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梶井剛

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

梶井 剛(かじい たけし、1887年明治20年)7月20日 - 1976年昭和51年)10月9日 )は、昭和期の逓信官僚実業家。逓信省工務局長、日本電気社長、日本電信電話公社初代総裁、東海大学初代学長、電気学会会長を務めた。藍綬褒章勲一等瑞宝章受章(現在の瑞宝大綬章)。工学博士石川県加賀市出身。

長男の梶井健一日本銀行考査局長を経て名古屋鉄道社長および会長を務めた。官僚出身のエコノミスト外務大臣を務めた大来佐武郎は娘婿。

来歴

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逓信省工務局長、日本電気(株)会長、日本放送協会理事を歴任。対馬海峡及び朝鮮海峡間における長距離海底電信ケーブルの研究と実用化、また満洲電信電話株式会社の設立に参画し、満洲国の通信網に技術面で尽力した。

1976年10月9日、心不全のため順天堂大学医学部附属順天堂医院で死去。89歳[1]

略歴

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家族

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著書

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  • 稲垣優、寺田文行、今井正隆 共著『代数学幾何学演習と解法』(広川書店、1963年)
  • 土倉保、清水譲三、稲垣優 共著『大学理工系を主とした微分積分学』(養賢堂、1964年)
  • 牧野不二雄、稲垣優、清水譲三 監修『応用解析学』(東海大学出版会、1965年)
  • 稲垣優、清水譲三 共著『大学理工系を主とした代数学・幾何学』(養賢堂、1965年)

脚注

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  1. ^ 訃報欄 梶井剛氏(かじい・たけし=元電電公社総裁)『朝日新聞』1976年(昭和51年)10月10日朝刊、13版、23面
  2. ^ a b c d 山川良に関する研究 : 男爵山川健次郎長男洵の妻の記録遠藤由紀子、昭和女子大学女性文化研究所紀要47号、 2020-03-31
  3. ^ a b 梶井恒『人事興信録』初版 [明治36(1903)年4月]
  4. ^ 飯田精太郞『人事興信録』第8版 [昭和3(1928)年7月]
  5. ^ 梶井剛『人事興信録』第8版 [昭和3(1928)年7月]

関連項目

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先代
-
日本電信電話公社総裁
初代:1952年8月 - 1958年9月
次代
大橋八郎
先代
中山龍次
電気通信協会会長
第2代:1946年5月 - 1952年8月
次代
中山次郎
先代
-
東海大学学長
初代:1946年5月 - 1947年12月
次代
山崎匡輔
先代
百田貞次
電気学会会長
第26代:1939年 - 1940年
次代
八木秀次