大久保利隆
大久保 利隆(おおくぼ としたか、1895年 - 1988年)は、日本の外交官。駐ハンガリー兼ユーゴスラヴィア特命全権公使や、駐アルゼンチン特命全権大使、日本アルゼンチン協会会長を務めた。
人物・経歴
[編集]鹿児島県出身。父大久保利貞(1846年 - 1918年)は陸軍中将で、維新の三傑の大久保利通の従弟。
1918年第一高等学校予科仏法科志望卒業[1]。1921年東京帝国大学法学部政治学科卒業[2]。同年外務省入省(任領事官補)[3]。
1928年聖マウリッツィオ・ラザロ勲章(シュヴァリエー、サン、モーリス、エ、ラザル勲章)受章[4]。1931年レオポルド勲章(シュヴァリエー、レオポール勲章)受章[5]。1934年ルクセンブルクオーク王冠勲章(オフヰシエー、クーロンヌ、ド、シエーヌ勲章)受章[6]。
甥の迫水久常[7](鹿児島出身)の岳父にあたる岡田啓介の内閣総理大臣秘書官等を経て[8]、1937年外務省条約局第一課長[9]。
1938年イタリア王冠勲章(コンマンドール、クーロンヌ)受章[10]。
1941年駐ハンガリー兼ユーゴスラビア特命全権公使[11][12]。
1942年ハンガリー王国功労勲章(ルミエール、クラス、ド、メリット、オングロアーズ勲章)受章[13]。同年ハンガリー王国功労勲章(プルシエール、フラドメツトオングロアース)受章[14]。
1944年叙従四位[15]。1945年外務省軽井沢事務所長(特命全権公使)[16]。
1950年国立国会図書館専門調査員[17]。1952年駐アルゼンチン特命全権大使[18]。1955年外務省参与[19]。
1966年勲二等旭日重光章受章[20]。1972年日本アルゼンチン協会会長[21]。
関連文献
[編集]- 芙蓉書房出版、2015年。巻末に、大久保の回想録全文
- 高川邦子『ドイツ敗北必至なり 三国同盟とハンガリー公使大久保利隆』
- 上記の改訂版(著者は孫)、芙蓉書房出版、2023年
出典
[編集]- ^ 第一高等学校一覧 昭和6至7年 附録 卒業生氏名
- ^ 東京帝国大学卒業生氏名録 [昭和8年3月末現在]
- ^ 官報 1921年10月13日
- ^ 特命全権公使森安三郎外十五名外国勲章記章受領及佩用ノ件
- ^ 特命全権大使永井松三外二十一名外国勲章記章受領及佩用ノ件
- ^ 外務事務官兼内閣総理大臣秘書官大久保利隆外三名外国勲章受領及佩用ノ件
- ^ 岡田啓介 岡田大将記録編纂会, 1956
- ^ 官報 1935年10月05日
- ^ 官報 1937年04月07日
- ^ 久田益太郎外十名外国勲章受領及佩用ノ件
- ^ 官報 1940年12月21日
- ^ 官報 1941年02月18日
- ^ 官報 1942年04月27日
- ^ 陸軍少将唐川安夫外九名外国勲章受領及佩用ノ件
- ^ 特命全権公使大久保利隆叙位の件
- ^ 3.東亜/(ハ)イタリア人の部
- ^ 官報 1950年09月12日
- ^ 官報昭和27年本紙第7774号 67頁
- ^ 官報昭和30年本紙第8695号 459頁
- ^ 官報昭和41年号外第48号 2頁
- ^ 日本アルゼンチン協会歴代会長
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