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名古屋電気鉄道500形電車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
名古屋電気鉄道500形電車
名岐鉄道デシ500形電車
177号(後の510号)
基本情報
製造所 名古屋電車製作所
主要諸元
軌間 1,067 mm(狭軌
電気方式 直流600 V架空電車線方式
車両定員 50人(座席30人)
車両重量 13.2 t
全長 10,726 mm
全幅 2,413 mm
全高 3,545 mm
車体 木造
台車 MG 35
主電動機出力 50 PS
搭載数 2基 / 両
制御装置 直接制御
制動装置 手ブレーキ発電ブレーキ
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名古屋電気鉄道500形電車(なごやでんきてつどう500がたでんしゃ)は、現在の名古屋鉄道(名鉄)の前身事業者の一つである名古屋電気鉄道が、1912年大正元年)に導入した木造4輪単車構造の電車である。

落成当初は特定の形式称号を持たず、168 - 205の記号番号が付されて168号形電車などと呼称されたが、1918年大正7年)に500形の形式称号が付与され、車両番号(車番)も500番台に再編された。さらに名古屋電気鉄道から路線を継承して設立された旧・名古屋鉄道が社名を名岐鉄道と改称したのち、形式称号に電動車(デンドウシャ)の単車(シングルトラック)を表す「デシ」の記号が付され、以降デシ500形と呼称された。

デシ500形(以下「本形式」)は他社譲渡や老朽廃車によって1939年昭和14年)に一旦全廃となったが、東美鉄道(後の広見線八百津線)に譲渡された車両が戦時統合により再び名鉄に籍を置くこととなり、それらの出戻り車両は名鉄籍への編入に際してモ45形(初代)の形式称号が付与された。

沿革

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従来名古屋市の市街中心部に「市内線」と通称される併用軌道路線を敷設し運営した名古屋電気鉄道が、「郡部線」と呼称される専用軌道の郊外路線を開業させた際に導入されたものが本形式である。一宮線(押切町 - 西印田間)と犬山線(岩倉 - 犬山間)の開業に際して、1912年(大正元年)8月に38両が一挙に新製された。前述の通り、当初は168 - 205の車番が付与され、特定の形式区分を持たなかった。1915年(大正4年)には清洲線の開業に際してデワ1形電動貨車の台枠および主要機器を流用して206 - 208の3両が増備された。

1918年(大正7年)に単車の車番を500番台、ボギー車の車番を1500番台と区分する方針が策定されていたことに従って、500形501 - 541に改番された。なお、1920年(大正9年)6月に発生した那古野車庫の火災により504・506・521・527・541の5両が被災焼失し、廃車となった。

本形式は小型車体の4輪単車ゆえに増加する輸送量への対応が困難であったことから早期に余剰をきたし、1924年(大正13年)に富岩鉄道に2両(モハ10形)、1928年(昭和3年)に東美鉄道に2両(デ1形)、1929年(昭和4年)に広瀬鉄道に1両(デハ5)[1]、同年に旭川電気軌道に3両、1930年(昭和5年)に東美鉄道に追加1両(デ1形3)が譲渡された。また1931年(昭和6年)から1935年(昭和10年)にかけて511・526・529が電気機関車に改造され、デキ50形になっている。

名古屋鉄道に残存した本形式は1939年(昭和14年)までに一旦全廃となるが、1943年(昭和18年)に戦時統合により東美鉄道が名鉄に吸収合併されると、同社デ1形も名鉄籍に再び復帰することとなった。復籍したデ1、デ2はモ45形(初代)45, 46と改称・改番されたが、デ3は名鉄籍とならず、日本油脂武豊工場の専用鉄道に譲渡されている。

モ45, 46は1949年(昭和24年)に熊本電気鉄道に譲渡された。熊本電鉄ではモハ15・モハ16となったが、使用開始から間もない1949年(昭和24年)3月1日に荒尾市営電気鉄道が開業する際、同鉄道に譲渡された。荒尾市では15・16の番号のまま使用開始されたが、1951年(昭和26年)に電車2両が新規導入されたことにより運用を退き、1957年(昭和32年)頃に除籍となった。

車歴表

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  • 出典:『名古屋鉄道車両史 上巻』pp.13-18、「知られざる名鉄電車史1 郊外線草創期の車両 - デシ500形とその仲間たち」pp.156-165
1918年改番 変遷 廃車※2
旧番号 新番号※1
168 501 1929年に旭川電気軌道譲渡※3 (1949年)
169 502 1929年に広瀬鉄道へ譲渡(デハ5)。 (1955年)
170 503 1938年
171 504 1920年の那古野工場火災で全焼。 1920年
172 505 1938年
173 506 1920年の那古野工場火災で全焼。 1920年
174 507 1929年に旭川電気軌道へ譲渡。※3 (1949年)
175 508 1929年に旭川電気軌道へ譲渡。※3 (1949年)
176 509 1938年
177 510 1931年に東美鉄道へ譲渡(デ1形3)。1943年に日本油脂日本油脂専用鉄道)へ譲渡(デ1形1)。 (1962年頃)
178 511 1931年または1935年にデキ50形に改造。※4 1960年
179 512 1938年
180 513 1938年
181 514 1938年
182 515 1938年
183 516 1925年事故、1926年除籍。 1926年
184 517 1938年
185 518 1938年
186 519 1938年
187 520 1914年に電車焼き討ち事件で焼損、1915年新車体化。1927年に荷物合造車に改造(デシニ520)。 1939年
188 521 1920年の那古野工場火災で全焼。 1920年
189 522 1939年
190 523 1938年
191 524 1924年に富岩鉄道へ譲渡(モハ10形)。1943年に電装を外し廃車。
車体は銚子電気鉄道へ譲渡され、付随車として使用された後に再電装(モハ10形)。
(1950-52年)
192 525 1939年
193 526 1931年または1935年にデキ50形に改造。※4 1960年
194 527 1920年の那古野工場火災で全焼。 1920年
195 528 1924年に富岩鉄道へ譲渡(モハ10形)。1943年に電装を外し廃車。
車体は銚子電気鉄道へ譲渡され、付随車として使用された後に再電装(モハ10形)。
(1950-52年)
196 529 1931年または1935年にデキ50形に改造。※4 1960年
197 530 1938年
198 531 1938年
199 532 1938年
200 533 1938年
201 534 1938年
202 535 1929年に郵便合造車に改造(デユ11) 1938年
203 536 1929年に郵便合造車に改造(デユ12) 1938年
204 537 1928年に東美鉄道へ譲渡(デ1形1)。同社合併により1943年に復籍(モ45形45)。
1948年に熊本電気鉄道に譲渡(モハ15)。間もなく荒尾市営電気鉄道へ再譲渡(15)。
(1957年)
205 538 1928年に東美鉄道へ譲渡(デ1形2)。同社合併により1943年に復籍(モ45形46)。
1948年に熊本電気鉄道に譲渡(モハ16)。間もなく荒尾市営電気鉄道へ再譲渡(16)。
(1957年)
トク1 トク1 206号改造名義※5。貴賓車。1920年の那古野工場火災で全焼。 1920年
トク2 トク2 207号改造名義※5。貴賓車。1931年一般車格下げ(デシ551)。1940年に一度廃車。
1942年復籍(モ40形41)。1948年改番(モ85形85)。
1960年※6
206※5 539 1915年追加増備(デワ1形から機器流用)。1926年に小手荷物合造車に改造(デシニ539) 1939年
207※5 540 1915年追加増備(デワ1形から機器流用)。1926年に小手荷物合造車に改造(デシニ540) 1938年
208 541 1915年追加増備(デワ1形から機器流用)。1920年の那古野工場火災で全焼。 1920年
  • ※1:改番当時の形式名は500形。1930年(昭和5年)頃よりデシ500形と呼称。
  • ※2:( )は譲渡先の廃車年。
  • ※3:譲渡されず廃車され、機器をミ3散水車に流用した説もある。
  • ※4:改造によりボギー台車に換装されたが、3両のうち2両(デキ52、デキ53)は後に元のラジアル台車に戻され、デキ30形(31・32)となる。
  • ※5:竣工前に貴賓車に設計変更されたため、実際に206、207を名乗ったのは1915年追加増備車のみ。
  • ※6:復籍後の廃車年。

脚注

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参考文献

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  • 名古屋鉄道広報宣伝部編纂 『名古屋鉄道百年史』 名古屋鉄道、1994年
  • 清水武、田中義人『名古屋鉄道車両史 上巻』アルファベータブックス、2019年。ISBN 978-4865988475 
  • 名鉄資料館「知られざる名鉄電車史1 郊外線草創期の車両 - デシ500形とその仲間たち」『鉄道ピクトリアル』第791号、電気車研究会、2007年7月、156 - 165頁。