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山崎匡輔

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

山崎 匡輔(やまざき きょうすけ、1888年(明治21年)2月9日 - 1963年(昭和38年)8月8日)は、日本の官僚、土木工学者、教育行政家。鉄道院技師、東京帝国大学教授、日本学術振興会理事長、国立国語研究所評議委員会副会長、鉄道建設審議会委員、文部次官東京都教育委員長日本放送協会常務理事、東海大学第2代学長、成城大学学長。全国家庭科教育協会会長。工学博士。土木学会名誉員。第12回(昭和35年度)NHK放送文化賞受賞。

来歴

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群馬県桐生市出身。文部次官、東京都教育委員長、日本学術振興会理事長、国立国語研究所評議委員会副会長、日本放送協会常務理事などを歴任。内村鑑三に師事し、鉄道軌道トンネル工学、都市交通などの研究で業績をあげ、鉄道工学、土木学界の発展に貢献する[1]

略歴

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  • 1906年(明治39年)- 旧制群馬県立前橋中学校(現・群馬県立前橋高等学校)卒業[2]
  • 1915年(大正5年)- 東京帝国大学工科大学土木工学科卒業[3]。鉄道院に技師として入職[3]
  • 1920年(大正9年)- 東京帝国大学助教授に就任[3]
  • 1939年(昭和14年)工学博士の学位取得、東京帝国大学教授[3]に就任。
  • 1945年(昭和20年)9月 - 文部省科学教育局長に就任。
  • 1946年(昭和21年)1月 - 文部次官に就任。
  • 1947年(昭和22年)2月 - 文部次官を退任。
  • 1947年(昭和22年)12月 - 東海大学学長職に就任。
  • 1948年(昭和23年)11月 - 東海大学学長職に退任。
  • 1948年(昭和23年)- 東京都教育委員長に就任
  • 1949年(昭和24年)- 日本放送協会常務理事に就任。
  • 1950年(昭和25年)- 全国家庭科教育協会会長に就任。
  • 1951年(昭和26年)4月 - 東京慈恵会医科大学の顧問に就任。
  • 1952年(昭和27年)10月 - 成城学園長[3]職兼成城大学学長職に就任。
  • 1954年(昭和29年)4月 - 全国家庭科教育協会会長を退任。
  • 1955年(昭和30年)12月 - 成城学園長職兼成城大学学長職を退任。
  • 1956年(昭和32年)5月 - 成城大学学長職に再就任。
  • 1957年(昭和33年)3月 - 成城大学学長職を退任。
  • 1960年(昭和36年)3月 - 第12回(昭和35年度)NHK放送文化賞受賞[4]

脚注

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出典

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参考文献

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  • 高橋裕、藤井肇男共著『近代日本土木人物事典: 国土を築いた人々』鹿島出版会、2013年。

関連項目

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公職
先代
白石成一
東京都教育委員会委員長
1950年 - 1952年
次代
八木沢善次
先代
大村清一
日本の旗 文部次官
日本の旗 教員検定委員会会長
日本の旗 日本文化大観編修会会長

1946年 - 1947年
次代
有光次郎
学職
先代
(新設)
成城大学短期大学部学長
1954年 - 1958年
次代
坂本浩
先代
(新設)
成城大学文芸学部長事務取扱
1954年 - 1956年
次代
宮本和吉
学部長
先代
伊藤正一
成城大学経済学部長事務取扱
1953年 - 1954年
次代
伊藤正一
学部長
その他の役職
先代
石田壮吉
放送教育研究会全国連盟理事長
1952年 - 1961年
次代
森戸辰男
先代
(新設)
全国家庭科教育協会会長
1950年 - 1954年
次代
石山脩平
先代
関屋貞三郎
日本学術振興会理事長
1950年 - 1952年
次代
高垣寅次郎