安藤良雄
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人物情報 | |
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生誕 |
1917年7月12日 日本広島県広島市 |
死没 | 1985年5月6日 (67歳没) |
出身校 | 東京帝国大学 |
学問 | |
研究分野 | 経済学 |
研究機関 | 東京大学、成城大学 |
学位 | 経済学博士 |
安藤 良雄(あんどう よしお、1917年7月12日 - 1985年5月6日)は、日本の経済学者。東京大学名誉教授、成城大学学長。
経歴
[編集]出生から終戦まで
[編集]1917年、大蔵省の役人であった父の任地の広島市で生まれた。1935年3月、東京高等師範学校附属中学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)を卒業。旧制弘前高等学校に入学して学んだ[1]。
1939年4月、東京帝国大学経済学部に入学し[2]、土屋喬雄のゼミナールに学ぶ[1]。1941年12月、東京帝国大学経済学部を卒業し、同大学助手となるが、1942年1月、応召。海軍主計大尉として、戦時中を通して海軍省に勤務し、戦時統制経済の実務に当たった[3]。
戦後
[編集]1947年、東京大学経済学部専任講師に採用される。後に助教授、1956年に教授昇進。1961年、学位論文『日本資本主義の展開過程』を東京大学に提出して経済学博士の学位を取得[4]。
東京大学では、経済学部長、図書館長などを務めた[5]。1978年に東京大学を定年退官し、名誉教授となった。その後は成城大学経済学部教授として教鞭を執った[6]。経済学部長、1981年からは学長を務めた。成城大学学長在職中の1984年10月5日に出張先の名古屋市で心筋梗塞に倒れ、死去するまで病床にあった[7]。
学界にあっては、日本学術会議副会長、日本経済学会連合理事長を務めた。
研究内容・業績
[編集]- 大正から昭和にかけての日本経済、戦時経済の分析に業績がある。
家族・親族
[編集]著作
[編集]著書
[編集]- 『経済の歴史』1955年 学生社新書
- 『現代日本経済史入門』日本評論新社 1963年
- 『日本資本地図』新潮社 1963年 ポケット・ライブラリ
- 『日本資本主義の歩み』1967年 講談社現代新書
- 『日本の歴史文庫 16 大正時代』講談社 1975年
- 『日本の歴史 28 ブルジョワジーの群像』小学館 1976年 「日本史の社会集団 第6巻」文庫
- 『近代日本経済史 資本主義の形成と発展』旺文社 1980年 テレビ大学講座
- 『太平洋戦争の経済史的研究 日本資本主義の展開過程』東京大学出版会 1987年
共編著
[編集]- 『図表近代日本史』和歌森太郎共著 弘文堂・アテネ新書 1956年
- 『日本経済史』守本順一郎共著 1958年 学灯文庫
- 『昭和経済史への証言』編著 毎日新聞社 1965年-1966年
- 『日本輸送史』松好貞夫共編著 日本評論社 1971年
- 『昭和政治経済史への証言』編著 毎日新聞社 1972年
- 『日本経済政策史論』編 東京大学出版会 1973年-1976年 東京大学産業経済研究叢書
- 『近代日本経済史要覧』編 東京大学出版会 1975年
- 『守本順一郎 思想史への道なかばに』編 『守本順一郎-思想史への道なかばに』刊行会 1979年
- 『両大戦間の日本資本主義』編 東京大学出版会 1979年 東京大学産業経済研究叢書
- 『昭和史への証言』全5巻 編著 原書房 1993年
翻訳
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 加藤俊彦「安藤良雄氏の人と学問 : 追悼のことば (安藤良雄教授追悼号)」『成城大學經濟研究』第92巻、成城大学経済学会、1986年3月、7-20頁、ISSN 03874753、NAID 110000245566。
- 浅井良夫「安藤良雄先生の思い出 (安藤良雄教授追悼号)」『成城大學經濟研究』第92巻、成城大学経済学会、1986年3月、293-303頁、ISSN 03874753、NAID 110000245577。