大使夫妻、ジゴスルJTIギリシャ代表、政府関係者、文化人らが出席した[23]。
外交使節
[編集]駐ギリシャ日本大使・公使
[編集]駐日ギリシャ大使・公使
[編集]駐日ギリシャ公使
[編集]- ディモステニス・ヴティラス(1918~1920年)
- スピリドン・コンスタンティニディス(1920~1921年)
- ヨアニス・パパス(イオアニス・パパス、1921~1922年)
- 空席(1922~1939年)
- アサナシオス・G・ポリティス(1939年)[24]
駐日ギリシャ大使
[編集]- ゲオルギオス・クスタス(1960~1962年)
- アレクシス・リアティス(1962~1965年)
- ニコラウス・ハッジ・ヴァシリウ(1965~1967年)
- ディミトリス・アヴラミディス(アブラミディス、1967~1971年、信任状捧呈は9月18日[25])
- テミストクレス・フリサンソプロス(1971~1975年)
- ヨアニス・カビオティス(イオアニス・カビオティス、1975~1980年)
- クレオン・カツァビス(1980~1983年)
- コンスタンティノス・リベロプロス(1983~1985年)
- ギオルゴス・リアニス(ジョージ・リアニス、1985~1990年)
- コンスタンティノス・ヴァシス(1990~1993年、信任状捧呈は5月28日[26])
- ギオルゴス・シオリス(ジョージ・シオリス、1993~1998年、信任状捧呈は8月27日[27])
- イリアス・カツァレアス(1998~2002年、信任状捧呈は9月18日[28])
- キリアコス・ロドゥサキス(2002~2006年、信任状捧呈は7月9日[29])
- ヨアニス・ヴァヴァス(イオアニス・ヴァヴァス、2006~2009年、信任状捧呈は6月28日[30])
- (臨時代理大使)アンドレアス・フリガナス(2009年)
- ニコラオス・ツァマドス(2009~2015年、信任状捧呈は10月13日[31])
- (臨時代理大使)ゲオルギオス・スティリャノプロス(2015年)
- ルカス・カラツォリス(2015~2018年、信任状捧呈は4月15日[32])
- (臨時代理大使)ゲオルギオス・パルテニウ(2018年)
- コンスタンティン・カキュシス(2018~2021年、信任状捧呈は10月18日[33])
- (臨時代理大使)ゲオルギオス・パルテニウ(2021~2022年)
- ディミトリオス・カラミツォス=ジラス(2022~2024年、信任状捧呈は3月10日[34])
- (臨時代理大使)スティリャノス・フルムジアディス(2024年)
- ニコラオス・アルギロス(2024年~、信任状捧呈は5月23日[35])
駐日ギリシャ大使館
[編集]- 住所: 東京都港区西麻布3-16-30
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ギリシャ大使館正面玄関
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ギリシャ大使館表札
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ギリシャ大使館全景
希土戦争の際の日本船に関する伝承
[編集]希土戦争の際、イズミルを占領していたギリシャ人や、トルコ軍の迫害を恐れるアルメニア人らが船でギリシャへ脱出した。各国の船が自国民を優先して乗船させるなか、日本の商船「Tokeimaru」が積み荷を投棄したり、トルコ側による難民への手出しを牽制したりしながら、約800人のアルメニア人やギリシャ人らを救出したと、生存者の証言や当時の報道で伝えられている[36]。この出来事は多くのギリシャ人の間で語り継がれており、2017年にはザホス・サモラダスによって「Tokei Maru」という名前の短編アニメ映画が制作された。しかし、実はこの「Tokeimaru」に関する伝承については不明な部分も多く、どんな船だったのか、誰が船長だったのかなどが長らく判明していなかった。ギリシャ近現代史の研究者である東洋大学教授の村田奈々子は、過去の船の記録を調べたり、船会社への聞き取り調査を行ったりした結果、1922年、東地中海に「Tokeimaru」と響きが似た「東慶丸(とうけいまる)」という船が渡っていたこと、当時の船長が現在の南知多町出身の「日比左三」という人物だったことが判明した。また、知多半島に住む左三の親族とも接触し、左三の母親が熱心なキリスト教の正教会の信者だったことも突き止めた[37]。
脚注
[編集]- ^ 世界銀行 Population, total - Greece
- ^ 平成27年国勢調査人口速報集計 結果の概要 - 2016年2月26日
- ^ a b ギリシャ共和国(Hellenic Republic)基礎データ 外務省
- ^ 日本の統計2016 第1章~第29章 | 総務省統計局
- ^ 日本国憲法で明確に定められている。
- ^ The Constitution of Greece: Section II Relations of Church and State: Article 3,Hellenic Resources network.
- ^ “World Economic Outlook Database, October 2020”. IMF (2020年10月).
- ^ The World Bank GDP (current US$) - Japan
- ^ 交流の歴史 | 在ギリシャ日本国大使館
- ^ a b 大使館について - 大使館案内
- ^ a b Η Πρεσβεία - Περί της Πρεσβείας
- ^ a b The Embassy - About the Embassy
- ^ 法律第二号(昭三五・一・八) ◎在外公館の名称及び位置を定める法律等の一部を改正する法律 | 国鉄があった時代
- ^ 巴里講和会議ニ於ケル人種差別撤廃問題一件 1919, pp. 498-499.
- ^ 日本・ギリシャ共同行動計画(骨子) 首相官邸 平成14年
- ^ コスタス・シミティスWEBサイト(ギリシャ語)
- ^ 日本科学未来館 国内外からのゲスト
- ^ ギリシャを訪れる日本人観光客が前年度比で増加
- ^ 兵庫県立美術館 アレキサンダー大王展
- ^ ホメロス『オデュッセイア』が能に、ギリシャ人演出家×人間国宝の能楽師のコラボ公演
- ^ 110 ΧΡΟΝΙΑ ΕΛΛΗΝΟ-ΙΑΠΩΝΙΚΗΣ ΦΙΛΙΑΣ 2009 在ギリシャ日本大使館
- ^ アテネにおけるギリシャ初の日本庭園起工式 | 在ギリシャ日本国大使館
- ^ 中山大使夫妻によるアテネ日本庭園・夏祭りイベントへの出席 | 在ギリシャ日本国大使館
- ^ 『文藝春秋』(時局増刊20 17巻10号 1939年5月10日発行) pp.20-26 に、「ロメル波蘭大使とポリテイス希臘公使に対枢軸外交を訊く」との題でインタビュー記事がある。
- ^ 外務省情報文化局『外務省公表集(昭和四十二年下半期)』「七 儀典関係」「5 新任駐日ギリシャ大使の信任状捧呈について」
- ^ 信任状捧呈式(平成2年) - 宮内庁
- ^ 信任状捧呈式(平成5年) - 宮内庁
- ^ 信任状捧呈式(平成10年) - 宮内庁
- ^ 新任駐日ギリシャ共和国大使の信任状捧呈について | 外務省
- ^ 外務省: 新任駐日ギリシャ大使の信任状捧呈について
- ^ 外務省: 新任駐日ギリシャ大使の信任状捧呈
- ^ 新任駐日ギリシャ大使の信任状捧呈 | 外務省
- ^ 駐日ギリシャ大使の信任状捧呈 | 外務省
- ^ 駐日ギリシャ大使の信任状捧呈 | 外務省
- ^ 駐日ギリシャ大使信任状捧呈|外務省
- ^ オスマン帝国が迫害 アルメニア人/日本船の難民救助 逸話伝承/ナゴルノ「敗戦」記憶に重み『北海道新聞』夕刊2021年11月24日1面掲載のエレバン(アルメニア首都)発共同通信記事
- ^ “日本の船が人々を救った? 100年前の「救出劇」の真相は?”. NHK (2022年11月29日). 2023年3月23日閲覧。
参考文献
[編集]- 萩野矢慶記著『ギリシャを知る世界遺産とエーゲ海』PHP新書(2004)
- ギリシャ共和国(Hellenic Republic)基礎データ 外務省