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銅直勇

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銅直 勇(どうちょく いさむ、1889年6月15日[1] - 1979年7月22日)は、日本の社会学者教育者

経歴

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1889年、大分県宇佐郡長州町に生まれる[1]1912年広島高等師範学校国語漢文部を卒業後[1]和歌山県立粉河中学校の教員を2年間務めた[1]。その後、広島高等師範学校専攻科を経て[1]1914年京都帝国大学文科大学哲学科社会学専攻に入学[1]1917年に卒業後は京都市役所大原社会問題研究所倉敷紡績株式会社に勤め[1]、大学時代に研究した社会問題、労働問題などの実践を行った。1921年、京都帝国大学大学院に入学[1]西田幾多郎米田庄太郎の指導を受ける[1]。大学院在学中から佛教専門学校龍谷大学社会学関係の講師を務めており[1]1925年に大学院を退学[1]1926年には成城高等学校教授・高等科部長に就任[1]1934年からは成城高等学校校長、成城高等女学校校長、成城小学校校長、成城幼稚園園長として、学校経営にも携わった[1]

第二次世界大戦中は熊本県に移り、1943年から1949年まで熊本師範学校長を務めた[2]。1949年横浜国立大学教授[1]、1958年日本大学文理学部教授[1]、1964年明星大学社会学科教授[1]

1979年老衰のため東京都世田谷区至誠会第二病院にて死去。90歳[3]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 高島秀樹「銅直勇教授の社会学(1) : 『純正社会学概論』を中心に」『明星大学社会学研究紀要』第20巻、明星大学人文学部社会学科、2000年3月、43-57頁。 
  2. ^ 『官報』第4865号、昭和18年4月2日
  3. ^ 訃報欄 銅直勇(どうちょくいさむ=前明星大学人文学部長)『朝日新聞』1979年(昭和54年)7月23日夕刊 3版 7面
公職
先代
三田主市
神奈川師範学校長
日本の旗 横浜国立大学神奈川師範学校長
1949年 - 1951年
次代
(廃止)
先代
富樫浩吾
神奈川青年師範学校長
日本の旗 横浜国立大学神奈川青年師範学校長
1949年 - 1951年
次代
(廃止)
先代
小倉邦夫
熊本県師範学校長
松阪富之助
熊本県女子師範学校長
日本の旗 熊本師範学校長
1943年 - 1949年
次代
鰐淵健之
熊本大学熊本師範学校長事務取扱
先代
平田政雄
日本の旗 熊本青年師範学校長
1948年 - 1949年
次代
鰐淵健之
熊本大学熊本青年師範学校長事務取扱
学職
先代
児玉九十
明星大学人文学部長
1968年 - 1978年
次代
阿部市五郎
先代
(新設)
日本の旗 横浜国立大学学芸学部長
1949年 - 1954年
次代
酒井恒
その他の役職
先代
児玉秀雄
成城高等女学校
1934年 - 1943年
校長事務取扱
1933年 - 1934年
次代
上里朝秀
校長事務取扱