日本とブルネイの関係
ブルネイ |
日本 |
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日本とブルネイの関係(にほんとブルネイのかんけい、英語: Brunei–Japan relations、マレー語: Hubungan Brunei - Jepun)は、1984年に国交樹立を締結した日本国とブルネイ・ダルサラーム国との関係である。
両国概要
[編集]日本 | ブルネイ | |
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人口[1] | 127,338,621人(2013年) | 417,784人(2013年) |
面積[2] | 377,955 km² | 5,765 km² |
人口密度 | 337.6人/km² | 72.4人/km² |
首都[2] | 東京 | バンダルスリブガワン |
最大都市 | 東京 – 1278万3000人 (首都圏は3245万人) | バンダルスリブガワン |
国家体制[2] | 単一国家、議会内閣制、立憲君主制 | 単一国家、立憲君主制 |
公用語[2] | 日本語 (事実上) | マレー語(憲法上)、英語 |
宗教[3] | 神道83.9%、仏教71.4%、キリスト教0.8%、その他0.6% [4][注 1] | イスラム教79%、キリスト教9%、仏教8% |
民族[2] | 日本人 | マレー系65.7%、中華系10.3%、その他24.0% |
在留邦人数/在日ブルネイ人数[2] | 147人(2012年) | 46人(2013年) |
通貨[3] | 円(Yen 100 = Brunei dollar 1.2) | ブルネイ・ドル(Brunei dollar 1 = Yen 82) |
GDP (名目)[2] | 5兆1000億ドル (1人当たり38,559米ドル) | 164億米ドル(1人当たり39,942米ドル) |
軍事費[2] | 488億6000万米ドル (2008年度) [5] | 5億1,1317万2,760ブルネイ・ドル |
歴史
[編集]日本とブルネイの関係は、エネルギーの貿易を主体とし、ブルネイが英国領だったころから始まった。
第二次世界大戦
第二次世界大戦が始まり、ブルネイを支配していたイギリスを日本軍が排除した結果、 1942年から1945年の終戦まで日本が戦時統治していた。
詳細は『ブルネイの歴史#日本の統治』
終戦後
日本はブルネイから1969年に石油の輸入を、1972年に天然ガスの輸入を開始した。 1983年5月、日本の総理大臣として初めて中曽根康弘がブルネイを訪問し、日・ブルネイ友好議員連盟が結成され、翌6月、ブルネイに日本政府による事務所が開設された。 1984年1月にイギリスより内政を回復し、独立したブルネイは、その年の4月、日本と国交を結び、ハサナル・ボルキア国王が国賓として日本に招待された。同年6月にバンダルスリブガワンに日本国大使館が設置され、9月に東京にて、日・ブルネイ友好協会が結成され、1998年には、ブルネイに、ブルネイ・日友好協会が設立された。 1989年の昭和天皇の崩御の際には、ハサナル・ボルキア国王は大喪の礼に参列し、1990年の上皇明仁の即位礼正殿の儀にも、参列した。1996年、皇太子夫妻が初めてブルネイを訪れた。2011年の東日本大震災の際には、日本は、ブルネイ政府から100万米ドルの寄付や、民間から多数の支援を受けた[3]。2019年の天皇徳仁の即位礼正殿の儀にはハサナル・ボルキア国王とアブドゥル・マティーン王子が参列した。
政治
[編集]2010年12月、ブルネイ内務省は、一村一品運動に関する専門家の派遣を日本に要請し、大分県県職員による現地での指導や講義などを受けた[6]。
軍事
[編集]軍事においてブルネイは、従来よりASEAN諸国との連携を重視し、2008年から各国の防衛省階級相当の閣僚会合であるASEAN国防相会議(ADMM、ASEAN Defence Minister's Meeting)に参加してきた。一方で、日本は、2010年ベトナムでの第一回ADMMプラスに、2014年ブルネイでの第二回ADMMプラスに参加し、ASEAN諸国を通じてブルネイとの軍事協力の関係を結んだ[7]。
皇室と王室の関係
[編集]日本の皇室とブルネイの王室の関係は、現在まで良好な関係を築いてきた。1984年のブルネイ独立後、ボルキア国王は国賓として日本を訪れ、昭和天皇との晩餐会に出席した。国王は、前述の大喪の礼や即位の礼での参加だけではなく、2003年の日・ASEAN特別首脳会議、2007年の日・ブルネイ経済連携協定署名式典、2010年の横浜APEC首脳会議、2013年の首脳会談や日・ASEAN特別首脳会議の際に、明仁天皇(当時。令和時代の上皇)と会談や茶会などを行うなどして、関係を深めている。なおかつ、多くのブルネイ王室の王族たちも何度も日本に訪れている。[2][3]
経済
[編集]経済の分野において、日本とブルネイは、エネルギーをもとに関係を構築してきた。日本は、1972年にブルネイからの天然ガスの輸入を開始して以来、2013年現在、年間約500万トンもの天然ガスを輸入している。これは、日本の全天然ガス消費量の約6%にあたり、ブルネイの輸出する天然ガスの約85%あたる。一方で、日本からブルネイへの主要輸出品目は、車両や車両部品となっている。 また、資源以外の経済関係の強化のため、2007年6月、日・ブルネイ経済連携協定(EPA)[8] を署名し、2008年7月に発効した。2009年12月には、両国間の経済的交流、人的交流等に伴って発生する国際的二重課税の回避を目的とした、日・ブルネイ租税協定を発効した[2]。 日本からブルネイへのODAは、技術協力を中心に実施されていたが、1996年1月にブルネイがODA卒業国となったため、1998年度のODAを最後に終了した。この技術協力には39.28億円が投入され、内訳は、研修員受入1,134人、調査団派遣114件、プロジェクト技協2件、開発調査5件などとなっている。
文化
[編集]2001年からブルネイ大学にて日本語講座が開設され[9]、2014年には第28回日本語弁論大会が開催された[10]。2008年より日本語能力試験がバンダルスリブガワンで年に1回のペースで行われており[9]、2013年度の受験者総数は、56人だった[11]。
外交使節
[編集]在ブルネイ日本大使
[編集]駐日ブルネイ大使館
[編集]-
ブルネイ大使館表札
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ブルネイ大使館裏門
-
ブルネイ大使館は北品川6丁目
-
ブルネイ大使館職員住宅
駐日ブルネイ大使
[編集]代 | 氏名 | 在任期間 | 官職名 | 備考 |
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1 | ペンギラン・ダト・スリ・ライラ・ジャサ・アナ・プテェ | 1986年[12] | 特命全権大使 | 信任状捧呈は9月19日[13] 初代 旭日重光章受章[14] |
2 | ペンギラン・ダト・ハジ・イドリス[15][16] | 1987年 - 1996年[17] | 特命全権大使 | 信任状捧呈は6月11日[18] |
3 | ハジ・ユソフ・ビン・ハジ・アブドゥル・ハミド | 1996年 - 1997年[19] | 特命全権大使 | 信任状捧呈は5月13日[20] |
4 | ダト・パドカ・マライ・ハジ・アハマッド・ムラッド・ビン・サイード・ハジ・マショール | 1997年 - 2001年[21] | 特命全権大使 | 信任状捧呈は9月30日[22][23] |
モハマッド・サリップ・ビン・オスマン | 2001年[24] | 臨時代理大使 | ||
5 | ペンギラン・ユソフ | 2001年 - 2002年[25] | 特命全権大使 | 信任状捧呈は12月26日[26][27] 首相経験者、広島の被爆者[28] 旭日大綬章受章[29] |
アワン・モハマッド・アリアス・ビン・アワン・セルビニ | 2002年 - 2003年[30] | 臨時代理大使 | ||
6 | ハジ・モハメッド・ノール・ビン・ハジ・ジャルディーン | 2003年 - 2004年[31] | 特命全権大使 | 信任状捧呈は3月31日[32] 旭日重光章受章[33] |
アワン・モハマッド・アリアス・ビン・アワン・セルビニ | 2005年[34] | 臨時代理大使 | ||
7 | ダトー・パドゥカ・ハジ・モハメド・アダナン・ビン・ブンター | 2005年 - 2008年[35] | 特命全権大使 | 信任状捧呈は11月14日[36][37] 旭日重光章受章[38] |
マハディ・マイディン | 2008年 - 2009年[39] | 臨時代理大使 | ||
8 | モハマド・アリアス・ビン・セルビニ | 2009年 - 2012年 | 特命全権大使 | 信任状捧呈は2月23日[40] |
ノール・ゼルリナ・モミン | 2012年[41] | 臨時代理大使 | ||
9 | ハジ・マハムード・ビン・ハジ・アハマド | 2012年 - 2017年 | 特命全権大使 | 信任状捧呈は9月21日[42] |
ティア・フイ・レン | 2017年[43] | 臨時代理大使 | ||
10 | カミラ・ハニファ | 2017年 - 2018年 | 特命全権大使 | 信任状捧呈は5月10日[44] |
アワンク・モハマッド・アジアン・ペンギラン・ダト・バドゥカ・マイディン | 2018年 - 2019年[45] | 臨時代理大使 | ||
11 | ハジ・シャブディン・ハジ・ムサ | 2019年 - 2024年 | 特命全権大使 | 信任状捧呈は5月16日[46] |
AK・アミル・ヨハン・Pg・イスマイル | 2024年 - [47] | 臨時代理大使 |
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 日本では神道と仏教を両方信仰することが広く行われているため、合計した数字は100%を超える
出典
[編集]- ^ “Population, total(総人口)”. 世界銀行. 2014年9月8日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j “ブルネイ基礎データ”. 外務省 (2014年5月14日). 2014年9月8日閲覧。
- ^ a b c d “30th Anniversary Japan-Brunei Friendship”. 外務省 (January 2014). 2014年9月8日閲覧。
- ^ [1]
- ^ Asia Times Online
- ^ “ブルネイ・ダラサラーム国における一村一品運動の取り組み”. 一般財団法人自治体国際化協会 (March 2011). 2014年9月9日閲覧。
- ^ “防衛省・自衛隊:日ASEAN防衛協力 拡大ASEAN国防相会議”. 防衛省 (August 2014). 2014年9月9日閲覧。
- ^ “日ブルネイ経済連携協定署名”. 外務省 (2007年6月18日). 2014年9月8日閲覧。
- ^ a b “世界の国から学ぶブルネイ・ダルサラーム国”. 愛知県 (2001年). 2014年9月9日閲覧。
- ^ “「日ブルネイ友好30周年」記念事業カレンダー”. 在ブルネイ日本国大使館 (2014年8月20日). 2014年9月9日閲覧。
- ^ 受験者数
- ^ Jatswan S. Sidhu (1997年). “Historical Dictionary of Brunei Darussalam”. Google ブックス. Rowman & Littlefield Publishers. 2024年6月13日閲覧。、p.261 "In June 1986, Puteh was appointed Brunei's ambassador to Japan and served until November 1986, when he returned to Brunei and was made deputy permanent secretary in the Ministry of Foreign Affairs."
- ^ 『官報』第17884号(昭和61年9月24日付)11頁
- ^ “令和5年春の外国人叙勲 受章者名簿” (PDF). 外務省. 内閣府 (2023年4月29日). 2024年8月20日閲覧。、p.16
- ^ List of Official Mourners Representing Foreign Countries and International Organizations at the Funeral Ceremony of Emperor Showa | Diplomatic Bluebook 1989
- ^ Foreign Representatives, Heads of Missions and Accompanying Persons at the Ceremony of the Enthronement of the Emperor at the Seiden | Diplomatic Bluebook 1991
- ^ “ご引見(平成8年)”. 宮内庁. 2024年8月20日閲覧。
- ^ 『官報』第18094号(昭和62年6月13日付)11頁
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- ^ 『官報』第1891号(平成8年5月15日付)14頁
- ^ “ご引見(平成13年)”. 宮内庁. 2024年8月20日閲覧。
- ^ “信任状捧呈式(平成9年)”. 宮内庁. 2024年8月20日閲覧。
- ^ 『官報』第2234号(平成9年10月2日付)8頁
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- ^ “ご引見(平成14年)”. 宮内庁. 2024年8月20日閲覧。
- ^ “信任状捧呈式(平成13年)”. 宮内庁. 2024年8月20日閲覧。
- ^ 『官報』第3274号(平成14年1月7日付)8頁
- ^ 広島で被爆されたブルネイ初代首相と面会しました! | 国際交流NGOピースボート
- ^ “ペンギラン・ユソフ氏への授与式” (PDF). 広島大学. 2018年8月3日閲覧。、p.4 "一九八五年 日本政府より勲一等旭日大綬章を受章"
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- ^ “駐日外国公館リスト アジア”. Internet Archive. 外務省 (2017年1月25日). 2017年1月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年8月20日閲覧。
- ^ “駐日ブルネイ大使の信任状捧呈”. 外務省 (2017年5月10日). 2024年8月20日閲覧。
- ^ “駐日各国大使リスト”. Internet Archive. 外務省 (2019年1月7日). 2019年1月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年8月18日閲覧。
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