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梶井健一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

梶井 健一(かじい けんいち、1916年大正5年)3月1日 - 2011年平成23年)7月16日 )は、日本の実業家名古屋鉄道(名鉄)の元社長。梶井剛の長男。

経歴

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東京都出身[1]1940年昭和15年)に東京大学経済学部卒業とともに日本銀行に入行し、仙台支店長、新潟支店長[2]を経て、1967年から考査局長に就任[1]1970年(昭和45年)には土川元夫の誘いを受けて、名古屋鉄道へ転職し、同年5月から副社長に就任[1]1982年(昭和57年)6月には社長に就任し、1988年6月に副会長を経て、1991年(平成3年)12月から竹田弘太郎の死去に伴い空席になっていた会長に就任した[1]

その一方で、1985年から名鉄百貨店会長に就任[1]。中部開発センター会長、中部経済連合会副会長、日本民営鉄道協会副会長[3]を歴任。

1982年4月に藍綬褒章を受章し、1987年4月に勲二等旭日重光章を受章[1]

2011年(平成23年)7月16日に肺炎のために死去。享年95歳[4]

家族

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脚注

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  1. ^ a b c d e f 人事興信所 2009, か174頁.
  2. ^ 歴代支店長日本銀行新潟支店
  3. ^ 1985年6月1日 日本経済新聞 朝刊 P9
  4. ^ 梶井健一・元名古屋鉄道社長が死去: 日本経済新聞日本経済新聞 2011年 7月20日
  5. ^ 山川良に関する研究 : 男爵山川健次郎長男洵の妻の記録遠藤由紀子、昭和女子大学女性文化研究所紀要47号、 2020-03-31

参考文献

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  • 人事興信所 編『人事興信録 第45版 上』人事興信所、2009年。 
先代
竹田弘太郎
名古屋鉄道社長
1982年 - 1988年
次代
谷口清太郎