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清水勤二

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

清水 勤二 (しみず きんじ、1898年明治31年)1月22日 - 1964年昭和39年)1月10日)は、日本の教育者

名古屋工業大学初代学長を務めた。

来歴

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明治31年 山口県防府市に生まれる。大正11年 短歌雑誌『水甕』社友、石井直三郎の選歌欄に入る。

大正12年 京都帝国大学工学部電気工学科を卒業する。大正13年 名古屋高等工業学校教授となる。

大正14年 短歌雑誌『青樹』創刊に際し、発行責任者となる。昭和15年 学位(工学博士)を受ける。

昭和19年 明治工業専門学校(現九州工業大学)校長となる.このころ漢詩に熱中し、『桑洲詩稿』一帖がある。

昭和21年 文部省科学技術教育局長となる.このころ、歌稿『武蔵野』 一帖成る。

昭和23年 短歌結社『青樹歌会』に加わる。昭和23年 名古屋工業専門学校長となる。昭和24年 名古屋工業大学初代学長となる。

昭和31年 日本工学教育協会会長となる。昭和31年 日本学術会議会員となる。

昭和31年 日本オペレーションズ・リサーチ学会副会長となる。

昭和32年 科学技術審議会専門委員となる。昭和32年 中央教育審議会臨時委員となる。

昭和36年 大同学園(大同大学)理事となる。昭和37年 名古屋市科学館長となる。

脚注

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公職
先代
(新設)
市立名古屋科学館
1962年 - 1964年
次代
杉戸清
その他の役職
先代
池田亀三郎
日本工学教育協会会長
1956年 - 1958年
次代
井上英煕